言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCAT ふくろねこー、かく語り き 2012年月1月 本多敬

<<   作成日時 : 2011/12/30 09:33   >>

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コロニアル的搾取とは、<国家>が国内の「南」を軍事・エネルギー植民地化する構造。ネオリベ<世界資本主義>が福祉<国家>を収奪する構造と連携する。故に反国家的六八年型抵抗とは限らない。東京反原発運動の抵抗は、資本に対抗し得る民衆の国を、互酬の愛によって再構築し乗り越える闘いでもある

どけどけ!デリダ的文章解読の保守性。僕が属するバブル世代は審問官型知識層ばかり。「異端者は異端者は特定の、特殊な視点によって動かされる知識人。その視点とは全体性ではなく断絶であり、抵抗と闘争という<共>通のプロジェクによって位置づけられた知や条件づけられた行動のあり方を構築する」

再専有化すること。ネグリの思想は35歳以下の人びとに共有されていくと思う。ネグリは語る;私達を「貧民ー搾取された者」として、また「価値の共同体」、「資本のコミュニズム」のなかの主体として生かしておくこの現実をひっくり返すこと。逆に「生きた労働の<共>」としてそれを再専有化すること


・記号は、恣意的(必然性なし)で取り決めに拠る。ソシュールは次の事を言い忘れていた。恣意的である故に、記号と記号の間にポピュリズムの政治が働く危険があると。例えば、音と意味の間には代表関係が存在しないが、音はこの「なにも代表しない」ことによって、意味の全体を代表してしまう詐欺を行う

・プロフェッショナルは文系の参加を拒む?金と情報は、理系にしか扱えない高度なシステム?理系に任せれば、原発ポスターが約束した「安全」が実現したとでも?原発村による超楽観主義的コスト計算しか選択がないの?「安心」の為に、情報公開と面倒な手続きを重んじる文系的非効率は全然役立たないか?

・原発の炉心の問題は技術の問題と理解しています。しかし良くも悪くも文系的なマスコミが、この問題を物理学者に発言させている結果、原発推進派vs反原発派=科学vs宗教の如き構図が流布しているとしたら、残念に思います

・技術的観点から原発を止めるのが適当か否かを判断する事。政治的観点から「危険」と看做し止めるべきか否かを決定する事。この二つは、各々独立した事柄だ。「すべき」という民主的決定は、科学と共存すべきだが、産業に仕える根拠は無い。厄介な点は、技術というものが、科学と産業の中間にあることだ

・国民の民主的な自立的決定は、科学と可能な限り共存したいが、産業に奉仕する根拠は皆無。厄介な点は、日本人は、原発技術を、科学と産業の中間にあるように考えている事ではないでしょうか。しかし私達は、国民投票を行ったイタリア人の知恵に従い恐怖から自由になる為に、危険な原発を廃止しましょう

・定義しがたいもの。単純な種目に入らないので公衆が容易に定義を下しかねるような作品には、なかなか光栄は寄り付かない。なおまた、この複雑性が作品の中にはなく、性格の中にある場合、読者の同情は二、三の形容詞では言い尽くせないような複雑な作中人物に対しては興奮しない。


仏国営ラジオFrance Cultureで新年第1週に、生誕300周年を迎えるJ.J.ルソーが特集される
(月〜金の全4回)。Il est né le devin Rousseau 1/4 : les deux discours : http://bit.ly/sU2HiZ


Politics is a science. You can demonstrate that you are right and that others are wrong.
Sartre

☝今年海に捨てたすべてのものが、天空で肛門のようにぽっかり空いた✽小さな穴から、☟地上に降ってくる #来年の重大ニュースを予想しよう


・もう勉強を止めようと思った人は最後にカントを読んでお別れとしなさいと久野さんが書いてました。その通り、カントを読んだら、再び一から勉強したくなりました。騙されましたね・笑

平凡ホワイトさんのツイート
@owlcato さすがですね。林達夫も八十の坂を超えてからスペイン語、ロシア語を勉強していましたし、まさに学問に終わりなしですね。林は「人はいつか幕をおろさなきゃいかん」と言われて、「俺はまだ幕をあげた覚えはない」答えたそうです(『思想のドラマトゥルギー』)。かっこいいなあ。

・蹄鉄の魔除、素晴らしい!メイドが運んで来てなみなみとこぼすアイリッシュコーヒー、懐かしいです。アベー劇場で観たお芝居でも、メイド役女優がお決まりのようにお茶をこぼし観客が沸きましたよ・笑。「けじめ」はどう言うんですか?東京の小中学校だったのですか?@Ao_69 @EloiseK

Ao_69 えにくすさんのツイート

・世界各地に古から連綿と継承されてきたネイティブの伝統と、東洋の人智、特に風水や気孔には巡り合う「脈」がありますね。紙幣の上の幻の金脈には巡らぬ流れ。人にも生来息づく生命を強く鼓舞してくれる水脈、地脈、風脈、それらの讃歌。すべての文脈に触れていたいと思います。 @owlcato

・昔、留学帰りの友人に金の蹄鉄の魔除けを貰いました。Nightmare来たれば日本語で「夜の牝馬」として歓待し、彼女の足に「幸運」のシンボルである蹄鉄、U字、三日月をつけてやれば好いですね。アイリッシュコーヒー、体が温まりますね。酒の精の歌で。

アイルランド人は世界中の人気者。産業革命を経験しなかった国という点でも世界の多数派です。搾取と貧困に苦しむ全世界の声を代表できるのですよ。ドジというチャーミングな現象も、teaのコロニアルな行儀作法に対する非従順かもしれませんね@Ao_69未完、不完全の美と癒し。ドジっ娘がいなくては世界全体が悲しみますねw

雨宮処凛さん
本日の朝日新聞の世論調査、「デモ」についての項目でコメントをしてます。デモに政治を動かす力があると思うか、が20代で50%ともっとも多いなど、とても興味深い調査結果です。

White
"A true narrative account...is less a product of the historian's poetic talents, as the narrative account of imaginary events is conceived to be, than it is a necessary result of proper application of historical "method"

G. W. F. Hegel, Jules Michelet, Leopold von Ranke, Alexis de Tocqueville, Jacob Burkhardt, Karl Marx, Friedrich Nietzsche, and Benedetto Croce


<福島とフクシマのあいだ>

α 植民地化された国の人々に対する無理解がある。自分に都合よく理解した他者像と関係している。例えば、アイルランドは英国に負けたのだから何をされようと仕方がない、という偏見が日本人に根強くある。「補償金を貰ったくせに」、と住民に向けた差別と同根の偏見と思う

β記号論の規約主義は、福島かフクシマかは社会的な約束に拠るとする。名前と指示対象は恣意的関係しかない。福島と呼ぶべき自然的必然性はないし、島国的ナショナリズムの語彙的占拠こそ愚かであると。しかし単純ではない。こちらとあちらの分割に対して住民は反発している

γ福島は<大国>東京の植民地だった事、或いは、エネルギー植民地主義というコロニアル的状況。産業革命以来、英国に対する食料供給基地となった小国アイルランド史は、英国による法律・関税等で、アイルランド民族ブルジョアジーの成長が徹底的に妨害された歴史でもある!

δアジア・アフリカ・ラテンアメリカの「独立」新興国家は、政治的に「独立」しても、旧宗主国に対する経済的な依存を深めるばかり、獲得したとする政治の決定ですら外部から来るのが現実だ。福島においても、住民達は自身を代表できないというポストコロニアル的状況がある

ε「原発反対派と原発推進派。あなたはどちらを信頼しますか」。答えは決まっている。次の質問が厄介だ。「どちらを信頼できますか?原発を反対する人で差別する者、原発を容認する人で差別に反対する者」。しかし質問が間違っている。反原発と差別の共存はあり得ないからだ

ζ 原発推進派vs反(脱)原発派を、科学vs宗教の如き構図に還元して理解してしまっている人々が多いと思う。炉心の問題は基本的には技術の問題だが、マスコミがこの問題を物理学の言葉に語らせていることと関係があるのか?無関心層、沈黙する原発容認派を大量生産している

ηフクシマ的「外圧」が無ければ、反(脱)原発運動はたたかいきれるものではない。又「フクシマ」は、No more Hiroshima, No more Fukushimaと関係があり重要だ。他方、怒る広島、怒る長崎というステレオタイプに嵌る事に警戒したい

θ 「ふくすまったって広いんだよ」

ι コロニアル的搾取とは福島を<大国>東京のエネルギー植民地とする構造だ。更に<世界資本主義>の収奪が関係する絡むポストコロニアル状況もある。東京での反(脱)原発運動は、TPP等のネオリベラリズム的グローバルリズム支配に対する抵抗の様相を呈するという事実


ダブリンとロンドンのとき、多くの人々が英語を助けてくれたのに、私は東京の外国人になにもしていないうしろめたさ。と、今朝、最初の言葉は、Good morning, nice morning isn't it ? 玄関前、たまたま家の前を歩いていた、大きなカメラ持参の外国の女性の方に

ねこは、子供のとき、キャンベラとシドニーのパブリック・スクールに通っていた。夢を見るときも英語で喋っていた。親と喧嘩するとき、「バカニャロー、糞ジジー!」と叫ぶことはなく、leave me the space aloneと嘆願したほどだ。帰国してからは、ふくろうになろうと努力した

靴履いたまま家にあがった。炬燵もそう、靴をぬがない。「おかわり」と親戚筋田舎娘達の申し出に、No、ニャンキューと答え困惑させた。給食は手を合わせた後で勝手に食べた。不満を覚えると、担任の先生ではなく、豪州時代のように、校長先生に直に談判しようとした。今日のデモの時みたいに遮られた

「けじめ」。この任侠映画の台詞が担任女教師の口から繰り返されることに違和感を感じたのはもっと後の事。毎日毎日同化の洗礼を受け、フーコ的意味で従順な身体となった。ある日偶然にオフィーリアがあけた金隠しトイレで、洋風に逆さまに座っている姿が発見されてしもうた。余剰が覆われ尽くした日だ

痕跡とは、過ぎ去ってもはや姿をみせぬものの跡である。多摩川古墳跡の様に、ある物が作り出されながら、その作り出された物からはもはや見出しえないものの跡である。ふくろうの痕跡は?オフィーリアの折り重ねた謙譲表現に苛立つとき、ふくろうは、その苛立ちが外国起源のねこから来ていることを思ふ


子安宣邦氏のツイート

「暗い時代にも歌はあるのだろうか。」「あるとも、そこでは暗い時代について歌をうたうだろう。」ブレヒト

われわれはどのような時代の、どのような言葉を綴るのか。崩れようとする虚構の時代の、虚構の言葉をか。見極めのつかない時代の、見極めのつかない言葉をか。せめても私は、奪われた言葉を、失われた言葉を、聞きもらされた言葉を、彼らに代わって語りたい。――来る年に向けて

二三子何患者於喪乎、天下之無道也久矣、天將以夫子爲木鐸。(二三子(にさんし)、何ぞ喪(そう)することを患(うれ)えんや。天下の道なきや久し。天、将(まさ)に夫子(ふうし)を以て木鐸(ぼくたく)と為さんとす。)


1、孔子は魯における地位を失って諸国を放浪していた。衛の儀邑にいたったとき、国境の役人(封人)が孔子と面会して弟子たちにいった。「二三子、何ぞ喪しなえるを患えんや。天下の道なきや久し。天は将に夫子を以て木鐸となさんとす。」(八佾24)

2.金谷治の現代語訳はこうだ。「諸君、さまよっているからといってどうして心配することがありましょう。この世に道が行われなくなって久しいことです。天の神さまはやがてあの先生をこの世の指導者になされましょう。」(岩波文庫)この訳で金谷は何を理解させようとするのか。封人の予言者性か。

3.伊藤仁斎はこう読む。「あなた方はなぜ夫子の地位が失われたことを不幸として嘆くのか。天下はいま道無き有様ではないか。天は夫子をして天下の木鐸たらしめようとしているのだ。夫子がここにおられることを幸せとすべきではないか。」こう読むことで、論語にこの言葉がある意味を人は理解する。

4.仁斎は論語によって世の木鐸たる孔子、乱世における人びとの生に助言を与え続けた孔子を再発見することの喜びと幸せとを論語古義として記述していった。仁斎の論語の読みと、現代の解釈者との決定的な違いはそこにある。
5.論語は現代語訳すれば分かるわけでは決してない。論語の現代語訳の多くは、それだけではほとんど意味不明な文章である。岩波文庫のような論語出版のあり方は間違いである。あれは訳者と出版社とを富ましめても、日本の読者を貧しくさせるだけである。


カールマルクス 
実存しつつあり活動しつつある価値の概念としての貨幣は、一切の事物を倒錯させ、置換する。

記号は恣意的である故に、ポピュリズム(指導者)の権力が働く。例えば、音と意味の間には代表関係が存在しないとして、音はこの「なにも代表しない」事によって、意味の全体を代表せんとする搾取を行う。しかし「木鐸」にとって、始めから何一つ分割されていない。音と意味も連続的ー民衆性即ち内在性

「すなお」を強要するファシズムと、ちがうか?−>会社が経営危機に陥った中で、使用者が「ストをやれば会社がつぶれる」と発言し、従業員にストの自粛を訴えた行為について、会社の素直な意見表明の域にとどまるとして不当労働行為の成立が否定されている(中労委昭57・6・2、日本液体運輸事件)


ネグり;諸個別性の間の差異の外部には、即ち「人間である事」という表現の根源性の外部には、マルチチュードは存在しない。「共和国をつくる事」との関係を離れては存在しない。「マルチチュードをつくる事」、それは愛を求める事であり、欲望という形でコナトゥスを実現し・・恐らくそれ以上のものだ

ジョイスの造語Mamalujo, mamalujoは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書記者を合成したその短縮形。各々、人間、ライオン、牝牛、鷹を表象する。彼らは夜中トリスタンとイズーの性愛を観察し、Healiopolis(「太陽の都市」と「ヒーリーの都市」を暗示)を迎える
「ヒーリーの都市」は、ティム・ヒーリーと関係しているという。彼は独立運動の指導者パーネルの同士であったが、結局裏切った。宮田氏によると、「ヒーリーポリス」はルサンチマンの都市、一方が闇との葛藤の後に光へ向かうとすれば、一方は逆へ、二つは互いに陰と陽の関係を成してい時を経て現れる。
私の解釈では、Mamalujo, mamalujoは、「人間である事」、「共和国をつくる事」、「マルチチュードをつくる事」と関係している。つまり、「欲望が最高主権によって構築するものを、愛がさらに遠くへと推し進め、そして共和国、民主国家としてそこを乗り越えていく」ことだ。


We must conceive of this whole universe as one commonwealth of which both gods and men are members.
Cicero

Those who are believed to be most abject and humble are usually most ambitious and envious. Spinoza


成程、網野氏を思い出しました。それと、溝口健二の50年代映画です。網野氏は「アンチ溝口史観」でも、大ファンでした。二人の仕事は、民衆の側から、文字とアジールの相補的な関係の探求でした。成句や格言、「文」の声はまさしく、、ゴダール映画そのものですね@Ao_69 @nobuko_kosuge
ロンドンに来る「ノマド」風の若者達は、世界に通用すると思い込んだ音楽が資本の論理下に流通するドメスティックなものに過ぎない事を知ります。日本は大きな市場がありますから。ただロンドンにはいいサウンドが無いのだそうで、日本を再発見して行こうと話し合います@Ao_69 @EloiseK

小菅信子氏のツイート
@Ao_69 私は過去にねざした問題群をあつかってきましたので、何が将来的に禍根の種になり、何が希望の種になっていくかは、私なりに、みえてきたところです。言動をとおして、禍根の種をできるだけ取り除き、希望の種をまく。限界はあるでしょうが。


・ホー、アルプスー>「箱根の山を越えたら外国だと司馬遼太郎はいっていたが、箱根駅伝は中央集権の賜物」。年が離れていた父は、殆ど最後の時代の一高生だから勿論駅伝大ファン。箱根山にある耶蘇の女学生どもを崇めていたっけ。古代ギリシャに応える箱根駅伝、オリエンタリズム、征服欲の賜物、キャー
8秒前

han_org 金明秀氏のツイート

「「国民育成」教育を旨とする公立学校では……マイノリティ言語教育はなされていない。国際人権基準に照らせば、このような国家政策には二つの大きな問題がある。一つは国際人権法の基礎にある非差別平等原則に反する問題、もうひとつはマイノリティの権利に関する国際基準を満たさないことである」
「戦後日本の教育が……国民教育として実現されたことは論をまたない。すなわち、戦後教育は、戦前の国民教育=天皇制教育における軍国主義・国家主義の教育目的にかえて、「民主主義」と「平和主義」を教育の基本原則に掲げたが、その目的はあくまで、日本の国家・社会をになう国民の育成であった。」尹健次『戦後教育の歴史構造』(社会評論社、1988 年)からの引用。


・教育基本法第一条 「教育は,人格の完成を目指し,平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な『国民』の育成を期して行われなければならない。」(二重カギカッコは引用者)


フランス的同化主義(教育を通してマイノリティーをフランス人として同化させてしまうやり方)と、アングロサクソン的同化主義(アイルランドの事例では、マイノリティーに教育の機会を取り上げ、絶滅させてしまうやり方)があるのですが、日本の国策的教育は両方の要素がありますか?

ネグリは語る;スピノザはユダヤ氏におけるヨベルの年の重要性を説明している。ヨベルの年にはすべての負債が帳消しにされ、市民の物資的平均性が回復される。マキャベリのことも考えよう。彼はローマ共和国の歴史における「公有地法」の求心性に執着する。ここでは平民に土地を再専有させることを通じて、、主権が生産者の民主性に従属しているのだ。例えば、「使用価値」にいかなるノスタルジーをも感じるべきではない。逆だ。私達は交換の世界、そして商品の流通の世界に生きていて、純粋に根源的ななにかを待ち望む−振り返るー必要は無い。
それを認識することが基本である。私達はいまここで、この現実の網目のなかで反抗し続けることを、ただ望むだけだ。交換価値からの解放は、それ故に、<共>通の現実を再専有化することを意味する。<共>通の現実を再専有化すること、私達が生産するのはこれだ。私達を「貧民ー搾取された者」として、また「価値の共同体」、「資本のコミュニズム」のなかの主体として生かしておくこの現実をひっくり返すこと。逆に「生きた労働の<共>」としてそれを再専有化すること。

今日私達は新しい時代に生きている。「現実の社会主義」の崩壊以降、資本主義は新しな様相を呈しつつある。認知労働が支配的になり、金融業界が拡大し、帝国が拡張する、といったことがそれだ。これらの資本の変化のそれぞれが危機に瀕している。資本主義、そして資本主義を飼いならすことに失敗したのだ。新たな戦争、新たな破壊を通じて、ネオリベラリズムとそのエリートたちは世界を破綻に導く。極悪の野蛮人ultimi barbarorumーバルーフ・スピノザがあらためて彼らを批判したら、こんなふうに言っただろう。


(アントニオ・ネグリ「スピノザとわたしたち」信友健志訳)


平和義務 #4文字で人を不安にさせろ (アイルランドとイギリスの労働組合は、政府と資本家と約束したこれで、事実上壊滅した。-> 平和義務とは、労働協約の当事者が、協約の有効期間中に協約の規定事項の変更・廃止を求めて争議行為を行わないという義務である。)


・異端者は特定の、特殊な視点によって動かされる知識人です。その視点とは全体性ではなく断絶であり、抵抗と闘争という<共>通のプロジェクトprojet commonによって位置づけられた知や、条件づけられた行動のあり方を構築するのです。(ネグリ「スピノザをわたしたち」より、信友訳)

・19世紀植民地主義の歴史、いわば死の歴史を舞台としたフリール「トランスレーショーンズ」は、未来を思い出す視点で、新しい国家像ー民主制の誕生を語ろうとした。その民主制とは愛の行為であり、惜しみなく贈与する行為である。とすれば、それは憲法九条の民主制の意義ではないだろうかー大杉栄の愛

・経団連は「原発が無くなると雇用が危ない」と脅すが、もう忘れたのか?日本経済は昨年三月以前に最悪だった事実を。これとは別に、日本(=実は自分のこと)の孤立を恐れる人々が大勢いる。こうした孤立の恐れは単なる恐れ以上のもの、連帯への欲求ともいえる。恐怖ではなく、理解の伴侶を彼らに与えよ

・昨日財界は資源ナショナリズムを煽った。今日は「原発無ければ雇用なし」と脅す。そうして私は日本(=実は自分一人の事)の孤立を恐れる様になった。しかし元々孤立の恐れは単なる恐れ以上のもの、連帯への欲求だったはず。憎悪と共に動物の如く生存手段を維持するか?理性によって友情をつくろうか?


ジョルジュ・バタイユ

私は、ヘーゲルの省察の、まさに基底に、狂気と等価なものを据えようというわけです。


堀氏のツイート
見ざる、言わざる、聞かざるの三猿に甘んじていたら「平和」に、良心の呵責もなく、安穏と日々を過ごせたであろうに、オイディプス王は不遜にも、傲岸にも、(危険な)真実を、己の真実を知ろうとした。その結果、自らの眼をくり抜いて放浪することになった。人間は悲劇的で、且つ喜劇的な存在である。

・ギリシャとユダヤは神話を共有した。「オイディプス王は不遜にも、傲岸にも、(危険な)真実を、己の真実を知ろうとした。その結果、自らの眼をくり抜いて放浪する事になった」。ドゥルーズ曰く、ユダヤ人にとって、神の裁きに生き延びた人間の物語は衝撃だった。フーコによるぺラスケス絵画分析を思ふ

・王の地位から退いた後、彼は人民に復帰したとしたら、それは二項対立的な項から項への移動に過ぎなかっただろう。しかし復帰したとは語っていない。追放、あまりに、脱構築的な・・・。オイディプス王は不遜にも、傲岸にも、危険な己の真実を知ろうとしたその結果、自らの眼をくり抜いて放浪する事になった。

・和解が一致とすれば、この一致は予定調和的に在るのではない。それはまさに生み出される。不一致の中で生み出される。更に、和解の感情に対応する共通感覚は、謝罪の文化に拠る。問題の所在を明らかにする小菅信子氏による「〈福島〉と〈フクシマ〉のあいだ」togetter.com/li/234908

・公害裁判支援運動のとき学んだ事ー企業と住民の「一致」は、市民法の当事者たる加害者vs被害者の様に単純に想定されている訳じゃないと。それはまさに生み出される。不一致の中で生み出されるのである。和解の感情に対応する共通感覚は、謝罪の「文化」から切り離せない。今年は国と東電の謝罪に注目

xyzqa いろはにさんのツイート
その辺りはどうなのかしら。ただ単に男性を喜ばせる女性がナウシカである訳ではない。抑圧や暴力の現実を目にしても抗う姿勢が見られず、「甘やかし、慰める」だけならばダディシッター。アメリカが売り出そうとしたマリリン・モンローの「イメージ」でしょう。 

・昨日財界は資源ナショナリズムを煽った。今日は「原発無ければ雇用なし」と脅す。そうして私は日本(=実は自分一人の事)の孤立を恐れる様になった。しかし元々孤立の恐れは単なる恐れ以上のもの、連帯への欲求だったはず。憎悪と共に動物の如く生存手段を維持するか?理性によって友情をつくろうか?

・経団連は「原発が無くなると雇用が危ない」と脅すが、もう忘れたのか?日本経済は昨年三月以前に最悪だった事実を。これとは別に、日本(=実は自分のこと)の孤立を恐れる人々が大勢いる。こうした孤立の恐れは単なる恐れ以上のもの、連帯への欲求ともいえる。恐怖ではなく、理解の伴侶を彼らに与えよ


It is nobler to declare oneself wrong than to insist on being right - especially when one is right. Nietzsche

A friend is, as it were, a second self. Cicero



現在進行形のイスラエルーパレスチナ和解や、北アイルランドの和解(Good Fridays)の事例に関して言うと、権力委譲の仕方が常に問題。スペインのバスク地域を訪ねた時、広島とアイルランド和平を共に大事な和解の形として尊重したいとする人々がいる事を知りました
(−>暴力や戦争がいけないのは、その目的が不当だからではなく、法を作る力になるからだ、と言ったのは、ベンヤミン)


Ishikawa_Tomoya イシカワ トモヤ氏のツイート

内閣法制局(日本には三つの法制局があるが特に)が半世紀にわたって憲法裁判所の役割を果たしてきたことも、大陸型の立憲主義システム国からは、考えられないことですね。「解釈改憲」などという信じがたい語が一般化していることも、「ことば」が現実を規定し得ない国の実情です

・成程、内閣法制局が憲法裁判所の役割を果たしてきたわけですね。今までの頭のもやもやが晴れました。憲法は蹂躙され尽くしたーしかし中曽根のグループが憲法を変えたがる限り、憲法にはなにか無視できない価値があるんだと大江が語っていたのを印象深く覚えています@Ishikawa_Tomoya

春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり 詠み人:西行(山家集)


最高裁によると2010年中に身柄を拘束された少年1万639人のうち弁護士の付添人が付いたのは6589人で6割にとどまる。この大半は私費によるもので、国選の数は342人と約5%。私費で付けるケースは年々増えているものの、多くは日本弁護士連合会が弁護士から集めた資金で援助している実態


ジョイスは、ことに『ユリシーズ』は、現代文学のなかでは群を抜いている。天賦の才という点ではいうまでもなく、作品の構成の目新しさという点でもね。─「ナボコフ・ラスト・インタヴュー」

Novalis
言うまでもなく、単音から協和音への移行は不協和音を経過し―協和音が生じるのは、ただ最終局面においてだけであるが。魔術の時代には、身体が魂あるいは霊界に奉仕する。 『断章と研究』


World history is a court of judgment. Hegel


3・11以降も然り。新聞に、デモを無視していい報道の自由なんか無いよ!ー>「革命があらゆるロシア人の人生航路に影響を与えたし、作家は主人公に無傷でその時代を過ごさせる訳にはいかないし、それを避けるのは不可能だという。これは要するに作家の自由意志の完全な侵害につながる(ナボコフ)」


・傲慢は自己に対する過大評価の感情、自己卑下は自己に対する悲しい過小評価の感情である。傲慢も自己卑下も、不定な自己を覆い隠す心の偽装。謙遜する礼儀正しい民族ほど傲慢になりがちなのは不思議ではない。他者から受ける攻撃に過剰に敏感であり、自分が行っている他者に対する攻撃の事は驚く程鈍感

・不定の自己を支点にした、傲慢と自己卑下の間に揺れる不安定なシーソーゲームは、文化である。文化である以上、良し悪しを判断すべきものではないだろう。それでも、私達のうちに在るマイノリティーに、その判断の権利を持つ事を認めるべきだと私は考える。そうである限り、その文化は自己反省に生まれ変わる


・「漱石は、イギリス人としては!漢文学教養人だったから、西欧中心主義を相対化できた」。この記述は間違いか?しかし海外に出て表現せんとする者は、意識において、純粋に日本人ではあり得ない。漱石だけを例外にする特別の理由は見当たらない。国籍や出身等の意識の外部のものによって測る事は不可能

・英国滞在中の漱石は、七十年代イギリス人の様にオリジナルである事のうしろめたさがあった。漱石は、イギリス人としては!漢文教養人だったから西欧中心主義を相対化できた。帰国後はコピーである事にうしろめたさを覚えた。英語で文学を書かない日本人としてのオリジナル性の主張はうしろめたさの隠蔽

・西欧中心主義批判を行う英国の知識人は、オリジナルである事のうしろめたさがある。東京の風景はオリジナル性を否定した反建築ゆえに、彼らの称賛の的。他方、オリジナルである事の気負いもある。前衛運動は国際主義なのに、「ブリティッシュ・シュールレアリズム」の如き破綻するしかない再発見を行う


無論アメリカが為した民主主義の貢献は誰も否定しない。しかしあんなロビーストが舵取りする金権選挙を「草の根運動と知られる大統領選挙」と形容するとは、朝日新聞の記者よ、馬鹿たれ。もう馬鹿たれの新聞にはかまってられない。さあ本当の、本当の馬鹿の偉大さを僕がみせてやろう! ジョイスFWへ

FW; he was kiddling and cuddling and bunnyhugging scrumptious his collen bawn and dinkum belle,an oscar
sister , on the fifteen inch loveseat


(ジョイス「フィネガンズ・ウエイク」中のマーク王の挿話です。トリスタンとイズーを利用して書いてます。宮田先生の上品で素晴らしい訳からどうぞ);若者はと言えば、色白乙女にして真の美女であるオスカーの妹を、15インチのラブチェアで掴まえ、抱きしめ、素敵なバニ八ッグ・ダンスを踊っていた

(ジョイスの圧縮された多言語的造語の遊びは、意味の色々な選択によって、豊かに解釈できる。例えば、ふくろうねこ訳は);踊る神は巡礼中、白百合の処女達を罠にはめてハグするチュー。そそり立てたそれで、いざ妖精の所へ。と、オスカーシスターズを15インチのラブチェアに跨らせたのでしたー

バーティーのときは高すぎと思いましたよ。セッケンさん、Taoiseachはゲール語でタオイッシュと読みます。念の為、Taoだからといって、タオイズムの毛沢東とは関係なしです・笑(いや、あるかも?共に農民の国として独立しましたからね!)


xyzqa いろはにさんのツイート

何ィ? クリームブリュレの上に苺とキウイとグレープフルーツが乗ってたら食べれないに決まってるでしょ! 幼稚園の頃から誰かの誕生日でショートケーキが出るたびに「人生損してる」と言われ続けてきたけど、
私は損してない。寧ろ、苺が好きな人に苺を供給できることはこの上なく徳深き行い ドン!

上司に、「百合は正しいのか」「BLはどうなのか」と聞かれた。「あれらは現の間に間に生じるファンタジーです。アガペーに見守られしストルゲーとフィーリアの営みです。エロスあらずともラブはラブです。ジェスティスとは百合です。」と応えた。聴講者は頷かなかった。コウノトリさんのレベルの話。


cartographyは、地図製作の意です。フリール「トランスレーションズ」の背景といえば、1833年に、英国軍は近代的測量技術によって、アイルランドの地図を製作した事。支配と増税の目的です。「思想地図」のあなた、この地図という言葉が民衆の苦しさと結びついた歴史を知っていますか?

堀 茂樹氏のツイート
直接民主制への願望が噴出している。背景はトクヴィル的意味での個人主義(権威と序列の拒否)の台頭に違いないが、そこに、直接性・即時性・具体性をせっかちに求め、媒介や代表や翻訳を敵視する、子供っぽい心性が伴っている。しかも一部の知識人が、その傾向を食い止めるどころか、アジっている。


現在世界中の国々が日本に向けて持ちはじめた疑問の声。京大の科学者をインタビューした「ル・モンド紙」記者が発した言葉は、そういうものだ。「原発災害を契機に、各地で反原発デモが頻繁に起きているにも拘らず、世論を汲んだ変化が何も起きていないのが現実。一体このアパシーは何なんですか!?」


Après l'accident, il y a eu des manifestations antinucléaires mais pas de mouvement d'opinion. Pourquoi cette apathie !?

・ゴダール映画最大のテーマは"娼婦"だと言う人もいます。監視する報告口調で娼婦の実体を語るナレータは、ジョイスのイタケ挿話ー教理門答の教育的ナレーション、プイグ「蜘蛛女のキス」を喚起します。この映画とデュラス「ラ・マン」(本です!)は共に思考手段です

・ジョイスの、ヒューマニズムに還元できない批評性に関して、アイルランド独立前まではバクーニン的(反国家=反英国)、独立後は母国に対してプルードン的批判者になったと思います。ハイエクもプルードンからの知的感化があったはずですが、ネオリベは大学のミスコン


・独裁者の滑稽な身振り、無表情な軍人達、舞踊隊、発射ミサイルの煙ーこれらから、国際政治学者は、映画の中の人物の如く知覚し、何かを感じ、その感覚に対して反応する。その前提として、抜きがたい思い込みがある;だましだまし対処していくだけだと。いついかなる場合も常に正しく反応すると思い込む

・安全神話は、自分だけは常に正しく反応すると思う思い込みだった。そんなシナリオは全部、原発災害の後、空しいな。人々は、状況に反応する可能性があるという考え方を信用しなくなっている。断片化した未来なき時間イメージの漂流が始まったが、それはドゥルーズが言う様には抵抗の様態をなしていない


1、思考するということは、危険に満ちた行為である。思考するとは、まず<見ること>であり、<語ること>なのであるが、但し、目が物に拘泥するのをやめて「可視性」に達し、言語が単語や文に拘泥するのをやめて「言表可能性」に達していなければならない。思考するという事は、即ち、能動的になる事

2、思考するために見ることは、目が物に拘泥するのをやめて「可視性」に達することだ。集会デモの群衆を<見ること>によって、"私達自身"を考えることだ。"私達が私達を見る"規則と、"一人が私達を見る"規則を比べてみよ。何故、後者の規則が常にスケープゴートを必要としてきたのかと問うこと

3、思考するために語ることは、言語が単語や文に拘泥するのをやめて「言表可能性」に達している事だ。新聞記事のあまりに凡俗な考え方に接したり、テレビのバラエティー番組や大臣や楽天家のお喋りを聞いたりするとき、私達の前に恥辱がある。恥辱こそは、思考するために語る事を駆り立てる動機となる


管理の計数型言語の数字が表しているのは情報へのアクセスか、アクセスの拒絶である。今問題は、もはや群れと個人の対ではない。分割不可能だった個人は、分割によってその性質を変化させる「可分性」となり、群れの方もサンプルからデーター、又はマーケットか「データーバンク」に化けてしまう(D)

oucault avait une extrême violence maîtrisée, dominée, devenue courage.Il trembkait de violence dans certains manifestations. (Deleuze)

フーコには暴力的な荒々しさがありましたから。フーコはその荒々しさを抑制し、制御して、勇気につくりかえていたのです。デモに参加したときなどは、荒々しさが嵩じて体を震わせるほどでした。フーコには許しがたいことを見抜く力があった。これはジュネと共通する資質かもしれません。(ドゥルーズ)

金子勝
オバマ政権は、今後10年間で最低4900億ドル(約37兆6千億円)の国防予算削減を決定。イラク戦争以降、欧州、中南米やアラブ独裁政権のパートナーを失い、いまや残るのはアジア・対中戦略だけ。TPPも含め、衰退する米国にどこまで付き合うのか?



・間接民主制は"彼ら一部が全体を語る"規則、又は"一人が私達を見る"規則に対応するとしたら、直接民主制は"私達が私達自身を<見る+語る>"規則に対応する。これらの実践において異なる規則は、共働している。ぺラスケスの絵画において論理的に位階の異なる項目が、同一平面上に並んでいるように

・間接民主制は"彼ら一部が全体を語る"規則、又は"一人が私達を見る"規則に対応するとしたら、直接民主制は"私達が私達自身を<見る+語る>"規則に対応する。これらの規則は共働する。なぜ前ニ者の規則の下で原発が推進されてきたのか?なぜ後者の規則によってしか原発を廃止に追い込めないのか?

