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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月9月(後半) 本多敬

<<   作成日時 : 2011/09/26 18:40   >>

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・床屋でみえてくる国民性(ダブリン編);唇の上でダンスを踊るアイリッシュ。「どーするのさ?」とぶっきらぼう。隣人とのお喋りに忙しく客を見る暇もない。「きょうは。。」と答え終わる前に,バリカンの無意志的直進、首の上がサッカーボールに変身。不意に現れた坊主の姿を迷信深い眼差しで見ている

・ドゥルーズさんにきけ!An ontological interdependency of substance(実体の存在論的独立性)にかんして、スピノザは、∞/1(無限大としての自然)ー>1 /∞(無限小としての神)と考えることによって、ベケット的な「私」を表現したのでしょ!?
他方、plis selon pli(折り畳まれ折り広げられてゆく多様性)に関して、ライプニッツは、1 /∞(無限小)ー>∞/1(無限大)ー>1 /∞と考えて、ジョイス的な「世界」を展開させた。こうして、このスピノザとライプニッツは、デカルト的人間中心主義「私は世界である」を脱構築したw

・マルクスの亡霊;わが「資本論」を誰も理解しておらん!古典経済学者の如く、1 /n(貨幣)ー>n/1(商品世界)ー>1 /n(貨幣)、と考えてはならん!∞を導入せよ。1 /∞(無限小)ー>∞/1(無限大)ー>1 /∞(無限小)と考えよ。搾取率も∞(無限大)ということが起こり得るぞ!


・嘗て映画館に足を運んだ、意識ある若い人々は現在、現代アートへ行く。若者が高齢者と外国人と一緒に場を共有することが民主主義の指標ならば(?)、ロンドンのテートモダンのほうが、五万人集会のデモよりも、よほど民主的である。ルーブルみたいなX線検査をしないーロンドンの人々の意気地なのだ

・外国に行くと、資本主義の有り難い?民主主義的性質を知るー平等に扱ってくれる場所は土産店やレストランぐらいしかないから・笑。しかし無料で皆が入場できる美術館の方が民主的だ。ただ芸術鑑賞にはリテラシーが要求される。その点、知識層に劣らず、知識のない人々が活躍するデモが一番民主的だろう

・外国人を平等に扱うレストランやコンビ二、即ち資本主義は、感性の領域に対応する。仮にそうならば、皆が無料で入場する美術館、即ち公共空間は、悟性の領域に対応する。知識層に劣らず、知識のない人々が参加し活躍するデモは、知識から独立した理性の領域といえよう。つまり存在としての意識の領域だ

・「三十年代以降、世界的不況、ナチズムの到来、シナ事変、スペイン戦争が、我々の眼を開いていった。大地が我々の足元から崩れてゆくように思われた」とサルトルは書いた。私の崩壊の感覚は東北震災や原発災害ではなかった。崩壊は、反原発デモを、三ヶ月間平然と無視し続けた新聞への絶望から来たのだ


・What is the Supreme Principle of Morality?
Is it really hopless if we don't work on the politician? It is hypothetical imperatives, a logic of money that dominates a capitalism of nuclear power generation ;if you want X, then do Y. Attention! Our practical reason is totally a different thing.
It is categorical imperatives; do the right thing ! That is Justice.

・政治家に働きかけないと効果が無いか?それは結果を追うカネの法則で、原発と同じ法則。私達の実践理性は全く別のもの。正しいことを行え!

・「三十年代以降、世界不況、ナチズムの到来、シナ事変、スペイン戦争が、我々の眼を開いていった。大地が我々の足元から崩れてゆくように思われた」と、サルトルは39年に書き記した。この崩壊感は、<意識>に於いて持続する私の<存在>によって、再生する。無から意識、存在へと思考の構築が始まる

In any case, a slow process was under way in me , which made me sense my consciousness as being all the more free and absolute, the more my life became committed, contingent and enslaved ; to the point of finally showing me my present life, to which I was so attached, which I had takenas my very being, as one experience among others- supported, maintained and superseded by my consciousness, (Sartre, War Diary 1939)

・英国議会は特権的大学の平民出身の優秀な法律学徒をリクルートする。準貴族の身分を取得させ最高裁判事にする。非民主的存在と世間から野次られても、政府に媚びない良心的判決を出す。魂は売らない。安全神話の判決で原発メーカーに天下りする事はあり得えない。わが国の名誉職西欧鬘倶楽部は恥を知れ

