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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCAT ふくろうねこ、かく語り き  2012年12月 (後半)

<<   作成日時 : 2012/12/15 11:21   >>

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東京見学バスツアーに付き添う一日。バベルの塔こと、東京タワーの展望台にきたが、選挙で露骨な経済アニマルのゾドムなど見たくもない。昭和の竜宮城の百階段では、ブルジョアが残した文化貢献を目撃。見落としてきたな。女性組みの江戸大神楽は優雅。最後に来た、日の丸を掲げた東京駅には超ガッカリ

ネオリベのまま金融政策だけで不況の問題に取り組むと、イギリスの二の舞を踏むかもしれない。右翼的なムードをかもし出す不況が深まり物価があがるという嫌な事態も起こりうる。そうなったら、もう毎日歯を噛み締めろと号令だ。いったい誰が一番<タフ>かを競う我慢比べの勝ち負けしかなくなるだろう

暴力的に大量の死票を出す小選挙区制の廃止は必要。ところでどのような選挙デザインであれ、代表制であるかぎり、誰(何党)が誰を代表するかが曖昧になっていくことはある。既に選挙中から原発推進派でありながら反(脱)原発派の立場を表明するなど、原発問題は安部内閣のアキレス腱であることは確か

平和主義者が多いのは9条があるからだが、海外の戦争・地域紛争の認識をもたない人々が多いのはこの9条のためか?この問いに、渡辺一民氏は盾の両面を見よと答えた。尖閣問題が進まないのは9条があるかだらと。確かに、電力会社ともめている原子力規制委員会と同様、<いまのところ>機能しているけれど

捩れの中に左翼と右翼が存在する。左翼の保守ラデカリズムは、問答無用という右翼的態度で憲法の絶対化を垂れる。左翼的分析と説得は右翼の側にある。右翼の改革派はドンキーホーテ的空想と現実が混ざる物語から、普通?の憲法のあり方を説く。左翼といえ右翼といえ亡命者に冷たい点で大した違いがない

昨夜は自民党憲法改正案に怒る人と酒を交わした。がどうも話がかみ合わない。彼には戦争・地域紛争の認識が殆ど無い。亡命者に冷たい。国際問題の視野から九条を認識していたとは思えなかった。まさか念仏的に九条を守れと言うことで知識人的ステータスの幻想を自らに与えているという訳でもあるまいが

昨夜は自民党憲法改正案に怒る人と酒を交わした。がどうも話がかみ合わない。彼には戦争・地域紛争の認識が殆ど無い。亡命者に冷たい。国際問題の視野から九条を認識していたとは思えなかった。まさか念仏的に九条を守れと言うことで知識人的ステータスの幻想を自らに与えているという訳でもあるまいが

岡倉天心、畏るべし。作家としてのジョンウェインぐらいのオリエンタリズム的レトリック、リズム、特異点的異郷を支点に、孔雀の扇子、ジョン・ウェインなら商業ワイドスクリーンの砂塵だろうが、自由闊達にぐるぐると旋回させる・・・

大仏を見たいという遥遥九州からの客人を鎌倉案内。事前に、岡倉天心の本で調べた。鎌倉時代は平安時代と足利時代・江戸時代の間にある時代と記す一文あり。英雄崇拝の高い調子の曲線美の繊細。戦争技術の中に宗教があり、世を捨てた貴族が鎧の上に僧衣をはおる、と。騎士道的十字軍をアジアに翻訳か?

念のために、拝金主義の批判は躾の話とは関係がない。ところで、議論を行うとき、手段ー目的という範疇を外から介入させてしまうと、議論に結論を与えるゆえに、言論活動の停止を招く。これが拝金主義だ。誰が金を払うのか?という結論初めにありきは言論活動という政治の場を従順な労働に変えてしまう

自民党は、歪曲し濫用した憲法の語彙を以って、自分達の狭い拝金主義を正当化している。人権は納税者にだけ与えられるという考え方は、たんなる彼らの拝金主義のプロパガンダ以上のものではないだろう。もっとはっきり言ってしまうと、そもそも拝金主義は憲法のことを語っているわけではないのである。

憲法25条から権利性を読む取ることに躊躇し、福祉がプログラム(目標)でしかないとする最高裁の見解から、人権は納税者にだけ与えられるという自民党改憲派の考え方まで、更に後退してしまうのか?自民党は歪曲し濫用した憲法の語彙を以って自分達の狭い拝金主義を正当化している。君達バレバレだよ

決断に富んでもこの決断に判断が伴ないと、運転は非常に危いだろう。ここでは自民党による国の運転のことを心配している。大局からみて自分達が何をしているのか分らなくなっている点では、兎角再稼動始めにありきの突進型決断と同じであろう。他の国の人々はどう思うか?二十代なら海外に出て確かめる

決断に富んでもこの決断に判断が伴ないと、運転は非常に危いだろう。ここでは自民党による国の運転のことを心配している。政策において自分達が何をしているのか分らなくなっている点では、兎角再稼動始めにありきの人々の決断と同じであろう。他の国の人々はどう思うか?二十代なら海外に出て確かめる

恵比寿時代のアパートでたまたま隣人だった、ドキュメント作家のダニエル・モローさんです。シネマテックに通った独学の人で、アルメンドロスを尊敬していました。アルメンドロスの撮影によるトリフォー映画の傑作「野生の少年」を教材にして仏語を教えていました。

画家でも演劇でもアイルランドの芸術家は、例外的に詩的なタルコフスキーを見ますが、外国映画を見ません。ところが、初めて溝口映画「雨月物語」等の上映が実現した日に、彼ら何人かを招待した所、凄い衝撃を受けたようで、コミュニケーションを妨げる氷の壁が一気に砕け散りました

演劇は古い伝統にも関わらず、意外に、劇評については決定的なルールが無いのでは?自由といえば自由。ウェスカーについて書いた劇評を読み直すと、そこにイギリス人得意の、ジャーナリズムの批評的書き方がある。ロンドンにおいてこの私の中でアイルランド的韻文とイギリス的散文との交換が起きたのか

アイルランド時代に、ニ、三回ダブリンからイタリアに行きました。ジョイスがユリシーズを書き上げた、(ベニスの側にある)、トリエステという街がありますが、そこで開催されたジョイス国際シンポジウムに参加しました。ここから電車で二時間ぐらいで、ミラノに着きます。あまり知られていませんが、このジョイスも大変なオペラ狂で、今日も現存しているトリエステのオペラハウス("ヴェルデイ・ハウス")に通ったようですね。

東京在住の仏人映像作家から溝口等映画鑑賞の方法を学んだ。この映画の知識をダブリンの芸術家は尊重してくれた。散文的なイギリス人は詩が苦手。だからこそアイリッシュとの交流の中で自ずと詩に目覚めた私を大切にしてくれた。再び東京ではロンドン時代に培った批評的英語を書くことが求められている

「善とは直観的な概念なので定義を必要としない」(ムーア)「確率という概念は直観的なものなので定義を必要としない。」(ケインズ)「芸術の定義を必要としない」(ウィットゲンシュタイン派美学)。但し定義不可能性の語りが内部に絡み取られては徒労。介入していく語りとして芸術に定義を与えよう

数学は得意ではないが、興味だけはある。洋書を読む前に頭を働かせるのに役立つ。条件づけ確率というのも、シャノンの初心者向け解説本のおかげでやっと理解した。英語発音で苦労した者なら、発信者ー受信者間のノイズを取り扱う数学理論に興味を持つのではないか。ケインズの確率論の意義もみえてきた

同じような話は例のホフスタッターの本に紹介されています。たしか、無門宗の和尚が、厳しい修行を終えた弟子に公案を出します。「お前は悟ったと言ったら、直ちにお前をこの棒で殴る」「お前は悟らなかったと言ったら、直ちにお前をこの棒で殴る」。正解は、棒を取り上げる、システムにはまるな!です

国が引き起こした人為災害に愛国的連帯責任を求めるダブルバインドとは?「裏切り者になる君は罰せられる」。「裏切り者ならず(国に留まる)君は罰せられる」。さあ君はどうする、どうするね?正解は、思考の外へ飛び出して逃げなさい、です。無責任に、システムの呪縛から逃げることが大切なのですね


脱原発世論7割、されど暴力的な選挙制度で原発推進党が国会を奪った。政治の無理解と国民の不信感の溝は深まるばかりだ。国が引き起こした人為災害に愛国的連帯責任を求めるダブルバインドとは?「裏切り者になる君は罰せられる」「裏切り者ならず(国に留まる)君は罰せられる」。(正解は逃げろ!)

暴力的な小選挙区制のもとで、未来の党はこれからではないか。共同代表の形は、シングルイッシューに対する反原発デモの疑問に答えたものだ。地に足がついていなかった事は反省。但しデモの人々だって無限には責任を引き受けられない。原発推進党に喜んで投票した人々の間違いを償うことはできないのだ

暴力的な小選挙区制のもとで、未来の党と応援した脱原発派は頑張った。共同代表の形は、シングルイッシューに対する我々の疑問に答えたものだ。地に足がついていなかった事は反省するが、但しデモの人々は無限には責任を引き受けられない。原発推進の党に投票した人々の愚かさを償うことは不可能なのだ

ふくろうねこには理解できないことだが、「強い力の政治家」に対するありふれた幻想は、なにか<徴>をもとめてやまない人々の願望なのだろうか?

今朝新聞を開いて、Oh、絶句!自民党は、政策決定過程に女性を一人も参加させないつもりか?都合よく女性を利用してきた結末がこれか?それにしても、閣僚人事のようにここまで露骨に排除してしまうと、男尊女卑を越える。女性であることを罰している女性嫌いが作成した、棲み分け的ゲットーの「表」

<選ぶ>民主主義が激昂している。「強い力の政治家」に対する幻想、民衆感情である「政治センス」に対する幻想。選挙での勝ち負けの尺度に対する軍国主義的な幻想。作家のくせに、<喋る>民主主義を知らない。裏方的「政治手腕」を絶対化するあまり、女性の共同代表という参加の意義を検証すらしない


まずはマルクス主義から対象を追う。次にマルクス主義の問題点を認めてこれを批判する必要がある。こうしてフーコは話術でマルクス主義の一直線主義を見事に批判した。もしマルクス主義を完全に捨て去ってしまったら?何も無くなってしまうだけだ。ポストモダニズムから国家主義へと後退するだけなのだ

上から目線に対して超厳しいツイッター掲示板に、哲学にかんして偉そうな教訓話を書いてしもうた。ご勘弁を。ただね、これは言っておくよ。所詮フーコも芸人。富の研究かと思えば博物学、博物学かと思えば注釈学と、読む人を飽きさせないようにやってたんだな。知の考古学は話術。実体化したらアカンよ

哲学は、広い視点で開くということがなければ、これを続けていくことが難しいのかもしれない。閉じた視点のままでは発展なしか?しかしたかが哲学、それだけのこと、世間的には。されど哲学、自分にとっては、哲学が哲学を問う地点まで続けていきたい。哲学ではない、只のものの経験に向かいたくない


沖縄・台湾の人々と同様に、一体だれがこの私を支配しているのか?と、この本は問うかもしれない。近代英文学史を総括したテリー・イーグルトンが編集した文学史は、やはり英文学の内部にジョイスを括れないことを明らかにした。アイルランド文学は?笑止。なおさらジョイスを囲い込めないだろう。古代からルネッサンス・近代までヨーロッパ文学が依拠してきた、神話によってもリアリズムによっても、包摂できないような過剰を自身に孕む、そしてフランス文学すら支配できないこの本を、嗚呼、八十年代以降アメリカ人たちが・・・脱構築・ポストモダニズム・精神分析・フェミニズム・ポストコロニアリニズムの武器を携えて


沖縄・台湾の人々と同様に、誰が私を支配しているのかとこの本は問うかもしれない。近代英文学史を総括したイーグルトンの文学史はその内部にジョイスを括れないことを知った。アイルランド文学はなおさらジョイスを囲い込めない。フランス文学ですら支配できない本を、八十年代以降アメリカ人が・・・

1、アイルランド時代の教え子のひとりを訪ねて、神保町駅の隣にある、彼が最近開いたティーレストランに行った。古本屋の街・神田とは、本好きの彼にぴったりのロケーションと感心した。店の棚に、民芸運動と美学で有名な柳宋悦の全集があった。その何冊かをとって拾い読みすると、・・・
2、柳宋悦はベルグソン、スピノザなどの西欧から出発し、晩年は親鸞と一遍というアジアに到ったことを知った。嗚呼、ここにも、宿命としてアジアの間に揺れる近代日本知識人の徴が・・・。そうして、柳宋悦がこだわったという<沖縄>は、西欧とアジアに規定される自己の宿命を乗り越えるような出口、
3誰によって支配されてきたのか分らなくなった、それ故にアイデンティティーを持ち得ないアイデンティティーの形だったかもしれないという考えに耽った。建築空間が面白い。と、東京の大学に通っていた台湾人の教え子のことも思い出した。彼女の家族と話をすると台湾もこの沖縄の様な感じではないか




アイルランド時代の教え子を訪ねて、神保町駅の隣にある、彼が最近開いたティーレストランに行った。柳宋悦の全集があった。拾い読みすると、ベルグソン等西欧思想から出発、晩年は親鸞に到ったようだ。ここにも宿命としてアジアの間に揺れる知識人の徴が。沖縄は自己の宿命を乗り越える出口だったか?

伊のマキャベリズム的共和主義運動、アイルランドのリパブリカニズム運動、或いは冗談の如き米国の共和党ー様々なヴァリエーションと称賛と悪口あり。共和主義と君主制は両立せずという認識は一致している。もし共和主義的マルクス主義が天皇を「いい人だ」と共感すればそれは公私混同というものだろう

マキャベリ主義の継承、伊の共和主義運動、アイルランドのリパブリカニズム運動、或いは冗談みたいなアメリカの共和党ー様々なヴァリエーションと称賛と悪口がある。共和主義と君主制は両立せずという認識は一致している。「いい人だ」と、天皇に共感する日本のマルクス主義は共和主義ですらないのか?

機能としての小さな部分しかないとみんな言う。「私はどうせつまらない者で…」と言うけど、そのつまらない者一人ひとりがメチャクチャなことをやっているわけでしょう。民主主義の恐ろしさは、一パーセントのファシストが百人集まれば100パーセントになるということです『天下大乱を生きる』'77

「アメリカ以外のことは訳がわからん!」と怒る痛いおじさんたち。時代遅れの自民党像を米国に投射させてご満足?現実はヨーロッパ、アフリカ、ラテンアメリカ、中国という多様な他者の中に生きながら、絶対他者に相対するような幻想で、自ら造り上げたマッチョな米国像を実体化させている無知の避難所

オバマ大統領が出てきたとき「ル・モンド」紙は、米国は世界中に配備する軍事力も維持できないレベルで経済力の相対的低下に直面しており、将来は確実に、嘗ての大英帝国のように軍縮を進めていき、と同時に、現在の英国に取って代わる程の(人権)「外交」を中心として世界戦略を築いていくと分析した


<礼>を失っていないかと自ら問うことは、ある豊かさを社会的に示しているかと問うこと。誰からも批判を受けない<公>までに<私>を縮めるという思い入れ美行だけでは、人間の共同社会の崩壊を防ぐ<礼>が存在したとはいえない。恭しくし慎み深いのはただ批判精神の萎縮の徴かもしれない。今年一年間を反省す

以下、子安宣邦氏のツイートから @Nobukuni_Koyasu

仁斎『論語古義』の現代語訳の作業はやっと第8篇「泰伯」に入った。この作業の継続にとって、今が正念場だ。今日、泰伯第2章を訳した。「子曰く、恭しくして礼なきときは、則ち労す。慎しみて礼なきときは、則ち葸す。勇にして礼なきときは、則ち乱す。直にして礼なきときは、則ち絞す。」
孔子はこういわれた。「恭しくして礼にしたがわなければ、それは疲れるだけだ。慎み深くして礼にしたがわなければ、それは萎縮していることだ。勇敢にして礼にしたがわなければ、それは乱暴であるだけだ。真っ直ぐで礼にしたがわなければ、それは短兵急であるにすぎない。」
礼とは「節文」即ち程よく整っていることだという。朱子では程よいとは道理に合致していることだ。仁斎では人の世の常態性に合っていることである。だから仁斎では礼とは人の社会的常態性を成立させる習俗的規準である。そこから礼とは人間の共同社会の崩壊を防ぐ堤防だという仁斎の言葉が生まれる。
恭しくすることも、慎み深くすることも人の美徳であるだろう。だが礼にしたがわない美徳とは、私の思い入れ的美行として、むしろ弊害をもたらすだけだと孔子はいうのである。私には「直にして礼なければ、則ち絞す」という孔子の言葉が耳に痛い。直であることとは、しばしば己れを害し、人を害する。

日比谷公園は<公>の空間である。<公>の空間である以上、それはわたしたちみんなに属するはずだ。しかし、現実には、日比谷公園は、ゆっくりと、世襲議員たちの高級社交クラブ(首相官邸や国会議事堂)に属する<庭>になりつつあるという危機感はないだろうか?

公私混同の国は「自己主張」がない。公式的には、<私>は<公>の中に混ざるとされるから。<公>はそれほど<公>であることは滅多に無いのだけれども。更に男尊女卑は、男性的立場が対等とみなさない女性への同情の態度に似て、思想の「自己主張」に対して非論理的に接する。「自己主張」を非難する

脱原発の声は選挙で勝てず、だ。けれども自発的に展開したデモが失敗だったことを証明するものでもない。むしろ脱原発を求める民意を汲めなかった政治家達こそ失敗したのだ。ただし原発の「安全神話」から覚醒しながらも、選挙の「代表性」神話に眠り続けているようではその民主主義は単に無意味だろう

イギリスは選挙が面白くないと言う人が多い。何故なら大体、マスコミが予測した通りの結果にしかならないからとロンドンっ子はいう。クリントンに対するオバマ勝利の様な劇的な番狂わせは起きないらしい。幸いにも、この国の選挙は面白い。暴力的にマスコミが一方的に押しつけた通りの結果になるからだ

「みずから虫けらになる者は、あとで踏みつけられても文句は言えない」と、まるでカント先生は「維新」支持者の愚行を評しているかのような説得力。恐らくカントの時代から繰り返されていることではないか。みずから虫けらになる愚行は、民主主義的な体験であり、努力によって必ず克服できるものと思う

「維新」支持者たちに送る言葉ー>みずから虫けらになる者は、あとで踏みつけられても文句は言えない。(カント)
Wer sich zum Wurm macht, soll nicht klagen, wenn er getreten wird.

「フェミ女史」「マル女」という名指しで、「気の毒」に思ったり、<彼女たちの方がよほど女性のありかたの多様性を認めていない>「気がする」人々は、自分がどこから発言しているかという自覚があるのか?土着的共同主観性か科学的共同主観性しかない訳だが、このどちらにも単純化の暴力はあるだろう

「フェミ女史」「マル女」という名指しで、「気の毒」に思ったり、<彼女たちの方がよほど女性のありかたの多様性を認めていない>「気がする」人々は、自分達の非政治性に依拠して分析する。しかし「政治的」と「非政治的」の区別それ自身が、「政治的」ではないかと一度は疑かったほうがいいだろうね

日本の知的職業人に顕著だが、マルクス主義やフェミニズムの「思想」に感覚的な違和感を表明するのは、ヨーロッパの知的職業人なら許されない態度だろう。こういう態度は男尊女卑・公私混同が元にある。男性的立場が(彼らが対等とみなさない)女性に同情する態度で「思想」を気の毒に思うのであろうか

patronizingというのは、上位者(庇護者)ぶった、相手を下に見ていたわる、巧みな男尊女卑の態度。イギリス女性に同情すると、Don’t patronize me!と反発される。「フェミ女史」「マル女」を気の毒に思う態度は日本の知的職業人達とネトウヨの間で偶然の一致をみる?

例えば、慰安娼婦の歴史を消去する暴力が存在するとき、最初にそれを批判するのはマルクス主義である。但しマルクス主義における男性原理という問題点があるので、(マルクス主義も批判する)フェミニズムが必要となってくる。しかし「マル女」「フェミ女史」がなくなれば、何もなくなってしまうだけだ

イギリスのイラク派兵のことは、日本ではあまり論じられません。これについては、もともとイラクがイギリスの植民地だったことがあります。信じられないことではありますが、アメリカにくっついていけば、イラクを取り返せると信じていたイギリス人が結構いたのです。とくに愛国的な上流階級の要求。もう一つは政治的なことです。かつて地球の半分を「持っていた」大英帝国の栄光はもはた過去の話です。まだまだ日本人の誤解があるようですが、現在イギリスはヨーロッパの中堅国の一つでしかありません。このイギリスは、独逸やフランスの庭となっているEUにおける自国の発言権を担保するために、「俺のバックにはアメリカがいるぞ」というアピールを常に必要とするといわれます。そのためにイギリスは、アメリカにひたすら協力していく必要があるのです。気がついた人もいると思いますが、このイギリスとアメリカの関係は、そのまま日本とアメリカの関係に重なっていく危険性が大いにあります。集団自衛権の主張は、アジアにおける日本の発言権を確保したいとする思惑があります。ところで「国家の品格」とは結局、日本のことを日本人として内側から考える態度を大切とする価値観です。外国に振り回されるな、誇りを持て、というこうした主張には、なにか乱暴な論理が上滑りしていないだろうかといつも疑問に思うのです。もちろん外国からの評価に縛られる必要はありませんが、逆に、外からの評価からそれほど自由であるということも現実には難しいことでしょう。そもそも、日本のことは日本人として内側からしか考えられないものです。イギリスのことはイギリス人の内部からしか考えられないことと同様です。これに対して、私が主張したいのは、日本人のことは日本人として内側からは考えられないものだというポイントです。やはりイギリス人のことはイギリス人として内側からは考えられ得ないのです。何故か分りません。恐らくアジアの人々との共同体を築きたいとする日本人の願望とは読めないでしょうか。はなイギリス人とて、アイルランド人という連続した外部からの視点なくしては、自分達がみえなくなるというのが現実。憲法前文が呼びかける「相互の信頼関係」というのは、人と人との共同体からしか生まれないものでしょう。この信頼関係を妨害するものこそが、集団自衛権が依拠する国の共同体のシナリオと思います。と、余命いくばくもないこの私が、二十代の青年に、思わず熱く長い返事を書いてしまった訳だが、読み直すと、そもそも日本人は誰のことなんだろうか?という疑問がある。「われわれ」と書いて持論を展開すべきで、百年前にデビューした特定の民族の呼称にかくも依拠する必要もなし。離脱、忘年会へ






「アメリカがぶっ壊し、日本が工事する」という言い方で、米国を追いかけて金儲けする貪欲な日本像が海外で定着しつつある。ブッシュ政権によるアフガニスタンとイラク爆撃以降、外から自分達がどう見られ始めたのか日本人は一度でも考えたことがあるのか?集団的破壊権としての集団的自衛権はもっと悪いだろう

Capitalism: a machine which cruelly punishes those with no capital.
Capitalism: a machine which rewards those with capital with more capital.

A metaphor. Things are looking up. Harold Pinter


(敗戦前日の大阪空襲)あれこそ、もっとも無意味な死ではなかったろうか。すでに敗戦は確定していた。私は防空壕のなかでふるえながら地獄の午後をすごしたのだが、空襲のあとで、空からまかれた「お国の政府が降伏して、戦争は終わりました。」云々のビラを拾ったのである。「「難死」の思想」'65


チェゲバラの祖父は、アイルランドからブエノアイレスに行った人でした。彼の雄弁さは祖父譲りとも。元々医者の彼は、ゲリラ戦展開の移動中住人達を治療しました。感謝してくる彼らには部隊の行き先の反対側を教えたといいます。彼らが本当の情報を後から追撃してくる政府軍に売る可能性があるからです

日本人にとって、「丸」は<よくできました>という正解のシンボルなんですが、アイルランドではこの「丸」は一種マーキングのシンボルで間違いをあらわします。それを知らず、当初は、日本語を学ぶ教え子達を喜ばせようとして、大きな「丸」をよく与えていました。(あれ、なんか、おまえたち、もっと喜べよー、みたいなすれ違いに当惑したこともいまは懐かしい思い出です。)。ここでマーキングされている三つの図形はなんだろーかと考えると、それぞれ、原発と極右と不平選挙ですかねー?ほんとうに、市民のボランティアが全部数え直したほうがいいですよ、将来のためにもです。思い返すと、昨年は国民投票したイタリア人から、「日本人のためのことを考えて原発NOと投票した」とするメッセージを沢山頂いたのです。感激しました。そのメッセージ全部を翻訳しビデオで流したものです。去年の三月はデモが1000人ー2000人の規模でしたから、デモの人々だけでなく、デモに参加しようとする人々にも一定のインパクトがあったのです。この「世界の声は」というビデオシリーズは雨宮さんのブログでも紹介されました。しかし、結局、こんな原発推進派が与党に選ばれる結果になるとは・・・ほんとうに恥ずかしくて、海外の友人達に選挙結果を報告すらできないでいます(溜息)


「マルクス主義を超えて」という言い方に誤解がある。それはマルクス主義の否定を意味した言葉に非ず。マルクス主義自身を否定したら何も無くなってしまうだけだ。理性の直線主義的誤謬を批判する為にまず理性から始めるのと全く同様に、マルクス主義を批判するためにはまずマルクス主義から始めるのだ。当たり前の話だ(と、不覚にも、ネトウヨク的な語彙が混入した)。「フランス思想」という、オタク知識人化した、単に考えるだけの知識層はここを理解できない。ご自慢の同時代性の紋章をチラチラ光らせてさせて、専門知識の奥へ奥へとオカルト的に辿っていく、ああ君たち、囚われの「フランス思想」よ・・・


サイードは考え方を大事にした知識人でした。鮮やかに分析しました。自身への反省を込めてですが、権力を批判する人でも直ぐに結論をぶら下げてくる人が多いです、最近は。常にサイードの原点に立ち帰りたいと思います

博物学は<連続性>の偉大な擁護者だった。博物学的知を<欲望>によって捉え始めたのは経済学。多様な欲望世界を過不足なく覆いつくすのは眼ではなく貨幣だという。リカード経済学に解剖学的修辞が飾られる。欲望を内部から内部に即して見ること。こうして経済学の時代に人間を語るサド文学が誕生した
開く
43分 本多 敬 ‏@owlcato
人民的<毛沢東>と文革の連続線上に、八十年代の天安門事件があるのではない。神話的に<連続性>を仮定すれば、中国共産党が抗議者を弾圧し知識人の亡命を齎した事実を説明できない。リアリズム的に捉えると、天安門事件とは小さな人間の声が大きな人間即ち官僚的資本主義を糾そうとした事件であった

人民的<毛沢東>と文革の連続線上に、八十年代の天安門事件があるのではない。神話的に<連続性>を仮定すれば、中国共産党が抗議者を弾圧し知識人の亡命を齎した事実を説明できない。リアリズム的に捉えると、天安門事件とは小さな人間の声が大きな人間即ち官僚的資本主義を糾そうとした事件であった

森鴎外など戦前の仏留学生は皆、本人と直接関係がない外的事件(戦争)による帰国を余儀なくされた。例外なく、彼らは、幻想とはいえ日本回帰に囚われた。こうした戦前の留学生と比べると、遠藤周作・加藤周一・辻邦夫の戦後仏留学生は、帰国が自由にでき、とくに50年代の留学生達は戦後の荒廃のなかで帰るべき日本という幻想が無かった。それ故に、かえって、個人の視点で生き生きと、ヨーロッパ文化と比較した独自の日本文化を築けたと渡辺一民氏は総括する。この渡辺氏によると、西洋絶賛の代表者が三木清とすれば、アジア(主義)絶賛の代表者は竹内好ということになろうか。そうした西洋絶賛とアジア(主義)絶賛も、1964年ごろに幕を閉じるという。1920年代に誕生した「フランスの誘惑」も、(渡辺氏が帰国する)1963年で消滅するのだという。最後に、現在大学の中心を占めるオタク知識人達は、渡辺氏が帰国した1963年頃に生まれた人々である。いやゆる「フランスの誘惑」が消滅した後の人々である。オタク知識人について質問した。と、渡辺氏は、軍事教練で顔が変形するかと思う程殴打を受けたこと、学園紛争で学生に取り囲まれたこと、この屈曲した体験の数々が決して自分を頭だけで考えるオタクにさせないと語っていた。オタク知識人には興味はないが、現在の子供達にもっと戦争のことについて語り伝えたいと述べた

森鴎外など戦前の仏留学生は皆、本人と直接関係がない外的事件(戦争)による帰国を余儀なくされた。幻想とはいえ日本回帰に囚われた。それと比べると遠藤周作・加藤周一・辻邦夫の戦後仏留学生は帰国が自由で、帰るべき日本も無かった。故に個人の視点で独自の日本文化を築けたと渡辺一民氏は総括する

渡辺氏によると、西洋絶賛の代表者が三木清とすれば、アジア(主義)絶賛の代表者は竹内好ということになろうか。そうした西洋絶賛とアジア(主義)絶賛も、1964年ごろに幕を閉じるという。1920年代に誕生した「フランスの誘惑」も、(渡辺氏が帰国する)1963年で消滅するのだという。

現在大学の中心を占めるオタク知識人達は、渡辺氏が帰国した1963年頃に生まれた人々だ。これについて質問した。渡辺氏は、軍事教練で顔が変形するかと思う程殴打を受けたこと、学園紛争で学生に取り囲まれたこと、この屈曲した体験の数々が決して自分を頭だけで考えるオタクにさせないと語っていた



選挙で一人の労働党議員を支える1000人に匹敵するだけの金の力を、金持ちの一人の保守党議員が持つ場合がある。最近労働党議員の中で貴族が非常に増えてきた現実を憂う声もある。大臣になる為には、彼らは保守党にいるよりも、ブレアー労働党政権にいた方が有利だった。ネオリベとネオコンの源泉だ

映画こそは二十世紀に蘇る博物学。「映画史」は、欲望の連続性が世界の多様性を覆う夢を映す夢だった。ゴダールは、映像と音が織り成す経験的多様性から、閉じた語りの内部に震える一般性の眠りを目覚めさせた。と、自ずと世界に介入することになった語りから、文字で描く詩人の夢の彼方に彷徨していく

博物学というのは、想定した<連続性>から世界の多様性を覆いつくす夢であった。博物学との認識的断絶をなすヒュームの懐疑論は、経験的多様性から、一般性の眠りを覚醒させた。後のウィットゲンシュタインも然り。これとは逆にカントは多様性の総合という一般化の方向へ、夢の発明へ向かったのである

19世紀に蘇った博物学、ブルジョア市民法は、欲望の連続性が世界の多様性を覆尽くす夢。市民法は労働者を「人」と記す。マルクス「共産党宣言」は、階級闘争の経験的多様性から、市民法における一般性の眠りを覚醒させた。他方、ヘーゲル法哲学批判は、市民という名のリゾームという夢の発明へ向かう

30年代インターナショナリズムの連続線上に、40年代レジスタンス運動があるのではない。神話的に<連続性>を仮定すると、(一時的に)仏共産党がモスクワに沿う形で独支持に回った事実を説明できない。リアリズム的には、レジスタンス運動はナチスを絶対悪とみなしたヒューマニズムから説明される

30年代インターナショナリズムの連続線上に、40年代レジスタンス運動があるのではない。神話的に<連続性>を仮定すると、(一時的に)仏共産党がモスクワに沿う形で独支持に回った事実を説明できない。リアリズム的には、レジスタンス運動はナチスを絶対悪とみなしたヒューマニズムから説明される

日本における左翼的保守主義の問題がある。解釈改憲に対して抵抗を打ち出せず、ただ憲法を守れと念じそれを絶対化し自分だけ救われているとしたら、(辛い認識だが)やはり左翼による憲法の所有という非難は避けられない。但し憲法に対する極右翼からの攻撃に対して、現在我々は9条を死守すべきときだ

(「比較しても仕方がないんだけど」とは我が邦の新聞の残念なクオーリティーを語るときの枕詞)、比較しても仕方がないんだけど、「ザ・ガーディアン」の一面に株価の話はあり得ない。株は下世話だからではなく民主主義と関係がないからである。デモの人数は無頓着なくせに株価の動きには神経質である

ネットの選挙予測と現実の差があまりに大きいが、リアルな外部世界を認識するために、新聞に期待し過ぎるのもねえ?浮動票という気分で動く選挙予測は新聞が発明した賭博で彼らの得意中の得意。新聞のものは新聞へ、ネットのものはネットへだ。<介入する語り>こそがネットの最高の言論活動ではないか

反原発運動はもっと用心深くならなければならなかった。今後の反省として、有権者の混乱を避ける為に、誰が反原発派で誰が推進派かをはっきりと名指しすべきだ。長年推進派の中心にいたのに明らかに選挙目的だけで「脱原発派」と名乗るような政治家を、公式に非難していくことが求められるのではないか

90年代ポストモダンからきた、今日愛国者に転向したオタク知識人は、「進歩」という考え方を棄てるだけにとどまらず、まさか、明治憲法を「新しいもの」として受け止めてしまうことになるとは!?無知にもほどがある。ポストモダン的には「知」は罪深いのですが、「無知」よりは救いの道がありますね

民主党が大敗した事実は、自民党は2009年総選挙では全国で約1800万票獲得、今回は約1600万票だった事から分る。が、有権者は社民党と共産党が掲げた脱軍国主義に見向きもしなかった事実に変わりはない。国民は自民党の経済政策と対になった日本をアメリカの前線とする国家戦略を買ったのだ

民主党が大敗した事実は、自民党は2009年総選挙では全国で約1800万票獲得、今回は約1600万票だった事から分る。がこれからは、景気恢復の約束を買った国民は、何を支払うのか考えるときだろう。安倍は首相就任後直ぐに訪米する。日米同盟の強化の為に自衛隊を国防軍にし、憲法改正を公約にした自民党を、国民が政府として信託した事実を伝えに行く。国民は、自民党を選んだことによって、何を支払うことになるのかを考えたほうがいい

ステレオタイプの<口説くイタリア男>は、右翼の政治家の如く「必ずお前を幸せにしてやるぜ」と約束をしたがる。右翼の政治家の如くとは、現在自民党の様に景気回復を約束する口説きだ。幻想の中で女は一人の男に全てを捧げる。幻想の中で国民は政治家に全てを捧げる。一切合切を盗まれる事になっても

「たとえ証明できなくても、進歩を示すしるしは見つけられる」(カント)。3・11以降そういう「進歩」が感じられない。そしてここまで自民党に勝たれてしまうと、身辺整理するしかない。妥協的なもの惰性的なもの変化しないものは全部終わらせなければと思っている。さあこれから本番というつもりで

軍国主義に走る極右政府に対してプレッシャーをつくれ。反原発デモで憲法の憲法をつくろう!「国民及び国籍を問わず地球上の人々が日本国に対して教育の権利を請求できる」。国内マイノリティーだけでなく中国の貧しい圧倒的多数の人々にも教育を施す国になれば、どんな国も我々を生かしてくれるはずだ

選挙直前における自民党支持率は民主党支持率の2倍程度しかないのに、選挙の結果、民主党の5倍近くの議席が自民党にプレゼントされていますよね。なにか賭博に似ています。現行の選挙制度は、いかにも、勝ち負けオンリーに熱狂する政治家達がつくった制度にみえてしまうのは、私だけでしょうかねー?

選挙直前における自民党支持率は民主党支持率の2倍程度しかないのに、選挙の結果、民主党の5倍近くの議席が自民党にプレゼントされていますよね。なにか賭博に似ています。現行の選挙制度は、いかにも、勝ち負けオンリーに熱狂する政治家達がつくった制度にみえてしまうのは、私だけでしょうかねー?

現行選挙制度は勝ち負けオンリーの制度という意見に対して、「いや、政権交代を機能させる制度設計を導入した」と答える人もいるかも。それにしては、緊急の政治問題の取組みには「与野党もない」と訴えるファシスト宜しく、毎回選挙後に持ち上がる与野党の連立という和解話に我々は心底呆れてしまう


「維新」とこれを宣伝し儲けたマスコミが勝者だろうか?否です。これから毎日毎日極右的脅迫が紙面を飾るとしたら、必ずいつの日か人々は新聞を捨てるに違いありませんー理性から。その前に、靖国公式参拝を契機に、中国側の反応によっては、極右翼政府は一気に軍国主義を推し進めます。憲法改正と共に

憲法の憲法の条文をネットで募集、条文も色々な書き方と文体ありで、連歌も恋歌でも、法律風又は数学の方程式も可。アジアの言葉とヨーロッパの言葉も混ざったらと面白く、毎回承認は書いた人々(広場)で。アイデアがございましたら、どうか教えて下さい


極右翼政府が憲法を改正して来ますよ!「憲法の憲法」をつくる会議構想。反原発集会デモで承認を与える「憲法を規制する憲法」案ー>現行憲法前文に主権を超えた人と人の共同体の意義を明文化。脱原発と核武装禁止、国家と宗教の結婚禁止、国民の他に地球上の住人が日本国に教育の権利を請求できること

来年安部首相による靖国公式参拝が原発問題に何を帰結していくのか?TLで論じる人はゼロだ。シングルイッシューに慣らされた思考停止の弊害か!?極右政府の方はトータルイッシューで行こうとしているのに。国家と宗教の結婚・原発増推進・徴兵制・(米国従属を齎す)米軍基地永続化・核武装、TPP

民主党敗北の原因を国民が過剰な期待を抱いたせいだとの朝日の論説。この国民を見下す目線は何?小沢叩きの菅首相を煽り、TPPや社会保障改革抜きの消費税を民主党に迫り続けて分裂を促し、原発事故後もICRP基準で放射線被害を風評被害に。罪は重い。 金子勝

一人一人に別個の人間が存在する。一人は人類的普遍性に、もう一人は自国語を話す特殊性に属する。97条のGHQ原案で、the age-old struggle of man to be freeとある様に、憲法は人類manと日本国民に属する。マイノリティーの教育権は前者から要請される


自民党は97条を全面削除する理由に、それが抵抗権に言及した規定であるからという。抵抗権の理解の仕方にもよる。そもそもホンモノ志向の彼らは憲法の人間像に嘘を読む。我々のうち一人は人類的普遍性に、もう一人は自国語を話す特殊性に属するこの分裂こそ、開かれた喜ばしきニセモノ性と私は考える

我々のうち一人は人類的普遍性に、もう一人は自国語を話す特殊性に属する。前者は、国籍の有無に関わらずマイノリティーの教育権を尊重する。後者は、少数者を我々の内側に包摂したいと望む。これについて我々の人類的普遍性が、同化を拒む権利を彼らに留保させよと命じるだろう。憲法97条はこの声だ


“葬式”というのは、いわゆる死者の語りの代理で、実際にはつまらなかった人物をかくも偉い人物として捏造してしまう。候補者のポスターもこの葬式顔写真に似ている。昔ゴミを捨てに行く帰りに必ず石原に唾を吐いた。今は猪瀬の顔写真にだが、最近はファシストだらけなんでもう唾が足らなくなってきた

言論を伴わない活動は、いわば、その主語を失う。(ハンナ・アーレント『人間の条件』)ー>「国のかたちをえらぶ」(朝日新聞一面見出し)<−まるで戦前のファシズムのが好んだプロパガンダ広告みたい。危険なのは、それが、<国が国のかたちをえらぶ>という排他的ナショナリズムを暗示するからだ

右翼というのはただ保守的というだけでは足りない。なにもかも金が支配する階級社会に対して怒りを示す人々なのだ。けれどもこの国の右翼は怒りがない。というか、東電の個人筆頭株主(5位?)といわれる石原のように金まみれになっているか、橋下のようにTPP的拝金主義を抱擁しようとして恥じない


「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」。安部にとってみっともない憲法前文の言葉こそは、我々の誇りとする誓いです。<憲法の憲法>をつくる会議はこの言葉に、主権国家を超えた人と人の共同体の意義を付け足したいのです

西田幾多郎
深い大きな自然を離れた人為的文化は頽廃に終るの外はない。大きな一枚の大理石から彫み出された様な文化であってほしい。我々はいつも眼の前にちらつく人為的文化にのみ憧れる必要はない、深く己の奥底に還ってそこから生きて出ればよい(「大震災の後に」)


堀口大学訳でポール・モランPaul Morand「夜ひらくOuvert la nuit」より。「一人の女客と一緒に私は旅立つのだ。すでにかの女の半身が車室の中を飾っていた。車窓の外へ乗り出したかかの女の他の半身は今ではまだロオザンヌ停車場のものであって、其処のプラットホームに、共通の一の黒い影によって結びつけられて立つ、各自の上着の[ボタンの穴]に目印にさした同じ形の野いばらの花をシンボルにかたく結束した人種の異なる人たちから成る代表者の一群に属しているのである。電鈴がわなないた。アスファルトの上を旅客たちが流れた。3、すかし彫りをした幹の頂上にシグナルが支えへていた真紅の果物を時間表が一度にふり落とした」。
(ここで、「真紅の果物」とは赤色の信号をあらわした隠喩;本多)


「深い大きな自然を離れた人為的文化は頽廃に終るの外はない。大きな一枚の大理石から彫み出された様な文化であってほしい。我々はいつも眼の前にちらつく人為的文化にのみ憧れる必要はない、深く己の奥底に還ってそこから生きて出ればよい」(西田幾多郎「大震災の後に」)
ヨーロッパ同様の前衛運動・労働運動が花咲くのは、総力戦の荒廃に匹敵する関東大震災後からだった。「深く己の奥底に還ってそこから生きて出ればよい」と西田がいうほどには、故郷の「己の奥底」は罅割れた地面からは現れることはなかった。日帝が大杉栄を殺害した二十年代に向かって、四十年代の地層が滑り込んできていたが・・・。西田は軍国主義者ではなかったけれども、「大震災の後に」おける彼の語りは外部性の消去を伴なう。日本の復興像を日本の内部から日本に即してみる方法は、90年後の今日に置くと、憲法前文から国際協調主義の語を削除したい「日本を取り戻せ」と連続的と看做すのは無理なことか?が、一考に値しよう。思想に自由あれ、個人に栄光あれ!と、大杉栄は国家を意識した四十年代的思想家である。この大杉を日帝が殺害したのは二十年代だった。渡辺一民氏による表に従えば、二十年代は、国家を意識しない林芙美子的な故郷離脱者の時代である。そうならば、日帝は大杉栄という故郷離脱者?を殺害していたことになる。問題提起。大杉栄は、それほど国家を意識した思想家であったかどうかという点だ。むしろ、大杉栄は、ポール・モランPaul Morandが描いたスピードといわゆるコスモポリタンの時代に生きた思想家ではなかったか?理性のロジックより感覚のロジックに生きた思想家ではなかったか?「美は乱調にあり」と



森嶋が念頭に置く英国をみると、投票1%の差で大きな違いになるように二大政党制の選挙が設計されていますが、死票が多く国民は怒っています。BBCが政府を監視する第四の権力、司法もリベラルですが、民意の反映について不満が絶えません

警察主宰の如き脱原発デモの現実は、日本の民主主義がロシア以下と暴露しました。元々建国以来厳しい検閲もあったが議論も奨励した国なのです。<喋る>民主主義がソ連を解体させてしまうと、動転した西側は二大政党制という選ぶ民主主義で、危険な喋る民主主義を封殺したのです

書を捨てよφ(▼_▼ )
国を出よφ(▼_▼ )

長崎さん、いいことと言いますね、若い人たちかなぜ海外に出たのですかときかれると返答に困っちゃうんですが、15年前はそんな心境でした。もっとも当時は、いまみたいには、露骨に国が人々を捨てていくという感じではなかったですが・・・いまは歴然としています


選んだ国民が負けた結果となったのではないか?民主党では自分達を代表してくれないから人々は民主党を負かそうと思ったのだが、結果的にこんなに勝った自民党が自分達の声など聞く筈もないからだ。結局民主党にぺナルティーを与えたつもりが、国民は自分達自身にぺナルティーを与えてしまったのである

野党として責任を果たさなかった自民党にぺナルティーを与えないとしたらあまりに不公平というものである。国民は本当に負け犬になってしまう。が、来年の参院選は悠長な話だ。来年の靖国公式参拝を契機に、中国側の反応によっては、自民党は一気に軍国主義を推し進めるつもりだ。反戦デモを必要とするだろう。

繰り返し言うが、所詮日本人が好む支配と服従を目的とした古代ローマ的<選ぶ>民主主義は、古代ギリシャ的<喋る>民主主義とは全く関係がないものである。もし<喋る>民主主義が害われるとしたらそのことを憂うべきだ。たかだか選挙、されど選挙。自民党憲法改正こそが<喋る>民主主義の破壊である

民主党に罰を与えた国民は自分自身に罰を与えてしまった。大勝ちの自民党は人々の声を聞かない。今回の敗者は国民だ。自民党といえば、勝たせて貰っただけの成金。では維新とこれを宣伝し儲けたマスコミが勝者か?否。毎日毎日、極右的脅迫が紙面を飾るとしたら必ずいつか人々は新聞を捨てるー理性から

今夜も二項対立の機械は作動し続ける、1、2、1、2。中国は「敵」、米国は「味方」か?しかし両国が下水道で通じ合っていると疑わないの?同様に暗黙の共謀で安部自民党が、中国共産党による知識人弾圧を助けるかも。日本右傾化を口実に中国政府は知識人の監禁を正当化することすら起き得るのだから

小田実
べ平連運動に功績があったと思うのは、横のつき合いだったということですよ。学生だけ集まる学生運動はツーカーでわかる符丁で語る、だから、言葉が発達しない。労働組合だって同じよ。「器量こそが問われている」1974
本多 敬さんがリツイート

小田実
(デモ行進で)おたがい職能を知らないままで確実におたがいに判っていることがひとつある。それは、おたがいがもつ問題解決へかけた志の深さ、強さだ。この問題解決への志の深さ強さがおたがいを結びつけ、人びとは歩き出す。これが市民運動のデモ行進だ。『久野収集W月報』1998



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ALSO SPRACH OWLCAT ふくろうねこ、かく語り き  2012年12月 (後半) 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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