言葉と表現と射影のブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月11月 本多敬

<<   作成日時 : 2011/10/26 23:00   >>

トラックバック 0 / コメント 0



思想・哲学


・ヒルベルトは思考としての数学の力が現実の間に共有するものがないと蓋然としても、数学は<一と多>の関係しか記述できない。言葉は、数学と比べると、homelessの様に無根拠で不完全な観念しか表現できない。それ故に、主体性としての<個>を捉える。西田の<個>は世界宗教としての無の場所

・EVERYTHING AND MORE - A COMPACT HISTORY OF ∞ ヒルベルトは数学が現実の間に共有するものがないと蓋然としても、数学は<一と多>の関係しか記述できないのだ。数学と比較して不完全な観念しか記述できない言葉が、主体性としての<個>を捉える不思議


・dx、dy、無限小は、在るものではなく、有Seinではない。しかしそれかといって、無Nichtでもない。それは有と無の統一である成なのだ。有から無へ、無から有へと移り行く反復。純粋な光は、抽象的にすぎ、内に規定性を有しないので私達はそれを認識できず、したがって純粋な闇となるように

・「これからは議論の力で公園のスペースを占拠するべきだ」と言うことと、非暴力の議論の力を権力によって立ち退きしてしまう行動は、矛盾だぞ。ー>「悪い」国家とは「真実でない」国家であり、「真実でない」とは「事物の本性あるいは概念と事物の存在とが矛盾している」ということである(ヘーゲル)


・階級概念というのは、権力側と反権力側の代理人にとってだけ都合がよい支配に過ぎなかったのではないだろうか?容赦なく加速化していく世界資本主義に抗して、チュニス、カイロ、アテネ、マドリッド、マンハッタンへ行く自然発生的な連帯は、階級意識によっては決して出会えなかった群衆によるものだ!

・マルクスの労働者の定義は、生産手段から切り離され、自身の商品(労働力)を売ることしか選択がない集団。鏡で顔を見て考えてみよう。売るものなんかなにも持っていない。格別貧乏というわけではないが、神の見えざる手、市場によって、現在の生活の基盤は簡単に崩壊する。あなたも私も労働者なのです

・マルクスの労働者の定義は、生産手段から切り離され自身の商品(労働力)を売る集団。鏡で顔を見て考えるー売るものを私は持っていない。格別貧乏でなくとも、神の見えざる手、市場によって、仕事は簡単になくなる。Occupy Wall streetの人々の大半がこういう労働者ー現在中流でもね


「他者の加害性や自己の被害性については敏感、自己の加害性や他者の被害性については鈍感」。もし、脅威として畏怖すべき他者が、他ならない自己であることに気がつかず、というか、気がつかないふりをして隠蔽してしまうことが起こると思います。自己欺瞞とサルトルがよんだ構造と関係がありそうです

国際平和の秩序を要求する国家ならば、正義の感覚ー他者の加害性や自己の被害性については鈍感、自己の加害性や他者の被害性については敏感ーに包まれなければ不可能である。しかし「他者の加害性や自己の被害性については敏感、自己の加害性や他者の被害性については鈍感」という感覚に屈服してしまう

「他者の加害性や自己の被害性については敏感、自己の加害性や他者の被害性については鈍感」。この不均衡な感覚は、外国にいて相手の話を十分に聞き取れず、言葉に困るときに陥る感覚と類似している。プライドと、自分にとって都合がいい思い込みによって一層孤立してしまう。それよりは、質問すること

・直系家族型(=親は子に対し権威的、兄弟は不平等, 朝鮮半島や独逸、スウェーデン、ユダヤ民族、日本)の文化は、長期的ヴィジオンの安定的形成に有利と、トッドは言っていた。頭に浮かんだのは、スピノザやマルクスに顕著な、経験に依存しない体系への信頼のことだ。結局、日本人は彼らが好きなのだ

・直系家族型(=親は子に対し権威的、兄弟は不平等)での、反抗のパターンは、計画性のある用意周到な形式をとるのではないだろうか?他方、アイルランドは十九世紀大飢餓の影響で家父長的な形態へ移ったが、仕事が無かった父に対して、怒る息子の反抗は、アナーキズム的となる。混乱した内戦の遠因か?

・ニューアカデミズムの哲学者達は、カオスとフラクタル、位相数学とゲーデル不完全性定理といった数学の方法を紹介する域を越え出なかった。彼らの限界は、数学が<一と多>の関係しか記述できないという数学の本質と関係している。「主体性」を書くには、数学ではなく、言葉でなければならなかったのだ

同じウィットゲンシュタインを前期と後期に分けてしまうのは、ナンセンス!ただ、かれが数学者の哲学に限界を見出したとする説は一考に値する。数学者の哲学の限界は、数学がせいぜい<一と多>の関係しか記述できないというその本質と関係する。知の主体性を書くには、言葉でなければならなかったのだ

Tokyo can't be tragic form of proximity without sociability

Here comes everybody _collideorscape _collide and escape_ the organizing without organization_ Facebook+Twitter_ Occupy movement goes global

Here comes everybody _"do-it yourself-with-others" spirit _ strong-tie offline activism _ on line weak-tie association _ collideorscape _

working class - to sell your labour in order to live - to look at yourself in the mirror and think" - Now what have I got that I can sell?

