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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月6月(4) 本多敬

<<   作成日時 : 2011/06/24 02:27   >>

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思想・哲学


・「今日でもある種の秘密結社は、様々な数や図形を非常に重んじているが、これは一方では無邪気な遊戯であり、他方で思惟における無能を示すものである。彼らはこれらシンボルの背後にさまざなま意味が潜んでいて、多くのことを考えることができるつもり」Hegel

・モダニズム的思考(左翼的なゴダール映画、右翼的ジョイス文学)は、全てに対する抗議を以って始めている。この思考は、「無根拠なもの」によって、自らに「根拠」を与えようとする。最後に残るのは、思想的自立性と思想的表現だけ。ファシズム(プレモダン+ポストモダンの結婚)とは、全く別の思考だ

・近代の思惟は、全てに対する抗議を以って誕生した。「無根拠なもの」によって、自らに「根拠」を与えようとする結果、デカルトにおいて、必然として最後に残ったのは、思想的自立性と思想的表現だ。この思惟は地方言語(フランス語)で喋った。当時の学問的論争はラテン語的言語で構成されていたけれど

・「存在と無」は、全てに対する抗議を以って始めている。この本が、「無根拠なもの」によって、自らに「根拠」を与えようとする、近代の思惟に属しているからだ。ただサルトルにとって、思想的自立性と思想的表現だけでは足りなかった。思考と存在の間に関係を打ち立てる必要があった。アンガージュマン

子安宣邦氏

〈民衆レベルの天皇制〉を民衆史家はいったりする。しかし〈民衆的〉なるものとは、〈伝統的〉〈底辺的〉〈土着的〉〈日常的〉といったコノテイションを連ねてする彼の語りの上に構成される。だから民衆史家は己の語りによって〈民衆レベルの天皇制〉を作ってしまうのである。





言葉・本・哲学

・Adorno;It negates itself.When ideas become too concrete, I protest; when they become too abstract, you protest.


・He points the deathbone and the quick are still.Insomnia, somnia somniorum(FW)意味不明ー最後のラテン語sleeplessness, dreams of dreamsー魔女は治療の時に骨を使う?白川先生

・MERCIUS(of hisself);Domine vopiscus!ラテン語vopiscus/出産した双子の兄弟のうち生き残った一人。又、vobiscum/ the Lord be with youの意も読み取れる。(訳)慈悲の人(彼の自己について)。神よ、片割れと共にあれ!

・MERCIUS(of hisself);Domine vopiscus!「慈悲の人(彼の自己について)。神よ、片割れと共にあれ!」ウルフ研究家である宮田氏は、ジョイスの家族肖像を中心に訳を構築しているが、日本の読者には、同性愛や内戦のことも読み取って欲しい。フーコも、視野に入れて

・「慈悲の人(彼の自己について)。神よ、片割れと共にあれ!」。vopiscusという語が指示する兄弟とは、言語と人間。このジョイスの言葉はフーコを先取りしている。「言語が分散を余儀なくされたとき人間が成立したとすれば、言語が集合しつつあるいま、人間は分散させられるのではなかろうか」

・3.11を契機に書いた英語の俳句。東北地震と原発災害に関する詩を集めている米国人の編集者に昨日送りました。 α枯れ草の/ 連帯いずこ / 自粛とて β種散らせ / 灰散らすな / 花しずく γ風立ちぬ / ボランティアの / 若人よ δ買い控え / 民の樹育む / 分かち合い



「現実的なものはすべて合理的であり、合理的なものはすべて現実的であるというヘーゲルの有名な命題ほど、物のわからぬ政府の感謝と、それにおとらず物のわからぬ自由主義者の怒りをまねいた哲学的命題はなかった。(フォイエルバッハ論)


‎1,He points the deathbone and the quick are still.Insomnia, somnia somniorum

(commentary)
・Latin word means; sleeplessness, dreams of dreams ー
・"deathbone" is suggesting that witch doctors use bone to curse ?)


2,MERCIUS(of hisself);Domine vopiscus!

(commentary)
・MERCIUS;mercy?
・Latin/vopiscus;one of a pair of twins, born alive after premature death of other
・this "vopiscus" is suggesting that twins are "language" and "human"

See M.Foucault;
Since man was constituted at a time when language was doomed to dispersion, will he not be dispersed when language regains its uunity?
[L'homme s'étant constitué quand le language était voué à la dispersion, ne va-t-il pas être dispersé quand le language se rassemble]

・Latin/vobiscum; he Lord be with you


xyzqaいろはにさん より

・「非実在」を「非天」と見ると「阿修羅」。元は「命asu+与うra」アフラ・マズダー。虚構に命を受けた非実在の人物は、自分の世界が現実だと思い込んでいる実在の人物を度々夢へ誘なってくれますね。ダンテはあちらにベアトリーチェという自らの愛の結晶、娘を生んだと思います

・『聖パトリキウスの煉獄譚』と『トゥヌクダルスの幻視』――火山、大穴、間歇泉、硫黄、ガス――神託はトランス時に降りるものですから、ガスによる《船乗りの譫妄状態(=デリリオム『悪の華』より)》を思い当りました。オートマティスムに通ずる点が多く発見できそうですね。

・詩人はみな深淵、善悪の彼岸で《船乗りの譫妄=デリリオム》に罹った病者なので、星読みや連理した言語(文化)を束ねる《世界樹の本筋=普遍真理》を読み取ることに長けていると考えられます。

・船乗りの譫妄、このデリリオムの酔いが酷くなると芸術家や思想家が扱うモチーフが似通る傾向にある。これは世界樹に流れる生命の黄金律に近づいている証と考えられる。――ニーチェ、バタイユ、ノヴァリス、エンデ、賢治、ロダン、モリス、クリムト――ダ・ヴィンチははじめから着いていた。正に叡智。


・中世の人々はーダンテも含めて、「煉獄」がシシリー島(火山がある)か、アイルランド(大穴がある)に存在していると考えていました。二つの彗星の出会いを象徴的に描いた、ジョイスのユリシーズ「イタケ挿話」では、ダブリンのガーディナー通りの坂道!が、「煉獄」をあらわします。
 しっとりと青い夜の果実に枝もたわわな天の星の樹てthe heaventree of stars hung with humid nightblue fruitと、煉獄=ダブリンの夜景を詩的に描いています。スティーヴンがダンテ、ブルームがベアトリーチェ(阿修羅)ですね

・サンスクリッド語のノートに、接頭語asは、ヨーロッパ語のbe/exist( 例、英語のis)の起源となったと書いてありました。satは名詞形かな?感慨深いですね

金子氏;

・接頭辞「非実在-」に続く語幹は、この場合<去勢された魔羅(梵:Māra)を架空の人格上に再現する欲動>によって特徴づけられ、また公然と<我は魔羅なり>と表明する者です。教義上、青少年がそうした欲動を持ち表明することなど信じがたく
・一見、asat:虚偽・非存在・悪(sat:真実にa:non)が近いように思えますが


アート

・村上の「僕」は、大江の「僕」と相補的な関係と思うことはあります。厄介なのは、メイドインジャパンの「非実在xx」です。西欧が自分に都合がいいように読む文学、鑑賞する芸術が席巻していて、私達の自己主張はタブーです。それなのに、自己主張しない日本人像が実体化しています



映画・演劇


・ゴダールは『新世界』をパリで撮影した。パリ上空での核爆発が引き起こした世界の終焉を描いた。 空虚としての都市を浮遊すると/ 薄気味悪く凡庸な自己欺瞞にとらわれる/ 汝、東京よ、核の灰の/ 独善の広がりよ/ 判読できない筆跡の如く/ 蕩尽した/ 薔薇の灰ですらないものが漂う

・「映像を変えること」;デリダは、私達の歴史(声の論理)のなかに、「私達」に還元できない、他者(書く行為)を、顕現化させた。同様に、ゴダールは、私達の歴史(シナリオのシステム)のなかに、「私達」に還元不可能な他者(映像)を発明しようとする。即ち、映像を、エクリチュールを書くこと


・ゴダール「勝利まで」"我々はファタハの路線上にいる。よって三つの映像を次の様な順序で並べる。1、軍事行動中のフェダイー。2、学校で働く女性民兵。3、訓練中の子供達。・・・戦端を開く男性+自己変革し自らの革命を行う女性が、パレスチナを開放する勝利の世代である子供を生むということだ"


・クロード・ランズマン監督『ショア』(SHOAH;1985年)は、ユダヤ人絶滅政策(ホロコースト)に関わった人々へのインタビュー集である。インタビューの対象は、被害者たるユダヤ人生還者、加害者たる元ナチス、傍観者たるポーランド人だった。ゴダールとの間で激しい論争が起きたことは有名

・ゴダール「言葉の力」;グローバリゼーションのもとで、容赦なく加速化していく変換の諸体系に向かって、私達一人ひとりは、スピノザ論のドゥルーズが描いたゲームに、実存的に直面している。世界の創造者を自負する、ブルジョアジーが発明した携帯電話の失敗はなにか?救いとなる「水」が出ないことだ


・ゴダール「パート2」;映画というのは、顔を合わせることのない人々とコミュニケーションしたいという欲求のことだ。映画はこうしたものにほかならない。コミュニケーションの手段にほかならない。フィルムや磁気テープの断片とか電波とかは、ある一定の形態のもとでの一人の人間の一断面なんだ。


・かりにぼくが自分を定義するとすれば、、文学者という言葉をもじって、自分は文字で描く画家だということになるはずなんだ。・・・映画をつくるというのは、プラトンの洞窟のなかでセザンヌの光をもちいてものごとをはっきりと見て取るということだ。(ゴダール)

・「映像の世紀」は九十年代の番組だったと思いますが、当時、ライズマン「ショアー」もあり、ゴダールとの激しい論争が起こりましたから、「ヒトラーの野望」を一層感慨深く観ました。コメントを読んでみたいですね。フランスで失意のホーチミンの姿が印象に残っています

・ゴダールの作品は長編と短編、それにコマーシャル二本含めると、100は越えるだろう。忘れずに、「パリところどころ」、「言葉の力」のレビューを書くこと。この夏は、各作品のレビューの英訳だ。同時進行で、レビューの日本語を推敲したい。それにしても、こんなに沢山の作品、よく観たものだニャ!

・ヘルツォーク「フィツカラルド」(1981)を観た。前人未踏のアマゾンの奥地にオペラハウスを建てようとする、アイリッシュの執念を、クラウス・キンスキーが演じた。原住民を利用していたつもりが、逆に利用されてしまった、植民地主義者の話だ。船の山越えシーンは、グリフィスの映画を思い出した

・「イタリアにおける闘争」;戦後イタリアの貧困化を推進したのが、〈前近代封建主義と教会の反共主義と米国的フリーマーケット〉の一体的システムであった。この貧困からの解放を再びこの一体的システムの手に委ねることはできない。解放に民衆の介入が不可欠であることは、この貧困化そのものからくる

・ビデオエッセー「フレディへの手紙」;審美的ポストモダニズムの六〇年代、マルクス主義的文化闘争の七〇年代が過ぎると、Son+Imageのミニマリズム実験精神の八〇年代が始まった。以降、ゴダールは、モダニストとしての思想的自立性を打ち出していく。スイスの国際都市ローザンヌで撮影された・

・マルクス主義における代補と本源を巡るシーソゲーム。ウラジミールは「本源」、ローザはただの「代補」?それとも本当は、前者は「代補」、後者こそ「本源」なのか?デリダ曰く、人は代補から本源ヘと遡ることを望むが、本源において代補が存在すると認めざるを得ない、と。ゴダール映画は常にデリダ的

・ポスト・コロニアリズム理論の論客によると、ヨーロッパ人は自分がオリジナルであることを怖れる。反抗する作家達はコピーのIdentityに向かう。それに対して、非ヨーロッパの人々(例えば、日本人)は、自分がコピーであることを怖れて、オリジナルなものに憧れ続けて来た。

・プロスペローの魔術によって、知は自身で円を描いて、自己が属する内部の領域と外部の領域を確定することができた。知が(自身で線引きした)自己の実定的な領域、関数関係的世界の領域に留まる言説を、近代経済学という。知が、外部の価値の領域から、事実の領域に向かう言説を、マルクス経済学という

・「右側に気をつけろ」;八十年代に起きた左翼と右翼の連立政権のときの映画。ゴダールは、左翼政党に野党の立場を貫いて欲しいと考えていた。左翼とは、具体的でも抽象的でもない、自己否定的な理念の運動だ。この理念としての左翼は、政権のなかで具体的になってしまうと、自身を否定できなくなるのだ

・「怠惰の罪」;即興演出、同時録音、自然光を生かすためのロケーション中心の撮影と、ゴダールの編集とが、見事に連結し合っている。この小作品は、物語的な語りに重要な意義を与えない。怠惰な人間こそ、視覚的な人間に他ならない。七十年代のヴェンダースのさすらいのテーマを準備した作品といえよう

・「未来も過去も無い。現在が存在するだけ」と、この言葉ほど、ファシストの心情を代弁し、ベトナムの爆撃の罪を隠蔽した言葉はない。原発推進派の罪もだ。顔の無い抽象的圧政の炸裂によって、自然を愛した「気狂いピエロ」において、愚かな人間の哀歌、未来と過去の為の唄が、再建されるべきだったのだ

・MADE IN USAは、ゴダールが録音機によって喋る最初の映画。但し英語が一切聞こえてこない・笑。パリ遊学時代のコリンマックケイブはこの題名に騙された一人だった。映像の美しさに圧倒されたと述懐している。街頭に夢を与えたジョイス「ユリシーズ」のユートピアを考えない者はいないだろう

・「モンパルナス」。ゴダールというと、偶像破壊の革命児、前衛の怖るべき子供というステレオタイプだが、異論あり。実際に、トリフォーほどには、ゲームの規則を破らなかった。ゴダールは、ラディカルな改良主義者としての自負がある。皮肉な事に、改良すべき規則がどこにも無いと悩み続けたんだけどね

・ゴダール「男性・女性」;"コカコーラとマルクスの子供達"のための映画である。芸術における参加の意義を強調したヨーロッパのボヘミアン達は、理想が私有財産を否定したアナーキーな公共空間に存在すると考え、ブルジョアジーが神の如く創造した「世界」は拒絶される。子供達は自身で代表するためだ

・「探偵」;ゴダールはパスカル的だ。但し「映画」に置き換えられた「神」は唯物論的に理解される。映画=神は我々の裡にあり、そして我々自身であり、しかも我々ならぬものである。異質なものを互いに近づけよ!望遠と広角の中間地帯といえる35ミリのレンズの使用は、ゴダールにおいて、必然性なのだ


・「ジェーンへの手紙」;ゴダールは、スター・システム、映像の絶対化を非難する。「表象行為のなかには剰余価値が作用する契機は存在しないだろうか?」。現実が再生産されるときには剰余価値が生み出される。剰余価値というマルクス主義の概念は、表象行為についてのブルジョア的概念と闘うべきだ、と


・「フランス映画百年」;二度の世界大戦によって、世界の中心たるヨーロッパの崩壊の危機意識が深化した。戦争は自国中心主義の結果だったから、サイレント映画の、民族に還元されない普遍言語としての意義が再認識された。復興期に於ける前衛精神の編集と思想的自立性は、ゴダールに引き継がれるだろう


・ゴダールの場合、ソクラテスとプラトンの対話の如き、映画の中での対話が途切れる事なく続き、親しいテニス仲間同士のラリーを喚起する。maïeutique(ギリシャ語で、meɪˈjuːtɪks/と発音する)がキーワードで、質疑応答を通して人間の隠された心を明らかにする知的な方法だね

1、「映画の栄光と衰退」;アメリカ映画は第一次大戦に乗じてフランス映画を、第二次大戦とテレビの誕生に乗じて全ヨーロッパの映画を破壊してしまった、とゴダールは言う。しかし彼の前まで、体系的でコンパクトな、フランス映画やヨーロッパ映画の空間が存在するとは誰も本気で考えなかった。(続)
2、ゴダールは、母国のスイスの映画が外部の領域とし、あえてアイデンティティーを模索する「イスラエル」と評した。戦後の映画の傑作は敗戦国から生まれた。伊のネオリアリズム、独のニュージャーマンシネマ、日本の大島渚だ。フランスのヌーベルバーグが存在感を示すのはやっと50年代後半からだ。
3、ゴダールは問う;なぜ、遅れをとったのか?ゴダール曰く、フランスは、本当は敗戦国のくせに、あたかも戦勝国として振舞った。この自己欺瞞が、思考の力を決定的に弱めてしまったからだと。映画には、栄光も衰退も必要ではない。思考が必要なのだ。(ヨーロッパ知識人の自己反省は畏るべし!本多)

・「カメラ・アイ」;ゴダールこそ左翼精神の編集だ。フランスという見える定義の集合のなかに、見えない自己定義の集合(ベトナム、スイス、パレスチナ)を差異化させてきた。見えない自己定義の集合は、レジスタント運動の歴史へと越境する。現在は、ソーシアリズムとしてのヨーロッパの探求へ向かう

・ゴダール「古き場所」;ソクラテスとプラトンの対話の如き、映画の中での対話が途切れる事なく続き、親しいテニス仲間同士のラリーを喚起する。maïeutique(ギリシャ語で、meɪˈjuːtɪks/と発音する)がキーワードで、質疑応答を通して人間の隠された心を明らかにする知的な方法だ


・「リア王」制作時に撮影された「ウディ・アレンとの対話」;偶然にも?、行き違いと滑稽さををテーマにしたビデオエッセー。あらゆる人間生活をあざわらう空白の空間を厳密に支配しようとする企ては、整理し、表にし、地図にし、裁断することを好む「男性原理」にもとづく植民化である。映画はその抵抗

・ギリシア神話に基づく神と肉体をテーマとした「決別」;「慈悲の人(彼の自己について)。神よ、片割れと共にあれ!」(J)。双子は、言語と人間。フーコ、ゴダールを集約している。即ち、言語が分散を余儀なくされたとき人間が成立したとすれば、言語が集合しつつあるいま、人間は分散させられるはず

・「映画史4A宇宙の法則」;身体のうちには私達の認識を超えたものがあるように、精神のうちにもそれに優るとも劣らぬほどこの私達の認識を超えたものがある。それは、無限か、虚無か?全体化することなく、無限と虚無との間を運動すること、そこが、ゴダールのモラリストとしての思想的自立性の空間だ

・「映画史4B徴は至る所に」;ゴダール曰く、アウシュビッツを撮らなかった映画は、ユダヤ人を救えなかった。この歴史は、この芸術家にとって、決定的な崩壊として受け止められてきた。失われた世界を再生させること。映画の編集によって、可能世界である過去の世界に、救いを送ることは可能だろうか?

・「映画史1B唯一の映画」;男女の自由な関係が重要だった時代に、映画のスクリーンには、不条理な愛の世界が必然として描き出された。民族・言語・宗教が大切な問題となっている現在では、共同体の葛藤や愛が表現されている。どちらの時代とも、この愛が、貨幣によって、搾取と支配の対象となってきた

・映画史1A「全ての歴史」;エクリチュールの運動は、映像の編集である。デリダは、私達の歴史(声の論理)のなかに、「私達」に還元できない他者(エクリチュール)を顕現化させた。同様に、ゴダールは、私達の歴史(シナリオのシステム)において、「私達」に還元不可能な他者(映像)を発明し続けた

映画史1A「全ての歴史」;エクリチュールの運動は、映像の編集である。デリダは、私達の歴史(声の論理)のなかに、「私達」に還元できない他者(エクリチュール)を顕現化させた。同様に、ゴダールは、私達の歴史(シナリオのシステム)において、「私達」に還元不可能な他者(映像)を発明し続けた

「映画史1B唯一の映画」;男女の自由な関係が重要だった時代に、映画のスクリーンには、不条理な愛の世界が必然として描き出された。民族・言語・宗教が大切な問題となっている現在では、共同体の葛藤や愛が表現されている。どちらの時代とも、この愛が、貨幣によって、搾取と支配の対象となってきた

「映画史2A映画だけが」;歴史研究者は、「そのとき」に自分がまだ存在していなくても歴史学の方法に即して「そのとき」を叙述できる。ゴダールは、この考古学的方法に準じて、映画観客の「そのとき」が積分的に地層化できると主張。総体としての二十世紀史と等価物である、映画史を現実化した

「映画史2B命懸けの美」ファシズムを推進したのが、〈国家と民族と資本主義>の一体的システムであった。このファシズムからの解放を再びこの一体的システムの手に委ねることはできない。解放に民衆の介入は不可欠。ゴダールの詩は、故郷なき故郷への帰還、ソーシアリズムのユートピアに捧げられた

『映画史3A 絶対の貨幣』;万人に対する万人の争いを避けよ!?人々は、国家の力によって、野蛮な「自然状態」から逃れたと考えた。しかし戦争嫌いのゴダールからすれば、国家の、人道主義の名を借りた数々の爆撃こそ、そういう「自然状態」に他ならない。政治リーダーである、ロマン主義芸術家の顔

「映画史3B新たな波」;戦後映画の傑作は敗戦国から生まれた。伊のネオリアリズム、独のニュージャーマンシネマ、日本の大島渚だ。仏のヌーベルバーグが存在感を示すのは、やっと50年代後半から。ゴダール曰く、本当は敗戦国のくせに、戦勝国として振舞った自己欺瞞が、批判的な思考を弱めたのだと

「映画史4A宇宙の法則」;身体のうちには私達の認識を超えたものがあるように、精神のうちにもそれに優るとも劣らぬほどこの私達の認識を超えたものがある。それは、無限か、虚無か?全体化することなく、無限と虚無との間を運動すること、そこが、ゴダールのモラリストとしての思想的自立性の空間だ


「映画史4B徴は至る所に」;ゴダール曰く、アウシュビッツを撮らなかった映画は、ユダヤ人を救えなかった。この歴史は、この芸術家にとって、決定的な崩壊として受け止められてきた。失われた世界を再生させること。映画の編集によって、可能世界である過去の世界に、救いを送ることは可能だろうか?

・ゴダール曰く、アウシュビッツを撮らなかった映画は、ユダヤ人を救えなかった。このことは、この芸術家にとって、東北震災と原発災害に劣らぬ程に決定的な崩壊として受け止められてきた。失われた世界は、映画によって、再生すべきだ。映画の編集によって、過去の世界に救いを送ることは不可能なのか?

・『ショア』のランズマンとゴダールとの論争とは?前者はユダヤ教的偶像禁止、後者はカトリック的映像マニアと揶揄されたりしたが、要するに、ガス室の記録フィルムが存在しない以上、証言に基づいて事件を再構成していく考え方、と、(利用可能な)映像によって表現すべきだとする考え方の対立であった

・ゴダールの「映画史」の体系は、デカルト哲学の体系を喚起する。「映画史」は、(過去の)すべての映画に対する抗議を以って始めているから、すべてを、「思考」から導き出しているかのように見える。思想的自立性と思想的表現、即ち、「作家」の観念と、「映像」と「音」という二つの実体だけが残る



自然



身体


xyzqaいろはに より

・ゲイの方々やおネエマンに圧倒的な《存在の威力》が窺えるのは、夢に逃避することなく《現実を抱擁する女性性》に目覚めているからであると考えられる。彼・彼女らは、自らの《性の現実》と対峙し、その現実を歓待(喜び、招き入れる)する器量を獲得している。それゆえ、精神的に強いのだと思われる


外国

・イギリス人は理性的で冷静な国民、と、国際的田舎者の日本人だけが騙されているが、気の毒な程、表層の観察だ。英国人と結婚したイタリア人女性の証言。イギリス人はイタリア人に負けずmadなのだが、自分達の狂気を隠すのが非常に巧みだと。英国の植民地建築様式である、国会議事堂を見よ!隠蔽の家

・「Imperialist!」。わが息子は喧嘩相手のフランス人に向かってそう罵った、と、「反日本語論」の著者は感慨深く語った。(ベトナムの)植民地主義者や帝国主義者の意である。英国では、この語は、「一生懸命屋さん」(例、ガリ勉、猛烈社員)の意しかない。言葉の起源を隠蔽してる感じ・笑

・アイルランドでは、オスカーワイルドの自伝家は危険人物のリスト入りだが、首都ダブリンは、ヨーロッパの都市で一番ゲイが多い。贋の文化幻想の国家主義が「男性」という贋の偶像を捏造する。それ故、国家が弱ければ、「男性」が少なくなるのだ。ロンドン滞在中に、結婚・相続に関してゲイの市民権確立


堀 茂樹氏

・20世紀初頭、二重国籍を認めていたのは仏と英のみ。21世紀初頭、世界の主要国は、11年前に生地権を認めた独も含めて二重国籍を容認、又は容認へと傾斜。国籍はもはや「国家が好きなように賦与、剥奪できるものではない。人権の一つになったのである」(国籍法研究の世界的権威P・ヴェイル教授)

・安ホテルで、朝顔を洗おうと蛇口を捻ると、「コーヒーが流れてきた」と、寝ぼけることがあります・笑。「映像の世紀」は、例えば移民達が、映画館でニュースを観た時代のことを証言しますね。面白い授業に違いありません!ダブリンのときは、大雨の後、必ず、泥で濁った水でお風呂に入りました。下半身が見えないんですよね。だんだん、そういうものかとww

・昔海外に出たとき、アイリッシュの喋るダブリン・アクセントがあまりに速くて聞きとれずに困り果てて、初心者サンスクリッド語の講義(十回)に出ました。この言葉なら、さすがの連中もゆっくり発声するはずと思って・笑。頭辞「非実在-」はなんというんですか?

・イギリスのガーディアン紙が暴露!Revealed: British government's plan to play down Fukushima英国政府が、福島事故を契機に欧州に広がる反原発機運の抑え込み狙って、(フランス企業も含めて)原子力業界に世論誘導を打診していた!



東京

・「大阪知事」以前なら、善意に拍手を送る所ですが。代替エネルギーに関して専門的知識がないこの私でも、発言することはあります。(エネルギーの)生産と分配の両方の側面を観て、エネルギー植民地主義を解決する視点が大事、復興会議に女性を参加させること、です
・I remember Bernstein came in Tokyo.
都立高校時代に、来日いたしまして、アムネスティーのチャリティーコンサートであったと記憶しています。マーラの一番を振るとき、バレリーナのようにエネルギッシュに飛び跳ねていました。

・戦後の映画の傑作は敗戦国から生まれた。伊のネオリアリズム、独のニュージャーマンシネマ、日本の大島渚だ。フランスのヌーベルバーグが存在感を示すのは、やっと50年代後半からだ。ゴダール曰く、本当は敗戦国のくせに、戦勝国として振舞った自己欺瞞が思考を弱めたのだと。原発敗戦国の自己欺瞞

・万人に対する万人の争いを避けよ、と、人々は、国家をつくることによって、「自然状態」から見事に逃れたのだ。悪い冗談だ!?弱肉強食の自然状態は、国家が推進するマーケットによって、生じていた。正確に言えば、株主会社の、原発=原爆による核攻撃は、「自然状態」ではなく、「社会状態」といえる

・いわゆる「国の力」を測るのに、色々な基準があります。沢山の「試験科目」があり、軍事や経済の「試験の点数」だけでは決定できません。海外留学の若者達は皆、この数字に衝撃を受けていましたね@ChampionDreamer現状、国会における女性議員の比率が世界では下位に位置しています。

・Fukushima is not a postcard for the past.With the conventional atomic energy planning, to the ambiguous Japan, will there exist any future?

・佐賀県知事への手紙;あなたの頭のなかは、「福島原発、あの日の津波」と、タイトルが添えてある、思い出風景の絵葉書になっていませんか?大江の言葉です。フクシマを過去の出来事とし、これまでの原子力計画を続けるとすれば、そのあいまいな日本の、次の私達に、果たして未来はあるのでしょうか?





分類できないもの・役に立たないもの・余計なもの

・Owlcatoは、オーストラリア時代の子供のとき、舞う「火の鳥」だった


・例の、シュレディンガーの猫に関係した話かと勘違いしていました。ちなみに、彼はアイルランドに亡命しました。当時、必ずしも、ユダヤ人受け入れに寛容だったわけではないのですが、首相のヴァレラが数学者でしたから、彼の功績を理解していました

・miaooo(なるほど、物理的実在を超えた、スピリチュアルな保存則だニャリ)miaomiao(道元の猫はどうなったかニャ?)@spiral_cat 実は箱には猫が2匹いて、さらに仔猫が数匹いる/いない、しかもそれが生きている/死んでいる状態となると解釈の分かれるところだと思います

・あつくて、ねむれん。と、枕の横にある、ジョイス「FW」の頁をめくりはじめたら、本当にねむれなくなった。根気がいるが、少しずつツイートして行こう。このジョイスの文章はネットの場に向いているかもしれない。最近、九十年代のソレイユが書いたジョイス論の翻訳を読んだが、ハハ・・・収穫なしだ




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