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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCAT ふくろうねこ、かく語り き  2014年 7月 後半

<<   作成日時 : 2014/07/06 20:24   >>

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'Opinion subscriptionPrime Minister Shinzo Abe of Japan is getting dangerously close to altering a cornerstone of the national Constitution through his own reinterpretation rather than by formal amendment.

Mr. Abe wants to pass a law allowing the Japanese military to act offensively and in coordination with allies outside Japanese territory, even though it is accepted that the Constitution allows only a defensive role on Japanese territory. He has moved aggressively to bolster the military after years of cuts. And, like other nationalists, he rejects the pacifism exemplified by an article in the Constitution.

“The Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes,” it states. Successive governments have agreed that a constitutional amendment would be required before the Japanese could take a broader role. The civil servants of the Cabinet Legislation Bureau in the Office of the Prime Minister, which checks the constitutionality of new laws to prevent the abuse of power, have agreed with this interpretation.

To help push the bureau to reverse that position, Mr. Abe broke normal procedure in August and appointed as the agency’s chief an outsider, Ichiro Komatsu, a Foreign Ministry official sympathetic to the idea of collective defense. A group of experts picked by Mr. Abe is expected to back him up when an opinion on the matter is released in April. In Parliament recently, Mr. Abe implied that the people could pass judgment on him in the next election, but that is an erroneous view of constitutionalism. He could, of course, move to amend the Constitution. That he finds the process too cumbersome or unpopular is no reason for him to defy the rule of law.

If Mr. Abe were to persist in forcing his view on the nation, the Supreme Court, which has long abstained from taking a position on the Constitution’s pacifist clause, should reject his interpretation and make clear that no leader can rewrite the Constitution by personal will. '

By THE EDITORIAL BOARDFEB. 19, 2014
This story is included with an NYT Opinion subscription.


選挙のときは、「原発推進」か「反原発推進」かを明確に。「脱原発」と同様、「卒原発」という言い方がゆるされないのは、(何十年も留年する原発があっては困るわけだし)、結局その正確な意味が解釈する人にそれぞれ委ねられているから、例によって政治家が公約にまったく責任をとらないからである。

危険をおかして守ってもらうアメリカ兵を守るというのが'普通'の軍隊なのだから集団的自衛権は当然であると信じているのであれば、危険だけでなく犠牲も強いている沖縄住民の犠牲を分かち合うこともその'普通'に含まれるはずでしょう。米国の危険な基地を沖縄だけに押しつけないで、東京に持ってきたらいかがでしょうか?皇居の敷地に空きがあります

映像と言葉の均衡が大切とおもいます。映像は多いが、それと自己との関係について語る言葉が少なくないでしょうか?あまりに映像に依ると直に、「大したことではない。世の中には他にもっと悲惨なことがある」という例のテレビの消費的心理に陥り、そのうち事件も忘却していきます。難しい課題でも、ネットは、戦争を構成していく(繰り返されてきた) この依存症的な忘却構造を断っていく方向に沿ってできる限り努力していかないと、既存のマスコミの対抗的メディアとしての独自な役割を発揮できなくなる。逆にいうと、映像と言葉の均衡こそ大きな力かもしれず、ここにチャンスあり!


解釈改憲によって集団的自衛権を得た国の最大の問題は、無感覚に繰り返されてきた憲法破壊でも、また貪欲に日本が戦争を再び始めることでもありません。それは、そもそもまだ戦争を終わらせられないという決定的な一点に集中しています。安倍体制を推進してきた一体構造<政財官司学マスコミ>に再び隠蔽させてはならないとおもいます !

JAPAN, NO WAR !

怖い話、こうした要件が次々に秘密保護法が罰則で守る秘密になっていく、露骨な新植民地主義です。亡霊、戦艦ヤマトの出撃?最大の問題は、日本が戦争を始めることではなく、まだ戦争を終わらせられないこと。

ー>安倍首相「石油供給停止による経済への打撃も集団的自衛権の要件に」


現在、ある地域で戦争反対の看板に注意をはらうのは、中学生が多いという。不安のうちに徴兵にとられる未来をリアルに読み取っているのだろうか?かれらは自分たちを代表できないでいるじゃないか!もう高校生になったら選挙権を与えよ!このままでは、フェアーではないからね

ホホ〜、確かにこのネットで、それが無かった時代に出会えなかった人々と繋がったニャリ。再び八十年代的停滞のままシニカルな多くの人々ともね。中にはツイッターも フェースブックもしない者にかぎって、「デモは効果がない」と相変わらず。それが客観的な判断ではなく、預言に属する政府広告の類とも気がつかないよ。その程度のくせに、ホ〜、なぜか自分だけを懐疑精神の王様と思う自己陶酔のお馬鹿ぶり。それが八十年代の新人類の若者だったニャリ。中曽根内閣の時代に生き、責任もあった危険な原発体制と軍国主義に対して、必死に自己を変えようとする様子もない。自分を隠す退屈な言葉遊びを続けて、そのまま反韓・反中に行くつもりニャリか?現在、戦争反対の看板の前に立ち止まる人々は、中学生だという。不安のうちに、徴兵にとられる未来をリアルに読み取っているのか。が、かれらは自分たちを代表できないでいるじゃないか!少なくとも高校生にも選挙権を与えるべき

「資本論」の思想史、への招待

柄谷行人は、<国家>や<ネーション>への視点をマルクスは括弧にくくっていると指摘しています。「資本論」にこだわる場合に見ることができなくなった問題があることをはっきりとみとめていますね。ところでテクストがもたらした問題を解決する為には、再びそのテクストに依拠することが不可能なはずです。それにもかかわらず、なぜ再び柄谷は「資本論」にこだわるのでしょうか?日本知識人の起源の思考が柄谷において反復されているのでしょうか?日本の知の歴史を明らかにするうえで考えてみる価値があります。


柄谷は国家やネーションへの視点をマルクスは括弧にしているという。「資本論」に拘る場合に見ることができなくなった問題がある。テクストが齎した問題を解決する為には再びそのテクストに依拠することが不可能だが、なぜ再び彼はそれに拘るのか?日本知識人の起源の思考が柄谷に反復されているのか?

中学生のときは内向的だったけど、世の中を蹴とばしていた。持ち前のキックの力を体育の先生に発見され、彼が顧問する人手不足のサッカー部に臨時部員として入れられる。(昔の部活なんていい加減なものだった)。他クラスで「奴は一言も謝らない」と、その先生の腕の骨折は自分が蹴ったからだというが本当に自覚がなかった。嗚呼、官邸前の抗議デモを阻む鉄の柵を蹴り倒す力に取っておきたかったなあ...


柄谷行人「世界史の構造」はいかに読まれたかを読む

「資本論」の思想史への招待 ー 日本知識人における知のひび割れた肖像画を批判的に記述すること。グローバル資本主義に抵抗していく世界同時的に起きている市民運動、これをいかに思想にしていくかが現在の課題である。ところが日本知識人ほど「資本論」にこだわる知識人はいない。この意味で「資本論」は日本の知のひび割れた肖像画に対応するといえよう。知識人の「資本論」へのこだわりから見ることができなくなった自己と世界の関係、それを問うのが「資本論」の思想史。ここで日本の市民運動がこの「資本論」のいかにも九条的な純化に依拠できるかということも、「資本論」の思想史の射程である。さて、柄谷の構造論的読みにおいてアジア的社会社会構成体に分析に実りある収穫をもたらした。だが、この読みは、(「資本論」が解けない) 資本主義の時代を消してしまうほどの一貫性をアプリオリにもつとき、読み手はこのことを問わざるをえない。「資本論」を読んだ柄谷自身がそう解説している通りに)「資本論」が解けない資本主義の問題を解くのに、再び「資本論」によって解くという正当性が一体どこにあるのかである。その正当性が問われることもなく、「世界史の構造」の記述から市民運動の語が消える。(市民運動の全部の可能性が消費者運動に置き換えられる)。最終的に、資本主義の問題の解決が、「帝国の<経験>」に委ねられていくだけである。結局、柄谷における語りの全体は、かれがいう交換様式の一つ(交換様式Bー略奪と再分配)をシュミレートしているようだ。つまり、「略奪」されていくのは、グローバル資本主義に抵抗するために自己との世界の関係の在り方を多様化していく可能性を問う思考である。と同時に、恩寵的に「再分配」されてくるのが、'<帝国>の経験'とかれが一義的に規定してしまおうとするものである。しかしわれわれがいかなる<帝国>の経験'も読むことができないのは、ウオール・ストリートのオキュパイ運動が起きる、グローバル資本主義の時代に不可避的にあらわれてきた一連の動乱、天安門事件からアラブの春を、再び民族問題としてとらえるとしたらアナクロニズムと言わざるをえないからである。にもかかわらずこれらの市民運動を民族運動として執拗に置き換えていくのが、柄谷のモダニズムから来るものだろうか(マルクスは「ユダヤ人問題」「経哲草稿」で知が陥るこの種の倒錯を問題にしていた)。近代のこの置き換えに沿って言説をつくる知識人のネットワークが現れてきたとき(「帝国・儒教・東アジア」)。柄谷この人がこのネットワークの中心に位置しているという可能性が否定できないという (子安氏、中国と<帝国>の経験)。東アジアをめぐるこうしたモダニズムの言説とそれに抵抗していく言説は、やはり「資本論」の思想史が記述していかなければならない。

「資本論」の思想史への招待 ー 日本知識人における知のひび割れた肖像画を批判的に記述すること。グローバル資本主義に抵抗していく世界同時的に起きている市民運動、これをいかに思想にしていくかが現在の課題である。ところが日本知識人ほど「資本論」にこだわる知識人はいない。この意味で「資本論」は日本の知のひび割れた肖像画に対応するといえよう。知識人の「資本論」へのこだわりから見ることができなくなった自己と世界の関係、それを問うのが「資本論」の思想史。ここで日本の市民運動がこの「資本論」のいかにも九条的な純化に依拠できるかということも、「資本論」の思想史の射程である。さて、柄谷の構造論的読みにおいてアジア的社会社会構成体に分析に実りある収穫をもたらした。だが、この一貫した過大な読みは、(「資本論」が解けない) 資本主義の時代を消してしまうのである。「世界史の構造」の記述から市民運動の語も消える。(市民運動の全部の可能性が消費者運動に置き換えられる)。最終的に、「帝国の<経験>」が解決の糸口と説くという。柄谷における語りの全体は、かれがいう交換様式の一つ(交換様式Bー略奪と再分配)をシュミレートしているようである。「略奪」されていくのは、グローバル資本主義に抵抗するために自己との世界の関係の在り方を多様化していく可能性を問う思考そのもの\である。と同時に、そうして恩寵的に「再分配」されてくるのが、'<帝国>の経験'とかれが一義的に規定してしまおうとするものである。しかしわれわれはどんな<帝国>の経験'も読むことができないのは、ウオール・ストリートのオキュパイ運動が起きる、グローバル資本主義の時代に不可避的にあらわれてきた一連の動乱、天安門事件からアラブの春は、再び民族問題としてとらえるとしたらアナクロニズムと言わざるをえないからである。にもかかわらずこれらの市民運動を民族運動として執拗に置き換えていくのが、モダニズムのモダニズムである所以?(マルクスは「ユダヤ人問題」「経哲草稿」でこの論点を先取りしていた)。近代のこの置き換えに沿って言説をつくる知識人のネットワークが現れてきていることは事実である(「帝国・儒教・東アジア」)。そして柄谷の「世界史の構造」がこのネットワークの中心に位置しているという可能性が否定できないのである (子安氏、中国と<帝国>の経験)。東アジアをめぐるこうしたモダニズムの言説とそれに抵抗していく言説は、「資本論」の思想史が記述していかなければならない。

「資本論」の思想史、への招待 ― ー 日本知識人における知のひび割れた肖像画を批判的に記述すること

グローバル資本主義に抵抗していく世界同時的に起きている市民運動、これをいかに思想にしていくかが現在の課題です。ところが日本知識人ほど「資本論」にこだわる知識人はいません。この意味で「資本論」は日本の知のひび割れた肖像画に対応します。知識人の「資本論」へのこだわりから見ることができなくなった自己と世界の関係、それを問うのが「資本論」の思想史。日本の市民運動がこの「資本論」のいかにも九条的な純化に依拠できるかということが思想的に問われます。少し具体的に説明しますと、子安氏の指摘によれば、柄谷の過大な構造論的読みにおいて、(「資本論」が解けない) 資本主義の時代が消えてしまいました。「世界史の構造」の記述から市民運動の語も消えます。(市民運動の全部の可能性が消費者運動に置き換えられる)。最終的に帝国の経験が解決の糸口と説くのです。が、ウオール・ストリートのオキュパイ運動が起きる、グローバル資本主義の時代に不可避的にあらわれてきた一連の動乱、天安門事件からアラブの春は、再び民族問題としてとらえるとしたらアナクロニズム。ところがこれらの市民運動を民族運動として執拗に置き換えていくのが、モダニズムのモダニズムの所以か?(マルクスは「ユダヤ人問題」「経哲草稿」で見抜いていました)。近代のこの置き換えに沿って、反動的な言説をつくる知識人のネットワークが現れてきました (「帝国・儒教・東アジア」)。モダニズムの言説とそれに抵抗していく言説は、「資本論」の思想史が記述していかなければなりません



「九条のおかけで敗戦後日本はだれもしなず、だれも殺さなかった」とは、それほどほんとうに九条のことを語っているのでしょうか?たとえば、沖縄の基地をてこに、朝鮮とべトナムの人々がどれだけ殺されたかという事実に照らすと、「だれも殺さなかった」という主張は、9条が許してくれるものなのでしょうか?大いに疑問です。ところで貧しい他国を壊しては (都合よく)再建したのがアメリカでした。が、湾岸戦争以降は、壊すオンリーになったと批判されるようになりましたね。これについて、海外滞在中に、アフガン・イラク戦争のときは、アメリカが(戦争で)ぶっこわして、日本が (土木工事で) 再建する'と、随分と繰り返し皮肉られたものでした。この言葉をきくたびに、ドキッとしました。(爆撃しやすいようにアメリカに都合よく)再建してくれる日本がそういう形で戦争に加担していたとヨーロッパの人々は考えていることを知ったからです。さて昔から商売というものは戦争を追いかけてきましたが、現代はもはやそんな商売は戦争と区別がつきません。結局、安倍のファシズムを批判することなくしては、原発再稼働に反対しても意味がないように、安倍のファシズムを批判せずに、九条を称えても意味がないとおもうようになりました。つまり原発と集団的自衛権、この両者は、安倍においてたがいに切り離せない関係にあります。そこからたたかう国家による、教育の介入が生じてきました。政教分離の原則が踏みにじられ、歴史が消されていきます。平和憲法の意義は疑えないですが、問題は、これを利用した市民運動のあり方。世界同時的に起きている他国の反戦運動・市民運動を参考にして立て直すとき

平和憲法の意義は疑えないですが、ただし九条だけではネオコン的ファシズムの成長の夢と一体である戦争体制をとらえきれません。(資本論」に依るだけでは現代の資本主義の分析に失敗してしまうように)。平和憲法を利用した市民運動のあり方は、他国の反戦運動・市民運動を参考にして立て直すとき

安倍さん、結局あんたは何がしたいの?

チョムスキーによると、中国の軍拡が報じられるが、中国側からすれば、包囲されていると感じる脅威は、アメリカ軍だけではない。アメリカ軍と、その同盟軍、即ち集団的自衛権を加えたトータルの脅威だと指摘します。安倍に対する警戒が高まるのは必至です。では、安倍から大きなプレゼントを受け取ったアメリカとの関係は良くなるのでしょうか?そもそも憲法に依って成り立つアメリカからすると、安倍は為政者の逆クーデター。安倍は憲法そのものが無意味なのです。一応ホワイトハウスは歓迎のジェスチャーですが、根本的な不信感は尽きないはずです。結局、安倍さん、あんたは何がしたいの?日本は、安倍とかれの支持者と迎合的に沈黙する'普通'の人々によって、米中の両方からも信頼されない孤立の道へ放り出されしまったのではないでしょうか?

安全神話の原発コマーシャールの教訓は??クール・ジャパンのアイドルたちは、最終的に、一体何を頼むのでしょうか?米国のイラク・アフガン戦争帰還兵200万人のうち、60万人が戦地で経験した戦闘や恐怖からPTSDなどを患う。一日平均22人。戦場での戦死にくわえて、年間7千人を超える自殺

なにが問題か?なにを認識しなければならないか?

大まかな整理で、適切に言い表せなかった部分も多々あり反発も食らうでしょうが、それはお許しを。ただそれほどpointlessではないとおもっています。日本側の問題としては、 中国のグロテスクな週刊新潮的言説しかなく、だから、ほんとうのところ、なにについて悪口を言っているのか不明。あえていえば、実は日本スターリニズムにたいする素朴な反発を中国批判と混同している。七十年代の日中国交回復から確立した'政経分離'('政治の違いもがあるので政治についてはお互いにタブーとし、経済を中心に協力し合っていこうとする')の原則と、文革以降毛沢東的人民中国のの言説のなかにある朝日新聞と岩波書店などによって、'護憲派'の人々が、アジアにおける日中関係を民主主義の問題としてはとらえることが非常に少なくなり、それを補うかのように経済的な物差しが歪に膨張している。そうして'憲法を守れ'と言いながら、(やや極端にいえば)、実は、財界の経団連的な'商業を守れ'の言説しか繰り返していないことに気がつかないとしたら問題かも。今回のことを契機に、軍事的プレッシャーを感じた中国側は危機感をもって軍拡をしていくだろうし、またそれを理由に民主主義の声を抑え込んでいくことは確実で、一方そのリアクシオンとして、この愚かな国民が危機感をもち、安倍が、ふたたび軍国主義化と(人権侵害をふくめた反民主主義体制の風を推進していくでしょう。悪循環が拡大されるばかりです。中国と日本との共同の軍縮を実現するために、政府同士が決してやろうとしない市民同士の話し合いが必要。理想の空論といわれても、この可能性を信じなければ、本当はデモも成り立ちません。日本側としてはそのためにできることはなにかについて積極的に提案するのではなく、ひたすら解釈改憲の違憲性をいうばかりでは、この方向が必ずしも問題解決を有効にもたらすとはおもえません。

ヨーロッパではサルトルが復活しているのだけれど、5年前に東京にもどってきたとき、たしかその次の年に、サルトルの「奇妙な戦中日記」の一部を翻訳し、ツイッター上で流した。1980年代の中曽根内閣が集団的自衛権と徴兵制、核武装を実現すると言っていたのががは2010年代だったと記憶していたから、無力ながらも、反戦を呼ぶかけたいとおもった。ところが、原発災害の方が先に来た。ところで、サルトルとはだれか?存在の問題とは何か?
サルトルは否定的欠如から問い始めた。そして人間において何か欠けたものこそが欠けてはならないというふに考えた。この欠如の観念を純粋に徹底していくと、無階級社会。所有の観念と相容れない。ここから存在の所有に対する優位が説かれた。ただし存在は言葉を持たないとしたら無意味だ。どう考えるか?

忘却のナショナリズム

忘却したことすら忘れていくというのが、忘却のナショナリズム。戦前はアメリカと同盟して中国とたたかったというようなことを平気でいう大学生たちが実際に実在するのだろうかと疑いましたが、もし本当にいるならばこれはひどい話だ!'無知の避難所'をいうスピノザの戒めのことばがありますが、現在においてはもはや戦争があったということを知っているだけまだましなのかもという状況です。多くの場合、現在の関心に制約されてしまうのが記憶の弱さというもの。残念なことに、歴史修正主義者が言うがままです。せめて原発は全部自民党政権の時代につくられた事実ぐらいは覚えてほしかったのですが、福島は民主党政権のときに起きた事故だから民主党に責任があると得意に息巻く人々を前に、一体なにをしゃべったらいいのかと絶望的に茫然とします。ただ救いは、(まだ社会があればの話ですが) ネットが社会の記憶をになう可能性のあるメディアとして登場してきたことでしたが、油断していると、これもあてにできなくなりました。'原発は全部自民党政権の時代につくられた’、それと'集団的自衛権という口実で中国と戦うことをやめよ、お互いの軍縮について話し合え'と記した手紙を瓶にいれて、百年後の人々がひろってくれることを願って、明日江の島から海に投げ捨てようとおもっています。では


I think I shall be able to tell myself four stories, each one on a different theme. One about a man, another about a woman, a third about a thing and finally one about an animal, a bird probably. I think that is everything.

SAMUEL BECKET 'MALONE DIES'

ho de Sōkratēs beltīon, ouk Athēnaios oud’ Hellēn alla kosmios einai phēsas, Plutarchus, De exilio, 600F.
わたしはアテナイ人でもギリシア人でもなく、むしろ世界市民だ。……ソクラテスプルタルコス『追放について』

He even ran away with hunself and became a farsoonerite, saying he would far sooner muddle through the hash of lentils in Europe than meddle with Ireeland's split little pea. James Joyce

寸劇; 言葉の哲学的ボクシング

ラッセル「ひきだしの中に珍種の集団的自衛権と集団安全保障がいますね」
ウィットゲンシュタイン「いいえ、空っぽでした」
ラッセル「きみがみたときはひきだしの中は空でも、戻したときにそっと忍び込んだんだにちがいない」
ウィットゲンシュタイン「もう逃げました。中は空」
ラッセル「なぜ中を開けて確かめてみようとはしないのかね?」
ウィットゲンシュタイン「外からはみえないことを考える必要がないからです。あなたたちが行う戦争のひきだしに、あなたたちが都合よく思い込んだそんな珍種はいませんよ」

われわれが喋っている言語に先行しているのが、彼らの存在。たとえいくら無関心と無気力によってこの屈辱を克服したつもりでも、他者が私の言語を持っている事実は消去できないThe language in which we are speaking is his before it is mine. 自分で決めた亡命 self-imposed exileを実行したジョイス Joyceは、書くために考えるために信じなければならなかった unless thou believe thou shalt not understand.ー現在のわれわれと彼らとの間に嘗て存在していた、存在するだろう、祀られない死者達の存在を。そして、 'The Dubliners' の最後の挿話が'死者'The deadの名前をもつことはけっして偶然ではない。「フィネガンズ・ウェイク」(死者の蘇り) から、全世界の人々はここに帰る。ジョイスの旅はここから出発したたのだから、宇宙の劇場における自分で決めた亡命をー

The language in which we are speaking is his before it is mine. How different sre the words 'home', 'Christ', 'ale', 'master', on his lips and on mine ! I cannot speak or write these words without unrest of spirit. His language, so familiar and so foreign, will always be for me an acquired speech. I have not made or accepted its words. My voice hold them at bay. My soul frets in the shadow of his langage. James Joyce

鉛筆をとるために映像を必要としたのが、ゴダール。この<考えるために見る>とした批評精神がいかなる理由で、<考えるために信じる>という問題意識へ移行する必然性があったのか?ゴダールが問うたのは見ることの枠づけられた形式。ここから全体が欠けているものこそ欠けてはならないという<信>へ

三日間?仮にそうだとしても、爆撃だけして何百万人の難民を受け入れないということは国際的にすまされないことですが、こういう現実感覚すら微塵もなさそうですね。屈辱的に、テレビはこういう右翼の高笑いであふれはじめたということですね。(テレビがないのではっきりわかりませんが) 右翼と言うか、テレビ教という狂信的信者の物言いかな?


憲法問題についておもうことは、原発問題と同様に、徹底的に国際問題化しないと、日本人だけで取り組んでも限界があることはたしかになってきました。幸い今回のことは、海外メディアが大きな関心を寄せています。なかでも、注目される「ニューヨーク・タイムズ」の社説が、安倍内閣による憲法破壊は事実上クーデターに該当すると問題提起し、(内乱罪?を構成するから)、最高裁に訴えろと積極的に言っています。だから、これから運動を担う若い人々には、'安倍内乱罪内閣'のキャッチフレーズがいいかと。従来の'守れ'を儀式的に合唱する憲法を盾にした意志表示オンリーでは、解釈改憲的な敗北を繰り返す確率が大きいことも覚悟しなければなりません。実際に内閣支持率も顕著に下がることも起きず、むしろ安定した長期政権化という絶望的状況にあって、ただ救いなのは、この安倍のクーデターによって、アメリカの知識人たちが、(戦後事実上米国が与えた) 憲法をふたたび読んだということがありますね。アメリカにも9条が必要と言う人も。今後米国は財政上の理由から、世界中に展開している米軍の撤退に着手しなければならないわけですが、例えばオリバー・ストーン監督のように、平和憲法について発言するときに、なにか財政面での軍縮を進めていかなくてはならない自分たち(アメリカ)の責任にリアルに重ねている可能性もあります。海に投げた憲法の手紙のはいった瓶が、七〇年かけて、やっと現在のアメリカ人のもとに届いた、とみることも!なににしても、平和憲法を利用した市民の抵抗の運動はこれからが真価が問われますね



伊藤(博文)公の憲法義解には「君主の徳は臣民を統治するに在つて一人一家に享奉するの私事にあらざる事を示されたり、是れ即ち憲法の依て以て基礎をなす所以なり」とありますのも、同じ趣旨を示して居るのであり統治が決して 天皇の御一身の為に存するカではない事を示して居るのであります。弁明
所謂機関説を否定いたしまして、統治権は天皇御一身に属する権利であるとしますならば、それに賦課せられまする租税は国税ではなく、天皇の御一身に属する収入とならなければなりませぬし、天皇の締結し給ふ条約は国際条約ではなくして、天皇御一身としての契約とならねばならぬのであります。
美濃部達吉 「弁明」

ベケットBECKETT は、アイルランド出身の作家。小説はわざわざ、まず外国語の仏語で書いたあとに英訳した。異常といえば異常。そして、なぜ、このベケットは、戦中は中立を保っていたアイルランドにいた方が生きる確率が高かったのに、ナチスがいたフランスに残ったのか?母国のアイルランドにいては、<信じる>という必要がなかったのではないか。つまり、ファシズムが間違いであると<信じる>ことがなければ<考える>こともそもそも成り立たなくなる。それがフランスだったのだ。たとえば、未来に人間のもとにゴトーという真理が来ると信じるのは、無意味である。モダニズムの精神においては、考えるために、徹底してなにもかも否定されるべきである。とはいえ、信じることまで否定してしまうと、考えることそのものが成り立たなくなってくるのではないか。だからベケットは、考えるために信じなければならないことを書いたと思う。これがアイルランド流のベケット理解である (たまたま、キートンの映画をやっていたベルファーストの映画館で隣に座っていたのが、ベケットの自伝作家JAMES KNOWLSON )


<選ぶ>民主主義は、「人を殺すな」という原則を<話し合う>民主主義には関心がありません。「殺されるときはどうする」という安全マニュアルを示した方が選ばれるからです。集団的自衛権と、(それの抑制と主張されたはずの) 国連的集団安全保障の間にはそれほど隔たりがない。だから安倍内閣は閣議で、後者の可能性に含みをもたせた形で、事実上この二つを一束にして決議できたのです。<話す>民主主義を終わらせるために、とは考えられませんか?<話す>民主主義がSOS!



用意周到に、戦争の経済効果が計算され始めている ? この国の妄想に委ねていたらその計算もW杯での日本優勝を予測した程度の根拠薄弱に違いない。今から敗戦後を少しづつ考えておいた方が現実的だ。押しつけ憲法と再びいわせないためにも、戦中に、敗戦後の新憲法草案を海外に伝えておくのが確実だ

戦争の経済効果を計算され始めている?この国のパラノイアに委ねていたらその計算もW杯での日本優勝を予測した程度の根拠薄弱に違いない。今から敗戦後のことを少しづつ考えておいた方が現実的だ。押しつけ憲法と再びいわせないためにも、戦中に、敗戦後の新憲法草案を海外に伝えておくのが確実だろう

L'objet fait irruption au sein de l'équilibre structural à la façon d'une machine infernale, la machine désirante. ( Deleuze & Guattari )

ラカンは反対に、神経症さえ分裂症化して、精神分析の領野をくつがえすことができる分裂症の流れを解放したのである。ラカンのいう<対象a>は、地獄の機械[仕掛け爆弾]として構造論的な平衡の只中に侵入する。それは、欲望機械なのである。




「 安倍首相から財界要人まで」「安倍晋三の参禅以来、禅寺に関心が集まっている」「心をリセット」「中曽根元首相が参弾」。なぜ毛沢東主義の保守的言説は上流階級的の反近代、反民主を権威的に称えるのだろうか。保守同志ということか?中国共産党のイデオローグの反民主的言説にすら夢をみるまでに

寸劇; 鏡のまえで美しい日本との対話

安倍「国民の皆様、閣議決定はご心配をかけましたが、なおこの私を支持していただきました」
鏡「いいね」
安倍「そのお礼と申し上げては恐縮ですが」
鏡「いいね」
安倍晋三「軍事費は福祉名目の10%消費税で。どうかご安心を」
鏡「い(た)いね!」



寸劇; 美しい日本の皆様へ
安倍「閣議決定は心配をかけましたが、なおこの晋三を支持していただきました」
いいね「いいね!」
安倍「そのお礼と申し上げては恐縮ですが」
いいね「いいね!」
安倍晋三「軍事費は福祉名目の10%の消費税で頂戴しますからご安心を」
いいね「い(た)いね」

寸劇; 美しい日本の皆様へ

安倍「閣議決定は心配をかけましたが、なおこの晋三を支持していただきました」
いいね「いいね!」
安倍「そのお礼と申し上げては恐縮ですが」
いいね「いいね!いいね!」
安倍晋三「膨張する軍事費は福祉名目の10%の消費税で頂戴しますから、ご安心を」
いいね「.....」

美しい日本の皆様へ。閣議決定はご心配をかけましたが、ひきつづきこの私を支持していただき感謝申し上げます。一層の責任感を感じます。そのお礼と申し上げては恐縮ですが、10%の消費税を差しあげる所存です。膨大に膨らむ軍事費は福祉名目で頂戴する予定なのでどうかご安心くださいませ
安倍晋三

アイリッシュ・フィルムセンター(IFC)というEU基金の映画館は、元々歴史的に由緒あるクエーカー教徒の集会所でした。大きな工事をしても集会所の痕跡が消されることがないんですね。当時常連のジョンきていて、少ない運営予算のなかで、IFCが、この車いすの観客のアクセスを確保するという理想をもって、数年間工事しました。これはすごいことだとおもいました。さて博識なジョンのまえで、(日本の高校生ならば学んで知っている程度の) 憲法の話題を喋ったら、(不戦の誓いとか前文に書いてある理由ですね)、お前はヒューマニストといいます。あちらでは大変な時間をかけて学んで、ヒューマニズムの言説ールネッサンスから20世紀まで五百年の知を網羅するー 習得します。戦争に負けたこちらは、<戦わない国家><祀らない国家>という願いをともなって、ヒューマニズムの知を体系性をもって保存した憲法という大きな知を授かりました。それなのに、このままでは、安倍の体制のもとで、戦後の日本人の知性を養ってきた憲法すらもその本質的な痕跡が消し去られようとしています。しかしこのままで本当にいいのでしょうか?

Why was the suicide by fire as protest downplayed by the media? They have substituted consumer comforts for any rebellion since Fukushima !

Abe P.M. wants fight against China. And he has anaspiration military intervention following America invading the Middle East. , and is strong pro-nuclear power station because he may secretly drive nucleae arms development against the international law. The public opinion takes his part. But we worry about his measures to deal with the media. Why was our protest downplayed by the media ? Because they(the media) have substituted consumer comforts for any rebellion since Fukushima. Abe and the media fear civic rebellion growing


ハンガーストライキとは、北アイルランド独立を求めて英国へ服従を拒んだ行為だった。ピークのときは、抗議者たちは監獄の中で囚人服を脱いで裸となった。別に咎められる悪いことをしていないのになぜ監獄に入れられるのかを世に問うためであった。当時北アイルランドにおいて大きな政治的反響を呼んだ、このハンガーストライキは、(経済成長路線に転嫁した) 南アイルランドのテレビが取り上げることが少なかったといわれる。それは、現在日本のマスコミが抗議の焼身自殺を無視した事情とそれほど違うだろうか?一考に値しよう。憲法よりもアベノミックス? マスコミが絡みとられた商業的消費は、不服従の不服従を消費し続けていることだけはたしかだ。それにしても北アイルランドの場合、抗議者は抗議の意志を示すのに囚人服を捨て去ったが、こちらでは抗議者は頭が変だといわれて黙殺されないためにきちんと正装しなればならなかったとも噂されている。しかしかりに正装したとしても、あのとき、もし国際報道が取り上げてくれなければ....いったいなんて国なんだろう!?

スイスとは、喩えると、諸隣国と連続にある山々だらけの島国。だからこそ、周辺諸国の関係悪化を憂うのが、やはりスイス。(Fb友人の写真家島田氏が言うには、) 周辺諸国との関係が悪化しないようにするのが、防衛、自衛の最初の手段、に違いありません。このスイスとアイルランドの共通点といえば、アンチ大国の立場。それが国の独立を保障する形なのですね。だからこの両国ともNATOは加盟していません。ダブリン時代に、好戦的な大国批判の言葉をスイス人の友人からききましたが、遠くにある、こういう中立国の人々から日本も厳しく監視されていた事実を知り私は愕然としたものです。あれから十数年後の現在、恥ずかしさで一杯です


Séxism is the poster recruiting personnel for the army.

No Orientalist text is complete without a ritual infatuation on the part of the narrator with some mysterious woman of the native tribe. An infatuation often experienced by the wayward son who is sent to an outpost because he can find no suitable job or partner at home. (The recession is making it impossible for young Japanese to find a job .) The woman, like the colony (Japan's dependency on America) , is a mystery to be penetrated.

...Le monde des fantasmes est celui que nous n'avons pas achevé de conquérir. C'est un monde du passé, non pas de l'avenir. Aller de l'avant en se cramponnant au passé, c'est traîner avec soi les boules du forçat >(Henry Miller). Le vivant voyant, c'est Spinoza sous l'habt du révolutionnaire napolitain. - Deleuze&Guattari L'ANTI-OEDIPE

幻想の世界とは、われわれが征服しえなかった世界である。それは過去の世界であり、未来の世界ではない。過去にしがみついたまま前進すること、それは囚人の足枷を引きずって歩くことである。」いきた見者、それはナポリの革命家の衣装を着たスピノザである。

教育の知的多様性とファシズム的単一的全体主義、この両者は両立しないようにみえる。また軍国主義と全体主義は同じ方向に動くともいわれてきた。しかし教育の高い 44%が安倍を支持したのだ (朝日新聞)。前回よりも1%すら上昇しているという。これはなにを意味するか?たしかに教育が高いから、安倍の軍国主義にも反民主主義にも共感をもっていないし、その経済政策の成果も評価することは起きない。つまりこれが二十一世紀の教育と両立する全体主義の形なのだ。この息苦しさには限度がない。おそらく、全体主義を再定義しなければならない時がきているのだろう


The mathematical principle of assimilation

MINIMUM. MAXIMUM ( cynicism, fantasy) = EXPLOITATION

note;;capitalism sympathy draggly rooted in Hollywood fantasy provides a strong constraint on human subjectivity.


辻邦生
僕はひとり、船のキャビンのように狭く細長いこの部屋で、この惨たんたる原稿の山と戦うのだ。しかし、今ようやく、それが、僕を孤独にし、孤立させ、特殊なものにするのと同じように、僕の仕事をも困難にし、特殊なものにしてくれるのを知っている。

サルトルは、否定的な欠如から問い始めた。そして人間において何か欠けたものこそが欠けてはならないというふに考えた。この欠如の観念と所有の観念は矛盾する。だから(持つという属性に還元されない)存在の意義が導かれた。が、サルトルは、この問いをたてたとき言葉に依ったことは十分に考えられているだろうか


当時の良識はヒューマニズム的合理的功利主義だったんですけど、ナチスは良識そのものを無意味とみなしました。だから自分たちのあるべき功利主義などを喋ろうとは決して思わなかった。ところが安倍と信者たちは、憲法を無意味としていることには変わらないが、基礎知識も欠けた、堂々とでたらめの憲法論を喋りたがるのをみるとき、幼稚な幼稚性が自己主張しているだけじゃないかと不信に思います。この者たちの戦争ごっこによって、海外で多くの人命が危険にさらされることになってしまった事態に憤りを覚えます.
ネットのおかげで、もしネットがなかったら出会えなかっただろう素晴らしい人々とつなげてくれます。が、同時に、ネットがなかったら出会うことが絶対になかった最悪のうんちがやってきます (笑)



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ALSO SPRACH OWLCAT ふくろうねこ、かく語り き  2014年 7月 後半 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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