Here comes everybody - working class - the multitude - the general intellect - lumpen concept - the people,GO ON! GO ON! GO ON! GO ON!

"Occupy, Resist, Produce". A politics of the encounter utters no right, voices no claims.Protesters-Tunis, Cairo, Athens, Madrid,Manhattan, and Tokyo


・何故、イスラエルで敢えてワーグナーを演奏するのか?見よ!私達ユダヤ人をガス室で消滅し尽くそうとした敵の芸術を、ベートヴェンとワーグナーを、私はかくも愛している、とバレンボイムは示すためだ。現在の敵である、パレスチナ人を愛することはどんなに容易いことか、と!真の知識人とはかくの如し
"There is the danger that everyone waits idly for others to act in his stead"
他の誰かが、自分の代わりにやってくれるはずだと、なにもしないで待つのは危険なことです。Albert Einstein


・最後のページで、サィード「オリエンタリズム」は、the field days、北アイルランド紛争地で活躍した草の根演劇(カトリックとプロテスタントが代表半々)を称えています。間違いなく、バレンボイムは、この平和戦略を意識していたはずです。確か、イスラエルで行ったワーグナーの演奏は、イスラエル人とパレスチナ人の半々で構成されたオーケストラによるものでした。95年、ロンドンで、彼はベートベンピアノ全曲演奏を行いました。(私は毎晩行きました)。この演奏活動と平行して、新聞・ラジオを通して、中東和平の覚醒を促す大旋風を起こしました。

・このとき、活発に議論されたのが、ユートピアのヴィジオン、政治リーダーとしてのロマン主義芸術家の役割の復活、でした。否定的な見解が多かったですが、目標なきお祭り騒ぎ?と酷評される、しかし世界的な傾向である今日のデモのあり方と関係がある、と私は考え始めていますよ

・景気が良かった頃の話ですが、アイルランドに、パレスチナから音楽の勉強に来る若者達がいました。しかし、実際は、紛争国からやってくるのは大変困難なことなのです。命懸けなのです。いくらヨーロッパの助成金があってもパレスチナの外に出ることができないーこれが現実です

・英国のマルチカルチュアリズム、単一文化に基づく経済優先主義は、"Here comes everybody" spiritではなかった。ナポレオン三世が定位した、誰をも代表しないがゆえに皆を代表できたポナパリティズムの幻想ーその崩壊に伴う空白はかくの様な滑稽な騙された感だったのかな


・私達一人一人を直接搾取して来る世界資本主義に抗して。チュニス、カイロ、アテネ、マドリッド、マンハッタンへと移る、the organizing without organization。自己原因であるこの凝縮ー離散の過程には目的がない。ただ、Here comes everybody

・原発の危険性を認識し脱原発の社会へ切り替えると宣言した国が、この原発のエネルギーを中国から輸入したり、原発と核のゴミをインド・ベトナム・トルコへ輸出するとしたら、それは脱原発の社会といえるか。福島の代わりとして、中国・インド・ベトナム・トルコを利用する行為は、正義に反しないのか?

Oh, no! It doesn't seem that they can manage it.
Fukushima suffers setback as officials detect signs of nuclear fission.Traces of radioactive gas are detected at Fukushima's No 2 reactor – one of three that suffered core meltdown.
This is as if nuclear power generation technology laughed at the people who wanted to be convinced that nothing bad for them happened .
No it isn't correct. Rather it is people that are making a fool of a danger signal from nuclear power generation technology.
Simply it's awful...the restart of a reactor at the Genkai nuclear plant in Saga prefecture on the island of Kyushu.
How can Kyushu Electric Power say it? "We do not have to stop it".

どうもうまくいっていないらしい。自分達に都合が悪い事は何も起きなかったと思い込みたい人々を、原発テクノロジーが、嘲笑っているかのような、8カ月目の臨界報道。否、そうではない。テクノロジーからの危険信号を嘲弄しているのは、人間の側だ。玄海原発4号機再開、九電「止めておく必要がない」


・ヘーゲルは、スピノザが様態と呼んだものを注釈している。他ならぬヘーゲルこそが「向自有的な無差別な限界」であり、その規定性は、自己の外部にあるスピノザという他者のうちに持っているのだ。「向自有的な無差別な限界が絶対的な外面性であるという矛盾のうちに、量の無限進行が定立されている」。In diesem Widerspruch, daß die fürsichseiende gleichültoge Grenze die Äußerlichkeit ist, ist unendliche quantitative Progreß gesetzt (Hegel)

・「モナドには窓がない」とは、それが外と内を分け隔てる窓の如きものではないことを意味する。そんな窓だと、日の丸的な青空しか眺望できない。モナドは物質ではないが、物質の働きをもつ。物質は空間に曲がり方を、空間は物質に動き方を伝える。このことから、モナドは世界に向かう弁証法的運動なのだ

・悪夢から目覚めよう!ジョイスFWの現代的展開Occupy wall streetで行ったZizekの演説。We are not dreamers. We are the awakening from a dream that is turning into a nightmare


・ヘーゲルは、意志を国家の原理として捉えたルソーの功績を称えたが、その社会契約が帰結した無政府主義を恐れた。ヘーゲルが本当に畏怖したのは自身の哲学が孕むラディカル性だったことを、マルクスは見逃さなかった。ブルジョア社会に生じる根源的な喪失から、真に人間の再生が起きると主張するだろう


・ああ、一体どうしたことか!ヘーゲルの難解な独逸語がスラスラ、ホイホイと読めてしまうとは。思い当たる事がある。三年前にICAのカフェにいた私の直ぐ後ろに、吸血鬼が立っていた事を。あの時気がつかなかったが、ガブッと首に噛みついたに相違ないーヘーゲル読みのジジェクが!(なーんちゃって)

・ルソーは意志を国家の原理として打ち立てた。現在このルソーの継承者は誰か?ロールズかサンデルか。法哲学のヘーゲルが孕むラディカル性を読み解くマルクスの役割は、ジジェクが演じていることだけは確かだー中産階級の没落の必然性を告げるウオールストリートで。それとも君か、そうか君だったのか!



Monads are not mathematical points. For these points are only ertemities, and the line cannot be composed of points. (Leibniz.,Monadology)

「モナド」Monadとは「一」である。しかし羊の郡の如く偶然に一である一ではなく、それ自身において一である一である。しかし自己の中に無限多を含む一である。固よりrealに無限を含む一ではなく(それは不可能である)représenterし、exprimerする一である。円の中心は点であるのに無限多の直径の交わる点である如く。(・・・) モナドロジーの着想の動機は、彼自身が明白に記しているように、スペインの神秘思想家聖テレサの「かくも世界には神と精神だけしか存在しないように考えなければならない」という「美しい思想」である。(下村寅太郎)

EUとTPPの違いを考える 
−ライプニッツのモナド論、ヘーゲルの知の主体性、青年マルクスの疎外論

EUの捉え方には様々な切り口があります。二度の大戦を反省した平和戦略、元々米国と日本に対する、現在は中国に対する保護貿易体制、アラブ世界に対する捏造されたアイデンティティー。哲学的関心も惹起します。EUの「一なる多数性」が喚起するのは、ライプニッツの精緻な形而上学、モナド論です。

ヘーゲルが解説したモナド論を紹介します。(哲学用語に慣れていない人は、「モナド」をアイルランドやギリシャの 「国家」、そして、ヨーロッパを「世界」と考えていただいて結構です)。「モナドは各々一つの客観であるが、しかし即自的に表象する物であり、しかも世界の全体を表象するものである」。

ここで、「即自的に表象する物」という文に注目です。簡単に言ってしまうと、「即自的に」とは、事物に囚われてという意です。つまり、モナド=国家は、即自的に表象する物であり、しかも世界の全体を表象する。事物=国家に制約されているにも関わらず、国家なき世界をみようとしている観念を、ヘーゲルは指摘します。

ヨーロッパという統一のもとで、例えば、アイルランドやギリシャはどうなったでしょうか?たしかに、ユーロの導入によって市場の垣根がなくなりました。ヨーロッパ憲法裁判所の管轄権も、アイルランドの憲法やギリシャの憲法を拘束します。それでも、依然として、アイルランドはアイルランド、ギリシャはギリシャのままです。

「その単純な統一のうちでは、あらゆる区別は単に観念的な、非独立的な区別として存在するにすぎない。モナドのうちへは何ものも外からはいってこない・・・またこの単純な全体は無数の区別にわかれ、それらは各々独立のモナドである」。これをEUに即してかんがえてみなすと、ヨーロッパ統一は名ばかりの実体かという疑問が湧きます。

しかしそうではありません。ヘーゲルはこう結ぶのです。「諸モナドのモナド及び諸モナドの内的発展の予定調和において、これらの実体は再び独立を失い観念的となる。かくしてライプニッツの哲学は完全に展開された矛盾である」と。ヘーゲルのライプニッツ論は、鋭いですね。つまり、ギリシャの問題を語ることの困難さは、ここに存します。つまり、多様なものの完全な独立と、区別されたものの完全な非独立との間の、絶対的な矛盾なのです。

Das Objekt ist daher der absolute Widerspruch der vollkommnen Selbstädlgkeit des Mannigfaltigen und der ebenso vollkommnen Unselbstädlgkeit derselben

最後に、絶対的な矛盾absolute Widerspruchは、ヘーゲルのキーワードですが、もう一つ重要なキーワードがあります。それは、主体性Subjektivitätです。スピノザ哲学において明瞭に捉えていなかった概念、ライプニッツが導入した個体性の概念、西欧を東洋から分け隔てるこの概念そが、主体性の概念であるとヘーゲルはいうのです。

端的に言って、人間の疎外を克服するユートピアの政治、青年マルクスが再定義した人類解放の政治こそが、そういう知の主体性のことです。「アジア太平洋地域だけでなく、世界全体のモデルとなりうる」TPPは、知の主体性が欠落しています。しかし、主体性なくして、どうやって、グローバリズムのファシズム的暴力と闘うつもりなのでしょうか?


・「わたし的には」、「僕的には」という言い方がある。これは、ふわふわゆるゆるの、統一なき統一をなす、モナド的な響きがある。しかし排除されているマイノリティーの人々からみると、天皇制的な全体主義の隠蔽でしかない。個体性=主体性が欠落していると、このことを批判的に喚起し続けたのは浅田彰

「わたし的には」、「僕的には」という言い方。これは、ふわゆるの、統一なき統一を為すモナド的な響きがある。しかし排除されているマイノリティーの人々からみると、天皇的全体主義の隠蔽でしかない。個体性=主体性が欠落していると、既に八十年代に於いて、このことを批判的に喚起できたのは浅田彰

海外でデモのときは、車は別の道を通すのが当たり前。日本の無能な警官達は道路交通しきれてないから、車が鉄砲の弾みたいに突っ込んでくる。「道路交通と基本的人権と、どっちが大事なのか。車なんて別の道を通せばいい。マラソンではそうしているんだから。人権は“別の道”を通れないんですよ」柄谷

柄谷行人氏(警察によるデモへの嫌がらせについて)「道路交通法をたてにしているわけですが、道路交通と基本的人権と、どっちが大事なのか。車なんて別の道を通せばいい。マラソンではそうしているんだから。人権は“別の道”を通れないんですよ」

・ホーホー、ライプニッツによると、異なる色々な場所から都市を眺めるとき違った風にみえるが、そういう<多>が、モナドなんだって。この時、観察している対象が同じ都市、同じ<一>なのだからね、そういう<一>と<多>の関係は、「自己の中に無限多を含む一」として定立できるんじゃないかと、ホー


・"お祭り騒ぎ"という言葉は、反(脱)原発抗議を揶揄した言葉だ。丸山真男からみれば、全学連・全共闘も同じ類のものであったらしい。「ここ[日本]にはpublic opinionはない。デモや大衆集会があってもそれは世論を表すものではなく、蜜蜂の本能的なブンブン騒ぎと同じようなものだ」

・海外のパーティーが苦手で一人椅子に座る事もある、と丸山からきかされて、敗戦後ゼミ長だった叔父は驚いた。西欧的パーティーの社交性はpublic opinionの基底、と教わっていたから。ヘーゲル的には、public opinionは理解するだけでは足りない。この現れを見ることが大事

・ハーメルン笛吹隊の反原発抗議も、国家と争った騎士道の全学連・全共闘も、「蜜蜂の本能的なブンブン騒ぎ」如きものではない。ヘーゲル的に言うと、public opinionは単に理解するだけでは足りない。こうした、現実化した普遍性(現れ)を見なければ。蜜蜂は飛躍するー欄と猫と出会う為に

・何故、この世界は多様でなければならないのか?仮に全部が同じものなら、変化を認識できない。光しかないと、それが他のものに変化しても分らない。それ故光と闇がある。世界が多様な所以だ。ここに、人間が、市場原理を屈服させる理由が存する。世界の意志は、光しか存続できない競争を望んでいない!


・私の理解が正しければ、12月号「世界」に執筆した金子先生によると、政府は、東日本大震災と原発災害によって国民が動揺している間に、ネオリベの市場主義の理念に根ざしたTPPを、導入しようとしているのは、(中途半端だった)小泉ー竹中路線の政策の全部を一気に実現したいからだとのこと。
ロールズは、マルクス経済学を、社会民主主義的に解釈しました。一番強調したいポイントは、国民が、食料・医療・安全に平等にアクセスする権利を要求できることです。これが、マルクスの正義だと言っています。それゆえ、この正義に反するならば、ネオリベ的なTPPの政策に反対するはずです。
マルクスは、必ずしもロールズの様なヒューマニストとはいえません。もっと民衆のラディカルな抵抗運動と革命を見通した、政治経済学のことを考えるでしょう。マルクスは、賃金アップ要求に理解を示しましたが、それは、賃金制度を廃止する革命によってしか正当化されません。これがマルクスです。
ところで、現在のギリシャの矛盾は、投票者と資本主義が協調し合ってきた、民主主義的資本主義の前提が壊れたということにあります。いままではツケは国家が払ってきたのですが、現在、国民一人ひとりにその請求がくるのです。元々銀行階級が富む為に勝手に拵えたそんな借金から恩恵を受けなくとも、です。
世界資本主義は、brutalな剥き出しの貪欲さで容赦がありません。これをモラル的に避難する態度には、限界があります。思考の欠如を痛感します。民主主義的資本主義の経済学を捨てて、もっと民衆のラディカルな抵抗運動を見通した、政治経済学をうちたてよ、と、マルクスは提唱したでしょう。

・政府は合意捏造manufacturing consensusの為に世論操作を行うのが常で、市民はこれを監視する権利あり。反対意見表明の機会は政策決定手続きに十分あるか。民主主義は冷蔵庫修理より面倒。「TPPは国を二分するほどのことではない」と、合意の押しつけ手伝はフェアーではない



言葉・詩・本

Truth is the cry of all, but the game of few. George Berkeley

A good decision is based on knowledge and not on numbers. Plato

Ability without honor is useless. Cicero

「純粋な光」は(抽象的にすぎ、内に規定性を有しないのでわれわれはそれを認識できず、したがって)「純粋な闇」である。 Hegel



ua mau ke ea o ka ai-na i ka po-no
ハワイ語;土地の生命は正義により維持される(ハワイ州の標語)
Haw=the life of the land is maintained by righteousness

Laws should be interpreted in a liberal sense so that their intention may be preserved. Cicero

Ao_69 えにくすさんより
目の下のクマが大変凶暴で、アイヌの出でもないため、このクマと仲良く暮らすためクマ用のツボを調べた。目頭の晴明(せいめい) 眉尻辺りの太陽(たいよう)。 「晴明」を中指で指圧し、眉毛の下、目のふちの骨に沿って「太陽」までを、人差し指、中指、薬指の3本の指でやさしく指圧するそうな。

To abstain from sin when one can no longer sin is to be forsaken by sin, not to forsake it. Saint Augustine


・あの穴のことですか!パブに行ったとき教えてもらいました。有名ですよね・笑。実は、このわたしもその穴を利用しました。アイルランドのスペースは、柵で囲ってあっても、必ず穴を見つけることができました。@EloiseK

・ダーウィンはアボリジナル所有地で文化遺跡も豊富な土地ですよね?またアボリジナルの生活・人権が脅かされようとしているのではないでしょうか?=> 米海兵隊が豪北部に常駐 首脳会談で合意へ
ーはい、米国主導のイラク侵略で、戦争協力を行った日本と同様、オーストラリアも、タカ派的に右傾化しましたね。悪名高い白豪主義とアボロジニ差別は、1970年以前にもっと早い段階で撤廃できたはずでしたが、北爆の反共プロパガンダで、白人意識を煽られ実現しませんでした



ふくろう裏口大学入試問題;Group thinking の正しい意味はどれですか?

(1)集団討論
(2)集団お見合い
(3)グル丼ぶり
(4)馴れ合い 

正解は(4)です。例えば、Group thinkingを避ける為に、取締役会に、diversity多様性を導入する、と英語で言います。Group thinking は、「馴れ合い」という意味です。例えば、Group thinkingを避ける為に取締役会にdiversity多様性を導入せよ、とは、外部から取締役を入れたり、男女比率を同じにすることですね。それにしても、日本社会のいわゆる「第三者」には独立性がありませんね


Gaeltacht グェルタハト【女性名詞】アイルランド語が日常的に話されている地域


・エキビルヤンが立ち寄る本屋さん。いやはや、宇野の恐慌論やケインズ、それとゲーデルの論文の文庫本が棚に並んでいる。ノイマンの文庫本もある。経済学部でなくとも、森嶋のマルクスーノイマン理論に取り組む学生さんもいるのだろうね。しかしテレビ経済評論家の方々はマクロ経済学すら怪しいとか・笑

・Thoughts without content are empty, intuitions without concepts are blind. Kant

・XYZgaいろはにのツイートより

1飛行石=1檸檬=1猫=0.1ゆるふわ

わたしは、だれかからだれかへ書かれた手紙を読むのがすきだ。それがわたしである必要はどこにもなかった。むしろ、だれかに書かれたものであって欲しかった。わたしではないだれかに生きていて欲しかった。だれかに、どこかにはいて欲しかった。手紙は、そのだれかの居場所や輪郭を追うことをする。

「植物」は「物語を植える」 謂われは別にあるだろうけど、きっとそう。生物の相関も言語のそれも、系統樹は一本の大きな木なのだから。火の営みが、おひさまや陽だまりであるとき、世界樹はすくすく育つ。月光は太陽光。水と陽の営み。ひかりのにおい。


・Morel’s nature is really like a sheet of paper that has been folded so often in so many directions that it’s impossible to straighten it out

・山手線のサリーマン三人組;「睡眠は7時間」「ぼくは5時間、目が覚めちゃって」「布団の中で本を読むの?」「テレビを寝るまでみてる」「携帯とパソコンは字が小さくてね、目が疲れちゃうからやらない」「流行のツィッターというのは意見交換があるらしい」「どうせ世の中変わらないんだし同じだよ」


・混雑した山手線の中、周りの近傍から色々な話し声が聞こえてくる。この距離感はTLを読んでるときの感じと似てなくはない。そこで、返信のかわりに、身体表現によって合図を私は送る。昨日は、「池上ってね、有名なお寺がなかった?」と疑問を発する人物の前で、眉毛三回動かして合図を送るのであった。
と、ある日、電車のドアが開いたら、なかにいた乗車客全員が、眉毛を動かし合っていた


・大袈裟なことじゃないんだけど、プロフィールを更新しました。"Freethinker=ダブリン+ロンドン+未来を思い出すエピキュリアン" (きみ、きみ!Freethinkerであって、Freemasonじゃないよ、あしからず!!)

Freethinker rejects accepted opinions, especially those concerning religious belief.例えば、ギリシャ精神のユダヤ人"greekenhearted yude" (陰謀を企んでるんじゃないからね。笑)

・どうもうまくいっていないらしい。自分達に都合が悪い事は何も起きなかったと思い込みたい人々を、原発テクノロジーが、嘲笑っているかのような、8カ月目の臨界報道。否、そうではない。テクノロジーからの危険信号を嘲弄しているのは、人間の側だ。玄海原発4号機再開、九電「止めておく必要がない」

・御蔭様でこのツィッター、一年立ちました。えにくすさんからは、毎日栄養をいただいています。「崇高さは衝撃を与え、美は魅了する」(カント)。衝撃と美の間にoccupyしたいと願っているのですが、いつも難破中です@Ao_69カンバスはいつもカオス・コスモスともども乱舞していますね…笑 

・We must act out passion before we can feel it. Sartre

・We forfeit three-quarters of ourselves in order to be like other people. Schopenhauer


1,何故、この世界は多様でなければならないのか?仮に全部が同じものなら、変化を認識できない。光しかないと、それが他のものに変化しても分らない。それ故光と闇がある。世界が多様な所以だ。ここに、人間が、市場原理を屈服させる理由が存する。世界の意志は、光しか存続できない競争を望んでいない!

No.1 Why it must be diversified?
Leibniz says; it is necessary that each monad be different from each other. For there are never two beings in nature that are perfectly alike, two beings in which it is not possible to discover an internal difference...
Without darkness, how one would be able to perceive the change of day light into the shadows of night ? This is the reason why human is protesting a free market competition here and there, that is against the will of world , if it is an exclusion in which only light can survive
It is not coincidence that cinema history began with black and white, because it was so moral...


2,「イタリア:手つなぎ地中で1500年 男女の人骨発見」

最後にこの男女が互いに相手を触れ合った触覚と
現在私がある物に触れたときの触覚は同じもの
空間を越えて到来して来るー手の感覚は
宇宙開闢の隕石の衝突すらも
私の手の内部の中の到来として感じ取れる
折りたたんだものを一度に広げることはできない
それらは無限へ行くから
私達の、この手は宇宙と繋がる本なのだから

A human bone; Roman-era couple held hands for 1,500 years

I have the same sense of touch as this couple at the very end had each other
It is coming across the space - the sense of touch
Even the collision of the meteorite collided each other at the beginning of the Universe
That I feel in my inside of the hand as the arrival
It cannot unfold all its folds at once, because they go to infinity
Our hand is a book connected to the universe


Art is always and everywhere the secret confession, and at the same time the immortal movement of its time. Karl Marx

・ケインズ卿閻魔大王のお裁き。
「日本よ、貿易黒字は他国への失業の輸出であるぞ。内需を拡大せず、怠慢だ!」。
「アメリカよ、国内の過ぎたる消費をまかなうために世界中にバブルを撒き散らしたぞ。自由貿易の破壊だ!」
ー判決;米軍の全世界からの撤収、日本の軍事費全部を放射能除染費にあてること

・拍手。「交渉する以上勝つべし」(新聞)。夢が醒めないように、国内向け"やってるフリ"だけは続けて。「わが国の外務省がTPPで米国と"ガチに交渉バトル"」は、夢夢夢ー在米日本大使館で、隠れて税金で買うた超高級ワインで、過去の栄光話で寂しく盛り上がるだけかな。(御免ばらしちゃった!)



アート


・マルクスが書くエンクロージャーは、被覆性を本質としたバロックの政治学の如きものを表現しました。嘗て神々が自由に闊歩した大地は、無限の空間でした。資本の本源的蓄積が起きる、囲い込みによる土地収奪は、「無限の有限化」を意味しました。歴史は何をしようとしたのでしょうか?囲い込みによる土地収奪は、その事によって、ラディカルに政治化する(複数の)主体化の条件を与えていく事になったのではないでしょうか。これは、解放の運動が展開する歴史の狡知なのです。マルクスは、民衆のラディカルな抵抗運動を見通した自身の経済学を、政治経済学と呼ばせた理由です。
マルクスの政治経済学はバロックの政治学の如きものを表現したとしたならば、この政治経済学の近傍に定位する芸術の再構築を試みたのが、他ならぬゴダールとジョイス。彼らの芸術は共に、思考の形式、即ち、被覆性ー開覆性の運動そのものだからですー映像のモンタージュであれ、言葉のモンタージュであれ


Gustav est l'exigence de la raison ?
Taju est la puissance de l'imagination ?

