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zoom RSS 異端としての梟猫流朱子学  −1989年天安門広場前にいた人々に捧ぐ

<<   作成日時 : 2013/11/01 03:12   >>

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序文

嘗て映画の俳優の何に惹かれるかと問われたとき、ゴダールはこう答え。「俳優がおかすリスク、自分からおかそうとしておかすリスク、演劇においてとは違い、一座によってもテクストによってさえも支えられることなく、撮影されるままになろうとしておかすリスクだ」。実は彼の言葉は政治的である。「一座」は政治権力のこと、「シナリオ」は宗教権力をいうのである。「俳優」が意味しているのは民衆のことならば、結局、政治権力と宗教権力の両方からの自立を求める人々について彼は問うているのだ。これは、3・11以降われわれ一人一人が真剣に考えなくてはならない問題にほかならない。政治権力については、一体構造(政財官マ司)が推進してきた原発体制の問題を解決する為に再びこの一体構造に依拠することはできない。また宗教権力に関しても、靖国神社公式参拝等の国家神道の復活を許してはならないのだ。
ここで歴史を考える。信長等の武士は宗教権力を焼き払ったことから、近世が展開する。江戸幕府に至って鎌倉幕府を超える普遍的な地域的統一性が実現した。しかし民衆は武士階級の政治権力から排除されていたことに変わりはなかった。「論語」が「学」の字のクローズアップから始まることの意味は、それを学んだ人々にとっては何であったか。果たして、丸山真男等の近代主義者は、伊藤仁斎のように、「学」から始まる「論語」の精神を捉えることに成功しただろうか?否である。江戸時代は天皇・貴族・神社の権威に頼らない自立性が実現した。そして京都の市井の儒者・伊藤仁斎は、特権者の学問の独占を打ち破ったことは重要である。つまり民衆と共に学びの場である彼の家は宇宙の中心となったと考えてみることもできよう(天道)。政治権力と宗教権力からの自立を求める人々の中心に、「学」が来る必然性があったと私は思うのだ。
「論語」から、学の歴史を知ることができる。ところで古代の中国人が朝鮮人に、朝鮮人が日本人に読んだ音は消えたのは大きな謎である。現在あるのは、書かれた言葉の痕跡だけだ。これは、問題の立て方によっては、中国語の音の読みに依存しなくなった日本語の自立性がみえてくるという(子安)。つまり、「学」は、言葉を問う問題意識だといえる。最後に整理しよう。複数の力が常に他の諸力と関係している。近世の人間は人間そのものとして思考されたのではなく、多分「天」の姿に似せて思考された?それは人間の諸力が無限の諸力と組み合わされたからだ。人間の学ぶ力が関係したのは言葉だけではない。理念性としての天の概念、すなわち分割できぬ同質的平等性の概念だろう。(以上)

本文

(1)自他の関係を廻る三つの定理を押さえておけばいい簡潔な体系。観念は自らを表現できない。言葉を必要とする。しかしこれでは自己と非自己という相矛盾するものを抱えてしまう。したがって「自己の表現は他において成り立つ」を最初の定理として約束してしまうのである

(2)最初の定理が哲学に関わる主張とすれば、二番めのは倫理学と関係する主張である。自己の救済は自己によって可能か?他が救わなければ自己も救われないか?という問いをもつものである。二番目の定理はこうである。即ち、「他によって規定されない自己も、自己によって規定されない他も存在する」

(3)三番目の定理は美学に関わる主張である。なぜ自己は他の領域へ移っていくか?逆に、なぜ他は自己に来るのか?これは感情の問題である。つまり他を遮断して自己の領域に留まらせるのも感情、孤独の痛さに耐えられず社会的な関係に入れと促すのも感情である。「自己から他への移行は必然的である」

(4)第一の定理から現れるのはまず、「学」という字である。「学び」は、自立性を表している。例えば近世に於いては天皇・貴族・神社の権威に頼らない自立性が実現した。京都の市井の儒者・伊藤仁斎は彼らによる学問の独占を打ち破った。民衆と共に学びの場である彼の家は宇宙の中心にあった(天道)

(5)「仁を行うのに、孝弟を本とせよ」(朱子)と読むとき「仁」の理が想定される。が、この様に’本質が現象する’ように「仁」の字を読む必要があるか。仁斎は「孝弟は、それ仁の本為るか」と読む。「学」の場での人々の自立に対応して、「仁」は日常卑近な人間関係のこと。学も仁も理に隷属しない

(6)「学」の場での人々の自立も、「仁」に於ける日常卑近な人間関係も、他者との交通を表現したものだ。整理すると、朱子の「仁」の読み方は第二の定理から由来する。つまり朱子は他から規定されない自己のあり方をみている。他方、仁斎の読み方は寧ろ、他から規定された自己のあり方を問うているといえよう

(7)「孝弟」の字からは、家族に定位する人間の不完全性が意識される。生物学的に人は誕生のときから他に依存せざるを得ない。「孝弟」は、依拠を言い表す。ところで言葉に実があり依拠できるときそれは「信」といわれる。「孝弟」は自らの限界(家族の範囲)を超え出るのは言葉の世界を介してである

(8)「徳」とは何か?答え―分からないものである。「徳」が主体化のプロセスとして意味をもつのは、迎合的にコンセンサンスとなった既存の知の「教え」からも、支配的権威の「政」からも自由である場合に限られる。「徳」即ち抵抗である。「徳」がない国に無理に留まらず「筏」で逃げよと孔子は言う

(9)「信」は信頼。一体構造(政財官マ司)をなす「教」「政」が推進してきた原発体制の問題を解決する上で、再びこの一体構造に依拠することは不可能なのは、「信」が無いからである。構造に介入する為には、(連続性を破る)創造と小さな人間達の力が必要である。こうして「信」は再び「学」に帰る

(10)異端としての梟猫流朱子学は、「学」の<依拠しない自立性>から、「信」の<依拠する自立性>へ至ったのである。同一性を必要としないこの形而上学的な脱出は、三番目の定理による裏づけがある。則ち、「自己から他への移行は必然的である」。これは漢字エクリチュールの介入を受ける事件性と呼ぶべきものであろう


論点;

朱子の家は<官>僚と<在>野の連続性線上の中間に存した。一人の中の内面的家?「学」の場としての意義を与えた仁斎の家は、集団の中の(道路に剥き出した)言語的家か?幼児時代に教育した女性達がいたのも家である。証拠はないが、仁斎の平等性のヴィジオンに影響を与えなかったと考える方が難しい



備考;

江戸の儒学者たちは左翼だったのか?

織田信長等の武士階級は宗教権力を焼き払った。武士によって近世は展開するのだ。そういして江戸幕府に至って鎌倉幕府を超える普遍的な地域的統一性が実現した。が、幕府成立から百年も立たない段階で、幕府の崩壊が顕現していたのだ。つまり18世紀初頭に、貨幣すなわち商業資本の力に圧倒された徳川幕府は、貨幣が齎す武士階級の没落と農村の貧窮化になす術がなかったのである。「享保の改革」は体制を維持できるかどうかの決定的な政策。失敗すれば、それは幕府崩壊の日付が150年早まることを意味していたといえる。ここで大胆にいうと、ニューデイール政策の理論化がケインズに求められたように、「享保の改革」の理論化が学者(儒者)に求められていたということが許されよう。荻生徂徠もその一人であった。この荻生徂徠とは誰か?が、これを語る前に、最初に伊藤仁斎について語らなければならないー彼らの批評ラディカリズムとともに。批評ラディカリズムは、概念をつくる運動にほかならない。京都の市井の学者、伊藤仁斎は町人の出身であった。仁斎は「家」の意義を読み出していった。それは「学」としての特異点であった。(今日の家庭のことではないことに注意しよう。)具体的には、身分に関係なく、誰もが平等に学ぶ場を意味していたのだ。この「家」は、朱子的二極領域(政と家)間の予定調和的連続性の空間ー権威のヒエアルキーを拒んだ。さて荻生徂徠の仁斎批判は、「家」に留まらずこれを超えるXを問う所から始まったといえよう。空間の破れは歴史によって再構成できるかは、まさに「聖人」概念の成功にかかっていた。ちなみに、明治維新に影響を与えていく水戸学派は、徂徠の探求から独自の社会契約的言説をこしらえた可能性がある。これが注目に値するのは、日本人は自ら近代国家の設計図をつくっていたことを意味するからだーロックやルソーとは別のやり方で。こうして江戸時代とは、思想家達の間で議論が活発に起きた時代なのである。たしかに多種多様な概念が生まれた。(より多くの自由を謳歌しているはずの現在の方がよほど制約がある。現象を追うだけで、概念をつくらない左翼ばかりではないか?)ちなみに、’思想の自由なき江戸時代’は、明治政府がつくったプロパガンダでしかないことに注意しよう。政治権力は常に前の時代の体制について悪く罵るのは、今日の自民党が前の民主党政権の時代を非難するやり方をみれば一目瞭然だよね?


あとがき;

梟猫流朱子学、かく語りき…

17世紀の伊藤仁斎は、朱子学的世界、すなわち中国を中心としたアジアから、辺境に位置した徳川日本をみていました。しかし、脱アジアの明治という時代は、脱アジアとしての国家戦略を選んで、仁斎に顕著な普遍主義をきっぱりと否定していくことになりました。さて、21世紀現在の話。集団安全保障のアメリカのための平和ではなく、もちろん中国のための平和とは別にある、平和憲法の精神を最大限に活かしたアジアの平和のあり方を模索することが今ほど大切になってきた時期はありません。アジアの人々を入れた条件でアジアから考えること、その点で再び伊藤仁斎が定位した江戸思想の普遍主義を参照するときが現在です


他人にかわって語る、のが近代。
その制度化が議会。”だれがだれを代表しているのか分からない”

だからこそ、他人にかわって語るのではない、ということの尊厳こそ、知識人の態度であるべきだ。丸山真男の問題は、荻生徂徠にかわって丸山自身(近代)を語った点にあった。古代言語の距離を介入させた徂徠ほど表象=代理を批判した思想家はいなかったのだがね。知識人のふりをして近代主義者が荻生徂徠にかわって語ることは、近代が構成する表象の問題である。現在中国共産党の問題も、この近代の問題に他ならない。中国共産党は、天安門広場前抗議者にかわり、或いはウイグル人にかわって語るとき、これは、知識人のふりをしてイギリスの植民地主義者がアイルランド人にかわって語ってきた歴史が反復しているのだ。帝国的支配が民主主義にかわって語ることの無理。弾圧のあと、人々のために、したがって彼ら自身のために秩序を回復したという常套文句。そうしてアフガニスタンとイラクの人々のためにと称して、人々に対する爆撃が行われたのも全部、同じ構造だ。さて自民党時代に首相としてこのブッシュの戦争に貢献したあの政治家もまた、強い国家のために、国民のためにと原発体制を推進してきた。現在脱原発の世論にかわって語り始めた。”だれがだれを代表しているのか分からない”とは、まさにこのこと。日本人以外の人々にとっても大切な汚染情報をシャットアウトする危険性が指摘される、秘密保護法の存在を知らぬはずがないが、安全神話よりも陰険な隠蔽体制に対して特に反対している様子もないことにやはり何故かと私は疑う。この政治家に限らないが。いまはできることをやるだけだ。来週はデモへ行く







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