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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月8月(後期) 本多敬

<<   作成日時 : 2011/08/22 23:51   >>

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思想・哲学

All of history has shown that each time an event has been produced, for example in philosophy or in poetry, it took the form of the unacceptable, or even of the intolerable, of the incomprehensible, that is, of a certain monstrosity.Texts and discourses that provoke at the outset reactions of rejection, that are denounced precisely as anomalies、or monstrosities are often texts that, before being in turn appropriated, assimilated, acculturated, transform the nature of the field of reception, transform the nature of social and cultural experience, historical experience.  Jacques Derrida


・イラク爆撃に抗議したダブリンの反戦運動、ロンドンG20開催に反対したアンチグロバリズムの運動、東京発反原発デモは、それぞれ、<器官なき身体>における政治的側面を表現していた。理性の能力を占拠した想像力の侵犯、媒介なき群集と拡散のプロセスの顕現、全体性なき想像力のノイズ的行進である

・独身機械の散歩、少女や植物に成ること、過程そのもの、位相的多数多様体に成ること。このドゥルーズ<器官なき身体>に於いて欠くことができない部分は、カントの実践理性批判と結びついたミクロポリテックスの実践だろう。全体性なき想像力、その想像力を模倣する理性の能力、表象的媒介なき群集の力

・ヒルベルトは言った。「点、線、面」ではなく、机、椅子、ビアマグで言い換えても、幾何学はできるのだね」。点、線、面から、その「本来」の実体を剥ぎ取り、それらの関係性を規定する体系として把握できるからだ。そうだ、映画も同様だ。役者とスクリーンとパンの代わりに、鳥と枯葉と散歩さえあれば・・・

・ヒルベルト計画は、数学における合理性を究極の形で確立するという、顕著な西欧的な目的を担っていた。西欧の「復興」である。ゲーデルは、このヒルベルトの間違いを、本来、超越的な「信念」でしか正当化されない無限の世界を、正反対の有限的な方法により正当化した「奇妙な雌雄共同体」と揶揄した。失敗する運命しかないと。

・数学における合理性を究極の形で確立するヒルベルト計画は、間違っていなかったと思う。実定性の領域にも、超越性の領域にも還元され得ない、合理性の領域が存在するからだ。但し、この合理性は人間の主体性と関係した合理性のことである。この合理性にとって、西欧の「復興」は、大いなる幻想でしかない。肝心なのは、人間の再建なのだ。このことは、3・11以降、痛感している。

・探求すべきは、数学によって根拠を与える限界を越えた、ある種の物理的活動の可能性についてである。物理的構造に還元されない、精神の領域が存在する、ということは明らかだ。また、真実であるにもかかわらず、理性や推論によって根拠づけることが不可能な、数学的主張が存在する、ということも事実だ

・英国といえば、知性主義の、良きアマチュアリズムの伝統。現在そのシンボル的存在の一人は、ペンローズPENROSE 。実際は大学の専門家だったが。この国の知識人の九割が無神論者。神は存在するとも、存在しないともいえないのだから、語るべからず、と傍観者的・笑。ペンローズは勿論、無神論者

・反省的規定性である、判断力とは、全体性と関係した芸術的思惟をいう。この判断力こそ、「再生可能エネルギー」だと思う。<「再生可能エネルギー」"les énergies renouvelables" は、社会からつま弾きにされてしまった若者たちの暗渠(あんきょ)に、膨大に眠っている>

・ゲーデル不完全性第一定理は、敢えて言えば、構成的な客観的合目的性で、認識における立法的な本質を言い表している。第二定理は、司法的で解釈的な主観的合目的性ゆえに、判断のこと。無矛盾である限り矛盾は証明できないと、つまり、完全な計画など存在せずと解釈できる。安全であり安全ではないのだ

・第二定理は、無矛盾である限り矛盾は形式証明できないという。これは、完全な計画など存在せずと解釈しよう。安全であり安全ではないと。つまり、自己完結した論理の体系は、内部の幻想に過ぎないことを教えてくれる。外部の思考の領域を生きることー無根拠ゆえに可能となる、主体的な実践理性によって

・「ゴドーを待ちながら」の解釈に関して、<意味なき世界>を生きることの意義を説いたとするのが定説だが、疑問はある。そこまで<意味>を否定してしまうと、<無意味>すら成り立たなくなるから。ベケットは<意味ある世界>を待ったかもしれない。原発とともに、<意味なき世界>を生きる理由がない

Epouserlanotion Epouserlanotion
ドゥルーズ『襞』第3章でマラルメに関して特に論じられるのは、詩人の2篇の韻文詩における「扇」という事物の開閉運動とその襞との関係である。さらにこの関係性が、書物の頁の開閉運動とその頁の折り目の関係性へと展開される。それがライプニッツと対比されながら論じられるので極めて興味深い。
 ただし、マラルメにおける「襞」の主題を網羅的に調べ上げ、それを他の主題系との関係を考察しながら体系化して論じたのはやはりJ.-P.リシャールが最初です。リシャールとの違いは、ドゥルーズがマラルメの「襞」を、「バロック」概念との関係から論じている点だと思います。


・脱(反)原発派のデモ、新聞、(ツィッターも一応、マジョリティーが脱(反)原発派に属するとは思うけど?)は、方針を反省すべき段階だ。一番危険な六ヶ所村、北海道の原発すら止められなかった。次の原発の製造、原発輸出もストップできない。しかし脱(反)原発は敗北していないとしたら、なぜか?

・原発推進派は、隠しているものはなにもないと考えているし、原発を「安全」と思っている。そこで、だ。危険な原発を止め、安全な原発だけを稼動させて、エネルギー体制を再構築せよ、と説得できるだろうか?無駄だ。彼らにとって全部が安全な原発なのだから。自分達こそ真の脱(反)原発派と開き直るよ

・日本の知識層は安泰に「遅れ」るだけー原発依存のテクストを脱構築せず。原発依存のテクストとはなにか?それは、「安全か」、「安全でない」の二項対立のこと。覚醒した脱原発派ですら、この二項対立に組み込まれてしまっている。「止めろ」と、ズラすべきなのにー脱構築は本来的に政治的な事柄なのだ



言葉・詩・本


Beardslie Beardsley's Rose
、一望監視方式: Panopticon- Kilmainham Gaol in Dublin (キルメイナム刑務所)のことをおっしゃているのですね。1916年イースター蜂起の指導者が処刑された場所が外部にあり、Crossがつけられていて言葉にならないです。

・海外在住者によくある愛国者の現象。幸徳秋水が指摘していた通り、やはり苦労が多いからだろう。苦労は<故郷>すら捏造してしまう。適応を迫られた中流の人々の一種の昇華で、異文化に対する直接的な反発を隠蔽した努力ともいえる。他方、異文化の保守的な核に接近していく金持ちほど、非人間的になる

・GWF_Hegel_
円周は無限に多くの無限小の直線からなりたっていると考えられなければならないと言われている。ここでは従って悟性が全く異なったものと考えている「直線」と「曲線」が、はっきり同一のものとして定立されている。カントに言う「超越的なもの」とはこうした悟性を超越しているという意味だ。


・十六年前に海外に出るとき、本を詰めた段ボール二十箱を持って行った。お金もなくなるだろうと思って、想像では、本の塊=棺桶。二年前の帰国時に30箱以上になっていた。半分が入れかわった。捨てなかったゲーデル論文集は先日開いたら原文の記述が理解できた!本が感謝のwinkを送ってくれたか?



・Il n'est pas donné à chacun de prendre un bain de multitude;jouir de la foule est un art 群集の中に浴みすることは、誰にでも許されたことではない。群がる人々を楽しむことは、ある種の術なのだ B


・算数の時間;5+1=0 、と、原発推進派五人に、別の原発推進派を加えても、特別に役に立つことが起きるわけではない。小泉の若返であるこの塾生。この国をはやく<再生>したいと願う民衆の焦りにつけこんで、TPP銘柄<復興>の紙幣を乱発すること必至なり。アメリカを親分にするのはもう沢山だ


・和歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなりける。夫和歌者、託其根於心地、発其華於詞林者(それ、和歌は、その根を心地に託け  その花を詞林に発くものなり)。ハムステッドの林でそういう心境となった。地を覆う枯葉達の下に、古代ケルトの祭壇があったり、オフィーリアの腐った死体があったり


指揮者Pierre-André Valade氏による詩の解説を聞きました。Trois improvisations sur Mallarmé from Pli selon pliです。i とeの韻の繰り返しのうちに鋭い感覚に誘われると興奮してました

純潔に、生気あふれ、美しい今日は・酔い痴れた翼の一撃で打ち砕いてくれるだろうか・逃げ出ることなかった飛翔の透明な氷河が・霧氷の下に憑きまとっているこの忘れられた堅い湖を!ブーレーズは、このマラルメの詞を使って作曲しました。2004年ダブリンで

Danielle Bourdages

「Autrement, il m'a énormément plu de plonger dans son univers ces derniers temps. Sur youtube ou sur support DVD. Ce que j'ai fait encore amochée, je souhaite le refaire de manière concentrée à l'avenir. Mon ami Takashi Honda planche régulièrement sur l'œuvre de Godard et pratique de beaux biais d'entrée sur son monde, et en tire de belles tangentes également.」


アート



Epouserlanotion Epouserlanotion

マネ「フォリー・ベルジェールの酒場」の方はロンドンのコートールド美術館まで見にいきましたが、「侍女たち」は未見です。実際に「侍女たち」をご覧になられたとは羨ましい限りです。やはり絵画は実物を見て、キャンバスの大きさ、縦横の比率、色彩を見ないと語れませんんね。

(印刷された絵の写真だと縦横の正確な比率が分らなくなりますが、実物を見て、思っていた以上に闇が覆っていて、下にいる?人物達を支配していました。étincelerという動詞は、こういう輝きをいうんだろうと思いました。画家が思っていたより、大きかったです)


映画・演劇

・万葉集の素朴な視覚的リアリズムではなく、新古今和歌調のシンボリズムと引用のうちに過剰に折り重ねられた内省ともいえない。八十年代以降支配的となる、ゴダール映画の、顕著な擬人法的修辞は、古今調に通じる。映画の擬人化。視覚的人間が抱擁するスクリーン=死者の衣装、詩人が通る枯葉の道=棺桶

・「私は仏にすんでいるのではなく、仏が私の中にすんでいる」。このドゴールの言葉は、(反ドゴール世代の)ゴダールによって、グローバリズムに対する闘いの言葉として召還された。世界=映画の体系を再構築する一方で、この体系の内部で、ブルジョアの世界の創造者としての夢を解体・崩壊させていく!

・一人芝居「ゴドーに待たれながら」とは中々妙案。「ゴドー」はウラジミルとエストラゴンの二人が中心の芝居だが、日本の演出家たちは、この人数をどんどん増やしていった。会社の社員達が全員で、「ゴドー」を待つ演出も出てきた。演劇研究家はこの現象を、日本に於ける「ゴドー」のリアリズム化と呼ぶ

・演劇において中心的役割が与えられるのは<声を発する>人間。この演劇と違って、サイレント映画というのは、事物が平等に喋る空間の芸術なのだー映像のエクリチュールによって。人間は王の如き特別な地位が剥奪され、バロック的な煌く光の束の奥に置かれる。フラクタル幾何学はその先験的形式化だった


身体・自然


・Spiral cato旧約の「イサクの燔祭」読解による宗教論ですが、デリダの胸の内にあるのは臓器移植、自爆テロです。[自らに死を与えること他者のために死ぬこととの関係は、犠牲と自殺と贈与の経済の関係はどのようなものだろうか」


外国


・思い出したのは、内戦で国を出たアルジェリア人と、イスラエル人の友達。アブラハムに関しては異論はないんですが。無神論とはいえ、カトリック文化を背景としたジョイス、自身をアラブ人の父祖、長子相続権なき放浪者として措定しました、デリダのFW解読と関係あるようです

・三年前のG20反対のデモでは、ロンドンのシティーの中央銀行前広場で四千人が抗議しました。万の数の警察官が八時間包囲してきましたが、その間、挑発に乗らないため冷静になるべく、道に絵を書く人、詩を朗読する人、寸劇する人が大勢いました@xyzqa私だったら落書きしてるな。ポエム書いたり

・ブレアー労働党のもとで、テロ容疑者に対して、裁判なき追放刑の適用を可能にする法律が通りました。多文化主義を守る口実として、中世の拷問が復活したのですよ!現在のアラブ系住民は、人権保障を求めるようになりました@spiral_catテロ対策の口実で、警察の目が市民生活に深く侵入した

・それ以前に遡る話です。監視カメラはブレアの変質的な眼差しを思い出して不快極まりない。多文化主義を導入する代償として、移民を監視してるのですよ@spiral_cat @xyzqa2005年のテロを発端にした自己免疫というだけじゃないんですね。

・ロンドンの至る所に監視カメラがあります。誰でも一日に70回以上カメラに記録されるとのことでした。ブレアー時代に電機メーカーのロビイストが政府と警察に売り込みました。街灯で明るくした方が、安いコストで、犯罪予防に遥かに役立つと人権団体は指摘します


・xyzqaさんに同意いたします。子安先生のご懸念も分ります。アイルランドの事例ですと、嘗てIDA(政府機関)が「ケルト」としてのアイルランドのイメージを打ち出した結果、ツーリズムとナショナリズムが結びつきました。移民・難民に対する排除を掻き立てると心配する声があります

・メディア研究のギボンの話では、1970年以前にアイルランド人はヨーロッパ人としての自覚が無く、ケルトという言葉も聞いた事がないのが普通でした。50年代に韓国と同一視した者や、アフリカに文化の起源を求める芸術家達がいますが、国策として捏造されたケルト単一起源に反発します

東京


・安全神話は、3・11前よりも、深まっているじゃないか!?と、このふくろねこの疑問をルモンド紙・8月が代弁してくれた。->怠慢な体制は、政府、電力会社、原発製造メーカー、「専門家」たちの「安全です」という声を伝達する巨大メディアたち―「原発ムラ」―が共謀し作り出す混沌の中で溶解する

ルモンド紙より;福島原発事故発生から5ヶ月が経っても、今だに事故を起こした原発が制御されたというには程遠い状況にある。こうした状況で、人々は事故の予防に向けた準備の不足、事実の隠蔽、書類の改ざん、嘘、そして世論の操作、・・・全て混ぜこぜになった大惨事の責任者を探している
「チェルノブイリ程ではないけれど、誰も責任を認めない。」 大江健三郎は言う。どうして責任を認めようか。怠慢な体制は、政府、電力会社、原発製造メーカー、「専門家」たちの「安全です」という声を伝達する巨大メディアたち―「原発ムラ」―が共謀し作り出す混沌の中で溶解する



・幼稚な似非愛国者達が外国人嫌いをアピールするのは、現在のバラバラ状態を敏感に感じているからだが、しかし、他との文化の接触によって豊かになる文化の可能性を拒絶してしまったら、一体なにが起きるのか。未来には、偽の文化概念に縛られた、生存手段にしがみつく惨めな日本人の姿しかないだろうよ


・危険な原発を止めるか止めないのか?この長期的な視点を宙吊りにしたままの、ゲットー的な輪番節電や、<欲しがりません、勝つまでは>的一億総節電の結果、私達は益々破片の如くバラバラになってきた。幼稚な似非愛国者達が外国人嫌いをアピールするのは、このバラバラを敏感に感じているからだろうね

・日本の孤立化が進行している。脱原発の世界的な傾向に背を向けた政財界と、知識層の遅れのことだけではない。日本だけがドル安を問題視しているのだ。米国経済の低調ぶりに懸念を示しても、ドル安を問題視する国は他に存在しない。バブルの時でも新聞は、円高に苦しむ留学生の生活を心配したものだがね


・なんだ、朝日新聞一面のこの一覧表は・・・O、X、△ちゅうのは?すし屋のテーブルの端にある、お客様用ご注文カードみたいじゃないか。それにしても、この△は一体どういう意味なのかーわさび抜きということか?マスコミは、民主主義の学校でしょ?すし屋じゃないよ。権力監視の役割を自覚しておくれ

・「管首相、原発ロビーの反対で自らの方針を貫けず」仏メディア、浜岡原発停止と脱原発社会への足がかりを築いた首相を評価(ルモンド紙)。少なくとも、在任中脱原発デモを強権的に妨害しなかったことだけは確かだ。この原発推進派五人組の誰が首相になっても、街頭での抗議行動を弾圧してくるだろうね


xyzqa いろはに
子供の発育や国の土壌が健やかであることを願う人たちがどう考えても必要以上に監視されている現実に違和感が拭い去れなかった。聳え立つ都庁があまりにも対照的で、『アドルフに告ぐ』の特高によるアカ狩りや小林多喜二を思った。「マンガみたい」と茫然。世界の裏事情をまざまざと見せられた心地。

全く同感です。子供の命を守れ!と、これが主たる要求ですからね。@xyzqa子供の発育や国の土壌が健やかであることを願う人たちがどう考えても必要以上に監視されている現実に違和感が拭い去れなかった。聳え立つ都庁があまりにも対照的で、

労働組合や政党に動員された人々もいますが、脱(反)原発デモ参加者の多数は個人の意思で来た人々です。「主催者との取り決め通り列で行進せよ!」と警察が命令しても、人々を拘束できません。警察はどうしていいのか分らない様子、公安も仕事のふりでしょ・笑


・東京新聞は全員を原発推進派と看做してます。この国の人々は、責任者出てこーい、と、犯人探しに夢中のあまり、「止める」という政治的な決定に関わることを真剣に考えません。自分の国から出た放射能物質が、地球の隅々までどの国をも汚染してしまうのに


・なんとかという名の人が逆転勝ちと夕刊に書いてあった。すし屋のお客様用ご注文カードと揶揄した昨日の一覧表が、役に立つかもしれない、と、読み直してみるが、やはり実体がよく分らない。X△O△XOに逆転したOOO△△△が、首相になるのかね。原発推進派と原発推進派の対決しか選択がないのかよ

・ホホー、昨日の朝日新聞の一覧表と同じものが、今日の日経新聞にそのままのってるニャ。政治家の名前と項目に関して、縦横が横縦になっているだけ。行列変換か・笑。OOO△△△が、X△O△XOに、逆転勝ち、とある。でもさ、こんなに各新聞の間に違いがないと、OXXO新聞やX△X新聞みたいよ


The Guardian; Noda, the son of a member of Japan's self-defence forces, is critical of China's military buildup and has argued that Japanese wartime leaders convicted by the allies after the second world war should no longer be regarded as war criminals.

BBC news "Unlike Mr Kan, the new PM "Noda" wants Japan's halted nuclear reactors to be restarted and has not backed his call for a nuclear-free Japan."


The worst !The new Japanese PM "Noda" is shamelessly admiring class-A war criminals, and is severely condemned as the extreme right wing by the Korean media.The nationalist like this,tacitly supported by financial circles,has territorial ambition.They conceal the greed of own in the inside, and turn the minority groups into scapegoat. Spinoza says ; goodness is goodness not because it is right, but simply because one wishes it.How can they put the mask of "goodness" at the expense of the Others?



・議院内閣制と大統領制、どちらが民意をより反映できるかという議論は、補い合っている機能を見落としてしまう。日本の議院内閣制をみると、大統領制的な働き方をしていると思う。低い支持率の理由で首相の交代が起きることは、本家の英国ではあり得ない。居座った任期中の首相は絶対に辞めさせられない



分類できないもの・無用なもの・役に立たないもの



・日本人が退屈に思う映像は、海外の人々も退屈に感じるでしょうー同じ人間ですから。アメリカや中国のお偉方、あるいは、海外で一定の評価を得たMr.Kanと一緒に写ってる写真ならともかく、野田さんの単独の写真はありえないんじゃないでしょうかねー見ないと分りませんが。そもそも、日本の首相選出という話がローカルな話題でしかありませんー海外の相撲ファンとかを除いて・笑。それから、日本の新聞メディアは存在感ゼロなんで、韓国メディアのほうが「極右翼の首相」と騒ぐと、ファイナンシャルタイムズをはじめ海外メデイアは取り上げますね。余計なことかもしれませんが、天皇の国ジャパンにも憲法や多数決というものがあるのですかとびっくりしてしまうのが海外のマジョリティーですので、この海外の日本人に対する無関心と無理解のほうをよほど心配したほうがいいとおもうのです



・「善」とは、正しいから善なのではなく、欲望されるから善である、というスピノザの見解に私は従います。そうである限り、「悪」と本質は同じー欲望先ありきだから。ただ今日、極右翼的な善人は、自身の欲望を内側のなかに隠蔽するだけでなく、「他」をスケープゴートにして益々薄汚く汚れてきています

・アルジェリア独立後に起きた内戦から逃れて来たアラブ人に手伝ってもらい、好きな言葉を書いてもらいました。「現在私はtakashiとコーヒーを飲んでいる」。一見ひらがなの様な?円弧の図形はアラブ的なもの、カタカナに似た?台形の線形的な図形はユダヤ的なものを、表します





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