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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCAT ふくろねこー、かく語り き  三後半  本多敬

<<   作成日時 : 2012/03/17 13:29   >>

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にわか反原発であれ弱腰脱原発であれ、大阪よ!あなたの立場はTPPと両立しない事を咄嗟に分らなくちゃね。味方か敵かを判断する要点は、可能な限り多くの人々がエネルギーや医療の利用に平等に接近できると主張しているかどうかだ。皆を金持ちにしてやるぜというポピュリスト的約束に気をつけなさい

「左翼」が蔑称となり、米国の影響で「リベラル」の語が代用している。この呼称は直接「正義」を連想する。が、この語にはアイロニーとパラドックスの毒がない。従って思想的自立性の響きがない。米国で翻訳されたフーコ、デリダ、ドゥルーズの思想は独自の展開を遂げ、フレンチセオリーと呼ばれている

Let's learn the history of some important figures in European intellectual life fighting Fascism. The lberal or the left, it needs Japan !



小菅先生は45年からの核の思想について整理し記録化なさることを仰っていた。難しいお仕事だが、歴史認識に必要な共通の枠組みが必要とされていると思うから、これは意義深いと思う。私といえば、この一年間を振りかえり、少しづつみえてきた核をめぐる政治的言説のことがある。急いで書くと失敗しそうだ

今日埼玉でピーターブルックの「魔笛」を観た。蜷川的スペクタクルとは違い、竹と布と簡単な照明で舞台美術が構成されている。白人達の閉じた普遍世界が、妖精(アフリカ系俳優達)に取り囲まれる。ポストコロニアリズム的テーマの視覚化だ。ダブリンで観劇した「コスチューム」を思い出した。
「望みをもちましょう。でも望みは多すぎてはいけません」(モーツアルト)。何故、望みは多すぎてはいけないのだろうか?何故なら、普遍的合意に至る微調整を尊重し、市場とゲームの規則を守らなければならないから。毒のあるワグナーのオペラが呈示したような、多元主義的<神々>の世界を打ち倒すラディカルな変革を回避するのが、ネオリベ的グローバリズムの魔笛、ヒューマニズム的コスモポリタリニズムの音色、つまり、現代の苦悩を超楽観的に寓話化したモーツアルトの予定調和の世界かしらねー?

1870年に英国で学校教育法が成立した。公教育は英国の競争力強化と産業に労働者を供給することを目指した。この時期に、原住民絶滅モデルと揶揄される英国の同化主義が一部緩和され、カトリックの人々にも教育の機会が与えられた。アイルランド独立指導者達は英語学習に取り組む必要性を唱え始めた

The Elementary Education Act 1870 set the framework for schooling of all children between ages 5 and 12 in England and Wales ( from Wiki)

The Overt Dictionary
Hollywood: mass manufactures propaganda films aimed at making people believe that they are living the American Dream.



君が代が朝鮮を侵略したとき、わたしは黙っていた、なぜって、わたしは朝鮮人じゃないから。独り善がりの考えはおしつけられたくなかったから

君が代が中国を侵略したとき、わたしは黙っていた、なぜって、わたしは中国人じゃないから。独り善がりの考えはおしつけられたくなかったから

君が代が共産党を弾圧したとき、わたしは黙っていた、なぜって、わたしは共産党員じゃないから。独り善がりの考えをおしつけられたくなかったから

君が代が国会を停止したとき、わたしは黙っていた、なぜって、わたしは民主主義者じゃないから。独り善がりの考えをおしつけられたくなかったから

君が代が労働組合を解散させたとき、わたしは黙っていた、なぜって、わたしは組合員じゃないから。独り善がりの考えをおしつけられたくなかったから

君が代が抗議する先生達を辞めさせたとき、わたしは黙っていた、なぜって、わたしは先生じゃないから。独り善がりの考えはダメだから

君が代がわたしのところに来たとき、助けてくれる仲間はひとりもいなくなっていた。


アイリッシュ系アメリカ人は四千万で、イギリスでも八百万人もいます。つまりアイリッシュ系イギリスは、アイルランド本国500万人より多いのです。大抵イングランド人とアイルランド人の論争は、内緒ですけど本当は、アイルランド人とアイルランド人の間の論争なんですよ・笑

昔英国のアフリカ系(黒人)の出入国審査官にダブリンの話をしました。「その話は俺のお婆ちゃんが言ってた話と同じだ」と涙をぽろぽろ流し全部OKにしてくれました。現在欧州でCとPの対立が起きるのは北アイルランド地域だけ。IRAの様なマッチョな組織はイギリス的ですね@gryphona2


大中 一彌氏への質問と回答

「大学の大衆化」と学生運動は因果関係ですか?アルジェリアとベトナムに対する新植民地主義復活、マルクス主義国家による民衆弾圧に対して、西側世界の共産党がこれ反対できないとしたら、学生の間から西欧合理主義に対する根本的懐疑と抵抗が起きるのは必然だったと思いますが

学生運動一般じゃなくて、60年代ぐらいの非共産党の西欧や日本、米国での学生運動のことを念頭にいってます。それまでとは「学生」の質も要求の内容も違っていったと。「西欧合理主義に対する根本的懐疑」が「学生大衆」を捉えるなんて発想はその時代以降のものでしょう。

教養といえば、イコールとはいえないにしても、「精神」と同義語と理解しています。教養の黄金時代ならば「精神史」というのはドイツ語Geistesgeschichteだろうと思います。英語やフランス語では直訳不可能…。「哲学史」はまた別な含みがあるかと。あと、ご紹介した本は二冊とも社会学的なアプローチで、思想的探求というのは期待されない方が。情報として有益、程度に

[「精神史」というのは(恐らく)ドイツ語Geistesgeschichte、英語やフランス語では直訳不可能]。フランス語では直訳不可能というのは、大変興味深いご指摘です。他でもないドイツの歴史から切り離すことができない独自の概念ということなのでしょうね「精神史」と呼んだものを、没落後の現在はこれを「哲学史」と呼んでいると思う事があります。フーコの哲学史は精神史とはいえないでしょうが






Humanitarianism; No distinction is to be made in the face of suffering or abuse on grounds of gender, sexual orientation, tribe, caste, age, religion, or nationality. (from, Wiki)


小菅信子氏 
ちょっと的外れかもしれませんし、以前もしたかもしれませんが、humanismとhumanitarianismは、微妙に異なる概念です。後者は、近代以降、神の「神格性」を否定しつつ西欧が成立させようとした人間性保護の理念。赤十字や国境なき医師団は後者の理念です。


アメリカと日本は、ドゥルーズの本にとって、"祝福された聖地"となっている。パラノイアvsスキゾという視点は益々重要となってきたが、ただ病理学的症状に依拠したこの言葉遣いは誤解を招き皮相的な理解に陥る危険がある。直線的普遍的思考vsリゾーム的遊牧民的思考、として捉え直すことが有効だ


「人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は撰択するからだ。しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。

ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間における矛盾を断ち切れないならばだ。」 (吉本隆明『マチウ書試論』)

「吉本隆明のいちばんいい書物(笑)として『古代歌謡論』というのがあります。そこで彼が言っているのは、『万葉集』のなかで、最も古いと思われている歌も、文字を前提にしているということです。文字がなければありえないような構成力を持っているということです。」(柄谷行人)『初期歌謡論』ね。

サルトル戯曲
ほんとに、ずっといいお天気つづきだったわ。恐ろしいことね、あたしにはもう思い出せなかった。太陽の下じゃなきゃ、生きられないと思いこんでいた。−リュシー『墓場なき死者』



1、存在とはなにか?ドン・スコトゥスとアルトーは、この石が分割不可能であること、この身体が分割などはできはしないことを主張した。存在の問題は、分割不可能性と関係している事を見抜いていた。同様に、スピノザ「エチカ」によると、自然たる神は分割できないゆえに、存在と関係していると考えた

2、ハイデガーは普遍主義を存在論的に攻撃したあげく、結局はネガティヴな瞑想に、君が代的「世界内存在」に後退した。しかし天皇主義的ゲットーの分割を破壊せずして存在の開示性などは成立するはずがない。普遍主義的な自然=神の内側で生成される多様性(差異)を抱きかかえる努力こそ存在なのだ!

3、大阪府は朝鮮学校への補助金見送りを決めたが、このような、プロパガンダ的に捏造された<わたしたち>と<かれら>の間隙が天皇主義的ゲットーの分割をなすものだ。「存在とはなにか?」、この問いを常に政治の次元において生成させること、「アンチ・オイデプス」のエッセンスはこの一点に存する

4、今日一国で起きた事件は蜘蛛の巣の振動の如く瞬く間に世界に伝わる。アラブの春は反原発へ、シティーの集会はウォール・ストリートの占拠へ。現在民衆の反抗はナショナリズムに結びつくがそこにマイノリティーの権利が保存されなくてはならない。自然=神の内部に多様性が保存されなくてはならない

5、アメリカと日本は、ドゥルーズの本にとって、"祝福された聖地"となっている。パラノイアvsスキゾという視点は益々重要となってきたが、ただ病理学的症状に依拠したこの言葉遣いは誤解を招き皮相的な理解に陥る危険がある。直線的普遍的思考vsリゾーム的遊牧民的思考、として捉え直すことが有効だとおもう


米国の影響で自分をリベラルと呼んだ八十年代左翼的お坊ちゃんの先輩を思い出す。明白且つ現在の危険の法理は語るが、西欧哲学史を軽視し、結局他人に迷惑がかかる事なら自由の制限もやむを無しと常識を繰り返す。オペラ好きの米国人の様に、貧しい者達を愛するが、実際は日雇身障者を警戒し危険視した



堀 茂樹さん ‏

今の日本では「左翼」は殆ど蔑称のようですね。米国の影響で、むしろ「リベラル」と呼ぶ。フランスでは、「左翼」という言葉に悪いイメージはありません。メランション陣営は「左翼戦線」(戦線=front)と称しています。30年代の「人民戦線」を想起させ、極右「国民戦線」に対抗する名称です。



「左翼」といえば、思想的自立性を大切にする「僕」と、間違った事と知っていても党派的に行動せよと要求する、僕を監視する超「僕」の間に引き裂かれた。前者の「僕」から、自分達を「リベラル」と呼ぶ人々が誕生したと思う。それはそれで結構。大事なのは、これから「なにをするのか」にかかっている


まだ左翼という語がsomethingだったあの頃。「僕は左翼とはいえないんだがね」とする謙虚な左翼的挨拶があった・笑。理論的には思想的自立性を大切にする「僕」と、実践的には間違った事と知っていても党派的に行動せよと要求する、僕を監視する超「僕」の間に、左翼は難破船の様に揺れ続けた



<災害ユートピア>は、社会科学に新しい理論を要求する。「自然状態」の下で想定された「万人の万人への闘争」は起きなかった。その傍らで「積極的無常観」の〈文化人〉は自分達の好戦的国家観を恥じない。「海行かば水漬く屍」「大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ」と災害地を国境線上の戦場と描写する


山崎正和が勧めた様な、<柔らかい個人主義>などといった、個の主体としての自立を放棄させ、暗黙に抵抗をやめるよう呼びかけた体制迎合主義のあり方は、結果的に、八十年代に原発建設ラッシュを実現した組織からみれば、実においしいイデオロギーとして働きつづけたとおもうけどなあ、ちがうかな!?


ドン・スコトゥスはスコットランド人?アイルランド説の反論もある。映画友達だった宗教画家によると、十五世紀当時英国からみればスコットランドもアイルランドも同じだったから議論に意味がない。国家分断の屈辱が、「存在の一義性」の哲学者をして、アイルランド出生の幻想に昇華させたしたのかしら


人気取りの芸能人だから橋下の様な人気取りの政治家を称えているようだ。芸能人の宣伝を助けてるだけの記事じゃないの?「悪魔として地球を征服したxx閣下に政治をきく」だって、ほんと、この新聞の言語感覚を疑うよ。地球征服したのは神だということを分ってない!え?ポイントが違うー失礼しやした


安全運転講習会できいた言葉。「見えないことは存在しないことではない」。自分に都合がよい運転を戒める教訓も、立派な詩になる。「言葉は重く、存在は軽やかにーただね、見えないことは存在しないことではないのは、宇宙の質量には見えない物質であるマイノリティーが常に存在しているのと同じこと」


毎週金曜日に、IFC(ダブリンにある、EUによる支援を受けた映画館)に集まった、サークルに入れてもらっていた。アイルランドで酒を飲まない信頼に値する芸術家達の集まり、という長い名称をもった会合であった、宗教画家、詩人、イラストレータ等が常連で、分業化した芸術の傾向に危機感をもった


世界の出来事はかなりの部分、アイルランドとイギリスの関係から説明できる。大新聞は海外の事件を伝えても意味を与えない。これでは情報が私達の中に瓦礫の山の如く積み上がるだけで、思考は滅多に築かれない。この十年間のあいだに、この二十年間のあいだに、一体何が変化し何が変化していないのか?


この国の人々は米国の新聞に対する素朴な信頼があるようだ。結局間違いを認めたが、ニューヨークタイムズはブッシュの国家テロの聖戦を支持した。ルモンド紙をして判断に困らせたのは、その後のワシントンの大国ご都合主義の戦争に対する中途半端な態度だ。チョムスキーのインタビュー記事は有難いけど


テクストの快楽は治癒の書です・笑。アイルランドの高校で日本人留学生の為にIB(日本文学)の先生も7年間したんですが、当初はバルト的解釈で教えました。或る日アイリッシュの先生が文句を言って来ました。けしからん!文学は社会と個人の対立だ、快楽じゃないと!笑

「移り気で、雑多で、忙しなく、ほとんど落ち着きがない」 ☛意外とロンドンがよかったです。五反田じゃダメなんだと二年かかって気がつきました。東京の街は、どこも忙しいから読書の邪魔です・笑。本当は不況で仕事がないはずなのに。でも最近は皆忙しいふりもしなくなりました。もうすぐ恐慌かな?


All human knowledge thus begins with intuitions, proceeds thence to concepts, and ends with ideas.  Kant

Die Zeit ist eine notwendige Vorstellung, die allen Anschauungen zum Grunde liegt. Kant

今日埼玉でピーターブルックの「魔笛」を観た。蜷川的スペクタクルとは違い、竹と布と簡単な照明で舞台美術が構成されている。白人達の閉じた普遍世界が、妖精(アフリカ系俳優達)に取り囲まれる。ポストコロニアリズム的テーマの視覚化だhttp://youtu.be/k-Kxadc_gf0 @youtube


「望みをもちましょう。でも望みは多すぎてはいけません」(モーツアルト)。何故なら普遍的合意に至る微調整を尊重しゲームの規則を守らなければならないから。ワグナーの如き、多元主義的神々を打ち倒すラディカルな変革を回避するのが、ネオリベ的グローバリズムの魔笛、コスモポリタリニズムの音色

パスカル推薦?Tw的匿名の効用☛ある人を見てその著書を思い出すようでは悪い徴候である。何か特質があったとしても、たまたまそれを何事も度を過ごさずに用立てる機会にぶつかった時に限って、それに気が付かれるようであってほしい。さもないと一つの特質が勝ってしまって、それで命名されてしまう


時間の表象としての秩序と根拠の認識、この両者は読む人間において互いに切り離せない。夢をみるときはそれほどでもないけどDie Zeit ist eine notwendige Vorstellung, die allen Anschauungen zum Grunde liegt.

1,Die Zeit ist eine notwendige Vorstellung, die allen Anschauungen zum Grunde liegt. Kant なんと凝縮された文!ドイツ語は不得手で上手く訳せんのが残念ですが、時間の表象としての秩序と根拠の認識
2,..この両者は、考える人間において、互いに切り離せない関係にある、というようなことカントは説いているとおもいます。たしかに、昼間の時間のあいだは、そういうことはいえますが、夜の時間のあいだは、別です。たとえば、夢をみるときは、それほどでもないとおもいます。...
3、つまり、夢をみている人間にとっては、時間の表象としての秩序と根拠の認識が緊密に繋がっていません。そうある以上、演劇は昼間の時間に属し、映画は夜の時間に属するアートといえるでしょうか?説明するまでもなく、映画は夢のようななかんじですから。私が関心があるのは、

市民法(民法)は、「人」から語り始めます。なぜ「資本論」も、この市民法の出発点のように、商品所有者から語り始めないのでしょうか?「商品」が「富の基本単位」だとしても、単位から語り始める理由はなにか?つまり、何故資本論は商品から語る始めるのかずっと考えてきました。答えが見出せません


ブレヒト小屋での洪氏の版画の展示と詩の朗読パフォーマンスで、大変有意義な時間を持ちました。洪氏の版画は、展示場で展示しているような形では配置されていませんでした。俳優達の詩の朗読が、「ひとがひとを呼ぶ」と洪氏が呼ぶにふさわしい世界を生き生きと想像させてくれたからです。洪氏が言うように、「絵は生きて動く。必要となる現場に行く。集会やデモのなかにも行く。そうでなければ生きた絵ではない」。たしかに、洪氏の版画は、演劇の空間と声と身体によって、強烈な象徴性を獲得していたと思いました。東北震災の被災地と福島の人々の印象深い映像が飛び込んできましたが、後できいた洪氏の突き刺さるような言葉に揺さぶられました。“福島原発事故”は“福島核発電所の爆発事態”というべき」であり、国家の暴力は「言語の歪曲」からはじまる、と。まさに、With the violence in State, the distortion in language goes hand in handということでしょうか。後半のパネルディスカッションでは、<光州コミューン>と呼ぶ<抵抗の共同体>のことが問題提起されました。洪氏曰く;それは、血で結ばれた共和国。つまり、ひとつの釜で飯をくう人々のつながりのことである。キリストのパンを分けワインを飲む共同性と同じといえる。暴力の鎮圧のために、共同性で語ることは中々困難。だから、記憶すること自体が、闘争であり希望である」ただし、「現在は、記憶することが権力に結びつくという大変厄介な状況に直面している」とも指摘なされ、厳しい状況に警告を発していました。政治と芸術、この両者は、洪氏のなかにおいて互いに切り離せない関係にあることがよく理解できました。「版画というのは、皆と分け合うもの。ゴム板と百円の彫刻刀でつくった私の版画を、芸術と考えたことが一度もない。むしろ、それはチラシやビラの役割を果たすものであった。光州のことを皆に伝えたかっただけ。一枚彫っておけば、なくなるまで刷り続けることができた」。この点にかんしてですが、舞台というのも、純粋で自立的な芸術性に還元できない、なにかチラシ的ビラ的コミュニケーションの形にほかならないと、これは一考の価値がある仮説ではないでしょうか。洪氏が「故郷」と肯定的に呼んだ、小さく黒い箱のようなブレヒト小屋ならではの、「ひとがひとを呼ぶ」世界の開示となりました。


映画はアイルランドへ行く

ダブリンでの東北震災の映画上映は、好評のうちに無事終了したようだ。コメントが沢山あるとのこと。思い返すと、マスコミの沈黙に怒った昨年この時期は、反原発集会デモの映像を海外に流し、集めた意見をネット上で執拗に公開した。このとき、関東震災直後を舞台とした、大杉栄の小説も一緒にネットに発信した。そして、これを見ていた人のおかげで、東北震災をテーマにしたこの映画の試写会に行き、映画評を書いた。ラッキーなことに、これは直ぐに公式サイトに掲載された。そのあと、この映画評を読んだ人が、インスピレーションを得てダブリンでの上映に動いたのだ


平均的なアメリカ人からみると、バスター・キートンは必ずしも無表情のカタストロフィー的風刺に尽きるのではなく、彼の振る舞いや行動や感情から、なにか非常に無垢で時には勇敢さを感じるそうだ。それが、アメリカの風景に溶け込んでいるらしいのですね、もちろん、鉄道員を演じていた西部開拓の頃の風景です。微妙にも、愛国的雰囲気があるそうですが、なかなか興味深いところです。

長崎さんの、映画と比較してみる、思考の柔軟さが大変好きです。キートンといえば、「鉄道員」のなかで、一生懸命に仕事を遂行していて、(その一生懸命ぶりが、見方によっては敗戦後もなお降参しない兵隊のような真摯さなんですが)、騎兵隊の「直進」とともに進むのですね、まっしぐらに。ところが気がつくと、いつのまにか敗走しているインディアンと一緒に「直進」しているのに気がつき、一瞬ひるむんですが、だからといってストップしません。(チャップリンなら続けるでしょうか?)キートンは一生懸命に、シャベルでコークをすくい続けます、無表情に、ひたすら直進です。この無意味な直進と無意味な身振りと無意味な満足感が、汚染されていない瓦礫に対して真剣に怒る続ける人々と重なり合います。こんなことは、ツィッターの場では中々書けません(笑)

爆発前の抗議の方法、「子供を守る大地の母」路線では、やはり、原発の体制を止めさせるには至らなかったことは、結果をみれば明らかです。健康被害の危険性という訴え方も結果的にダメでした。ご存知の様に、皮肉にも、安全ポスターのなかには、まるで、人称化した原発を、そうした子供を守る大地の母のように、クリーンな健康の象徴として、描いているのもありましたから。私といえば、長崎さんのようにはしっかりと全体像をとらえていませんが、ただ、爆発「後」の最悪の状況ではもはや「プロ」にまかせるほかないとご指摘する点には一理ありと思いつつあります。信頼というよりは、時間稼ぎのためです。結局、原発の新設と輸出を止めるのは、民主主義しかないと思っています。時間が必要ではないでしょうか。一番確実な方法と思い始めています。ただ、今後は、韓国とか隣国の協力がないとダメなんだろうと考えたりしていますが、韓国の状況は日本と大体同じですし、民主主義に訴えるにも、まだ国会の前には数百人しか集まってこないのが現実です・・・


長崎 泰一

私はあくまでもベースは、農業技術です。
単に農業といっても、様々なことが、農芸化学時代から行われてきました。
それこそ、放射線照射による、突然変異を起こさせた品種改良の事例も知り、
それについては水稲の品種改良の概論で登場する当たり前の技術であり、
過去の技術ながら、それで誕生したレイメイは、様々な銘柄米の親品種として今も、系統図に残り、品種改良に活躍しているんです。
原子力の恩恵は、何も原発や核だけではないもんです。
このような品種改良でも使われた事実があり、
それが、みな知らないところで恩恵を受けている。
そして、その品種改良を「やっていた、筑波の農研が、今、川内村などで、除染対策の試験農地でひっそりと続け、農業技術情報にリリースし続けています。
今、あらゆる、末端の技術者や研究者がそんな現場で懸命に見えない光を探してるのです。
そして、私の六ケ所の釣り弟子は、汚染水処理の会社の人間として、6月から3ヶ月福島で復旧に働き、日本原燃に居る友人も福島にいっているんです。
一介の反対派の農業技術者だった釣具屋のガイドが、そんな対極にある人間と友情で結ばれた。
だから、彼らも本当のことを伝えてくれている。
彼らだって本音をいえば、そこで働きたいとは思ってないかもしれません。
でも、みんな仕事にプロ意識を持ってあたっている。
ですから、彼らを私は庇護します。
逆に根もない、自分らで真実を知ろうとしないにわか反原発派を名乗り、被災地差別を行う輩は徹底して弾劾するでしょう。
それだけは宣言させていただきます。

この人間の生活は、地球では実は一番矛盾したものかもしれません。
しかし、人間が作って見事に生態系が生まれた田園風景も存在します。

ですから理不尽なものには断じて赦せない。



「末端の技術者や研究者がそんな現場で懸命に見えない光を探してるのです」。「みんな仕事にプロ意識を持ってあたっている。ですから、彼らを私は庇護します」。色々と理解不足のことがありました。不適切な言い方がありまたら、大変申し訳ありませんでした。すこし言葉が足りなかったのですが、「時間稼ぎ」とうっかり言いましたのは、原発推進派で核武装のことを考えている人々を専ら念頭において申し上げました。説明しますと、なにか、推進派の核武装は、なにか「核」の神秘化に依拠していると思うのです。たとえば、アメリカから独立する為に核武装が欠かせない、とか。そういう人々は、米国に対して対等の発言権をもつ(ようにみえる)フランスの例を出すのですが、しかし、米国の軍事要塞基地になっているイスラエルのことは言及しません。とにかく、こうした自覚されない神秘化された言説が一定の影響力をもっているのではないかと考えはじめています。民主主義というのは、対話によって、こうした「核」の神秘化をひきずりおろす重要な方法と思います。例えば、核の思想の記録化のようなことが、核に対する神秘化をとめるのではないかと考えています。犠牲のシステムを強調し「祈る」といった抗議の方法の他に、核の神秘化された言説を相対化してしまうことが、時間がかかりますが、将来の世代のために役立てるかもしれない、自分の仕事ではないかと思っていますー大学の研究者ではないので、非常に難しいのですけれど。あ、ウガヤ大学の隅っこにいますけど。反原発を打ち出しながら、「被災地差別を行う輩は徹底して弾劾するでしょう。」まったく同じ思いです。

I am in melanjoelie bar, so I am whic***, pfffffffff

旧制高校以来の教養主義につながる何かがありますね、、翻訳して丸呑みするのがこの国の近代化過程の特徴の一つかもしれません。

connieneko微分積分は・・・それを割り切って使う事が求められるのが「受験」に強くなるコツ・・・解らなくても疑問に思わず「合格」を続けて来たのがエリート達だ

鋭い!旧制高校の人たちがそうだったようです。微分積分とデカルトのコギトは野蛮人でないうこと、文明の象徴性でした・笑

恐らく、旧制高校的教養主義は、ビクトリア朝のアパルトヘイト的分離主義の"翻訳"を読んでいるだけです。勉強ができる子はできない子を自然に助け全体が向上していくものですが、国は勉強ができる者だけを集めます。全体が賢い社会を非常に恐れます。批判を始めるからでしょう@connieneko


「知識人とは、あくまでも社会のなかで特殊な公的役割を担う個人であって、知識人は顔のない専門家に還元できない。つまり、特定の職務をこなす有資格者階層に還元することはできない。」ー『知識人とは何か』


「知識人が、公衆に向けて、あるいは公衆になりかわって、メッセージなり、思想なり、姿勢なり、哲学なり、意見なりを表象=代弁したり、肉付けしたり、明晰に言語化できる能力にめぐまれた個人であるということだ」ー『知識人とは何か』


正統思想やドグマと対決しなければならないし、政府や企業にまるめこまれない人間になって、みずからの存在意義を、日ごろ忘れ去られていたり厄介払いされている人びとや問題を表象=代弁することに見いださなければならない





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