言葉と表現と射影のブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS ALSO SPRACH OWLCAT ふくろうねこ、かく語り き  2013年11月

<<   作成日時 : 2013/11/02 06:57   >>

トラックバック 0 / コメント 0





先験的なもの(一切の経験に依存しない純粋なもの)は、象徴的なものの助けなくして、成り立つことが可能か?(たとえばやや類似した問いとして、座標系は、物なくして成り立つか?空虚な空間は可能か?)

Je suppose qu'il y a une image de la pensée qui varie beaucoup, qui a beaucoup varié dans l'histoire. Par image de la pensée, je n'entends pas la method, mais quelque chose de plus profound, toujours presuppose, un système de coordonnées, des dynamismes, des orientations; ce que signifie penser, et < s'orienter dans la pensée>. (Deleuze, pourparlers)

さまざまに変化する思考のイメージというものがあって、これが歴史的にもさまざまに変化してきたと思います。思考のイメージとは、方法のことではなく、何かもっと根本的で、前提として常にあるもの、つまり一種の座標系、さまざまな活力、さまざまな方向づけをあらわす呼称です。思考することが何を意味し、「思考のなかで方向づけをおこなう」とはどういうことなのかを決めるのが思考のイメージなのです。(Deleuze, 「記号と事件」宮林訳)

複数の力が他の力と出会う。<自らを先験的なものは、象徴なくして、成立することが可能か?>。これも、物理学と出会った哲学の語りであろう。

<自らを先験的なものは象徴なくして成り立つか?>右翼の答えは「不可能」に決まっている。「象徴」も領土だ。左翼は証明する必要はなく、ただ文の与件を明らかにすれば宜しい。いつ象徴ができたのですか?憲法の後でしょう?(象徴は先験的なものの<後>にできたことを認めさせれば答えは「可能」)



忘却された民衆を語る民衆史。虚構に陥るそのステレオタイプとは、<望まれた近代の革命>、<革命主体としての民衆>、<国家の側に奪われた民衆>。<二項対抗的に、抑圧主体として表象される天皇>。言説としての民衆史はナショナリズムに行く。このロマン主義的投影を問わずして文学は成り立つのか?

忘却された民衆を語る民衆史。現代アイルランド演劇が問うのは、このイギリスのロマン主義的投影だ。フリール「トランスレーションズ」は、’国家の側に奪われたゲール語’という虚構を告発した。二項対抗的に、抑圧主体として表象される英国という言説こそはアイルランドのナショナリズムを作り出した

子安氏による野間宏論。<民衆史>の話をきいていたら、現代アイルランド演劇が告発してきた民衆史の問題が整理できた。アイルランドの問題は、アイルランドが、イギリスの言説としての民衆史のなかに囲まれていることに存する。民衆史が行くのは、我らと彼らを敵対的に線引きするナショナリズムである


理想主義ともいえる平等な精神で子供達を扱うのは女性の方ではないか。公務員宿舎で勉強をみて貰ったおばさんは、息子と他の公務員の子供だけでなく貧しい塗装屋の子供も教えた。日本から補習校に来る校長ならば、駐在員の裕福な子供を特別扱いする。抗議するのはお母さん達と女性の先生と決まっている

朱子の家は<官>僚と<在>野の連続性線上の中間に存した。一人の中の内面的家?「学」の場としての意義を与えた仁斎の家は、集団の中の(道路に剥き出した)言語的家か?幼児時代に教育した女性達がいたのも家である。証拠はないが、仁斎の平等性のヴィジオンに影響を与えなかったと考える方が難しい

「山本太郎氏、皇室行事の出席禁止 手紙手渡し問題で」。バカな!かえってそれでは、(天皇に禁じられていた)実体的な権力と等しいものを天皇に与えてしまうではないか?それを避けるために一番いいのは、今後、皇室行事に、国家議員全員の出席を一切禁止することだ。

「特定秘密保護法案は廃案にすべき」と朝日新聞の大野論説主幹が主張したことは評価できる。但し一回限りでは意味がない。廃案になるまで毎日一面で、「特定秘密保護法案の廃案」を訴え続けるべきだ。廃案がきまってもいないのに、なぜ、今日の夕刊ように、一面は芸能人やスポーツ選手の話題なのか?

梟猫流朱子学、かく語りき…

17世紀の伊藤仁斎は、朱子学的世界、すなわち中国を中心としたアジアから、辺境に位置した徳川日本をみていました。しかし、脱アジアの明治という時代は、脱アジアとしての国家戦略を選んで、仁斎に顕著な普遍主義をきっぱりと否定していくことになりました。さて、21世紀現在の話。集団安全保障のアメリカのための平和ではなく、もちろん中国のための平和とは別にある、平和憲法の精神を最大限に活かしたアジアの平和のあり方を模索することが今ほど大切になってきた時期はありません。アジアの人々を入れた条件でアジアから考えること、その点で再び伊藤仁斎が定位した江戸思想の普遍主義を参照するときが現在です

江戸の儒学者たちは左翼だったのか?

