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zoom RSS 居酒屋の「論語」考 

<<   作成日時 : 2013/10/17 09:14   >>

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居酒屋の「論語」考 −

「論語」の全部は孔子の言葉ではありませんよ。彼の死後弟子達が加えた言葉が数多あります。一応孔子なる人物が2500年前に実在したという前提で話を進めてみますと、現在の読者(わたしやあなた)は、17世紀の市井の注釈学者・伊藤仁斎を通して、孔子の言葉を読みます。と、同時に、孔子の方も、現在の読者であるわれわれを通じて、仁斎を読んでいるともいえます。(あら、EPRパラドックスか?)連続性を破るために、「友」が来たと冒頭できなり言っているのは衝撃です。つまり、こうです。「遠方」は無限ならば、かくも遠くから「友」(他者である彼・彼女・彼らたち)が来たという言葉をそのまま承認するとき、連続性の破れを意識しないわけにはいきません。それによって、原初のテクストは、死に切った過去の絶対性を得ることになります。敢えて絶対の過去に依拠すれば、現在支配している現実的なものを合理的なものだから盲目的に従えとする保守主義の反動を批判できます。こうして、民衆の間で学問が盛んになる江戸時代においては、「論語」と読み手との直接的間柄を切断する朱子の構成的解釈などは、不要な「教え」の体制と意識されたのです。孔子は権威に依らない「学び」の意義を強調した、と、仁斎は考えました。ちなみに、宗教として知られている儒教ですが、これなどは、孔子の死後に、かれの弟子達が生き残り戦略のために都合よく勝手につくった「教え」の体制です。また明治以来に確立した国体的な男尊女卑の「教え」、安倍・石原・橋下が体現している窒息寸前の「教え」はもうご免ですよ!

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