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<<   作成日時 : 2014/10/20 01:39   >>

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「心」イコール「仁」と解してよいのか?朱子的には「性」と「情」を結合したものが「心」。仁斎は「性」を否定する。「仁」への向きをもった「心」のあり方を問題にしたから。両者は連星の如く距離があるか、カント的な意味で緩やかに結びつく。不一致だからこそ、感じる心の、他者へと向かう旅がある

近代の超克について

東京国際映画祭のいかにも自民党的なPRがいうようには「日本」そのものが称えられたのではありません。そんな話は一度もきいたことがありません。唯一の映画は存在しません。だから、多様性の方向に向かって、<日本的>映画を表現した監督たちの仕事が、フランスとアメリカの映画人によって、高く評価されたのです。ところで、思想界において、これらの溝口・小津・黒沢・大島に対応するのが、<日本的>近代を考えた福沢・清沢・和辻・時枝・竹内・三木・丸山・吉本・小田等の思想家だったのではないでしょうか。肝心なことは、この<日本的>近代に留まらず、更にこれを超えていくことです。現在この仕事はポスト構造主義の柄谷と子安が行っています。実は中国は中国で、現在の思想的な位置を定める為に(西欧モデルと異なる)'中国的近代'というものを、アジア研究の日本知識人の協力を得て理論化しています。アメリカの研究者たちが中心になって発展させたポストコロニアリズム研究に依拠した文化理論のことですね。現実の政治に無視できない影響を与えています。なににであれ、現在アジアの最大の関心は、近代の超克といっても過言ではないでしょう。ここを舞台に、思想のバトルが繰り広げられようとしていることをぜひ、知っておいてください。



☻子安的なグローバルデモクラシーは、

✔<精神の市民社会>(マルクス的に、ラディカルであるとは、事柄を根本において把握することである。だが、人間にとっての根本は、人間自身である)、
✔<語る民主主義> (小田実的に、小さな人間が大きな人間をただすこと)、
✔<脱民衆史> (国家に囲まれただけの人々に、あたかも果たせなかった真の近代を実現できるとするユートピアの主体性を読みださないこと)


それにたいして ☹柄谷的な「帝国」デモクラシーは、

✔<交換の市民社会> (なんでもかんでも交換が支配するとみなす視点)、
✔<選ぶ民主主義> ('学生と貧困層は帝国の「民主」に干渉するな')、
✔<民衆史> (民族の語彙で国家に囲まれた人々をユートピア化・実体化する言説。過大評価と過小評価の間を揺れるが、近代が自らの'優越性'を正当化するために対抗的に捏造した'劣等性'の言説)


帝国デモクラシー vs.グローバルデモクラシー

柄谷行人は、グローバル資本主義の問題を考える上で、民族と国家の問題を知るべきだという。「資本論」の限界はなにであったか?それは資本の問題だけを論じていて、民族と国家の関係を捉えていなかった点にあると見抜いた。しかしそこから柄谷は、青年マルクスの民族と国家の関係を論じたテクスト(例、「経哲草稿」)に向うことはない。ここで柄谷は唯一のテクストとして「資本論」に依るとはっきりいう。この「資本論」に明白な記述がなくとも、文と文の余白から、民族と国家についての記述を読み出すことができたとすら彼は言い切るのだ。「資本論」を前にすると、日本知識人たちはなにか絶対的な存在の前に出たというようになるが、柄谷もそうである。しかし21世紀グローバル資本主義の問題を有効に解決できなかったテクスト(「資本論」)の問題を解決するために、再びそのテクストに委ねていくことはいかにして可能なのだろうか?テクストに書かれていないことは書かれていないのである。書かれていないときに書かれているとするのはなぜか?つまりそれは、書かれていない...ことと書かれていることを同一化しているからだ。あるいは、同一化の無意味さを隠蔽するような言説が機能しているではないか。
さて柄谷のこのような<唯一のテクスト>の問題は、<唯一の空間>を構成する言説の問題に顕著にあらわれてくることはけっして見逃すことはできない。柄谷は、「天命=民意」なければ分割なし、つまり自由民主主義的な体制はゆるされない、と主張する。この言葉は、国家の中の国家をみとめることはできぬという19世紀的国家主義の言葉でないとしたら、グローバル資本主義を解決するためにオキュパイ運動のようなグローバルデモクラシーがあらわれてきたことを理解できていない思想家の言葉である。それは帝国デモクラシーとよぶべき危険な言説を構成しはじめている。柄谷が擁護する<唯一の空間>こそは、グローバル資本主義を推進してきた、したがってグローバルデモクラシーを抑圧してきた構造なのである。そしてこの<唯一の空間>の問題を解決するためには、再びこの<唯一の空間>に委ねていくことは不可能だし倫理的にも許されないと私はかんがえる。だから柄谷に問おう。すなわち、デモクラシ一は存在していないときに存在していないのである。デモクラシ一は存在していないときに存在しているとするのはなぜなのか?言い換えれば、デモクラシ一は存在していないときに、「天命=民意」として存在しているとするのはなぜなのか?柄谷は<唯一のテクスト>のときと同じ幻想に絡み取られていることが容易にみてとれる。つまりそれは、柄谷において、存在していないことと、存在していることが同一化されているからだ。あるいは、繰り返しを恐れずにいうならば、同一化することの無意味さを隠蔽しているという言説のあり方が思想史においてわれわれが取り組むべき問題となってきたのである。


