言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月11月後半 本多敬

<<   作成日時 : 2011/11/17 23:14   >>

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思想・哲学

・サルトルは何を問題提起したか?レヴィストロースによるサルトル批判は何か?フーコは、サルトル、従ってデカルトの再定義をどのように行ったか?デリダとの間で起きた議論は何か?ドゥルーズはいかにフーコを展開させたか?サィードによるフーコ批判の根拠は?なぜ、現在サルトルが復活しているのか?

・なぜ木を切るのが好きな人が多いのか、いまやっとわかりました。それは、すぐに結果を知る事ができる行為だからでしょう 、と、スピノザ的なアインシュタインは語る。原因の認識の方が、結果の認識よりも十全である。「成果」がなくとも何故自分はデモに参加するのかと思う時こそ、出会える黄金の言葉

・なぜ木を切るのが好きな人が多いのか、いまやっとわかりました。それは、すぐに結果を知る事ができる行為だからでしょう 、と、デリダが言ったかもしれない。過剰な差異である無限を有限化し囲い込んだとしても、それは、権力者にとって都合がいい幻想でしかない。無限はダンスし続けるーいつも遅れて

・なぜ木を切るのが好きな人が多いのか、いまやっとわかりました。それは、すぐに結果を知る事ができる行為だからでしょう 、とケインズが語ったとしても不思議じゃない。そのこころは?結果(供給)との一致のもとに原因(需要)を従属させるネオリベ的均衡は、完全雇用の高さに届かない事が起きるから

・なぜ木を切るのが好きな人が多いのか、いまやっとわかりました。それは、すぐに結果を知る事ができる行為だからでしょう 、とアインシュタインは語る。他者との論争は、誠実さや真摯を伴なわなければ、木を切る行為と同じ、言葉のスラム化だ。人は兄弟や親しい友人とだけ本当の口論ができるものなのに

・なぜ木を切るのが好きな人が多いのか、いまやっとわかりました。それは、すぐに結果を知る事ができる行為だからでしょう 、とフーコが語ったかもしれない。思考し得ぬものこそ、思考の無限の可能性の出発点。いかに思考し得ぬものを思考するかだ。思考から思考し得ぬものを排除するのは、木を切る行為

・なぜ木を切るのが好きな人が多いのか、いまやっとわかりました。それは、すぐに結果を知る事ができる行為だからでしょう、とマルクスは語るか?ポストモダニズムとポスト構造主義、多文化主義は木を切るのは、大きな絵を犠牲にして特殊性を知りたいから。しかし今は大きな絵(一般性)を見る時ですぞ!

・なぜ木を切るのが好きな人が多いのか、いまやっとわかりました。それは、すぐに結果を知る事ができる行為だからでしょう、と座り込む人々は抗議する。囲い込み+排除は木を切る行為。資本主義のオルターネティヴは、NGO、アナーキズム、社会民主主義政党、市民派グループ、多文化主義+フェミニズム


・思考し得ぬものこそ、思考の無限の可能性の出発点。いかに思考し得ぬものを思考するかだ。金融資本の欲求、資本主義の無限の拡張を信用によって推進する衝動は、思考し得ぬもの、とマルクスは捉えた。この無限性は、生存可能な労働組織の有限性とは相容れない。生命や生態系の有限性とも矛盾するだろう

・立川氏の画期性は、映画のカメラの視点で古典落語の革新を行った事にあるそうだ。ゴダール映画の視点を意識して、マルクスとジョイスを書くと決めたのは、ダブリン時代の15年前に遡る。現在は、「言葉と物」のフーコの様に絵画の視点を働かした文を綴りたい。点であるこの思想を他の点の周りに置いて

・ブルジョア的なヘーゲルと、ブルジョア社会を批判したマルクス。西田哲学のポイントは、この両者が共に歴史の展開を弁証法的に捉えるが、その弁証法とは一般者自身の展開過程としか考えられていないという指摘にある

・海外の反戦運動にとびこむと、なぜtakashiが関るのか?と質見を受けるし、皆話を熱心に聞いてくれた。孤立する隙間がない。しかし日本に戻って来て実感するのは、社会的問題に関わると友達が減っていく現象。柄谷が言う様に、「自発的結社にもとづく「社会」の次元が存在しないか、希薄だから?

・沈黙に沈黙を重ねても、思考し得ぬものと出会えないままだーそれはなぜか?都合よく、沈黙は論理しか生まないからだ。かえって、フッサールのような思考の明確化の極限の方向に、思考し得ぬものが、詩人アルトーの如き直接行動が立ち現れた、とフーコは分析した。つまり脱出させる力は、言葉にありと。

・かえって、フッサールのような思考の明確化の極限の方向に、詩人アルトーの如き思考し得ぬ直接行動が立ち現れた、つまり脱出させる力は言葉にあり。と、このフーコの説得は意外に、素朴な毛沢東的弁証法の世界だ。構造改革に腐心する新左翼のネオリベ的転向の狭い世界を嘲笑う、そんな黒い破壊力がある

・弁証法の息吹、思考可能なものと思考し得ぬもの。フッサールの思考の明確化の極限の方向に、詩人アルトーの思考し得ぬ器官なき身体が立ち現れた。脱出させる力は言葉にありだ。このフーコの分析からは、かのジョイスとゴダールを一望できる。Grammatical but Unacceptable

・唯物論は、無限という他者に相対する必然として矛盾に陥る。思惟は自身で自由に羽ばたく事が不可能ゆえに、集会・デモ等の、外部の言語行為に依存する。他方、観念論と精神主義は、体系のコンパクトな空間の如く、氷が覆う様に自らを覆い、都合よく無限=他者を一緒に限定してしまう。唯物論は抗議する

・観念論の世界は、自立的な純粋な思惟だけから成る。TPPの根底にある自由貿易の幻想は、こうした観念論に属する。つまり、交換することは、同一性の透明な思惟に従う事である。そうである以上、この思惟が、不透明な外部のもの(例、関税)に依存する事はあり得ない。唯物論はこの思い込みを拒否する


行列の成分配置のうち、自分の状態を計量する成分Aij(iとjは同じ)は、デカルトの還元主義的方法論を、他との相互作用を計量する成分Aij (iとjは違う)は、「ホーリズム=全体論」の方法論を、あらわす。デカルトを非難した八十年代のポストモダニズムは、「ホーリズム=全体論」を支持した

唯物論とは、思惟的な原理とそのうちに展開される精神的な世界との独立性を否定する。この唯物論からみると、デカルトの還元主義的方法論(自分の状態を計量する成分の配置)は、今日ヨーロッパで復活している、サルトルの、否定の力を導入するラディカリズムの哲学的表現である。他との相互作用がないということは、conformism体制順応主義を拒否すること。右翼と取引しないことだ

唯物論は、ホーリズム(諸要素間の相互作用を計量する成分の配置)を、八十年代に顕著なconformismの哲学的表現とみなす。左翼政権は、自らのラディカル性を反省し、右翼に対する闘いを止めて弱気な中道路線に走った

自分の状態を計量する成分Aij (iとjは同じ、例、A₁₁、A₂₂、A₃₃...)は、ヘーゲルならば、「対自的」と呼ぶものだろう。他方、他との相互作用を計量する成分Aij (iとjは違う,例、A₁₂, A₁₃, A₂₃...)は、「即自的」を意味する。そうすると、 「即自的且つ対自的」は、 Aijの全部をあらわすことになる。

「即自的且つ対自的」は、Aijを全部並べた見渡した知識である。もし全体を見渡すから、このほうが、「対自的」オンリー、又は「即自的」オンリーより客観的でいい感じがする。しかし、そういう知識は、「構造的」かもしれないが、「主体性」が欠落しがちである。実際に、構造主義からは、行動が出てこないと不満に持つ若者が多いだろう。
サルトルは、自由が、徹底して、「対自的」であると説いた所以である。

最後に、八十年代にポストモダニズムを流行させた浅田彰は、しかし、日本的ポストモダニズムである「ホーリズム=全体論」を啓蒙的に批判しなければならなかった。つまり、個体性=主体性なき、「ホーリズム=全体論」的ネットワークは、従来の男性優位社会に過ぎないと。彼には、はっきりと、フェミニズムの視点と、天皇制を批判する視点とがあったのだ


子安宣邦氏のツイート

1,宣長はわが「神の道」とは「神祖伊邪那岐・伊邪那美神が始められ、天照大御神が受け継ぎ、伝えられた道」「天皇の天下を治らすべき道」であるという。彼はそれ以外の、人びとの行いや教えとして説かれる神道を〈私説・わたくしごと〉として禁じたのである。神道とは〈私の世界〉の教えではない。

2.宣長国学の神道世界は、日本という国のナショナルな表現であっても、そこに住む人びとの願いや望みを表現するものではない。端的にいえば、われわれの霊魂は死後どこへいくのか、われわれは救われるのかといった問題に答えるものではない。それに答えることは〈私事〉であった。

3.だが死後われわれの霊魂はどこへいくのか、どこに静まるのかということは、たしかに〈私〉の問題であっても、それは人にとって切実な問題ではないか。これに答えることは国学者の務めではないか。そう考えたのは篤胤である。彼は国学的神道をこの問題に答えられる神道に作り変えようとした。

4.篤胤は救済論的な神道神学をjavascript:void(0)構成していく。だが近代日本にとって篤胤とは何か。宣長国学は天皇制的神道神学として近代日本の正統的な位置を占めていった。だが〈私〉の死後の救済をいう篤胤国学は近代日本で〈はずれ者〉の位置を占め続けた。知識人はこれを狂気と非合理な思惟の産物とみなした。

5.宣長は人は死ねばだれもが暗い地底の黄泉の国に行かざるをえないといい、死後霊魂の救いをいう安心の論は神道にはないといった。だが宣長自身は死後の自分の鎮まる場所を山室山に求め、「千代の住処」をえた喜びを歌に詠んだ。篤胤はこれが宣長の本音だとした。