「目覚めた意識の最初の反省は、人間が自分が裸であることに気づいたということであった。これは非常に素直な深い言葉である。羞恥のうちには、自然的および感性的存在からの人間の分離がある」(H)。但し羞恥のうちに目覚めたのは、裸のタジューではなく、詩人/作曲家であったージプシーからの嘲弄


映画・演劇

・震災の二週間後の仙台、東松島、石巻を撮影した「大津波のあとに」(森元修一監督)を観た。瓦礫に埋もれた写真アルバム、卒業証書を拾い出す人々。人間の土地に対する執着を監督は共感をもって表現した。未来を思い出すことー即ち、救いと。生と死の相補的な関係が風景を通して知的に描き出されている


BBCのソーシアリズムを称える。(両親が)労働者階級出身のハロルドピンタは、モンティ・パイソンの脚本を書いた一人。ジョージアン朝上流階級出身の美術評論家ケネス・クラークもBBCの番組制作を手伝った/今夜のボクシングhttp://www.youtube.com/watch?v=Di9zm8Km9ZE&feature=share via @youtube

イギリス映画は自然が美しい?本当はね、それは、フィルム感度のおかげなんだよ。かくも、イギリス人と日本人が、自然を愛するふりをするのは何故か?自己主張する人々を見なくて済むからさMonty Python正しい隠れ方 youtube.com/watch?v=hhSoE2… via @youtube




自然・身体

イギリス人はナショナリズムに反発を持つ。漱石以来、これを、所謂「成熟した個人主義」から説明してきた。サッチャーを称賛していた文化勲章の作家も、そう思い込んでいるようだ。ナショナリズムはアイルランド共和運動と結びついているから、この現実をイギリス人は憎んでいるだけなんじゃないの?


外国


・日本の新聞は、アメリカにとって都合がいいヨーロッパ像しか語れないが、アイルランドを救うEUの結束力を考えると、ギリシャは孤児にはならない。この国のユーロ離脱が起きるぐらいなら、EUは、ユーロを廃止し、ヨーロッパの庭で一人勝ちの我儘な米国資本に対する強力な保護貿易へ切りかえるだろう

・アメリカ軍が拷問を行わないこと、米国は即ち自由貿易の守護者、は、カルトの如く自然に受け入れられた最も成功したプロパガンダである。米国が否決したケインズ原案ならば、不況を輸出する黒字貿易国の日本のみならず、国内消費の為に借金する国際収支赤字の米国も、自由貿易の破壊者と看做したはずだ

・「歴史家は裁判官ではない」を最初に言ったのは、たしかスピノザーユダヤ教文書の文献学的解釈を行う方針として。英国の反日的報道を受けて、九十年代後半に、プロテスタント系アイリッシュの友人の中には、日本人の謝罪しない態度を問う者がいた。この時、憲法前文は謝罪の言葉だったんだと気がついた

・EU各国で沸騰する宗教的ナショナリズム。何故この反動は起きるのか?EUを統一国家とみなすと、ヘーゲルの分析は示唆的である。「国家における個々人の合一は契約となる結果」、「即自的かつ対自的に存在する神的なものとその絶対的な権威と威厳を破壊するところの、たんに悟性的な帰結がでてくる」

・管理人がtrávelerのおばさんでしたね。横で、自分の子供九人と試合しているアイリッシュのお父さんを見ました。彼が目を離す間にお姉さんに殴られた弟が、泣き喚いて後方の妊娠中のお母さんのもとに抗議。玉拾いの一番下の子供が私達のボールを拾い集めて、と大変賑やかでした

東京

・TPP受け入れによって、アメリカの軍事力を買えると思い込んでいるのだろうか、諸君は?そんな大きなプレゼントを渡しても、米国はそれほど感謝して来ないはず。ヨーロッパ諸国の、one of themでしかない英国も、背後に大鷲がいることを示しそうとしワシントンに戦争協力してきたんだけど

・「不良債権問題、イラク戦争、小泉構造改革、原発事故で誰一人責任をとっていない。太平洋戦争末期のよう」。恐怖に震え傲慢と冷淡を繰り返し歴史に、NOといいましょう! 私達はこれ以上、他者の加害性や自己の被害性については敏感になりません。自己の加害性や他者の被害性にも鈍感になりません!

・決して解決しないこと、続けることー これが、70年代・80年代において公害裁判支援に身を投じた市民運動家達、全共闘運動から転進した人々から、実践的に学んだ唯一の事柄です

・日本国憲法は、世界文化遺産の如き観光名所ではない。例えば、「拷問をしてはならない」という規定は、現実に拷問があった歴史を決して忘れるな!と抗議した言葉。だから拷問を禁ずと明記したのだー日本人宛に。また、捕虜収容所で起きたような拷問を繰り返すなと誓う、謝罪の言葉をなすー外国人宛てに

・半年前、東電本社前に数百人しか集まりませんでした。その中に、鏡のアッコちゃんの様な感じで、携帯電話にひそひそと喋る若い女性を見つけました。ネット友達に実況放送をしていたのですーこのままじゃだめと思い、勇気を出して生まれて初めてデモに参加しましたと。これこそ、崇高な美と思いました!

・柄谷行人の言葉は知りませんでしたが、同じことを最近考えていました。個としての主体性が希薄な所では、逆に、そのひとりの人が、決定的な行動を起こすとき、背後に繋がっている百人と一緒に行動しているのではないかと。東京のデモは街頭の数からでは本当の影響力が分らなくなってきた、そういう時代

・海外でデモのときは、車は別の道を通すのが当たり前。日本の無能な警官達は道路交通しきれてないから、車が鉄砲の弾みたいに突っ込んでくる。「道路交通と基本的人権と、どっちが大事なのか。車なんて別の道を通せばいい。マラソンではそうしているんだから。人権は“別の道”を通れないんですよ」柄谷


・十五分自転車で走って多摩川へ。この河沿いであの森の周りで魂が何百年漂ったかの様な懐かしい不思議な感じにとらわれた。ロンドンに来た鈴木清順監督は、魚雷撃沈され漂流した戦争体験に触れて、綺麗な場所で死ぬというオブセッションの事を語っていたっけ。家で調べて驚いたーまさか古墳だったとは!

日本書紀 安閑紀                      

武蔵国造 むさしのくにのみやつこ 笠原直使主 かさはらのあたいおみ と同族小杵 をき と、国造を相争いて、 使主・小杵、皆名なり。 年経るに としふるに 決め難し さだめがたし 。
小杵、性阻くして ひととなりうぢはやくして 逆ふ さかふ こと有り。心高びて順ふ まつろふ こと無し。
密に ひそかに 就きて援を たすけを 上毛野君小熊 かみつけのきみをくま に求む。而して使主を殺さむと謀る。
使主覚りて走げ出づ。京に詣でて状 そのかたち を言す。朝庭 みかど 臨断め つみさだめ たまひて、使主を以て国造とす。小杵を誅す。
国造使主、悚憙 かしこまりよろこび 懐に こころに 交ちて みちて 、黙已ある もだある こと能はず。謹みて国家の為に、横渟 よこぬ ・橘花 たちばな ・多氷 おほひ ・倉樔 くらす 、四處の屯倉 みやけ を置き奉る。是年、太歳甲寅 きのえとら 。

・先週自転車でぶらりと行って思わず古墳に出くわしたのは大事件であった。古代日本史など門外漢。武蔵国に来た渡来人の開拓の歴史よりは、彼らの亡命の歴史に興味がある。高句麗人は、土に対する執着を持った倭国知識人を未開と看做したのか?儒教vs神道、とプロスペローのような事が起きたかどうか?



「大津波のあとに」(森元修一監督、ドキュメンタリー)の感想

「大津波…」をみた私の感想を、公式ウェブサイトに掲載して頂き有難うございます。森元監督のインタビューがどれも、素晴らしいドキュメンタリー。記録リアリズムに囚われず、人々の証言の近傍に、タルコフスキーのような見事なイメージの喚起力がありました。 http://fartheron.soragoto.net/voice.html

「震災の二週間後の仙台、東松島、石巻を撮影した「大津波のあとに」(森元修一監督)を観た。瓦礫に埋もれた写真アルバム、卒業証書を拾い出す人々。人間の土地に対する執着を監督は共感をもって表現した。未来を思い出すことー即ち、救いと。生と死の相補的な関係が風景を通して知的に描き出されている」(本多)


・TPPは国内を二分するほどの問題ではない、と説き伏す知識層の発言がある。なぜ、似非開国論に、私達は付き合っていられないのか。なぜなら、私達は、現在、原発の放射能汚染拡大の問題を優先的に解決しなければならないから。福島と海外の人々と未来の世代に対する責任を果たす時だと考えているから

・自由貿易と保護貿易は相補的な関係として機能する。将来自由貿易を拡大する為に、現在保護貿易を敷くという選択もあるー戦後日本経済の例。自由貿易は単純に悪とはいえない。国内の消費不足を補う為に、不況を輸出する黒字貿易(日本)、国内の消費過剰をまかなう赤字貿易(米国)が、問題を起こすのだ

・「話できくと、楽々と銀行から受けた融資で買った五百万の物が待っていれば倍になったそうです」と三十代男性の話。こうして、いい話は記憶され、立退きの恐怖に関する悪い話は記録から抹消されてしまうのだろうね。バブルというのは消極的な人間達を捏造した。待ちさえすれば解決すると思う反知性主義



分類できないもの

テレビをみる者は頭を垂れ下げた囚人の姿だ。しかしこのテレビは、六十年代まで、諸可能性の中心だった。映画世界から軽蔑されたこの梁山泊から、グールドやゴダールの創意工夫の番組制作が実現した。その映画も元々は演劇世界から軽蔑された。現在電子ネットがテレビと紙の本から軽蔑されているように

保護貿易は本当にそれほど保護貿易だったのか?敗戦後のある時点をとれば、日本は保護貿易でやっていたわけだが、その後の、(完全でないにせよ)「自由貿易」を体制を可能にした。他方、自由貿易はそれほど自由貿易とはならない。結局、保護貿易を必要とする。ハリウッド映画と国内映画のことを考えよ




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月11月 本多敬 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる