言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月五月    本多敬

<<   作成日時 : 2011/05/03 00:02   >>

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1 思想・哲学



・昨日文化村のフェルメール展に行きました。フェルメールとスピノザは同世代なんですね。17世紀のスピノザは、当時、大衆現象の極みともいえる、チューリップ投機を観察したことはたしかです。二十世紀の知識人が書いたような、大衆論について、大変先駆的な論文を書きました。おそらく、彼がはじめてでしょう。誤解を恐れず、大まかに結論だけ言うと、共和派のスピノザは、大衆の欠点よりも、長所を強調しました。大衆のモデルなきアナーキズムの可能性を積極的に捉えようとしました。問題が起きるとすれば、君主制か、君主制に準ずるロールモデルに、大衆が突き進んでしまうことがあります。(例えば、特権的な人々の役割規範みたいな権威ですね、プルーストでしたら、スノビズムと呼ぶでしょうか)。この点に関して、日本の似非ニーチェ主義者は、スピノザの見解をシニカルに理解してしまっているようです。例えば、「狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である」(ニーチェ)という文がそうですね。ただ、本来的にはスピノザ主義者であったニーチェは、つぎの大事なことばを書き忘れたようです。鳥は卵からむりに出ようとする。卵は世界だ。生まれようとするものは、ひとつの世界を破壊せねばならぬ」(ヘッセ)。

大衆に関して。大衆のネガティブなイメージは、もちろん長年にわたって公式的なマルクス主義による批判の対象だったこともあるんですが、それとはまったく別に、八十年代から現在に影を落としている、特権的エリートを称賛する新保守主義・新自由主義的な言説の影響を見逃すことはできません。大衆は単なる奇形な現象にすぎない、いわば実体なき実体で、教養ある人間が関わるべきことではない・・というようなことが言われます。ところで、そういうアンチ大衆の論者たちは、大衆を、現在生きている人々に限定しているのが特徴です。それを前提として、アンチ大衆論者の主張は、私達は過去に生きた人々に対する責任を自覚しなければならない、とくりかえします。確かにその通りと思います。ただし、そういう過去の人々のすべてが靖国神社の英霊達と看做しますが、決してそんなことはありませんね(笑)。戦後の平和憲法の理想を生きようとした無名の人々とかれらの意志のことを、私は考えます。もっと遡りまして、フランス革命のときに博愛主義や平等主義の理想を実現したかったパリの民衆のことを考えます。また、「大衆」は、現在まだ生まれていないが、未来に存在する人々を含みます。これは、地球環境のことを考えると、大事なポイントと思います。脱原発のレゲーで唄っていたように、子供たちの、子供たちの、子供たちの、子供たちの、子供たちの、子供たちの、子供たちの、子供たちの、子供たちの、子供たちの、子供たちの、子供たち・・・皆健康でいて欲しいと訴えていました。仮に、五千年後に人類が滅んでしまっても、その後に、遠い惑星から遥遥、地球に到来してくる宇宙人のことを想像しなければなりません。大衆のなかの現在を占める人々は、「ここは、放射能汚染地域だから、危険だ、立ち入り禁止」と、宇宙人に知らせる義務があると、私は思います。ちょっと今、山本さんの文を読んでいましたら、ブッダの言葉を思い出しました「ただ誹られるだけの人、また、ただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう。現在にもいない」。こうして、ブッダの言葉を吟味すると、常に過去と未来を、現在と同じ価値を与えていることが分ります。これと同様に、大衆の実体を捉えることができないでしょうか。



・「デモでなにが変わるんだ!」、と懐疑的な声。「−をしたら、XXをゲット(get)する」、と、この問いかけの源は、例えば「資本家が利潤を得る」、「官僚が出世を得る」という植民地主義的な発想にあると思う。晩年のデリダはデモに出たが、転向ではない。元々本は、エクリチュールは、デモなのだ

・開集合上の「境界」に理念的に対応するものが、「本」であり、書く運動たる「エクリチュール」であり、そして、なによりも、内部に帰属不可能な「デモ」のことなのだ

・ロールズの正義論はヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論を喚起する、と前述した。問題は言語ゲームの二元論的構成に存する。サンデルの問題解決より先駆けて、ドゥルーズは、カントとスピノザを導入することによって、一元論的な理論的克服を試みた。単独性と社会性の交通空間の理論的発見が収穫だった


・ロールズの公正なゲームとしての正義と重合的合意は、ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論を喚起する。その政治的具現たる、社会民主的な労使協調主義とマルチカルチュアリズムへの信頼は、ネオリベの賭博師と新植民地主義によって無残に葬り去られた。カントを導入せよ、とサンデルの挑戦が始まった!


・ふくろねこ正義を語る(ワインで酔うニャ)サンデルの共同体論に関して言うと、八十年代フランス左翼が唱えた市民権に関するラディカルな主張ー共同体をつくる意志さえあればHere comes everyone!ーまで突き進まないと、凡庸な人格主義の唱導かも。愛国的武者小路実篤だとヤバイな

・現在の英国は欧州の中堅国、過去の栄光の面影は無い。ゴダールなら、フランスと同様、事実上米国の植民地国と看做すだろう。英国にいると、グレイからは、新右翼的な毒をあまり感じない。世界市民的なロールズを弾劾する口調は激しいが、嘗ての青年イギリスの様な文化アイデンティティーを打ち出せない


・The Bush and Obama adminstration led to an expanse of shadow of mediaeval world ; the barbarous       crusaders and the ruthless public execution




・Two sorceries of collapse in Japan ; the Nuclear Power Plant in Fukushima and the US Marine Corps in     Futenma 日本を蝕む魔女二人;福島原子力発電所と沖縄駐在米軍海兵隊

・ドゥルーズ「千のプラトー」(p523より抜粋);中心にある諸国家は、たんに第三世界とのあいだに問題をかかえるだけでなく、つまり外部に第三世界をもつだけではなく、中心の国家の内部に生じ内側から作用する第三世界というものを存在するのである。いくつかの観点から、周辺と中心は互いの決定要因を交換し合うとさえいえる。中心の脱領土化によって、つまり中心が領土や国家の集合から離脱することによって、周辺における社会形成が投資の中心となる一方で、中心が周辺化する現象が起きている。
中心のなかの低開発の周辺地帯、内なる第三世界、内なる「南」。不安定な雇用、下請け、臨時雇い、非合法労働、原発奴隷や原発ジプシーに追いやられた「大衆」が存在し、その生計は公式上、国家の社会保障と不安定な給付によってにみ維持されている。かつて、服従の中心的課題は労働であり、所有と労働、ブルジョアジーとプロレタリアートという二極体制を想定していたが、これに対して、現在の、隷属において不変資本(原発!)が中心を支配するという状況において、労働は二つの方向に炸裂している・・・


▶R・バルト:「もし私が作家であり、そして死んだならば、私の生涯が、友情ありかつのんびりした伝記作家の配慮をつうじて、二、三のディテールに、二、三の好みに、二、三の抑揚に、こう言おう、《伝記素》に還元されたら、どんなにうれしいことであろう。そうなればこれらの《伝記素》はその弁別性と可動性とによって、いかなる運命からも脱して巡り歩き、エピクロスの原子風に、これもまた同じ四散を約束されているにしても、やがていずれかの未来の肉体にたどりつくことができようからだ。」(『サド、フーリエ、ロヨラ』より)


・古典は、規範世界が存在しない。翻訳の中に書き込まれていたと思えても、原テクストは、吉本隆明や高校国語の先生が説く単純明確なシナリオとは無縁だ。孔子的な意味で、本=友人、は笑止だ。ウィットゲンシュタイン「哲学探求」は、現在席巻している素朴リアリズムと反証なき共感を嘲笑う、非情な本だ


・近親憎悪ですよね。 カトリックの国アイルランドに居た時は、pure paganと名指されて衝撃を受けました。そう言った有名なカトリック画家の友達が元々熱心なプロテスタントだったのに、絵を売るためカトリックに改宗した、と悪口を言われていて、もう一度吃驚しました。


・Merleau-Ponty: Le visible au sens profane...repose sur une visibilité entière qui est à recréer, et qui délivre les fantômes captifs en lui.

▶メルロー=ポンティ:「世俗的な(日常生活的な)意味での視覚は、…一つの全体的な可視性の上で安堵している。(しかし)一つひとつの可視性は再創造しなければならず、(その都度)それは見える物の内で虜になっている諸幻影を解放するのである。」(「眼と精神」より)

・ レーニンは革命前に、ロンドンのイーストエンド、即ち、ユダヤ人地域を訪ねて来ました。愛国者チャーチルを怯えさせた当時最も危険な地域でした。曰く、「二通りのユダヤ人しか存在しない;良いユダヤ人と悪いユダヤ人だ」。現在は、二通りのアラブ人になりましたがね・笑

・ロンドン時代は、ハムステッド公園の近くに住んだマルクスの家(チョークファーム)と、エンゲルスの家までよく散歩しました。マルクス亡き後、かれの家の近くに引っ越してきたエンゲルスですが、お洒落で高級な家。「ドイツイデオロギー」の原稿が三階に散在していたとの話です


・イラク侵略を反対したのは、ルモンド紙とザ・ガーディアン紙だけでしたが、後者はマンチェスター時代にエンゲルスの援助の下で発展した新聞、彼の価値観を継承していると察します。愛人のアイリッシュの娼婦からの影響は無視できません。マルクスをスラム街に連れて行きました


・宇野はエンゲルスのように、時事に通じていて、ヒューマニストですね。昔労働法の教授が皮肉に言ってましたが、スターリン博士を信奉した、殆ど全員のマル系の学者達が、収容所の事実が発覚すると、彼の悪口を言って孤立していた宇野のもとに雪崩れ の如く、流れ込んだ、と



1宇野弘蔵「イギリスはなにか身についた帝国主義者だという気がするのです。ドイツはなにか、ドイツの阿呆な民衆を金融資本がバックシテ集めていくような気がするのす」「僕はどうも、アメリカの百姓が堂々として貯めたのを、(銀行に)みんな巻き上げられたのじゃないかという気がするんだけれど」

2宇野弘蔵について考えたことがなかったが、「段階論」のなかのイギリス分析を読んで、イギリス人というものが始めて分ったような気がする。なぜ、あのような博愛主義と戦争好きが両立するのか?なぜ、社会のインフラがあれほど貧しいのか?階級格差は深刻だが、なぜ、組合運動と階級闘争が弱いのか?

3宇野「イギリスは自分では農業を資本主義化する傾向をそう前ほど進めないで、海外植民地、又は海外諸国に農業を依存するという形が出てくる(例、アイルランド)」。つまり、金融資本はドイツのような型が典型と指摘した上で、ドイツでは階級対立が厳しいゆえに、社会政策が出てくる必然性があった。


4宇野の分析はオーウエルのと一致する。イギリスの労働者達は、資本家が行う容赦なき搾取に抗議するけれども、自由主義体制だけは守ろうとする。組合は資本主義のエゴを避難するが、外国からの脅威が宣伝されると、資本家のもとに団結する。God save the Kingを歌い出す。戦争へ行く

5、イギリスからは、ドイツのような社会政策生まれてこない。社会主義的な主張や運動、あるいは組合の運動というものが強くない。工場法も、階級対立緩和装置としての社会政策ではなくて、ヒューマニズムの文脈から出てきたものだ。ところで、資本市場へ資金がいくときに、海外証券にはどんどん行くが

6、国内産業株にいくというのはすくない。「イギリス人はなにか身についた、金融資本主義者だという気がするのです」。だから、宇野の指摘によれば、「イギリスの世論を動かすというものになるときに、おそらくその海外投資の利害調整というものが非常に中心になっていると思うのです」。

7、宇野は58年の座談会で、四十年後の、米国マネーと連携した、グローバル化した英国のバブル経済とその顛末を予言しているかのようだ!「何かぼろ儲けをその中からするという、それはアメリカ的資本主義の発展のやはりバックがある・・・帝国主義的傾向と言っても、何か多少、気まぐれ、上滑り」



経済復興の名のもとに原発を擁護する国家主義者よ!日本人の核アレルギーの動転ぶりを軽蔑したければ軽蔑するがいい!!フクシマの原発事故はヒロシマとナガサキを思い起こさせる。歴史体験がそうさせるのだ。毎日毎日、青空の高みから、放射線の爆弾が降っているのが、あなたたちには見えないのか!?

豊かな世代の子供である、現在の多くの若者達は、東北地震被災地へ赴いてボランティア活動を行っている。中国の地震でも若者達のボランティアが目立った。地震は、ホッブスが想定した様な自然状態といえるが、しかし、万人に対する万人の闘争は起きただろうか?むしろ、共同体の互酬的な力が顕著である

ホッブスの自然状態は、万人に対する万人の闘争を描いた。しかしそんなことは、国家の統治なき地震被災地では起きなかった。ホッブスは間違っていたのだろうか?否、そうではない。実は、国家こそが自然状態であり、万人に対する万人の闘争を生むのだ。国家、即ち原発なり、いや、原爆というべきだろう

国家主義者達よ、日本人の核アレルギーの動転ぶりを笑いたければ笑え、軽蔑したければ軽蔑するがいい。しかし、フクシマの原発事故は日本人に、ヒロシマとナガサキを思い起こさせるのだ。他の国の人々はそうではないだろう。毎日毎日、日の丸の高みから、放射線の爆弾が降っているのが分らないのか!?


2 言葉・表現・本


・ホーホー・・・・。開集合上の「境界」に理念的に対応するものが、「本」であり、書く運動たる「エクリチュール」であり、そして、なによりも、内部に帰属不可能な「デモ」のことなのだ


・「デモでなにが変わるんだ!」、と懐疑的な声。「−をしたら、XXをゲット(get)する」、と、この問いかけの源は、例えば「資本家が利潤を得る」、「官僚が出世を得る」という植民地主義的な発想にあると思う。晩年のデリダはデモに出たが、転向ではない。元々本は、エクリチュールは、デモなのだ


・英語とフランス語を一緒に勉強するのはご法度とされる。ダブリン時代に、パリのスタジオに三ヶ月寝起きしたとき、帰国後アイリッシュの同僚から、パリジャンの英語を喋っているとひやかされた。点検してみると、O表記の英単語を全部、「オ」と発音していた。音声の変化は地震の如く、全体的に生じる



・英語の本を読む(1);アイルランドとイギリスにいたときは、十分に理解できなくとも、考えていることを常に説明して、友達に自分を開くという態度が大切で、自分の中の他人が喋る面白さがあった。思考における未定義の余白が揺れ動いた。現在、その友達を外人と呼ぶ東京で、理解だけが大事となってしまった


・遠い昔から / 空に動かぬ星の群れ/動けぬままに、やるせなく/見交わす星の目はあわれ/夜ごと夜ごとに語り合う/星の言葉はかぎりない/星の言葉はどの国の/学者さんにもわからない/偉いもんだよ、僕だけが/星の言葉を知っている/ 星の言葉の文法は/恋しいあおの子の顔にある/(ハイネ)


・反知性主義の時代ですーバッキンガム宮殿的排除主義のことですか?いいえ、直接体験に盲従するお喋りのことです。ー誰がですか?金融資本。経済評論家や芸能人から、ハウツー式集団主義が吐き出される。我見る、故に、我考える、宜しい!但し、古典の本なくしては、見ることも考えることもできませんよ


・モダニストとは何か?現在と過去を区別した上で、過去からの断絶を訴える人々のこと。だが、大島渚のモダニズムは、古典たる溝口や黒澤を研究した上で、過去を否定した。ゴダールの場合、古典的教養の保存によって過去を否定する。モダニストは、古典の教養という、目に見えない物質に取り囲まれている


・素朴リアリズムと共感の押し付けが蔓延 していますね。記者は、フリーの人も含めて、古典を読んで欲しいです、大江のヒロシマノートとか。古典の教養が無い人間は、ものを考えることができません。我見る、故に、我考える、と語る資格があるのは、本だけです。但し、古典

・Challenge to false harmony and coherence

・「どうしてあの結婚式を観るというの?」「ぼくは大真面目に王室とはただの税金泥棒であってほかのなにものでもないと思うよ。」

・夢を発明し続けよ、目覚めは死だー九十年代にポストコロニアリズムの論客カイバードの本「Inventing Ireland」が、ほぼ同時に、英国人グレイ「Enlightment's Wake」ージョイスのFWを喚起する題名ーが出版される。ヤングアイルランドとヤングイングランドの共闘?


・反英闘争の愛国者達ヤングアイルランドは、ロンドンの不在地主(貴族)の立ち退きに抗議した、一八四八年革命世代だ。ヤングイングランドは産業ブルジョアジーに戦い挑んだユートピア的ロマン主義者。戦後、後者は前者をモデルとして再編する。英国が事実上植民地化し始めたー米国世界資本主義の脅威だ

・Young Ireland was a political, cultural and social movement of the mid-19th century. It led changes in Irish nationalism1848年のフランス革命世代の反逆児達

・The utopian, neo-feudal dreams of Disraeli reflect the crisis of Victorian conscience that inspired the       similarly utopian Owenite socialism




・普遍主義的運河といのは、遠いものが近くに到来してきます。ですから、意外にも、スピノザの「神」は私達の直ぐ傍にいるんですよ。さて、スピノザの普遍主義的運河は、ジェイムス・ジョイスの普遍的河と深い関係があります。今夜はこの話をいたします。彼の主著「フィネガンズ・ウエイク」の有名な書き出しは、Riverun, past Eve and Adam's, from swerve of shore to bend of bay, brings us by a commodius vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs. です。最初の言葉、「川は流れる」は、英語の「川river」と、フランス語の「夢réver」との合成語という指摘されます。「夢乗せて川は流れる」、あるいは、「夢は過ぎ行く河の如し」という訳が考えられます。ジョイスはこの本のなかで、少なくとも50ヶ国語の言葉を混ぜて、世界中の河の名前を書き記しました。将来多くの人々が自分の国の川を発見できるように、という願いからです。長年交流があった宮田さんの訳を示しておきましょう;「川は流れる。イヴとアダム教会を過ぎ、弧を描く河岸から湾曲する海へと向かい、再循環する心地よいヴィーコ・ロードのわきを進み、ホース城とその周辺へと我らを連れ戻す。」。いかがでしたか、ちょっと難しかったですか?ところで、緑の党の創立に関わったアーチストのジョセフ・ボイスは、ジョイスが描写した「ホース岬」こそ、人類の頭脳が存在していると言いました。実際に、ホース岬は頭蓋骨のような形をしているんですよ。アナグラム分りますか?Houth Castle and Environs----->???

Houth Castle and Environs----->H.C.E と抽出できます。そして、こう読み解くのです。 Here Comes Everybody!「普遍的河」のゆえんです


・文章を転写して記録するやり方ですと、写した人がミスしたり勝手に解釈することが起こります。エーコが指摘しますが、民衆の 語り伝えや口承の文化の優れている所は、皆で歌う唄みたいに、例えば、私が間違えたら、メロディーさんが正してくれます。共同体の智恵なんでしょうかね

・本の中で秋吉輝雄さんが言っていますが、キリスト教は伝道、ユダヤ教は伝承、なのだそうです。今回の津波でも言い伝えを守ったところは助かったところが多いようです。伝承や口伝は想像以上に威力があるのかもしれません。



3 アート

・フルトフェングラーは戦前のベルリンフィルの指揮者で、多くのユダヤ人の国外逃亡を助けていた芸術家だったのですが、実際に演奏のときは、ナチスの旗で飾られた舞台で、仕事をしなければなりませんでした。ナチスのプロパガンダに利用されました。戦後ナチスの烙印をおされ、演奏中、爆弾が仕掛けられたりして、事実上55年まで活動が出来きませんでした。ワルターなどユダヤ人の指揮者のなかにはフルトフェングラーを擁護する人たちがいましたが、カラヤンのように非難する者の声が大きかったのです。(カラヤンは実際に、ナチス党員だったはずですが)、現在に至って、フルトフェングラーはナチスとのかかわりがないとされていますが、ナチス時代に、抗議の意思を示す為に、ベルリンフィルの指揮者を辞職したほうがよかったかもしれません。ただ、前述したように、楽団員のなかにユダヤ人が多く、彼らを亡命させるには、指揮者として働いていることが有利だったといわれています。

4 映画・演劇


・THE MAGE OF LAKE GENEVA (Emile Bickerton, On Godard)



・レヴィ=ストロース構造主義とヤコブソン言語理論は深い関係がある。神話研究、即ちヤコブソンの応用はレヴィ=ストロース一人で十分だ。同様に、大島渚「少年」の男の子の豊穣な無表情は、ビートタケシ一人で十分だと知れ。今の日本映画の若い役者は、タケシの思わせぶりなクローズアップを卒業しろ!

・「軽蔑」のゴダールは、フリッツ・ラングにヘルダーリンの詩を朗誦させて、事実上ブレヒトのオマージュにしています。所で、ゴダール映画史では、鏡たる映画のスクリーンに、野獣(ライオン・FOX映画のアイコン)たる大衆の姿が映し出されますー但しハリウッドのスターの姿で@spiral_cat


・渋谷で映画「マーラ」を鑑賞。冒頭の十五分間、実験的な編集はOK。青と黒の映像の幾つかが効果的だった。BFI特集でラッセルが自作「マーラ」について色々語っていたのを思い出す。アムステルダムでプロテスタントに、ウイーンでカトリックに同化を試みたユダヤ人。苦難のドラマが存在したとおもう


・米国政府のプロパガンダの最も成功したひとつに、アメリカ軍は拷問を行わないという正義神話。ハリウッド映画も罪深いです。ー>拷問は人間の肉体や神経を痛めつけることによって、その人間の精神を「転ばせる」ことを狙う暴力である。・・・人格を否定してモノ化する行為である(堀氏)


Sophocles : The great words of arrogant men have to make repayment with great blows, and in old age teach wisdom. ( Antigone )

Σοφοκλης : μεγάλοι δὲ λόγοι μεγάλας πληγὰς τῶν ὑπεραύχων ἀποτίσαντες γήρᾳ τὸ φρονεῖν ἐδίδαξαν. ( Ἀντιγόνη )


5 身体



・リルケの詩で、神たる鏡の前を通過した野獣は人間の姿に変容するというのがあるんですが、野獣=商品、神=貨幣に対応させると、マルクス的な寓意に近づくと思います。私のネット小説マルクスでは、野獣=キリスト経、神=イスラム教、ユダヤ教で、人間は無神論のスピノザでした


・マルクスはブルーノ・バウアーに依拠していて、淫乱の都ローマが上に跨る「七つの頭と十の角を持った獣」を7人のローマ皇帝とその属州の王、「獣」とは一般に貨幣、具体的にはネロ貨、という理解になろうかと思います。黙示録では「神」の立ち位置は曖昧で貨幣ほどの力もない(返信)

・神の不在というヘルダーリン的主題はマルクスの書き方と関係しますね。政治・宗教・軍事を統括したローマ皇帝としてブラウンを物語る英国人が居ました。ビクトリア朝はローマを発明?した帝国で、エンゲルスはさぞ不快でしょう。サッチャーの様な保守中流が憧れます




6 自然





7 外国


・「国際テロ組織アルカイダは中東に広がった民衆革命の最大の敗者かも。非暴力による社会変革の可能性に目覚め、政治参加の機会を得たアラブ民衆」(朝日)。当たり前だが、アメリカの目線で語る、日本の新聞と読者が考えなければならない事実もあると思う。アイルランドのような植民地化で苦しんだ体験を持つ国は、別の見方をする。私はダブリンの政治集会で、こういうチラシを読んだ。原理主義の名の下に、許されない多くの腐敗が生じてしまったが、しかし、もし彼らが存在しなかったら、一体、誰が、借金地獄の民衆に向けて、米国の債権を破棄するに呼びかけたのか?誰が、文盲率を激減させたのか?誰が民衆に向けてこう説得できたのか;ここはアメリカ人のリゾート地ではない。アフガニスタン人に属する土地なのだ、と。(ソ連からアメリカの支配に入ったアフガニスタンは、一部の特権集団を除いて、ほぼ100%の農民が文盲だった。アフガニスタンは事実上、債権国アメリカの裕福な金持ちのリゾート地だった。)



・アイルランド現地高校での補習校の授業。学校には色々な掘り出し物があって、研究者が知らない、アイルランド人の内部を覗くことができた。歴史の教科書を開いたときは、息を呑んだ。見開きの最初の一頁には、威厳に満ちたインディアン酋長the Apacheの肖像写真が堂々と掲載されていたから



・The US can have an African American president but still be unconscious of its hostility to the Apache      leader it persecuted


・ジョイス「ユリシーズ」のブルームを巡る論争。伝記作家エルマンの人道主義はブルームの人権の蹂躙を証言して、一目怪獣たる市民、アイルランドのナショナリスト達を非難した。が、ポストコロニアリズムの論客達は市民達の反帝国主義的正義感を擁護し始めた。又サンデルの正義論も援用する者も出てきた

・アリストテレスの公共善とその政治学からは、ヴィクトリア朝の善き読書人の静寂な散歩しか思い浮かばない。しかし、サンデルは活動的なアリストテレスを発明した。正義は社会的相互作用なり。ロールズはカントを批判するが、サンデルはカントとロールズの共犯性を立証する。批判の仕方がカント的なのだ

・ルソーのインディオとゲーテのケルト。IDAが牽引した、ケルトの虎と命名された九十年代の経済成長によって、彼らはケルトという言葉を始めて知った。70年代EU加盟までヨーロッパ人と自覚した事もなく、50年代の朝鮮半島に深い親近感すら感じていた。人類学の劇場はヨーロッパの基層と称したが


・「アルカイダは中東に広がった民衆革命の最大の敗者かも。非暴力による社会変革の可能性に目覚め、政治参加の機会を得たアラブ民衆」。当たり前だが、アメリカ目線で語る日本の新聞と読者が考えなければならないこともある。一体誰が、民衆に、米国の債権を破棄させて、百%の文盲率を激減させたのか?




・L'opérateur de la centrale Hamaoka, Chubu Electric Power, accepte la "demande" du 1er min. JP d'en arrêter tous les réacteurs. -Asahi

・Japan's PM has told a power company to halt operations at another nuclear plant due to fears an earthquake could trigger a new crisis. BBC


・感無量です。私が居たゴーダーズグリーンは、イースエンドのユダヤ人が移動してきた街の一つです。イースエンドの地域は、オリンピックの開発のために、反抗的で猥雑な歴史が消去されてしまいました
(@spiral_cat イーストエンドの「粗野で、無視され、労働貴族から軽蔑されていた」)

・「水で割って薄めた社会主義をブルジョアサークルで自慢するこの一時的な流行よりもはるかに重要だと私が考え、また社会主義が英国で一般になしとげた進歩よりも重要とさえ考えていることは、それはイーストエンドの復活…」それは「多数の不熟練労働者大衆の組織の生誕地となった」

・「ロンドンのイーストエンドの目覚めこそ、この世紀末の最大の最も豊かな出来事の一つであり、また私は生きてこの出来事に巡りあったことを喜びとし誇りとするものである」(Engels 1892)


スコットランドの(イギリスからの)独立が現実的な政治的な課題となっています。今回の地方選挙で、多数派となった政党は十年以内の独立を宣言していますが、北海油田の所有です。(スコットランドに属する資源ですが、イギリスが保有しています。スコットランド人は、自分達に属する北海油田にアクセスできないと考えています)−>国内のエネルギーであっても、特定の者が独占を続けるとき、独占から排除された者との間で絶えざる抗争が起こるのを避けることはできない。

‎15年前にアイルランドに到着した次の日の新聞は忘れられません。英国には、世界で最初のシェルフィード原発(現在運転をやめています)があります。アイリッシュタイムズは、その年、原発対岸のアイリッシュの村で奇形児が非常に沢山生まれたと報じました。アイルランド側は1980年代までの統計的な事実を提示して抗議したのですが、それに対して、英国側は従来通り、因果関係が証明できないと繰り返すだけでした。原発は、アイルランドの住民からすると、自分達に対峙する抑圧の国家として現れます。安易な同一化は慎重にしなければなりませんが、フクシマの住民のなかには、東京福島原発と呼ぶべきだと怒る人がいることは見逃せませなぜなら、電気は東京のためにつくられ、東京において消費されるからです。そういう意味で、フクシマは、エネルギー供給のための植民地の位置と機能が設定されています。立ち入り禁止も、東京という都市国家の領土拡大という側面があると私は考えます。政治経済的な側面ですね・・・



東京


エネルギー政策というのは、70年代の石油危機以降の、代替エネルギーなくしては日本はやっていけなくなるぞ、という世論のことがありますね。そのこと自体は日本人の総体としての合意だったかもしれませんが、ただし、japan as No.1のためのエネルギー戦略ー>原発、という国是は、やや脅迫的に?導入されてしまったのではないかと私は思います。(この問題をはっきりと捉えていなかった自分に対する強い反省があります)。ちょっと比較したいのは、兵庫の地震のときも、japan as No.1のための経済戦略を打ち出した小泉です。以降、マーケット中心の新自由主義政策が開始されました。3・11とフクシマを契機に、今後の経済体制のあり方が議論されてくると思いますが、−まずその前に原子炉の放射能漏れを解決しなければなりませんが−、そのとき、震災地にボランティアに行ってきた人々、とくに若い二十代に、大事な決定権を持っていただきたいというのが私の願いです。(例えば、国民投票のときは、そういう人たちに、二票分を与えるとか)。脱原発のデモにおいても、やはり二十代の人々が頑張ってくれています。最後に、本当に、素晴らしい提言です。−>(腕木通信や飛脚と伝書鳩を復活させたほうがいい)


・NHK衛星放送の番組が間違いで入ってきて、ニュースを見てました。皆はやく喋れて凄え、と感心してました。帰国のとき、大体テレビで見ていた通りでしたけど、新聞と週刊誌の経済復興の見出しが一人よがりで空しい感じでした。自分達を安心させたいだけかと苦笑いでしたね


・渋谷・脱原発デモの映像をみたヨーロッパ人の声;Eternal solidarity

・豊かな世代の子供である、現在の多くの若者達は、東北地震被災地へ赴いてボランティア活動を行っている。中国の地震でも若者達のボランティアが目立った。地震は、ホッブスが想定した様な自然状態といえるが、しかし、万人に対する万人の闘争は起きただろうか?むしろ、共同体の互酬的な力が顕著である

・ホッブスの自然状態は、万人に対する万人の闘争を描いた。しかしそんなことは、国家の統治なき地震被災地では起きなかった。ホッブスは間違っていたのだろうか?否、そうではない。実は、国家こそが自然状態であり、万人に対する万人の闘争を生むのだ。国家、即ち原発なり、いや、原爆というべきだろう

・国家主義者達よ、日本人の核アレルギーの動転ぶりを笑いたければ笑え、軽蔑したければ軽蔑するがいい。しかし、フクシマの原発事故は日本人に、ヒロシマとナガサキを思い起こさせるのだ。他の国の人々はそうではないだろう。毎日毎日、日の丸の高みから、放射線の爆弾が降っているのが分らないのか!?



原発のエネルギー政策が経済的な次元で成り立っている事実に着眼しますと、例えば、もし世界資本主義があと30年で終わってしまうとすれば、現在の脱原発の「脱」の意味合いが全然違ってくるんじゃないかと思います。ところで、ツイッターのTLで読んだんですが、反原発派は健康と安全を、推進派はカネに比重をおいているが、しかし、反原発派でカネのことを考える人がもっと存在してもいいんじゃないか、と指摘する人がいました。その人(お医者さん)は、たしかに、効率がわるいから、無駄だと説得したかったようですが、それとは別に、貨幣が、原発と、日本経済のもとに従属している周辺国、第三世界と、どのように連結させているのかを観察すべきでしょう。まだ自分のなかできちんと、整理していないのですが、その関連において、原爆ジプシーや原発奴隷と呼ばれる人々をどう捉えるかということがあります。例えば、「毒餃子」の。オートメーション化された中国の工場労働者ですが、そういう外国たる周辺と、内なる周辺(フクシマ)は、貨幣の抽象的な平面においては、収奪・搾取の線を引けるのではないでしょうか。一方は東京に、食料を送り、他方は電力を送っています。貨幣が媒介するということになります。原発のエネルギー政策が経済的な次元で成り立っている事実に着眼しますと、例えば、もし世界資本主義があと30年で終わってしまうとすれば、現在の脱原発の「脱」の意味合いが全然違ってくるんじゃないかと思います。ところで、ツイッターのTLで読んだんですが、反原発派は健康と安全を、推進派はカネに比重をおいているが、しかし、反原発派でカネのことを考える人がもっと存在してもいいんじゃないか、と指摘する人がいました。その人(お医者さん)は、たしかに、効率がわるいから、無駄だと説得したかったようですが、それとは別に、貨幣が、原発と、日本経済のもとに従属している周辺国、第三世界と、どのように連結させているのかを観察すべきでしょう。まだ自分のなかできちんと、整理していないのですが、その関連において、原爆ジプシーや原発奴隷と呼ばれる人々をどう捉えるかということがあります。例えば、「毒餃子」の。オートメーション化された中国の工場労働者ですが、そういう外国たる周辺と、内なる周辺(フクシマ)は、貨幣の抽象的な平面においては、収奪・搾取の線を引けるのではないでしょうか。一方は東京に、食料を送り、他方は電力を送っています。貨幣が媒介するということになります。原発のエネルギー政策が経済的な次元で成り立っている事実に着眼しますと、例えば、もし世界資本主義があと30年で終わってしまうとすれば、現在の脱原発の「脱」の意味合いが全然違ってくるんじゃないかと思います。ところで、ツイッターのTLで読んだんですが、反原発派は健康と安全を、推進派はカネに比重をおいているが、しかし、反原発派でカネのことを考える人がもっと存在してもいいんじゃないか、と指摘する人がいました。その人(お医者さん)は、たしかに、効率がわるいから、無駄だと説得したかったようですが、それとは別に、貨幣が、原発と、日本経済のもとに従属している周辺国、第三世界と、どのように連結させているのかを観察すべきでしょう。まだ自分のなかできちんと、整理していないのですが、その関連において、原爆ジプシーや原発奴隷と呼ばれる人々をどう捉えるかということがあります。例えば、「毒餃子」の。オートメーション化された中国の工場労働者ですが、そういう外国たる周辺と、内なる周辺(フクシマ)は、貨幣の抽象的な平面においては、収奪・搾取の線を引けるのではないでしょうか。一方は東京に、食料を送り、他方は電力を送っています。貨幣が媒介するということになります。









9 分類できないもの・役に立たないもの・無駄なもの




・小型トラックで先導した?警察官が「許可条件に従って行進しろ!」と繰り返しました。私は頭にきて、彼らに抗議しました。「デモ行進は憲法に保障された表現の自由だ。道交法上の交通整理しているお前達から、許可を貰っているのではない。届け出なのに、許可と言うな!憲法の勉強をしてこい!!」。その後、警察は許可という言葉を一切使わなくなりました。しばらく、ずーっと黙っていました。それから、歩道に上がらないで下さい、と、演奏隊(チンドン屋のこと?笑)遅れないようにしてください、としか言わなくなりました。臆することなく、言ってみるもんだな、と思いましたね。


・チンドン屋さんに先動されたデモ隊、ハーメルンの笛吹き、みたいでした!(笑)。音楽が大事なのは、デモの人々の高ぶる気持ちを落ちつかせるんですね。そうでないと、特に、若い人達の間で、沸騰したやかんみたいにフラストレーションが生じて、警官と不必要な物理的衝突が起きることもありえます。(と言っても、私が一番興奮していましたけど)。思い出すのは、ロンドンG20開催に反対したデモ(4000人)のときは、英国中央銀行広場前で、まさにKettleと名づけられた作戦で、わたしたちは、警官4万人に八時間包囲されました。怒って暴れた者を一人ずつゴボウ抜きみたいに逮捕していくという警察の陰険な作戦です。(野蛮にも、英国の警官は集団で、倒れた者を殴ったり蹴ったりして殺害してしまうこともありますが、無知蒙昧ななイギリス人の多くはそういうもんだと考えて疑問をもちません)。だから、そういう挑発にのらないようにと、デモの人々は、パフォーマンスやぺィンテイングや朗読で、自分達の気持ちを落ち着かせました。一生忘れられない体験でした!私は、いまの東京のデモ風景は、そんなに悪くはないと思います。80年代のときと比べてですが、いまの若い人は、しらけていません。私が属している、新人類世代40代の病は、しらけていることです。80年代の経験を思い返すと、デモをした人々は自分はエライと思っていましたし、また創思い込まないとやっていけなかった状況だったんですが、街頭の人々を軽蔑していました。それに対して、いまの若い人たちは、一生懸命、街頭の人々に呼びかけています。私の観察なのですが、どうも、警官達のなかには、抗議の声に共感をもって思わずきいている人がいますね。のなかには、何故交通整理しているかよくわからないみたいな表情のひともいますし・・・



・昔の警察って、デモの、外部に対する影響力を遮断しようとして、例えば、少数のデモ隊を大人数の警官で隠してしまうー交通整理が建前にすぎないんですがーそういう陰険でで卑怯なことをやっていました。彼らの頭の中には、交通整理は全くの口実でした。デモをつぶすのが本音でした。しかし、今のイノセントな警察は交通整理が本当に大事と思っているところがあります(笑)。日本に住んだことがある、アイルランドの友達が驚いているのですが、銀座や渋谷の商店地域をデモ隊が行進しているからです。確かに、私の経験では、ダブリンやロンドンではそういうことはありえません。ある意味で、デモにとって、街頭の人々に訴えていく上で有利であると思います。勿論、ずっとこのままではいけませんが・・・。いま、皆、試行錯誤ではないでしょうか。皆怒っていますが、その怒りをどういう身体ジェスチャーであらわすべきなのでしょうか?皆、不安を持っていますが、その不安をどういう言葉で訴えていくべきなのでしょうか?本当に、試行錯誤です。



・ガンジーが言っているんですが、デモで大事なのは、単純に、なにかの成果を追い求めるいうことではない、と。そうではなくて、参加することによって、まず自分の考え方をしっかり強固にしていく努力、このことが一番大事だ、と。たしかに、そういう面がありますね。また、脱原発のデモに一万人前後が集まりましたが、東京の人口を考えると、お世辞にも、決して多いとはいえません。これからの課題として、もっと多くの人々に訴えていくにはどうしたらいいでしょうか?もっと大きな理念を掲げて、運動の輪を広げる方向しかないと思います。つまり、色々なグループと合流する、とかの大連合の模索ですね、例えば、反貧困のグループ、反差別のグループ、あるいは、増税反対のグループでも構いません、とにかく、運動をもっと普遍性に向けて開いていくことが大事です。対立点よりも、共通点を探すのです。警察の問題やカネの問題を主張する人達を排除するのではなく、抱擁していく、実践的な思考とモラルと行動が、試金石ですね。運動が面白いのは、それが、それ自身を越えていく力だから、と、私は思います。つまり、非常に、人間的な事柄なのです



・人間的な事柄と申しましたのは、その本質が、「分類できないもの」、「役に立たないもの」、「整理できないもの」だからだと思ったわけです・・人間は、そういう本質ゆえに、自身を越えていく力があるのだとおもいます。孤立しては実現しません・・・他者との関係が大事で、デモというのは、そういうことを考えさせてくれる場なのではないか、と、昨日思いました



・ ソルボンヌ大学の女性教授が苦々しく言ってました。真実であればあるほど、隠したがるのはマスコミの本質、と。先週の土曜日、雨の中一万五千人が渋谷を行進しましたが、この脱原発デモを、大手新聞は一切報じません。デモの失敗でしょうか?いいえ、真実を報道できないマスコミの敗北といえるのです。




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ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月五月    本多敬 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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