織田信長等の武士階級は宗教権力を焼き払った。武士によって近世は展開するのだ。そういして江戸幕府に至って鎌倉幕府を超える普遍的な地域的統一性が実現した。が、幕府成立から百年も立たない段階で、幕府の崩壊が顕現していたのだ。つまり18世紀初頭に、貨幣すなわち商業資本の力に圧倒された徳川幕府は、貨幣が齎す武士階級の没落と農村の貧窮化になす術がなかったのである。「享保の改革」は体制を維持できるかどうかの決定的な政策。失敗すれば、それは幕府崩壊の日付が150年早まることを意味していたといえる。ここで大胆にいうと、ニューデイール政策の理論化がケインズに求められたように、「享保の改革」の理論化が学者(儒者)に求められていたということが許されよう。荻生徂徠もその一人であった。この荻生徂徠とは誰か?が、これを語る前に、最初に伊藤仁斎について語らなければならないー彼らの批評ラディカリズムとともに。批評ラディカリズムは、概念をつくる運動にほかならない。京都の市井の学者、伊藤仁斎は町人の出身であった。仁斎は「家」の意義を読み出していった。それは「学」としての特異点であった。(今日の家庭のことではないことに注意しよう。)具体的には、身分に関係なく、誰もが平等に学ぶ場を意味していたのだ。この「家」は、朱子的二極領域(政と家)間の予定調和的連続性の空間ー権威のヒエアルキーを拒んだ。さて荻生徂徠の仁斎批判は、「家」に留まらずこれを超えるXを問う所から始まったといえよう。空間の破れは歴史によって再構成できるかは、まさに「聖人」概念の成功にかかっていた。ちなみに、明治維新に影響を与えていく水戸学派は、徂徠の探求から独自の社会契約的言説をこしらえた可能性がある。これが注目に値するのは、日本人は自ら近代国家の設計図をつくっていたことを意味するからだーロックやルソーとは別のやり方で。こうして江戸時代とは、思想家達の間で議論が活発に起きた時代なのである。たしかに多種多様な概念が生まれた。(より多くの自由を謳歌しているはずの現在の方がよほど制約がある。現象を追うだけで、概念をつくらない左翼ばかりではないか?)ちなみに、’思想の自由なき江戸時代’は、明治政府がつくったプロパガンダでしかないことに注意しよう。政治権力は常に前の時代の体制について悪く罵るのは、今日の自民党が前の民主党政権の時代を非難するやり方をみれば一目瞭然だよね?

批評ラディカリズムは、概念をつくる。仁斎の「家」は「学」としての特異点であった。朱子的二極領域(政と家)間の予定調和的連続性の空間を拒んだ。徂徠の仁斎批判は、「家」に留まらず是を超えるXを問う所から始まる。空間の破れは歴史によって再構成できるかは、「聖人」概念の成功にかかっている

エンゲルスの遺骨は、彼の遺志にしたがって、永遠に海の底に沈められた。したがって、エンゲルスの墓は、今日存在していない(マルクス遺稿物語・佐藤金三郎・岩波新書)


他人にかわって語る、のが近代。
その制度化が議会。”だれがだれを代表しているのか分からない”

だからこそ、他人にかわって語るのではない、ということの尊厳こそ、知識人の態度であるべきだ。丸山真男の問題は、荻生徂徠にかわって丸山自身(近代)を語った点にあった。古代言語の距離を介入させた徂徠ほど表象=代理を批判した思想家はいなかったのだがね。知識人のふりをして近代主義者が荻生徂徠にかわって語ることは、近代が構成する表象の問題である。現在中国共産党の問題も、この近代の問題に他ならない。中国共産党は、天安門広場前抗議者にかわり、或いはウイグル人にかわって語るとき、これは、知識人のふりをしてイギリスの植民地主義者がアイルランド人にかわって語ってきた歴史が反復しているのだ。帝国的支配が民主主義にかわって語ることの無理。弾圧のあと、人々のために、したがって彼ら自身のために秩序を回復したという常套文句。そうしてアフガニスタンとイラクの人々のためにと称して、人々に対する爆撃が行われたのも全部、同じ構造だ。さて自民党時代に首相としてこのブッシュの戦争に貢献したあの政治家もまた、強い国家のために、国民のためにと原発体制を推進してきた。現在脱原発の世論にかわって語り始めた。”だれがだれを代表しているのか分からない”とは、まさにこのこと。日本人以外の人々にとっても大切な汚染情報をシャットアウトする危険性が指摘される、秘密保護法の存在を知らぬはずがないが、安全神話よりも陰険な隠蔽体制に対して特に反対している様子もないことにやはり何故かと私は疑う。この政治家に限らないが。いまはできることをやるだけだ。来週はデモへ行く


懐疑論者というのはね、自分自身には考え抜く力がないことを知っているだけに「強情者としての懐疑論者」(パスカル)。われわれの中のこの多数派は、スイスイと「事実」に逃げていくばかりではない。ホイホイと「神話」の方にも逃げていくから厄介だ。「厄介だ」と言ったのは誰?あなた、反証の精神?

懐疑論者というのはね、自分自身には考え抜く力がないことを知っているだけに、「強情者としての懐疑論者」(パスカル)。この多数派は、「事実」に逃げていくばかりではない。「神話」の方にも逃げていく。科学という名の安全神話のこと

異端の梟猫流朱子学  増殖  慶応3(1868)年

嘗て映画の俳優の何に惹かれるかと問われたとき、ゴダールはこう答え。「俳優がおかすリスク、自分からおかそうとしておかすリスク、演劇においてとは違い、一座によってもテクストによってさえも支えられることなく、撮影されるままになろうとしておかすリスクだ」。実は彼の言葉は政治的である。「一座」は政治権力のこと、「シナリオ」は宗教権力をいうのである。「俳優」が意味しているのは民衆のことならば、結局、政治権力と宗教権力の両方からの自立を求める人々について彼は問うているのだ。これは、3・11以降われわれ一人一人が真剣に考えなくてはならない問題にほかならない。政治権力については、一体構造(政財官マ司)が推進してきた原発体制の問題を解決する為に再びこの一体構造に依拠することはできない。また宗教権力に関しても、靖国神社公式参拝等の国家神道の復活を許してはならないのだ。
ここで歴史を考える。信長等の武士は宗教権力を焼き払ったことから、近世が展開する。江戸幕府に至って鎌倉幕府を超える普遍的な地域的統一性が実現した。しかし民衆は武士階級の政治権力から排除されていたことに変わりはなかった。「論語」が「学」の字のクローズアップから始まることの意味は、それを学んだ人々にとっては何であったか。果たして、丸山真男等の近代主義者は、伊藤仁斎のように、「学」から始まる「論語」の精神を捉えることに成功しただろうか?否である。江戸時代は天皇・貴族・神社の権威に頼らない自立性が実現した。そして京都の市井の儒者・伊藤仁斎は、特権者の学問の独占を打ち破ったことは重要である。つまり民衆と共に学びの場である彼の家は宇宙の中心となったと考えてみることもできよう(天道)。政治権力と宗教権力からの自立を求める人々の中心に、「学」が来る必然性があったと私は思うのだ。
「論語」から、学の歴史を知ることができる。ところで古代の中国人が朝鮮人に、朝鮮人が日本人に読んだ音は消えたのは大きな謎である。現在あるのは、書かれた言葉の痕跡だけだ。これは、問題の立て方によっては、中国語の音の読みに依存しなくなった日本語の自立性がみえてくるという(子安)。つまり、「学」は、言葉を問う問題意識だといえる。最後に整理しよう。複数の力が常に他の諸力と関係している。近世の人間は人間そのものとして思考されたのではなく、多分「天」の姿に似せて思考された?それは人間の諸力が無限の諸力と組み合わされたからだ。人間の学ぶ力が関係したのは言葉だけではない。理念性としての天の概念、すなわち分割できぬ同質的平等性の概念だろう。(以上)


Ne va pas montrer tous les cotes des chose. Garde-toi une une marge d'indéfini.
(Don't go showing all sides of things.Keep a margin of the undefined.)
(物事のあらゆる側面を見せようとしないこと。未定義の余白を残しておくこと)

こんな世の中では息苦しさも息苦しい。汚染に関する真理の欠如。履く靴下の欠乏(爪で破れている)。居場所の欠如。隙間なく分節化されてしまっているー興味がないものと重要でないものと必要のないものによって。時間イメージの中に余白に関する僅かな希望がある。それからしか、ブレッソン映画の人気は説明できない


