言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月8月 本多敬

<<   作成日時 : 2011/08/01 09:54   >>

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思想・哲学

・漱石の「太平洋」は、仁斎の「道」に対応し、息苦しく閉じた知の体系性を批判する外部性。「ああ嘆かわしいかな一千五百年、十二の僧院空しくあとなし。ただ古仏の霊山に坐せらるるありて、雨蝕み苔むして幾変を経たまうも、人間浮世栄枯の事を笑まれるがごと、冷やしき眼にて太平洋を見下ろしおわす」

・八十年代以降西欧のアートはコンピューターとパフォーマンスとビデオが牽引している。表層的に形から入る日本のアーチストは、コンセプトを理解しないままだ。ポストコロニアリズムとフェミニズムと精神分析、この三つの視点​を一緒に働かせることが大事。「ロンドンの、自動筆記的な」は格好の手引き

・ジジェクは、ビデオ撮影者に対して、自分と一緒にジャンプし続けることを要求しました・笑。ラカン的な意味で、身体の動きに解決があるからです。マルクスと共に、逆立ちする必要があったと考え始めています@spiral_catヘーゲルが発明してマルクスが「ひっくり返して」終わったって理解?


『ジジェクは..置き換えられたのだと考える。政治的な闘争が人種的な闘争に。階級の拮抗が「他者(ユダヤ人)」による侵略に。階級間の敵対関係は社会に内在するものであるが、ファシズムはこの基本的な構図を隠蔽してしまう 』/「ジジェクの全体主義論」 http://goo.gl/LHBQZ
14時間前

・ベルリン壁崩壊の年、今日デモが行われた新橋で、公害企業の正面玄関に三ヶ月間座り込んだ時、青森出身の、尊敬すべき市民運動家と出会いました。五十年代に東欧とアイルランドへ行った女性。何故海外ですかときくと、生きるために必要だから、と答えました。思い出しましたよ

・思いながらー思いながらー思いながらの風呂敷。「中国」ほど、日本人にとって自分に都合よく思い描ける他者像は存在しない。元々は日本人を戒めた文だが、「政府はプロパガンダだと思いながら発表し、新聞はプロパガンダだと思いながら記事を書き、国民はプロパガンダだと思いながら新聞を読んでいる」


「空気を読む」といったら、アイルランド人ですよ。タブ​ーが多いから、あそこは。日本人以上じゃないですかね。​村八分も、半端じゃない。いつも息苦しいのです。このような「空​気を読む」人々といると、開放感が全くありません。しかし、​そういうところから、かえって、世界文学をリードする自​由な想像力が出てくるのは非常に面白いと思います。それに対して、​「空気を読まない」といったら、アメリカ人です・笑。タブー​がないですからね、かれらには。(正確に言えば、タブー​がないふりをしているだけですが)。で、この「空気を読​まない」アメリカ人といると、私は、開放感を全く感じな​いのです。それと「空気を読まない」原発推進派の都知事​です・泣。結局、残された可能性は、「空気を読み間違え​る」ことではないでしょうか。これは、どこの都市に存在​する移民の人々のことです。「空気を読みちがえる」人々​と一緒にいると、開放感があるのです。私の中で、笑うことと考え​ることが一緒に歩み出すのですー外へ連れ出してくれるのです。そこで、問題は、果た​して、twitter やfacebookといった、ネットワークが、果たして​、どれだけ移民的か、ということに尽きる、と私は思いま​す。ちなみに、この点に関して、原発というのは、「空気​を読み違う」ことを組織的に抑圧するネットワークの形の​一つであると思うことがあります。(その証拠に、原発は​、事故という避けられない必然性によって、外国人を追放​してしまいます)。twitter やfacebookのネットワークが、開放感をともなっ​て発展していく鍵は、移民的である必要があるのですが、​この大事なことを認識する前に、ドーンと3.11が来て​しまった、そんな感想をもっております。直後は、twi​tterのなかでは、推進派と反対派が半々に分かれてい​ましたが、このことは、「成熟」への一歩を感じ取りまし​た。



To begin with, nuclear power generation, a synonym of concealment, is not consistent with democracy in that is essentially embodied the disclosure of information. (Of course, atomic bomb is in contradiction to the issue of "peaceful" using of atomic energy. In any case the using of atomic energy results in atomic bomb ).
Big shame ! Some right-wing politicians are suggesting a possibility of the nuclear armament for the Japan's revival to the future. Mess!! I never agree with them. Why they can ignore the justice characteristics to "Japanese nuclear allergy" having been rooted in their historical experience of Hiroshima and Nagasaki ? If Japan accomplishes its revival under the nuclear armament, by its justice Japanese must be forever tormented in a sense of guilt ; we do not deserve to live any more !

原爆と原子力平和利用は矛盾。そもそも始めから、隠蔽を本質とす​る原発は、情報公開を本質とする民主主義とは、両立しなかったの​だ。仮に、核武装の下で復興を見事に成し遂げたとしても、日本人​は核アレルギーの正義性によって、「生きるに値しない」と罪の意​識に永遠に苦しめられることになるだろう!

・Is it impossible to have with American the recognition; the atom bombing to Hiroshima and Nagasak is against Justice ?

スピヴァーグの「アジア、他者」。


ポストコロニアリズムとフェミニズムと精神分析、この三つの視点​を一緒に働かせることが大事です。ーアカデ​ミズムだけでなく、アートの世界においてもです。スピヴァーグは、ポストコロニアリズムの論客でフェミニズム理論​家、ポスト・ガンジーの哲学者。「アジア、他者」、この本の問題提起とは・・・
「アジア」は、コンパクトに構​築された「知の体系」(「ヨーロッパ」)として存在することはなかったが​、その理由は?高度な次元での「女性的なもの」の再生は可能か?それは、「知の体系」を幻想として批判する外部の思​考たりうるか?グローバリズムと国家から自立した互酬性的​な共同体とは?


・「科学者は、皆の為に役立つと思って一生懸命取り組んだ」とする善意の思い込みは、どこから来るのか?電力会社研究者はただのサラリーマン、確かにそういう人もいたし、そうでもない人もいたと思うよ。災害研究の科学者を村八分にした者達は、自分の為に役立つものしか関心がなかったのでしょ。違う?

・米国による広島と長崎への原爆投下と、英国による南豪州への核実験(退去命令拒否の原住民達が被爆した)。両者は共に、アングロサクソン的絶滅型同化政策の、功利主義原理の、卑小なる適用事例だとしたら、怖ろしいよ!その功利主義は原発推進派の功利主義ー「役立つ」のだから「犠牲」はやむ得ないと



Martin Heidegger:

We come to know what it means to think when we ourselves try to think.
If the attempt is to be successful, we must be ready to learn thinking.
As soon as we allow ourselves to become involved in such learning,
we have admitted that we are not yet capable of thinking.
(What is called thinking?)

Owl-cato

Leaning is a sort of compact space of system( like a topological space), namely, illusion, if you like, representation.Thinking is a process that smashes illusion.Because thinking is belonging to an exterior.Earthquake break into pieces the myth about the safety of a nuclear power plant. Then exactly I call the earthquake " thinking"


補記

「原爆投下は正義に反する」補記;フクシマの問題は歴史的にとらえ​る必要を感じています。なによりもこの歴史は、自分の歴​史と交錯させることによって、非常に明確になっってくる​所があるはずだとやっと気がつき始めました。白豪主義が​終わる頃にオーストラリアで育った私の歴史のこと​です
50年代に、英国は、豪州政府の承諾を取って、南オーストラリアで核​実験を行いました。当時の豪州政府のねらいは​、砂漠からアボロジニーを立ち退かせてしまい、白人社会​に同化させていくことにありました。その結果、立ち退きを拒否​した彼らのうち、2000人以上が被爆したのです。
実​際に立ち退きの努力を十分に行ったか疑問があり​ます。イギリスの<絶滅>型同化政策という​ものと関係した、排除のシステムの展開だったと指摘する​声もあります。アメリカインデアンやアイルランドの歴史にあるように、原住民に言語・教育、宗教を禁止して絶滅させてしまうやり方です
功利主義というのは、社会ダーヴ​ィ二ムに伴なわれて、あるタイプの植民地主義の権力を形づく​るものなのです。これは、核の組織と経済的に結びつ​くことによって、人類の根源を否定してしまうことも構わない、自己完結した畏怖すべき資本の自己体系​の体制となるのではないでしょうか。
ここから、「東京​のエネルギー植民地主義」であったフクシマとの関連に​ついて考えたいのです。ちなみに、公立学校に通った7歳の私は自分を白人と思ってい​ました。アボロジニを砂漠に排した「私達白​人」はなんと罪深いかと毎日思いました。人間のアイデン​ティティーって奇妙ですね!

・敗戦後、「やはり」と語る人は少なくなかった。原発事故後「やはり」と思った人達がいた。七十年前の敗戦と比べると、現在との類似性と相違性がみえてくる。類似点は、多数派が反省するタイプの人々だったこと。但し、反省しても一部知識層は戦後沈黙を強いられたが、原発反省派は喋り続けていることだ

・煉獄は、死者の霊魂が天国に入る前に火によって罪の浄化を受ける場所。天国と地獄の間にあって、生者達の祈りが届くのだ。民衆達は、第三項であるこの煉獄の発明によって、教会の二元論(天国と地獄)を脱構築した。将来の生者達の中で、原発列島にした私達に感謝して霊魂を救う為に祈ってくれる者は?


・原発への依存が官民一体的な<政財界学>によって進められてきた以上、原発の依存からの離脱は再び、その官民一体的な<政財界学>への依存ではあり得ません。民衆の介入が要求されています。輪番停電や節約の国是的努力が自己目的化すればするほど、国民がどんどん破片の如くバラバラになっていきます

・仮に100%譲歩しても、あの人たちが努力しているのは、せいぜい、安全であることの最低限の証明だけしょ?しかし、本当は、危険でないという証明を積極的に示して欲しいのです。実際には、危険であるか危険でないかすら分らないという、非常に危険な状態を放置している現状なのではないでしょうか。

・研究者の為に書かれた、ゴダールの伝記本を読んでいますが、マップで、色々と場所を調べると、嘗て彼の住んでいた家のドアや窓の映像を拾い出すことができます。伝記というジャンルがそうですが、これじゃ、ただの探偵の仕事じゃないかと@spiral_cat小説や映画の舞台をGoogleマップで

・煉獄は、死者の霊魂が天国に入る前に火によって罪の浄化を受ける場所。ここには生者達の祈りが届く。中世の民衆は、第三項であるこの煉獄の発明によって、教会二元論(天国と地獄)を脱構築した。煉獄は、将来の世代に対する現在の生者達の責任を警鐘しているとすれば、現在の私達と深く関係した事柄だ







言葉・詩・本


・FUKUSHIMAの語は「浮くUKU」を含んでいる。シンメトリーの形だが、こうすれば対称性が破れる[UI <U]。「浮世は風波の一葉よ」(閑吟集)。主部の高く鋭い音(i)が、述部の低く鈍い音(ao)から離れて漂う。即ち、覚醒した批判精神が、大衆の側にある慣性の法則に逆らうが如くに

Wole Soyinka

・The greatest threat to freedom is the absence of criticism.

・Be ageless as dark peat, but only that rain's/ fingers, not the feet of men, may wash you over./

・The air will not deny you. Like a top/ spin you on the navel of the storm, for the hoe/ that roots the forests plows a path for squirrels.



・My Libraryと題した項目でfbの掲示板に、感化を受けた本の表紙の映像を並べている。ビザンチン、コルビジェ、ピカソ、ブランショといった本の映像と一緒に、書いた小説の断片を並べる。と、本がこちらを見つめ始めるのだー書くプロセスを。究極のフォロワーか。本が自己自身をみつめるとき

。我、汝らを接吻する。落ちこぼれの井戸に集いて大いに語れ!善男善女を嘲弄して公衆の敵であれ!汝、実用とは縁遠い最先端の数学や物理学。汝、古代から近代・現代へと変遷してきた哲学。汝、十九世紀後半以降確立した文学研究。汝、二十世紀後半に(その文学研究から)亡命してきた、呪われた文学理論

"La communauté n'est pas le lieu de la Souveraineté. Elle est ce qui expose en s'exposant. .....Elle inclut l'extériorité d'être qui l'exclut. Extériorité que la pensée ne maîtrise pas (...)"

Blanchot, La Communauté inavouable, Editions de Minuit,1983, p.25.


・トリエステは、ユダヤ人が発展させた国際都市だった。この都市の記憶は、ヴェルデイ、フロイト、イタリア未来派と交錯した歴史を証言する。二十世紀初頭に映画館が五百もあった。
(二十歳のゴダールが修行したパリには七百)。アドリア海に面したこの映像の都市から、ジョイスの多食症の文学が開花した

・文学の散歩道;Three or four families in a country Village is the very thing to work on ミクロの視点で社会を精確に​観察した、オースティンの文学の方法。イギリスが独自に生み出し発展させた、ビクトリア朝女性文学


・歴史は繰り返される?

関東大震災(1923年)から、五年後に岩波文庫が創​刊された。当時ヨーロッパの留学生だった三木清た​ちが、岩波書店にリクルートされて、岩波文庫をつくって​いく。(アメリカの背景を持っていた林辰夫も大事​な役割を果たす)。関東大震災という、未曾有の崩壊​からの再生の形の一つとして、世界文学全集と文庫ブーム​があったとかんがえることができよう。ヨーロッパと同時​代的な、国際的な前衛文化の二十年代が日本におい​て強力に展開する。「上流階級から文明を取り返せ」​という出版社の呼びかけの下に、中産階級は、コンパクト​で体系的な知ー所詮幻想だがーの消費を爆発させた。左翼の黄金時代に、「日本精神の形」が右翼から問題提起されたのである。満州事変に向かって、最悪の「復興」が夢みられていく・・・パラレルとして考えると、東北震災とフクシマの原発災害​の、五年後に、知的なレベルでいかなる再建が起きるかと​考えてみるのもよいだろう。しかし、放射能汚染は現在進行形で未解決のまま。関東大震災と比較にならない程の崩壊だ。それ故、幻想も大きいものとなるだろう



・文学であることは、曖昧であることである。ただし、この曖昧さは​、たんに明快さを否定することによって、得られるものではないと​思う。文学を書くとき、曖昧さを積極的に生産しなければならない​から。難しいのは、次の段階、即ち、ジョイスとベケットの様に、​曖昧であることの価値をみとめることである

島田 聡氏 Seven Types of Ambiguity. English critic Sir William Empson


Martin Beiwei 氏ハイゼンベルクの部分と全体では、その曖昧さこそ、真理​への手続きみたいなことを言っていたような気がします。


島田 聡氏 ハイゼンベルグ・・・名前しか知らないのですが・・・
ambiguityの曖昧って、Empsonは7種類に​分類してたりしますが、
曖昧模糊、もやもや、不明瞭=本多さんの明解さの否定
ではなくって、両義性、多義性・・・意味の二層性、多層​性、
そういうことのように思います。

ノーベル賞受賞のスピーチで大江健三郎が「あいまいな日​本のわたし」とかがタイトルだったと思うのですが、あの​曖昧も、このambiguityのあいまいの使い方だっ​た気がします。

こうやって書いてみると、ハイゼンベルグの部分と全体と​いうには、全体と部分が二層、多層になっていて、その層​をひとつひとつ読み解いていくことが、真理への手続き、​っていうことなのかも知れないですね。

Empsonの7種類の分類は、知りませんでした​から、大変勉強になります。感謝です!大江の講演は、「​曖昧なー」でしたが、本当は、「両義的ー」とすべきだと​いう有力な意見があります。(文化人類学者の山口「文化​の両義性」からの、顕著な影響がみとめられるからです。​)ハイゼンベルグの「真理の手続き」は、目からウロコで​す。彼の本を読んで、じっくりと考えなければなりません​ね。(ちなみに、私が研究している映画監督のゴダールは​、ハイゼンベルグを大変尊敬してるんですね)。実は、ロ​ンドン滞在中に、劇作家ハロルド・ピンタがノーベル賞受​賞式で、警告した話を思い出していました。ピンタ曰く、​「芸術は曖昧でなければならないが、しかし、政治は明確​である責任がある。例えば、イラクの大量殺人兵器の存在​は、嘘か、真実か、はっきりさせるべきであって、この点​にかんして、政治家は、曖昧な表現を絶対に避けなければ​ならない」。もちろん、私は、原発のことを考えています​。もっともっと多くの人々が、反原発デモに参加するため​には、デモの大義名分を絞ったほうがいいのか、それとも​、広く取らなければならないのではないか、と。中々難し​いところです。減原発、脱原発、反原発、の順番で、デモ​の大義名分は、広くなっていきますね。減原発では、あま​りに狭くて、デモが広がらないのではと心配です。

「外圧」と呼ぶのが適当かどうか分りませんが、デモ・国​民投票・マスコミなど海外からの応援がないと、中々原発​の問題は解決できないと考え始めています。年末にかけて​ですが、ひとつ、核をテーマとした小説を書くことを念頭​に置いています。不器用なものしか書けないでしょうが、​それでも、すこしでも、外へ向かって発信していくことが​大事かなー、と。


・土人(ごめんなさーい!)の迷信を分析した手法をもって​、聖書のテクスト性・はったり的物語性(失礼!)を解明​してみせたこの本には、本当に、本当に衝撃を受けました​。ご存知のように、大江のノーベル賞授賞式講演「曖昧な​日本のわたし」の「曖昧な」はambiguity、この​山口の仕事からの影響は明らかなのですが、 そうならば、ambivalenceのほうが適訳だった​とする有力な声があります。マルクス主義的弁証法的時間​発展の理論に対して、知的な決闘を申し込んだ本ともいえ​ます。Yea!



アート


・八十年代以降西欧のアートはコンピューターとパフォーマンスとビデオが牽引している。表層的に形から入る日本のアーチストは、コンセプトを理解しないままだ。ポストコロニアリズムとフェミニズムと精神分析、この三つの視点​を一緒に働かせることが大事。「ロンドンの、自動筆記的な」は格好の手引き





映画・演劇・オペラ

・ハリウッド映画より、国産の映画を見る人の数が多いのは、フランスと日本だけ。若い人達はアメリカ人の様に、字幕を読むのが嫌いなだけかもしれない。映画を読むリテラシーも低くなった。それでも、東京では、ポルトガル映画、マレーシア映画、ロシア映画を上演している。なにか無視できないものがある

・ええ、不可視の存在ですね。アイルランドのメディア研究のルーク・ギボンは、大学の授業に招待してくれたときのことをよく覚えています。ヒューストンの「ザ・デッド」(ジョイス原作)を、授業で見せるんですが、女性使用人のしゃがんで客人の靴を履かせるその姿を、なんと、ポルノグラフィーの動物の姿と比較していました。これには、本当に驚きました。保守的とされる、アカデミズムの映画研究は、かくもラディカルなのか、と。ヒューストンは左翼的な監督で、限界はありますが、かれなりに努力して、フェミニズムのメッセージを打ち出していましたが、相当に厳しい批判があります。ジョイスの小説「ザ・デッド」の冒頭は、「リリー」という女性使用人の名前からはじまる画期的な小説です。ところが、ヒューストンは、すべての存在に光をもたらすジョイスの文学の戦略を、十分に映画において実現しているだろうか、という問題提起でした。



私は、過去の日本映画は、戦争、貧困、そして家と社会の​封建性の被害者である、民衆の意識にひきずられすぎてい​ると考えていた。民衆が被害者意識を持つのは仕方がない​。作家までも持ってどうする。作家は人間が自由になる道​を探すべきではないのか。たとえ苦しくとも、たとえ傷つ​くとしても(大島渚)


I felt that Japanese films up to that point were overflown within the subjects of national suffering during the war, poverty and the feudal nature of relations within Japanese families and society.For common people, it was common to cnsider themselves as victims at that time, but I thought it was very important for the directors to avoid this line of thought. Is it not that film directors must be looking for ways towards liberation? Even if it is difficult or painful (Nagisa Oshima)

Laurent Cousin;
It s universal takashi. In each country cinema have followd the same process. It was really difficult for the directors to extract themselves from the main stream of thought. The war was such a cataclysm that all the movies were about it. After a decade some directors like oshima and godard have been the first to be able to choose another way and sometimes to show to the people that the victimisation was a subject to avoid because it could turn in a fiction. For exemple ot was taboo in france to show in movies caracters of french people as collaborationist, in the movies quite sistematicly peole were bravely fighting against nazism, the nazis were a bunch of stupid idiots etc.
Choosing another way , a real point of view on the society and people was a politic act that have permeted in france and made the fondations of the 68 mentality revolution.
Directors as oshima and godard have been the first to open the windows to make fresh air coming in.


・現代バレーのフォーサイスはイラク反戦デモを舞台化しました。ご指摘の様に、権力者に幽玄を提供することを旨とする交渉術を見事に表現していたと思います。但し幽玄は狂気でした。私達は皆怒っていますが、この狂気を身振りとジェスチャーに翻訳できていないんです。デモは、その模索です@Ao_69

・イラク反戦デモを舞台化したバレーをロンドンで感慨深くみました。息子を逮捕された、スペイン人母の失意と怒りと狂気が、フォーサイスの「幽玄」でした。大杉の小説で新聞記者と野江の会話を書きましたが、そこで「権力者に幽玄を提供することを旨とする交渉術」を表現したかったのです@Ao_69

・ジャンヌ・モローの映画をみて、ヂュラスはカブールのホテル、毎年プルーストのいた部屋に宿泊していたことを知ってそこに行きました。「花咲く乙女達」の舞台。今は、チェーン店化された普通のホテルですが、fakeの大理石の柱等、ポストモダン的な装飾は当時と同じです。冬の海鳴りは幻想的でした


外国




・アイルランド西部を舞台としたシングの戯曲「西の世界から来た色​男」。この「西」の語は、チェコ人にとって​、地理的文化的に「西欧」を表すと、チェコ語翻訳者は解説した。それならば、私達の国は東ヨーロッパに属するとアイリッシュは​気がついた。固定し​た位置は存在しない。文化的にズラせ!

・単純に見えても、周辺国の政府とメディアと民衆の関係は複雑で錯綜している。アイルランドの場合、建国の英雄達は、青から緑に塗り替えれば、敵国の憲法を盗作することができた。外国メディアの捏造したステレオタイプを利用して、プロパガンダを展開する。民衆は演劇の草の根運動によって抵抗していく

・ドリフターーズの雷様コントというのが昔あった。シャワーとフラッシュを使って地上界に嵐をもたらす鬼達は、太鼓を鳴らさない鬼(高木ブー)と口論する。これとは逆に、夏のトリエステは夜中、アドリア海の向かう側で雷が轟く。雨は降らない。ユダヤ人の伝承では、雷の轟きは、神様の足跡、性交の音

・オーストラリア英語、南アフリカ英語、マレーシア英語と、英語は多様なのだ。日本の小中学校で教えるのは、米国語、英語のヴァリエーションの一つに過ぎない。アイルランド現地校で学業優秀だった子供が、帰国先の小学校で、間違った英語の発音を喋るとして全部直された結果、英語嫌いになってしまった


オリエンタリズム」のサィードも、オースティンの大フ​ァンでした。オースティンが暮らした街は、奴隷貿易の交易港​の一つに非常に近かったそうなのですが、「奴隷」に関す​る記述が殆ど無いのは一体何故だろうかと問題提起してい​ました。(一文ぐらいしかないんですよね)。


・奴隷どころか使用人に関する記述もめちゃくち​ゃ少ないのです。貧しい貧しいと云ってますが所詮働かな​い階層。使用人は沢山居るはずなのになあ

・奴隷と使用人の記述が少ないのは、関係​がありそうですね。Three or four families in a country Village is the very thing to work on (Jane Austen, Letters)は、作家のミクロの視点で社会を精確に​観察するという方法論なのですが、そうだとしたら、取り​囲まれていた、近傍の、使用人のことを書かないというの​は、方針に合致しませんね。ところで、現在のイギリスの​ことをいうと、読書会や詩の会といった文学のサークルは​、女性達が中心に組織していて、活発に活動しています。​イギリス人の、他人に対して非常に冷たい感覚と、外国人​嫌いは、本当にまいってしまうんですが、例外的に、外国​人を平等に受け入れてくれるのは、こうした女性達のサー​クルでした。ビクトリア朝女性文学の伝統と関係している​のでは、と思っています。そういうこともあって、オース​テインのことも、私は、肯定的に擁護したいんですね

雑学的観察なんですが、使用人と建築の関係に関して、一​言。ビクトリア時代に、住居が立派になると、三階建てに​なります。地下にあった台所から、水をいれたバケツを持​って三階に行く労力を、ちょっと想像してみてください。​つまり、当時の中流の人々が、いかに、使用人に依存しな​ければならなかったか、ということが容易に分ります。バ​ージニア・ウルフの育った家なんか、大変だったはずです


「イタリア人の多くは原発の廃棄物処理問題、無きにしも非​ずの原発事故を恐れて国民投票に。これ以上の汚染を増加​しないためにも。そうでなくてもナポリのゴミ処理問題い​まだ未解決で、イヤハヤ何ともwww」

私の印象では、一​見、イタリア人は、非常に地域主義的で、シシリーの人は​シシリーの人同士、フィレンツエの人はフィレンツエの人​同士、ローマの人はローマの人同士で固まってしまい、な​んだか不思議なぐらい、バラバラの感じがしてました。が​、こういう大事なときは、イタリア人は、一緒に団結でき​るのですね、本当にうらやましいです。ご存知のように、​日本人は、色々な生活場面で、和の精神みたいな、全体の​ためなら個を犠牲にすべしですが、こんな大事なときに、​皆、バラバラです、聞くところによると、イタリアのマス​コミの腐敗が問題となっているそうですが、国民投票の必​要性を一言も言わない日本のマスコミって、存在理由があ​るのだろうかと思ってしまいます。イタリアの民衆の声を​、外圧のように報じている新聞には、心底呆れました。


子安宣邦氏


・私が考えるのは中国のチベットやウィグル問題である。これは根本的に中華帝国的な問題だと私は思っている。イギリスなどの植民地差別と同じ問題がここにはある。チベットなどで頻発する暴動は、21世紀的世界の文脈で見るべきだと思う。

・かつての20世紀帝国の植民地差別が、ポスト・コロニアル的に内部化し、21世紀的状況で暴動という形で噴出しているように思われる。歴史の皮肉だが、大戦の戦勝国側の問題である。ドイツは事情が違うというのは、その意味である。こう考えると、アジアの問題も類比的にいろいろ考えられてくる。

・私は昨夕ドイツから帰国しました。ドイツの新聞・テレビは連日トップ・ニュースとしてロンドンの暴動とその各地への飛び火を報じていました。日本の昨日・今日のメディアのどこにもそれはありません。これは驚きです。これは体系的な隠蔽です。

・ロンドンに暴動があり、中国の国内・辺境地域には絶えず暴動があり、日本にも暴動の潜在的要因は存在することを日本のメディアは真剣に見ることをしていない。逆に中国と一体化して隠している。原発の問題もそうだが、われわれは隠されていることを知らなければならない。

東京

・似非「復興」の見取り図を捏造する魔術師達ーネオリベの愛国的バランスシートのほうきがお喋りしている。「XX塾」という大河ドラマ的な幕末の幻想に、批判力は衰退してしまう。しかしその傍らで、小さな声だが、大事なことを語る声が現れ始めた。質問することの大事さ。適正な手続きを確保することだ

・新聞の中で「私の提言」が喋っている。愛国的バランスシートが喋っている。この国ほど恐怖に取り囲まれている国はないが、この言葉は隠蔽されていた。安全神話の恐怖、宣伝された外国人の恐怖、赤字に対する捏造された負い目の恐怖、これらは、国民投票、都知事リコール、国民介入で、解決できるはずだ

・五反田はサラリーマン​と風俗嬢が共存する。彼らの一致点は、愛国的バランスシートの如き、<良き>市民のラベルを演じていること。外国だと、​娼婦は、公衆の健全な感覚を嘲笑う反社会​的な存在。が、商業化と搾取の現実において、ボードレールの様にはロマンティックな「​悪の華」とはなりえない

・TOO DANGEROUS! THIS GOVERNMENT NEVER LEARN !! The governor of Hokkaido accept the commercial operation reopening of nuclear power generation

・日本の男性達へ。放射能汚染の問題は、心を静めて清らかにしても、解決しないみたいですよ。他の国の環境を考えているのか、と世界の人々の視線がめっきり厳しくなってきました。イタリアとドイツから、脱原発の行動を支持する声が届くと本当に励まされます

・キャメロン英国首相は、深まるデフレを理由に、増税を見送った。与党保守党は減税の政党だ。キャメロンは増税の選択を考える例外的存在なのだが、イギリス人の助け合い、教会中心のボランティアによって、英国復興の未来図を思い描く、保守党の理想の実現を担っている。増税で恐慌の危険アリと判断した


・日本人の助け合い精神が、増税賛成論を支えるという皮肉な現況。あたかも、このデフレの中でも大幅増税を受け入れることが、すなわち被災者と連帯し、子供の世代に対して責任ある態度を取ることであるかのように。あたかも増税反対が安易でエゴイスティックなポピュリズムであるかのように。(堀 茂樹氏 )


・市場重視のネオリベ的な考え方で、このデフレにも関わらず、大幅増税を実行すると、恐慌、歴史的な大量失業が現実化するかもしれない。そうなると、財源の健全化どころの話じゃない。政府そのものが崩壊してしまうんじゃないか。ただでさえ、原発の放射能汚染を解決できない無力ぶりを露呈しているのに

・「市場重視のネオリベ的な考え方で、・・・大幅増税を実行すると」と書いた所、ネオリベは基本的に減税ではないかと質問がきた。私の答え。ネオリベは対称性の信条に憑かれていて、財政の収支均衡はその現われだ。又、法人税引き上げの代わりに大衆課税を求めることは、彼らのイデオロギーに矛盾しない

・オフィーリアは74歳。東電が国の代理と思っていて脱原発デモに反発する。長年の連れ合いが大蔵官僚だったから、お上は正しいと考えてしまう。が、民間企業であると知ると、一転、東電と経団連の批判を口にし始めた。死んだ父に代わって、国家の、市場に対する健全な距離を語っているつもりなのかな?

・素人的観察だが、大蔵省の決定的な敗北は、政治に関わりすぎたことだ。政治家は官僚に、官僚は財界に、財界は政治家に優位を保つ三すくみ構造、似非民主的権力分立が働かなくなったことと関係している。あっぱれ!自民党代表の地位は大蔵省が分捕った。と同時に、財界の支配に入ったことを意味したのだ


・「見せる必要なーし!」と幕末大河ドラマの憂国者の口調ですよ。メディア関係者の名札を犬の首輪の様にぶら下げた連中の姿があると、彼らは手荒なことをしません。が、その名札の人達はデモの中に入って本気で撮影しないし、遠巻きにデモに沿ってぶらぶら歩く、呆れた銀ブラです

・今まで彼らの大義名分は、道交法、即ち「通行する歩行者に迷惑をかけるな!」でした。ところが今日は不満をもったデモの人に、「本当にご迷惑をかけています、ご協力を!」と言う者が現れました。一体誰が誰に迷惑をかけているのが明確に分らんが、俺達は統率するぞーの倒錯世界ですね・笑

分類できないもの、余計なもの、役に立たないもの

・小さな声だが、大切なことを語る声が現れ始めた。質問することの意義を訴えている。皆が質問できるように。仮に、それが、無駄なこと、余計なこと、分類できないことだとしても、耳を塞がないこと。「やらせメール」の様な干渉を排除する適正な手続。ここからしか、真の再生が起きないと、私は提言する


・この十年間、ヨーロッパはデモが頻発、毎週どこかで大小のデモがあります。ダブリンの反戦デモ、ロンドンでの中央銀行前の反グローバリズムのデモ。東京発の脱原発デモの意義を、ヨーロッパのと比較して位置づけると同時に、その独自性にも注目します。質問する人間の身振りとジェスチャーを喚起します。

「首相は広島原爆の平和記念式典で何を言いたかったのか。国民の心に響くものはない。」。確かにそうかもしれません。が、誰がそのことを伝えているかということに関しても私達は無関心ではいられません。反原発デモを無視してきた新聞。脱原発に取り組む政府と国民の直接的対話を妨害していませんか?

・ファイマン経路積分は物理数学の記述であるから、文化の次元に適用できる性質の言語と考えることはできません。しかし、私のなかでは、詩的なメタファーとして変容して、街頭の自分を支えてくれるます。大きな波は互いにキャンセルし合う結果、何も残らないのです。長く持続できるのは、本当に小さな波ー小さな声たちだけ

穏やかで、か細いけれど/ だいそれたことを囁いている/ 大切な、びっくりするぐらい深く正しいことが語られる/ 穏やかで、か細い声・雷の轟き/ 駒鳥の声のなかに/笛の音の細部のなかに/絶対の現われをみる/穢れのない弱さ/満面の陽光/微かな笑みが仄めかす/おお、微かな声よ/囁きの如きのもの/ 限りなく澄んだ言葉に誘われて


役に立たないもの・無用なもの・分類できないもの

公正な選挙を求める中国系マレーシア人Leeさんと最近、facebook上で友達となった。私のネット友達であった別のLeeさんは、この彼を見つけて、友達申請した。この中国系インドネシア人Leeさんの方は、政府による映画検閲の批判者で、私のネット小説・英訳を読んでいた。縁のネット世界

タブロイド的思考と言うのですか。タイムズ紙は古臭く凝った文体で書く「大衆紙でよくありがちな単純化された物の見方」の典型でした・苦笑。ロンドン暴動の件で略奪に反射的に怖がるだけで、全体の状況を調べて考えようとしない日本人が多いのですね。まさしくタブロイド的思考

・九月に入ったら小説大杉栄の英訳を二週間で;IMAGES OF A JAPANESE ANARCHIST。九月後半に、マルクス・サルトル・大杉の小説三点の英訳を推敲すること。十月から、フクシマをテーマとした作品に取り組もうー今後、日本に対する国際世論が厳しくなる。孤立してはならない

・フランスでサルトルが復活しているらしいが、イギリスにおいても「奇妙な戦中日記」の翻訳がでた。「サルトルを書くこと」"Writing Sartre"の連載を開始しようと思うー少しずつtwitterで。同時に、facebookの掲示板で英訳を行うつもりー


工学者に積極的に発言していただきたいものですね。ところで、エコノミストが影響力をもって発言してきたこと、現在も発言していることに、疑問を呈する意見が結構ありますーツイッターの場でですが。思い返すと、工学部の学生は、日本語を教えると非常に面白かったです。日本語の場合教えられない部分というのが結構あって、そういうところはあえて教えず、ウィットゲンシュタイン風に学生達の理解の仕方を観察していると、自分なりのシステムを構築して解決していこうとします。それが、なかなか見事なのです。他方、それと比べて、私の知っている、商学部の学生はそういう能力があまりないんですね。多くの場合、確立した物差しを求めて頭をあまり動かそうとしないのです。ただ、商学部の学生は、言葉のセンスは比較的あるので、日常言語を教えやすいところもあるのですが、日本語のような未知な言語にルーチンワーク的なマニュアルを求めてしまう安易さに向かっていきます。工学部の学生と違って、応用する力も意欲もがないという印象を持ちました。ところで、経済学は、物理学、そして数学をモデルとして発展してきましたから、すくなくとも、日本でエコノミストを自称してきた人達は、社会のエンジニアのような自覚があったことは面白い思います。しかし、現在、マスコミの中でエコノミストとしてしゃべっているのは、株や保険の研究者たちのようです。ただ、かれらも自覚があるはずで、エコノミストとは決して名乗らないでしょうが、最近は、商学部出身の会計士程度の人間が、エコノミストと名乗って、原発の安全性について発言しているようです。特に、ヤバイな思うのは、国家官僚たちが、恐慌論というマル経的な視点を完全に欠如させたところで、TPPを論じているということがあります。彼らは、エコノミストではなく、会計士的なものを重んじ始めたということでしょうかーよく分りませんが、アメリカのアカデミズムの影響もあるのでしょう。それなりの理由はあるはずでしょうが。ちなみに、イギリスでは、会計士のイメージは、社会の時計なんですね。多分、普通の人達が皆、相当に、商業会計の知識を持っているということもあって、日本のように特別視されることはおきません。結論がない話で失礼しました

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ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月8月 本多敬 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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