言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月10月 本多敬

<<   作成日時 : 2011/10/03 01:25   >>

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・思想・哲学

・カントの終わりから出発したヘーゲルは、スピノザの門に立った。論理学新訳は、Sein、Dasein、Fürsichseinを、存在、そこにあるもの、自分と向き合う存在、と記す。このmassiveでグロテスクな体系化をトポロジー的に解体したのは、マルクスとサルトル、ドゥルーズであった

・スピノザ曰く;人々は自然状態において理性に導かれて生きていた。この場合が一番幸福だったから、共和国においては、理性が中心となるべきだと。群衆は自己と向き合う存在として一つの理性を形成するときだ。それまでは、核の恐怖に不合理に依存する、動物の如く生存するだけの、即自的存在でしかない

・ウオール街の占拠は、弱肉強食のマネー資本主義への反抗ですって?高みの見物の日本の新聞様はそう見えるのかもしれないけど、そんなふうには自由意志なんかは無いものなのだ。それは、必然的に決定された行動なんだ!マネー資本主義が正しく機能するかしないかという問題じゃない。そんな認識から切り離された、世界に向かって挑んだ挑戦なんだ、デモというのはね。それがすべて。「占拠」が、2009年二月、ロンドン中央銀行広場を占拠した私達から始まった。「占拠」は絶えず動いていることに驚きを禁じえないー-- G20 PROTESTERS - LONDON 2009 4000人

・09年英国中央銀行広場占拠のときは、ネオリベ労働党にパンチを食らわした。右翼寄りでデモ嫌いのメディアもこれを支持した。ウォール街占拠で、ワシントンを動かすのは困難。が、時代精神zeitgeistを体現したこの抗議は、六十年代の様な運動へと発展する可能性大ー二十年ぶりにNYに行くか

・09年英国中央銀行広場占拠は、サッチャー路線のネオリベ労働党に大きなダメージを与えた。今回ウォール街占拠で、ワシントンを揺さぶるのは困難かもしれない。しかし時代精神zeitgeistを体現したこの抗議は、六十年代の様な運動へと発展する可能性ありー二十年ぶりにNYに行くか、世界史へ

・なにを見ているのか?どこから来てどこへ行くのか?という問いの意味が崩壊しつつある。しかし人間は考える葦(パスカル)だから、この問いをなんとか再生しなくてはならないー閉じた体系の幻想に騙され続けることなく。故に、ゴダールとジョイスの見方が変わってきたー変化が起きたのは3・11以降だ

国境の哲学Metaphysics means nothing but an unusually obstinate effort to think clearly/亡命者の哲学Making itself intelligible is suicide for philosophy


・悪法も悪法なり、とはなにか?ソクラテスは、正義だけでなく法のことも配慮したことだけは確かだ。戦争というのは正義と正義の対立で、正義が声高に叫ばれる傍らで、捕虜の拷問等の法の無視が生じた。生き残る為に現実と上手くやれというシニシズムとは別の真実を憲法は語るー正義と戦争は両立しないよ

・戦争というのは、新教と旧教が対立した戦争の様に、正義(納豆)と正義(マグロ)の対立である。正義が声高に叫ばれる傍らで、戦場で、ルール(山芋)の軽視が生じてきた。"生き残る為には現実と上手くやれ"というシニカルな態度とは別の真実を、憲法(ぶっかけ丼)は語るー正義と戦争は両立せず、だ


・(独の)ロマン主義は、死を恐れて、(仏の)啓蒙主義のふりをせねばならん、とヘーゲルは分析した。闘いの決断を先送りするこの自己欺瞞は理由はある。が、日本の記者よ、君達は自身を騙してかまとと的に振舞うのはなぜか?身近に起きているデモに目を塞いで、意識を遠くの方へ飛ばしてしまう、NYへ

・In the absence of justice, what is sovereignty but organized robbery? Saint Augustine

1、クルト・フォン・ヴェステルハーゲンのワーグナー論を読むと、かれはパリで、「ローエングリーン」という中世高地ドイツ語で書かれた詩を知ったとある。この詩は当初、ワーグナーに不快感を与えた。主人公ローエングリーンはなにか曖昧に神話がかった姿を現わし、粗野に刻まれ彩色された聖人の像を

2、..を見るときのような不愉快な気持ちを与えたと語っていた。しかし伝説本来の姿がワーグナーには次第にはっきりと見えてきた。そしてこの神話の原型、つまり神が人間の女を愛してついに死をもたらすという筋を彼が悟ったのは、ギリシャ神話のゼウスとセメーレの伝説との類似を感じた為であったー

3、ちなみに、セメーレはカドモスの娘。あるときゼウスが女神ヘラを訪れるときのいでたちで雷光と雷鳴を伴なってセメーレを訪れたため、彼女はその熱にうたれ、デイオニソスを生んで死んだ。

4、ローエングリーンエルザとの葛藤が精神的霊的なものであった結果として、全体の結末が悲劇的でなければならないという必然性についてはワーグナーはしばらく迷ったという。この詩作品のもつ悲劇性とは、愛による理解の可能性が失われた世界でしかもあえてそれに頼ろうとする芸術家の悲劇性であると

5、さて、バイエルン国立歌劇団の「ローエングリン」であるが、ブレヒト的演劇を喚起した、一幕の舞台美術は、中世職人の世界。二幕はバウハウス的リアリズム、メロドラマ的雰囲気、映画的構図。日常的空間から始まる三幕で、装飾本か祭壇の様になった家に吃驚。グリム童話の変身譚。芸術家の悲劇性を問題提起した演出といえるかな?勉強中


小菅信子氏 N. M. Kosuge のツイートから引用

・歴史共同研究の推進と同時に、感情記憶を「浄化」していく努力もあわせてしていくことが、やはり必要だと私は思う。被害者のかたがたがご存命のあいだに。

・おのれの主張は正義であり、その主張を強要するためには手段を選ばないという発想は、戦場にあっては大量殺戮兵器の使用や無差別爆撃を許容する発想につながる。誤解があるかもしれない、双方とも正しい/間違いがあるかもしれない、でも主張したいことがある時に必要なのは、ルールを守るということ。

・反グローバリズムと反原発派は考えるー小さな政府と原発推進が齎した悲惨な現実の中で、かくも簡単に新しい経済優先主義と安全神話の捏造を許してしまったことを。壊れた市場と原発は、民主主義の言論の場を利用することによって、恐怖の支配力を拡大させていくーナチズムが民主主義を掘り崩したように

・Man is fully responsible for his nature and his choices. Sartre

・脱原発派が憂う非合理な現実と、(それを打ち消す)推進派の約する未来の合理性が均衡し合うー新しい安全神話が捏造されていく。原子力発電所だけが一人勝ち。壊れることによって、恐怖の支配が自立していく矛盾。この矛盾も、私達は、自分達がなした選択として責任をとらなければならないーサルトル

・Reality uncertainty, imaginary certainty. - Godard

・反原発デモはお祭りかハーメルンの笛吹きか?我らこそドラゴン(機動隊)と闘った騎士なり、と六十八年世代の語り部達。反グローバリズムの若者達の中には、企業戦士として資本主義に邁進した世代に疑問を呈する者がいる。六十八年から始まったことは確かーセックスと死とデモは思考を確実にしてくれる

・安全神話は、自然との調和の美名の下に、石油危機以降の露骨な経済優先主義だった。新しい安全神話は、潜在的核による安全保障の必要を訴えてくるかも。資源ナショナリズムの煽りも警戒したい。自然エネルギー開発は結構、が嘗ての公害企業が名を連ねている。エコならぬ、彼らのエゴな振舞いは忘れるな

・敵を弁護したくないが、フェアーに言って、新自由主義の経済学は、根拠なき風評の如きのものではない。ただ、極めて例外的な経済変数の組み合わせを前提としてやっと成り立つ学説なのだ。その前提を現実において見出すことの困難性は、八十年代にマルクス主義経済学者達が、数学的に形式化して証明した


・子安宣邦氏は、「宣長の国学的和文は〈漢〉を〈日本〉から異別化し排除した」と述べ、「福沢の西洋に定位した翻訳的言語は、停滞する〈支那〉を記述し、文明的進歩のネガ像を構成していく」と指摘する。「この福沢の翻訳的言語こそが、近代日本の正統的な言語で、近代日本の知識人の言語」と分析する

・翻訳的言語が捏造した"停滞する〈支那〉の記述"は、即ち、オリエンタリズム。子安氏の「日本知識人と中国問題」は、(サィードが指摘した)マルクスの認識問題ー停滞する<インド>の記述ーを喚起する。イラン・アフガン戦争のとき、英国民は、停滞する〈アジア〉の幻想に誘発されていったことは確か

・大島渚は、日本人が安心感を感じる青空の青色を敢えて使用しない。同様に、戦後文学は、翻訳的言語の不自然性によって、日本語的風景を掻き乱した。但し、"停滞する〈支那〉の記述"が他者(中国)を囲い込んだのは、この翻訳的言語を通してだ。思考の傍らで、ヨーロッパ中心主義の幻想が自立していく

・戦後文学は、翻訳的言語の不自然性によって、日本語的風景を掻き消そうとした。思考と真理を書くために。但し、"停滞する〈支那〉の記述"が他者(中国)を囲い込んだのは、この翻訳的言語を通してだ。思考と真理の言葉の傍らで、ヨーロッパ中心主義の幻想が自立していくー三木清、マルクス主義の転向

・La twittosphère brasse un mélange inédit d'information, de bavardage et commentaire, activités autrefois
bien distinctes 十月号ル・モンド(d)紙の記事より引用

・ツィッターとは何か?情報、お喋り、コメントIinformation, bavardage et commentairesーこれらが、未編集のごたまぜun mélange inéditとして、自然成長していくネットワーク。私的なモメントであり且つ(流通性故に)社会的モメントである

・マックジョブMcJobとは低賃金を表す語。彼らの賃金は市場との不一致という偶然的帰結の結果。ゲイツも孫もその才能が、たまたま市場の需要に合致しただけ。大きな富(高収入)を受け取る権利は有るーそれを社会に返さず個人的に所有すると正義に反するー市場の偶然性は正義の性質とは無関係だから


・民衆は、シナイの山でモーゼが神となったと自分達に都合よく理解した。そこから、「誰もが神になれる」と想像を展開させた。スピノザによれば、想像力は、ユダヤ人だけが神なりと想像することができない。しかし何故ラビ達はユダヤ人だけが神なりと考えるのか?知識の働きが想像力を制約するからだろう


・想像力を働かせれば、日本の放射能汚染は、世界の誰にとっても決定的な汚染となっているはず。だから、世界の人々のために取る行動が大事ーこのことは、普通の人々は想像できる。ところが大江が懸念するように、知識層はこの点に関して曖昧なのである。経済優先主義という知識に囚われているからだろう




哲学的呟き

1人間というのはスコラ学者の様に、定義したがる。例えば、実体とは何か?属性と様態とは何か?と問い続けるのだ。そして見える定義の集合のなかに、見えない自己定義の集合を差異化させることによって、内部矛盾を抱擁する。私達の歴史のなかに、「私達」に還元できない、他者の歴史を実在化するのだ。

2、哲学者のデリダは、私達の歴史(=声)のなかに、「私達」に還元できない歴史(=書く行為)を、顕現化させた。これとは逆に、アイルランドの左翼達は、私達の歴史(=書かれた言葉、英語帝国主義)のなかに、「私達」に還元できない歴史(=声、ゲール語やハイベルノ英語)を発明したのだ。

3、ポスト構造主義のフランス的エクリチュールであれ、アジア・アフリカ・ラテンアメリカのポストコロニアリズムの民衆の声であれ、他者性をどこで重んじるかの違いだけなのだ。これに対して、「君が代」は、「私達」のなかに他者の歴史を消去してしまう暴力である。「正義」と勘違いしてはならない!

4、大江は、真に左翼的文学者だ。日本という見える定義の集合のなかに、見えない自己定義の集合(フクシマ、原発)を差異化させて、なにかを言わんとしている;フクシマを過去の出来事とし、これまでの原子力計画を続けるとすれば、そのあいまいな日本の、次の私達に、果たして未来はあるのでしょうかと

5、Remembering the future(未来を思い出すこと)の意義は?フクシマとヒロシマ、見せかけの力に誘われた命懸けの投企だ。「フクシマを過去の出来事とし、これまでの原子力計画を続けるとすれば、そのあいまいな日本の、次の私達に、果たして未来はあるのでしょうか」(大江)


6、ウィットゲンシュタイン「家族的類似性」は類似性の表象ネットワークだ。ここから、実存的な!ドゥルーズの差異論は遠くない。フクシマとヒロシマの間の類似性は同一性の論理に還元できない。フクシマが出来事である所以だ。つまり私達は理解できないまま新しいヒロシマを生きなければならないのだ

7、ゴダールこそ左翼的精神の編集だ。フランスという見える定義の集合のなかに、見えない自己定義の集合(ベトナム、スイス、パレスチナ)を差異化させてきた。見えない自己定義の集合は、レジスタント運動の歴史へと越境することになった。現在は、ソーシアリズムとしてのヨーロッパの探求へ向かう

・アインシュタインは、懐疑的合理主義から、リアリズムを高度な次元で再生しようとした。彼はスピノザ的だから、タゴールと衝突した。後者の様に、人間を自然(宇宙)の内部に位置づけると、不合理な力に隷属する民族主義に陥る危険がある。日本人に都合がいい自然との調和を宣伝した原発ポスターの如し

・エゴな欲求を否定し理性へ向かって越えよ、と説教してもね、無駄無駄。だって、人間から自己保存の欲求を排除するのが不可能なのは、人間から身体を排除するのが不可能なのと同様だから。この自己保存の欲求をスピノザとルソーは消去しない。「自己愛」のルソーはスピノザほどには唯物論的ではないけど

・唯物論的肯定のスピノザ主義者、ドゥルーズが欲望の生産性を再定義するのは必然であった。しかしふくろうねこは、天皇主義的ポストモダニストのヘドニズムの内部にいたから、器官なき身体と、(戦争を必ずしも伴わない)戦争機械の意義、文化革命として昇華される闘争(逃走)の意義を理解できなかった

・ドゥルーズが欲望の生産性として規定した、(戦争を必ずしも伴わない)戦争機械の、文化革命として代償的に昇華される平和戦略の意義はなにか?例えば、パレスチナ映画のゴダールが、敢えて、パレスチナ人をインディアンと、ユダヤ人をアラブ人と再定義したこと(ナチス収容所でユダヤ人はアラブ人と呼ばれた)
 例えば、作家達が、あえて、植民地主義のスペンサーやコンラットを、アイルランド文学とアフリカ文学の父として再定義したこと。敵味方の二項対立の国境線をズラす戦略だ
 Inventingとdream が鍵である。ジジェクによると、文化大革命に至る毛沢東は、そのような夢を発明し続ける運動であった。民衆の目覚めは、死、内戦を意味したと
 ゴダールは、アイデンティティー不足の母国スイスを、ヨーロッパのイスラエルと定義した。スクリーンたるこの国に夢を投射せよ、と彼はユダヤ人?毛沢東時代はアラブ人だった!


・丸山真男の知識人批判。戦争が始まったら自由意志がなくなるーそれこそ単なる動物のレベルの生存闘争の世界。だから、戦争が始まる前の発言なり振る舞いのほうを評価すべきではないだろうか?ただし、戦争中の発言や振る舞いは考慮に値しないとか無視しても構わないと、私は言っているのじゃないからね


・霊魂は不滅か?霊魂は不滅だからといって、それは、死後ゾンビの如く生き返る肉体を意味するのではない。霊魂は知性。ゆえに、普遍性をもった知性は、人類によって、永遠である。肉体が滅んだ後、愛されたスピノザの思想は伝えられているように。例えば、スピノザはアインシュタインのなかに生きていた


・言葉・表現・本



・僕らのような思索する人間、したがって、何もしない人間は、ヘーゲルのUnterschiedeという論理学の書き出しの一文にある、このたった一語を理解しようと、無為に、時の祭壇に燃やした本の数ときたら。本から本へと散逸していく祭壇。Begriff nur an sichー灰の火の動揺

・トリエステのマックコートから聞いた話、エルマンが勝手に書いた疑いのあるジョイスの手紙かあるとのこと。当時、Jはユダヤ人ネットワークによってカフカの原稿を読んでいたかも知れません。エーコならば、カフカは自分(エーコ)を通してJを毎日読んでいると言うでしょうが・笑@Beardslie

・シングは、アイルランド文芸復興運動の中心にいたイェーツから、ラシーヌを捨てアラン島へ行けと言い渡された。アラン島ゲール語文法を基底とした独自の英語、シングのハイベルノ英語は、<イギリス>を、<アイルランド>〉から異別化し排除した。ナショナルアイデンティティーの想像力が自立していく

・アラン島ゲール語文法を基底としたシングのハイベルノ英語は、ジョイスにとって、感化の大きな運動である。ジョイスのヨーロッパに定位したトポロジー的多言語空間は、大英帝国的男性原理の〈アイルランド人〉を、女性原理の〈ギリシャ精神のユダヤ人〉から異別化し排除したー普遍的世界史の河へ、FW

・シングのゲール語文法を基底とした独自の英語は、ジョイスの創作の源となった。自分で決めた亡命、ジョイスのヨーロッパに定位したトポロジー的多言語空間は、男性原理の〈アイルランド人〉を、女性原理の〈ギリシャ精神のユダヤ人〉から異別化し排除したー普遍的世界史の河、神話的リアリズム、FWへ

・シングのアラン島ゲール語文法を基底とした英語の文学は、ドキュメント的フィクション。他方、ジョイスのヨーロッパに定位したトポロジー的多言語空間はフィクション的ドキュメンタリーに対応する。FWは、男性原理の〈アイルランド人〉を、女性原理の〈ギリシャ精神のユダヤ人〉から異別化し排除した


・ジョイスのヨーロッパに定位したトポロジー的多言語空間は、ゴダールならばフィクション的ドキュメンタリと呼ぶだろう。第一次大戦という<西欧の終焉>後に、アバンギャルド芸術期を経て到来した、1930年代における高度な次元でのリアリズムの再生であった。ファシズムから民衆の声を解放するFW

・ジョイス「ユリシーズ」は、モンタージュ的言語によって、スティーブン的〈ギリシャ人ーカトリックーアイルランド人〉を、ブルーム的〈ギリシャ人ーユダヤーアイルランド人〉から異別化し排除した。FWのトポロジー的多言語の領域へ移行してアンナリヴィア的<ギリシャ精神のユダヤ人>を発明する為に

・僕らのような思索する人間、したがって、何もしない人間は、ヘーゲルのUnterschiedeという論理学の書き出しの一文にある、このたった一語を理解しようと、無為に、時の祭壇に燃やした本の数ときたら。本から本へと散逸していく祭壇。Begriff nur an sichー灰の火の動揺


・のどが少し痛く、熱もある。かるーい風邪のようだ。こうしてツイーターをやるのは身体に毒。「風邪の効用」が文庫本になっていたのは驚いたな。民間治療の養生を説いた知恵で拵えた詩、これをブレヒト風に書いちゃったりして、ツイートしておくのも天命かな?サルトルの小説よりも必ず役立つ?・笑

・限界 Grenze は定量そのものの全体と同一である。それは自己のうちに多を含むものとしては、外延量 extensive Groesse であり、自己のうちで単純なものとしては、内包量 intensive Groesse すなわち、度 Grad である。
(ヘーゲル)

○量は質の捨象であると言ってきたが、定量はある意味質を持つものであり、定量の質がはっきりした形で現れたものが「比」であると言える。(ヘーゲル)

・Nothing can have value without being an object of utility. Karl Marx

・Nothing exists from whose nature some effect does not follow. Spinoza

・Not believing in force is the same as not believing in gravitation. Thomas Hobbes

・La Raspelière, where the Verdurins are staying, is near a station of the little train-line that runs along the Normandy coast from Balbec.(Proust)

それは恐ろしく無口な人だが行政方面について驚くべき知識を持っており、中々の学者だという評判さえある人物だった《肝心のロシア以外の事なら》何でも知っているという、オリンピヤの神々にも比肩すべき行政官の一人で《その深遠さにおいて注目に値する》警句を五年に一度ぐらい吐くような ―白痴

"In Poland we have a saying: Pessimists study Russian, optimists study English, and realists study Chinese."
Owlcato says; Pessimistically optimists, or optimistically pessimists study Japanese - a gray zone

・Study the past, if you would divine the future. (Confucius)

・In doubtful cases the more liberal interpretation must always be preferred. (Cicero)

だいたいロシヤ人というものは、全社会をひっくり返すような見苦しい騒動を、夢中になってよろこぶ癖がある。
― 悪霊

・It is a mark of prudence never to trust wholly in those things which have once deceived us. Descartes

・It is only at the first encounter that a face makes its full impression on us. Schopenhauer


1,PAUL KRUGMAN - Confronting the Malefactors -

There’s something happening here. What it is ain’t exactly clear,;but we may, at long last, be seeing the rise of a popular movement that, unlike the Tea Party, is angry  at the right people...It is a testament to the passion of those involved that the protests not only continued but grew,eventually becoming too big to ignore
反原発デモも然り

・「東電屋、われら裁判所の好意を得ているといって、油断してはならぬ。事故が起きたら大惨事じゃ。しっかりと勉強せい」。「裁判官様あっての東電屋でございます。今日は授業料として、特別のお饅頭を持参しました。一つお召し上がりを」。「おや?饅頭の中に役員名刺がはいっているぞ、ふぁふぁふぁ」

・安全水槽の中のミスコン;ナカソネ金魚「さあ、全国の男性達に向かってハートにキュンの一言をお願いします」。ドジョウ「ドジョウは金魚ではないノダ。僕ちゃん、はやく綺麗なお水にとりかえて頂戴な!」。ナカソネ金魚「なんと私達金魚族の物真似するとは!?すくいようが無いノダ」(閣下に東電賞)



・深夜真っ暗の中、夢遊病者の如く自転車を漕ぐーゆらゆらと動く自転車のライトー近傍の事物が通過していくー標識、植木鉢、マンホール、横切る猫、遠くの対向車のライト。と、「一致」というフランス語に意識が行くー日本語に馴染まない人工的観念ー英語に翻訳可能でも、アングロサクソン的でない言葉?
 例文、「この関係は、一致であるよりも最初は不一致であり、理性の要求と想像力の能力との間に感じられる矛盾である」plutôt qu'un accord, ce rapport est en premier lieu un désaccord, une contradiction vécue entre l'exigence de la raison et la puissance de l'imaginationケインズの様に、供給と需要との一致・不一致について言及する英語の文は、具体的事物の並列。が、理性と想像力を並べる抽象性に凄く違和感と抵抗がある?


・Loss is nothing else but change, and change is Nature's delight. (Marcus Aurelius)

・No law or ordinance is mightier than understanding. (Plato)

xyzqa いろはにの ツイート
詩が、貧者に、殴られ、蹴られ、果ては飢えて死ぬ児に施しを行うならば、詩は詩であるだろう。――けれども私は、施しをする、詩を名乗る詩を未だ一度も読んだことがない。寧ろ、小競り合いをする詩ばかり目につくのは何故だったのだろう。――私は、詩を名乗らず、施しをする詩である人々を多く見る

Nature abhors annihilation. (Cicero)

子安宣邦氏のツイート
アジアからの留学生たちが、一つの討議空間を構成するためにアメリカの大学とそのスタッフは私を日本から呼ぶのである。これは真似の出来ないことである。大学が本質的に開かれているというのはこういうことをいうのであろう

・Men create gods after their own image, not only with regard to their form but with regard to their mode of
life. (Aristotle)

Nothing is to be preferred before justice. (Socrates)

Our will is always for our own good, but we do not always see what that is.(Rousseau)

Nothing is void of God, his work is everywhere his full of himself. (Seneca)

Now where there are no parts, there neither extension, nor shape, nor divisibility is possible. (Leibniz)


・McJob is slang for a low-paying, low-prestige dead end jobマックジョブ(McJob)とは、低賃金、待遇劣悪(長時間労働、異動転勤当然)、マニュアルに沿うだけの単調で将来性のない仕事


「韻文で哲学しようとするのは、昔も今も、囲碁の規則で、将棋をさそうとするようなものだ」(ヴァレリー)。ダブリンのテンプルバーのカフェで、レズビアンのチェス指しがいた。店の男性客を容赦なく負かしてキングの駒を指ではじき飛ばす。ふくろねこも対戦相手になったー将棋しか知らなかったけどね



詩篇の目的は、作者の遠く及ばぬ高所からの天来のもののように思わせるにある。この幼稚で、原始的で、そのくせ嘘ではないかもしれない考えに対して、作者の技術も努力も犠牲も全部捧げられる。Paul Valéry



The less men think, the more they talk. Montesquieu



・アート

・この区切られた窓一つの室内の空間は、本当にそれほど室内だったのかな。フェルメールが絵の中に描き込んだ荒れる海の絵。ジャーナリズム的叫びに通じた散文的叫びの筆遣い。この窓は、不確定な波に揺られ外の世界に向かって叫ぶ、理性の動揺にほかならないー何も見えない!闇の中でランプが揺れ続ける

・The people's song of Wagner is characteristic of <line> of Earth prescribes the vague nature in eternal return infinitely approaching limit "Grenze". A national border returning to itself is the essence of <line> of Earth in Wagner.
But how can any orphan and animal live delightfully in such a frontier,earth without wandering, "extensive groesse"
The nursing song of Mahler, even dissolutive melancholy, is the <line> of Pilgrimageーsilences the <line> of Earth. The encounter of musical instrument and animal's voice in orphans, uncertain marge without state, "intensive Groesse"

ワーグナーの歌は、限界Grenzeに近づいて行けば行くほど、帰還すべき郷里において、曖昧性を規定していく大地の<線>。国境線は民衆の大地だ。が、国境線に近づくと、孤児達と動物達は生きる力を失うだろう。マーラの子守唄は、この大地を沈黙させる声の<線>、即ち彷徨う巡礼ー声と楽器の遭遇



・思いで深い展示もここでした。作品のある部屋へ行くつもりで、廊下や階段やドアに立つ案内人達に次々とエスコートされ、空の部屋から部屋へと移動。その間芸術とは?と質問を受けます。と、気がついたら、一番最初の案内人だった少女のもとに戻ってきていました!

・このとき、conceptualな、オブジェなき思考の形式に開眼しました。裸の王様と私が勝手に命名した展示です。同じことを日本人が試みると、部屋の目立たない隅に小さな花瓶を置いちゃったりしますーどうしてもオブジェを必要とする芸術でしょうかね


・ややオカルト系ですが・笑、是非。08年は、内外の壁をぶち壊した瓦礫の部屋を展示して、ダダのラディカリズムを彷彿させました。館長は首覚悟。(ゴダールもポンピドゥーセンターの壁を壊して憎まれました)。障子に穴を開けてはしゃいでいた天罰男とは大違い

・ユダヤ人ギャングの喧嘩;ユダヤ人A「ばか!ばか!ばか!お前みたい馬鹿居ねえよ」。ユダヤ人B「ばーか!お前こそ大ばかだ。俺は賢いんだ、日本の首相の名前も知ってるしな。アベシンゾー。どうだ参ったか」。ユダヤ人A「やはり、ばかだな。日本語でお前の様なばかは、テンセージンゴロというんだ」


・映画・演劇


・ゴダール映画と言うと、チンピラの自動車泥棒(「勝手にしやがれ」)、探偵の彷徨(「アルファビル」)、映画が主人公であると映画(「パッション」)といった場面を思い浮かべようが、この各々が、ベケット的な多孔性の空間、ジョイス的な錬金術的巡礼、連続の哲学としての滑らかな空間に対応している

・ベケット的多孔性の空間は、フィクションとドキュメントのジャンルを越境したゴダールの方法と関係する。ジョイス的な錬金術的巡礼は、対話を重んじる古典的デクパージュのゴダール的再生である。連続の哲学としての滑らかな空間とは、互いに擬制しあうパンとクローズアップによって書いた詩を喚起する

・ポンピドゥーでの展示は、ゴダールの問題意識、「映画を空間化せよ」を現実化した展示だった。これは、ドゥルーズが戦争機械と呼んだ思考の形式に対応する。つまり、映画から哲学への移行。「世界の内部で、いかにその世界を見るのか」から、「世界へ向かって行くために、いかに世界を考えるのか」へと

・ヴィスコンティー「ベニスに死す」雑感;タジューを見て、神々しいギリシャ彫刻というよりは、ルネッサンスのナルシスティックで中性的な彫刻を思った。十五歳男子に顕著な堅固さと脆弱さの間の振幅、マーラ音楽の如きカトリック的マッチョと解決なき迷宮を奏でている。神の顔に対する神秘主義を考えた

・フェティッシュの遊戯?衣装(タジューの母)はヴィスコンティーの母が着ていたもの。タジューの中性的な身体は、堅固さと脆弱さの間を揺れ動く黒い海。カトリック的マッチョと解決なき迷宮を甘美に彷徨うこと。マーラの音楽を模倣したまえ。十五歳になると彼みたいに、死からの視線を感じ始めるものだ

・芸術家とは暗闇の中で獲物を追う狩人ー但し獲物の正体が分らない。現実の光によっては、この獲物の姿を照らし出すことは絶対に不可能。つまり、タジューは想像力の能力、グスタフは理性の要求だった。「この関係は、一致であるよりも最初は不一致であり、理性の要求と想像力の能力との間の矛盾である」

・「ベニスに死す」の撮影地、グスタフが滞在したホテルを昔訪ねました。女優の衣装は、監督の母が実際に着ていたものをベースにしてデザインしたもの。グスタフのタジューへの視線、ヴィスコンティーの実母への視線が重なり合います

・プッチーニ「トスカ」は、芸術家を救い出す騎士物語の側面がある。トスカは、オイディプス王みたいに、他者の言葉に囚われて破局につき進む。身を投げたラストで死んだかどうかは曖昧だ。専制権力が崩壊する混乱のなかで逃げ出したと解釈したい。教会と君主による死の裁きから、トスカは生き残ったのだ


・子安先生によると、「宣長の国学的和文は〈漢〉を〈日本〉から異別化し排除した」。ゴダール風に言い直すと、宣長のモンタージュ的思考は、〈漢〉というドキュメンタリーを、〈日本〉というフィクションから異別化し排除したと理解できよう。その結果、日本ナショナリズムというファンタジーが生まれた

・「福沢の西洋に定位した翻訳的言語は、停滞する〈支那〉を記述し、文明的進歩のネガ像を構成していく」。〈支那〉を〈日本〉から異別化し排除した。この場合、停滞する〈支那〉はフィクション、文明開化の<日本>というのはドキュメンタリーであった。その結果、日本帝国主義なる最悪の映画が生まれた


・自然・身体


・ホホー、ありがとうございます。ダブリンとロンドンの風邪は二ヶ月続くこともありましたから、やはりそういうことだったのですね・笑ー>「風邪は、体内に通る風に邪なるものが混じっている」、「医心方とは平安時代の宮中医官である鍼博士丹波康頼撰による日本現存最古の医学書である」@xyzqa

・推進派と脱原発派は共倒れ状態。原子力発電所だけが一人勝ちしてる。壊れることによって、益々支配力を現実化している。推進派の約する未来が合理的であればある程、脱原発派が悲惨に思う現実が非合理的であればある程、このギャップを利用して、巨大資本の機械仕掛けの搾取が、人間の限界を超えていく

・世界の不条理を笑う人間的な空白を、ミリの単位まで厳密に支配しようとする権力のオブセッションが支配しているようですね、この国は。デモのエッセンスは、場の力だけでなく、場違いの力にあると私は思います。このことが一番の危険視されるタブーかもしれませんね

・外国

・ボヘミアンを追放したNYとTOKYOー似非ニューヨーク物語を粉砕し、正義を開いて占拠を導入しよう!裕福な日本人居住者がNYに溢れ始めたのは九十年代ー隠蔽された立ち退きの暴力が続くー貧富の格差しかない、バブル期の空ろな東京の鏡ー猥雑な生きる力を取り戻せるかー私達の根なし草の都市は?

Éire エーラ【女性名詞】アイルランド

・労働者階級はサッカー、中流はラグビーと棲み分けがあります。が、アイルランドの場合、前者の若者がラグビーをやるから強いんですが、政治意識も高いのがいるのですね@o_matsuiアイルランドの代表のうち2選手は、パレスチナ支援に賛同を表明、スポーツ選手も社会や政治と無関係ではない

・Occupy Wall Street: echoes of the past as protesters grasp the future...its real influence is on the zeitgeist ウォール街の占拠ーここから、時代精神の占拠が始まるのだ


・精確なプレーはスイスの時計の如し?BBCはフェデラを好むのは、越境性のある社交的イメージを体現しているから。他方、公営テニス場に来る英国人達が言うには、自制心欠けるマレーから伝わる人間的暖かさが無いと反論。ヒーロー像に関して左翼と大衆の間にgapがあるーMind the gap!

・オバマはクリントン路線。このクリントンは、継承したレーガノミックスを、市場と共存した社会民主主義と名づけた。今日ならTPP。93年NY街頭で放置されていた、AIDS+ホームレス+精神病の三重苦の人々ー彼らはインディアンだったのか!明るく無敵のアメリカンドリームの複数形は二つ、SS

Protesters in cities around the world take to the streets to demonstrate against financial mismanagement抗議する人々が世界中の都市にー金融(誤導)システムに抗議!公平さを求めん

Occupy the London Stock Exchange - live coverage gu.com/p/32jz3/tw via @guardian


・アイルランドで、ordinary peopleという言葉を本当によくきいた。元々60年代アメリカの公民権運動から広がった言葉とW・レイモンドが指摘する。「99%の声を聞け」の声はまさしくこれだ。支持したい。但し東京集会のビデオでみた、1%は出て行けとするプラカードには疑問を感じる

・ロンドンでのゴールドベルグ氏の話。パウンドを尊敬する、このリベラルな作家のラビは、イスラエル建国当時の事情をよく知る人で、その後の、人権を顧みないアジア的専制国家の方向性を痛烈に批判した。同時に、イスラエル人の恐怖を解説した。多数派アラブ人たちによる、1%は出て行けという声である

・99%のアラブ人の声をきいたつもりとなって、イスラエル人は核兵器保有を勝手に正当化している。アラブ人の声は我々全員の承認を得て欲しいと要求しているだけなのに。同様に、「99%の声を聞け」は、1%は99%の声の承認を得よと要求する。1%は出て行け!という純血種の排除主義と関係がない

・ゴールドベルグによると、当時イスラエルの将軍達は、国際世論の非難を覚悟で、ニーチェ的な意志の力でパレスチナ領土を奪った。肝心なのは近隣アラブの交渉で妥協を引き出す事だった。しかし勝ち過ぎてしまった。将軍達は蒼ざめたー交渉の必要なし、領土拡張せよと国民が要求し始めるのは必至だからだ

・ゴールドベルグによると、イスラエルが生き残る道は、国内のパレスチナ人に選挙権を与え人権を尊重すること。そして、ユダヤ人が長い歴史を通して実現してきた、教育を重視する文化の普及だ。これこそ、アラブ人も受け入れてくれる平和戦略だと。核兵器保有は米国の軍事要塞化を進めるだけ。日本も同じ

・1%の声とは、レーガノミックスとサッチャーリズム、新自由主義、クリントンとオバマの詐欺"市場と共存した社会民主主義"、米国型グローバリズムのTPPである。無敵アメリカンドリームに対して、私達はインディアンのようには絶滅しない。この悪夢の複数形SSと、卑怯者の協力者に対して闘うのだ


・明るく無敵のアメリカンドリームに対して、私達はインディアンのようには絶滅しない。この悪夢の複数形SSと、卑怯者の協力者に対して抵抗する!卑怯な協力者の処刑リストーネオリベを賛美した過去を隠蔽し現在ケインズ派を装う学者、腐敗した新聞、血統書つき三世議員、米国の要塞基地と堕した日経連

・第一次大戦後、英国は、ナショナル・プライドゆえに、高金利、高ポンドで金本位制へ復帰した結果、国内製造業が壊滅してしまった。現在の日本は、嘗ての英国の様な、高い実質利子率、円高である。ホームレスが増加しても、企業は、一千兆円の海外資金で他国の資産を買いまくって、得意顔である

・「アメリカ合衆国が、すでに占領地なのだ。ここは先住民の土地なのだ。そして、その占領は、かなり長い時間にわたるものである。もうひとつ言わなければならないのは、ニューヨークは、Haudenosaunee (イロコイ)族領であり、他のたくさんの先住民族の故郷なのだ」ー「ちきゅう座」より

・テートモダンでカンデンスキー回顧展をやっていたとき、セントポール教会で、シェーンべルグの弦楽四重奏の演奏会があった。(シェーンべルグはカンデンスキーの友人)。メランコリーな無調の音楽とバロック建築の遭遇だった。現在この教会前の広場で、occupyシティの人々がテントをはっている!

・スピバーグはタゴールをアジア主義の提唱者として称賛する。ハムステッドを散歩するときは、タゴールとローレンスが住んでいた家の前を通った。ヒースからシティの方向にセントポール教会が見えた。尖塔はこの丘と同じ高さに設計してある。現在その広場でoccupyシティの人々がテントをはっている


・洪水で水が溜まった窪みの中、ジャブジャブ歩いた苦労を思い出しました。ズボンはずぶ濡れ、風邪も悪化しました。試験日でしたから、生徒の為に必死に行きました。やっとの思いでセントアンドリュ高に到着したら、門前に休校の張り紙。電話連絡欲しかったな・泣@Beardslieダブリン洪水です!

・東京

・ツィッターの非権力的窓からは、フリージャーナリストの沸騰する世界が一望できる。旧左翼的知識人の雛形、勝手気儘な右翼アナーキスト、自由民権運動的郷土愛、海外特派員。反権力?の政治家の寡黙な山も見えるが、私は、デモ行進の方を見たい。小さな声でも、自己主張し始めた非権力の声を見たいから

・英国は不況かつインフレで厳しい。日本はデフレゆえに低賃金だが、消費者物価も低い。安く質のいい商品がある。インフレ時は、高くても商品の質が落ちた。現在は、仕事探しが厳しいが、消費者の立場としては比較的安心か。しかしデフレによるホームレス増加は無視できない。一千兆円の海外資金をoccupy!

・ジャパンオープンでマレーがナダルを下した。後半から一方的な試合展開となった。攻撃なきテニスが敗因か?試合後のナダルは、恥ずかしそうにうな垂れていたようにみえた。と、スピーチのとき、ナダルは、東北震災の家族の犠牲をおもう心を打ち明けたー顔をあげた。励ましの言葉を繰り返し語るのだった

・学校時代は、木造からコンクリートへと建て替えの時期と重なりましたから、大抵図書館が教室でした。ダブリン国立図書館のことは、ジョイスが書いてますが、英国植民地時代でこれだけの公共施設があったのだから、独立後貧弱になっていれば騙されていると思への警告・笑

・夜は天井の無い場所で眠り星の煌きを仰ぎ見た。新橋の公害企業、裁判遅延の上告に抗議すべく、その本社ビル正面玄関の三ヶ月間座り込みに加わったのは、二十年前のこと。市民運動が行った座り込みの現場に、六千人が来て署名した。民事不介入で、警察は蚊帳の外。来年東電前座り込みは実現するのか!?

・テレビの三つの罪
(1)真実を伝える情熱が足りず、その能力も自覚もないこと。福島の取材にハイヤーを使うのは取材費の大浪費
(2)人間としての同情心が欠けること。領収書を出せない困窮した福島の人々を叱るな!
(3)こうした事実を組織の力で、隠蔽しようとしている疑い

・朝の朝日新聞のデモ写真、顔の無意味なクローズアップに苦笑。しかし、ショウペンハウエルが言う通り、顔というのは、最初の出会いにおいて決定的な力をもつことも確か

・テレビの電波は公共に属します。が、実際に大会社や広告会社が独占していて、一般人はアクセス不可能で、Youtubeの様な自主放送が無理です。占領された公共の電波に民主主義はあり得ません。これを自覚しない人が取材費を名目に勝手に金を使うのです。私達から盗まないで!


・「中立」の立場を守らなければならないと勘違してるんじゃないですか。そのくせ、デモの写真を撮ろうと、警察の小型トラックの上から撮影していた卑怯者の記者を二度見ましたよ@spiral_cat どうして日本の記者は公園や路上のミーティングの輪に入っていかないんだろう?不思議でならない。

・全体主義でないかぎり、民主主義ゆえに、推進派と脱原発派は存在する。脱原発派が憂う悲惨な現実と、(それを打ち消す)推進派の約束する未来が均衡し合うー新しい安全神話が次々捏造されていく。結局、こうして、原子力発電所だけが一人勝ちする。壊れることによって、恐怖の支配力が自立していく矛盾

・社会民主主義を捨てよとジジェクは提案してきた。これは頗る評判が悪い。しかし脱原発派が憂う悲惨な現実と、(それを打ち消す)推進派の約する未来が均衡し合うー民主主義の下で新しい安全神話が次々捏造されるのは、不条理な背理だ。但し全体主義によって、原発を止めると望む事ほど愚かなことはない





・分類できないもの







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ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月10月 本多敬 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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