言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCAT ふくろねこー、かく語り き  二月  本多敬 

<<   作成日時 : 2012/02/02 20:26   >>

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アイルランドの歴史を語ろうとする、フリールの演劇は、セアラの"沈黙"から始まった。観劇した私はこのときの衝撃を忘れられない。少女セアラは、村の人々によって言語障害と考えらていたが、そうではなかった。押しつけられた言語(英語)で語るぐらいなら、沈黙することを選んだ、と考えられる
このセアラの意志は、アイルランドの人々が、自身の歴史を発明したいとする意志に木霊している。他人が捏造した歴史を語るぐらいなら、語ることを拒否することを選ぼう、と。"沈黙"は、カトリック的というよりは、ハイデガー的な沈黙である。べケット的というよりは、大江健三郎的な沈黙であろう

Silence is an integral element of communication; in its absence, words rich in content cannot exist

MANUS; Come on, Sarah.This is our secret . (Again vigorously and stubborn shaking of SARAH's head) Nobody's listening. Nobody hears you


天声イケめんは「似非」の語を好む。この「似非」は、なにか確固とした実体の広がりを、影の一点に落としてしまう呪いの言葉に思える。似非結婚式の如し。ちなみに、「似非」は「エッセー」とは関係がない。勘違いする人は稀だが、「天声人語」の書き手はまだ、「似非」と「エッセー」の区別がつかない

people today are frequently bombarded with answers to questionsは同感です。他人の質問に答えるどころか、まず自分自身に対する質問が沢山あるのです。良い答えを期待しないで欲しいものです・笑

天声イケ麺は、「似非」の語を好む。この「似非」は、なにか確固とした実体の広がりを、影の一点に落としてしまう呪いの言葉に思える。話は逸れるが、ちなみに、大島が映画で見事に描いてみせた、あの似非結婚式を観察するとき、この種の似非儀式的呪縛の重力がいかに抗し難い圧力パワーであるかとため息が漏れる

縁故採用?ホー、これは酷い話ニャ。国は岩波書店に聞取りを行う。この際、他の出版社も徹底的に調査したほうがいい。これを契機に、全産業全企業を調査してみたらどうか。国会議事堂のお箱全体が真正の縁故採用になっちゃっている訳でしょ?一体誰がこの身分制社会逆行の選挙のあり方を解剖するのか?

小林秀雄は分析の人で、それほど直覚の人じゃない。デビューのときは、歴史的構造の欠如として日本的な私小説を痛烈に軽蔑した。古典(論語や本居宣長)を語るときは、生命の哲学の如き直観主義から、普遍的な歴史的構造を嘲弄する。日本のベンヤミンと文壇では勝手に盛り上がっていたが、私は勉強不足

日本はアジアの端っこでコソ泥の侵略で金持ちになったが、国民全員を巻き込んだ総力戦の第一次大戦は「ヨーロッパの終焉」を帰結した。三木清等ヨーロッパ留学生帰国組を岩波書店が迎えた。岩波の大衆化は、関東大震災以降展開する。階級対立緩和装置、文化資本、即ち世界文学の幻想ー岩波文庫の産声だ

総力戦の第一次世界大戦によって、ヨーロッパは焦土と化した。このとき、日本の文化資本、岩波書店は、三木清のヨーロッパ留学生帰国組を迎え入れた。「上流階級から文化を奪回せよ」と宣伝し、世界文学ブームに便乗した。関東大震災以降の復興幻想に伴なわれた旺盛な知識欲。文庫本は大衆を誕生させた

英語優位主義の風潮に脅かされているなら大変!今後の為に、日本語の新しい定義が必要だろうね。日本語とは何か?二百年前に宣長が書いた文章といえば、ここでは、子安先生以外は簡単に接近できない代物だ。ところが、八世紀前の庶民的口語体、狂言の言葉ときたら、小学六年生が遊べる親しさがあるのだ

御用学者といえども、学会では競争する。幻想とはいえ、人類の知と真理に貢献したい。御用学生の方が迷惑な存在。八十年代大学は市場的権威に迎合する御用学生達に占拠された。新人類はコネの事で頭が一杯、就職にいいゼミ、資格試験に役立つ先生は「良い」ものとした。現在名ばかり管理職に群がる・笑

昨夜は恵比寿の寿司屋で。二十代女性が自分の好む話をずっと喋り続け、三十代男性二人がこれに相槌。カフェに入ると、女性の店員たちはシャキシャキと指示を飛ばし、男の子達の存在感が希薄だ。カフェオレを注文したら、時間をかけてミルクで精巧で模様をつくってくれたー繊細な花が静かに咲いていた!

不景気の風景。喫茶店でさぼっている営業の男性達はもう商売の話をすることは無いし、会社の悪口も尽きた。他方、インターネットは女性に有利なメディアといわれ、確かに話術巧みな女性が多い。この人生に溜息をつき、あの人生に溜息をつく、とワーグナー宜しく、転調に継ぐ転調、甘美な憂鬱が語り継ぐ


lgbtJP_bot

ナチスドイツは、同性愛者にピンクのトライアングル印をつけて、強制収容所に送りました。何万人もの同性愛者が犠牲になったと言われています。


丸山眞男

「マルクス主義的」知識層にたいするスマートな逆説家と庶民の「伝統的」実感ーもしくはそれに寝そべるマス・コミとの奇妙な同盟が成立し、「進歩的知識人」は両者にはさみうちになって孤立するという事態がうまれる(日本の思想)



M_Foucault_
ヘレニズム・ローマ期の哲学における、ひとが生涯を通じて行ってきた救済、救済の行為、救済の活動が齎す報いの二つの形式。 アタラクシア:動揺の不在。ひとがいかなるものによっても動揺させられないようにする自己の統御 アウタルケイア:自己以外の何者も必要としない自己充足 −主体の解釈学−

エピキュロス;「死について恐れる必要はない」。その理由として、死によって人間は感覚を失うのだから、恐怖を感じることすらなくなるのであり、それゆえ恐れる必要はないから。このように「平静な心(ataraxiaアタラクシア)」を追求することを是とした倫理学説の淵源は、彼の自然思想にある

【アウタルケイア】(ストア派) 自足、すなわち、幸福に達するには、ただ自分自身の徳のみで足りるということ。つまり、自然に従って、理性的本性に従って生きるという、自分自身の徳こそが、幸福へと導いてくれるものなのである



東京文化会館音楽資料室

【クセナキス】47年フランスに亡命。オネゲル、ミヨー、メシアンらに教えを受ける。48年〜59年までコルビュジエのもとで建築に従事。音楽と建築の理論の間に境界をおかず、建築学上の変革は最初の作品「メタスタシス」で示されている音楽的変革と密接に結びついている(ニューグローヴより)

20世紀後半における最も重要な作曲家の一人といわれ、建築家、数学者でもあったヤニス・クセナキスは2001年の今日パリで死去。ルーマニア生まれ。10歳で両親の故郷ギリシャに移り、アテネ工科大学で建築・数学を学ぶ。戦争勃発に伴いレジスタンス運動に参加、左目を失明し死刑宣告を受ける。


われわれはどこで間違えたか?  「八十年代ポストモダニズム的消費論」の脱抵抗

マルクスの商品論は、<使用価値>と<交換価値>との対立構造において表現される。伝統的マルクス主義は<交換価値>に対する抵抗を展開した。しかし八十年代の消費論は、<使用価値>と言おうと、<交換価値>と言おうと、マルクス理論のどの部分に視点を置くかの問題であって、思想の本質的な理解に大きな違いはないとした。

ボーリヤールと吉本隆明をはじめとした八十年代の消費論の特徴は<使用価値>の領域を、神聖不可侵な特権的な領域として、交換価値によっては囲い込めない領域として、外部化していく努力にあった。端的に資本主義の正当化はここに見出された。即ち<使用価値>の生産、多義性の生産によってである

八十年代ポストモダニズム的消費論は、マルクス主義の主張、即ち<交換価値>に対する人々の抵抗を無効化した。それどころか、脱構築を脱抵抗と理解する理解が蔓延した。しかし2000年以降ネオリベ的なグローバリズムの展開によって、思想哲学は、交換価値に対する抵抗の意識を取り返して行く。<われわれ>のほうへ、と

沖縄海兵隊要員約8千人及びその家族9千人の沖縄からグアムへか。クリントンに宛てた沖縄知事の抗議文をフェイスブックに掲載したとき、海兵隊の妻と称する者からの反論が掲示板に来た。私達家族は沖縄の人々から感謝されている、抗議する者はいない、手紙はでたらめだという内容であった。そうかな?

アイルランドのテレビの天気予報をみると、今日は曇りのち雨、明日は雨、明後日は曇か雨、とずっとこんな感じだ。晴れる日が一日も無いのか!?と絶望に打ちのめされてしまう人も多い。そこで予報士は、その日に誕生日を迎える百人の名前をアイルランドの地図の上に示し読み上げる。パーティーだぜ!

沖縄海兵隊要員約8千人及びその家族9千人の沖縄からグアムへか。クリントンに宛てた沖縄知事の抗議文をフェイスブックに掲載したとき、海兵隊の妻と称する者からの反論が掲示板に来た。私達家族は沖縄の人々から感謝されている、抗議する者はいない、手紙はでたらめだという内容であった。そうかな?

アイルランドの天気予報は、今日は曇りのち雨、明日は雨、明後日は曇か雨、とずっとこんな感じだ。晴れる日が一日も無いの!?と絶望に打ちのめされてしまうとヤバイよ。そこで予報士は今日誕生日を迎える百人の名前をアイルランドの地図の上に示し読み上げる。びしょびしょ濡れて、国造りパーティーだ



Nobukuni_Koyasu 子安宣邦氏のツイート

平田篤胤に未定稿の著述『本教外篇』がある。これは篤胤による天主教教書の学習ノートというべきもので、数種の天主教教書からの抜き書きや翻案的な訳出からなる。これは独自な性格をもった篤胤の神道神学形成の由来を端的に語る重要な資料である。

篤胤の神道神学の独自性は、記紀神話における始まりの神を天地の創造神・主宰神としてとらえ直し、その根元性を明確化すること。もう一つは篤胤の神学は顕世(見える世界)と幽世(見えない世界)の二元的世界を構成し、幽世を死後霊魂の世界とし、この幽世をめぐって救済論を展開していくこと。

幽世を治める神として幽冥の大神(大国主命)が立てられ、生前報われなかった人びとに幽世における真の幸福を与える。この篤胤の独自的な神道神学の形成に、天主教教書の学習が大きな意味をもったことは明らかである。だが近代の神道学は篤胤における天主教教理の受容を認めようとしなかった。

近代日本は『古事記』を絶対視して、そこから天照大御神ー天皇の道という天皇制神学を構成していった宣長の学を正統化して、篤胤の学を異端とした。篤胤は狂信的な学者とされた。だが狂信的であるのは、宣長であったかもしれない。彼はひたすら『古事記』テキストとその神話を信じたのだから。

篤胤は記紀とその神代巻を信仰しない。彼はそれらを超えた〈原神話〉を見ていた。ナショナルなレベルを超える〈原神話〉を求める篤胤が、天主教教書を見出し、それを学ぼうとしたのは自然である。彼はこの〈原神話〉を「古史」として記述し、その内容を注釈的に解説する『古史伝』を書いていった。


だが宣長の『古事記伝』が不滅の学問的業績として称えられるのに対して、『古史伝』について語るものはほとんどない。宣長を正統とし、篤胤を異端としてきたのは近代の神道学だけではない。国文学・国史学・倫理学・政治学もそうである。私はいま『本教外篇』の現代語訳をしている。

Hirata's activities eventually attracted over 500 pupils, including Okuni Takamasa and Suzuki Shigetane. His nationalist writings had considerable impact on the samurai who supported the Sonnō jōi movement and who fought in the Boshin War to overthrow the Tokugawa Shogunate during the Meiji Restoration. In the Empire of Japan, Hirata's ideas remained deeply inspirational for the Japanese nationalist movement.
Among Atsutane's more enduring contributions to Japanese thought was the idea that all Japanese were descended from the gods, not only the Imperial family and certain aristocratic families. As he put it, "this, our glorious land, is the land in which the gods have their origin, and we are one and all descendants of the gods.
For this reason, if we go back from the parents who gave us life and being, beyond the grandparents and great-grandparents, and consider the ancestors of ancient times, then the original ancestors of those must necessarily have been the gods.


INVENTING JAPAN (1)
- criticising the Japanese nationalism

The originality of the Shinto theology of Atsutane Hirata consisits in giving the redefinition of "Kami", the origin of God described in the Kojiki and Nihonshoki myth, as the Demiurge presiding over heaven and earth "天地". Atsutane Hirata clarified the nature of its root, by constituting the dual world; the visible world "顕世" and the invisible world "幽世". Atsutane Hirata equated the invisible world with the world of the posthumous soul. And the soteriology can be built from this dualism , the visible world and the invisible world ( from Nobukuni_Koyasu )

INVENTING JAPAN (2)
- criticising the Japanese nationalism.

The discourse of the modern Japan gave " the description of folk history" absolute priority, and coincidentally justified the study of Norinaga Motoori 本居宣長 that constituted the Emperor system of Japan theology defined as the way of Emperor, the Sun-Goddess and the Universe.The study of Atsutane Hirata 平田篤胤 was regarded as the heretical because he was considered fanatical. But why they are so sure that Norinaga Motoori is not fanatical,who had earnestly believed in what disclosed " the description of folk history" text and its myth ?
from Nobukuni Koyasu's tweet Feb 25)

INVENTING JAPAN (3)
- criticising the Japanese nationalism.

Atsutane Hirata 平田篤胤 never believed in the storyline of the mythical part in the Kojiki and Nihonshoki.
Rather he took the 〈archi-myth 〉beyond any national constraint. This is the reason why Atsutane read out the Catholicism Message. He studied it as possible as he can. Then Atsutane would describe this 〈archi-myth 〉as the "Ancient History" with his annotation explaining the meanings.





入り口であり出口ですね。なにか子安先生は誰も言わなかったラディカルな事を言い始めました。子安先生は現代舞踊に関心があります。いまここから非常に近い距離において至る所にアル閾。これは舞踏の身体を想像させます。あまりに面白くて勝手に英訳してしまいました、本当にすみません!

Ao_69 えにくす
松岡心平『宴の身体-バサラから世阿弥へ』 に見る 《宴の身体》と《器官なき身体》が結べますね。生と死、此岸と彼岸、性、あらゆる二元論、二項対立が交わう《間》、結ぶ《鎹》《蝶番》としての身体。父性母性、両性の調和。新世界交響曲。

そう思います。大地といえば、「太古にアイルランド人は神々で大地を自由に闊歩した」。祖父が篤胤の弟子と昔の教え子が話してくれた時、このフリールの台詞は篤胤的と気がつきました。アイルランドの場合、あの世でもこの世でもない大地の執着が脱構築的、反植民主義的抵抗をなしますよ@Ao_69
この場合、あの世はカトリック教会、この世は地主階級+英国、のことです。大地は民衆の詩的想像力のことです。ただ篤胤の言説は日本の危険な似非領土ナショナリズムと結びついた歴史がありますね

政府は気がついたのだ、相手は、単に臣下でも〈民衆〉ですらもなく、〈人口〉という形で捉えられた住民であって、そこにはそれ固有の特殊な現象と、固有の変数があると。出生率・罹病率・寿命・妊娠率・健康状態・病気の頻度・食事や住居の形がそれだ。−知への意志−


政府は気がついたのだ、
相手は、単に臣下でも
民衆ですらもなく、
人口という形で捉えられた情報だということ、
政府は気がついたのだ、
相手は、
それ固有の特殊な現象と、
固有の変数でしかない
出生率
罹病率
寿命
妊娠率
健康状態
病気の頻度
食事や住居
インフレーション率
失業率
被爆率グラフ
除染率
企業利益率

The government noticed
Its partner is not subjects,
Not even the people
But only the information registering population
In the form of habitants
The government noticed
Its partner is only
A special phenomenon and
A variable native.
Birth rate and life span
Morbidity rate and fertility index,
Health condition and ill frequency,
Meal and House
Inflation rate and unemployment rate
A radioactive dose rate
A decontamination rate and profitability

Novalis
思考とは、木に咲く花に似て、造形力の最も繊細な進化にほかならず―n値における普遍的自然力にほかならない。思考器官は、世界を産出する部分―自然の生殖器―である。 『一般草稿』


京都市長選ー 無関心というか、忙し過ぎて思考停止の状態と関係があると思います。世論調査でも、原発推進派は多数とはいえませんし、脱原発"気分"だとしても、もう無関心の八十年代には戻れないでしょう。単に、民意を汲めない政治家達の敗北であり、私達の敗北ではありません


ミシェル・フーコー
自己の自己への関係においてしか、政治的権力に対する抵抗点、第一にして窮極の抵抗点は存在しないとすれば、自己の倫理を構成することはおそらく緊急かつ根本的な課題であり、政治的にも不可欠な課題である。−主体の解釈学−

〈微視的権力〉の置換えの局地的な偶発的出来事はどれも、その置換えが自らの置かれる網目全体にもたらす効果に拠る以外には歴史の中に加え入れることは出来ない。−監視と処罰−

寺山修司
こころのなかで破壊している人たちは一杯いますよ。だがこわれなきゃ、踏みつぶされなきゃ、椅子は椅子のままです。

ドイツのデモ、イタリアの国民投票、原発批判の韓国の声。外圧しかない!世界的に考えること、外圧によってしか解決は不可能だ。自分がその外圧になるんだと覚悟して、原発問題を一ミリの隙間を許さないほど徹底的に国際問題化していこう。国内問題オンリーにしたら最後、たちまち右翼的宗教感情に陥る


原子力業界、1800万円寄付ー新大綱策定3委員に。400万円☛田中知・東大教授。824万円☛山口彰・大阪大教授。615万円☛山名元・京都大教授 ☚専門委員・伴英幸(原子力資料情報室);「3人は専門家なのに、まるで事故がなかったかのように原発を推進する話しかしない」(朝日新聞)


「鳥は立ち入り禁止」と命じる標識の上に鳥が止まっている。ガンジーが始めた抵抗運動もこういうものだった。魔術師ゲーデルはこの非暴力抵抗の意義を数学の言葉で翻訳したいと思った。「この命題は証明できない」ので、証明は立ち入り禁止と知らせる標識。その傍らに、反抗の鳥をそっと置いてみたのだ

「鳥は立ち入り禁止」と命じる標識の上に鳥が止まっている。ガンジーが始めた抵抗運動もこういうものだった。ヴィットゲンシュタインはこの非暴力抵抗の意義を哲学的に考えた。「カバは引き出しの中にはいない」ので、カバは立ち入り禁止と知らせるラッセルの眼の前で、反抗の鳥をそっと置いてみたのだ


MartinHeidegger

Language is the house of the truth of Being.

Dasein is ontically "nearest" to itself, ontologically furthest away; but pre-ontologically certainly not foreign to itself.

(古典と)仲良き事は善き事なりみたいな癒しだよ、これじゃ☛ 古典とは、私達が、回顧の情をもって近づく生きて考えた優れた人間の姿なのであって、分析によって限定する過去の一思想の歴史的構造ではない。従って、古典とは、理解されるものというより、むしろ直覚されるものだ (「論語」小林秀雄)

三十年代日本ポストモダニズムの、歴史的現実を嘲弄したニヒリズムの類か?☛古典とは、私達が、回顧の情をもって近づく生きて考えた優れた人間の姿なのであって、分析によって限定する過去の一思想の歴史的構造ではない。従って古典とは、理解されるものというより、むしろ直覚されるものだ・小林秀雄




時々中国語で道をきかれる、人違いだが、久しぶりだねみたいな感じ挨拶されることも。昨日は少林寺の河南から来た人だった。日本語片言。友達と池袋で歩いた時の話、「静かにしろ!」と振り返って怒鳴るおじさんには驚愕したと。中国はもっと自由がある。街で大きな声で喋れるからという。嘘がない観察

自由を測るには色々な尺度がある。「静かにしろ!」と命じる日本人に対して、街で大きな声で喋れる中国の方がもっと自由だと考えるのも尺度。新聞知識で中国情勢を持ち出し反駁するのは簡単なこと。しかし自分の眼で観た事を他者の言葉で語ること、ここに至るまでどれだけの歴史があったかということだ

「うるさい」と中国人に怒鳴るおじさんたちは、「迷惑だ」とデモを妨害してくる警察官と軽蔑する無関心市民達と、同じ位相にあるといえようか。節操とまとまりのよさと自慢していたが、3/11以、ただの権威盲従blind,or thoughtless followerに過ぎないことがわかった

節操integrityとまとまりのよさcoherencyと自慢していたが、3/11以、ただの権威盲従blind,or thoughtless follower(s)に過ぎなかった、と、ばればれ♪、ばれてしまったんだ。全部、うそだったんだぜ♬

自分の眼で観た事を他者の言葉で語ること、ここに至るまでどれだけの歴史、抑圧に対して反発した民衆の歴史があったかということだ。しかしなぜ他者の言葉なのか?警告の口調でその国の言葉で外国の悪口を言い出す人は相当の覚悟だ。恐らくそれは「反発」半分と「友情」半分から来ることなのではないか

自分の眼で観た事を他者の言葉で語ること、これは、私/あなた/彼/彼女の内部に、どれだけ抑圧に対して反発した民衆の歴史が存在するかにかかっている。現地でその国の言葉で外国の悪口を言う人は、現地の友達を失う追放のリスクを負う。本当はそれは反発3割と友情7割から来る警告なのだけれど。
そうして、アジアの人々は警告の言葉を発してくれる。但しいつも私達にとって都合よく日本語を喋ってくれるとは限らないだけのことだ。友情が根底にある警告に対して、日本人がきまって反発しか読み取らないとしたら、この偏狭な態度は、排他的なナショナリズムの病だろう。他者の言葉の本質は、<自己中心>の国を開く喜びに在りー共に


1、自分の眼で観た事を他者の言葉で語ること、これは、私/あなた/彼/彼女の内部に、どれだけ抑圧に対して反発した民衆の歴史が存在するかにかかっている。現地でその国の言葉で悪口を言う人は、友達を失う追放のリスクを負うが、友情から湧き出る警告の言葉を隠す不誠実さに我慢できないものなのだ

Evil is the product of the ability of humans to make abstract that which is concrete. Sartre


公害裁判支援運動といえば、直接被害者でない人々にアピールするやり方は、企業的市民社会の<理性>の欠如を非難することであった。原発災害については、誰もが被害者になりうる。市民の側の<想像力>の拡張を訴える必然性がある。とくに危機感なき無関心層と、ニッポンと連呼するデモ参加者に対して

公害裁判支援運動といえば、直接被害者でない人々にアピールするやり方は、企業的市民社会の<理性>の欠如を非難することであった。今日、原発災害については、誰もが被害者になりうる。市民の側の<想像力>の拡張を訴える必然性がある。とくに、危機感なき傍観者の無関心層と、ニッポン、ニッポンと右翼的に連呼する脱原発デモ参加者に対して。放射能は越境するのだから、全世界の問題、動植物を含めた地球の問題なのだから。


「雑多なもの」といえば、自由の尺度を勝手に持ち出しスターリニズムを批判する者が好む言葉である。「雑多なもの」の正体は「中途半端なもの」でしかないのに大きな勘違いだ。


批評が大切な理由が最近分って来た。まずそれは不一致なものを生産していく。例えばリアリズムと神話。この分裂から批評は自己に帰る。不一致をいかに一致させていくかと問題提起する。例えば魔術的リアリズムのジャンルの発明の如し。批評は、現実の政治に欠けているものを人々に呈示する演劇だと思う。

五十年代以降、映画は批評と共に歩んだ。批評というのはそもそも映画的である。ゴダール映画は不一致なものを生産するー例えば映像と音声。次にこの不一致をいかに一致させていくかと問う。例えばモンタージュ。映画こそは現実の政治が隠蔽する不一致に関して、人々の批評的覚醒を促す危険な芸術となる

デカルト以降、哲学は神学との共同戦線を放棄した。哲学は批評と共に歩んだ。哲学は不一致なものを生産するー例えば精神と身体。次にこの不一致をいかに一致させていくかと問題提起する。例えば我考える、故に我存在する。現実の政治が隠蔽する不一致に関して、哲学は人々の覚醒を促す危険な抽象となる

哲学は、文学から演劇へ、経済学から映画へと迂回するとしても、最後には、あるいは一番最初にとも言えるが、結局どこにも無い故郷、批評の故郷に帰還して行く。デリダを理解するつもりで、哲学の土地に執着してしまう態度ほど、彼のテクストとの複雑なコミュニケーションを拒んだ態度は他にないだろう

「三国志」といえば、単に英雄物語が展開する国盗り物語ではない。国盗り物語なら統一と中心に向うはずだ。「三国史」は統一なき国盗り物語なのだ。闘い勝ち、闘い負け、侵攻し侵攻されるそんな空間的境界の戯れを記述したポストモダン的本といえる。告白すると漫画しか読んでませんでしたーすみません

Find out what's happening, right now, with the people and organizations you care aboutが、英語での広告文。なのに日本語は「有名人・・・をさがそう」と謳う。スバム報告に値するほど下劣俗悪な翻訳文だ

「労働法は社会立法に属する」。しかしいくら労働法が存在しても、社会が存在しなければね。反(脱)原発の様なデモが復活したとはいえ、その他大多数はバラバラで、ネオリベ的グローバリズム以降、社会は急速に無くなるつつある。政府のパートナーは民衆でもなく、臣下ですらないただの統計的数字の塊

決めた。わたし、宇宙最強の腹話術師になる。商売道具の腹話術人形はどこからか湧いて出た魂が入ってるから、べらべらべらべら勝手に喋る。いろはにXYZgaさん

ゴダールのナレーションといえば、腹話術師的なのだ。フローベルの「神の視点」の文学的ナレーションに通じるが、ゴダールの場合、その神の視点も、旋回する神の視点だ。ソクラテスの様に「べらべらべらべら」と勝手に喋るのではなく、地球を調べに来たカウボーイ的探偵がひそひそひそひそと内気に喋る

ゴダール「映画史」文庫本が出るらしい。入手困難な原本は、昔パリの古本屋と図書館を回って探した。結局ロンドンBFI図書館で見つけた。読みやすい翻訳のおかげで一定の人気があるが、それでゴダールを簡単に分っちゃう人が案外と多い。岩波文庫的幻想なり。英訳が無いからやってみるか。無謀か・笑

ツィッターとフェイスブックを全くやった事もなく今後もそのつもりもないバブル世代の人々に接して、かれの依拠する情報源が新聞である事を知った。社説の口調で誰を代表しているのか分からない中立的語りの者もいた。皮肉にも八十年代当時新聞を全然読まなかった者達の沈黙と同じ様な権威への盲従を感じた

ツィッターとフェイスブックをやった事もなく今後もそのつもりもないバブル世代の人々に接して、彼等の依拠する情報源が新聞である事を知った。社説の口調で誰を代表しているのか分からん中立的語りの者もいた。皮肉にも八十年代当時新聞を全然読もうとしない人々の沈黙と同じ権威への盲従を感じたが

映画字幕は機械翻訳に任せると、校長先生が挨拶の最後で、生徒達にthank you very muchと感謝している様に直訳するから拙い。外国ではあり得ない。協力してくれた両親に感謝する訳が妥当だ。その上で、共同主観的日本独特の挨拶の不思議は映像(視線)に生き生きと語らせた方がいい

映画字幕は機械翻訳に任せると、校長先生が挨拶の最後で、生徒達にthank you very muchと感謝している様に直訳するから拙い。外国ではあり得ない。協力してくれた両親に感謝する訳が妥当だ。その上で、共同主観的日本独特の挨拶の不思議は映像(視線)に生き生きと語らせた方がいい

ignorant pigといえば、間違いに気づかず迷惑をかけ続ける人のこと。そうならば、維新の「イ」の字は、イゴノラント・ウォーignorant warの「イ」。その意(こころ)は?
つまり、大本営発表によってひたすら続ける無茶無謀な戦争に似て、ポピュリズムの復興幻想は破壊しか齎さない。是ぞ、ignorant warなり!繰り返し繰り返し

社会全体は銀行化し立ち入り禁止の領域が著しく広がった。つまりこれは隅々まで監獄化した事を意味する。河川敷公園での野宿者強制排除、区役所によるこの立ち退きは一体誰のためか?ネオリベ的<善良な>市民達はこうした人々に苛立つ。金融資本主義は一秒でも自分に奉仕しないモノに不寛容なのだから


A child whose parent was killed by the 9/11 attacks receives $1 mil, a child whose parents are killed by the U.S. military receives $3000.

モラリストというのは、思想家で物を書く人、文学的な哲学者。渡辺一民氏は林達夫をモラリストと理解します。その人間探求の特色は、単に抽象的、概念的に羅列するのではなく、必ず其を一つの可及的に生きた具体的な像に再構成する事です。「見立て」には探求がありません

ゴダールの女性関係を探偵みたいに調べて本にした人ですか?ゴダールは批評が最初に来る、その後に映画が来るか、文学が来るかはどうでもいい。そういうコンセプチュアルな事柄が全然分らんのでしょう。バルドーの身体をパレスチナの隠喩とした政治性を想像すらできません

ダダ的前衛が定位するアートは世界の内部に存在した。ゴダール映画も世界の内部に存在する。市場の外に芸術の起源を求めたシュールレアリズムの夢をダダは拒否した。同様にゴダールは、交換価値に対する抵抗としての映画の歴史を構築していった。使用価値としての<夢>に映画の起源はありはしないのだ

アイルランド詩人の想像力は、human geography人間化された地理学の様相を呈します。それは、イギリス的ロマン主義詩において顕著な、「人間化された風景」と共通のものがあります。ただ、アイルランドの方が、もっと具体的なものと関係しているように思います。
民衆の具体的な歴史と地理上の表象とが直接結びつきます。飢餓や人口流出の歴史を理解せずには、アイルランドの人々が詩に託した多産性への願いのことは読み取れません。ジョイスの一文こそ、厳しい歴史的現実を、大いなる神話によって、救わんとしたいユートピア精神の具現化といえるでしょう。

愛蘭(アイルランド)の会 @a05440701 返信 リツイートの取り消し お気に入りに登録 · 開く
黄昏の炎から放たれた槍は、太陽の都へ至り、陰毛に覆われた浅瀬を横切り大円の墓石を愛撫する。H・C・Eこと、石塚の角達が動き、円を取り囲んで直立した石たちが、ポセイドンを祝う祭を主宰する。あちこちで。荒涼とした灰色の死者たちのゴシップ、昂揚のうちにガツガツ食らう者ども。過去が今蘇る

「男は会社、専ら家事は女に」よりも、「男も家事し、女も会社へ行ける」の方がより平等。労働も、誰が一番タフか?を競う残業だらけの体育会系支配では女は働けません。労働の草食男子化という、女性化の方向性がより平等な関係を実現すると思います

Racism: parents who instill racist ideas in their children are actually hurting both their children and humanity as a whole.

「人類愛」は、フロイトによると、ホモソーシャル的な幻想から生じます。同じ理由で戦争もそうだと厳しく糾弾できますが、今夜はフロイトの楽観的ヒューマニズムを支持いたします。抵抗できなくなっている自分達の現実に鈍感になっていませんか?と問いたいですー「人類愛」の父権社会に


マッケーブはジョイスの多言語的文学をデリダ的に評した。テクストを常に「読み」の中心に置くから、「文法的だが使用不可能」としか評せない。しかし「読み」はテクストとの関係の全てではない。朗誦する人々もいる。声が多数の言語の内側に置かれる意味、声が存在=世界の内部に存在する意味は何か?


アルトーとジョイス、どちらが偉いか?(阿呆か?)Sontagはジョイスよりアルトーが偉いという。ジョイスのFWを読むには想像を絶する努力を要するが、しかし必死に読めば理解不可能ではない。読者に意味を伝えようとしている。他方、アルトーの方は意味を伝えるつもりがない。この差は大きいと


2010年米国最高裁はオバマ側の主張を認め、明白且つ現在の危険a clear and present dangerの法理を事実上破棄しました。Holder v. Humanitarian Law Project 民主主義社会における言論の自由を担保する保障が存在しなくなったのです

米国最高裁はオバマ側の主張を認め、明白且つ現在の危険a clear and present dangerの法理を事実上破棄した、とスピノザの研究者が抗議しています。もはや民主主義社会における言論の自由を担保する保障が無いのと同然となりましたnyti.ms/zjphjE

明白且つ現在の危険a clear and present dangerの法理は、民主主義社会における言論の自由と行動の関係を明確化したルールです。スピノザに遡る重要な原則。しかし米国最高裁はオバマ側の主張を認めこれを事実上廃棄した、とスピノザの伝記作家がニューヨークタイムズで抗議

民主主義社会では、明白且つ現在の危険を伴なう言論でない限り、表現活動を処罰する事は許されません。当然の事理です。しかし米国最高裁はこの当然の事理を破棄しました。政府にテロ団体と指定されてしまうと、非暴力と平和を訴えた言論活動すらも処罰されます。政府は情報を出せとデモで叫んでもです

2010年最高裁はオバマ側の主張を認め、明白且つ現在の危険の法理を破棄しました。9・11以降、言論の自由を保障するよりも弾圧してしまう方が安全保障上有利だ、と世界中の政府が信じ始めました。言論の自由は封じ込めないという近代の歴史から何も学んでいません。結局弾圧側に勝ち目が無いのに

言論の自由の歴史は、17世紀アムステルダムに遡る。スペイン王政を批判した共和主義者はそのまま、独立新興国家オランダを牛耳る宗教的勢力を批判し続け検閲に屈しなかった。NY紙上で2010年最高裁判決を批判した米国のスピノザ研究者。彼によるスピノザの伝記をロンドン滞在中興味深く読んだ。

言論の自由の歴史は17世紀アムステルダムの歴史である。共和派勢力は、スペイン王政同様、独立新興国家オランダを牛耳る名家貴族と宗教勢力を批判し続けた。共和主義者スピノザは検閲に反対したが、政府転覆の言論は制限すべきと考えた。このバランスこそ、明白且つ現在の危険の法理の先駆といえよう


dx、dy、無限小は在るものではなく有Seinではない。かといって無Nichtでもあり得ない。有から無へ、無から有へと移り行く隠れん坊ごっこ。純粋な光は抽象的にすぎ、内に規定性を有しない故に、純粋な闇となるように?有と無の統一を越える事はできない。韻文の傍らに光の匂いがあるだけだ

Religion is the masterpiece of the art of animal training,for it trains people as to how they shall think Schopenhauer

愛蘭(アイルランド)の会
夢を見ましょう、アダムとイヴの過去のもとに、弧を描く川岸から湾曲する海へと人々を誘う河が走ります、と、再び、その夢は、未来へ向かって、ホース城とその周囲に定位するヴィーコ的終わり無き循環の方へと連れ戻してくれるでしょう (ジョイス「フィネガンズ・ウェイク」より 本多敬訳)


人間の地理学といえば、FWです。Riverrun, past Eve and Adam's, from swerve of shore to bend of bay,brings us by a commodius vicus of recirculation back to
Howth Castle and Environs (James Joyce, FW)フィネガンズ・ウェイクの書き出しの一文です。河は流れるとも、夢を見ましょうとも読めます。 ホース城の岬はちょうど人間の頭の形のようにみえますが、ボイスはここにヨーロッパの頭脳があると言いました


Εν αρχη ην ο λογοs,
και ο λογοs ην προs τον θεον,
και θεοs ην ο λογοs

In principio erat Verbum et Verbum erat apud Deum et Deus erat Verbum


Quae est ista, quae progreditur quasi aurora consurgens, pulchra ut luna, electa ut sol, terribilis ut acies
ordinata?

この乙女は誰か、曙のように現れ、月のように美しく、太陽のように輝き、恐るべきこと、旗を立てた軍勢のよう。 - 雅歌 6:10





原発災害は一年経ても現在進行中である。この一年の間に、経済発展のために民主主義を軽んじきた日本型民主主義ー現在中国すら採用するに至ったーの失敗が明らかになってきた。

(1)まず、街頭に出て反対意見を表明する人々の存在を軽視ないし隠蔽したところから、日本型民主主義の失敗が始まった。 国にとって都合よく人々を喋らせようとしたが、世界の人々と共有する抗議、原発を止める国民投票等の外圧を無視する事が難しくなった。Utter failure will attend any attempt in Japan to force men to speak only as prescribed by the sovereign despite their different and opposing opinions.

(2)次に、一人ひとりが自己の考えを自由に表明し他の人々に伝えていく人間の本性を、日本型民主主義は押さえつけようとした。日本型民主主義は、安全神話に顕著な嘘の合意を容易に捏造してきた。組み込まれたマスコミは再び大本営発表の同義語となってしまった。しかし国による嘘の合意が従来の様には容易に捏造できなくなってきた背景として、集会・デモと結びついたインターネットの社会的使用、及び国民投票の要求がある。The Japanese democracy,the tyrannical one where the individual is denied the freedom to express and to communicate to others what he thinks日本型民主主義は、当初数百人に過ぎなかった反(脱)原発街頭抗議者が半年後6万人に成長するなどと想像もできなかった。現在500万人近くの署名活動ー原発を止めたい人々の声を前に、見たくないから見ないという幼稚な現実逃避を行う。原発を輸出し財界に恩返しできると勘違いしたままなのだ。

(3)原発災害のこの一年は、経済優位のもとに民主主義をひたすら軽んじる日本型民主主義の失敗であった。何をなすべきか?現在抵抗は、ソフト(インターネット)とハード(街頭の直接民主主義)、外圧(国際世論)に存する。この抵抗を、日本型民主主義をモデルにしたアジア諸国に広げていくこと


BIG SHAME! The Japanese Supreme Court upheld the death penalty Monday for a man commited when he was 18野蛮人でなければ恥を知れ! なんと最高裁は未成年者の犯罪に死刑判決を下した


敗戦直後の五十年代は、死刑廃止派の方が遥かに多数派だった。当時日本人が死刑に反対した理由に、極刑は軍国主義的方向に密接に結びついた国家の暴力だと知っていたからだ。別に、西洋から学んだ訳じゃない。西洋も含めたどこの国も野蛮国から文明国になる為の必死の努力として、死刑を廃止したのだよ



五十年代は、死刑廃止派が遥かに多数派だった。当時人々が死刑に反対した理由に、極刑は軍国主義的方向に密接に結びついた国家の暴力だと知っていたからだ。死刑廃止の国が文明国だって?刑法学者は知ったからぶりするんじゃないよ!どこの国も必死で野蛮国から文明国になる為に、死刑を廃止してるんだ


あなたは、<死刑廃止論者ではないが・・>と勿体ぶらず、はっきりと死刑を容認した自分の非に気づいたと言いましょう。遅きながらやっと<悪>が見えてきたのですから。たしかに、暴行殺害は<大きな悪>でしたが、そうならば、未成年者を処刑始末する<小さな悪>のことも絶対に見過ごせないでしょ?





















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