言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCAT ふくろうねこ、かく語り き 8月 2012

<<   作成日時 : 2012/08/02 10:49   >>

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「ワルキューレ」(MET)の感想 − メトロポリタン・オペラによる、ワグナー指輪の映画中継

「人々は服従している。言表の主体を言表行為の主体と取り違えるという特殊な状況の中でテレビを使用したり消費しているからである」。と、ドゥルーズは、テレビ司会者を指差す。"視聴者のみなさん、番組を作るのはあなたです!"。ワグナーのワルキューレ達も、その特殊な状況の中に生きていた。戦場において死を定め、勝敗を決する女性的存在であるワルキューレは、王侯や勇士を選り分けヴォーダンのワルハラ城へ運ぶ役割を担う。「敵を殺した皆さん、ワルハラ城をつくるのはあなたです」とする言説は、テレビ視聴者参加的な消費なのだ。この「ワルハラ城」を、「靖国神社」と置き換えてもいい。(ホントよ)。ところでジークリンデは戦場の被害者である。父の言葉に逆らったブリュンヒルが、このジークリンデを運んでワルキューレ達のもとに避難するとき、彼女は、靖国的なワルハラ城に決定的な崩壊を持ち込んだのと等しい。一定の限界はあるが、1870年という時代を考えるとワグナーはフェミニズム的だフリッカ(ヴォータンの妻)とブリュンヒルデ。ワグナーの女性キャラは自分の意志をしっかりと持ち慄然と行動する。妥協せず、男性原理に反抗していく。(オー、コワと言ってはいけない。ガンバレ、女たちと言いたい)

MEMO

"視聴者のみなさん、番組を作るのはあなたです!"
ー> "視聴者のみなさん、番組を作るのは視聴者のみなさんです!"
ー>"視聴者のみなさん、番組を作るのは視聴者のみなさんです!"と視聴者のみなさんが言う。

(言表主体と、言表行為の主体との混同、取違い。他に「クレタ人の嘘」の例がある)



多文化主義は、<他>を尊重するラディカルズム。これは<他>の文化を取り込んでいくことを意味するにとどまらない。法の強制によって、自己の文化、更に、自己のうちに同化した<他>の文化を惜しみなく捨て去る合意をともなう。そうでなければ、多文化主義は、寄せ集め的マルチ・ゲットーに停滞する

多文化主義はベケット小説の主人公だけが理解していた。16個の石が彼の宝。左右両ポケットに各々8個の石がはいっている。今日は新しい石4個を右ポケットに入れる。取り出した古い石4個を左ポケットに移す。満杯の左ポケットから古い4個の石を捨て去る。一週間続けろ。古いものは一掃されるだろう

マルチカルチュラリズムは、「差異への権利」要求と表裏一体となった計画だけに、イギリスの新右翼思想からはボルシェビキズム的抽象性と名指しを受けたほどだ。不徹底に終われば、「権利の差異化」という前近代へ退行、反動化する危険がある。ゲットーみたいな行儀正しいデモの風景を思い起こせばいい

C'est la terre qui se déterritorialise elle-même, de telle manière que le nomad y trouve un territoire(p473)ドゥルーズ=ガタリのノマド論は、多文化主義のラディカリズムに近い


というか、サーカスに関して持っている橋下氏の知識も、彼の文楽の知識ぐらい空ろで最大公約数的なんだろうね。いつまで、テレビのクイズ番組的な解答者を演じ続けるのかしらー>「文楽を大切にするお気持ちは分かります。そのお気持ちでサーカスを大切にされている方のことも考えてあげて下さいね!」



毎週金曜日に、悪いシナリオの映画の中に生きているとばかり霞ヶ関に集まる。原発推進派的科学的良心が肩をすくめる前に、新聞はそんな「力がないもの」を無視した。「思考」と「力」。この両者は新聞と科学において互いに癒着してきた。が、市民は、「力」に依存しない「思考」の方へ確実に歩み始めた

合理性と力。この両者は、一等市民(新聞と科学)において、互いに癒着してきた。一等市民は、力なき合理性を無視するか軽んじるだけだ。が、原発災害を契機に、市民は、「力」に依存しない「思考」の方へ歩み始めたのではないか。いまヨーロッパの宗教改革と等価のことが始まりつつあるような気がする

この国では民主主義が五百年遅れている!と、戦後民主主義は、ルネッサンスを称賛した。そうならば時期的に言って、現在は宗教改革の時期といえよう。近代の思考は力("政官財学報司")と結びついた結果、合理性という名の「安全神話」、力の宗教を築くことができた。市民は、思考から力を追放したい


二十万人でだめなら、次は百万。百万でもだめなら一千万へ行く。市民は単純な量の運動へ行くだけだ。他に高度な戦略を展開できると説く意見も出るが、量は質的制約を必要とせずだ。現今の再稼動反対の「シングルイッシュー」ですら制約が多い。量を窒息させる。制約を拵えると不当逮捕すら抗議できない

BBCからバレンボイムのベートベン第九交響曲がながれてきた。校長先生の朝礼の勿体つけたような<間>がありません。ロマン主義的解釈からは遠い所で淡々と進行。ミニマリズム的な河。第三楽章は海の抱擁の如く。第四楽章は、さあシラーのドイツ語と構えていたら、電波のせいでぷつっと切れるwww

国会議員はまだ気がつかない?労働組合や宗教の幹部と会うつもりで主催者と会っても意味が無いことを。かれらは私達の一人も代表しているわけではない。自発的に集まってくる私達の内で主催者のことを知る者がどれくらいいるのか?彼らは私達の一部であることは確かだが、それ以上でもそれ以下でもない

オリンピックというのは、どの国の放送局もメダルを取れる競技を中心に見せる結果、窓がないモナドとなっている。飛込、サイクリング、ボート、ヨット、テニス、乗馬に熱中する宇宙があり、柔道・サッカーに熱中する宇宙がある。窓なき宇宙達は共通のものを表象するだけー五輪の標識と金銀銅贋物メダル


どの国もメダルを取れる競技を中心に見せるから、英国人と日本人が思い描く五輪のイメージは共通ではない。ロンドンでは、水泳、飛込、サイクリング、ボート、ヨット、テニス、乗馬の映像を嫌々みた。現在はテレビがないので救われている。柔道・サッカーに占拠された新聞を道端に投げ捨るだけでよい

朝日新聞(夕刊)の一面は、スポーツのことしか書いていない。人間の思考を白いペンキとブラシによってかき消してしまった、破壊的な脱政治化に他ならない。この<脱新聞化>に金メダルを、だ。ホルバインHolbeinが描いた死神の踊りのような。キリストのイメージもこれほどシニカルではなかった


学校のときは公用語ドイツ語、友達家族といるときはチェコ語。ユダヤ人ならば「彼女」は話言葉のイデッシュ語か
Ohne sie kann ich nicht leben, und mit ihr auch nicht.(Kafka) 彼女なしには生きられないし、彼女とともにも生きられない

ユダヤ人の友達によると、mは古代ヘブライ文字で水蛇の形。m音で蛇を指したはずです。mimiは耳だと告げると彼は驚愕。体の一部が蛇だったとは!よし、mimiは蛇の意にしようと提案。ジャパイデッシュ語、マイナー言語誕生の瞬間でした

The host organization,adjusting itself to the police with politeness "礼儀", is oedipalizing the Nuke protester to guilt as priest see things

Humiliation; the host organization,adjusting itself to the police with "礼儀正しさ", oedipalize protester to guilt"迷惑" as priest see things! ?

小田実
(東洋医学が)ツボというものを見つけ出すのに、そこに何の理論も解剖学的観察もあったわけではない、手さぐりで、いろんな体験、試行錯誤を経ながら、人間は長い時間をかけて見つけ出して来たという一事です。この事実は、ふしぎに私を感動させ、勇気のようなものをあたえる。『二つの世の中』73年



要する彼は、もはや神話を媒介とする必要がなく、もはや神の存在を否定するという媒介を経由する必要がないのである。なぜなら、彼は、無意識の自己生産の領域に到達したからである。これらの領域において、無意識は孤児であるとと同時に、無神論者でもある。――アンチ・オイディプス: 資本主義と分裂症 ‏(上)p113

オイディプス的分析は、無意識が行うあらゆる総合に対して超越的使用を押しつけ、これは無意識の総合を確実に変質させるのだ。だから、分裂分析の実践的課題とは、この変質を逆転して、もとに戻すことである。つまり、無意識の総合作用が、内在的に使用されるようにすることである。―(上)p216

正直言って、主催者側に多くの問題がある今回のデモの撮影は、非常にしんどいものがありました。やはり民主主義の原点に立ち帰り、一歩一歩ですね。英語と日本語の混雑を避けるために、日本語の部分は声のナレーションをつくりました。今後もこの分業で行こうと考えています。どうぞ、ご笑覧ください。


江川さんの「いじめられている君へ」の衝撃はもう無い。最近は美容と化粧の自己広告みたいになってきた。といつの間にか「いじめている君へ」となっている。海に出て船に乗ろうなどと、防衛白書的に励ましているが、それならば次は、「いじめられていると思っているけどいじめている君へ」にしたらいい

処刑である死刑に対する大手メディアの態度の変遷。「あなた、どうしてそんなことを気にするの?」(駐在員有閑奥さん的監視型電話連絡網同調圧力)から、「俺たちはいくつ敵の首を切り落とせるだろうか」(メダルフェチ型スポーツ愛国主義的軍国主義)へ

フェイスブックでネット友達となったオランダ人がいた。日本のことなら何でも好感を持つ親日家。三年前死刑執行に抗議した私の記事を読んで、信じられないとショックを受けた。親友と思っていた駐在員のどの奥さんに聞いても「そんなことなぜ気にするのか?」とはっきりと説明しない。失望と後悔と怒り

耳即チ蛇ナリ?ロンドンの友達が驚いたのは、蛇が人間に知恵を授けた神話を思い出したからです。バクーニン的にいうと、人間は知恵によって神に反抗する力を得ました。だからこそ神は楽園追放を命じたわけです。神の代理人の如き女王陛下のもとで、移民達の同化を拒む心の影を物語っているのでしょうか


子安宣邦 さん @Nobukuni_Koyasu

このことは、竹内の『魯迅』と〈人民中国〉の成立の衝撃から始まった戦後日本の日本人による中国研究とは何であったかを、本質的に問わしめることになる。私の「中国論を読む」(『現代思想』連載)はこの本質的な問いを提示することで終わることになる。

〈中国の衝撃〉という西洋基準の〈近代〉世界史の批判的読み直しの歴史的言説は、中国の独自的な〈近代〉の展開として現代中国を歴史的に肯定的に意味づける言説となるのである。〈中国の衝撃〉という歴史論的言説は、現代〈社会主義〉中国のアポロジー(護教論)となるのだ。

戦後日本の中国文学者竹内は世界に例を見ない〈純粋毛沢東〉という形象をもたらしたが、戦後日本の中国研究者溝口は世界に例を見ない現代〈社会主義〉中国を肯定的に意味づける歴史的言説を展開するのである。これは現代中国の護教論的イデオロギーとして中国の学者・理論家にも影響を与えている。

ホー、かくも国と国どうしが依存し合っている時代に、学業優秀な大学生ほど「海外は海外、日本は日本」と考える傾向ニャンだ。諸君、外からの影響に身を晒さなければ、感性は1ミリも成長しないよ。そんな日本中心主義の孤立的態度はもう二十年前から、「過去は過去、現在は現在」と表現されていたっけ

合衆国連邦憲法には州と州の関係を規定した州際間条項がある。興味深い説として、インディアン部族間の交通関係が憲法起草者によって書き込まれたかもしれないのだ。求め合う敵同士ゆえの相互影響か?ネグリ/ハートはその顕著な統治性の分析に頁を割いた。国家主権中心の国際連合の統治性に代わるもの

現代史は1870年から。パリ・コミューンが齎した混乱からファシズムを経てEUの国際的秩序へと展開する歴史を学校は教える。アイルランド高校が使っていた世界史教科書の冒頭は、ジェロニモ、最後のアパッチ族族長の勇敢な肖像写真だった。21世紀は反原発の太鼓を叩く縄文系の人々かもしれないよ

「アンチ・オィデプス」による記述が豊かなだけに、脱領土化のプロセスが、自動仕掛けの如く起きるとする誤解も招く。続編「ミルプラトー」はノマドの力を強調する。たしかに、原発テクノロジーは自ずと終わるはずがない。アトム的に小さな人間の力、即ち、市民的介入による生産的切断を必要とするのだ


「アンチ・オィデプス」による記述が豊かなだけに、脱領土化のプロセスが、自動仕掛けの如く起きるとする誤解も招く。なぜ、続編「ミルプラトー」において、ノマドの力が強調されたのか?いまほど、この理由を考えることの大切なときはないだろう。
たしかに、原発テクノロジーは自ずと終わるはずがない。これが原発ムラの村長だけに一方的に任せられない理由だ。アトム的に「小さな人間の力」が「大きな人間」を正すこと、即ち自身の声の再領土化、言い換えると、市民的介入による決定的な生産的切断を必要とする。脱領土化は自ずと起き得ない!

ジョルジュ・バタイユ
少女(シモーヌ)が裸になると、私は血の色をした彼女の泡立つ肉体の中に私の真っ赤な陽物を押し込んだ。それが愛の洞窟に侵入する一方、私は夢中で肛門をいじくり、同時に私達の唇の激昂が混ざり合うのだった。『眼球譚』


<戦争の終え方、終わらせ方> 

小田がわれわれの民主主義について痛烈な批判的、反省的言葉をのべたのは2007年の2月である。それから5年、われわれの国家における民主主義はひどい事態になっている。この数ヶ月来、私は1945年8月15日の戦争の終え方を頻りに考えるようになった。それは原発の終え方を考えるからである。

歴史的事件の終わり方、終え方、終えさせ方が大事な問題である。日本にとっては45年8月15日の<終戦>という戦争の考え方が、戦後67年の現在に至るまで尾を引くような問題をもたらしているのではないか、一番大きな問題は、日本は太平洋戦争を終えたのであった、アジア・太平洋戦争を終えたのではないのではないか。日本はもっぱらアメリカとの関係だけで戦争を終えたのである。日本の終戦とは中国との戦争の終結を意味するものではなかった。このことは昭和日本の戦争とは何よりも中国大陸における戦争であったという歴史認識を失わせた。日本人の歴史認識として問わなければならないのは一番大事なことは、このことだ。

戦争の終え方のわれわれ自身における問題としてあるのは、その終わらせ方である。敗戦として終わった戦争を本当に終わらせるには、戦争の体制的な責任がわれわれ自身によって追及される必要があった。
戦争を体制的に終わらせる過程にわれわれが介入することはできなかった。その結果、戦後体制は基本的に与えられたものである。われわれは民主主義を与えられた。与えられた民主主義を享受しているだけでは、小田がいうように「選挙だけの民主主義」になってしまう。国民生活にかかわる重大な政治的意志、方向の決定過程に市民的をわれわれが持つこと、民主主義をわれわれのものとしなければならない事態はまさしく眼前にあるのではないか。

やがてくる8月15日を3月11日に重ねる事の重要性は、あの終わり方、終わらせ方を繰り返してはならないためである。責任の追求過程に市民が介入しない限り­、誰に、どこに責任があるかは終に明らかにされる事はない。責任が明らかにされないままに、曖昧に事態は元のあり方を復活させられるだろう。市民が介入しないかぎり、責任が明らかにされ、事態­は本当に終わらない。 (子安宣邦氏)


第一次大戦中のイギリス共産党員の無名集団墓地に衝撃を受けた。異国の地で孤独に死ぬという私の憂鬱が一気に晴れた。「社会主義者というのは、生きそして死んでいったほとんどの人びとが、悲惨でみのりのない過酷な労働の生涯をおくってきたことへの驚きを失わない人間のことである」T.イーグルトン

統治性は自己の自己への関係を含意する。即ち、この統治性という概念を通して私は、人が戦略を構成し、規定し、組織し、道具とするための実践の総体を目指している。この戦略は、諸個人がその自由において互いに対して向けうるようなものである。−自由の実践としての自己への配慮−


Finnegans Wake
whyre (FW 115.19) adv. At what place and for what reason or where and why rolled into one word.


confusional (FW 520.12) n. An enclosed space where a priest hears the confused confessions of sins from churchgoers, or a confessional.


「ダブリナーズ」のジョイスは、ナンパされたアイリッシュ女性の貢ぎの話を描いた。スキのある弱者を容赦なく搾取するイギリス的なものを表現した。例外に漏れず、五輪で儲けたい欲張りなホテルが一斉に宿泊料金を倍に。生憎普通の観光客が4割減ってしまった。現在美術館もレストランもガラガラという

我々はみな官僚主義という病気を抱えている。(ビスマルク)
Die Bürokratie ist es, an der wir alle kranken.


 第一次大戦中のイギリス共産党員の無名集団墓地に、大変な衝撃を受けた。異国の地で孤独に死ぬかもという私の憂鬱が一気に晴れたときだった。フロイトの最後もこの火葬場だった。無神論者にふさわしい。この地を鼠が徘徊するベニスの地に喩えていたのは、エリオットか、それともパウンドだったか。
 「社会主義者というのは、生きそして死んでいったほとんどの人びとが、悲惨でみのりのない過酷な労働の生涯をおくってきたことへの驚きを失わない人間のことである」。このイーグルトンだが、SOASで自分をアイリッシュ・リパブリカンと自慢げだったが、ダブリンに来たときは精彩がなかったなあ。
 最後に、FWに、<whyre>の造語がある。「自分で決めた亡命者」であったジョイスの風景スケッチの断片みたいだ。結局どこで死のうが生きようが、At what place and for what reason or where and why rolled into one word

テクノロジーに依存する祭典に、<人食い>の特徴を観察することができないでしょうか。<人食い>は完全性に対するオブセッションがあり、土地に対する欲求に結びつきます。メダルはこの土地です。彷徨う生命の表現性は規律によって食われると、テレビと肉体へ縮約していく統一感だけです

オリンピックのメイン会場は、ロンドン東部、East Endと呼ばれる地域につくられました。East Endといえば、歴史的には、シティに住むことが許されないユダヤ人達が集住する場所でした。現在、至る所スラム化している地域で、実際にここに車も簡単に駐車することができませんでした。

20世紀初頭のドキュメント映画を観ますと、このEast Endは、中近東の街のように存在したのですね。実際は東欧から来たのだと思います。ちなみに、イデッシュ演劇というのは、プラハでカフカが主宰した大道芸的演劇ですが、興味深い事に、そういう劇場が二件この地域にあったと記録にあります。

カフカのことに触れますと、学校のときは公用語ドイツ語、友達家族といるときはチェコ語だったと思われます。ところで、ロンドンで親しかったユダヤ人の友達によると、mは古代ヘブライ文字で水蛇の形。m音で蛇を指したはずです。mimiは耳だと告げるとはかれは驚愕でした。「体の一部が蛇だったとは!よし、mimiは蛇の意にしようと提案。ジャパイデッシュ語、超マイナー言語誕生の瞬間でした」(笑)

East Endの話題に戻りましょう。最近のことですから覚えていると思いますが、ブッシュは、アラブ人がgood guyとかbad guyのどちらかで、bad guy should be punishedと侵略を正当化しました。元々チャーチルがEast Endのユダヤ人を指差した言葉です。反抗のエネルギーで沸騰したこの地域に来たのは、ブルシェヴィキ革命前夜のレーニンでした。ちなみに、いまお話したユダヤ人のお父さんは、ドイツでベルリン大学で学び、それからソビエトへ行った人です。ロシア革命は、主に、ユダヤ人たちのインテリが中心だったのですね。結局、かれは、ソビエトから、イスラエルに行ったそうです。ユダヤ教で結びついた農民たちの開拓運動に参加したのですね。当時はパレスチナにきたのは数百人だったとのことです。ロンドンのユダヤ人の話題は書き切れません

ホホー、知ってました?英語話者は時々ですが、発音しやすさを優先します。例えば、本当は、the day after todayなのに、発音しやすいtomorrowと言ってしまうのです。このことを知っていますと、ジョイスによる造語の面白さが分るでしょう。"tomarry "とは?
To wed or marry the day after today or tomorrow ふくろねこは、英語の感覚で日本語を喋りますから、本当は、「明後日」なのに、「明日」と言ってしまったために、申し込まれたデートを1000回ぐらいダメにしてしまいましたよ
(おおー嘘)


Finnegans Wake
tomarry (FW 324.33) v. To wed or marry the day after today or tomorrow.



"儲かる文楽"と新聞の拍手を受けた儲かる「橋下効果」も、密告で発覚した「喫茶店10分休憩処分」も、自ずと辿り着く地点は同じ。自分で自分の首を絞めていくその褒美は何だろうか?将来に、金銀銅のメダルは用意されてはいる。が、表彰台に登る人を、無気力に倒れた人々の塊からさがせないのでは?


文学者が書くジョイス論といえば、人間臭い文学のアプローチって滅多にありません。ツーリズムぐらいの気持ちで情報を集めればいいのでしょうが、気負いも強くなにかスパイ的なミッションを演じています。これではsociabilityが欠如します。もっと日本についての情報を開示しなければ・・・
sociabilityにかんしていいますと、率直に疑問におもうことは、留学生が日本の問題点についてオープンに語らない態度です。語学力がないとか、語るだけの分析力がないとか指摘されますが、本当にそうでしょうか?わたしは別の理由を考え始めるようになりました。それは歴史的なものです。
新政府に対して複雑な立場をもった明治時代の留学生達のなかには、日本の情報を「洩らす」ことができないと思い込んだのもいるかも。が、現在の留学生がそんなスパイ的なミッションの如く閉鎖的としたら滑稽です。国の根本問題が表出した原発の問題を海外に発言していく、国の裏切り者になりなさい!

論争する外来思想とは無縁とばかり、潔癖にも?なにか自分を他の意見に寛容な寛容さと思い込むひと。そんな風に、国家神道も宗教戦争にまみれた世界宗教のエゴを殊更強調したがる。日本固有の宗教は、あの神もこの神もみとめる柔軟性の反映として、あの宗教ともこの宗教とも共存できる特別なもの?大嘘

ダブリンでのプラトン「ソクラテスの弁明」の読書会。参加者十人のうち米国のエンジニア達は皆、なぜ無知のソクラテスがそんなに偉いのか?と嘲弄したー>「ポストモダンの知識人たちは、いまや、真実とか自由といった普遍的な価値ではなく、専門的能力のほうを高く評価するということらしい」サィード

漫画とアニメは教材としては問題があります。例えば、女性キャラクターが喋る女性語を指し示し、「あなたは女性だからOK、練習してみて」と言い、「君は男性だから使うことができないよ」と禁止したら、外国の学生達と一日中議論する羽目になるでしょうね。英語は性差が無いのです




日本語を教えたときこの問題に直面した。それは、日本語には、女性だけが喋る言葉、男性だけが喋る言葉があることだ。例えば、「です」の発音には男女間に違いがある。女性はdesuと言い、男性はdes-と言う。逆ではない。男性が「そうです」so-desu-と言うと、「キモイ」と排除を受ける。
文化的にマイノリティの言葉を保護・尊重する立場からすると、この立場は国際的な基準なのだが、マイノリティである女性の言葉を教えるべきなのである。しかし、現地の高校教員組合の交流会の場で、アイルランド大使は別の意見を語った。この方は長年厚生省に勤務、後に最高裁判事に転進した女性の方だった。
大使の話によれば、男性言葉の官庁で長年自分は男性言葉で喋ってきた。官庁と民間の差を無くす方向が望ましい。日本語教授は男性言葉中心でよいのではないかというものであった。私が引っかかったのは次の認識だ。マイノリティーとして差別された女性は虚構である。公務員の世界では男女はより対等だと。
ちなみに、この大使の話に対しては、アイルランドで日本語を長年教えていた女性の方からの反論があり口論が起きた。反論した方は、男性は男性の言葉を、女性は女性の言葉を喋るべきとする非常に権威的な考え方をもっていた。私といえば、日本語教授のことよりも、大使が示した認識にことが気になった。
私はフェミニズムの主張を全面的に支持する。ただ人種と性のマイノリティー達が権力に参加したオバマ政権が齎した問題と同じ問題に直面し始めた。権力の中心にいるエリートの発言を受け入れて「男性も女性もない」とすると、反差別の闘争は可能なのだろうかー現実に男女間差別が存在するにも関わらずだ。
ポストモダニズム的には、人種も性も階級も存在しない。例えば「男性も女性もない」とする考え方に拍手喝采するだろう。何故なら、差異の戯れの彼方に、もはや「男性は女性と成り女性は男性と成る」ゲームしか存在しないからだ。九十年代にそう信じ込まされてきた東氏は、「左も右もない」と言っている。
差異の戯れというのは、差別の撤廃の後にしか、現れないものなのだ。恐らく再び、同一性のアイデンティティーから出発する必要があるー現存する差別とたたかうために。同一性を自己目的化せよと言っているわけではない。むしろ、同一的実体が権力的秩序になる前に、それを、創造的に破壊することが課題として与えられるだろう。
開かれた問いかけthe opened question、多種多様な小さな人間の声たち、相異なるアイデンティティーが交差する場所、つまり、自然成長的に発展していくデモだけがこの私達を<他>に発展させてくれる力ではないだろうか。これはシングルイッシューによる制約を間違いとみなす根拠である。





日本語を教えたときこの問題に直面した。それは、日本語には、女性だけが喋る言葉、男性だけが喋る言葉があることだ。例えば、「です」の発音には男女間に違いがある。女性はdesuと言い、男性はdes-と言う。逆ではない。男性が「そうです」so-desu-と言うと、「キモイ」と排除を受ける。
文化的にマイノリティの言葉を保護・尊重する立場からすると、この立場は国際的な基準なのだが、マイノリティである女性の言葉を教えるべきなのである。しかし、現地の高校教員組合の交流会の場で、アイルランド大使は別の意見を語った。この方は長年厚生省に勤務、後に最高裁判事に転進した女性の方だった。
大使の話によれば、男性言葉の官庁で長年自分は男性言葉で喋ってきた。官庁と民間の差を無くす方向が望ましい。日本語教授は男性言葉中心でよいのではないかというものであった。私が引っかかったのは次の認識だ。マイノリティーとして差別された女性は虚構である。公務員の世界では男女はより対等だと。
ちなみに、この大使の話に対しては、アイルランドで日本語を長年教えていた女性の方からの反論があり口論が起きた。反論した方は、男性は男性の言葉を、女性は女性の言葉を喋るべきとする非常に権威的な考え方をもっていた。私といえば、日本語教授のことよりも、大使が示した認識にことが気になった。
私はフェミニズムの主張を全面的に支持する。ただ人種と性のマイノリティー達が権力に参加したオバマ政権が齎した問題と同じ問題に直面し始めた。権力の中心にいるエリートの発言を受け入れて「男性も女性もない」とすると、反差別の闘争は可能なのだろうかー現実に男女間差別が存在するにも関わらずだ。

宝塚といえば、ベルバラ。昔アイルランドの聖心、男子禁制!の学校に行き日本語を教えたとき、その英訳を40人で輪読しました。一人一コマ読み、面白い言葉に日本語を与えました。私も読みます。オスカーの台詞を女性らしく高音の声で読むと、全員驚愕でした。歌舞伎ですかね・笑@sayori27

「英語は男性言葉と女性言葉がない」、と、公式的には指摘されますが、本当のところは実際はどうなのでしょうかね?たとえば、イギリスの上流階級には、日本語の様な、男性言葉と女性言葉の使い分けがないんでしょうか?

ヴィクトリア時代、貴族女性は付加疑問形や感嘆詞をよく使ったそうですが。現代のアイルランド人の男性の例"What's the story fella?" "Jaysus!" 女性は"You know what I mean"と "OMG!"など

クロアチアは南欧ですか?普段は素面のオランダ人は、「女」らしくなく中性的ですけど、イタリアで遭遇したクロアチア男性を見事にオリエンタリズム的幻想の対象にしていました。他者を自分に都合よく憧れながら排除してまうものなんですね、特にロマンチックな夜の海が危い・笑

かもとと(薄魚);知っているくせに知らないふりをして、上品ぶったりうぶを装ったりすること。蒲鉾(かもぼこ)は魚(とと)か、と尋ねた事に由来する。近世末、上方の遊里で用い始めた。−>政治=スポーツ、と知っているくせに、「政治を持ち込まないという五輪精神」(天声人語)などと良識を装う

WAYWAY 空けてあたしたちの道を  POIPOI  捨てる悪い子はだれ? たぶんシングルイシューじゃ、ダメでしょう PONPON 出してしまえばいいの PONPON進む 色々な声が どんどんキテる?あなたたちの気持ち EVERY PON WAYWAY空けてあたしたちの道を  

論理的に突き詰めるアメリカ人の中には、違反車を追う警察の車もスピード違反と考えてみる者もいるはずです。だから、毎回警察は市民に対して説明する責任を持ちます。国家と市民とを対等に考える視点から、法の下の平等をよりよく考えることが可能となると思います


「個人の刑事責任を追及することへの違和感が、私の胸にある」。戦争責任から天皇をかばう軍国愛国者の言葉?否、これは朝日の渡辺氏が東電や政府の関係者に対する刑事告発を憂いた言葉だ。が、贖うことなしには不可能だろうーあなたたちマスコミの再生は。カネの為に安全神話の宣伝を協力してきたなら

日本の警察の言い分に従えば、同じ道路の使用をめぐって、相容れない二つの権利、即ち車の通行権と表現の自由の権利、がある。が、道路の封鎖によって、首相官邸から遠く離れた所へ移動を強いられる人々は事実上抗議の形をとれない。他方、道路の進入を禁じると車は遠回りするが目的地には着けるだろう

Finnegans Wake
inhebited (FW 224.11) v. A combination of receive as an heir or inherited, hinder or inhibited, and live in or inhabited.


Simone Weil ‏

ギリシア文明。力の崇拝はまったくなかった。現世的なものは、架け橋にすぎなかった。たましいのどんな状態においても、強さよりも、純粋さが求められていた。

地名に"橋"が含まれる地域は津波が来るから危険、但し皇居に近い水道橋と飯田橋は安全?右翼的妄想は悟性範疇を水没させる程想像力を暴れさせる。皮肉にも、この同じ想像力が、左翼をしてルソー的に考えさせる。私有財産の柵で囲まれた此処は堕落しており未知の地球の裏側にこそ理想の場所がある、と

地名に"橋"が含まれる地域は津波が来るから危険、但し皇居に近い水道橋と飯田橋は安全?右翼的妄想は、悟性範疇を水没させる程想像力を暴れさせる。悟性の観察からみると、右翼的妄想は遥か彼方の遠くを見渡すと、尖閣諸島すら皇居に近いと思えてくる。なんと外国人が地震と津波の脅威に取って代わる

主権国家はグローバル化した情報の網目とかかわっている。もはや国内問題は存在せずだ。「吠えズラかかせてやる」と石原犬は吠えても世界中の監視を遮断できない。狂犬は非難を受けずには1ミリも動けまい。私が心配なのは中国の人々のこと。中国政府がこの尖閣問題で民主化の声を封じ込めないだろうか

光州事件の芸術家、洪成潭さん (Hon Sondams)は、原発問題の解決は韓国と日本の協力にかかっていると看破した。又曰く、新自由主義の親日派財閥である韓国のエスタブリッシュメントは、米帝国主義に仕える飼い犬の日本国家と共犯だと。これからは、韓国の市民と日本に市民が協力する時代


外から与えられるツィッターの呟きは、色々なことを内側から思い出させてくれるものだなあ



C'est une grande différence dans l'évolution de la propriété privée;quand elle porte elle-même sur des droits , au lieu que le droit la fasse porter sur la terre, les choses ou les
personnes

Private property in itself reltes to rights, instead of the law relating it to the land, things, or people

" Mille Plateau", Deleuze=Guatteri

所有即権利。だからたとえ公的な所有でも、図書館の所有が侵害されると、ヘーゲル的には私達は自身の権利が侵害されたと怒る。他方、これとは別に、土地や物や人格との結びつきでしか所有を考えられない法意識がある。まさしく、ネオリベ橋下がこれだ。例えば、図書館は、土地や物や人格の集合体でしかなく、誰かの人格に帰属する土地と物に過ぎない。と、国家を整理するこの破産管財人にとって、誰かの人格とはいつも銀行なのだ。この即物主義はなんと命名しようか?21世紀新重商主義はどうか。
所有と権利、この両者は、世俗的なものにおいて互いに切り離せない。ヘーゲル的に、この世俗的なものとは政教分離の国家の事。「一億総中流」のブルジョア的幻想の形成とも関係がある。この世俗的なものは君が代日の丸のもとに葬れば、所有の社会性は消滅、橋下的に所有の私的モメントしかなくなる

朝日新聞は橋下の広告塔?カモトト的傍観者か、ああ手遅れ勘違いなのか、今日はコメントする気も起きない。笑ってやってくださいー>「かれこれ20年間、有権者は早指し将棋よろしく直観の一票を投じてきたが、いよいよ長考の時である。むろん新聞やテレビも。次が外れなら国が詰む」(「天声人語」)
小田的にいえば、民主主義とはしゃべることである。現在抗議すべき事が沢山ある。朝日よ、たかだか選挙だ、心配するな。反原発署名を拒む輩を次の選挙で罰すれば宜しい。罰を受けた民主・自民は、同じ民主・自民ではないはずだー>「20年間有権者は直観の一票を投じてきたが、次が外れなら国が詰む」

週末はサイベルバーグ監督「ヒトラー」を観る。ヒトラーといえば演説名人かといえば、然にあらず。演説が下手で失敗ばかりしていた。ジジェクが見抜いた様に、この間抜けさが大衆を惹きつけたのだ。天声人語的に、説得力欠ける日本新聞の論説もこれと同様、ファシズムだけに大衆的感性に情動的に訴える

熱い頭で心が冷え切っている諸君は、メタ経済学である国家学を学ぼう。「純粋な労働力」と「独立した資本」をどのように結合するかに諸国家の課題がある。法で規制したり、規制緩和するその方法で、中韓日の間で差異があるが、経済政策の失敗というのは、領土ナショナリズムへの転化によって隠蔽される

新聞は首相官邸前に集まる人々すら数えられないくせに。「中国23の都市で反日デモ、数百から数千人規模」は笑止。「当局」からの伝聞でしょうが。仮に平均ニ千人としても合計5万人。十倍の人口だし、毎週デモしている私達はそれがどれくらいの規模か冷静に判断できる。日本の新聞の挑発には乗らんぜ

昨日は「中毒・カランだり・自慢話」のお見本のような、酒飲みの人の葬儀に行ってきました。自業自得か?参列者が少ない寂しい葬儀。と、天台宗のお坊さんが、盛り上げようと、木魚をリズミカルに叩き、念仏ハッスル。なにかフラメンコと重なってきました。如来の名の代わりに、愛はなくなったwあああああああ、みたいな情念に、愛しい人の名を添えるノリでやってくれました (うそです)

「ホー、お葬式って高い」、と、ふくろうは猫に言いました。
葬式の為の金銭的な蓄えもお坊さんをお呼びする余裕もありません。そこでふくろうが考えました。なにかいい案がないものか?そうだ、下北沢付近の葬式BARで、猫に、お経を唱えさせましょう。お経の代わりに、ふくろう猫共訳「資本論」を読み上げてもらうのです。参列者にもタメになりますニャ
ニャンめんにょーホーホー、ひっく***成仏なされ

「動けば資産、止まれば負債の原発に咲くネギ坊主」と、相変わらず、「素粒子」(朝日新聞)の風刺にはパンチがない。「連歌デモ」を読んで勉強すればいいのに。このあたしならこんな風に書くけどね。「反原発派が負ければ資産、勝てば負債、でも心配するな結局は税金に咲く弱いものいじめ大パレード」

「言葉と物」の代わりに、中沢の本を読めば、マイナー科学と記号論的精神分析の批判的展開を汲み取れる。が、「女性が受ける二重の搾取」に抵抗すべく、ポストコロニアリズムとフェミニズムが共闘している事は知っているだろうか?宗教が与える「女性原理」が天皇主義に収斂していく危険性のことは?

北アイルランドでは、オレンジ行進という愛国的プロテスタント勢力による行進がある。祖先が占領したこの土地をカトリックに奪い返されるな、と太鼓を打ち鳴らし威嚇する。この太鼓は楽器、即ち道具か?それとも、悪魔祓いの武器か?いや、こんな話でドゥルーズ的二項対立批判を持ち出すべきでないのだ

オレンジ行進は元々カトリックの聖パトリック祭行進を真似したとも。紛争地に入ると、IRAを描いた壁絵とプロテスタント軍を描いた壁絵に冷や汗。実は同じ一人の画家によるものだ。二重スパイも、何十回と寝返っているうちに自分が英国側か共和国側か自覚がない。アイルランドはそういう国なのだ・笑

G20の嘘の成果を労働党の選挙に利用させないぞ!と、中央銀行前広場を開催前日に占拠した、ロンドン四千人デモ。世論の支持を受けたこの占拠は、保守的な新聞もこのときばかりは支持。日頃は街で互いにバラバラで出会えなかった人々。民主主義の再建を願った広場で出会えた喜びはなんと形容すべきか


いかに外部世界の認識は可能か?マスコミによる反原発デモの算出の出鱈目を知れば知る程、反日デモの規模の情報は信頼できない。私達のデモが政府批判を孕む以上に、彼らのデモとて彼ら自身の政府批判を含むはずだろう。「反日」のシングルイッシュでデモを語ることは無意味か、単なる認識の怠慢ではないか

BBCの天気予報には道徳的修辞が溢れる。悪辣で始末の終えない雲がアイルランドから大量に来ましたと(笑)。アイルランド人とスコットランド人からみると、英国人はナショナリズムの毒を楽しめない。現実問題の解決の為に、われわれという意識は敢えて演じる幻想なのに。ヒュームはこの毒を分析した


五反田郵貯ホールにてバイキング。洋食集合はスパゲッティーと定番のカレー、和食集合は炊き込みご飯、揚物、大根わかめサラダ。フランチレストランよりもずっとclassless(階級なき)。内部空間も観察すると、建築的にヨーロッパに見出せない場所だ。嘗てアジアが模範にした社会民主主義的な

「おれがいない間、さぞお楽しみだったんだろうな」、と、役者が繰り返している。谷底にあたるうちに隣接した橋に、学園もののロケ撮影スタッフと役者達が集まっている。小津も石川台をロケ地に使ったのは谷があったから。谷というのは文学的な異空間?夜中不定の独り言が木霊するー私のTwもここから

いまさら、礼儀正しいネトウヨ親書を、天声人語が有難く綴る名文に翻訳してみようというのである。「普通の国では非常識です」(ネトウヨ親書)ー>「儀礼上、前例のない扱いである」(天声人語)。「外交が通じない他所の国は困ります」(ネトウヨ親書)ー>「外交が通じない元首は困る」(天声人語)

親書か、脅迫状か、それとも、なにか、野田さんのは、駅前で配ってくるサラ金とか耳かきを宣伝した姑息なティッシュみたいなものではないだろうか?

ホー、イギリスといえば、ダーヴィンとかマルクスだが、有名なこの彼らの思想に関して大まかな説明を与える事は困難ではない。しかしスイスのソシュールとワルラス、ジョイスとゴダールが何を考え何を新しく付加えたか説明するとなると、スイスのフェデラが切り開いたテニスを解説するぐらい難しいニャ


1、ドゥルーズ的にいうと、資本主義の公理系は、第一次世界大戦とロシア革命によって、労働組合的な社会民主主義の規則を付加した。さらに第二次大戦後、マーシャルプランとケインズ政策に顕著な、政府の介入のもとに国内の経済変数(内需)と国外の経済変数(貿易)をバランスさせる規則を付加した。
2、が、資本主義の公理系は七十代以降、規則を取り除く方向へ転換していく。その結果、内需の抑圧が起き、外国資本の依存が高まり農作物と原料の輸出が奨励された。小さな政府がファシズムと共通するのは、戦争経済が中心となるから。平和主義が取り除かれると、日本において領土への関心が起き始めた
3、現在資本主義公理系はネオリベ的グローバリズム。新植民地主義の復活をみたが、ベトナム戦争で米国の経済力は決定的に低下し、イラク戦争敗北以降王位の空白が続いている。米国の優位は、他国に、王位を剥奪させない程度の力の保持にしかない。日中韓と比べたら、リア王の娘達の方がよほど慎み深い




Le contrat est une expression juridique de ce deuxième aspect; il apparait comme le procès de subjectification ,dont l'assujettisment .est le résultat. Et il faudra que le contrat aille juqu'au bout, c'est-à-dire qu'il ne se fasse même plus entre deux personnes, .mais entre soi et soi , dans la même personne, Ich=Ich, en tant que sujette et souveraine (MP)

As for "Subject", it does't only means " a thinking or feeling entity; the conscious mind; the ego; especially as oppsed to anthing external to the mind", but "a member of a state other than its ruler, especially one owning allegiance to a monarch or other supreme ruler". Isn't it discordance ? It reminds me of "Wotan"(War God ).He has the stick, that inscribed the contract vowing to pay to the twins Giants something valuable. Votan can't break the contract, so he gives up robbing the gold Ring of the twin Giant. Votan confines himself in his contract Ich= Ich, to To keep the legitimate relation with the twin Giant. That shows how fidelity the emmigration keep a law while they often quietly accept a humiliation painfuly from the assimilationism

Subjectといえば、「主体」。が、なぜ、「臣民」の意もあるのだろうか、と昔からの疑問。戦争神ヴォータンがもつ契約の杖は、ワルハラを築城した双子の巨人族に対価を払う旨を誓っている。一度引き渡した黄金の指輪を奪え返せない。彼は、巨人との関係において、Ich=Ichのなかに自らを閉じ込める。その姿は、その国民よりも忠実に法を守る一方で同化政策に苦しむ移民の姿の如し
























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ALSO SPRACH OWLCAT ふくろうねこ、かく語り き 8月 2012 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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