もし

仁斎と徂徠が生きていたら、香港の学生デモのなかに彼らの姿をきっと見るでしょう。学生を前に、「天地」の間を運動せよと言うのは仁斎、「公」の正義をつくれというのは徂徠です。(それにしても学生たちは本当に頑張るよな、ここまでやれるとは!) ところがこれに対して、「帝国」知識人たちは家に帰れと学生に説得しているようですね。テレビの前で頭をたれよ、さもなくば、朱子が報道キャスターをつとめる「帝国」の統一放送を見逃すぞ、と、鞭をうちます。黙っていさえすれば、メイドインチャイナのグローバル資本主義と消費社会が諸君の幸福をもたらしてくれるのだからとばかり。もうニュースがはじまっているようですから、では解説の言葉をきいてみましょう。皆さんの判断に委ねたいと思います。
「中国に必要なのは、近代資本主義に固有の自由民主主義を実現することではなく、むしろ『帝国』を再構築することです。もし中国に自由民主主義的な体制ができるなら、少数民族が独立するだけでなく、漢族も地域的な諸勢力に分解されてしまうでしょう。いかに民主主義的であろうと、そのような事態を招くような政権は民意に支持されない。つまり、天命=民意にもとづく正当性を持ち得ない。ゆえに長続きしないでしょう」(柄谷行人『帝国の構造』)



語る民主主義は自らをいかに
選ぶ民主主義から差異化していくか

民主主義は、万歳する選ぶ民主主義しかないのでしょうか?選ぶ民主主義だけではついに、選ぶことすら無意味になるところまできたのではないでしょうか。
原発が約束した'豊かさ'は何であったのか、そもそも戦後から日本人が追求してきた'豊かさ'が人々にとって一体何を意味したのかについて批判的に根本から語る民主主義がなければ、安心して帰るような土地は存在しないし、信頼できる国などは永遠にやってくることはないのではないしょうか。語る民主主義は自らをいかに選ぶ民主主義から差異化していくか、この語る民主主義こそは、ほかならない、グローバル資本主義の原点を構成するものではないでしょうか?オキュパイ運動以降は、台湾、香港でも、日本においてもどこでも


方法としての復古

荻生徂徠によると、物と名の分離とは名だけが一人歩きすることをいいます。たとえば、時間を経て、「仁」がどういうものと対応していたのかわからなくなってくる。名にたいして儒家は恣意的な解釈をあたえてきた。が、先王の時代においては物と名は一致していたのだ、と。古文辞学がいう復古ー方法としての復古ーとは、物と名の一致をいうのです。これが方法としての復古であることを理解するならば、徂徠と徂徠的マルクスがいかに凄いかがわかります。ヘーゲルは市民社会が何かを問うたときブルジョア市民法の抽象的人格性を指さしたが、マルクスは階級とは何に対応していたものか分からなくなったという身振りで、その内部的普遍性を批判し人間の社会的総体への視点をもったのです。つまり市民社会がプロレタリアートの名でした。この場合、歴史的社会的に存在するもの、プロレタリアートというものはまず、マルクスが見るまえに弁証法としての物質的思考としてあらわれました。思考のあとに、1870年パリコミューンを見たのです。そしてここから21世紀のグローバルデモクラシーの未来を思い出してくるのではなかったでしょうか。21世紀のグローバリズムが19世紀に非常に類似していることが指摘されていますが、ほんとうにそうならば、21世紀に、19世紀にマルクスがかんがえたグローバル・デモクラシーをなんとか上手い具合に参照していくことが一つの目標。


徂徠によると、物と名の分離とは名だけが一人歩きすることをいう。たとえば、時間を経て、「仁」がどういうものと対応していたのかわからなくなってくる。名にたいして儒家は恣意的な解釈をあたえてきた。が、先王の時代においては物と名は一致していた。徂徠の復古とは物と名の一致をいう。(論語塾)

子安「徂徠学講義ー弁名を読む」
徂徠が常にいう「先王の道は礼楽のみ」は、伝統儒家における「孔子の道は仁義のみ」に対置される。後者のテーマが心性論的な道徳的言語を導くとすれば、前者のテーゼは身体論的、社会論的な制作的言語を導くだろう。「先王の道は礼楽のみ」というテーゼの成立とともに、文化的、社会的存在としての人間への視点と、その社会的形成のあり方を記述する言語を人は獲得することになるのである。先王と礼楽の概念とともに徂徠学を構成する外部的な視座をなすのは六経である。六経とは何かについてすでに述べたが、徂徠学において六経は、伝統儒学が孔子の教えという道徳論的体系をそこから導き出す経書、すなわち四書に対置される。「論語・孟子・大学・中庸」の四書が孔子による「仁義礼智」という言語的理念性をもった教えの原典であるのに対して、「詩・書・礼・楽・易・春秋」の六経とは、先王の「礼楽刑政」という事物的具体性をもった教えの原典である。こうして先王と礼楽と六経とは、孔子と仁義と四書に対置されて、徂徠学を外部的な制作の学として構成する方法的な視座をなすのである。
先王と礼楽と、そして六経という外部的視座をもって徂徠は、社会形成的存在としての人間への視座を獲得し、日本思想上に稀有な外部的な社会哲学的世界を構成していった。この徂徠学の外部的な視座は、すでに見たように、人間の内部的な心性論的言語からなる道徳論的体系としての既成儒教との批判的抗争を通じて徂徠に構成されたものである。この徂徠の外部的な視座とともに、はじめて人間は「群」すなわち共同体的を構成する集団的存在として見出されたのである。もちろん徂徠においてこの人間の社会的総体への視点は、為政者に己の知識の立場を同一化させることによって獲得されたものである。したがってこの社会的総体への視点は、政治的である。だがこの政治性を、徂徠学のイデオロギー性としてだけ解すべきではない。むしろ社会的総体への全体的視点がもつ本質的な政治性として解すべきだろう。それはヘーゲル哲学における全体性への視点がもつ政治性と同様である。

なにを知るのか?

冤罪を知ることは、国家が行った犯罪を問うこと。が、「大逆事件」の再審請求は1961年に起こされても、最高裁が再審請求棄却をしたために「大逆罪」による死刑判決は今もまだ法的には有効、無傷です。つまり大審院判決は今も生きているということなのです。だから、国家は自己の犯罪を謝罪も反省もしないし、補償すらしないのです。なにを知るのか?日本社会にもたらしたもの、日本人の心のなかに大逆事件がもたらした傷を知ることではないでしょうか
「大逆罪」というウソの物語は、捏造、歪曲、こじつけ、すり替え、隠蔽の組み合わせでした。国家の狙いは、処刑によって、全体の状況で恐怖を与えて沈黙をさせるという大きな狙いがありました。1912年から起きた沈黙は、死刑の恐怖と一体となった2014年の秘密保護法のもとで繰り返されることはあり得ないのでしょうか?


以下、田中伸尚氏の<講演> 自由と抵抗をめぐって ー「大逆事件」と現在

この事件は「幸徳事件」といわれ、幸徳秋水をつぶすための事件であったと言われていますし、それはほぼ間違いないと思いますが、幸徳秋水だけが処刑されたわけではなく、ほかにも11人の人が命を奪われました。
検事の平沼が法廷で証言していますが、この犯罪は、「動機は信念」にあるのだ、と。つまり思想を裁くということです。その思想とは何かというと、無政府主義であり社会主義である
「幸徳は関係ないはずはない」。あるいは「彼は首魁に違いない」また「全然証拠はないけれども、とにかく捕まえて話を聞こう」と。小山は1920年代の終わりから30年代にかけて、思想検事を対象にした会合で「大逆事件」捜査の手柄話として、逮捕していった話を得意気に紹介しています。そういう予断と偏見でま、まず中心的な人物を捕らえていく。中心的な人物というのは、アナキストであったり、それに近い人たちです。捕まえて拘留し、検事から予審判事ー予審という制度は今はありませんが、実質的には起訴を前提にして取り調べを担当する判事ーが調べて、聴取書と予審調書ができるのですが、検事の取り調べを土台に、予審判事が取り調べ、明治天皇を暗殺するために、さまざまな計画、予備陰謀があったという架空のウソの物語がつくられていく。逮捕して、いろんな話を聞きながら「こうだろう、ああだろう」ということでストーリーをつくっていく。最終的にアナキズムと社会主義を根絶してしまうための物語をつくっていく。大きな物語を書いたのは、おそらく山縣、桂らで、司法省の事実上のトップの平沼がそれを実行した。

非戦の思想というのは、当時の社会主義の中心的な思想でした。堺利彦は後に、日本の社会主義は非戦という思想を栄養剤にして大きくなっていったと言っていますが、それは間違いではないだろうと思います。明治末期の日本は、軍国化と、アジアに植民地を獲得して帝国化するという二つの車輪で強国に伸し上がっていった。その中で「戦争を禁絶する」、つまり非戦を主張した。国家の専権事項である戦争を認めない、それが当時の平民社の社会主義でした。今から見ても、実に先進的な思想です。この思想は、その後、長く日本社会を支配していくことになる天皇中心の国家を相対化する射程を持っていました。非戦主義というのは、そこにまで射程が伸びる。それは天皇制国家を揺るがしかねない。国家の側からみれば、危険な思想だったわけです。


ユダヤ人とわたし

私は三歳から七歳まで4年間オーストラリアにいました。帰国後の三年後に英語は完全に消滅しました。日本語に入れかわったのですね。さて当時のオーストラリアは日本人が500人足らずでしたから圧倒的少数派。まだ白豪主義の影響でパブリックスクール時代の友達全員が白人でしたから、奇妙な話ですが、夢の中でも英語をしゃっべていた自身をどうも彼らとおなじ白人と思っていたようなのですね。この幻想がぐらつくのは、きまって誕生パーティーのときです。友達に呼ばれてもその親たちに追い出されることが続きました。友達が泣きながらいいます。「takashi、わるいけどもうかえってくれ」「なぜ?」「親が悪魔の子供だというんだ」「・・・?」。つまり親の世代が戦争の記憶が残っていましたからまだ反日感情をもっていました。私は子供でしたからそのことがわかりません。非常に気持ち悪い思いで家路につきました。このことは、いくら両親にきいても説明できません。日本人の親ですから「そんなこどもとは遊ぶのはやめなさい!」と叱る始末です。そういうときに同情してくれ私の親に抗議してきたのは、ユダヤ人の大家でした。彼女の家に連れてくれました。と、誕生パーティーの話にずっと涙を流します。わたしはなぜ泣くのかわからなかったのですが。かの女のアドバイスはいつもこういうものでした。「わたしはタイプライターのおかげで自立した。いまからあなたもタイプライターをしなさい」と。これは大変当惑でした。が、あの言葉がなにを意味したのかいまやっとわかってきました。財産のある裕福な大家はユダヤ人であるゆえに非常に孤独だったということ、私の境遇にその自分の立場を重ねて同情していたこと、です。ユダヤ人達の同化していく苦労のことは、大人になってロンドンにおいて目撃することになります。最後に、ふたたび、奇妙な白人としてのアイデンティティーのことですが、帰国のとき隣家の大工の息子がアボリジニー(オーストラリア先住民) の写真集をくれました。この白人アイデンティティー大きく揺れました。<信じられない、罪深くも、わたしたち白人がこのひとたちを砂漠に立ち退かせたのか!?>、と、英語のなかでこの問いをつぶやきました。


英語

アイリッシュがアイリッシュである所以は、発明品Audio protester against the war という彼一流のアイロニーにありました。笑いながらどんな厳格なコントロールも穴をあけるぞというrebellious spirit 。隙間をつくるのですね。これについては、porousという言葉があります。アイルランド時代、わたしはジャパニッシュのダブリンアクセントの酷い英語でした。しかし大陸に行くと、これが「(この異様な音は)文学者ジョイスが喋っていた英語にちがいない」と尊敬されるということがたまに起きました(笑)。イギリスに移ったときは大抵軽蔑されましたが、ユダヤ人だけには受けたのは、おそらく、(ダブリンで進化した)イデッシュ語とおもわれていたかもしれません(冗談)。ただ、七十年代のリーズ大学でショインカと学んだ、ナイジェリア人の友人が私の英語に身震いしたのは、アイルランドからかれの故郷に布教にきていたカトリックの神父が喋る英語とおなじだったからそうです。ありゃ(汗)



アイリッシュがアイリッシュである所以は、発明品Audio protester against the war という彼一流のアイロニーでした。笑いながらどんなコントロールも穴をあけるぞというrebellious spirit 。隙間をつくるのです。porousという言葉があります


柄谷行人「中国に必要なのは、近代資本主義に固有の自由民主主義を実現することではなく、むしろ『帝国』を再構築することです。もし中国に自由民主主義的な体制ができるなら、少数民族が独立するだけでなく、漢族も地域的な諸勢力に分解されてしまうでしょう。いかに民主主義的であろうと、そのような事態を招くような政権は民意に支持されない。つまり、天命=民意にもとづく正当性を持ち得ない。ゆえに長続きしないでしょう」(『帝国の構造』、171頁)」
香港は柄谷のいう「帝国」の構造の項である。柄谷がいう「天命」とは、党=国家、更にはその党の権力を極度に集中し、党を代行している支配者「個人」によって行使されることを意味する。この日本知識人は、一党独裁の下で抑圧されている香港のデモクラシーを、「天命」の虚説によって正当化している!




ダブリンの中国人が教えてくれました。「家」の文字は、豚(家畜)の上に屋根がある状態を表している、偉大ではないかと。なるほど、漢字の起源は本当に面白いですね。だが、ひとつ、書く行為を家を作る目的に同一化する「作家」の語は失敗ではなかったでしょうか。だって見てください!言葉は家ではありません。宜しい、家だとしましょう。家にしては屋根はなく、床も壁も柱もないですね。書くとき、そんな不完全な家を作りつづける目的を本当は知らないものです。しかしもし、もしも、知っている豚に街かどで出会ったとしら....ギネスビール三杯おごってあげてください。正気に目覚めるでしょう。



Et il a choisi l'infime dedans.
Là où il n'y a qu'à presser
le rat,
la langue,
l'anus
ou le gland.
Et dieu, dieu lui-même a pressé le mouvement.


そして彼は細々とした内部を進んだ。
そこでは鼠や、
舌や
肛門や、
亀頭を
しめつけるだけでいいのだ。
そして神が、神みずからが運動をおさえつけたのだ。

(Artaud__ 神の裁きと訣別するため)


21世紀精神とはなにか?

国家の事情で外の世界との多様な関わりを奪われて国家の中に囲い込まれてしまった少数派の人々にどんな「特権」があるのでしょうか?これについて、同化主義について疑いもしない日本知識人たちがはじめる言葉とは常にこういうものです。<諸君は何かを失ったからこそ「何か」を獲得できる>と。ここから、体制派は、<君は国家の中で主体性を獲得できよう>といい、<国家は間違わない、間違ってもそれは例外的なことなのだから、君の幸福のために大きな世界に同化せよ>と繰り返し諭してきました。他方、(国家に信を置かない) 反権力派の方は、<君は帝国の中で主体性を獲得できる>といい、<帝国は間違わない、間違ってもそれは例外的なことなのだから、君の幸福のために大きな世界に同化せよ>というのです。つまり思考の仕方において日本知識人の体制派と反権力派とがいかに互いに似ているかということです。とくに日本の反権力派については、世界の知識人と決定的に異なる点だが、かれらほど<国家を失ったからこそ、超越的に他と交換できない唯一のテクストを獲得できる>というような全体性の幻想に絡みとられてきた知識人はいないことを指摘しておきたいとおもいます。地球を画一化していくグローバル資本主義にたいして、21世紀精神は自らをいかにグローバル・デモクラシーとして創りだそうとしているのか理解しません。それどころかポストモダンのモダン化のような観念の反動に委ねさえし、近傍の小さな人々から起き始めた運動の広がりをそのまま見ようとはしないのです。



ドイツの哲学者ヘーゲル(1770〜1831年)が自身の初版本に当時の書評を抜粋して書き込んだ本が、都内の古書店で見つかったそうです。ところで福沢諭吉は1860年代にロンドンに行っています。大英帝国時代のロンドンですから、もし諭吉がぶらりと街の図書館に足を運んだら、そこで世界中の言語の本をみて圧倒されたにちがいないのです。記録に残っておらず証拠はないのですが、諭吉は、大英博物館か大学の図書館に行ったときに、あるいは帝国の充実した街の図書館に立ち寄ったとき、ヘーゲルの本 (英訳)を手に取って読んでいた可能性も。ヘーゲルのカント注釈とか、「法哲学」の世界史のアジアについての記述とか。これらの西欧形而上学の部分は、かれの朱子学とか徳川儒学の教養をフルに利用して読んだかもしれません。まだ国家はできていませんでした。もちろん靖国神社もありません。諭吉がロンドンに滞在したとき、かれの新しい国家建設のブループリントに、(読んでいたとしたら) ヘーゲルの本が影響を与えたことが間違いありませんので、かれの認識においては、憲法を超える権力を靖国神社に結びつけるというような立憲体制は不可能だったはず。つまり国家が後期水戸学派の国体概念にもとづくことはありえませんでした。それにしても、ヨーロッパにおいて五百年かけて発展していく近代の民主主義は、日本の場合、百年で達成しようとしてきました。おそらく中国の場合は、百年よりももっと短いこの二十年ぐらいの期間で民主主義を作り出そうと取り組んでいるようにみえます。人々はいかに大変な圧縮に直面しているか!?全体主義を民主主義といったり、逆に、民主主義を全体主義といったりと、まさに天と地がひっくり返るほどの正反対の価値観の衝突はこうした圧縮から説明ができるかもしれませんね。天安門事件を契機にアジアにおいて本格的にはじまったと察します。現在ほとんど報じられませんが、香港と台湾の学生たちは、なんでもかんでもカネが支配するグローバリズム資本主義に抵抗しています。かれらのこのグローバリズムにたいするたたかいが、(日本では複数政党制と土地の個人所有権がみとめられている点をのぞけば、他の点は同じであるとみえなくもない!)中国共産党の権威体制にたいして、言論の自由を中心にどれだけの異議申し立てをつきつけることが可能か大変注目しています。




追記

福沢諭吉のイギリスを称えた言葉全部にしたがうと、男性原理である大英帝国のアイルランド植民地化を容認しなくてはならなくなります。しかしこのような容認は不可能です。私はアイルランドに8年間いましたから。現在の靖国的全体主義を批判していくために下に書いたのは、後期水戸学派の国体概念排した福沢の思想にどんな外からの感化があったかと考えてみる推測です。具体的にはヘーゲルの本。ヘーゲルの名は、ロマン主義的なあの息苦しい肖像画とともに、例えば歴史の終焉をいったフクヤマが依ったような右翼的な言説に結びつけられて登場しますね。(ちなみに一高時代の父の同級生であった、今年他界した叔父などは、宮沢の時代の丸山ゼミでヘーゲル「法哲学」の原書を読んだことが生涯の自慢話したが、痛いことに、明治天皇と靖国を称えていました。丸山真男は戦時中、マルクス的に書くことができず、軍国主義の検閲を逃れるためにヘーゲル的に書きましたが、段々と自らマルクスを検閲する右翼的な書き方になっていったという意見もありますね)。ヘーゲルからは右派と左派が出ました。マルクスは後者でした。かれが「法哲学」の序文を書いたのは、かれの市民社会の可能性についての思考をラデイカルに発展させていくために絶対欠かせない仕事だったからです。そういう意味で、国体概念を批判した福沢はヘーゲル左派である、と、ここで書いてしまってはやり過ぎ、大きな間違いか?しかし一考の価値はあるでしょう。最初にもどると、実はアイルランドとイギリスの関係は日本人(福沢も含めて)には捉えられないぐらい複雑な歴史ですが、だからといって、アイルランドを犠牲にした大英帝国の近代を称えた言説が許されていいわけではありません。が、福沢にかんしては、現在の大きな敵(国体概念を復活させようとする安倍の全体主義を前にして、人民戦線的に団結できる思想家のひとりです。最後に、(嗚呼、名前もおぼえていない) 祖父はかれがはじめた学校の初期の学童だったらしいのですけど、国のために知性を働かした憎むべき官僚だった父と財界の叔父の位置よりは、(知性がないと侮られていましたが) この祖父の子供のときの視界を時々想像したりします。子供に帰れば、靖国的全体主義なき、<他>であったかもしれない、近代の可能性を読むこともけっして不可能ではありません。おそらく、忘れられてしまった、名も知らないものにたいする思い入れ、それゆえの希望かも。



<寸劇>

端っこでGERO「おまえが、'おまえ'というな!仲間じゃないか」
大特UNNKO「じゃ、なんてよんだらいいんだ、'あなた'か?」
沈黙。激しく見つめあう GEROと UNNKO
大特UNNKO「あ・な・た・・・」
端っこでGERO「おまえ・・・」


How does the 21st century write itself ?
- the portrait as global democracy
1, Projection
2, Translation
3, Sign


子安氏;
〈日比谷事件〉という〈民衆騒擾〉から始められた成田の『大正デモクラシー』は、〈満州事変〉をもって終えている[5]。〈大正デモクラシー〉は〈大衆〉の国家的・国民的統合法(普通選挙法公布・1925年)を反国家的少数の排除法(治安維持法公布・1925年)とともに成立させて、まさしく〈全体戦争〉をなしうる日本の帝国主義的国家体制を整えて終わるのである。私がこれからやろうとする「大正を読む」という思想史作業は、〈大正〉から早期的〈大衆社会〉の成立とその特質を読み出すことを課題とすることになる。だが〈大正〉を早期的〈大衆社会〉として見ることの意味とは何か。それが〈昭和〉の全体主義的国家と戦争とにもつ関係についてはすでにのべた。そしてそれが私の〈大正〉への関心をもっとも強く動機づけるものとなるだろう。


性愛とは数かぎりない性を産み出すことであり、そのような性はいずれも制御不可能な生成変化となる。性愛は、男性をとらえる女性への生成変化と、人間一般をとらえる動物への生成変化を経由する。つまり微粒子の放出である。[(中)p247-248]

昭和はなにを書くのか?

二十世紀にアイルランドは何を書くのでしょうか?最後のひとりまで誰にも読ませる言語に向かおうとすればするほど、益々誰も読めない本を書いていくというのは大変皮肉です。本の言語の構成は、翻訳において元の何語から翻訳すべきか決定不可能なほどアナーキーです。しかし斯くも、起源の言語とその中の過去の姿を消滅させる唯一このような本だけが、思い出されてくる未来を発明できるのではないでしょうか。ここで世界文学のジョイスの名をあげれば十分でしょう。(ベケットはジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」の仏訳を手伝ったひとりです)。さて昭和においても、敗戦を経て、他から捨てることを強制されたというよりは、生活の中で人々が自ら捨てていった過去を書いたのではなかったでしょうか。つまり戦後憲法は、象徴天皇制と政教分離の原則によって、靖国の(憲法外に存在するような)英霊が完全に消滅しきったとし、今後は憲法の言葉の中を住処とすると宣言したのです。このことが思い出されてくるとき、昭和は、たしかに21世紀において思い出されてくる未来の本を書いたことは間違いがないのです。






21世紀は自らをいかに書いていくのか ?
ーグローバル・デモクラシーとしての肖像画

はじめにー ゴダールはだれか?

ゴダールの五十年代。モノー家追放に​帰結した、混乱のパリ時代の後、ダンデイな青年となる。​ブルジョア両親の厳格なモラルと、時代の進歩的息吹、社会民主主義に背​を向けて無為に過ごした。前衛芸術と大衆芸術のコミュ二ケーター、都会的コスモポリタン、耽美主義的アナーキストの方へ歩み出す。
ゴダールの六十年代(前半)は、アンチ・社会民主主義、アンチ・ブルジョア的耽美主義者、アルジェリア戦争反対、である。映画に登場する逸脱者たちは、車泥棒、チンピラ、女好きの怠け者、ジゴロ、ダダ的発明家、娼婦、放浪的探偵、そして、物書きである(職業とはいえない、自分で決めた半失業者)。
ゴダールの六十年代(後半);政治映画において先行していた大島渚は、ゴダールの「中国女」への大転回に驚嘆した。毛沢東主義とフェミニズムの出発点、ジョイス文学からブレヒト演劇へ移行する映画モデルの変遷、芸術の自己定義からマスコミ的表象の批判への移動、ベトナム反戦、アンチ・ドゴール主義。
ゴダールの七十年代は、極左との集団制作、ジガ・ヴェルトフの時代。「プラウダ」、「東風」、「イタリアの闘争」、「パレスチナ映画」を制作して、ハリウッド映画を帝国主義として非難した。映画は、教条主義的に理解されたが、実際には、抽象的モンタージュを通して、内省的な思考の側面が現実化した
ゴダールの八十年代は、ウィットゲンシュタインの哲学的転回を喚起する、映画世界への復帰である。ミニマリズム的自主制作を発展させた時代、思考と言葉の映画が確立する時代だ。ゴダールは、新左翼的アナーキズムが転向したネオリベ的ポストモダニズムと一線を画して、モダニズム的な批評精神を貫いた。
ゴダールの九十年代は、歴史と自伝的記述の時代だ。考古学的方法に準じて、観客達が過去に見た映画を積分的に地層化することによって、二十世紀史と等価物の映画史を表現しようとした。未来を思い出すこと、ユートピアとしてのヨーロッパの再生の歴史を、自己のアイデンティティーの物語と重ね合わせた。
ゴダールの2000年代は、思想的自立性の時代といえる。それ故に、モンタージュの実験精神を編集した左翼的構築よりも、思考を紡ぎ出す日常言語の使用が重要となる。国家語に還元する右翼的幻想が拒まれて、多言語的な次元が優越することになった。ヨーロッパの外部に於ける映画制作が初めて実現した。


1、 投射

「ドキュマン」誌刊行によって、シューレアリズ運動の中心をなしたバタイユの影響圏に向かっていったのは、ほからなない、エイゼンシュタインであった。ローマ時代のコインの肖像、祭祀のマスク、演劇の仮面、動物の表情。「顔」に関する宇宙論的探求は、人間を中心とした従来のモンタージュ理論の「知」には収まらない、神秘主義のなにか他の惑星の異生物と交信している自動筆記的な方法であった。シューレアリズの哲学が、限りなく、(対極の側にあるとされる)「唯物論的弁証論」に接近していくのは、この哲学は方法を重んじる神秘主義的弁証法であることによってであろう。つまり、哲学自身がすべての内的矛盾を承認することが可能となる弁証法となるから。思想史は、なにを知るのか?世界の実在性と理念性が弁証法的に発展していくのを知るだけでなく、人間から出発するという間違いをおかしてもまた、母国語から出発するという間違いから出発しても同一的なものは存在しないことも知るのである。


人間が人間であるときに人間であるのはなぜなのか?
動物が動物であるときに動物であるのはなぜなのか?
人間が人間であるときに動物であるのはなぜなのか?

ひとが母国語で書いているとき母国語で書いているのはなぜなのか?
ひとが外国語で書いているとき外国語で書いているのはなぜなのか?
ひとが母国語で書いているとき外国語で書いているのはなぜなのか?


理性的なものこそ現実的であり、現実的なものこそ理性的である。アナーキスト系芸術家たちは理性的なものこそ現実的であるとかんがえた。それにたいして、神の「創造」を自負するブルジョアジーは、現実的なものこそ理性的であるとかんがえたのである。和解はなかった。アナーキスト系芸術家たちは、ブルジョアジーの所有する都市がなぜかくも疎外と形容されるほかのない抑圧なのか、と問うた。と同時に、国家の民族主義を表現した自国語中心主義がいかに戦争の原因を形成していくのかと告発した。知的ボヘミアンが依拠する真の芸術は、いかなる所有を排すること、またどの国のどの母国語にも属すべきではなかった。この点において、サイレント映画こそは、この過大ともいえるユートピア的使命を託された芸術のひとつであった。(民族言語を超える普遍言語の構築が、第二次大戦後のフランスのブルジョア出身の映画人たちに自覚されてくるものであるといわれる)。
その映画も、五十年代にあらゆる映画の試みが尽くされた、といわれる。今後は、映画は問いになる。映画とはなにか?映画は思考の形式とゴダールが呼ぶ投射の構造として再定義されていく。つまり映画は20世紀の精神を投射する思考の道具である。思考の抽象的スクリーンに投射された世界の構造について約束されることは、どんなにそのスクリーンが小さくともいわば近傍としての未定義の余白が存在しなくてはならなかったということである。ここに、かつてアナーキスト系芸術家たちが依拠しようとした理性的なものの場所ー批評の場所ーが復権したといえよう。

映画は書いているときに世界が書いているのはなぜか?
映画は編集するときに世界が編集しているのはなぜか?
世界は書いているときに映画が編集しているのはなぜか?
映画は話しているときに世界が話しているのはなぜか?
映画は読んでいるときに世界が読んでいるのはなぜか?
世界は読んでいるときに映画が話しているのはなぜか?
映画は終わっているときに終わり世界は始まるのはなぜか?
世界は終わってしまったときに映画が始まるのはなぜか?


無限に「他」の可能性をもった理性的なものは、知的ボヘミアンにおいて、空間的に構想された(ジョイス「ユリシーズ」の都市)。第二次大戦後は、これが時間的な構想に変容していく。20世紀精神は、ほかでもない、映画の歴史にある、と、ゴダールは見抜いたが、この映画の歴史は思考手段であるから思想史の様相を帯びることになるのは必然であった。諸言説の問題を時間的に思考するための、思想史としての映画史、である。
そして70年代の異議申し立てポストモダニズムが体制化していく90年代に、高度資本主義の内部において、映画と世界との間には区別がないほど互いに互いに溶け合ってきた。批評の世界では、映画に介入することは、それは世界に介入することと等価となってきたとすらいわだした。このとき、ゴダールによって、ブレッソンの言葉「物事のあらゆる面を見せようとはしないこと、未定義の余白を残しておくこと」が「映画史」の冒頭に置かれてくるのは、1990年代以降の現実世界にかかわる倫理的な問題を構成していたのである。ゴダールの、包摂されない未定義の余白たちは、この時期のゴダールを非難する芸術至上主義とは関係がない。寧ろそれらは、21世紀のグローバル・デモクラシーとしての理念的な肖像画が可能となるために必要とされた理念的且つ現実的な条件なのであった。


2、 翻訳

「映画史」は、「映画は私たちの眼差しを私たちの欲望にかなう世界に置き換える」という。これとともに、ブラショの「何ごとかが、至高性そのものがここに消え、ここに現れる」が意味するのは、なにか?つまりそれは、 <置き換え可能なもの/不可能なもの>が世界に消え、世界に現われる、ということにほかならない。たとえば、ポスト構造主義においては、精神分析を翻訳した哲学・文学の領域逆に、が、哲学・文学を翻訳した精神分析の領域、思考の対象となっていた(「ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オィデプス」)。これに対応して、「映画史」の20世紀は、映画的なものを翻訳する現実の領域を物語り、または現実的なものを翻訳する映画の領域を物語る。しかし決して単純ではない。なにかを失ったからこそ「なにか」を得ることができるといった、二項対立的のようには。なぜなら、
ゴダールによれば、世界から獲得できないときにも失うことができるから。
浅田彰が「映画史」の解説で、ジョイス「フィネガンズ・ウェイク」から書き始めたのは十分な理由があった。「映画史」とは、二十世紀が自らの肖像を書いた本。この本の言語の構成は、翻訳において元の何語から翻訳すべきか決定不可能なほどアナーキーであった。しかし斯くも、起源の言語とその中の過去の姿を消滅させる唯一このような本だけが、思い出されてくる未来を発明できよう。「映画史」は21世紀を書いた本であった。しかし結局、20世紀の始めを第一次世界大戦にとり、その終わりをイラク戦争にとるとすれば、20世紀の世界史の終焉とたたえられたほどの「民主主義」は、結局、国家と戦争のなかに囲い込まれただけの、「最悪の映画」であった。ここから獲得できるものがほんとうにあるのだろうか?せめて、獲得できないときでも、思考の外部性において、失うことができると信じたいのである。つまりわれわれはなにを失うことができるだろうのか?

3、 徴

世界は語るときに映画が沈黙していたのはなぜか?
世界に光があらわれるときに背後から映画の闇が覆うのはなぜなのか?
世界は沈黙しはじめたときに今度は映画が語るのはなぜなのか?

今日、権力はポストコロニアリズムの言説すら支配の言説として利用しはじめ、'われわれは誰か''どこから来たか'を教えるという fromの教説を絶えず展開してきている。このなかで、権力が政治的に正義を語ることならば、それに対して声なき人々は正義について語らない、つまり沈黙をまもるというのは、イデオロギーの虚説を失うという抵抗を構成してきた。と同時に、これと同等に他の可能性が存在する。つまり、権力が正義を語らなくなるときは、今度は沈黙を失うチャンスである。いいかえると、抵抗する人々に政治的に正義を語るチャンスがきたという可能性のことである。このとき、沈黙を利用した抵抗がただの<ゼロ>、ただ無意味なnothingの教条主義にならないために、われわれは思い出されてくる未来に依拠してわれわれ自身は誰なのか'を開かれた問いとして問う'in,into'の語りがうまれてくるべきなのだ。
バイオグラフィーは、八十年代の、ウィットゲンシュタインと比べられるゴダールの言語的転回に注目する。つまりゴダールの、言葉の方向に歩みだす詩人としてのアイデンティティーを強調する。つまりサイレント映画的なエクリチュールを書く、ということであった。これは一体何を意味するだろうか?民族語を超えた普遍言語である、サイレント映画的なエクリチュールは、詩人において、完全には消滅していなかった、と結論をあたえるべきか?それとも、パレスチナ映画からの復帰を契機に消滅させたうえで、過去のサイレント映画的なエクリチュールとの差異化を構成していったのだ、と、かんがえてみるべきだろうか。
『偽造旅券』Vrai-faux passeport は、2006年のポンピドゥー・センターでのゴダール展のための作品であった。ゴダールにおけるシュールレアリズム運動の映画的継承を強調した、このゴダール展('ユートピアの旅ー失われた公理を求めて')は、「世界の創造者」というブルジョァ的世界観を内部崩壊させた、アナキスト系芸術家の挑発的な展示となっていったことはよく知られる。例外的なこととして、ポンピドゥー・センターはゴダールの展示作品の買い上げを拒否したほどだ。ゴダールにおける、シュールレアリストとしての全体像ー但し至る所微分不可能な全体像の発見。とはいえ、ゴダールはシュールレアリズムのようにはそれほど神秘的な声を信じていなかったかもしれない。ただ事実の呼びかけに大きな信を置いてきたことだけはたしかである。時代の要請に応じて作品が変わっていったことは指摘される事実である。
21世紀の課題は、グローバル・デモクラシーの声なき声を可視化し言説化していくこと。この点について、「映画史」のゴダールがひく、ドニ・ド・ルージュモンの参照すべき言葉がある。「言葉が崩壊し、誰から誰かへの、その存在に関わる何かを賭した贈与ではなくなってしまえば、崩壊するのは人間的な友愛である。人々の不安とはそのことだ。もとよりそれは物質的なものではなく、何よりもまず、友愛の死から生まれる、心と精神の不安である。私は神秘的な声を信じていない。ただ事実の呼びかけに信を置いている。時代を注視し、われわれが生きる場所、われわれを取り巻く正確な状況、そしてそこが導き出した呼びかけを見極めよう。判断を下すのはそれからだ」 。こうした「呼びかけ」は、われわれは思い出されてくる未来に依拠してわれわれ自身は誰なのか'を開かれた問いとして問う'in,into'の語りの徴として、反時代的に、サイレント映画的なエクリチュールをとおしてしか表現されえなかったということが決定的に重要な点ではなかっただろうか。





問題提起; <フレーム>とゴダールが呼んだ建築術こそは<物で書かれたもの>(フーコ)の編集のこと

<フレーム>とゴダールが呼んだ建築術こそは、<物で書かれたもの>(フーコ)の編集のことである。<フレーム>と編集、この両者は、ゴダールにおいて、互いに切り離せない関係にある。愛結局ゴダールの最も重要な構想とは、「映画史」が、映画と世界全体の全体的な関係を語ると同時に模造であることを示すことだった。五十年代後半までに映画はあらゆる可能性を消尽した結果。もう新しい映画は存在しなくなる。ただ、方法としての映画、未来と救いなきエクリチュールしか存在しないのだ。ゴダール曰く、

"フレーミングはどれもみな生まれながらにして平等で自由である。映画はどれも、フレーミングの抑圧の物語にほかならない。君は、例えば、ベルイマンのフレームの除去においてであれ、フォードとロッセリーニにおけるフレームの不在においてであれ、エイゼンシュタインと共にフレームの現前において、フレームに関して常になにかを、その愛人達を、神々を、あるいはその飢えをなだめることが問題だということをみるだろう"(奥村訳)。

バベルの災厄と比肩できるほどの災害といっても過言ではない、トーキー映画が出現させた<語りの力>。これは、闇の領域にあった<物で書かれたもの>にクローズアップの光によって照らし出し迫害し亡命に追いやったのである。もはや、<物で書かれたもの>を、ハリウッド映画のショットに求めても、またマフィアの発明と彼が言う「シナリオ」の語に求めても無駄なこと。パレスチナ帰還後の、ゴダールの抵抗を集約した方法としての映画は、七十年代後半における「映画史」の構想であったことを強調したい。<物で書かれたもの>は、言語の空間と宇宙の様々な場所や形象との交錯のうちにさがさなければならないだろうー詩とともに。



<寸劇>
女王「坊やはばらしちゃったんだね」
大臣「SMバーが何するお店かは特定秘密保護法で特定いたしますから,
おゆるしを」
女王「おだまり!!!!!(ぴしっ、ぱっし、ぴっし、ぴしっ、ぱっし、ぴっし、ぴしっ)

<教養>

正しいSMとは、<私が法であるとする>Sと、<契約をもらせようとする>Mの間に抑制された秩序があることです。さあ、これが正しい例です。観察しましょう。
奴隷「SMバーが何するお店かは特定秘密保護法で特定しますからお許しを」
女王「おだまり!大臣のつもりか!?(抑制された鞭うち)ぴしっ、ぱっし、ぴっし、ぴしっ、ぱっし」

ところがMがあまりに従属的ですと、均衡が壊れます。このときSが暴力をふるうとSは法としての自らの権威を失ってしまいます。実はMの作戦であります。観察しましょう。
女王「消費税を10%にするのはやめてあげようか、坊や」
奴隷「上げるって、約束したじゃないですか!」
女王「おだまり!(あまりに卑屈な態度に対して思わず憎しみを感じて我を忘れて鞭をうつ)ぴしっ、ぱっし、ぴっし、ぴしっ、ぱっし、ぴっし、ぴしっ、ぴしっ、ぱっし、ぴっし、ぴしっ、」

大衆社会が本当にただ消費社会だとするなら、それは、ただ、生成する過程に突き動かされているだけということになる。差異が絶えず生産されるサイクルの中では、記号は現れては消滅し、姿を見せたかと思うと消える。十分持続してその生成する過程を安定した読解の中に閉じ込めるということは決してない

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十月2014 (つづき) 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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