・間接民主制は、"彼ら一部が全体を語る"規則に対応する。"一人が私達を見る"規則もそうだ。他方、直接民主制は"私達が私達自身を<見る+語る>"規則に対応する。何故、前ニ者の規則の下で軍事・エネルギー植民地主義が推進されてきたか?何故、後者の規則によってしか参加が可能とならないのか?

・ネグリは共通概念の見直しを行った。内在性=共通性である。その背景として、国策的多文化主義、似非多元主義に対する大きな批判がある。英国労働党といえば、移民やゲイやフェミニズムのマィノリティー集団の権利擁護を口実に、都市開発の立ち退き、労働組合の弱体化、イラク侵攻を正当化したのである

・ポスト構造主義は、内在的な多様性を主張する思想だ。(落ちこぼれ同士の)「関係の冒険」(浅田)という語に、異質性を尊重する抵抗のあり方が表されている。しかしこの思想は支配側に都合よく利用されていった。ネグリは新たな抵抗の理念として、内在的な共通性=自立的な群衆の力を提唱したのである

・戦後の映画がエイゼンシュタインと袂を分かつのは、ゴダールにおいて顕著な、映像相互間にあらゆる種類の非合理的切断や非共役的関係を成り立たせようとしたこと。トーキーも音声の自立性をめざし、音声と視覚の非合理的切断を探る。デュラスとストローブがそうだが、マラルメの映画的継承といえようか


I'm sure there really exists such a "fire in prairie "spreading at any place in the world. Japanese facing the serious crisis should be able to realize what is democracy worthy of the name. New democratic form will be born(Negri )

ネグリ;確信しているのは、大草原に火を放つような、そういう「火」が世界の各地に存在しているということです。今の日本の皆さんのように深刻な危機に身をもって直面している時こそ、何が本当の民主主義なのか実感できるはずです。そして、そこから、新しい民主主義の形式が生まれるでしょう

・朝日「オピニオン」編集委員が"脱原発"と呼ぶ運動ですがね、情報公開・反差別等の社会的要求を含んだ再専有化と考えられませんか?ー>「日本では"脱原発"を除いて、社会的な運動は中々盛り上がらない様に見えます。まるで日本はあなたの言う世界の流れの外にあるかの様ですが」(ネグリへの質問)

ウラジーミル・ナボコフ
歯痛から戦争が起こるかもしれないし、小糠雨のせいで蜂起は失敗するかもしれない。全ては流動的であり、全てはチャンス次第であり、あのヴィクトリア朝風の格子縞のズボンを穿いた気難しい市民、『資本論』の著者の努力は、不眠と偏頭痛の果実は、全て虚しいのだ。─『目』


・米国の戦争に巻き込まれたヨーロッパの危機ーロンドンで爆発に巻き込まれないかと緊張した日々。寛容な多文化主義は崩壊していった。ネグりが復活させたスピノザ像は求められている思想。八十年代アイルランド現代演劇翻訳と、この三十年間研究が進んだジョイスのテクストの翻訳に、反映させたいと思う

・唯物論的肯定のボヘミアン、エピキュリアンだったふくろうねこは、帰国後、すっかり駅ビルアンに没してしまった。いかん!と反省し、広尾にある横文字の飯屋に行った。幼稚舎を通ると、初期の生徒だった祖父(三田に通っていた)の伝説を思い出す。1880年代はパリコミューンの十年後という事か?

・成人パーティーから招待状が届いちゃったよ。でも、偉いおっちゃんの自慢や思い出話聞かされてもね、みたいな。利権で原発を推進してきた人から届いた招待状なら最悪、直ぐゴミ箱行きー。昔傍観し容認して来た人で、現在皆の為に一生懸命反対し始めた勇気ある人だったら、ちょっと話聞いてもいいーかな

・八十年代は原発建設のピーク。安全神話が席巻する中、原発の危険性を訴えた人々が存在した事は、私達の救いである。しかし自分自身への批判を込めて、四十歳以上の人々で、かくも多くの原発建設を真剣に反対した者は殆ど存在しなかった。こんな無責任な四十代以上の者が明日、若者に未来を祝福するとは

政治は本質的に非道徳的なブルータルなものだという考えがドイツ人の中に潜んでいることをトーマス・マンが指摘しているが、こういうつきつめた認識は日本人にはできない。(超国家主義の論理と真理)丸山真男

被爆の影響が若者ほど大きいとしたら、この楽観主義はなに?☛「若者の存在そのものが何より素晴らしい」(天声人語)☚『あまりにも凡俗な考え方に接したり、テレビのバラエティー番組を見たり、又は大臣の演説や、「楽天家」のおしゃべりを聞いたりするとき、私たちのすぐ目の前に恥辱があるのです』

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ALSO SPRACH OWLCAT ふくろねこー、かく語り き 2012年月1月 本多敬 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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