言葉と表現と射影のブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS 公の世界、私の世界、侵犯する芸術の世界 - 子安氏「論語塾」講義からの報告

<<   作成日時 : 2014/01/29 19:12   >>

トラックバック 0 / コメント 0



公の世界、私の世界、侵犯する芸術の世界

朝廷の公式の仕事である歴史の編纂は、例えば「日本書紀」のように、貴族社会においては男子に属する公の世界であった。公の世界は漢字で書かれた。一方これと相補的に成立していたのが、私の世界である。歌の世界である。天皇が私的に太安万侶に命じた「古事記」、「万葉集」など和歌などの歌集本がその例である。 後に生まれてくるひらがな文学を含めて、女子に属する私の世界として存在した。( 秘密に、公の世界から、女の私の世界で書く男子がいたことは当然。) 歴史を見渡すと、常に二つの世界 (「公」と「私」)が成立してくるし、常に二つのエクリチュール ( 漢字とひらがな)が成立してくる。しかし事柄はそう単純ではない。子安宣邦氏が指摘するように、「平家物語」「太平記」に、すなわち私の世界であった文学のなかに、公の世界から漢字が入ってくるからだ。これは、境界を侵犯する出来事として画期的なことだ。例えば、謡曲について注目しよう。室町時代の滅びの世界を舞台とした、男が女の世界を回想した謡曲とはまさしく、<歌の漢詩>にほかならなかった。つまり(間違いを恐れずにいうと)、公の世界は、(歌という)私の世界がなくしては成り立たなくなったし、同時に、私の世界は、(漢詩という)公の世界からの介入によって生まれ変わっていくのである。ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルが共に極めた映画のモンタージュの芸術に先行して、遥か中世において、相異なる<二つのもの>の間の交差の運動が成立していたことは書き記しておこう

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
公の世界、私の世界、侵犯する芸術の世界 - 子安氏「論語塾」講義からの報告 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる