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<<   作成日時 : 2014/12/02 00:16   >>

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秘密保護法はすでに機能しています。

「ファイナンシャルズタイムズ」紙は日本がすでに4度目の不況に入ったとはっきりと宣言しても、この国の新聞社は「不況」というと「秘密」を洩らしたとして罰されるかのように萎縮していませんか?五反田駅前で「アベノミックスのおかげで」を繰り返す若い自民党候補のように、奴隷状態よりも貧困の方を恐れる多くの者たちが、しかし結局は奴隷状態と貧困のうちにアベノミックス教のほかに失うものがなくなるほど失うことになるかもしれないのですから、ちょっとだけの間でも反対のこともかんがえてみませんか?


演劇はどこにも在る...

人々が孤立しないことを目的とした企てなのだけれど、X'masのアイルランドでは刑務所の中の舞台で元囚人と囚人による公開の演劇をやっていて、フリールのレベルの高い芝居を刑務所で見学したことがあります。家族や裁判官だけでなく、ヨーロッパからの社会保障の研究者、又はわたしのように新聞広告を見て来た一般の人々が刑務所のいくつもある鉄のドアを通過して集まってきました。芝居の歴史を少し知っている人ならば、当時は価値がわからなかったベケットの芝居が(これを誰よりも理解したという) 元囚人の役者によって初めて上演された興味深いエピソードを知っているはずです。こういう重要なものは悉く、骨董品のような、ケルトの観光ツーリズムに覆い隠されてしまうのは大変残念。たしかハンナアーレントが書いていたとおもうのですが、「演劇はどこにも在る」のはほんとうです。しかしそれはなぜだろうか?「知る」ためには演劇性が欠かせないといっていいのでしょうか、つまり、演劇的なものは、人間が外部の世界から自己の生きている位置を知るときに欠くことができないなにかがあるのだろうということはわたしのような者でもすこしづつ気がつきはじめました。恐らく「知る」ことの根底に、置き換える、という想像力があり、これが決定的に大切なのだろうとおもいます。


秘密保護法

安倍の犬である鈴木良之内閣官房審議官が秘密保護法適用について「ブログ等で時事評論や政治ネタを執筆しているブロガーも処罰の対象になる」という主旨の答弁をしたが、自民党信者どもは自らのために人権を必要としていないだろうから、こいつらから人権を取り上げちゃって、沖縄の海のサンゴ礁にあげてください!というかんじの真実をいうと処罰されちゃうかなー?



近代の問題
ーあまりにも遠い無人島に泳ぐ難しさを引き受ける無理

民族中心主義から逃れて、<無人島に泳ぎつき無人島そのものに成る>自由と感じても、外部の視座からは、ヨーロッパ中心主義の島でしかないかもしれない、あるいはネガの島かもしれないと、日本のドゥルーズ若手研究者は用心深くみておく必要はないのか? (そうでないと、そのつもりがなくとも、いかにも白樺派的・私小説的な人生論の語りに陥るとおもうのだけど)。さて講座派とそれを批判した戦後民主主義は、ヨーロッパ中心主義の市民社会像のオブセッションがある。こう表せる。


民族主義否定+ヨーロッパ中心主義=(自己をオリジナルとして非難する)市民社会

しかしこの等式はアジアに来ると、

民族主義否定+ヨーロッパ中心主義=アジアの(自己をコピーとして非難する)市民社会

に転位すると考えられてきたのである。西欧の(オリジナルな自己を非難する)市民社会像であれ、アジアの(コピーの自己を非難する)市民社会像であれ、両者の共通する問題は、約束された、あまりにも遠くにある、近代<星>から来る友人としか連帯しないとするその純潔な権力性にある。(近代人の遠い無人島に泳ぐ難しさを引き受ける無理。) しかしほんとうは現在のグローバル資本主義のもとでの主体の近代化・現代化を問題とすべきなのではないだろうか。ドゥルーズがいうように、資本主義のもとに主体にどんなにアイデンティティの裂け目がもたらされ分裂的になろうとも...簡単に泳げる無人島とおもわれていた島の友人とともに現在のあり方を考えるときではないか?

参考;「(孔子の弟子は)聖人の道をいたずらに難しいとみたが、もともと聖人の道が難しいものであったはない。」(雍也第六第十章、子安氏の仁斎と学ぶ「論語」)

NEW BABYLON

kré  Il faut que tout  puc te
kré  soit rangé     puk te
pek  à un poil près   li le

時代の流れゆくイマージュ

現在は販売されている料亭の料理は家で食べることができるようになったのですが、バブル以降は、残念なことに、どこの経営も非常に厳しくなってきたとのこと。昔は半ズボンをはいた子供のときも漱石を読むと料亭に連れて行って欲しいと思ったし、庭のある趣のある料亭に行くと漱石を読み返したくなりました。学生のときは、繁華街でもチェーン店などは珍しかったと記憶していますが。毎晩行ったきたない安い料亭では、一時間もすると、時代の流れゆくイマージュ、大学のマスの講義において現れることがない、追放されたかのような明治、大正、昭和、内村鑑三、親鸞、講座派と労農派の話が鬱屈した鍋の間を次々と通過していったものです。学生の間で防腐剤でなんとか保とうとした思想史の神殿のごとき様相を呈しましたが、現在は昭和思想史研究会にこれらが新しいコンテクストで非常に重要な足取りで帰ってきました!例えば、<市民社会>のコンセプトは、講座派と(講座派の批判を展開した) 戦後民主主義の専売特許であったのですけれど、彼らの教説に依ることなく、これをいかに、今日における東アジアのグローバルデモクラシーの現実に即して社会主義思想の再建のために再構築できるかという人類史的な課題があると思います。


NON-STANDARD ORDERS

CURATORS' FOREWORD

- tadanori yokoo 1968

Kusama knew both how to dread the also exciting void and how to protect herself through distancing - making things that are close up turn very small and far away of alternatively casting a massive veil of a spread of knitting or knotting over the emptiness. Art, the experience of the psycoanalytic clinic and the state of hallucinosis give us different ways of seeing double - holes and nets. - juliet mitchell


グローバルデモクラシーの思想史

相変わらず民族主義の語彙で声と魂と起源から見るので、商品に束縛されたエクリチュールと映像と貨幣に、グローバル資本主義の平面に取り囲まれていることが偶然とされている。この関係を転倒していく解体、そこに留まらず、更にどこを切っても特異点が現れないように穴たちを結合する運動、これが社会主義。この解体と結合の運動は、近代国家の<だれもがだれを知っている>という抽象的他者の方向を辿るのではなく、プルーストの無限に深めていくという二点間の間を、二つの<帝国>の間を、1次元のベケットであれN次元のジョイスであれ文学機械の構成する具体的な他者の曲面に沿って移動していく。ここからしか、社会主義思想の再建としてのグローバルデモクラシーの思想史が語られていくことの意味が開かれてこないだろうと考える


In praise of creative madness

Mad people love Ireland...という言葉はダブリンでよくきいた。creative madnessという言葉でいわれる意味は、創造と狂気は紙一重。ハムレット Hamlet のような狂気を指すらしい。(半分冗談で、Hamletはアイルランドに寄って調子が悪くなったきたと信じられている!)。ウィットゲンシュタインWittgensteinもこのカテゴリーに。50年代にかれが「哲学探求2」を執筆していることは知られるようになってきたが、アイルランド人にも知られていない creative madnessの歴史もある。アルトーArtaud がメキシコへ行ったことは知られていても、その後にアイルランドに来た歴史は殆ど知られていない。その痕跡を追ってJohn Cageが訪ねにきている。Joyceを尊敬したJoseph Beusボイスも自前のケルトの小船(海賊?)できたことは、現代アートの事件をなすものであった。ところで日本人の仕事をみると、madnessへ行くのと、creativityへ行くのがあるけれど、どちらかに落ち着いてしまうことになるのだが、しかしヨーロッパのアーチストのようにmadnessをcreativityの基礎に置くことができる者は滅多にいないようである。その点で貴重な例外的な存在が、草間彌生Yayoi Kusama なのだ。 「増殖する網の目の中にやがて消えゆく肉体」と語っていることを知った。草間彌生を称えようではないか




The Eumenides (Εὐμενίδες)

I learn from Wiki

The Eumenides (Εὐμενίδες, Eumenides; also known as The Kindly Ones) is the final play of the Oresteia, in which Orestes, Apollo, and the Erinyes go before Athena and eleven other judges chosen by her from the Athenian citizenry at the Areopagus (Rock of Ares, a flat rocky hill by the Athenian agora where the homicide court of Athens later held its sessions), to decide whether Orestes's killing of his mother, Clytemnestra, makes him guilty of the crime of murder.

Storyline
Orestes is tormented by the Erinyes, or Furies, chthonic deities that avenge patricide and matricide. He, at the instigation of his sister Electra and the god Apollo, has killed their mother Clytemnestra, who had killed their father, King Agamemnon, who had killed his daughter and Orestes's sister, Iphigenia. Orestes finds a refuge and a solace at the new temple of Apollo in Delphi, and the god, unable to deliver him from the Erinyes' unappeasable wrath, sends him along to Athens under the protection of Hermes, while he casts a drowsy spell upon the pursuing Erinyes in order to delay them.

Clytemnestra's ghost appears "exactly how or from where is uncertain ... noteworthy is the poet's bold inventiveness in presenting her as a dream to a collection rather than to a single individual", to the sleeping Erinyes, urging them to continue hunting Orestes. "As the first of them begins to awake the ghost departs".The Erinyes' first appearance on stage is haunting: they hum in unison as they slowly wake up, and seek to find the scent of blood that will lead them to Orestes' tracks. An ancient legend says that on the play's premiere this struck so much fear and anguish in the audience, that a pregnant woman named Neaira suffered a miscarriage and died on the spot

The Erinyes' tracking down of Orestes in Athens is equally haunting: Orestes has clasped Athena's small statue in supplication, and the Erinyes close in on him by smelling the blood of his slain mother in the air. Once they do see him, they can also see rivulets of blood soaking the earth beneath his footsteps.

As they surround him, Athena intervenes and brings in twelve Athenians to join her in forming a jury to judge her supplicant. Apollo acts as counsel for Orestes, while the Erinyes act as advocates for the dead Clytemnestra. During the trial, Apollo convinces Athena that, in a marriage, the man is more important than the woman, by pointing out that Athena was born only of Zeus and without a mother. Athena votes last and casts her vote for acquittal; she does so before the votes are counted. After being counted, the votes on each side are equal, thus acquitting Orestes as Athena had earlier announced that this would be the result of a tie. She then persuades the Erinyes to accept the verdict, and they eventually submit. Athena then leads a procession accompanying them to their new abode and the escort now addresses them as "Semnai" (Venerable Ones), as they will now be honored by the citizens of Athens and ensure the city's prosperity. Athena also declares that henceforth tied juries will result in the defendant being acquitted, as mercy should always take precedence over harshness.
朱子の、鬼神は消滅し言葉を住処とするという鬼神論について考えていたものですから、このタイトルのギリシャ神話については大いに刺激されております。ちなみに、12世紀の宋の時期に、母性的な互酬性(復讐というのも互酬的)から父系的な国家(法によって互酬を禁じるへの転換のときににとなえられるようになった言説ですが。

『慈しみの女神たち』 (Wiki)

デルポイの巫女が神殿の前で、放浪の末にアポローンにすがってここに来たオレステースの眠っている姿を見て恐怖にかられるところから話が始まる。巫女が逃げるように退場すると、神殿の扉が開き、オレステースが復讐の女神たちに囲まれて一緒に眠っている光景が現れる。アテーナイ(アテネ)に行って女神アテーナーの裁判を受けよというアポローンの指示により、ヘルメースがオレステースをその場から連れ出すが、オレステースがいなくなると、クリュタイムネーストラーの霊が現れ、復讐の女神たちを起こしてオレステースを追わせようとする。アポローンは復讐の女神たちをなだめるが彼女たちはまったく聞き入れず、オレステースを再度追いかけ出す。

復讐の女神たち(コーラス隊)はアテーナイのアクロポリスにある女神アテーナーの神殿でオレステースを捕まえてとり囲むと、復讐の歌を歌いながら踊り狂う。

が、やがてアテーナーが現れ、オレステースを弁護するアポローンと、オレステースを母親殺しとして告発する復讐女神(エリーニュース)の間での裁判が始まる。陪審員の判決は、[6]有罪・無罪が半々にわかれるが、裁判長のアテーナーがオレステースを支持したため、7対6でオレステースは無罪放免となる。若い神々がより古い神々である自分たちをないがしろにしたと復讐の女神たち(エリーニュース)は激高するが、なだめられてアテーナイの慈しみの女神たち(エウメニデス)となるよう説得されると、この申し出を受け入れる。こうして、憎しみと復讐の連鎖はついに断ち切られ、アテーナーが守護するアテーナイの民主政治により、ギリシア世界に調和と安定がもたらされる。


マスコミは選挙への影響をかんがえているのでしょうか、かれらなりの「中立」を保とうとしてやはり意図が働いているようにしかおもえませんね。もしそうであれば、しかしそんな「中立」にどんな意味があるのかと大いに疑問です。原発に対する不信感がメディアに対する不信感を生み、と同時に後者が前者を触発していくという今回の件も含めてですが、3・11以降は、原発問題は、制御技術の問題とか環境の問題を超えて、報道のあり方、人間の思考のあり方を、場合によっては記憶のあり方を規定していくほどの根本的な体制の問題なんだと、はっきりと知るようになりました。今度の選挙で忘却を強いられているようです。

方法としてのグローバルデモクラシー

70年代に起きてくるポストモダニズムは、近代を相対化していく批評精神でありました。が、80年代で衰えていき、90年代にはメインストリームの資本主義の存続を正当化するために役立つだけの反動的言説となってしまったのですね。なにごとも永遠には同じではありえない、というギリシャ哲学の言葉を考えさせられます。というのは、同様に、ポストコロニアリズムも、70年代に出てきた批判精神としてデビューしたが、中には、2000年に入って、東アジアのグローバルデモクラシーに背を向ける反動的エスタブリッシュメントの側に仕える学問に堕落したものがでてきたからであります。(「世界史」という名で物語られる、'近代化'の空間的差異を実体化していく言説など) そうして今日、国策的ポストコロニアリズムの言説から、ポストモダンのモダニズム化という、なんとも奇妙な現象が起きてきたことに警戒することが必要。これらを批判的に総括するためにも、21世紀においてふたたびポスト構造主義思想を読むときが来たと思います。

江戸思想の伊藤仁斎は、「天の道」と「人の道」をパラレルと捉えました。その「気一元論」には、始まりの物語も終わりの物語も無いのです。三浦梅園も、宇宙のどこを切っても同じとする自然哲学(「一物あれば一天地、万物あれば万天地・・・」)を構成しました。さてこれらは、西欧近代化にアジア諸国が穴を開けていく過程で共に依拠せざるを得なくなってくる普遍主義(「天」) の必然性の歴史を説明すると思います。(宇宙のどこを切っても「天」がでてくるし、東アジアのどこにいても「天道」がなければならない。そうでなければ、人々は互いに無意味な争いに巻き込まれていき憎しみ合いはエスカレートしてくばかりです)。そういう意味で、17世紀の仁斎はカントと同時代的な思想家だとするのは言い過ぎではないでしょう。18世紀の仁斎とカントの普遍主義は、ほかならない、今日におけるグローバルデモクラシーの到来を告げる言説です。戦前の大東亜共栄圏的な「世界史」であれ、あるいは、国策のポストコロ二アリズム的民衆史または最近あらわれてきた柄谷の「帝国」であれ、これらの言説は、ここでいう普遍主義の精神と決定的に対立するものであります。





お上にたいする恐怖が沈黙させていることは見落としてはならないとおもいますね。たとえば、<絶対に国家は間違わない>、とか、<国家がもたらした災害の全部にたいして民は自分自身を責めろ>、とする圧力が一人一人に強力に働いているのではないでしょうか。<黙っていろ>とする圧力は、秘密保護法によってエスカレートしてくるでしょうし。相対化する批判的な視点をうしなわせてしまうほどの、こういう圧力に巻き込まれないために、騒がない方向とは異なる方向になるべく行けないだろうかと毎日わたしは自分に問うている次第です。

やはり、お上にたいする恐怖が沈黙させていることですね。<絶対に国家は間違わない>、とか、<国家がもたらした災害の全部にたいして民は自分自身を責めろ>、とする圧力が強力に働いているのではないでしょうか。相対化する批判的な視点をうしなわせてしまうほどの、こういう圧力は、一応仮説ですが、大正期の大逆事件からはじまるものだとおもっています。(仮に事件を知らず自覚がなくともですね)、国の戦争を反対した無実の人々を容赦なく処刑した大きな恐怖が、現在の人々の記憶をとらえて離さないのだとおもいます。

誰に対して「黙れ」といっているのか?自分にか?国にか?科学の普遍性にか?もちろん一応専門家の見解は必要で尊重しますけれど、専門家の「常識的には・・・」という安易な言い方からは、「この常識が理解できず反論しても非常識」ときこえてしまうのですよね。3・11が起きなければ別ですが、絶対安全だと繰り返してきた原発の事故が起きたあとでは、いくら普遍性がある立場だからといって、このようにあまりにも一般的なことを繰り返し、あたかも「自分のー話していることをーきく」でしかないようでは、その場にいたらこの私もヤジをいうでしょう。言うなというほうが無理だとおもいます。意見を言う機会がなにも与えられていなかったら、ヤジといわれているものは、この専門家の失言にたいしてというよりは、会議のあり方全体にたいして、ですね

反抗期

電車のなかでのこと、最近の反抗期無き若者たちの話が話題にのぼったとき、そこにいた仲間のあいだでそれぞれの反抗期の体験談になりました。反抗期の反抗は独立の欲求と解す見解もありますが、単純にいって、反抗期の反抗とは親が一番大切にしているモノ、事柄をぶっ壊すことをいうのだろうとおもいます。「なんでこの自分を生んだんだ!?」とたてついた子安氏の話をききながら、さて、自分の反抗がなにであったか思い出していました。と、悪意をもって、試験の<前>に試験勉強を行わず<後>に試験勉強を行うという無気力なパフォーマンスを繰り返した反抗のことがおもいだされてきました。ただし勉強しなかったのではなく、勉強というものを試験に結びつけることを拒んだのですね。可哀想な母親を絶望させ、父からみると軽蔑すべき馬鹿げたほどの要領の悪さ。が、記憶を辿ると、この反抗こそが、当時の父の依拠していた信条を破壊する上で一番効果をもつはずだとおもったのです。この場合、効率的に試験を勝ち抜くということと国家(大蔵省)の大きな礎になるということは、父の内部のなかで、一体をなしていたからということがあります。反抗期の反抗期ですけれど、これが、「論語塾」で勉強している現在の自己の間に連続性があるだろうか、と、いかにも自分を正当化してみたい気もします。ここで考えることは、なぜ武士は学んだのか?学問への志をもったのか?というテーマです。時代背景的なことを若干説明しておきますと、武士が支配層を構成し、かれらが全国の行政・司法そして軍事の統一的な担当者となることではじまった徳川社会は、その学識・識見にもとづく官吏への登用制度(例、科挙制)を、一般的な制度としてはもっていなかったのですね。つまり所属階層を超えようとする社会的上昇志向を満たす形での登用試験制度は存在しないのであります。「武士たちが学問をしたのは、「論語」以来たえず説かれていた儒教的学問の理念、すなわち「古えの学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」という「己れの為」とおいう学問の理念が、ここ徳川社会では学者たろうとする人間の余儀なくもつ内的動因としてあったかのようだ。」(子安氏、'中井履軒'、江戸思想史講義)。反抗期の謎解きはこの言葉で十分でありましょう。反抗したものは、親や先生になったとき反抗されるのですが(笑)。それにしてもですね、国家官僚たちは科挙制だけでは説明できない、近代の大英帝国のエリート的軍国主義の導入に関係していることもたしか。人間の顔をした<父なるもの>は、現在においても抵抗すべき、全体主義的な<植民地主義的なもの>の表現であることを言っておきたいと思います。これはアイルランド的テーマという別の話が必要になってきますがね



山片 蟠桃(やまがた ばんとう、延享5年/寛延元年(1748年)

文政4年2月28日(1821年3月31日))は、江戸時代中期の商人であり学者。名前は、升屋の番頭をしていたことからもじったもので、本名は長谷川芳秀、通称升屋小右衛門。
幼時から大阪の両替商である升屋に仕え、若くして番頭となり手腕を振るい、傾いていた経営を軌道に乗せた。大阪学問所の懐徳堂に入門し、儒学者の中井竹山と弟の中井履軒に学んだ。1771年(明和8年)、24歳の時、番頭となり、商才を発揮して桝屋を繁盛させた。
財政破綻した仙台藩に建議し、差し米(米俵内の米の品質チェックのために米を部分的に抜き取ること)をそのまま集めて利用し、無駄を浮かせて節約し、藩札を発行するなどした。藩札を発行した代わりに、従来の金貨の金を差し米の節約で捻出した資金で大阪に輸送し、それを利殖に回して巨額の利益を上げた。仙台藩の財政はこれによって再建され、彼は大名貸しの金を回収することができたと言う。


大阪町人・大阪商人の学塾である懐徳堂で中井竹山・履軒兄弟に朱子学を、先事館で麻田剛立に天文を学ぶ。
極めて唯物論的な立場を取り、天文、宗教、経済、歴史等を百科全書的に論じた『夢の代』は、無鬼論(無神論)の主張、地動説の支持、応神天皇以前の日本書紀の真実性の否定など先進的な持論を展開した点が特筆される。from Wiki



What is modern Japan? How can it catch up with Europe ?
This was the opend question that had captivated the thought in Tokugawa.
Seemingly still controversial...

I learn Wiki
Aizawa Seishisai (会沢 正志斎?, July 5, 1781 – August 27, 1863), born Aizawa Yasushi (会沢 安?), was a Japanese nationalist thinker of the Mito school during the late shogunate period.
In 1799 he became involved in the compilation of the Dai Nihon-shi (Great History of Japan) being undertaken by the Mito school.
In 1825 he wrote his Shinron ("New Theses"), a collection of essays that dealt with issues such as Tokugawa defence policy and the perceived threat that Western ships presented to Japan. Aizawa also tried to describe conditions in the West and theorize why Western states had become so powerful; in his opinion Westerners used religion to enforce conformity of the masses. He believed that Japan would need to take up its own state religion and discussed the concept of kokutai ("national polity"), in this context. The Shinron would become an important work for the sonnō jōi movement and his theory of the Kokutai would be developed by future thinkers.
In 1840 Aizawa became the first head of professors of the Mito school's Kōdōkan but was forced to resign in 1844 when Tokugawa Nariaki resigned as domain leader. He later returned to the Kōdōkan.



悪貨さかんに世に行かなはるなれば、積金皆隠る。 三浦梅園

以下、ウィキペデイアより引用

「経世」とは、「経世済民」(世を経(おさ)め民を済(すく)う / 「経済」の由来)、すなわち広義の「政治」を意味しており、したがって経世論の内容は、現代でいうところの「政治学」「政治・政策思想」「経済学」「経済思想」「社会学」「社会思想」など広範な領域を含んでいる。


このような思想が成立した背景にあるのは、幕藩体制の下で進行した領主財政の窮乏、統治機構の形骸化・腐敗、農民の疲弊、商人高利貸資本への富の集中など、さまざまな社会矛盾の顕在化である。経世論は、これらの問題にいかに対応するかという権力者への献言・献策として執筆・刊行され、多くの場合、その著者は当時の支配層たる武士身分に属する者、もしくはその出身者(なかんずく儒学者が大半)である。

歴史的展開

近世日本の経世論はほぼ18世紀の半ば頃を境として、「前期」「後期」に大きく区分することができる。

前期経世論

経世論は17世紀の後半に一応のまとまりを持った著作(熊沢蕃山『大学或問』など)が登場し、一つの思想領域として成立した。この時期の思想は、士農工商の頂点に位置し、社会秩序の安寧を維持する責任を有するという武士身分の自意識を軸としており、儒教的な徳治論に基づき、「封建的な小農体制の維持」「勤倹節約による領主財政の安定化」が中心的主張となっていた。蕃山に続き、18世紀前半には荻生徂徠、およびその門弟である太宰春台が現れたが、春台の著作においては単純な貴穀賤金論や尚農抑商策ではもはや状況に対応できないことが認識され、藩営専売策など幕藩体制の側から積極的に市場経済に対応すべきことが述べられている(なお春台の主著『経済録』は日本で初めて「経済」の語を書名とした著作として知られる)。

後期経世論

後期経世論は先述の春台の論を継承発展させるかたちで18世紀後半の海保青陵にみられるように、「幕府や諸藩による産業の育成」「商品流通への参与を通じた利潤獲得」をより積極的に主張した。また林子平らの海防論で語られた国際情勢認識、および国学思想における国粋的主張にも影響され、西欧の重商主義思想にも類似した「開国による海外貿易の推進」「海外植民地の獲得と開発」など、従来の一国的議論の枠組みを大きく踏み越え、幕藩体制の克服へと向かう主張(本多利明・佐藤信淵ら)まで登場し、幕末期に至る。

江戸前期[編集]
集義和書(熊沢蕃山・全16巻・1672年(寛文2年)刊)
集義外書(熊沢蕃山・全16巻・1679年(延宝6年)頃・1709年(宝永6年刊))
大学或問(熊沢蕃山・全1巻22条・1687年(貞享4年)頃・1788年(天明8年)刊) 

江戸中期
政談(荻生徂徠・全4巻・1726年(享保11年)頃)
経済録(太宰春台・全10巻・1729年(享保14年)序)
経済録拾遺(太宰春台・1740年代(寛保・延享年間))
統道真伝(安藤昌益・全5冊(稿本)・1752年(宝暦2年)頃)
自然真営道(安藤昌益・全101巻93冊(稿本)・1753年(宝暦3年)一部刊)
価原(三浦梅園・全1冊・1773年(安永2年))
赤蝦夷風説考(工藤平助・全2巻・1783年(天明3年))
三国通覧図説(林子平・全1巻・1785年(天明5年)・1786年(天明6年)刊)
海国兵談(林子平・全16巻・1786年(天明6年)・1791年(寛政3年)までに刊)
経済問答(不明・全5巻・江戸中期まで)

江戸後期
西域物語(本多利明・全3巻・1798年(寛政10年))
経世秘策(本多利明・全4巻・1798年(寛政10年))
稽古談(海保青陵・全5巻・1813年(文化10年))
夢の代(山片蟠桃・全12巻・1820年(文政3年))
経世談(桜田虎門・全10巻・1822年(文政5年)頃)
混同秘策(佐藤信淵・全2巻(本論)・1823年(文政6年))
新論(会沢安・全2巻・1824年(文政7年))
経済要録(佐藤信淵・全15巻・1827年(文政10年)序)
農政本論(佐藤信淵・全9巻・1829(文政12) - 32年(天保3年))
慎機論(渡辺崋山・全1巻(未定稿)・1838年(天保9年))
戊戌夢物語(高野長英・全1冊・1838年(天保9年))
経済問答秘録(正司考祺・全30巻・1841年(天保12年)刊)
東潜夫論(帆足万里・全3巻・1844年(弘化元年))
広益国産考(大蔵永常・全8巻・1852(天保13) - 59年(安政6年)刊)
海防八策(佐久間象山・1852年(天保13年))
国是三論(横井小楠・1860年(万延元年))


学問は飯と心得べし。腹にあくが為なり。
かけ物などのように人に見せんずる為にはあらず。 三浦梅園

悪貨さかんに世に行かなはるなれば、積金皆隠る .三浦梅園




C'est curieux un écrivain. C'est une contradiction et aussi un non-sens. Écrire c'est aussi ne pas parler. C'est se taire. C'est hurler sans bruit. C'est reposant un écrivain, souvent, ça écoute beaucoup."

Marguerite Duras



First she let her hair fal and down it flussed to her feet its teviots winding coils. Then, mothernaked, she sampood herself with galawater and fraguant pistania mud, wuper and lauar, from crown to sole. - Joyce


Ecrire alors est le seul moyan de garder ou de reprendre la parole puisque celle-ci se refuse en se donnant.
-Derrida

「書くことは音声言語(パロール)を保持し、又はそれを取り戻すための唯一の方法であるが、それは音声言語が与えられると同時に拒否されるからである。」(グラマトロジー (下) 第二章)。


KAHLO FRIDA ー ニ〇世紀思想史はいかに芸術史を語ったか (1)

ニ十世紀の半ばまでアートのメインストリートは、抽象主義のキュビズムの影響の範囲にあったのですが、そういう意味でロスコやボロックなどはキュビズムのヴァリエーションでしかないと私はエラソーに言い切ってしまうわけですけれども、このキュビズムをはじめて乗り越えていったのは、ほかならない、フリーダであります。ひとりで乗り越えただけなく、アートの外部から、('近代'の孕む男性原理の植民地主義の)マッチョな方向に絡み取られていったアートのあり方を構成しなおしていくなにかを積極的にもっていたので、これからも益々重要なのではないでしょうか。印象派とか象徴主義の作品以外は興味がなかった方々も、フリーダーのルソーの絵と比較してみると大変面白いとおもいます。類似していますが、還元できない、poetとmagicの間にある、アイデンティティーの複雑さを興味深く観察できるかもしれません。ロンドンの詩をつくる女性たちーわたしの師匠だったロンドンで活躍していたWelshの中国系フランス人もーにとっては尽きることのないインスピレーションの源です。
ロンドンのテートモダンで展示があったとき、なにもかもカネが支配するロンドンにあって自身にみじめさを感じていた自分と共有している暗さを感じたものです。本来ならば語り伝えるべき作品を、かくも効率よく照明をあて平均的に壁にならべてしまうと、(映像はクリアーになりますが)、なにか、書くために描くようなエネルギーが逃げてしまいはしないかと心配しましたが、痛さと苦しさの中に自己を保っている肖像画たちに、動物の動物性において超え出る転位と存在のリズムにひかれました。描くというよりは、近代に多数の穴を開けているとおもいました。
偶像破壊という意味でのグロテスクさ、ですね。たしかに、救済のカタルシスだけではない、むしろカトリックの救済の物語を演じ切ったところにあらわれてくる、批評意識をもった不純な倒錯というべきか、なにか、観る人に残酷に突き刺さってくるグロテスクさは、あるとおもいますよ。50年代までのこの時代は、戦前のアバンギャルドの芸術運動を継承してくるかたちで、抽象のキュビズム的アートが規範的にリードするのですが、(たとえば芸術はインターナショナル・コミュニズイムのユートピアをもっていて、カーロ自身もトロツキーの恋人と自称していました)、ただし戦後はもはや戦前と同じことはできないこともたしかで、このアーチストは、グロテスクな破壊的な表象を利用して、アートがノスタルジックに依存していた限界を乗り越えようとしているようにわたしはおもいます。二十世紀洪後半から現在にいたるアーチストたちが、政治から与えられる受動者の位置にとどまるのではなく、自ら世界資本主義に抵抗していく役割を引き受けることを自覚するといわれますが、そのときこの女性アーチストは先駆としての大きな意義を無視することができません。カーロの、男性原理の肖像画としての近代に挑んでいく大胆さ。外部から敵が侵入してくることをゆるさない共同体を表象した女性身体の潔癖さ、脆弱さ。整理され、分類され、表にされ、地図にされる近代の男性原理を拒み、これを利用しながら粘り強く巻き返していく、おぞましくもグロテスクな豊饒さがここにあります。しかしこれとは一見矛盾しているような、メキシコのアンリ・ルソーとも呼ぶべき孤高でヒロイックなナショナリストの象徴性、また、なによりも産業革命の近代をウイリアム・ブレークに比較できる偶像破壊の精神 (ただしブレイクはマッチョな人間の身体的イメージに絡みとられすぎました)。結論としていえることは、結局、われわれはもう一度、フリーダ・カーローを観る時なのではないでしょうか。



このわれわれが直面しているグローバル資本主義は、系< '自分が=話すことをー聞く' ー> '外部の領域を=世界の中心にすることで=絶えず自己の領域を超える'>を推進してやまない構造である。他者の声を圧殺する資本蓄積の構造のことだ。「帝国」の柄谷はこの決定的な分析が欠けているようにみえる。いくら儒教の時代遅れの語彙を呼び出してまで、柄谷が「帝国」に委ねても、それは資本蓄積の構造(G-G')に委ねることと同じことでしかないのだ。大切なポイントはこれである。つまり、グローバル資本主義の問題を解決するためには、再び、それを推進した資本蓄積の構造(G-G')に委ねていくことは倫理的に不可能なのである。グローバルデモクラシーの小さな人間が帝国の大きな人間を正すしかないのであり、いいなおすと、グローバル資本主義に依る、中国の<帝国>であれ、アメリカの<帝国>であれ、東アジアにおけるグローバルデモクラシーの小さな人間が<帝国>の大きな人間を正すことにかかっているとおもう。ほかに、ヨーロッパの<帝国>、ロシアの<帝国>も考えると、ここでいわれることの意味は、グローバルデモクラシーは21世紀の精神である。それは「帝国の構造」と柄谷が呼ぶような幻想形態(民族主義的対立と権威体制の増殖)に抵抗していく市民的形態にほかならない

(言語論的分析)


「トランスクリティーク」の柄谷行人が絡みとられていた幻想、<資本論が依拠できる唯一の他者としながら、そこで言われていない'国家'と'民族'の意味を読みだす>というこの幻想形態は、いかに定式化できるか。例えば、aはbを取り戻すための唯一の方法であるが、それはbが与えられると同時に拒否されるからである。ここでaに資本論を、bに他者を代入すると、一応こう再構成できようか。<資本論を読むことは他者性を取り戻す唯一の方法であるが、それは他者が与えられると同時に拒否されるからである>。また、a、bにそれぞれ、<書くこと>、<音声言語(パロール)> を入れるとデリダの言葉が現れる。「書くことは音声言語(パロール)を保持し、又はそれを取り戻すための唯一の方法であるが、それは音声言語が与えられると同時に拒否されるからである。」(グラマトロジー (下) 第二章)。こうして、「世界史の構造」=「帝国の構造」の柄谷の交換様式論が意味したのは、系A<資本論=書くこと=国家>、系B<他者=音声言語=互酬性(民族)>が存在するという見取り図を準備することではなかったか。だがこの二つの静的系では、資本主義の動的に発展の必然性を分析することが十分にできるだろうか?否だ。


大企業御用組合系自民片割れ的財務省迎合党と大河ドラマ的ワルキューレ党は、反安倍というテーマをもっとクリアーにしていかないと、講座派ファラオ党の信頼を得れない。また講座派ファラオ党の問題は、他党と組まないことではなく、あまりに遠い未来にしか現れてこないような他党と組みたいことにある

ずーっと眺めていたいイマージネーションですね。昔恵比寿時代の隣人だったフランス人の映画監督に、「タカシ、目で記憶しなさい」といわれたことを思い出しました。(きちんと実践できているかどうかわかりませんが)、そうすることによって、相当に過去でも映像(絵画)をみたときの感情が蘇ることがあるということなのですね。たしか二年前かな?テートモダンの草間さんの特別展で観た作品群ですが、彼女のはアメリカから帰ってきた後のマス受けした作品の幾つかを知っていただけで、アメリカへ行く前の初期の作品はまったくみたことがなかったのですから大変いい機会でした。実際に見たときはもっと憂鬱な色彩と感じていたはずなのですが、こうしてあらためて見るとそれほどではありません。サッチャーの国葬の抗議デモから帰ってきてなんとも釈然としない鬱蒼とした気持ちで作品を見たからかもしれません。

自由が丘に見つけたフレンチレストランでランチコースを大変合理的な料金で食べた。食事の間はお客さんが全員女性。この人たちの夫や恋人は一緒にご飯を食べないの?どこにいるのだろうか、接待ゴルフかどこか?どんどんこの国は男女が異なる違う文化圏に属しているようだ。好ましいこととは思えないが

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12月(1) 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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