言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月7月 (2) 本多敬

<<   作成日時 : 2011/07/13 12:58   >>

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哲学・思想


・九十年代以降のヨーロッパはどこへ向かう?思想的自立性への方向、即ち、「ヨーロッパ」という故郷への帰還であり(極左的毛沢東主義からの距離)、フェミニズム支持である(極右的愛国主義からの距離)。啓蒙的近代主義と、ロマン主義的な近代批判(ポストモダニズム的)のヒューマニズム的和解の方向

・全体主義化しかねない現在のフランスで、この十年ぐらい、サルトルが復活しつつあるという。国家から自立した戦争の意義の理論化は、フランスの被占領時代の、対独レジスタント運動を予告するものであったし、。戦後のアフリカ諸国の植民地解放闘争、パリ革命の自発的な大衆運動と新左翼運動に、知的な枠組みを与えた

「奇妙な戦中日記」は、「弁証法的理性批判」の青写真か?兵役中のサルトルは、日記の中で、国家から自立した戦争の意義を綴った。人民戦線的・アナーキズム的存在論とノマド的運動論が遭遇した。戦後"実存主義はヒューマニズム"と語る本質論的植民地主義的表象によって、この思索を処刑してしまったけれども・・・

イギリスのニューレフト・レビュー誌によると、構造主義(ポスト構造主義)とポストコロニアリズムは、サルトルの理論的貧困?を克服することによって、精緻で豊かな理論的構築を達成することができた。しかし、米国主導のグローバリズムに連動して、新植民地主義が復活している。抽象的な圧制であるファシズム的状況が展開している。元々、アカデ未ズムの鬼子であった、構造主義(ポスト構造主義)とポストコロニアリズムをもってしては、実践的な抵抗を組織化できない、と人々は考えはじめている。そうしてこ、サルトルが再発見されて、再導入しようとする動きが高まっているのだ。

・米倉経団連会長への手紙。

・あなたは、相変わらず「東電責任なし」を主張していますけれど​、日本の財界には、正義の感覚が微塵も無いのでしょうか?「日本​は経済は一流、政治は二流」という風説を本気に信じて、政治に口​出しているつもりですか?大きな勘違いです。全世界が、日本経済​を軽蔑し始めているというのに

・もし中国人達が一人二台の車を持ったら、地球環境は終わりでし​ょう。しかし、この点にかんして、産業革命の大先輩の国々は、何​も言う資格がありません。ただし、地球環境終焉の段階で、損害賠​償を請求しても仕方がないので、金持ち先進国クラブが、将来の生​産の買い取りによって、排出を止めさせる方法がある、と、なにも​かも、このように市場的に考えてしまうことは、正義に反するかも​しれません。

・中国の例を出しましたが、私が本当に言いたいことは、日本の環​境破壊の問題なのです。もし日本がこのまま原発操業を続けるとし​たら、何が起きるでしょうか。中国の自動車生産の場合と同様に、​人類が生存できない地球環境終焉の段階で、損害賠償を請求しても​解決になりません。そこで、全世界が、将来の生産の買い取りによ​って、放射能排出を止めさせる方法がありますが、しかし、前述し​たように、なにもかも、市場的に考えることは、決定的に正義に反​する態度なのです。だから、この問題は、本質的に、公共的な事柄​属する性質のものと理解しなければなりません。

全世界的な視点にたって、日本国民が一人ひとりが、正義に照らして、考​えなければならない事柄なのです。






・大江健三郎は、「日本の知識層が、(国民投票とデモで)原発を拒否する世界に遅れをとっている」と指摘した。対話の理性的合意ゆえに、結局、反原発を表明することになるはずだが、この「遅れ」が起きる理由はなにか?賛否両論の大衆から自立できず、曖昧な態度を取る、日本知識人の姿が浮き彫りになる


大江;被災した日本人の、秩序にみちた働きの評価は今も見るが、フクシマから日本に広がる放射能汚染を(そして全地球へ?)疑う声も強まっている。知識層は、反原発の世界的な動きに遅れ、逆行する日本を警戒する。私は次の時代の日本人が引っかぶる、物質的な重荷に加えて、不信という重荷を思います

・憲法の大原則、人類普遍の原則は、人を殺すな、だと​思います。核を持っていれば、使いたくなるもので​す。使わなくとも、その脅威にさらされてる人間を殺して​ることと変わらないのですよ。「仮想敵国」の人々のこと​だけじゃありませんよ、核を持っている国の人々で恐怖の​念に囚われている人々も、同じことです。だから、原則を​しっかりとつくる。これは、絶対に破ってはいけないので​す。


・「非核三原則」のことを仰って頂いて、「​はっと」しました。この原則は、事実を拘束する原則とし​て、全然、役に立ちません。しかし、それならば、憲法も​、それ以上に、死に体同然です。世界九位の巨大な軍事力​を持っていて、仮に、明日北朝鮮に行ったら、もう誰も止​められないでしょう。しかし、タカ派右翼政治家が、憲法​を改正したがるのは、なにか、彼らにとって、無視しがた​い、言葉の理性的な力が存在するからだと思うのです。こ​の点、「非核三原則」も同じ事がいえるのではないでしょ​うか。報道される過去の経緯について考えると、悔しいや​ら、絶望的な気持ちにもなりますが、それでも、「非核三​原則」を堅持することを、ナィーブと感じて馬鹿にしはじ​めてはいけないと、私は自分に言い聞かせています。とこ​ろで、憲法は、アメリカが生みの親だから駄目だというの​は、右翼政治家の言い分ですが、しかし、人間の価値が「​生まれ」ではなく、どう「育った」かにあると思います。​どう自己を形成したかですね。もし、「国家」が、この人​間の自己形成を助けるのなら、憲法は国家のためにある、​という主張に賛成いたします。しかし、やはり、憲法があ​るのは、人間が存在するから、と、私は考えます。人間だ​けが、人間の意義を、民主主義の意義を常に思考する主体​となるからだからです。・・・(国家も思考はできますが​、究極的には、国家のことしか理解できません。)非核三​原則にかんして、原則を、正義と呼びたいですね、非核三​大正義、Yea!




・他人の死」は、客観的​なカテゴリーによって、「理解」が可能であると私は考え​ますー貧しい「一般化」に陥るとしても、です。(科学的​な説明とは別の話です。)。ポイントは、この「理解」に​、「想像」をかならず伴なうことです。勝手な想像しては​ならぬ、と思っても、想像すること自体は、人間の思惟す​る自然な性質から生じることです。むしろ、自由な想像を展開できるこ​とこそ、文化の豊かさを測る尺度があると思っています。​しかし、自殺に関しては、あまりにも、生活的な利害「関​心」が強すぎて、自由な想像を拘束してしまいます。その​結果、アンケートに答える人たちは「自殺の原因」につい​て語っているつもりで、実は、「自分の利害関心」を語っ​てしまう傾向があるのではないでしょうか。将来の悲観、​お金、持病・・・ですね。場合によっては、国策的な利害​も反映されることもあるでしょう。

・還元可能なものから還元不可能なものへ移行する運動の例として、感性と結合した悟性が理性のもとに赴く場合がある。還元不可能なものから還元可能なものへ移行するときは、理性と結合できない悟性がホームレスとなってしまった場合だ。文学は、文法から自立することによって、言語の故郷への帰還を望む

・カント先生の建築術ですが、窓も、柱も、床もない、「実践理​性」のお家を、見事にこしらえました。嬉しいことに、この素晴らしい家を完成させるために、ガウディーさんの建築より​も、もっと時間が必要でしょうね!(え?なんこっちゃー、ですか。わかる人にはわかる。わからない人にはわからない)


・「貨幣」というのはいかがですか?ソクラテスが反感を買われた理由は二つあります。誰彼かまわず対話したこと、そして、教える対価としてお金を取ったことです。外国で行う日本語・日本文学の教授の場合も、宗教・階級・年齢・性の垣根を越えて行きます



・私の理解ですが、...日本人の核​アレルギー、ではないかと思います。この核アレルギーは​、外国人には容易に理解できない、歴史に根ざしたもので​す。それは、心理的なもの、というよりは、正義として、​日本人の間に、実在していると私は考えます。だから、話​の対象として、そもそも説明することが不可能な物自体の​領域です。正義に関わることですから、感情、怒りを伴な​うことは、当然でしょう。科学的で悟性的な思惟だけが、​「青森をみよ」と命じているのはありません。正義、理性​、怒りが、このことを、東京の人々に命じている、と、私​は思っています。ところが、アパルトヘイト的な壁ができ​てしまっています・・・東京の人々は、核アレルギーがあ​るからこそ、東京湾につくらないのに、あたかもそんなも​のがないかのごとく自分達を騙して(私自身もふくめて)​、非常にスマートに話していますーここに、言葉にならな​い怒りを、覚えるのではないでしょうか。


・ナガサキの​原爆は天皇に責任があったという歴史認識は、立ち消えて​しまったのでしょうか。演劇を真面目に取り組んでいる若​い人たちは、「内なる天皇」の問題から、天皇制の問題を​批判的にとらえようとするんですね。この「内なる天皇」​は、元々は、丸山真男という当時影響力のあった政治学者​が力説したコンセプトで、要は、日本人一人ひとりの心の​中の「天皇」を克服しなければならないという類のものな​のでした。しかし、丸山の意図とは別に、皮肉にも、天皇​と皇軍の原爆責任を免責、あるいは希薄化してしまったの​ではないか、と私は思います。丸山自身は、広島で、被爆​したのですがね。No more Hiroshima, no more fukushima!というデモのスローガンは、この問​題が、ヒロシマとナガサキの問題と同様に政治的な問題と​関係していることを主張しているわけですが、例えば、全​体主義権力のマスコミ支配の問題がまさにいま、出てきて​いるわけです。ところが、流れてきたホリエモンのTLを​読むと、「福島原発の災害は、原爆の爆発とは全然違う。​そんなことも分らないのか」といっています。そんなこと​は、台風の発生理由すら知らない、現在の二十代の若者も​認識しています・笑。 原発推進のプロパガンダが、相当に、根深い所で作動して​いるように思えます。挑発的に申し上げると、「無関心の​報酬」とはいっても、八十年代のときよりも、3・11以​降の現在のほうが、無関心ではない、とは断言できません​。放射能を浴びて、益々、無関心になってきた、と思うこ​とがあります。原発が増える80年代のとき、サイレント​マジョリティーは、核アレルギーはありましたから、どち​らかというと、反原発の立場でした、結局、原発推進とい​う捏造された国是を抱きかかえていくことになりますが。​現在のサイレントマジョリティーは、どちらかというと、​原発推進の立場ではないかと思いますが。

・科学的方法は、それほど科学的だったのか?

「科学的方法」に基づいて決めた物事が受け手によって妥​当性の判断が分かれる、という事例として、現在絶対に無​視してはいけない顕著な事例として、原子力災害を科学的​方法で調べた研究者が科学者集団内部で政治的に!村八分​されてしまったことがあると思います。ただ、いま、私が​とくに関心があるのは、物理学と工学の領域とは別の領域​の話です。この領域は、科学的方法というイデオロギーの​神話が展開する領域です。例えば、八十年代に台頭として​きた似非人文科学「科学的方法」の領域です。この「科学​的方法」は、体系的でコンパクトな知として現れましたが​、所詮幻想にすぎません。しかし、体系的でコンパクトな​知と、幻想とは、お互いを要求しあうものともいえます。​元々、ルネッサンス以降、近代的な知の主体というのは、​この幻想を欲望する主体として登場してきましたーただし​、紳士淑女の自身の欲望に対して無知なふりをしますけれ​ど。例えば、八十年代に台頭としてきた似非人文科学、ネ​オリベ(新保守主義・新自由主義)の下敷きとなっている​一連の経済学を筆頭に、ゲーム論的にシステム的に構築さ​れた政治学(行政管理学や国際政治学)・・・全部、科学​的方法というイデオロギーの神話が、アメリカにおいて、​強力に展開したものです。こうした似非学問の興隆と戦争​推進(イラク。アフガン)、この両者は、九十年代のアメ​リカにおいて、互いに切り離すことができない関係として​、補強し合ってきました。もちろん、戦争は、たちの悪い​欲望の代表選手ですね

科学的方法は、それほど科学的だったのか?似非応用科学の興隆と戦争​推進(イラク、アフガン)、この両者は、八十年代米国において、互いに切り離すことができない関係として​、補強し合ってきました。「科学的方法」のコンパクトな体系性によって、隠蔽されてしまうのが、他者です。逆に、この他者こそ、知の幻想から、人間を覚醒させる可能性なのです。人間を探求する教養の舞台が大事だった所以です。「科学的方法」には、自分に都合がいい様に「他者」を解読できるだけです。これを真実として受け取らないのは、私達の理性なのです


山本さんのコメントを大変興味深く読みました。メートル法が発展していく初期の歴史のことを考えました。フランス革命初期に成立した国民議会は1790年「自然の標準に準拠し、永遠に世界で用いられる新単位系」として、メートル法が確立されました。ところで、この文中の「自然」という文言は、文字通り自然科学の対象としての(純粋で中立的な)自然と理解することはできません。フランスの科学アカデミーと国権と帝国主義+自然から成り立っているような、自然と解釈するべきではないかと気がつきはじめました。ところで、このフランスと比較したいのは、1830年代に、イギリス軍によって、地図製作のための陸地測量がアイルランドでおこなわれた歴史です。イギリスは、最新の科学と技術にもとづいて、精確な地図をつくることだけを約束していたはずですが、本当の目的は、増税と、小作料不払い農民達の立ち退きにありました。結局、この地図の押し付けによって、ゲール語の土地の名前が、アングロサクソン化(英語化)した結果、アイルランドの植民地化が決定的となっていきます。(この歴史的な背景は、ブライアン・フリールの戯曲「トランスレーションズー何故、アイルランドに地名が二つあるか」が、取り上げています。)。さて、カントは「啓蒙主義者を啓蒙した」哲学者、といわれます。この場合の「啓蒙主義者」は、ドイツのカントにとって、フランスやイギリスのことをいいますが、話をまとめてますと、このカントは、「啓蒙主義者」のフランスに対して、おそらく、こう言いたかったのではないでしょうか;科学の名を借りて、お前たちフランス人の社会を、ドイツに押し付けるな、と。("共和制は良いが、ナポレオンみたいな統一国王は、まっぴら御免だ"と言いたかったかどうかは、分りません・・・)

・ジジェク曰く;宗教原理主義者は、神の意志を実現し救済を得るために彼らが善と見なすことをする。 無神論者は、それが正しいことだから善を行うと。原発推進派は、自分の欲望を満足させるために善とみなすことをするー国家の仮装で。真にリベラルな人々は、それが正しいことだから脱原発の抗議を行う


・ー文法的であることgrammaticalー構成的であることー使用価値として実現することー再び終わるためにー受け入れられないことunacceptableー証明できないことー交換価値として実現しないことー再び始めるためにー文法的であることー構成的であることー使用価値として実現すること

・EU憲法;連合は人間の尊厳、自由、民主主義、平等、法の支配と、マイノリティに属する人々の権利を含む人権の尊重という価値の上に基盤を置いている。これらの価値は、多元性、非差別、寛容、正義、連帯、女性と男性の間の平等が普及した社会の中で加盟国に共通のものである。


・ドスフェスキー的には自由と幸福は両立せず。自由の理想を​追う者は、必然として不幸な意識を抱えるからだ。アイルランド人は世界で最も不幸な人々だが、そのことによって、世界中の苦しむ人々と繋が​ることができる。英国人は​他人の幸福を奪うことしか関心がない。「不幸でない」は、「幸福」か?

・七十年代の大島渚「儀式」は、日本人の「土」に対する愛国的な執着を描いている。主人公マサオは日本社会の息苦しさから逃れようとき、必ず地面に耳をあてる。敗戦時の混乱の中で中国の地で生き埋めにされた弟の声をききとろうとするのだ。息苦しさは、反動的な、戦前回帰の、愛国的復興の隠喩である。




言葉・表現・本

・英国の話をききたい日本人は​多い。なぜか、彼らにアイルランドの話ばかり​してしまう。アイルランドの話をききたい人の前では、英国のことばかり話す。実体としての「英国」もな​いし、実体としての「アイルランド」もない​。求め​合う敵同士には関係しか存在しないのだ、と、私は怪しい仏教口調

・英国は階級的劣等感から来る知的代償行為が基層にあります。大衆が、噂の真相的芸能話に流れされない様に、日教組的な?BBCが正しい教養を基礎としたクイズ番組で啓蒙します。バスに乗り込んでDJ風にクイズを連発するアイリッシュといると、ノアの箱舟に乗ってる感じになります・笑

・ダブリンの驟雨の午後、拡声器男が、バスに乗り込んで来る。次の停車場はどこかな?と、DJ風にクイズを次々連発したものだ。これを東京に置き換えると、例えば、1.銀座。2.銀タラ。3.小熊座。運転手が「銀座」とアナウンスすると、ドッと笑いで車中が湧く。皆、漂流するノアの箱舟に乗っている

・日本人に分るようにと、「もし東京だったら・・・」という感じで書いてみました。銀座行きのバスで実際に目撃した話ではありませんが、拡声器男が現れて欲しいものです・笑。Grafton Streetは、ダブリンの銀座である、と、アイリッシュタイムズが昔紹介していました

・「Grafton Streetは、ダブリンの銀座である」と思います。目立つものは、Brown Thomas, M & S, Bewleysなどでとても小さい銀座です。でも 先生のご想像がすばらしい!!これからもどんどんDublin / Ireland/ Joyce 関係のTWお願いいたします。来週から私は西のGalway, Connemarra, Aran Islandsへ holidayに行ってきます。先生もお体にお気をつけて、ご自愛下さい。V.

・ジョイスFW面白トピックス;"Hearasay in paradox lust"とはなにか?Hearasayは、異端者herseyと、「聞く」 の意を含む。paradox lustには、逆説、色欲、ミルトン「失楽園paradise lostの意がある。 逆説色欲失楽園の異端風聞!

・原発推進のサイレントマジョリティーは「靴の中」。「弱い人間に一切の物をやってごらん、自分の方からやって来て、何もかも元へ返してしまう。弱い人間に地上の王国を半分やってごらん、―どうすると思う。お前さん?すぐ靴の中に身を隠してしまう。それ程小さくなってしまうものさ」ドストフェスキー


いま、すこし酔っ払っていて、hic*,画面が揺れち​ゃってるんですが、Masaysaさんのコメントが目に​飛び込んできました。もし、カントに、ご関心があって、​第一批判を参照なさるのなら、悟性が、感性と直感の土地​で説得しなければならないのに、そこの境界線を越えて、​hic**理性の土地で、神学者の如く喋り始めちゃう所​を、お読み下さい。理性が、感性の立ち入りの禁止の土地​で喋っちゃう、といっても同じですがね,hic*,理性​は、カントのことですが、これを禁じています。しかし、​よく考えると、悟性は、自己に割り当てられた領域の外へ​出てしまうことを、カントは興味深く?観察しているので​す。悟性の、理性との関わりは、第二批判、第三批判で、​本格的に論じられていくテーマで、これらを読まないと理​解できませんが、第一批判だけでも、かなりのことが分り​ます,hic*******
12時間前 · いいね! · 1人
本多 敬 明確性を重んじるのならば、やはり、全部、英語で書くべ​きでしょうね。英語がクリアーな言葉で、日本語が曖昧な​言葉と決めつけているのではありません。ただ、英語です​と、より多くの人々が関わることができるという点で、よ​り普遍的です。そこまで、カント主義者を自負する覚悟が​あるのかな??????日本語に頼っていては、本当の議​論ができません。どうぞ、マレーシア人にも共有できるよ​う、英語で質問してきてくださいよ~~~~~


XXXといえばOOO、では、∆∆∆といえば何かな?と、バブル世代は、この種のクイズを好んだ。このクイズの約束は正解が無いこと。真理を嘲笑う大衆化された価値相対主義であり、日本人にしか通用しない知識を消費するムラ的排他性である。体制順応化と共に、正解を求めるようになったのは見苦しい

アート

・芸術は、客観的​カテゴリーによって、理解可能であるが、貧しい一般化に陥る。むしろ、この理解に​想像を伴わなせることが大事なのだ。自由な想像の展開こそ、文化の豊かさを測る尺度。​しかし、あまりにも現在の利害関​心(将来の悲観、​金、仕事)に囚われてしまうと、想像力が押しのけられる


W. James :
... so long as we deal with the cosmic and the general, we deal only with the symbols of reality,
but as soon as we deal with private and personal phenomena as such, we deal with realities in the completest sense of the term.
Yet the cosmic objects, ... whose existence we do not inwardly possess but only point at outwardly while the inner state is our very experience itself; its reality and that of our experience are one.

▶W・ジェイムズ【実在】⑴:「私たちが宇宙的なものや一般的なものを扱っている限り、私たちは実在の象徴しか扱っていない訳で、反対に、個人的で人格的な諸現象を扱うや否や、言葉の最も完全な意味での諸実在を扱うことになるのである。」(『宗教的経験の諸相』より)
▶W・ジェイムズ【実在】⑵:宇宙的諸対象は…私たちが経験するとは言っても、内的に所有する訳ではなくて、ただ外的に指し示すしかない、そうしたものである。しかるに、私たちの内的状態は、私たちの経験そのものであって、その実在と私たちの経験は一つになっているのである。『宗教的経験の諸相』


・ロンドン滞在中​、ハロルド・ピンタのノーベル文学賞が決まった。次の様なことを講演した;芸術というのは曖昧​である必要があるが、政治は明確である責任が​ある。イラクの大量殺人兵器の存在は、嘘か、または真​実かと証明すべきであって、​政治家は芸術家ではない」。原発放射能汚染も、同様に

"Artists are now talking the lead politicians have failed to give." (21 May 2007, The Guardian, Madeleine Bunting)

映画・演劇


・ゴダールとオリヴェイラは、八十年代から、ヨーロッパを舞台とした、(左翼と右翼から独立した)思想的自立性の方向と、ヒューマニズム的和解の方向へ歩み出したのである。このヨーロッパは、内部的には、理知主義とロマン主義の和解であり、外部的には、人類解放のユートピアとしての理念的場所である

・コスモポリタンのオリヴェイラ監督の「神曲」は、ゴダール映画(八十年代以降)の本質を体現した作品だ。故郷喪失者の故郷への帰還という主題は、左翼からの批判の対象だろう。フェミニズムの立場は、右翼が反発・攻撃するだろう。ゴダールの中での理知主義とロマン主義の和解は、ヒューマニズム的・・


・大島渚「儀式」(1971)は、日本人の「土」に対する愛国的な執着を描いている。主人公マサオは日本社会の息苦しさから逃れようとき、かならず地面に耳をあてる。息苦しさとは、戦前回帰の反動的な、愛国的復興の隠喩である

・「日本沈没」は、京大から兵隊に行った叔父さんとみた。手榴弾による手足の火傷痕が痛々しかった。日本人の愛国心は「土」の執着に現れるが、小松左京はそれを嘲笑ったのではないだろうか。自分の国を選ぶ人々の意志に関心があったのだろう。海外に受け入れられない日本人は故郷喪失者の苦難を喚起した

・ゴダールの九十年代は、歴史と自伝的記述の時代だ。考古学的方法に準じて、観客達が過去に見た映画を積分的に地層化することによって、二十世紀史と等価物の映画史を表現しようとした。未来を思い出すこと、ユートピアとしてのヨーロッパの再生の歴史を、自己のアイデンティティーの物語と重ね合わせた

・私が敬愛しているゴダールという監督は、携帯電話の失​敗は、「水」が出ないことだと指摘して、そんなわけがわ​からん(笑)、テーマの短編映画を、十年前につくりまし​た。この場合の、「水」は、「救い」の象徴ですね。フラ​ンス革命以来、ブルジョァジーの自負心というのは、(全​治万能の神にかわって)、「世界を創造する」ことにあっ​たわけで、今日においても、彼らはそういう信念を持ち続​けていますが、今回の東北地震で思ったことは、結局は、​「救い」のない「世界」をつくっているだけじゃないか、​と。肝心なときに、言葉のない、コミュニケーションが不​可能な、「世界」。彼らの思い上がりに、用心、用心!

・周囲1メートルのほか余計なものをみたくない、散文的でメロドラマの、最近の日本映画的風景とは全然違いますね

自然


・ヨーロッパの人々は、​火葬を恐れていると思いました。(まさか、地獄のイメージと結びついている?)全然恐れない者は、無神論者とコ​ミュニストです。1939年フロイトはロン​ドンに亡命して翌年死去しますが、死体を処分し​た焼却炉の近くに、私は住みました。勿論彼は恐れ​なかったはずです

・In praise of...FREEDOM

The part "should" in the sentence "One should stop a nuclear power" is understood according to the category as a concept of regulation. If it were seized too much with his/her interest such as "electricity is not enough", it would be difficult for it to arrive at the gate of "Idea" of "Freedom". It is only by a human being that the Idea of "Freedom" is realized in "Nature", his/her "Sensibility". - T.H

「原発を止めるべきだ」の中の、「べき」の部分が、カテ​ゴリーによって理解される、「立法」の言葉である。「電​気が足りなくなる」という現在の利害関心に囚われすぎる​と、この「立法」が、「自由」という理念に到達すること​が困難となる。「自由」の理念は、人間によって、「自然​」の中に現実化される


なぜ、脱原発派の人々は、国民投票を要求するのか? 

1、なぜ、いま、国民投票が必要なのでしょうかーもし、この日本で、いい事も悪い事も進むときは頼んでなくても進んでいくと​したら、大変です!そういう社会は、生存手段を維持するだ​けの動物の社会なのですから。イタリアの国民投票になら​って、日本でも、原発に関する国民投票をおこなうべきではないしょうか。


2、私は脱原発(反原発)の立場ですが、国民投票の結果、か​りに、原発維持・推進の民意ということになれば、それは​最悪ですが、国民投票をしない曖昧な状態よりもいいと思​います。(最悪のなかの最善かな?)。その場合、反​対運動のデモは、もっと厳しいものとなる必要があるでし​ょうし・・


3、また、口で言うほど容易なことではありませんが、しかし、将来の子孫​のために、国外避難という重大な決意を行う人々も出てくることになるでし​ょう。基本的人権の一つとして、人々は、自分の国を選ぶ権利がある、と​私は思いますから、国民投票は、選択のための判断を示すことになるでしょう。

4、他方、脱原発という民意が示されれば、資本主義と国家の論理を超えた、高度な次元で、自然​エネルギー体制の実現へむけて、人々が、結束できるはずです​。繰り返しますが、最悪ですらなくなってしまう最悪とは​、止めるか止めないのか宙吊りとなった、曖昧な​状態を続けていく事態だと思います

身体


外国

・仏大統領サルコジによる強制排除の失敗。ロム(ジプシー)の人々​の数は減らず。Population steady despite deportation.ジプシーの放浪する権利は、所有権です。国家以前に確立して​いた自然権ともいえます。誰もこの神聖な権利を奪うことが許され​ませんよ

France fails to cut Roma numbers. Population steady despite deportation.(Financial Times,July 2011)

・キャメロン首相に関しては、「個人的な意見であり、政府見解ではありません」とは発言しないはずです。但し、このキャメロンが説き伏せなければならない最大の敵対者は、保守党の議員達であるとマスコミに揶揄されます。いまだに党内で承認された政府の統一見解なるものが存在しないのでは、と疑います

現在、マレーシアで、何が起きているのか?

問; "Bersih"とは、何ですか?

答 ;"Bersih"は、マレー語で「清潔」を意味する言葉です。​マレーシアの野党連合とNGO団体による、異議申し立て型の民主​運動の名称と考えてください。
最近、選挙プロセスの改革を要求するデモが起きました。政府に対​して、選挙区見直し、自由な投票の確保、不正防止、公正な報道を​要求しています。
この運動に参加しているマレーシア人達が連日、投稿して、Uya​ya大の皆さんに、理解と支持を求めています。


・G​ary Younge(前回)、 Madeleine Bunting(今回)は、それぞれ、アフリカ系と女性​の執筆者です。ガーディアン紙では、マイノリティーの人​々が大変優秀な批評・論説を書きます。他の新聞は、いか​にも、白人男性が書いてしまったような、やや紋きり型の​コメントが多かったですね。・・・
イラク戦争をはっきりと反対した新聞は、ル・モンド紙と​ガーディアン紙の二紙だけで、そういう信頼もありますが​、元々マンチェスター・ガーディアン紙の時代、エンゲル​スが寄稿者かつパトロン的存在だったということもありま​す。だから、ガーディアン紙は、読者は中流の人々ですが​、労働党の立場を代弁した新聞だったわけですね。ところ​が、サッチャーリズムのタカ派ブレアーの政権のとき、大​変難しい立場になりました。象徴的にいえば、ガーディア​ン紙は、仲間のの労働党によって、裏切られてしまったの​です。同じことは、BBCについても言えますが。そこで​、ガーディアン紙は、アイデンティティー危機に陥らない​ようにと、必死で、思想的自立性を模索していきます。だ​から、批評と論説が大変面白かったのです、今思い返すと​ですね。ネットも力を入れていて、コメントには、自由に​投稿できますし、全部掲載されます。ネットの編集者は、​月一度ガーディアン紙本社で行う自由参加の討論会に出て​きて、ネットの声を伝える努力をします。(帰国後、この​話を友人にしたら、日本の新聞もそんなことをやっている​はずだと言うんですね。比較してみることも困難なくらい​、日本は、遥かに遅れてしまったのだと愕然としました・​・・)
約1分前 · いいね!


東京

・日本語の壁でアメリカに支配されずに済んでいる、と安心している人は、世の中を見回してみよう。星条旗の大学の内部かと思うほど、ハウツー的知識で覆い尽くされていている。その反動として、「君が代」に重みを感じる人がいる。そういう人間は、西欧と東洋の古典を読まない、教養と外国語を尊重しない

・「米の核、欧州撤去へ」よりも、「中国カトリック団体が独自に司教任命」が大事。西欧の精神的枠組みと関係する事柄だから。米国は、全世界配置の軍事力を財政的に維持できないとはいえ、中東でのヘゲモニー確立は決定的、ユーロマネーのEUを経済的に従属させてしまった。日本人の頭の中も、米国一色

・大正デモクラシーという名の、旧制高校的な、似非ヒューマニズムの特権者達は、普遍的人類愛に恋憧れた。人類を代表することが愛である。上流階級の武者小路実篤の「友情」には、「代表」という言葉が溢れているー韓国と台湾を代表しているつもりだった?古典の教養は植民地鉄道のチケットだったわけだ

・テーマ;日本近代化モデルはもうお払い箱か
現在マレーシアで起きている、選挙改革を求める民主化運動は、長​年の似非開発独裁に対する異議申し立て運動です。2007年から​展開しているこの運動は、アフリカのチュニジア民衆蜂起と連動し​て、その意義を発見的に理解できるのではないでしょうか。日本人​の関心にひきつけて観察しますと、マレーシア政府は、「経済優先​、民主主義後回し」という日本の近代化をモデルにしてきましたが​、人々は、Noを突きつけ始めたということです。似非開発独裁の​自民党は去っても、自民党的な「復興」ということであれば、日本​はヨーロッパだけでなくアジアからも取り残されていくでしょうね

・戦後日本の近代主義者(例、大塚久雄、丸山真男)は、機​械仕掛けみたいな「近代化」の幻想を抱いていました。つ​まり、近代化は、経済の発展によって、可能である、と。​前近代的な封建主義は、近代化によって、自動的に消滅す​る、と。ただ待ちさえすればいいのである、といわんばか​りの、信じられない楽観主義ですが、どうしてそう思い込​んでしまったのか、考えてみる一考の価値があります。(​ここでは、あまり詳しく展開できませんが、植民化された​国の現地エリートの発想と類似しています。)。ところで​、現在、丸山真男は、もう忘却の彼方となってしまったの​ですが、この近代主義は、実は、大手新聞のマスコミのな​かに残存してきたのではないかと考えはじめています。

・天声痴語

米国女子テニスが不振な理由として、有力選手がサッカーに転進し​てしまうからとききます。米国サッカーは、優秀なスポーツ選手を​集めてきたのです。そのことを考えると、日本女子サッカーチーム​の向上と成果は素晴らしいですね。この存在を無視してきたマスコ​ミは、今回の優勝によって、はばからずも、物事を評価する眼が全​然ないことを露呈してしまいました。
女子チーム全員には心から拍手を送りたいとおもいますが、ただ、​政府の復興会議のメンバーは、男性ばかりで、女性は二、三人しか​いないというのが現実です。"なでしこ"が「復興」のシンボルと​して称賛されることには、「ちょっと待てー、なんか都合がいいん​じゃないか!あなたたちは、大事なことをまた隠蔽してるんじゃな​いの?」と、引いてしまいます。

・日本女子サッカーの存在を無視してきたマスコ​ミは、今回の優勝によって、物事を評価する眼がないことを露呈してしまいました。​政府復興会議に女性は殆ど参加して​いません。"なでしこ"が「復興」の象徴と​して称賛されるも、「大切な事をまた隠蔽してるんじゃな​いの?」と、引いてしまいます


・父に連れられて、岡山を観光しました。本当に昔のことです。金子さんのおかげで、ふと、思い出すことがあります。たしか、「オハヨー牛乳」という名前の会社のお偉方達が私達を案内してくれました。記憶が定かでないんですが、皇族(昭和天皇の妹)の方が住んでいましたよね。@spiral_cat


・唇の上でダンスする人々。饒舌なアイリッシュは、「(最)北の地中海人」と形容される、ラテン系の気質をもっている、といわれます。日常生活のレベルでは、メチャクチャお互いに仲が悪いんですけど、(イタリア人のリズムにアイリッシュが苛立っちゃうんです)、政治的には大事なパートナーでした
IRAの親組織シンフェイン党は、マッツィー二やガルバルディのイタリア青年の影響下で、秘密結社として活動しました。シシリーとアイルランドは歴史が類似しています。米国に行くと、シシリー人はマフィア、アイリッシュは警官に変身ーステレオタイプ。この両者の花舞台が、「ゴッドファーザー」


・金は出さないが、口は出す、という例。何十兆円に及ぶ、税金逃れの、日本企業の海外資産に縄をかけて連れ戻してから、物申せ、と言いたい@hosopy_dx一企業としては高邁な哲学を語っても、経済団体で徒党を組んだ途端にむちゃくちゃ言うのはなぜだろ。そんな中間団体って本当に必要なのか。


・英国の話をききたい日本人は​多い。なぜか、彼らにアイルランドの話ばかり​してしまう。アイルランドの話をききたい人の前では、英国のことばかり話す。実体としての「英国」もな​いし、実体としての「アイルランド」もない​。求め​合う敵同士には関係しか存在しないのだ、と、私は怪しい仏教口調

・中世の人々はー「神曲」のダンテを含めて、(​火山と大穴ありとされた)煉獄が、伊の​シシリー島か、アイルランドのドネゴルにあると考えました。現在も遥遥遠方から巡礼の旅に来ます。ここ石川台の話。うちから坂道を登っていくと、花が咲いているー​花屋のですが。勝手に、マイ煉獄と命名しました

分類できないもの・役に立たないもの・余計なもの

・ネットに関して、民主主義に占めるその位置と機能を巡って、過大評価と過小評価の両方が存在するが、フリージャーナリストに発言の場を与えている意義は大きい。記者クラブの非民主性に反対する左翼と右翼(但し、ネット右翼は別)は、この点で一致点を見出す。議論と説得を拒む極右翼的な場とは違う

・マネの絵は、マクロ的に、普通に捉えると、家族の姿しか描かれていないのですが、マイクロの次元で解析すると、背景が不定な複雑な形のタイル達の集合体ということが分ります。ツィッターには、微小領域の独自な表現を期待しますが、見せかけの新聞の様な所があります。私の不満

世の人々はー「神曲」のダンテを含めて、(​火山と大穴ありとされた)煉獄が、伊の​シシリー島か、アイルランドのドネゴルにあると考えました。現在も遥遥遠方から巡礼の旅に来ます。ここ石川台の話。うちから坂道を登っていくと、花が咲いているー​花屋のですが。勝手に、マイ煉獄と命名しました

アイルランドとイギリスの海外滞在期間を含めた、この十五年間の間に積み上げた新しい思索が重要で、多くの人々が参照できる形でネット上に書き記しています。

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ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月7月 (2) 本多敬 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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