・<フクシマ>と<福島>の分裂。<フクシマ>の外圧なくして<福島>だけで闘いきれない。が、この<フクシマ>は<福島>の人々に役に立っているのか?<福島>の人々なき<フクシマ>は不可能。この政治的な問いは古代から繰り返されて来た?漢字とカタカナとひらがな、三ヶ国語が存在してきた理由か

・自由というのは義務なんだな。不幸な意識に苛まれて、その義務は恥ずかしいほど無意味に孤立し断片的で。カントが言うような崇高感といったコンパクトな体系に遭遇するわけじゃない。意志も能力も無い。自由は本来存在しない。唯一持続して支えられているものは意識しかない。

・「国富論」を読むと、英国の裁判官達がある時期、自活的なフリーマケットの競争者だったという記述があります。良い判決を出す裁判官のもとに訴訟が持ち込まれました。そこから収入を得た裁判官達は知恵を出したとのこと。偽の権威だけ、日本の最高裁裁判官達は。知恵は無いし論理が幼稚、説得力はゼロ

・カントの実践理性は三つの要素から成り立ち、その各々が同一の実体(自由)を表現している。即ち、(1)正しいことを行え(特定の誰かの為ではなく、人類の為に)(2)損得を勘定して欲求に振り回されるな(3)他者を手段とせず、尊重して目的にせよ。つまり、抵抗としての反原発、反TPP、反基地

・自由というのは義務なんだな。不幸な意識に苛まれてだ。(1)正しいことを行え!特定の誰かの為ではなく人類の為に。東京発の反原発運動。(2)損得勘定で欲求に従うな!ロンドンでの反G20・反グローバリズム運動(3)他者を手段とせず目的とせよ!ダブリンでの反戦運動ー米国のイラク爆撃に抗議

・CAN YOU BE A GOOD PERSON IF YOU DON'T PARTICIPATE IN POLITICS ?とアリストテレス風に問題提起したら、「まるでオカルト」と蔑む人あり。誤解は誤解。が、偶然にマルクス的批判となっている・笑。もっとラディカル社会的相互作用を

・「スイス=イスラエル」と発言したゴダール。スイス(彼の母国)のアイデンティティー不足をついた問題提起だった。北アイルランド住民が母国の内部で外国人の如く歩かねばならない現実に気づいたように、日本人は外国人たる自身の姿を直視する日はいつだろうかー何故ここはアメリカに属しているのかと

・人口統計学者トッド氏は家族の形と価値観の先験的結合を分析する。アイルランドの政治に言及すると、典型的イギリス人の見方になってしまうとはいえ、用意周到な方法論に基づく、体系性のある文化遺産的ヴィジオンを覆すものではないだろう。トッド氏の本は参考書。アイルランドのことを勉強しなおそう

・ドゥルーズ「ミル・プラトー」は、カント「実践理性批判」の注釈と考えたらどうだろうか。例えば、「特定の人々の為ではなく人類の為に、正しきを行え」は、こう翻訳できようー特定の民族語ではなく、種々雑多を使って文学を書け、だ。「他者を手段とせず目的とせよ」は、芸術は即ちプロセス、のことだ。
「功利的な欲求に喋らせるな」。この自己立法の倫理性も美学的判断の政治性に変換すべき。チョムスキー生成文法とゲーデル=チューリングの超数学、ジョイスFWとゴダール映画、勿論、複素積分の軌跡を知る必要は無い。この都市は私達の都市ではないと叫び、写真と地図と詩のデモを生産すればいい

<フクシマ>と<福島>の分裂。<フクシマ>の外圧なくして<福島>だけで闘いきれない。が、この<フクシマ>は<福島>の人々に役に立っているのか?<福島>の人々なき<フクシマ>は不可能。この問いは古代から繰り返されて来た?漢字とカタカナとひらがな、三ヶ国語を存在させてきた政治的意識?

Impossible de ne pas penser à l'aataque allemande qui a sans doute lieu en ce moment. Je me sens lié à ce monde qu'on veut détruire. je réalise que je lui appartiens. Impossible de ne pas sentir ses attaches.Ce monde qu'on détruit, ce monde de la paix, c'est en lui que j'étais homme, chaque destruction partielle est un peu ma destruction. (Sartre, 1939)


‎"I feel myself tied to this world which they want to destroy.I realize I belong to it. Impoosible not to feel one's attachments.This world being destroyed, this world of peace, this is where I was a man; each partial destruction is to a degree my destruction" (Sartre, 1939)

That authenticity is torn off from words like this ! The world is neither "フクシマ"(the katakana syllabary, meaning Fukushima), nor "福島" (the kanji,a chinese ideograph, meaning Fukushima).
But the world is my FUKUSHIMA. A voice crying for help , or a refuge hoping to regenerate world ?

これほどまでに、言葉から真実性が剥がされてゆくとは!世界はフクシマでも福島でもない。世界は私のFUKUSHIMA。それは世界へ向けて発した救いを求める声?世界を再生したいとする避難所?


「明日は不眠のまま労働にでかける/ぼくはぼくのこころがいないあいだに世界のほうぼうで起ることがゆるせないのだ/だから夜はほとんど眠らない 眠るものたちは赦すものたちだ」
(吉本隆明詩集より「廃人の歌」)

・海外でトリフォーは、こんなに急速に忘れ去られてしまうとは!日本人ファンは意外かもしれないが、その彼らもトリフォーの作品をビデオでしか観ていないーテレビ植民地主義。「大人は分ってくれない」と「野生の少年」は、世界を抱擁する眼差しだった。あの眼差しが、私達を、忘れ始めていると言いたい


・金子さん、どうも有難う。wwまだ観てませんでした(すっかり忘れてました・笑)。アルファビルがそうですが、昔の白黒フィルムのニュープリント、嬉しい限りです。予告編を見ると、当時のトリフォーは、ゴダールよりも、ずっと誠実に政治的な姿勢を貫いていたことが分ります

・この国の裁判官というのは、検察の論告求刑を、「証拠」ときめつけてしまうーそういう恐い話を弁護士達が飲み屋で行っているーー冤罪であった免田裁判の弁護士倉田氏から聞いた話では、担当の検察官ですら「無実」と思っている裁判が続くことがあるそうだーなぜ?−結局、裁判官は証拠のリテラシーがないのだ

・イギリス型絶滅モデル(原住民絶滅を待つー適者生存・自由放任的同化政策)と、フランス型統合モデル(教育・文化によって同一のフランス人にしてしまう同化政策)がある。アイルランドの例で、前者の破綻は明らか。が、日本の大アジア主義からすると、後者のローマ的な?モデルも受け入れ難かったはず

・平野義太郎の大アジア主義は、偶然か?必然か?現地調査と資料研究に基づく実証的研究と、似非ー互酬性的なイデオロギー、この両者は、このマルクス法学者において、互いに切り離せない関係を形づくる。「大東亜共同体における各異民族は日本を中核とする家族団体へ婿入りし、又嫁入りしたものである」



子安宣邦氏のツイートから

平野はその解釈によって基礎づけた「大アジア主義」を戦後、自己批判とともに破棄した。そして戒能もあの資料分析を含む書を絶版にした。両者とも、毛沢東革命と人民中国の成立によって乗り越えられ、否定されたと信じたからだ。毛沢東はその革命を基礎づける中国農村の革命戦略的な調査をしたのだ。
 だが「湖南農民調査」後80年という時間は、平野や戒能が自ら破棄した〈中国農村社会〉論を、毛沢東の農村調査と〈農村・農民革命〉論とともに、その歴史的な意味を再吟味してみることの可能性をわれわれに与えているように思われる。
 日中戦争から太平洋戦争が始まろうとする時期、1930年代後半から1940年代にかけて、〈中国の農村社会〉が、その解釈によって導かれる意味が日本知識人の構成する歴史観・世界観にとって重要であるようなテキストを成していった。
 後に『中国農村慣行調査』としてまとめられた華北農村調査は、満鉄調査部の調査員に末弘厳太郎ら法学者が協力して、1940−44年に行われた。この調査資料の解読から平野義太郎は、中国の自治的・共同体的性格をもった自然村落の持続的存在を導いた。彼はこれで「大アジア主義」を基礎づけた。
 この平野の読解を批判し、平野とは対立的な中国農村像を読んでいったのは戒能通孝である。戒能の資料解読は「支那土地法慣行序説」(1942年)にまとめられた。これはガリ版刷りのもので、後に『法律社会学の諸問題』(1943年)に収録去れ、刊行された。が、戦後戒能はこれを絶版にした。



‎"In Poland we have a saying: Pessimists study Russian, optimists study English, and realists study Chinese."
Owlcato says; Pessimistically optimists, or optimistically pessimists study Japanese - a gray zone

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