6.宣長は人に向かって公に説く神道の論説としては、神道に安心はないという。だが一方で宣長は死後の自分の千代に鎮まる場所を求めている。これを宣長の死後観における矛盾とするか、宣長における表と裏の二重性と解するのか。二重性といえば、宣長には古事記と源氏物語との二重世界がある。

7.この二重性を一人の宣長においてどう理解するかに村岡典嗣も小林秀雄も苦労した。しかし解決できたわけではない。この問題を解く鍵を与えるのは、やはり篤胤である。民それぞれの私の救済にこだわる篤胤神道国学を宣長に突き当てることによって、宣長神道国学の特性も明らかになる

8.宣長のいう「神の道」は「天照大御神の道」であり、「天皇の天下を治しめす道」である。彼はこの「神の道」から人びとの私の行いや教えを、私の救済をも〈私事〉として排除した。だが〈私の安心〉は神道から排除されても、否定されたのではない。宣長は〈私の死後〉の鎮まる場をもつのだ。

9.近代神道における〈敬神〉と〈祈願〉との分裂。宣長は夙にこの分裂を一身に体現している。しかしこの分裂を分裂と意識することなく、穏やかに自足した70歳の姿の中に体現している。『古事記伝』の完成を人びとと祝いながら、山室山の桜の下に鎮まる場をもちえ〈私〉の喜びを歌に詠むのである。












・ご指摘の通り、ライプニッツのモナドが「複素関数論」に対応するとしたら、スピノザの分割不可能な実体は、「行列」に対応すると考えています。今日、エキビルアンの本屋で、「物理数学の直観的方法」(ブルーバックス)のあとがきを面白く立読みしました。相互作用が大事

・「これからは議論の力で公園のスペースを占拠するべきだ」と言うことと、非暴力の議論の力を権力によって立ち退きしてしまう行動は、矛盾だぞ。ー>「悪い」国家とは「真実でない」国家であり、「真実でない」とは「事物の本性あるいは概念と事物の存在とが矛盾している」ということである(ヘーゲル)


・古代日本史など門外漢。武蔵国に来た渡来人の開拓の歴史よりは、彼らの亡命の歴史に興味がある。だから、先週自転車でぶらりと行って思わず古墳に出くわしたのは事件であった。高句麗人は、土に対する執着を持つ倭国知識人を未開と看做したか?儒教vs神道、とプロスペローの様な事が起きたかどうか?

・芝居を書きたい!高句麗の渡来人達は、失われた祖国を亡命地日本において見出そうとした。主人公は、日本という国のナショナルな表現を通して祖国を感じ取ろうとした人々の一人。死後我々の霊魂はどこへいくのか、どこに静まるのかという倭国知識人の問い、土への執着は、〈私〉の問題に過ぎなかった

歴史というのは、過程であるから、それを語ろうとする現在の関心を映し出す河。 古代史に展開した国盗り物語などはどうでもよろしい。高句麗の渡来人達は、捕虜であり亡命者となった体験から、戦争の空しさ、和解の意義、法の役割を、日本人の為に伝えたと思う。古墳よりも重要で、生きた歴史のなかへ


国家主権が及ばない金融部門に対する抗議、Occupy Wall Streetは、共和党とロビーストに操られたオバマと民主党に対する抗議でもある。こちらの民主党も、自民党を徹底的に潰すべきだったーお友達となるのではなく。支持した国民も、政党に任せずに、自らの行動、デモの行動によって財界を捻じ伏せるべきなのだ

David Harvey says;the "Great Leap Foward"emphasised production and technological and organisational change.It failed in its immediate objectives and produced a massive famine, but almost certainly had a huge impact upon mental conception...Mao completely reorganised the delivery of health care in the 1960's for example, by sending an army of "barefoot ...

ハーヴェーは、欧米左翼政党は文化革命がなく、ただネオリベの構造改革を請け負ってきただけと苛立つ。大飢餓の失敗はあるが、毛沢東の再評価を行っている。六十年代に健康と医療の水準が向上し、農村での幼児死亡率が劇的に減少した結果、八十年以降の経済成長に必要な余剰労働力の供給を可能にしたと


私化した個人は、原子化した個人と似ている(政治的に無関心である)が、前者では、関心が私的な事柄に局限される。後者では、浮動的である。前者は社会的実践からの隠遁であり、後者は逃走的である。この隠遁性向は、社会制度の官僚制化の発展に対応する。(中略)原子化した個人は、ふつう公共の問題に対して無関心であるが、往々ほかならぬこの無関心が突如としてファナティックな政治参加に転化することがある。孤独と不安を逃れようと焦るまさにそのゆえに、このタイプは権威主義リーダーシップに全面的に帰依し、また国民共同体・人種文化の永遠不滅性といった観念に表現される神秘的「全体」のうちに没入する傾向をもつのである。(「個人析出のさまざまなパターン」『丸山真男集』第九巻p385)


日本における統一国家の形成と資本の本源的蓄積の強行が、国際的圧力に急速に対処し「とつ国におとらぬ国」になすために驚くべき超速度で行われ、それがそのまま息つく暇もない近代化――末端の行政村に至るまでの官僚制支配の貫徹と、軽工業及び巨大軍需工業を機軸とする産業革命の遂行――にひきつがれていったことはのべるまでもないが、その社会的秘密の一つは、自主的特権に依拠する封建的=身分的中間勢力の抵抗の脆さであつた。明治政府が帝国議会開設にさきだって華族制度をあらためヨーロッパに見られたような社会的栄誉をになう強靱な貴族的伝統や、自治都市、特権ギルド、不入権をもつ寺院など、国家権力にたいする社会的なバリケードがいかに本来脆弱であったかがわかる。前述した「立身出世」の社会的流動性がきわめて早期に成立したのはそのためである。政治・経済・文化あらゆる面で近代日本は成り上り社会であり(支配層自身が多く成り上り、構成されていた)、民主化をともなわぬ「大衆化」現象もテクノロジーの普及とともに比較的早くから顕著になった。(『日本の思想』岩波新書p44-45)

これは、和辻が「城壁」というメタファーで語ろうとした問題である。つまり、「城壁」とは、「強靱な貴族的伝統や、自治都市、特権ギルド、不入権をもつ寺院などの国家権力にたいする社会的なバリケード」を意味するのである。このような社会的次元の抵抗がなかったために、日本では、統一国家の形成が速く、産業化も速かった。中国では、西洋とは違った意味で、こうした「社会的なバリケード」が強く、それが国民国家の形成と産業資本主義の発展を遅らせた。(注4)一方、そのようなバリケードがなかった日本では、急速な資本主義化が進行した。しかし、それを可能にしたのは、日本に国家とは異なる「社会」という次元が無化されていたことである。
 それはまた、日本では、自立化する個人のタイプが存在しにくいということでもある。このような個人がなくても、あるいは、むしろない方が、産業資本主義の発展がスムーズになされることができる。そして、その中では、人々は国家に対抗しようとすれば、せいぜい「私化」あるいは「原子化」によってそうするほかない。また、このようなところで、資本主義を否定すれば、それは「社会主義」ではなく、「国家主義」に帰結するほかない。なぜなら、そこには、自発的結社(アソシエーション)にもとづく「社会」の次元が存在しないからである。(柄谷)


海外では、例えば反戦運動に関わると、何故それに関るのか?と必ず関心を持たれ、常に説明を求められる。孤立する隙間がない。しかし日本に戻ってきて実感するのは、社会的問題に関わると友達が去る現実。
柄谷が言う様に、「自発的結社(アソシエーション)にもとづく「社会」の次元が存在しないから?


言葉・詩・表現

EloiseK Eloise

ユングのアニマ論を見つけました。『ユングはルチアと父親の関係に一種の神秘的な同一視をみた。彼によれば、ルチアは父親のl'anima inspiratrice, であり、父ジョイスにとって、彼女はla femme inspiratriceである』
ユング:だからこそ彼は娘が精神異常と認定されることを頑なに拒んだのです。彼自身のアニマ、つまり無意識のこころは娘としっかりと同一視されていたので、娘が精神異常と認定されるのをみとめることは、彼自身が潜在的な精神病者であることを認めるも同然だったのです。

Anama anamaba anamabapa(267)と、 Is the Co-Education of Animus and Anima Wholly Desirable?(307)でユングを揶揄していますね。FW最後とEvelineの類似性は偶然でしょうか

▶ボードレール【美】:「…嗚呼!永遠に悩まなければならないのか、或は、身を以て、永遠に美から逃れ去らねばならないのか?…美の探求とは、そこで芸術家が打負かされるに先だって恐怖の叫びをあげる、一つの決闘である。」(「芸術家の告白」『巴里の憂鬱』三好達治訳)

▶Baudelaire【le beau】Le Spleen de Paris
Ah ! faut-il éternellement souffrir, ou fuir éternellement le beau ? Le Confiteor de l’artiste. L’étude du beau est un duel où l’artiste crie de frayeur avant d’être vaincu. Le Confiteor de l’artiste

官僚と庶民だけで構成されている社会よりは、市民がいる官僚と庶民の社会のほうがいい。マスコミも違って来るだろう+「官僚と庶民だけで構成されている社会、市民のいない社会、それが日本だ。ジャーナリズムの批判性はここでは庶民的シニシズムのそれだ。シニシズムはそれ自体原理ではない」(丸山)

官僚と庶民だけで構成されている社会、市民のいない社会、それが日本だ。ジャーナリズムの批判性はここでは庶民的シニシズムのそれだ。シニシズムはそれ自体、原理ではない。(日記)丸山真男bot


no one can escape responsibility with the excuse that he is only an individual,on whom the fate of the world does not dependと、ルカーチはジョイスを非難した

Every man is born as many men and dies as a single one. Martin Heidegger

The discipline of desire is the background of character. John Locke

Toute âme est une mélodie, qu'il s'agit de renouer. Mallarmé

An infinitesimal, dx, dy, is not existence Sein, the thing which there is.
It is not no nothingness Nicht too.
Repetition to transition from Sein to Nicht,
And from Nicht to Sein.
As, lack of the determinate inward, absolute light , is
so immediate and abstract that one cannot recognize it, therefore
it becomes innocent darkness
The dialectic of Sein and Nicht is simply becoming
Fragrance of absolute light

dx、dy、無限小は、在るものではなく、有Seinではない。
しかしそれかといって、無Nichtでもない。
有から無へ、無から有へと移り行く反復。
純粋な光は、抽象的にすぎ、内に規定性を有しないので私達はそれを認識できず、したがって純粋な闇となるように
それは、有と無の統一である成
ひかりのにおい

Paul Valéry
音楽は、透明のゆえに美しい。ポエジーは反射のゆえに美しい。

Courage is knowing what not to fear. Plato


白虎、曰く、「われわれが在るものを制限、欠陥として知る場合には、否、感じる場合でさえ、われわれは同時にそれを越えているといえるのではないだろうか。」

青龍、曰く、「生物には、無生物にはない苦痛という特権がある。生物にとってさえ個別的な規定性が否定的なものと感じられてくることがある。」

朱雀、曰く、「それは生命あるものとして、個別的なものを越えている生命性という普遍を自己のうちに持っており、自分自身を否定するもののうちでなお自己を保存し、そしてこうした矛盾を自分のうちに存在するものとして感じるからだ。」

宇宙卵、曰く、「このような矛盾が生物のうちにあるのは、一つの主体のうちに二つのもの、生命感という普遍性とそれにたいして否定的な個別性があるからである。在るものを有限であるとか制限されているとか呼ぶということがまさに、無限なもの、制限されていないものの現存を証明していることなのだ」

The four Taoist gods supposed to reign over the four points of the compass

The black turtle-snake of the north 玄武 says; Die natürlichen Dinge sind beschrankt, und nur natürlichen Dinge sind sie, insofern sie nichts von ihrer allgemeinen Schranke wissen, insofern ihre Bestimmtheit nur eine Schranke für uns ist, nicht für sie.

The white tiger of the west白虎 says; Als Schranke, Mangel wird etwas nur gewuß, ja empfunden, indem man zugleich darüber hinaus ist.

The blue dragon of the east 青龍 says; Die lebendigen Dinge haben das Vorrecht des Schmerzes vor den leblosen;selbst für jene wird eine einzelne Bestimmtheit zur Empfindung eines Negativen

The red phoenix of the south 朱雀 says; Weil sie als lebendig die Allgemeinheit der Lebendigkeit, die über das Einzelne hinaus ist, in ihnen haben, in dem Negativen ihrer selbst sich noch erhalten und diesen Widerspruch als in ihnen existierend empfinden.

The cosmic egg 風の卵 says;Dieser Widerspruch ist nur in ihnen, insofern beides in dem Einen Subjekt ist, die Allgemeinheit seines Lebensgefühls und die gegen dasselbe negative Einzelnheit. Es ist daher nur Bewußtlosigkeit, nicht einzusehen, daß eben die Bezeichunung von Etwas als einem Endlichen oder Beschränkten den Beweis von der wirklichen Gegenwart des Unendlichen, Unbeschränkten enthält, daß das Wissen von Grenze nur sein kann, insofern das Unbegrenzte diesseits im Bewußtsein ist

ひくろうねこ裏口大学、天声人語生成ソフト独自開発!秘訣は結婚式スピーチだった?1、偉い人の言葉を引用をする。例、バーナード・ショー。2.、時事問題にあてはめて本題に入る。3、偉い人と自分を同一化しつつ、4、「してもらいたい」「であって欲しい」と注文をつける。例、精勤あっての息抜き

編集部記者「大変!ふくろうねこ裏口大学が、天声人語生成ソフトを売り出しています。糞腹立つな!どうなさいますか、部長?」。コラム部長「わかった、わかった!ふくろうねこ裏口大学と交渉して五千円にまけさせろ。いいか、五千円以上は一文も払わないからな!!」。編集部記者「・・・ww(涙)」

現体制のうちに無分別や退屈の要素がまぎれこみ、わけのわからない感じが漠然と広がるとき、それが別の世界の到来を告げる前兆なのだ。全体の外観を変えることのない緩慢な破壊作用が、あるとき突如として様相を一変させ、稲妻のように、新しい世界の像を一挙に打ち立てるのである。(ヘーゲル)

I have been bored ever since I was twenty (Byron) [In deeds,not years, piercing the depths of life / So that no wonder awaits him] 彷徨う永遠の巡礼者

・大変です!原発とTPPにケチをつけない現在の新聞は、政治的な無関心、政治的逃避そのものとなりました。広告しか喋らないぶんぶん、しんぶん、しょんべん@丸山眞男;厳正中立を標榜する一般の新聞は、政治的な無関心、政治的逃避という最も伝統的な、最も非民主的態度を助長する役割を果たしている


一方では悟性は現象しか認識しないことを認めながら、他方では「認識はそれ以上進むことはできない。そこに人間の知識の自然的な、絶対的な限界がある」と言うことによって、この認識が絶対的なものであることを主張するのは、この上もない不整合である。(ヘーゲル「小論理学」より抜粋)

カントの二元論的体系の根本的欠陥は・・・結合されたものを真実であると言うかと思うと、すぐにまた、結合されてのみ真実であるとして独立性を否定された二つのモメントは、分離されてのみ真実と現実性をもつということこそ真実であると言う。(ヘーゲル「小論理学」より抜粋) 

ふくろうねこ新聞今日のTOPニュース。松下塾の新型コンドーム「センシティヴTPP」、大好評!外務省官僚の証言によると、「米国側と"ガチに交渉バトル"できた」。これに対して、野田OBは、「入り口だけなら破れないが」と懸念気味。中曽根商会、来年中に、不沈空母型「タイタニック」発売かも


外国

・英国で目撃した全ての事が現在日本にて進行中。労働党/民主党が政権交代で裏切り、保守党/自民党も変わらん。political landscapeが極端に狭い。制度上の政治的選択が零。ポピュリズムとテレビ植民地主義の双子。医療と教育の予算カット、国民からみると負債しか生産しない多国籍企業

ル・モンド紙diplomatiqueを買って、Enquéte dans le temple de l'EuroとOé est la gauche à l'heure de la tourmente économique?を読む。ヨーロッパで起きている事はまさに、日本で起きている事

なんと、英国の労働党にも二世議員がいるらしいんですが、二世議員が親の選挙区を受け継ぐ事は起きません。党本部が禁止します。そんな事を許したら政党が腐敗してしうまうからとテレビで言っていました。当たり前すぎて、議論好きのイギリス人もあまり話題に取り上げませんがね

腐敗した制度、買収されたメディア、弱気な中道路線と、アメリカ型グローバリズムの新自由主義・新保守主義のもとに屈服しようとしているヨーロッパ。人類解放のユートピアであるソーシアリズムを担い手は、ヨーロッパから、ラテンアメリカへ移りつつあるのだろうか?世界史は行くー歴史の内部のなかへ


<l'impasse où s'était mis le capitalism libéral>..<une réforme de l'économie de marché réalisée au prix de l'extirpation de toutes les institutions démocratiques> - Karl Polanyi 1930

中道右派がスペインの選挙を制しそうだ。新自由主義に屈服しつつあるヨーロッパ。失業を徹底的に撲滅するという方向ではない。ファシズムが台頭する三十年代に、ポランニーは警告した;資本主義の自由主義というのは、民主主義の制度を台無しにすることによってしか、市場の改革を行うことができないと

新自由主義との契約に魂を売ってしまったファウスト、ヨーロッパ。左派ソーシアリスト出身のギリシャ前大統領Papandréouは、サッチャー主義に追従して、民主主義を犠牲の羊として市場主義の祭壇に捧げた。二代前の欧州中央銀行総裁Marino DraghiはGoldman Sachsへ

山本敏晴氏のツイート

1990年代から新しい段階に入ったグローバリゼーションは先進国を中心に世界的に経済的豊かさをもたらした反面、貧富の格差を拡大し、大量の貧困人口が生存水準ぎりぎりの状態に取り残された。1日1ドル未満の所得で生活する貧困人口は11億人で世界全体の17%、2ドル未満では27億人で42%

通貨取引税。トービン税の呼び名でも知られる通貨取引税は、@超低税率でも巨額になる税収と、A投機的な通貨取引に対する規制の観点から、国際連帯税の中心に(経産省内の『寺島委員会』では)位置づけられている。世界中の通貨取引1回ごとに、0.005%を課税し、途上国を開発するための財源に。

通貨取引税。@世界の外国為替(通貨)取引は1日平均3兆2100億ドル。A年間にすると、865兆5532億ドル。B税率0.005%で課税すると、年間432億7千万ドル(4兆1106億円)の税収が得られる。C一般に、毎年、貧困削減に15兆円、気候変動に15兆円必要。その一部として使用

英国は、金融恐慌の反省から、「銀行と証券会社の分離」の意義を学びつつある。日本は、戦争の歴史的反省から、「政教分離」の重要な意義を学んだ。現在は、「審判(国)とプレーヤー(企業)の分離」の意義だ。もし学んでも行動を起こさなければ、二度目の原発爆発の日付が既に始まりつつあるといえる

We scientists recognize our inescapable responsibility to acquaint our fellow citizens with the simple facts of atomic energy and its implications for society. Albert Einstein 
私達科学者は、原子エネルギーにかんする純然たる事実と原始エネルギーが社会に与えるであろう影響について、市民に知らせる避けがたい責任を負っていることを認識しています。


アイルランド人はXmasの12月のために、貯蓄の半分から2/3三分二ぐらいを使います。イギリス人の場合も同様で、Xmasの翌日12月25日が一年のうちで一番離婚届けが多い日。夫からのプレゼントに失望して怒り爆発の女性達が多いのだそうですーわかりやすい

米国人が甘い歌声で散布するXmasソングをきくと頭の中に棲む恐竜が大暴れしていけない。と、エキビルアンを避けたふくろうねこは立食い寿司へ。三寒王(数の子、トロ、あん肝)を頼んで、「昔私は三振王でした」と冗談。大爆笑。皆を湧かせた褒美にとチュッチュッして来るイタリア女性はいなかった


東京


坂梨喬氏のツィート
日本は、戦後、経済成長に狂奔する中で、取引社会を最優先し、家族は取引社会という戦場に戦士を送り出すための装置だと位置づけたため、家族の社会化を際限なく許し、本来、家族社会と取引社会の中間にクッションとしてあるべき市民社会をやせ細らせた。つまり、民主主義をやせ細らせた。

・言葉は単なる内省の観念でないーEt arma et verba vulnerant武器も言葉も人を傷つけるからだ。政権直前ナチスがユダヤ人と障害者に対して攻撃した様に、東京と大阪のポプラリズムは、外国人や在日等の少数者達をスケープゴートにする。現実に他者を破壊しているのとちがう?他人の喜びと共に喜び、他人の苦しみと共に苦しむ、これこそが、人間にとってもっとも素晴らしい生き方です


Word is not belonging to an order of idea because , as said in Latain "et arma et verba vulnerant", not only weapon but also word actually hurts a person. I protest that right-wing populism in Tokyo and Osaka are attacking the minority groups as immigrant and foreign resident in Japan.Why Japanese voters cannot clearly see that the minority groups are being seriously destroyed by the effective scapegoat under the bad nationalism ?
As Einstein suggested, Enjoying the joys of others and suffering with them - these are the best guides for
man 

1、2003年、イラク戦争があったとき、私はアメリカの西海岸にいたのだが、何人かの知り合いから、アメリカでは反動化がすごいらしいが大丈夫かというような問い合わせがあった。しかし、私の周りでは連日街頭のデモがあった。私はむしろ日本こそ大丈夫なのかと心配になった。
2、ヨーロッパ各国はいうまでもなく、韓国やインドでも巨大な抗議デモがあったというのに、日本には殆どなかったからである。日本が戦後とっていた方針を捨てて、初めて海外に派兵したという事が注目を集めていた時期に、街頭での反対運動が殆どないという事は、外から見れば、不気味であった((柄谷行人))


体制に迎合した罪の意識に免罪符を与えるマーケット文学。フェミニズムの自立精神に躊躇したイタリア人の中には、この村上文学を読む女性が沢山いた。しかし彼女達とて、自分の意見を主張する能力を得るべく苦労して大学院まで行ったのだから、日本の超高学歴の女性が選択した抑圧的な環境は理解不可能

闇の季節から、冬の肖像画へ。暗闇の内部のなかだからといって沈黙は許されない。かくも人間の疎外が起きる理由を問い続ける。原点はヘーゲル「精神現象学」だったから、ここから、知の自立した思想を考えよう。それから、思想空間としての知の表現ー構造主義とポストモダニズムから、再びサルトルへと

2009年G20ロンドン開催抗議の時、警察によるKettleという攻撃的包囲網の中、中央銀行前広場の人々は、パントマイムと詩、即興演奏とペィンティングによって、平静を維持した。自分が訳したマルクスの本を売ってる老人がいた。学生が理由をきくと、「この本は正しい事が書いてあるからだ」

2009年二月、G20ロンドン開催に抗議して、シティーの中央銀行広場を占拠した。一万の警官が攻撃的な包囲網を敷いてきても、私達は動じなかった。パントマイムと詩の朗読、即興演奏とペインティングがあったから。あの時、自分が訳した共産党宣言を売っていた方はあなたですか、ハーヴェイさん?

デヴィッド・ハーヴェイ@「グローバル化の中で資本家は安い労働力を国外で確保し始めた。すると国民所得の中の賃金収入が低下するという現象が起きた。これが問題となる。購買力がない相手にどうやって商品を販売するのか。ツケで売るというのがその答え」http://t.co/BQxvIGRl

「『信用経済』によって買いたい物と手持ちの金との隔たりを埋めた。これで80〜90年代には景気が回復。だが90年代末になると、この方法は長続きしないと気づき始めた。70年代危機を脱したこの方法こそが、今回の危機の下地となった」

海外の安い労働力を確保した資本からの贈り物、それは、国内において極限までに進行する貧富の格差である。信用経済は狭隘な購買力を覆い隠す。信用経済は自らが外国為替の無秩序な変動をクレッシェンドさせる原因と告白する時には、恐怖に駆られたエゴな資本の方は益々外部に依存するようになっている

David Harvey writes;we need to undertake a radical overhaul that creates an economy that is fairer and truly sustainable

国境を越える資本は、1970年代に危機的な利潤率低下に直面した。海外の安い労働力を求める企業に、新自由主義の政府は規制緩和のプレゼント。国内有効需要不足は覆い隠されるー信用経済で。バブル崩壊後、このシステムの脆弱さを、再び金融の無政府主義によっては解決できない。公平さを導入せよ!

南ベトナムの様な米国の傀儡政権とも、植民地国政府ともいえない。ラテンアメリカ諸国に介入する米国が支える開発型軍事独裁政権ではない。すると、日本は、アメリカの召使国家だろうか。「わたしは世間全体の、とりわけわがロシアの新聞のコラム欄のあの召使根性が、どうにも我慢できない。―賭博者」


学校によって独自の学風と自治があった東京の都立高校。君が代斉唱拒否の先生の処分の徹底によって、自由のシンボルが剥ぎ取られた。恐怖は大阪の高校に及んでいる。抗議を続けよう。中曽根や石原といったタイプは目立つから監視できるが、ヤバイのは、庶民人気の裏側で隠し事する姑息な野田タイプよね


映画

・レミーコーションの魂は、宇宙の無限の広がりに震撼しているだけではない。この探偵は、アルファビルの政治を調べようとしていたのだ。八十年代のゴダール作品「探偵」は、ミッテランの政治に対する観察をテーマとしていた。サッチャーリズムの影がちらつく?左翼政党が政権党になることの代償はなに?

・量子力学の非実在性の考え方だと、月は見ていなければ存在しない。月は見ていない時も存在して欲しいが、観客に見られなかった映画は存在しないのと同然。非局所系の概念は、離れた場所の出来事を同時に呈示する映画の性質を、相補性の概念は、ファンタジーとドキュメントが共に働く表現を、説明できる

ゴダールは、「カルメンという名の女」のなかで、ドストフェスキーの登場人物のようにイノセントな映画監督を演じている。カフェでクロワッサンを注文する場面で、呟いていたっけ。Il a donné à manger à tout Chine 「毛沢東は、十億人を食わしたコックだったんだ」

ローレンス「恋する女性達」のケン・ラッセルが亡くなったとBBCが伝えている。ロンドンBFIで彼の講演をきいた。快活で個性的な人だが、昔戦争の被害で身体が全く動かず椅子に座りっきりだった。音楽が流れると動き始めたという。「エルガー」等のBBCの音楽映画を制作、「マーラ」、「トミー」

ロンドンBFIでラッセルの講演をきいた。80歳だった。快活で個性的な人だが、昔戦争から帰ってきたときそのトラウマのせいで身体が全く動かず椅子に座りっきりの毎日だった。音楽が流れると動き始めたという。「マーラ」 http://y来年に、ジョイスが没したチューリッヒへ訪ねて行こうかと思っています。 ところで、ケン・ラッセルは、4年前に彼の講演をきくまで、カトリックだと知りませんでした。@EloiseK “Shut your eyes and see.” ― James Joyce 

涙が止まらない。。。the canvas of literatureと呼びたい。エルガーElgarは実際に、自転車に乗ったことも、山の頂で凧をあげたこともない。ラッセルの自由な想像力 - Ken Russell

フリッツ・センによると、ナウシカ挿話の「海の星教会」があるでしょう?Uの字の底辺に位置する所というんですね。Uは女性の子宮を象徴していて、精子の受精が起きた場所、宇宙生誕の神話を物語るのです・笑。チューリッヒの家の前に、そのモデルとなった女性が住んでいたとのこと@EloiseK

@owlcato 埋葬されたフリュンテン墓地は動物園の隣にあり、ジョイスの好きだったライオンの鳴き声が聞こえるのが愛娘ルチアのお気に入りだったそうです『フィネガンズ・ウェイク』と『ケルズの書』とルチアの存在は重要な関わりであったと言えば、私の中でダブリンとチューリッヒが重なります

ふくろうねこは松下政経塾を避けて茅ヶ崎に近づかないが、先週オフィーリアと呼ぶ母と一緒に、鉄砲通りのお手頃な店で夕飯を食べた。と、加山雄三が親戚を連れてどかどか来て隣のテーブルに陣取った。母はこの人物に憧れていたから、もっといい服を着て来るべきだったと大いに自意識過剰。うるさい・笑

サルコと大阪市長には共通点があるらしい。サルコはブレアーの猿真似と揶揄され、このブレアーは中流出身にしては野卑なアクセントが紛れ込むと常に噂された(労働者のアクセント)。階級格差の問題が差異としてしか消費されない社会のIQは?ポピュリズム+テレビ植民地主義+セレブレティー文化=0


Wherever anything lives, there is, open somewhere, a register in which time is being inscribed.
Henri Bergson


人間は思考し得ぬものに向かうのは、そこに思考の無限の可能性があるから。いかに思考し得ぬものを思考するかと問う。現在は、いかに資本主義の無限の拡張の可能性を計算すべきか、と銀行の問いに堕した。この問いの答えは無気力の極みー農業と病院を市場に送れ!勝つまでは痛みの分かち合い、緊縮財政

そこに思考の無限の可能性があるから、人間は思考し得ぬものに向かう。哲学は問うーいかに思考し得ぬものを思考するかと。思考から思考し得ぬものを排除してもダメとフーコはデカルトの例をあげた。他方、デカルトの演劇的誇張の語り口に注目したデリダはコギトが最後まで狂気を排除できなかったと反論



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ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月11月後半 本多敬 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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