<語りたくない禁じられた備忘録XYZ>
父の社交範囲は非常に広かった。倉敷市動物公園に隣接した家に両親が招待されたときは、中学生。反抗期入口にいたから、両親が喜ぶものを悉く軽蔑し始めていた。俺は面倒だからホテルに残っていると告げると酷く叱られた。記憶のなかでは、ゆっくりで物静かな年配の女性がソファーに座っている姿の映像がある。「父はやめたくとも皆がやめさせてくれなかった」、「生まれてからずっとあそこにいた。、両親と離れたくなかった。ところが結婚してあそこを出てみると、気が楽になった。長年自覚もなく気負っていたと知った」、「結婚時は色々持たせてくれた。現在皇籍がない自分に援助はない」。「皇籍をくれるといっても断る」、「もうあそこで起きている事は知らない」。こんな話は繰り返されてきたのだろう。あの時の池田厚子さんは現在の自分の年齢だったんだな。外国の事情に通じていた彼女は、まだ日本人が五百人足らずのオーストラリアを過ごしていた事実に非常に驚いていた。白豪主義の最後の数年間、殆ど全員白人の、現地パブリックスクールに通い帰国後日本の学校の体制に当惑した私の体験についてもっと聞き出したかったようではいた。今考えると、これは、皇居から別の世界に一人来た彼女の立場と重ならないわけでもない。結局居場所はどこもないと、私が言いかけた所で、官僚的勘で父が私の直訴を封じた。こんな時に、人は自由に意見を言うべきだという父の日頃の言葉に実がないことがばれる。事実の説明はOK。しかし意見はNOだ。同様に現在、山本太郎の直訴に憤慨しまくる、自由民主党の「自由」なんかは一体どこにあんのさ?大いに疑問だよ

九十年代に鎌倉美術館で’退廃芸術展’という企画をやっていたとき、ナチスに”退廃”と烙印された多くの作品を観ました。表現主義の作品が多く、どれも好きな作品でした。いま伝えられてきた記事によると、今回アパートに持っていた男性の父親が当時そういう鑑定家としてナチスから依頼を受けていたとのこと。1500点あります。絵画の所有者だったユダヤ人は、逃亡したり収容所送りとなったことが想像されますが、今後ドイツ政府は作品を所有者の子孫に返していく責任がありますね。いかに返すか?やはり戦後処理の形をとるのでしょうか?ところで戦争のとき日本人が中国から略奪した芸術作品は現在どうなっているのでしょうか。奪ってきた膨大な古文書は現在、どうも京都大学の図書館にあるようですけど(暴露)

鎌倉美術館で’退廃芸術展’という企画をやっていたとき、ナチスに”退廃”と烙印された多くの作品を観ました。表現主義の作品が多くどれも好きな作品でした。伝えられている記事によると、今回アパートに持っていた男性の父親が当時そういう鑑定家としてナチスから依頼を受けて仕事をしていたようですところで昔、ロンドンの毎日会っていたユダヤ人から聞いた話では、ベルリンにあるユダヤ人墓地というのは大変立派で、ユダヤ人の墓ならばドイツ人の墓よりもひとまわりもふたまわりも大きいらしいのです。ロンドンのはさほどでもありません。他の都市と比べていかに裕福だったことが分かります。ヒトラーが台頭した海外逃亡したドイツ系ユダヤ人の子孫が墓参に来ます。現在、宿泊の豪華な施設はあることはあるが、管理が行き届かず墓地は荒れていると大変嘆いていました。ちなみに話を聞いた友人のお父さんはワイマール期にベルリン大学卒業後ソビエト共産党の古参となった人といってました。希望を持って辿り着いたイスラエルで、しかしユダヤ人の悪口をいうので周囲に嫌われ浮いていたたと嘆いていました。1500点の作品は大変な数ですが、所有者だったユダヤ人は、逃亡したり、収容所送りとなったことが想像されます。やはりドイツ政府は作品を所有者の子孫たちに返していくと思うのですが、これをいかに返すのか関心がありますね。ところで日本人が中国から略奪した芸術作品や一体どうなっているのでしょうかね。古文書は現在京都大学の図書館にあるようですが


マルクス「資本論」(英訳)。「交換」について論じる前は、each otherを、「交換」を論じ始めるとone anotherを使っている。each other とone anotherの意味は全然違う。和訳はこの違いをどう表現しているのか?明日駅ビル本屋へ行こう。大発見…
問題にしているのは、<en rapport les unes avec les autres> と<en rapport entre eux> の違いです。

'Pour mettre ces choses en rapport les unes avec les autres à titre de marchandises, leurs gardiens doivent eux-mêmes se mettre en rapport entre eux à titre de personnes dont la volonté habite dans ces choses mêmes, (Marx),

Um diese Dinge als Waren aufeinander zu beziehn, müssen die Warenhüter sich zueinander als Personen verhalten (Marx),

In order that these objects may enter into relation with each other as commodities, their guardians must place themselves in relation to one another (Marx),

「これらの物を商品として相互に理解せしめるために、商品の番人が、お互いに人として相対しなければならぬ」(マルクス)。この向坂逸郎訳は、原文にあるaufeinanderとzueinanderを各々、「相互に」「互いに」と訳し分けていいます。当然です。ところが、別の人が訳した読みやすい最近の文をみると、この両方を、「たがいに」としていました。気になるaufeinander と zueinanderの違いですが、ドイツ語の辞書で調べてみますと、aufeinanderに関してこんな例文がありました。aufeinander angewiesen sin ’<互い>に依存し合っている’. zueinanderに関しては Vertrauen zueinander haben ’<互い>に信頼している’、という例文がありました。
英訳から考えてみますと、 ’each other’(aufeinander)というのは、他者が外から来るんですね。これに対して、 ’one another’(zueinander)は、内部で分割した結果生じる他者といえます。こういうことを、文学に造詣が深い、カンタベリー大司教Rowan Williamsがどこかで書いていたのを覚えています。外か内の違いなんだと。そうして考えると、色々と辻褄が合ってくるんですねーマルクス「資本論」は。

ところで翻訳劇に取り組む俳優さんたちは研究しなければならないんですね。’わたしのセリフ適切に翻訳されているのかしら?’、’どこまであてにしていいのか?’という疑問も起きますし起きて当然のときもあります。観客には見えない苦労があるんです


だれが誰に手紙を渡す自由がある。場違いのカオスこそ、大賛成。正直溜息も出るのだが、天皇への願いも声なき声としてあるのかもしれないー山本議員が足を運んでいる福島からの。自分の体験を思い返すと、公害の裁判支援の運動のときも、藁をもつかむ思いで一部被害者の中に天皇に対する不合理な<痛い>期待もあった。結局、現実にレイシズムの中心にいる野田元首相の官邸にホイホイと招き入れられた人々よりは罪深くないけれど、ただ、反原発派の多くの者が拡大する同化主義の残酷な暴力を知っている故にやはり山本議員の行動を問題にしなければならなかったのだ。実は靖国公式参拝を行ってきた小泉元首相の問題でもある。


私はいつも哲学や文学からは、いわば裏街の忍びやかな唄声を聞き取りたいと願っていた。bêtise humaineの哀歌(エレジー)を! 華麗な大道の行列や行進には、まったく趣味をもたなかった。哲学や文学が行進のプログラムになっては、もはやそれらは哲学でも文学でもない。 林達夫 HayashiTatuo


No.1 コギトと思考されぬもの

ミシェル・フーコ「言葉と物」の翻訳者、渡辺一民氏に出会ったのは、四年前東京演劇アンサンブル納会の席上で。毎年芝居小屋に足を運ぶようになった、そもそものきっかけは、遡ること二十年前に、演出家広渡氏から「是非芝居を見てくれ」と招かれてからだという。勿論フーコの根底に、演劇的思考があることはよく知られている。嘗て浅田彰が称賛したほ渡辺氏の名文は、こうして一文一文を分解して読むとゆっくりとだが意味がわかってくるー

人間というものが、世界のなかで、
経験的=先験的二重性の場所であるとすれば、
また人間というものが、
そこで認識の経験的内容が自身から出発して
それらを可能にした諸条件を解放する、
あの逆説的形象でなければならぬとすれば、
人間は、コギトの直接的で至上の透明さのなかに示されることはできない。


Si l'homme est bien, dans le monde,
le lieu d'un redoublemant empirico-transcendanta,
s'il doit etre cette figure paradoxale
où les contenus empiriques de la connaissance délivrent,
mais à partir de soi , les conditions qui les ont rendus possibles,
l'homme ne peut pas se donner
dans la transparence immediate et souveraine d'un cogito

' Le cogito et l'impensé'; Michel Foucault ,< Les mots et les chose>

If man is indeed, in the world, the locus of an empirico-transcendental doublet, if he is that paradoxical figure in which the empirical contents of knowledge necessarily release, of themselves, the conditions that have made them possible, then man cannot posit himself in the immediate and sovereign transparency of a cogito.
(The 'cogito' and the unthought, Michel Foucault ,< The order of things>)



the objective inertia (l'inertie objective )

nor, on the other hand, can be inhabit the objective inertia of something taht, by rights, does not and never can lead to self-consciousness.

'mais il ne peut pas non plus résider dans l'inertie objective de ce qui , en droit ,n'accède pas, et n' accèdera jamais à la conscience de soi.'(Foucault, les mots et les choses)



l'inertie objective 客体としての不活性

mais il ne peut pas non plus résider dans l'inertie objective de ce qui , en droit ,n'accède pas, et n' accèdera jamais à la conscience de soi.
(Foucault, les mots et les choses)

といって人間はまた、ことの性質上自我意識に達しないし、じじつけっして達さないであろうものの、客体としての不活性のうちに宿ることもできまい(渡辺一民訳)







手紙問題で思い出したんですけど、最初にアイルランドに着いた翌日の新聞一面に、教会に奉仕していた子供時代に神父にレイプされた被害者男性と、刑務所にいるその元神父との間で交換されていた往復手紙の内容が公開されました。被害者は詩で現在自分の苦しい心境を綴り、それに元神父が詩で綴った手紙を返していたのです。あまりに人間臭く、あまりに文学的な…。新聞をよんだとき、これは大変な国に来てしまったな、どうやらこの国で、日本では逃げることができた人間の根源の問題を正面から考えることになりそうだ、と慄然としました。

「差異」のこと? 岩波文化人の井上ひさしもポストモダニズムの神輿を担いだ一人だったと聞いているが、この語の使用に抵抗があったのかしら_ 「公害や差別など、生命がけで苦しんでいる人たちが現に存在するのに、このコトバを他のことに次々転用し、流行語化することにわたしは賛成できない」

「ファイナンシャル・タイムズ」Financial Times も、街頭で、秘密保護法に反対する人々の抗議活動を報じています。日本の新聞のようにはただ漠然と’デモがありましたよ’と報告するのではなく、はっきりと憲法9条との関係に着眼した抗議の主張内容を適切に伝えています。勝手に安倍が行っている憲法9条の解釈ー平和憲法は集団安全保障を通して自衛隊による海外での戦闘行為をみとめているというーに対して一緒にかれらは反対していると伝えていますよ。そんな法律をゆるしたら、自衛隊がどこで何をしているのか隠されてしまいます。
At a protest march against the bill this week, shouts of ' protect freedom of the press' were accompanied by denunciations of a plan by the premier to reinterpret Japan's anti-war constitution to allow Japanese forces to fight overseas in defence of allies.
軍事機密の漏えい防止に取り組むことよりも、安倍において先行しているのは、とにかく国家の権力を大きくしたいというマッチョな野心。秘密保護法は全部の省庁が担います。法に先行するのは、無条件の監視。それは国を限りなく大きくし人々を限りなく小さくしていくために設計された、国民生活監視法。結局この前の戦争中の生活と変わりません。国が国民の生活の隅々まで監視するのです

十七世紀に遡る注釈学と解釈学の対立。
この二つの波の存在は、二十世紀芸術を巻き込んだ。
つまり、波の分割不可能な荒々しさの直接性と、
それとは全く逆の方向からくる、波の生命に抱擁される分割可能な内部の感覚と。
ゴダールに二つの波が来るのは常に、
時間のキャンバスにおいてである。つまり時間芸術としての映画のことだ。
と、卓越したあるシューベルトのピアノ曲演奏がこの点を気づかせてくれたのだった


ジョイスの世界の大宇宙には不確実性の原理がある。他方あらゆる人間生活を嘲笑う反現実としての空白の空間を、小宇宙での躁病的精確さで支配する植民地化もある。男性原理が反現実としての第三者の審級の不在を克服する方向に、「極端な虚構化」「現実への逃避」だけか?男性原理それ自身はないのか?

交換価値的ー>「極端な虚構化」
使用価値的ー>「現実への逃避」

ジャンギャバン大好きでも、パリにはフランス人がいなければいいというコンプレックス。官僚のプライドが高く、自然の風景画オンリーのオーストラリア人を見下した。そんな父が自由にならなかった英語は支配者の言葉と思った。家の中の日本語はマイナー言語。思い出の中では両方に属したくない子供の姿がある


支配者の言語として嘗てあった・あるかもしれぬ・あるだろう英語。屋敷をなすこの言葉で話す相手がいない。マイナー言語としての日本語(多数でもマイナーである)の持ち家は息苦しい。独学のフランス語は永遠にホテル住い。結局現在の自分は漢文ホームレス。マイナー文学のドゥルーズが言うようには…

映画館で二千本ぐらい観るとやっと見えてくるのが映画史ーDeleuzeが言う通りだとしてもね。一本500円程度で見るには外国に住むこと、古い映画を保存する作家研究のあるパリやロンドン、ニューヨークか。日本思想史は何冊?音なき漢文ホームレスだからこそ有利にきこえてくる歴史だと信じたい



情報公開は、民主主義の本である。情報へのアクセスを遮断する、秘密保護法の存在は、確実に、民主主義の条件を根本から殺戮してしまうであろう。この一か月で民主主義が決定的に終わるかもしれない。さて、山本議員の過ちは天皇への過大評価にあるが、「天皇の政治利用」と咎める自民党の天皇への過大評価の過ちでもある。ところで、私達を脅かすものの存在は、私達を互いに引き離すものよりも強力である、と、この人民戦線の言葉を記した上で一言だけ。秘密保護法は、人々を互いに引き離すものよりも強力ではないだろうか。繰り返すが、一ケ月が勝負だ。いまこの大事なときに、再び支持者達の信頼を取り戻す為に山本議員には猛反省に猛反省して頂き、そのうえで、原発の汚染情報を遮断してしまうと心配される、秘密保護法に対する反対運動を中心から呼びかけて欲しいと願う


憲法を守るために象徴天皇制を維持すること。しかし一番いいのは、遅くはないのです、政府に任せるのではなく、国民とアジアの人々が介入する方法で、昭和天皇の戦争責任を明確にした上で天皇制を廃止する道です。現在の天皇と家族は再び京都に戻って貰き、文化的に意義深い天皇博物館の館長をやって頂けないでしょうか

(I thank Siren for giving us dreaming and metempsychosis of boundlessness)
(わが友メランコリーさんが声をやっています)

Led by my friend Melancholy
réver- ocean
erre in the revie- ocean


映画館で2000本ぐらい観るとやっと見えてくるのが映画史というやつだ。Deleuzeが言う通りだとしてもね。いま取り組んでいる思想史は何冊かな?(溜息)
Si le cinéma d'après-guerre rompt avec ce modèle (Eisenstein), c'est parce qu'il fait monter toutes sortes de coupures irrationnelles, de rapports incommensurables entre images (Godard etc.). Le cinéma parlant d'après-guerre tend vers une autonomie du sonore, une coupure irrationnele entre le sonore et le visuel (Straub, Syberberg, Duras)
Es ce que le cinéma succédait à Mallarmé ?
戦後の映画がエイゼンシュタインと袂を分かつのは、ゴダールにおいて顕著な、映像相互間にあらゆる種類の非合理的切断や非共役的関係を成り立たせようとしたこと。トーキーも音声の自立性をめざし、音声と視覚の非合理的切断を探る。デュラスとストローブ、サイバーベルグがそうだが、マラルメの映画的継承といえようか(Deleuze)


ADIEU AU TNS
par Godard

Bonsoir Madame et vous Monsieur
La suite n'est qu'un tender adieu
Du réfugié sans domicile
Qui sur la scène' pensa trouver
Dans la parole un doux asile

O vous jeunese maîtres et maitresses
Acceptez donc sans vous facher
La complaine d'un voyageur
qui poursuivit une princesse
Dans un theatre ciel quell malheur

Le con pensait dans sa frayeur
Que s'il restait des libertés
Dans notre Europe mal aimée
C'était par paroles données
Qui sortent du corps de l'acteur

Combien de lettr' combient d'images
Combien de livr' tous bien écrits
Furent envoys malgré l'orage
Mais ne reçur't en recompense
Qu'absenc' silenc' indifference

Vous qui chaqu' soir sous l'oreiller
Claudel Artaud Molière trouvez
Antigone et Lorenzaccio
Des fois pensez à l'autr' idiot
Ramant pour aligner trois mots

J'n' sais pouquoi doux camarades
Faut-il tell' ment que je supplie
Et vous jeunes et bell's mendie
Que le navir' rest' pas en rade

Est-il possibl' ailleurs qu'ici
Se forme un joli bataillon
Qui s'en irait de par les monts
Chercher la parole d'autrui
Sans l'obliger de dir' son nom

Roméo qui lançait des chaises
Et Juliette qui frotte son cul
Pauvre William tu es battu
La sida toujours invaincu

La parole sort de la bouche
Peut-on l'embrasse ma très chère
Avant que tu prennes la mouche
et dèclames comm' le putois
Qu'la vie privée a forc'de loi

Vous qui sacrifiez votre corps
Et volez l'am' du personage
Envolez un'fois encore
Sans tenir compte des réglages
Marchant au pas de l'exception

Etait-ce peu trop dèraison
De croir' que dans ce lieu magique
Se puisse un jour de l'ame humaine
Percer le secret scientifique
Parc'que vos mains sont dans la mienne

Adieu TNS et Strasbourg
L'exilé marque donc le pas
Mais si l'public est dans l'erreur
Quand on salue ne dit-on pas
A vous trés cher bien le bonjour

Adieu mes amis.


ゴダールの「さらばTNSよ」 (奥村昭夫訳)

こんばんわマダム、そしてあなた、ムッシュー
これはただの心優しい別れの言葉
こに宿無しの亡命者からの
舞台のうえであれば 言葉のなかに
心地よい安らぎの場が見つかると考えた亡命者からの

おお、あなたがた若き大家たちと女大家たちよ
だが受け取られんことを 腹立てずに
ある旅人の泣き言を
演劇のなかに 天よなんたる不満
お姫さまを追い求めた旅人の

このばかじゃ考えた 恐怖にかられて
われらのよく愛されないヨーロッパに
まだ自由が残っているとするなら
それは俳優の肉体からもれる
約束の言葉を介してのこyとだ、と

何通の手紙が、どれほど多くの映像が
どれも見事に描かれた何冊の本が
嵐にめげず送られてきたことか
しかしそのご褒美に与えられたのは
ただ不在、沈黙、無関心のみ

あなたがたは毎晩枕の下に
クローデルを、アルトーを、モリエールを、それにまた
アンティゴーヌとロレンザッチョを見つけ出しているのだが
ときどきは考えよ もう一人の白痴のことを
三語を並べるのに四苦八苦している白痴のことを

私には分からない 聞き分けのいい同志たちよ
なぜこれほど頼みこまなければならないのか
そしてあなたがた 若く美しい女の友たちよ
なぜしつこくせがまなければならないのか
船をおいてきぼりにしないでおくれ、と

そもそもここでは可能なのか
すてきな大隊を編成することが
山々を超え 他者の言葉を
さがしにいく大隊を
他者に名を名のるよう強いたりせずに

ロミオが椅子を投げ
ジュリエットが自慰にふけり
あわれウイリアムス(シェクスピア)よ、君はうちまかされたのだ
エイズはいまだに負けを知らない

言葉は口からもれるもの
でもひとは言葉に接吻できるのか いとしい君よ
君がむか腹をたて
プライバシーは法的力をもっている、と
鼬の様に朗読しだす

あなたがた 自分の肉体を見捨て
登場人物の魂を盗む者たち
いま一度飛び立つのだ
軌道修正を無視し
例外的な並足で歩みながら

無分別もいくらか度が行き過ぎたというもの
この魔法の場では
いつか人間の魂の
科学的秘密が解明されるかもしれない なぜなら
あなたがたと私が手に取っているのだから などと信じたとは

さらばTNSよ そしてストラスブールよ
追放された者は それゆえ 足踏みをする
しかし観客が間違っているのであれば
カーテンコールでお辞儀するとき こういわないだろうか
それではごきげんよう 思い知るのはあなたがたの方ですが、と

さらば友たち



le risqué qu'il prend 俳優がおかすリスク

質問「ヒチコックは俳優には殆ど愛着を感じていなかったと言われています。俳優に映画におけるどのような地位を与えられていますか」
ゴダール「勿論、俳優は大きい役割を果たしてきた。俳優がいなければ映画は存在しない。」
質問「俳優のなかのなにに心を動かされておりますか?」
ゴダール「俳優がおかすリスク、自分からおかそうとしておかすリスク、演劇においてとは違い、一座によってもテクストによってさえも支えられることなく、撮影されるままになろうとしておかすリスクだ。」
- On dit qu'Hitchcock avait peu de passion pour les acteurs dans le cinema. Quelle place, vous, attribuez-vous aux acteurs dans le cinema?
Godard;Ils ont joué un grand role, bien sur.Sans acteur, il n'y a pas de cinema.
- Qu'est-ce qui vous touché chez un acteur ?
Godard;le risqué qu'il prend, s'il veut bien le prendre, ,à se laisser filmer, sans etre soutenu, comme au theatre, par une trope ou meme par texte.





On ne'est sort pas tout de suite par la parole (Godard)
そこからは言葉を通してではすぐには抜け出せないわけですよ

Cette phrase de Rimbaud qu'on m'a dite depuis tout petit, je l'ai trouvée genial, et puis tout à coup je me suis apercu qu'elle me concernait; <je est un autre.> Mais si je est un autre, qui suis-je? Qui est cet autre? Bref, on ne'est sort pas tout de suite par la parole. Il faut passer par autre chose. Et la tèlè, au contraire, les medias, c'est-à-dire vous, vous nous faites croire que nous sommes tous les memes.




On ne'est sort pas tout de suite par la parole (Godard)
そこからは言葉を通してではすぐには抜け出せないわけですよ

ごく小さいときから聞かされてきたランボーのあの言葉<我とは一個の他者なり>、わたしにはスゴイ言葉におもえましたし、そして、ついで突然、この自分と関係のある言葉なんだと気がついちゃったのです。でもね、ランボーがいうように、私が一個の他者だとしましょう。その場合の私とというのはだれなんでしょうか?その他者とはだれのこと?要するに、そこからは言葉を通してではすぐには抜け出せないわけですよ。On ne'est sort pas tout de suite par la parole.
他のものを経由しなければなりません。そしてテレビは、メディアは。つまりあなたがたは、われわれに反対に、われわれは皆同じだと信じさせようとしています




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
ALSO SPRACH OWLCAT ふくろうねこ、かく語り き  2013年11月 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる