言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCAT ふくろねこー、かく語り き 一月後半(2)  本多敬 

<<   作成日時 : 2012/01/21 00:53   >>

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They were big four, the four maaster waves of Erin, all listening, four. There was old Matt Gregory and then besides old Matt there was old Marcus Lyons,the four waves,and oftentimes they used to be saying grace together,right enough,bausnabeatha,in Miracle Squeer, here now we are the four of us;old Matt Gregory and old Marcus and Luke Tarpey; the four of us and sure,thank God, there are no more of us ,and, sure now, you wouldn't go and forget and leave out the other fellow and old Johnny MacDougall;the four of us and no more of us and so now pass the fish for Christ sake, Amen

彼等は偉大な四人、アイルランドの四つの大波、四人とも耳を澄ませ、四人とも。労マット・グレゴリーがいて、労マットの他に労マーカス・ライアンズがいて、四つの波、この人たちは奇跡のメリオン広場で生死も忘れ、一緒に神に感謝を捧げていたものだ。ここに我等四人あり。老マット・グレゴリー、老マーカス、老ルーク・ターピー。われら四人。ありがたやありがたや、いるのは間抜け野郎四人だけ。おっと、忘れちゃーいけませんね、老ジョニー・ドゥーガル..
、いるのは、この尻穴四人組だけ。だから、さ、キリストのためにお魚を回しておくれよ、アーメン


四老人はそれぞれ四人の福音書記者と結びつく。鷲を表象するヨハネ=ジョニー。マーカス・ライアンズはマルコの表象であるライオンを、ルーク・ターピーは福音書家ルカ(ルーク)の名を持つ。マットと結びつくマタイの表象は人間である。四つの大波は、ジョイスが書いた四冊(FWを含めた)の本かもしれない。

ジョイス「ダブリナーズ」は現象学的リアリズムの範疇である。次作「ある若い芸術家の肖像画」からは、現象学を相対化する実存的な語り口が木霊する。「ユリシーズ」のナレーションは構造主義的な配置と思考がある。「フィネガンズウェイク」はポストコロニアリズム世界の動乱と民衆の生き様を証言する


・疑問すら浮かばない人は、心が自然に働いているのかといえば、そうはみえませんね。意味が分らないし、奨励している文部省に電話で尋ねても絶対に教えてくれんのだそうですー本当の意味を知って蒼ざめているのかも?「疑問すら浮かばない」よう指導する必要がある・笑


ジョイスFWの翻訳は順調に。フリールの戯曲は後回しになっている。小説と戯曲はかなり違う。思考が内側に向かって安定すると小説と関わりたいが、戯曲は面倒に。逆は逆、人と話したい外向きの気持ちになると戯曲が楽しく、小説は遠い。来週中にゴダールも始めて行きたいが、これは時間がかかるだろう


言葉のユル不和モンタージュ 
(今年のふくろうねこの目標はなにですか?のご質問に答えて)


ゴダールといえば、フランス教養系青年達は、疑問が浮かばないくらい「君が代」みたいに称えている有様だけど・笑、かれはスイス人なんだな。ゴダールは、スイスの国の成り立ちの様な、ユル不和の編集をしてきた。ソビエトの芸術家エイゼンシュタインのトップダウン式中央集権型編集とは根本的に違うよ



ウラジーミル・ナボコフ
ここで思い出していただきたいが、拳銃とは原初的父親のまんなかにある前肢のフロイト的象徴なのである。─『ロリータ』

Novalis
舞踏芸術が人間の身体とその運動の自然論に関係するように、あるいは、絵画芸術が光学と眼の理論に関係するように―まさに論理学は心理学に、もしくはその主要部分、つまり思考の自然論に、関係する。 『断章と研究』

PhilosophyQuotz Philosophy Quotes
The reason why we have to acquire wealth is the body, because we are slaves in its service. Socrates
17分前

プッチーニ「トゥーランドットTurandot 」。中国風と思えば、いつのまにかソプラノとテノールが競い合うアリア。オペラはFW的、まとまりのないものがまとまるパッチワーク。キスの前後で高音の雰囲気を見事に変えたカラス


英国保守党といえば、大金持ちも、超多数派貧乏人も、温情をもって平等に!予算を配ったが、サッチャーは断絶だった。中流代表の顔で、ポピュリズム的にマリリンモンローに変身したり、戦車の女性兵士になったり、フォークランド諸島分捕りで人気を挽回した

プッチーニ「トゥーランドット」は、<名づける事の不可能性>のテーマを木霊させたメロドラマ。ワーグナー「ローレングリン」も然り。ヴィクトリア女王の孫から、ロシア革命の時代に生きた彼等は、外国起源の痕跡たるドイツ語名を隠蔽した。宗教的権威の<超越性>を着飾り、ギロチンから身を守る策略

マルクス 
貨幣が持っている普遍性は、全能であるということだ。だから貨幣は全能な存在として通用する。貨幣は人間の欲求と対象との、人間の生活と生活手段との間の媒介項である。しかし私と私の生活とを媒介するものは、一方で私と他の人間の存在も媒介してくれる。それは私にとって他の人間ともいえるのだ。


1,反(脱)原発デモは意味があります。一回一回のデモは、デモのある社会をつくるからです。遡ると、原発建設ラッシュ時の八十年代に、街頭のデモは減少して行きました。これと同様に、安全神話(新・安全神話)の受容と、フェミニズムの停滞、この両者は互いに深い関係があるのではないでしょうか?

2、フェミニズムの主張の一つに、自身を権威とするアイデンティティーの確立があります(私はそう理解します)。しかし、この点に関して、原発社会の男性原理は、人々が自身によって自身を代表する事を許さない権威的な社会を、推し進めて来たのではないでしょうか。原発は原発以上のものだったのです

3、原発推進は、<政財官大学マスコミ>一体構造によって行われてきたのですから、その解決を再び、その<政財官大学マスコミ>一体構造に委ねる事ができませんし、すべきではありません。しかし、集会・デモと連携した国民投票、国民による直接的干渉が、依然として中心的なテーマとはなっていません


 「こうした象徴的強制、象徴的暴力の過程での経済理論の役割は非常に重大であると思います。たとえば今日ではすべてのジャーナリストが株価曲線を見ることができます。下手な外国語を話すのと同じように、学問的な言語を使います。もっともらしい語を使い分けて見せるわけです。支配層や専門家が借用する経済理論、一見理論的な議論は学問の権威からその効力の多くを引き出しています。わたしは歴史上はじめて科学的イデオロギーなるものが出現したと考えています。」(ブルデュー)

Nihil est difficilius quam bene imperāre. 良き支配者である以上の難事はなし。

・保守党は、教会を中心に据えたボランティアのネットワークが、労働党の福祉国家によって、破壊されたときめつける。日本ポピュリストの政治家が霞ヶ関官僚を非難する様に、保守党はEU官僚を槍玉にあげる。福祉国家=EU官僚=ボルシェヴィキの亡霊、の思い込み。減税が万能薬(金持ちにとってのね)


・貧富の格差の拡大は、サッチャー保守党時代よりも、ブレアー労働党 時代に進行した。地下鉄十車両のうち、5%の金持ちが9車両を悠々と使い、残り全員が1車両のなかで座席を争う、不均等さ。保守党の議員はこう考えるものなのだー金持ちか金持ちでないか、この二つしかないことに変化はないでしょ?

・ニ十世紀イギリス星といえば、ウルフとロレンス、ベケット。あとはマフィン級文学。クロワッサン星と比べるとなんだかなー、あ、いや、文学の話。北極星の如く輝くジョイスの本はある。しかしアルトーの器官なき身体を越える星の内部爆発が無いな、英文学に。ドゥルーズが称えるほどには。FWはお休み

・ジョイスはアイルランド女性が直面する二重の搾取を告発した。国外の資本主義から搾取される女性達を、資本主義的リアリズムの観察によって描く書き方は裏切り行為だった。だからといって、国内のナショナリズムに搾取される女性達を、ナショナリズム的ロマン主義によって賛美する書き方は偽善に思えた

・国外の資本主義から搾取され、国内のナショナリズムに搾取される女性達。ジョイスはアイルランド女性が直面する二重の搾取を告発した。だから、リアリズム(資本主義的)の観察によって、女性達を描く書き方は裏切り行為だった。他方、ロマン主義(ナショナリズム的)による女性像の賛美は偽善に思えた

オペラは生まれたときは不純で、あまりに遅く出発した芸術だ。ゴダール曰く、オペラを継承した映画は、最初からモラルが高く、カラーで始まらず、人間の罪を贖うべく敢えて喪服の姿で現れた。白黒のスクリーンで。本は古いと誰も言わないが、生まれたばかりの映画は最初から、未来が無い芸術と嘆かれた

映画監督の言葉として限定した上で文脈づけて翻訳していいのか?ゴダールの言葉は切れ味がいいものとはいえない。省略した空白の部分が多く、語の間違いもある。詩人だからだ。例えば、「様々な断片を見る」というとき、フィルムだけではない。見るように読むし、見るようにきいたり語る欲望があるのだ

Democracy passes into despotism. Plato

フィネガンズウェイクは、性の解放を書いた夢の言語、教会の権威に反発し冒涜した言葉で溢れている。洗練された日本語訳は、このジョイスの危険な嘲弄を用意周到に取り除いているとしか思えない。自慰の語を一度も使わず、ユリシーズの謎を解いたつもりの本もある。読者の「学び」を検閲していないか?

ジョイスは真のカトリック精神だったからカトリック教会を批判できた!?このように擁護するアイルランド人は多い。イギリスの植民地主義、資本主義に対抗した抵抗運動は、宗教運動と第2インター系組合運動の結束を通して現実化した。独立後教会は体制内化し、日本最高裁の様な腐敗の検閲機関に堕した

ウラジーミル・ナボコフ

ほかの人間も狂っているかもしれないと考えることができない狂人こそ、最悪の狂人ですからね。─「団欒図、一九四五年」

GWF_Hegel_

直接知(批判):直接知のヤコービは言う。「真理は精神に対して存在する、だから人間を人間とするものは理性のみである、理性とは神に関する知である」。しかし媒介された知識は有限なものを超えないのだから、理性とは彼にあっては論理や科学ではなく、直接知または信仰である。

サルトル戯曲

遠慮から、わしは良心をなくしたのだ。良心などは王侯の贅沢だ。何もしないときにはすべてに責任があると思いこむものさ。わしは仕事をしていたのだ。−フランツの父『アルトナの幽閉者』



農業革命。18世紀のイギリスで起こった、@輪作(ノーフォーク農法:大麦→クローバー→小麦→かぶを交互に植え土地疲弊を防ぐ)と、A囲い込み(農地の大規模化などの政策)による、農業生産の飛躍的向上。収穫が飛躍的に増え人口増加を可能とし、それによる都市の労働人口の増加が産業革命の土壌に

緑の革命(Green Revolution)とは、1940年代から1960年代にかけて高収量品種の導入や化学肥料の大量投入などにより穀物の生産性が向上し、穀物の大量増産を達成したこと。1968年に米国国際開発庁のWilliam Gaudが作った造語。ロックフェラー財団が資金援助。

緑の革命の問題点は、1)穀物メジャーから種を買う必要。2)大量の化学肥料と農薬を使い続けなければ収穫量を維持できない。その購入コストで豊作貧乏。3)化学肥料の元、リン鉱石等が各地で枯渇。4)化学物質による土壌汚染・公害。5)遺伝子組み換え作物の環境への問題。6)在来種の駆逐・絶滅

Never stay up on the barren heights of cleverness, but come down into the green valleys of silliness.
Wittgenstein

哲学は、悟性の詩である―悟性の詩とは、悟性が自己自身を跳び越える最高の跳躍―悟性と想像力の統合―の謂である。哲学がなければ人間は、そのもっとも本質的な力において統合されないままである―つまり、二通りの人間―悟性的な人間と、詩人―が存在することになる。 『断章と研究』


銀行救済にあてた借金、原発災害費用と補償、(ボーナスや退職金を含む)。将来返却する現在の小学生達。彼等の承諾が無いのは正義に反しないか?せめて説明したらどうか。百年の計で財政構造の再デザインは、国民的合意になりつつあるが、国民は政府を信用するか?3.11以降信用したくとも無理無理


ゴーストバスターズ?幕末の瓦版風刺画を思い出しましたな。お芋を沢山食べた民衆が海岸にラインアップし、おならで黒船を吹き飛ばしてしまう絵。アイルランド人の異文化体験の事も。雨が降ってもアメリカ帰りのアイリッシュの洗車する習慣に衝撃を受けました。洗う=文明の象徴

ミシェル・フーコー
少なくとも恒常的に一つの社会が、その社会の未来と運命とは、単に市民の数や美徳、結婚の決まりや家族の構成の仕方だけではなく、各人が己が性を用いるその用い方に結び付けられていると言い出したのは、この時(大革命前夜)が初めてである。−知への意志−

ゴーストバスターズ?幕末の瓦版風刺画を思い出しましたな。お芋を沢山食べた民衆が海岸にラインアップし、おならで黒船を吹き飛ばしてしまう絵。アイルランド人の異文化体験の事も。雨が降ってもアメリカ帰りのアイリッシュの洗車する習慣に衝撃を受けました。洗う=文明の象徴

本当ですか!確かに、この国のデリダ論者って、パレスチナ問題とか、マイノリティーの抑圧について意識している話をきいたことが全然ないんですよ。タブーなんですか?@han_org

中沢新一は昨年、科学から宗教まで横断した語り口で、ポスト原発未来像を語った。翻訳なしにポルノと神学を同時に楽しむ人の語学力を称賛した事から、彼の根本はバタイユ的と思う。科学と宗教が共有する狂気に、外の領域に逃走して行く知識人では、真にスピノザ的であり得ず、政治の闘争を期待できない

九十年代以降のカトリック的な?ゴダールの中には、レヴィナスとバタイユの対話が存在している。哲学者をユダヤ神秘主義とかカトリック神秘主義に還元できないのは当然だが、宗教の背景を無視していいかといえばそうではないと思う。カトリックはユダヤが恐れるものを恐れないー映像の決定的な多義性だ

経産省前テントの抗議行動は、民主主義のひとつのかたち。政府による撤去執行は、民主主義と原発推進派の商売とが両立しない事を公然と証明するだろう。新聞・テレビは報道をやめてしまったから、インターネットが真実を伝える。原発をやめれない社会がどういうものか?隠さず世界に知らせて行くだけだ

ルネッサンス時代の骨董品ですら、現在中国の工場で量産化されているのですよー

ジョイス「フィネガンズ・ウェイク」の翻訳は、「読む」という自由が無いくらい意味の手がかりがなく、「占拠されている」が始まる。ノートに書き出した一文の一語一語が、私の眼と脳髄と手を占拠し利用して、勝手な日本語を書く。私の自由といったら、笑うことだけQueh? Quos? Quoi?

平凡ホワイトさんから
私「が」書くのではなくて、私「で」書かれてしまうという経験ですね。私「が」笑うのか、私「で」哄笑が生産されているのか・・・。フォークナーの〈語りの奴隷〉の手法がふと頭をよぎりました。


九段下時代は毎日お茶の水まで歩きました。五反田駅前エクセルシオールにFW訳が五行終わるまで絶対動きません。迷惑に思われるといい訳ができますが、最近大事にされていて居心地が悪くなりました。難しい。

・デリダといえば、パレスチナ問題やマイノリティーへの抑圧に向き合った。しかし哲学に関しては、必ずしもこの点を明確にしたとは思えない。なぜか?端的に、<声>を追放した哲学だからだ。欧米のデリダ主義者は、貧しい国の文盲率のことに無関心。そうした人々の声は被占領地帯ー爆撃されているんだよ

・デリダといえば、パレスチナ問題は無論、マイノリティーへの抑圧と向き合った哲学者だった。しかし、哲学に関しては、フーコとドゥルーズと比べて、この点を明確にしていたかどうか?但し、デリダの翻訳者スピヴァーグによると、ドゥルーズの本がそれほど真に批判的な態度だったかどうか疑問視している

・デリダ主義の最良の部分といえば、哲学的思惟に、詩的インスピレーションと共に文学の息吹を与えたことだ。世界=内=文学。だが文学との境界線が曖昧になることは、危険なことである。なぜなら、文学は社会で最も抑圧された人々を主人公とするからである。哲学はマイノリティーへの抑圧に目を開くのだ


キューブリック「2001年宇宙の旅」はコンピューターHALが主人公である。木星探査の使命の勝利の為には、あと一人宇宙飛行士を取り除く必要があった。映画は見事に預言していた。ユーロ=HAL、原発推進計画=HALという事態を。生憎、今度追放される宇宙飛行士は、一人でなく、この僕と君達全員じゃない?
 現在は、そのHALが制御するネオリベ的微調整の宇宙船、にたとえることができようか?変動相場制、脱抵抗の脱構築(つまり、破壊的な懐疑主義と、心地よい体制順応主義)、ポピュリズムが声高に訴える似非構造改革。その様態は尽きない。
 遡ってみると、微調整というのは、本来、ケインズ主義のハウツーだった。しかし、二十年代恐慌後、伝染病撲滅に匹敵する覚悟で失業者を最後の一人まで救おうとしたケインズ政策はラディカルであり、今日のような微調整ではあり得なかった

・構造改革って、元々はマルクス経済学の言葉なの
その構造改革はね、微調整の意。マルクス的でない考え方。マルクスに関係した用語ならばラディカルな変革を意味するから。この世の中、微調整だらけさ。ネオリベも微調整、脱原発も微調整、僕と恋人の関係も、微調整(あ、微妙か)

米国が行ったイラクとアフガニスタンに対する爆撃に反対しますか?デリダ主義者に質問すると答えは必ずこうだ;爆撃は間違いかもー但しその前に考えておくべき事柄がある。イラクも非イラクも、アフガンも非アフガンも所詮、二項対立の幻想でしかない等々だ。破壊的な懐疑主義と、心地よい体制順応主義


1、経産省前テント座り込みは、民主主義のひとつの形。政府の撤去執行は、民主主義と原発推進計画とが両立しない事を公に証明するでしょう。新聞・テレビは報道しないので、私達一人ひとりがインターネットで真実を伝えます。原発をやめれない社会がどういうものか?隠さず世界に知らせて行くだけです

2、新聞が、政治家にとって都合がいい情報しか流さないようでは、プロパガンダといわざるを得ません。今朝朝日新聞は、インタビューした枝野経産相の「原発今夏ゼロ想定」を一面掲載したが、しかしその彼が25日に命じた脱原発テント撤収(27日執行)の事は報じません。フェアー(公平)ですか!?

Vērī amīcī rārī. 本当の友達は滅多にいない。(キケロー「友情について」)

MEMO;ビラより☛官庁統計によると、全国の発電設備は水力・火力・自家発電・原子力合わせて2億8172万kWある。ここから原子力発電54基分(4896万kW)を抜くと2億3276万kWになる。2010年の電力10社の最大需要は1億7775万kW。原発全部止めても供給には余力がある

フーコー
安全メカニズム−人口−統治という一連のものと、政治と呼ばれるものの領域が開かれたこと、このようなこと全てを分析しなければならない。−安全・領土・人口−

フーコー
重要なのは、処罰技術が身体刑の祭式で身体に襲いかかるにせよ、或いは人間精神を対象にするにせよ、それら技術を政治体の歴史の中に位置づけ直してみることである。刑罰の実際を、法律理論の影響の一つとしてよりも、政治解剖の一つの章として考えること。−監視と処罰−

哲学はマイノリティーへの抑圧に目を開くはずだった。アルジェリアの哲学者が、西欧の思索に、文学の息吹を与えた時から。自己投企した哲学は、世界=内=文学。哲学と文学の双子は贈与、詩人が佇む大樹へー最も疎外された人々のもとに。懐疑主義の安全地帯に後退したデリダ主義者の重い鎖とは別のもの


「ポンヌフの恋人」が現在の自己を規定するものとして存在する。Denis Lavant 曰く、俳優とは監督や作家のヴィジオンの中に入っていくシャーマン。平凡な言葉といえども、音楽に伴なわれた身体は、かくも凝縮した表現を引き出す事が可能なのか。テキストと運動性の間のマラルメ的不均衡か

☎質問;なぜ、賢者の石は、簡単なことを、いつも複雑にしてまうのですか?
♬答え;解釈が終わらないようにです。言い換えれば、解釈をつくる欲望を充たすために、といえます。だから解釈が豊かになるのであれば、簡単なことは簡単なままでもよろしい。簡単か複雑か、そのこと自体が重要じゃありません

「反」の接頭語が消えてしまった。「脱原発」という言い方がイケメンなのか、これが流通している。「脱テント」、「脱原発会議」。残念ながら、「反(脱)原発」という、論争を反映した言葉が駆逐されたようだ。言語地図的には、「反」はどこかに行く筈。「社会が悪い」という意味の「反」安全神話とか

フランス人がh音を発音しない(というか発音できない)のは、不思議なことである。ふくろうねこの友達に、「ほんださん」という人がいるが、「ムッシュー、おんだ」といつも呼ばれている。(そのおんださんの邦の人々ときたら、超驚くべきことに、R音とL音の区別が難しい)。なぜh音は消えるのか?
無声音と無声音のペアというのは、二項対立的に安定する。例えば、対となった無声音と有声音とを並べると、gとk、pとb、fとv、sとz、である。この点、無声音h音には、ペアとなる有声音が無い。フランス人の間で、h音が消失したのは、このためだと考える人もいるが、本当の理由はよく分らない

米ツ一ター社が検閲へ。「国別の非公開」といっても、米国政府にとって都合の悪い国の検閲でしょ!?NPO「国境なき記者団」は、「表現の自由を規制するもので、アラブの春につながった検閲抵抗の運動に逆行する。政府高官の電話一本で書込みを違法とするなど、あらゆる乱用にドアを開け放つ」と抗議

RSFによる報道自由度ランキング、日本は11位から22位。まだ上位だけど、はっきり言って、他の国が悪すぎるのだから、勘違いしちゃダメダメ。英国の様に戦争ばかりしてる国、大国のエゴで戦争に巻き込まれる国、交戦中の国家は秘密が多く報道規制が厳しい。世界中の国が戦争の中にいるのが現実だ

カラックス「ポンヌフの恋人」(ドニラヴァン出演)は、「三十年前の映画」とうっかり書いてしまったが、1991年に上映された映画だった。誤解が生じた理由は、あの映画の八十年代的雰囲気。「八十年代は不毛砂漠」とサンローランが嘆くぐらい、新しいものを創った70年代をまだ意識した時代だった

ジョイスのFWには、thatやwhichの文法的媒介が殆ど現れない理由は?アングロサクソン的野蛮といえばそうだが、運動性の音楽性、ダンス、言葉に言葉が直接繋がっていくアナーキズムだ。代名詞(his)の濫用が起こりなんでもかんでも指示してしまうー階級的分断を嘲笑っているようにみえる

カヤマーの精神分析は、カツマーのネオリベ的「勝ち組、負け組」の言説に対する、有効なアンチ・テーゼとはなっていない。万人に対する万人の闘争を強いる社会が悪いのだから、わざわざ「社会的敗者」と言う必要が無い。若者達は自己反省するな!社会契約を要求すること、これこそ真のアンチ・テーゼだ

カヤマーの精神分析は、カツマーのネオリベ的「勝ち組、負け組」の言説に対するアンチテーゼになっていない。「社会が悪い」のだから、わざわざ「社会的敗者」と言う必要も無い。「私達は黒人だ、ユダヤ人だ、アイルランド人だ」と、人々があえて差別側のラベルを名乗ったのは、社会を弾劾する為なのだ

フロイト精神分析が発明した、<パパーママー息子>のオィデプス三角形は、構造的な配置だから、息子の項に娘を代入できる。「息子として期待された娘」は、市場、万人に対する万人の闘争に送り込まれ、負け組となる。自己反省は解決とはならない。社会が悪いと叫ぶ、そうしてこそアンチ・オィデプスだ


先験詩[超越論的ポエジー]とは、哲学と詩が混ざりあったものである。要するにそれはあらゆる先験的機能を有し、実際、およそ先験的なもののすべてを包含する。先験的詩人とは、そもそも先験的人間である。 『断章と研究』

InjusticeFacts Injustice Facts
The United States imprisons a higher percentage of its citizens than Russia under Communism or South Africa under the apartheid regime.


憲法とデモも戦っている!☛13世紀における贖罪体系の組織化、その宗教改革前夜に至るまでのキリスト教の展開は、極めて露骨な道徳的経験の〈法律化〉―極めて露骨な規範の条文化―を成し遂げた。宗教改革以前に繰り広げられた精神的・修練的運動の多くが戦ったのは、この法律化に対してであった、F

テレビがないので、全豪オープンの中継をラジオできく。野球と相撲の中継のような優雅な間があるが、打ち合いのときは、スコセッシのレージング・ブルよろしく、忙しいカット割の中継が暴力的に展開する。デガダンスに陥らない英語のアクセントはGolden age of the innocent

英語の場合、140字以内にまとめるのは中々難しい。まとめようとすると、新聞の見出しのように、省略形に頼らざるをえない。省略形だと、効率的ばかり一人歩きして、あまり事実が伝わらない割には、読み手の感情が台無しになる。その点、Injustice Facts は非常に上手く書いているね

オリエンタリズム的外人さんをリフレする慰め効果の映像の他に、東京において撮るに値するものがもはやあるのか?私にとって、デモの人々だけだ、なにか付け加えてくれる映像は。英語で書く140字のナレーションとビデオ映像10秒間。これは、東京で、汚れちまった空の下、探求したい未知の表現領域


引き返せないほどに汚れちまったと気づく者が増えて来た。多くは、国の外の視点が乏しく酷く抑圧しているから、自分的なその汚れた姿を隠し通せると勘違する。隠れん坊さんは終わったのよと教える人がいない以上、自分で気づくか学ぶしかないでしょう。汚れたこの実存からしか再出発ができないのだから

Fbに書き残した詩の断片を読む人がいた。完成したのを読んで欲しかったが、まあそういうものか。日本に暮らしている外国人の中には、3・11以降、社会に対して大きな不安を持つ人達がいる。とかく情報不足で、疑心暗鬼に陥る(自分もそうだったから分る)。詩を熱心に読むのは、カタルシス効果か?

靖国的な「犠牲のシステム」など意識の問題を持ち出されては、「心の中の天皇性」の場合と同様、自己反省するしかなくなります。しかし反原発と反基地の運動を取り下げ自己反省した所で、財界は、危険な原発をベトナムに売り込みます。米軍は、民衆に読み書きを教える政府への爆撃を容赦なく続けますよ


子安宣邦

正史『日本書紀』とは別になぜ『古事記』は異なる書記スタイルをもって作られたのか。『書紀』の数種の異本に断片的に記された神話と違って、なぜ『古事記』にだけ一筋に記述された神話があるのか。後世的再構成ではないのかという疑いを否定できる理由を『古事記』自体はもっていない。

ただ太安万侶の序が『書紀』の720年成立に8年先立つ712年に成立したとする。『古事記』を現存する日本最古の記録とみなしたのは宣長である。彼は『古事記』の書記スタイルを日本古語を残すためのものとした。天武帝によってこの古語を残す作業は命じられたと、宣長は序によって解した。

宣長こそ日本最古の記録としての『古事記』の発見者である。その発見とは、彼がそこに記されていると信じた固有日本の始まりと固有日本語(やまとことば)の発見でもある。固有日本と固有日本語という観念は、宣長の『古事記』発見とともに成立する。


子安宣邦

「犠牲のシステム」とは原型的には靖国的国家のシステムである。戦争とは大量の国民的犠牲者を不可避として遂行される国家的行為である。その犠牲者によって国家の名誉は保たれ、国家は持続する。それゆえ犠牲者は国家の名によって英霊として祀られる。これが原型的な「犠牲のシステム」である。

だがこの「犠牲のシステム」は、原爆をもって幕を閉じたあの戦争と、ヴェトナム戦争からイラク戦争にいたる国家の名誉とは無縁な戦争によって砕かれてしまった。21世紀とはそういう時代だ。福島も沖縄もこの21世紀的現代の問題である。にもかかわらず高橋氏は「犠牲のシステム」を再構成する。

「このシステムでは、或る者たちの利益が、他の者たちの生活(生命、健康、財産など)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされる者の犠牲なしには生み出されない。この犠牲は通常隠されているか、共同体的犠牲として美化され、正当化される。」

福島の原発問題を、沖縄の基地問題をわれわれの意識の問題にしてはならない。これらを徹底的に国際的にも政治問題化しながら、福島の、沖縄の、そしてわれわれそれぞれの自立のあり方を求めること、それしかないではないか

ん、ナンだっけな?あ、サルトルの、意識は壊れないという話ね。戦中のときは、意識は汚れちまうと壊れると思い込むもの。しかし猥雑なものに取り囲まれる事によって、かえって意識は壊れることがなくなる。ジョイスほど遠くは行かなかったけど、デュラスは考えていたと思うな。書くことが存在であると


英語の翻訳のとき、「られる」「られ」表現は要注意。軽い尊敬の意を表すつもりでも、注意深く吟味すると、(仏語的な)受身の形で自発の意を含んでいる。可能の意も微妙にある。他者への配慮(尊敬)、客観世界との関係(自発、受身、可能)が渾然一体となった、日本人独特の意識の構造を反映している

単語や句の反復、憑かれたような語調、百パーセント陳腐な一つ一つの言葉、俗悪な街頭演説的雄弁などが、ドストエフスキーの文体を構成する諸要素の特徴である。─ナボコフ『ロシア文学講義』

<奪われた>という前に、固有の国家と固有の言葉(ゲール語)は本当に存在したのか?そんな植民地的屈辱感は、(植民者子孫である)プロテスタント系ブルジョアジーと作家達のアイデンティティー捏造ではないか?そう疑ったのは、「ユリシーズ」(テレマコス挿話)のスティーブンこと、ジョイスだった

<奪われた>という前に、固有の国家は本当に存在したのか?ゲール語はそれほど固有の言葉なのか?植民地的屈辱感は、プロテスタント系ブルジョ作家達による捏造に過ぎない、とジョイスは見抜いた。「独立」後、カトリック系エスタブリッシュメント達は前の支配者の植民地的屈辱感を継承して行くとは!

<奪われた>土地と似非植民地主義的屈辱感。この「犠牲のシステム」を反省することが、「独立」後新興国家アイルランドのナショナル・アイデンティティーを為した。内面世界の反省である以上、祈る教会が大きな力を持ち、共和主義の活動家達は逮捕されていった。ジョイスの怒りは、この一点に集中した

<奪われた>土地と植民地的屈辱感は、アジアの人々中心に考えるのが当然の事理。「犠牲のシステム」への反省はここに足場を持つ。但し政治において誰が何を代表するのか定かではない。靖国英霊によるアイデンティティー捏造を助けた言説ともなった。反省は福島と沖縄の問題を捉え直す事ができるのか?

子安氏によると、宣長の発見とは、彼(宣長)が古事記に記されていると信じた固有日本の始まりと固有日本語(やまとことば)の発見であった。門外漢の私の浅い理解で恐縮であるが、もしそういう発見ならば、それは、Inventing、すなわち、発明を意味していたと考えてはいけないのだろうか?

70年代ディリーの「血の日曜日事件」を契機に、フィールドデーのフリールは「トランスレーションズ」を発表する。ところが、彼が意図しない方向に、観客達は熱狂していったという。固有の国家と固有の言葉(ゲール語)が<奪われた>という植民地的屈辱感をアイルランド人に、喚起させてしまったのだ


書きかけ(米軍は、イラクに飛ぶ爆撃機の補給地としてシャノン空港の利用を、アイルランド政府に求めた。このとき、ダブリンで十万の抗議デモが起きた。新・植民地主義の復活に対する抗議だった。英国の原発(シルフィード)による放射能汚染も深刻な問題だ。)

脱原発と規格化されたラベルだけど、反原発の「反」は反米反帝国主義の警句があった。端的に原発商売は米国の国策だからね。反原発派は、植民地主義的隷属ストップの使命感があった。その限りにおいて、皮肉にも、彼等の最大の敵、核保有論者が切に願う「主権の独立」の憂国的主張と一致していたのか?

遠いもの同士を近傍において互いに近づけよ。そうして不一致を、共通のものにしていこう。この点、シュールレアリズムとダダは先駆けていた。このやり方は現実に可能となってきた。局所的に抵抗の運動を起こし、そのことによって、グローバルに繋がること。進め、進もう!もはやこれしかないのだから

あなたは映画監督だとしたら、どちらかな?観念が先で映像が後か?映像が先で観念が後なのか?森本監督「大津波のあとに」は前者で、映画の目的が所有不可能な場所と考える観念から、集合的な声の映像が誕生する。大久保監督「槌音」は後者で、彷徨の映像から、死と生の弁証法的祭りの観念へと推移する

Novalis
この世界体系においてのみ、石は石であり、植物や動物と区別される。この世界体系において個々のものについて現在なされている規定と分類は、おそらく、たんに見かけだけのもの、あるいは相対的なもの、偶然のもの―歴史的な―非道徳的なもの―にすぎないのではないか。 『一般草稿』

ポストコロニアリズムの話題は非常にデリケート。それは、現地の知識人による「痛い」歴史検証と関係しており、場合によっては、命懸けだったりする。カイバードの授業にはIRAの活動家が出席していた。日本人研究者は、文献で読んだ知識だけで発言すると、思わぬ騒動、新聞沙汰に発展するから要注意

植民地時代のアイルランドでは、「窓税」という税金があり、支払わないと、罰として窓枠が石で埋められたーそんな英国統治の残酷な歴史を話したとき、横で聞いていた台湾人が無知な私に教えてくれた。日本統治時代に「やかん税」があったと。払えない家族はどうなったのか、想像するだけで怖ろしいよ!

天声イケ面の姑息な無為自然的おじさんたちは、家でテレビを見ている。台風が過ぎる様に原発も自ずと解決すると思い込む。バライティー番組的な、あまりに凡庸な楽観者、僕ちゃん三歳?は携帯電話中。デモって迷惑じゃんね。クイズ番組と同じ、世の中正解ありなんだから、原髪もそう。え、字がちがう?

数体系は、真の言語記号体系の模範である―われわれの文字は数に、われわれの言語は算術になるはずである。 『数学ノート』

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