言葉と表現と射影のブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS スピノザ、アムステルダムで普遍主義的運河の本を書く   本多敬

<<   作成日時 : 2011/04/29 23:55   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像




「スピノザ、アムステルダムで普遍主義的運河の本を書く」(本多敬)





「人間身体」(スピノザ)は、「個人」と理解しなければならない根拠はない。「人間身体」は、「群集」と解釈できると思う。実際にネグりチュードの思想家達は、「人間身体」とは、多数性=大衆、であると強調する。移民や外国人や失業者や女性や同性愛者等の他者を包括した、「人間身体」のことだ。

私はそれを、「互いに異なりあい、多種多様な活動力の社会的な共存」と書こうと思う。「人間身体を組織する個体、したがってまた人間身体自身は、外部の物体から極めて多様の仕方で刺激される。・・・人間身体は自らを維持する為に極めて多くの他の物体を要し、これらの物体から絶えず更生される」。

「神=自然」や「人間身体」という語で、スピノザは分離不可能な一体性を強調したかった。即ち、唯一の実体、開かれた全体性のことだ。スピノザ的なマルクスは「プロレタリアート」と呼んだ実体は、スピノザの「神=自然」、「人間身体」のことである。それは、産業労働者に限定された言葉ではない。

マルクスをスピノザのもとへ、とアルチュセールは要求した。それは、スピノザの、排除を一切認めないラディカリズムを評価していたから。又、エコロジー的な観点で、まだ生まれていない将来の人々が含まれるだろう。ドイツの「緑の党」の設立に関わったジョセフ・ボイスは、ジョイスをスピノザ的に理解していたことは注目したい。

スピノザ「エチカ」は、十七世紀に、オランダのハーグとアムステルダムで書かれた哲学書。他者というものは常に、外部から到来し、実際にどんな人々なのか分らないけれども、最初にそういう他者を信頼することの大切さをスピノザは説いていると思う。民主主義の原点、真に普遍主義的な「運河」の本。

スピノザの多様体diversæ naturæとはなにか?

再び、「エチカ」から引用。人間身体は、本性を異にする極めて多くの個体ーその各々がまた極めて複雑な組織のーから組織されている。それら個体のうち、あるものは流動的であり、あるものは軟らかく、あるものは硬い・・・。つまり、それらは互いに異なりあい、多種多様な活動力の社会的な共存の比喩なのだ。「人間身体を組織する個体、したがってまた人間身体自身は、外部の物体から極めて多様の仕方で刺激される。人間身体は自らを維持する為に極めて多くの他の物体を要し、これらの物体から絶えず更生される」、と。つまり、私達はなんでも食べなければならないし、また、そういう欲望を持っているのだ、と。ここで、他者との開かれた関係について比喩的に語られることは、容易に読み取れる。ちなみに、「外敵」は、外国人嫌いの都知事か似非左巻き論者の妄想に属するが、それに対して、スピノザは、それを所詮食中毒にすぎないと冷静に分析している。

多くの場合、「食中毒」は永続しないものだ。「人間身体」の保存は、皆の努力にかかっているといえよう。ナショナリズム的な同一性の幻想は、スピノザの語彙において、まったく存在しない。彼の本が、真に普遍主義的な「運河」の本である理由だ。実は、アムステルダムの運河は、ユダヤ人センターで聴講したグレーニングが話題であった。

地下鉄とバスの爆破事件で、英国マルチカルチュアリズムの終焉が説かれ、アラブ人に対する差別的感情が起きたときの、講義であった。オールドリベラルold liberalの立場から、実際にどんな人々なのか分らなくとも、まず最初に他者を信頼することの大切さを主張した...「運河」とは、信頼のエンジニアリングだ、と


最後に、スピノザは「自然状態なき自然権」を説いた。民衆は国家権力の不法な行使に対して反抗する権利を常に持つ。それによって、ホッブスが悲観的に想定した恐怖(内戦のような、万人に対する万人の闘争)が生じる事はない。ところで、もし浜岡原発再稼動は国家権力の不法な行使ならば、放送局と新聞社の占拠を正当化する、抵抗権の行使が必要です。すくなくとも、抵抗権の理論化の作業をはじめるべきだ、と私はかんがえる。

ヨーロッパの舞台で展開した、社会科学と人文科学は、危機の日本においてこそ、新しい衣装と新しい語彙で、大きな収穫を見出す可能性はないだろうか?私達は依然と、ジャーナリストや新聞の社会的役割を大切なものと考えている。問題は、その社会的役割と、企業の体制とが必ずしも両立しなくなってきた、という認識だ。世界中の人々のあいだで、この認識が共有されてきていると思う。


エピソード; アイルランドの芸術家が、国営放送RTEの運営委員のひとりに選ばれたとき、記者会見が開かれました。視聴率を稼ぐ為にアメリカの芸能人の話ばかり喋って、アイルランドの伝統文化の破壊を手伝っている、このアホな放送局のスタジオをのっとろう、と呼びかけました。みんな、銃を持参してやって来い、俺が道案内してやるぜ!と繰り返していました。おおー、さすが、反逆児の国アイルランドだ、と、心が震えましたよ

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
スピノザ、アムステルダムで普遍主義的運河の本を書く   本多敬 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる