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<<   作成日時 : 2014/12/18 23:09   >>

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漢文エクリチュール

海外在住経験のある者は、海外のお行儀・常識・TPO、身体を介した言語のコミュニケーションについて語りたがるものですが、しかし知的な事柄にしか関心を示さない友人達が私の周囲の多数派。それはそれでラディカルな態度だとかんがえるようになってきました。江戸時代の昔から、仁斎の天に関する言説のように、「論語」の読みも、身体儀礼よりも、知的論争に関心があったのですね。ところで「スピノザ」のドゥルーズはいいます。「禁欲的な徳ー謙虚・清貧・貞癖ーをわがものするのは、およそ特殊な、実のところ禁欲とはほど遠い目的にそれを役立てるためなのだ。哲学者は、彼個人の、おのれ一個の特異性の表現とするのである」。だから、漢文エクリチュールの場合でもそれでなにが意味されているのかはどうでもいいことで、漢文エクリチュールが儒者に触発している意味が問われるべきなのです。ここでもし漢文エクリチュールでなにが意味されているかを問えば、一見、禁欲的な徳ー謙虚・清貧・貞癖が読まれてくるかもしれません。しかし漢文エクリチュールが儒者に触発している意味となると、それは、このような禁欲とはほど遠いところにあったのではないでしょうか。そうして外部から主体に与えているこの意味が、漢文エクリチュールの解釈を規定してくるのです。つまりそれが、「道は猶路のごとし」(伊藤仁斎「語孟字義」)。漢文エクリチュールは、怒る人のための怒りのエクリチュール、義憤のイカリチュール


作品でなにが意味されているのかではなく、その作品がアーチストに触発している意味が問われるべきではないでしょうか。国家の鞭と教説によっては奪われてはならない、言論・表現の自由を共有していこうとする「ろくでなし子さん」の知的で自発的な活動性に注目します。かえって、今回のように、「隠せ」をいうお行儀・常識・TPOの三兄弟の方が、反知性主義の牢獄になり得る危険性


‏ (…)内容の形式と実質、表現の形式と実質を確立し、これらが、そのたびごとに規定可能な諸関係のもとに切片的な多様体を構成するのである。地層strataとはこのようなものである。――千のプラトー:資本主義と分裂症
(上)p159

(…)肝要なのは、同じとみなされる言語が、不変数によって定義されるか、それとも逆にこれを横断する連続変化の線によって定義されるかどうか知ることなのだ。――(上)p199



天皇を暗殺する「大逆事件」などは、
そもそも存在しなかったのです。

なんという皮肉でしょうか!?もし反権力のマルクス主義系文学者がかえって、(かれらが反駁しなければならなかったはずの)「大逆事件」をつくってしまったとしたら? 文学者のなかには、検察が無理に捏造した物語の内部から内部に即して「大逆事件」というものを<読者>にむかって再び語るものたちがいたのです。権力と反権力、敵同士であるこの両者が、<天皇を暗殺する>という解釈をめぐっていかに互いに求め合ったか、です。ただ、解釈が厚くなっていくだけの無意味な、このような愚かな再語りの流通に警戒したいとおもいます。集団的自衛権の近未来において、ノー・モアー・「大逆事件」



宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」を十回以上書き直していたことについて、演出家の入江洋佑氏は、シュールレアリズムからリアリズムへと書き方がかわっていった事実に注目しています。なぜでしょうか?まず時代背景に注目しながら「銀河鉄道の夜」の思想を掘り返してみます。賢治は、はじまりは'日比谷焼き討ち事件'から、終わりは'満州事変'であったと構成されるような、大正に生きていたのですから、ここから、日本帝国主義の確立・展開をしっかりと見ていました。「戦争の国家主義、この道しかない」と人々に強いていく方向です。根拠もなく単にでっちあげによって、国家が、思想犯として非戦の社会主義者やアナーキストたちを一方的に処刑した「大逆事件」裁判 (1911) や大杉栄の惨殺(1923)。これらは、賢治にとっては、客体の側にはるか遠く過ぎ去ってしまったものとして消滅してしまったはずがありません。さてこれにかんして、物語中の気になる二つの文を示します。ジョバンニは「おとうさんは監獄へ入るようなそんな悪いことをしたはずがないんだ」と言っています。敢えてこれは、だれもいわなかったことをはじめて言うような奇妙な言い方としてとらえることができます。つまり、少年は父が良いことをしていると知りながら、かくもこれほどの重い疎外感がどこからくるのか?物語は何も説明しませんが、ジョバン二の父が思想犯だったからではないかとする入江氏の推測も確かに一定の説得力があります。博士がジョバンニにきく場面での言葉を読んでみましょう。<「あなたのお父さんはもう帰ってきたのですか」博士は固く時計をにぎったまま、またききました。「いいえ」(ジョバン二の返事) > ここで今度は、過去から何度も繰り返されてきた言葉をあたかもはじめて言うような言い方に注意しましょう。「いいえ」でなにが意味されるのかが重要ではありません。むしろ「いいえ」を言う少年がその言葉にどのように触発されているかを読むことが大切です。すると、実は、(思想犯として国に罰せらた父に) 帰ってきて欲しくなかったという入江氏の解釈もそれほど突飛なものではなく、思想史的な再構成をとっています。こうして、シュールレアリズムに、芸術至上主義に、大きな限界をみとめ、リアリズムの方向に舵を取らなければやってはいけなくなったという作家の重い意識のことが明らかになってきたでしょうか?最後に、入江氏が分析しているように、宮沢賢治こそは、海の底にあるような絶望の淵で、しっかりしろ芸術!というような危機感をもってこれ以上世の中に巻き込まれまいとし、リアリズムによって巻き返そうとした作家でした。ブレヒト小屋に来たわれわれに向けて地中から掘り起こされた言葉たちが蘇ります。(ブレヒト小屋 12月26日まで公演)

演劇感想文 ー 東京演劇アンサンブルの宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」を十回以上書き直しましたーシュールレアリズムからリアリズムへと。賢治の死後、最終的にその弟から信頼を受けた東京演劇アンサンブルが、当作品の著作権を得て日本で初公演したのは五十年代です。入江氏のお話によると、そもそも「銀河鉄道の夜」は文学に適した特別の作品として遺族に理解されていたようですね。これにたいして、当時広渡氏は、デュシャンの抽象性を利用して、「銀河鉄道の夜」を大胆に演劇化することに成功しました。今日23日は、その入江氏の演出した「銀河鉄道の夜」をブレヒト小屋で観劇。ここで、'銀河鉄道'というと、なにか、天にある最終目的地に至る天道の直線的イメージがあります。しかし東京演劇アンサンブルの「銀河」は単純に、そんな<天地>の二項対立に陥ることはありません。ジョバンニとカムパネルラが共に関わっていくのは、神仏の超越的な<天の道>ではなく、ただ、人がそこを往来通行する<人の道>であったようにおもわれます。つまり演劇というものが信頼してきたような<人の道>です。これは、ブレヒト小屋の舞台で目撃すると、宇宙のどこを切っても現れるぴちぴちと充満した運動状態(「泡」とか「影」)。つまりジョバンニとカムパネルラの間にあるのは、思考の運動をそれに含む、絶えざる運動状態でした。前述したように、「銀河鉄道の夜」の演劇化は、文学から演劇に飛躍するためには、かくのごとき演出の抽象性に依ることがなければ決して実現することがなかったのではないでしょうか。(ブレヒト小屋 12月26日まで公演)



内戦とか爆弾やテロをテーマにできていない詩は、亡命者の拷問を受けたトラウマのこと、なおその環境で不利な外国語で語らなくてはならないこと、そうでなければ誤解され、場合によっては一方的に差別されるリスクを追うこと、したがって他者に語るときは教訓的に語る必要性など、が理解するのが難しい

ふくろうねこ物語

原発問題は、(安倍の)再稼働の問題を超えて、(安倍が壊す)東アジアの平和の問題と切り離せない原発体制の問題としてあることを、日本の学生・青年たちが気がつくのはいつなのか?

「民主的香港のために戦う学生たちが、日本の政治離れの青年たちに向けて「日本の未来のために投票に行こう」と呼びかけている」(子安)

「これからの民主的香港のために戦う学生たちが、日本の政治離れの青年たちに向けて「日本の未来のために投票に行こう」と呼びかけているのを今朝テレビで見た。香港の未来のための彼らの戦いは、東アジアの未来にかかわる戦いでもある」(子安)


「私はいまアナーキズムについて考えている。これは大逆事件や幸徳をめぐる考察から当然導かれる問題であるともいえる。近代日本のアナーキズム思想の政治的生命は幸徳と大杉とともに殺された。これを殺したのは国家権力だけではない。マルクス主義的政治的・言論的権力もまたこれを殺したのである。学生時代のわれわれもまた無知なままにアナーキズムを殺していったのである。だが68年の大学紛争がはじめてノンセクト・ラジカルズという非組織的・反組織的な批判的言説を可能にしていった。その一人であった私は無自覚的にアナーキズムを己の中に再生させていたともいえるだろう。このことをあらためて自覚させたのは、大逆事件や幸徳を考えることを通じてである。私はあらためてアナーキズムをめぐって模索しはじめた。そのとき松田道雄の解説はよい導きとなった。それは「日本のアナーキズム」(現代日本思想大系16『アナーキズム』解題)である。そのすぐれた解説の最後で戦後日本、ことに60年の安保闘争の経験に立っていっている。「政府の権力にも反対、労働者の政治組織にも反対、ただ市民的自由のみを守って、指導者のない平等の闘争組織を、ことに臨んで組んでいこうということになると、これこそ安保闘争の組織原理ではなかったか」と。アナーキズムの運動原理は60年代の日本の市民運動の組織原理として再生しているのではないかと松田はいうのである。これは私にとってはきわめて大きい思想的な示唆である。アナーキズムをめぐる反省的思考は、東アジアの市民・学生運動がもつ大きな歴史的な、思想的な意味を再確認させるだろう。」(子安)


Tout conscience est conscience de quelque chose (Husserl)
Il montre qu'il faut faire confience à la conscience car tout ce que l'on peut connaître du monde vient d'elle.

意識から世界の意味を問うためには、意識に信(外部との関わり)を与えること。


(参考) 現象学的還元 phänomenologische Reduktion;われわれは自然的態度では世界の超越的存在の定立を日常暗黙のうちに認めているが、フッサールはこれでは厳密な学問的認識が不可能であるとして、自然的態度を徹底的に反省し、それをいわば「かっこに入れ」判断中止を行う方法的操作を超越論的還元transzendentale Reduktionといった。そしてその還元による現象学的剰余としての純粋意識に、世界の存在意味を問うた。(ブリタニカ国際大百科事典より)


3分間でわかるデリダ

デリダ的には、文字(エクリチュール)の課題とは、いかに起源を隠ぺいするかということに尽きますニャ。(梟猫のネコとしての起源を隠せ!あるいは、フクロウとしての起源を隠せ!)。だけどねー、起源は根拠がないことの隠蔽だったから、結局その課題はここに来る。隠蔽の隠蔽、ホホ〜、つまり無根拠性の開示であるニャッ!(梟猫はどこから来てどこへ行くかわからないということさあ) 不純な文字(エクリチュール)に、まちがってもー、純に惚れちゃいけない。あなたの善き魂の状態を読み込んじゃダメダメ。読めないほうが倫理的なのさ、そのまま他者の姿を見ているという意味で。
(おっと、そこのお兄さんお姉さん、梟猫の絵を描くときは、直線的進行を避けて頂戴よ。迂回するときには、全基底を巻き込む二階テンソルの記号よりも、もっと無声でね!)

「ユリシーズ」のスティーブンは、図書館、知識の塔を住処としているが、このハイパー文字の領域でブルームに気がつかない。植民都市の迷路でこの他者に会えない。宇宙の中心、7 Eccles Street, ブルーム宅で彗星の出会いと形容された親しさの傍らでMollyの声の世界が開闢する...



seq3 動かないことによって、移住しないことによって、一つの平滑空間を保持し、そこを立ち退かないことによって、新たにそれを獲得するためか死ぬときしかそこを立ち去らないことによって、彼らは遊牧民となるのだ。
千のプラトー:資本主義と分裂症 ‏ (下)p263


BBCは、重大な事件ならば、警察発表を再構成し寧ろ不明な点を明らかにする。が、日本の新聞はまず検察の発表が'事実'であり、酷いのはそこで被告人の'動機'すら語られる。「大逆事件」から変わらずだ。検察が捏造した物語に沿って新聞がそれを再び語り作家が深読みし流通させ、死刑を合唱させる

だれが物語をつくり、
誰がそれを再び語るのか?

BBCは、もし重大な犯罪事件ならば、警察発表を分かり易く再構成してみて寧ろ不明な点を次々に明らかにしようとします。これに慣れると、日本の新聞とテレビがまず検察の発表をあたかも'事実'のように伝えることに異様さを感じます。酷いのは、そこで被告人の'犯行の動機'すら語られること。最後に付け足しのように紹介される、弁護士の反論がなにか'言い訳'のように扱われていますよ。これでは、検察が捏造した物語に沿って新聞がそれを再び語り、さらに作家が検察の物語を深読みした、戦前の「大逆事件」から変わらず、ですね。過去の冤罪事件をひとつでも読むと、ードキュメント映画でもいいのですがー、検察の物語がコンパクトな商品のように流通し場合によっては処刑を合唱させることになった全体像を知ることができます。そこで、いかに日本の司法当局が特殊であるか、世界から孤立しているのかを考えてみる大切な契機となるでしょう。




「もう僕らは政治には期待していませんから」を読む

自分の力の限界を知るためにも、デモに行ったり投票に行くこともあるのでしょうが、多分そういう限界を知りたくないのでしょう。またこれをいう二十代は、この道しかない、と、この道に期待しすぎるのかも?私は、必要悪としての<選ぶ政治>には警戒しているだけですが。この道が行き詰まったときまだこの道をつづけなければならないのかとか、他の道を信じなければやっていけないという「信」をもっていないようにみえますがね。投票率は回復するでしょう。やや冷酷な言い方ですが、二十代は票にならないので政治はかれらに資源を配分していかなくなるでしょうから、それをリアルにみた十代、あるいはその次の世代が投票に行かざるをえなくなるということもあるでしょう。二十代に限らず、またこの国に限らずですが、社会主義に関わる政党があり、またそれなりに文学があった時代は、この道に沿って行くと他の道に出会えるということを深く考えたと思うのですけど、現在は社会主義の政党と文学が事実上消滅してしまったので、もうこの道しかかんがえられなくなったのではないですかね?しかし、真実らしくみえるこの道のなかに他の道を信じることがなければ人間はやっていけなくなるのだ、とか、この道の中に依拠できる他の道がなければ競争と対立のうちに動物みたいに生存条件を追及するだけになってしまうかもしれないということを思想的に呈示できるのが、社会主義の政党と文学にかわって、時代を先取りした演劇を中心とした芸術しかないだろうと希望をもちたいです。これも他の道の形ではあります。ただしこういう私に、<この道(原発推進)の中に他の道(反原発)をきちんと築いてこなかった無責任な発言。二十代にあまりに重い負担を課した>といわれれば、その批判を受け止めなければなりません。同世代のだれが、二十代の'もう政治には期待しない' を咎めることができるでしょうか?


日本語は同音異義語が多く、そうして築かれていくコミュニケーションの特徴があると思う。漢籍の字に日本語の読みをあたえると、それなりにある幅をもって意味をえてしまう。これは、将来有望な新米の役者が、意味が分からなくともそれなりに感情移入してセリフを吐く場合と似ている (似ていないか)

なぜ、ロンドンでは顔を描いてはならないのか?

それは、多文化主義マルチカルチュアリズムだったからです。感覚的に顔を描くとそれはかならずどこかの人種をあらわすことになり、不公平なヤバイ感じがありました。ロンドンにあっては、他の人種が作品をどうみるのかを常にかんがえなければなりません。そうでないと、人種差別主義者のレッテルを張られる危険があります。ある意味で、顔と肉体は禁じられた偶像でした。と、ユダヤ的、禁欲的に(笑)、おのずと幾何学的な図形とか記号をつかって抽象的に表現することになってきます。哲学史的にいえば、理念性を重んじた観念論の方向ですね。これにたいしては、経験論の方向もあります。感覚的な感覚を、したがってモノのイメージを利用して表現していった、ポストキリストのいわばローマの、あるいはヴォルテールの方向 (?)です。抽象的でないものに依拠することによって、かえってより抽象性が高まるのですね。Kusama Yayoiはこの方向で、自らの表現を切り開いたアーチストではなかったではないでしょうか。かのじょは、詩人が日常的な言葉を公理として意味の転移を行うように、芸術の言語をつくっていたのですね。L'idèalisme affirme qu'il y a des pensées et qu'il faut oublier son corps et ses passions pour mieux penser. Les empiristes affirment au contraire que la raison depend toujors de la sensation qui est prmiére. La raison est limitée par ses origines et il y aura toujours des images dans nos pensées les plus abstraires.

Γ
by takashihonda

A THEATRE OF ∂ Γ
A THEATRE OF TRANSGRESSION



なぜ、ロンドンでは顔を描いてはならないのか?

それは、多文化主義マルチカルチュアリズムだったからです。感覚的に顔を描くとそれはかならずどこかの人種をあらわすことになり、ヤバイ感じがありました。ロンドンにあっては、他の人種が作品をどうみるのかを常にかんがえなければなりません。そうでないと、人種差別主義者のレッテルを張られる危険があります。ある意味で、顔と肉体は禁じられた偶像でした。と、ユダヤ的、禁欲的に(笑)、おのずと幾何学的な図形とか記号をつかって抽象的に表現することになってきます。哲学史的にいえば、理念性を重んじた観念論の方向ですね。これにたいしては、経験論の方向もあります。感覚的な感覚を、したがってモノのイメージを利用して表現していった、ポストキリストのいわばローマの方向 (?)です。抽象的でないものに依拠することによって、かえってより抽象性が高まるのですね。Kusama Yayoiはこの方向で、自らの表現を切り開いたアーチストではなかったではないでしょうか。かのじょは、詩人が日常的な言葉を公理として意味の転移を行うように、芸術の言語をつくっていたのですね。L'idèalisme affirme qu'il y a des pensées et qu'il faut oublier son corps et ses passions pour mieux penser. Les empiristes affirment au contraire que la raison depend toujors de la sensation qui est prmiére. La raison est limitée par ses origines et il y aura toujours des images dans nos pensées les plus abstraires.


I really understand what you'd tell me. The history is nightmare to wake up. Turbulent and tragic Ireland, 800 years of foreign dominated history. War, famine, religious pogroms, insurrection and partitition. A legacy of bloodshed and unhealing wounds. The white slave is part of this. Now I thnk if history doesn't tell people, how can history expect them to support it.


柄谷行人の「この道しかない」的解釈論と
安倍晋三の「この道しかない」的政治権力

ヨーロッパの近代=西欧的合理主義=植民地主義、に対するアンチテーゼ。八十年代のデリダ脱構築ブームのもとで、ジョイスの各国語の翻訳は多様なゲームの規則の発明であり、啓蒙主義の一元性の幻想を突き崩すポストバベルの塔的プロジェクトとしてあった。(フィネガンズ・ウエィクは英語なのか?) 「言葉と物」のフーコは、西欧の知の内部にある外部の思考を方法論的に書いた。ポストコロニアリズム研究によって、外部の思考は非西欧の文化の実体と等値されていく。国をあげて多様な非西欧的近代をいう言説が植民地支配を正当化しさえする。反西欧合理主義をいう反植民地主義の原点が台無しになった。あるいは、デリダ的な西欧合理主義の一元性を崩すプロジェクトにそもそも限界があったのかもしれない。さて、ギリギリの非常に危ない言説を展開してきている佐藤優との対談をおこなう、ギリギリ危ない権威主義に陥いったマルクス主義的書き手、柄谷行人の押しつけてくる解釈の「この道しかない」は、安倍の権威体制の「この道しかない」的政治権力とおなじようなプレシャーをもたらしてきます。なぜなのでしょうか? 思想史が交通の根底に置くのは、ダイアローグであり、商品・貨幣ではありません。ワールド・キャピタリズムWorld capitalismを構成する<帝国>の商品・貨幣の所有者('1%')は、<自分が-話すことしか-聞かない>ので、それにたいして非所有者('99%')の抗議が起きると、警察・軍隊 (地球の裏まで行く集団的自衛権も含む)で封じてきます。つまりそれはダイアローグの交通の遮断を意味します。しかしグローバル・デモクラシーGlobal democracy の人間は '考えるゆえに存在します'から、人間は警察・軍隊の壁に囲まれては、考えることができませんし、そうして生きることも不可能となってしまいます。これが21世紀の中心的問題。秘密保護法の安倍自民党と公明党は全力で、東アジアに展開してきたグローバル・デモクラシーの条件を、<他者が-話すことを-聞く>交通を、徹底的に抑圧する権威体制を構築していくものとおもわれますー他の道はなく安倍の「この道しかない」とプレッシャーをあたえつつ。


外国語に翻訳できない、日本人の内部から内部に即して喋るような言い方が、「選挙に行かない人は賢い」です。ここで「賢い」は誰なのか?選挙に行かなかった人か、それとも、習慣的に行かない人を指した言葉なのか?そもそも、この「賢い」はなにを意味しようとする言葉なのか?たとえば、「選挙に行かない人は賢い」を言う人が「行く人」より「賢い」というのか?「賢い」を言うこの意識は、その意味を説明することが決してないのです。つまり、この意識は、現在安倍に顕著な、発話者自身と同調者たちの間の馴れ合いに依存した、内部に向かって閉じ切った意識ではないでしょうか


Nous vivons aujourd'hui la mort de la rue, la fin du contact avec le sol, avec le trottoir, au profit d'une perception superficielle et lointaine: celle de l'hélicoptère survolant la ville ou de la voiture passant à toute vitesse sur l'autoroute. Nous percevons tout à distance. C'est de cette façon que le pouvoir accomplit son oeuvre de dissuasion afin que chacun reste chez soi." Paul Virilio


奴隷は、アフリカのいわゆる黒人だけではなかったのです。最近明らかにされてきたのが、忘却された白人奴隷の実態です。しかしまだ、イギリス人による、アイルランド人の奴隷売買の歴史は公に議論されることがタブーかのような、あまり知られていない歴史であります。アフリカ系の奴隷よりもはるかに安価(十分の一)で売られていたそうで、所有者は殴り殺しても罪にはならなかった、ただ金銭上の損失の問題だったようです。数字の出所も含め、私のアイリッシュの友人の間で数字について議論がありました。白人奴隷を描いたといわれる絵画はいかにも帝国アカデミー好みのオリエンタリズムでリアルな感じがないです。印象派の時代まではこんな絵が描かれます。ジョイス「ダブリン市民」に仄めかした短編があると指摘する気になる分析も



IRISH: THE FORGOTTEN WHITE SLAVES

They came as slaves: human cargo transported on British ships bound for the Americas. They were shipped by the hundreds of thousands and included men, women, and even the youngest of children.


Whenever they rebelled or even disobeyed an order, they were punished in the harshest ways. Slave owners would hang their human property by their hands and set their hands or feet on fire as one form of punishment. Some were burned alive and had their heads placed on pikes in the marketplace as a warning to other captives.

We don’t really need to go through all of the gory details, do we? We know all too well the atrocities of the African slave trade.

But are we talking about African slavery? King James VI and Charles I also led a continued effort to enslave the Irish. Britain’s Oliver Cromwell furthered this practice of dehumanizing one’s next door neighbour.

The Irish slave trade began when James VI sold 30,000 Irish prisoners as slaves to the New World. His Proclamation of 1625 required Irish political prisoners be sent overseas and sold to English settlers in the West Indies.

By the mid 1600s, the Irish were the main slaves sold to Antigua and Montserrat. At that time, 70% of the total population of Montserrat were Irish slaves.

Ireland quickly became the biggest source of human livestock for English merchants. The majority of the early slaves to the New World were actually white.

From 1641 to 1652, over 500,000 Irish were killed by the English and another 300,000 were sold as slaves. Ireland’s population fell from about 1,500,000 to 600,000 in one single decade.

Families were ripped apart as the British did not allow Irish dads to take their wives and children with them across the Atlantic. This led to a helpless population of homeless women and children. Britain’s solution was to auction them off as well.

During the 1650s, over 100,000 Irish children between the ages of 10 and 14 were taken from their parents and sold as slaves in the West Indies, Virginia and New England. In this decade, 52,000 Irish (mostly women and children) were sold to Barbados and Virginia.

Another 30,000 Irish men and women were also transported and sold to the highest bidder. In 1656, Cromwell ordered that 2000 Irish children be taken to Jamaica and sold as slaves to English settlers.

Many people today will avoid calling the Irish slaves what they truly were: Slaves. They’ll come up with terms like “Indentured Servants” to describe what occurred to the Irish. However, in most cases from the 17th and 18th centuries, Irish slaves were nothing more than human cattle.

As an example, the African slave trade was just beginning during this same period. It is well recorded that African slaves, not tainted with the stain of the hated Catholic theology and more expensive to purchase, were often treated far better than their Irish counterparts.

African slaves were very expensive during the late 1600s (£50 Sterling). Irish slaves came cheap (no more than £5 Sterling). If a planter whipped, branded or beat an Irish slave to death, it was never a crime. A death was a monetary setback, but far cheaper than killing a more expensive African.

The English masters quickly began breeding the Irish women for both their own personal pleasure and for greater profit. Children of slaves were themselves slaves, which increased the size of the master’s free workforce.

Even if an Irish woman somehow obtained her freedom, her kids would remain slaves of her master. Thus, Irish mothers, even with this new found emancipation, would seldom abandon their children and would remain in servitude.

In time, the English thought of a better way to use these women to increase their market share: The settlers began to breed Irish women and girls (many as young as 12) with African men to produce slaves with a distinct complexion. These new “mulatto” slaves brought a higher price than Irish livestock and, likewise, enabled the settlers to save money rather than purchase new African slaves.

This practice of interbreeding Irish females with African men went on for several decades and was so widespread that, in 1681, legislation was passed “forbidding the practice of mating Irish slave women to African slave men for the purpose of producing slaves for sale.” In short, it was stopped only because it interfered with the profits of a large slave transport company.

England continued to ship tens of thousands of Irish slaves for more than a century. Records state that, after the 1798 Irish Rebellion, thousands of Irish slaves were sold to both America and Australia. There were horrible abuses of both African and Irish captives. One British ship even dumped 1,302 slaves into the Atlantic Ocean so that the crew would have plenty of food to eat.

There is little question the Irish experienced the horrors of slavery as much (if not more, in the 17th Century) as the Africans did. There is also little question that those brown, tanned faces you witness in your travels to the West Indies are very likely a combination of African and Irish ancestry.

In 1839, Britain finally decided on it’s own to end its participation in Satan’s highway to hell and stopped transporting slaves. While their decision did not stop pirates from doing what they desired, the new law slowly concluded this chapter of Irish misery.

But, if anyone, black or white, believes that slavery was only an African experience, then they’ve got it completely wrong. Irish slavery is a subject worth remembering, not erasing from our memories.

But, why is it so seldom discussed? Do the memories of hundreds of thousands of Irish victims not merit more than a mention from an unknown writer?

Or is their story to be the one that their English masters intended: To completely disappear as if it never happened.

None of the Irish victims ever made it back to their homeland to describe their ordeal. These are the lost slaves; the ones that time and biased history books conveniently forgot.

ジョイス「ユリシーズ」などは読まれもしないだろうと思っていたら、案外そうでもないことを知りました。それどころか、二度読もうとする方もいらしゃる!先週早稲田大学小教室の「昭和思想史講座」にみえていたテレビ放送番組制作ディレクターの方が、自分の話を聞いたあと、(なんと)、「今度こそ読んだら掴めるような気がしてきた」と仰いました。(な、なんだろう、この本の力は?) とにかく読み切ったのですから、翻訳の問題はありません。ただ、世界文学の訳というのは、横のものを縦にしただけなのですね。読んでいるというのは実際は、その「縦」をみているだけの場合があります、と、これはちょっと言い過ぎかもしれませんが。逆に、原文で読んでいてもどれくらい理解しているかということですよね。半分も読めていない。変な優位性を感じているだけかもしれません(笑)。だからどちらの場合も、一頁づつぐらいの注釈が必要で、注釈さえあればかならず、それなりに解釈ができるものなのですがね。ジョイスの各国語の翻訳は、多様なゲームの規則が適用されて行われているとかんがえられていて、啓蒙主義の一元性の幻想を突き崩すバベルの塔的プロジェクトでもあるわけで (フクロウが来年に話をすると猫が笑うのですが、超スローのペースならばやってもいいかなあと。ヨムヒトイマスカ?)



今日、労働は決して神聖にあらず軽蔑すべき奴隷の職にして、神聖なるものは一の黄金のみなり。黄金ならば盗賊のものにても、賄賂のものにても、詐欺のものにても、売淫のものにても、理由は問わずして価値に高下なし。(『国体論及び純正社会主義』) 北一輝


多様性ー単純性によっては隠蔽され得ないーを表現する豊穣性の方向を辿る芸術がある。但しジョイスは基底としてのアルファベットの単純性を排除しなかった。次に、単純性ー多様性によって隠蔽され得ないーを表現した不毛性の方向を辿る芸術が。但しベケットは多様性を排除せず絶えず自分自身を翻訳した

21世紀の思想の問題

ヨーロッパの近代=西欧的合理主義=植民地主義、に対するアンチテーゼ。八十年代のデリダ脱構築ブームのもとで、ジョイスの各国語の翻訳は多様なゲームの規則の発明であり、啓蒙主義の一元性の幻想を突き崩すポストバベルの塔的プロジェクトとしてありました。('フィネガンズ・ウエィクは英語なのか?') 同時代的に、「言葉と物」のフーコは、西欧の知の内部にある外部の思考を方法論的に書きました。ところがポストコロニアリズム研究によって、外部の思考は非西欧の文化の実体と等値されていくのです。現在に至って、東アジアにおいて、国をあげて多様な非西欧的近代をいう言説が植民地支配を正当化しさえするようになりました。つまり反西欧合理主義をいう反植民地主義の原点が台無しになってしまったのです。(あるいは、デリダ的な西欧合理主義の一元性を崩すプロジェクトにそもそも限界があったのかもしれませんが。)さて、ギリギリの非常に危ない言説を展開してきている佐藤優との対談をおこなう、ギリギリ危ない権威主義に陥いったマルクス主義的書き手、柄谷行人の押しつけてくる解釈の「この道しかない」は、安倍の権威体制の「この道しかない」的政治権力とおなじようなプレシャーをもたらしてきました。なぜなのでしょうか? これらのことは、80年代からの思想史的展開を追ってはじめてみえてくる事柄であります。

ヨーロッパ近代=西欧的合理主義=植民地主義に対する反定立が、東アジアの非西欧的近代の植民地主義に利用されている以上、エクリチュールを中心とした脱近代の文化戦略を見直す時か。90年代のジョイスは声の復権だった。ワールドキャピタリズム=帝国から自らの身体を守る共同体の抵抗の拠点として

自分の力の限界を知るためにも、デモに行ったり、投票に行くこともあるのでしょうが、たぶん、そういう限界を知りたくないのでしょうね。また、この道しかない、と、二十代は、この道に期待しすぎるのでしょう。この道が行き詰まったときまだこの道をつづけなければならないのかとか、他の道を信じなければやっていけないという「信」をもっていないようにみえますがね。投票率は回復するでしょう。二十代は票にならないので政治はかれらに資源を配分していかなくなるでしょうから、それをリアルにみた十代が投票に行かざるをえなくなります。二十代に限らず、またこの国に限らずですが、社会主義に関わる政党があり、またそれなりに文学があった時代は、この道に沿って行くと他の道に出会えるということを深くかんがえたとおもうのですが、現在は社会主義政党と文学が事実上消滅したので、もうこの道しかかんがえられなくなったのではないですか?しかし、真実らしくみえるこの道のなかに他の道を信じることがなければ人間はやっていけなくなるのだ、この道の中に依拠できる他の道がなければそのうち動物みたいに生存条件を追及するだけになってしまうかもしれないということを思想的に呈示できるのが、社会主義の政党と文学にかわって、やはり時代を先取りした演劇を中心とした芸術しかないだろうとおもいますね。


千のプラトー:資本主義と分裂症 ‏
何をしているか、何を言っているか。そして二つのあいだ、内容と表現のあいだにはまだ地層には見えなかった新しい関係が確立される。つまり言表または表現は非身体的変形を表わし、この非身体的変形は、このようなもの(特性)として、身体または内容に帰属するのである。――(下)p305



『中庸』:「天の命ずるをこれ性と謂う。性に率(したが)うをこれ道と謂う。(天が、その命令として人間や万物のそれぞれにわりつけて与えたものが、それぞれの本性である。その本性のあるがままに従っていくとそこにできあがるのが、人として当然行うべき道である。)」

『大学』八条目2:八条目は具体的には、「世界を平和にする」、「国を治める」、「家を斉(ととの)える」(以上が治人にあたる)「身を修める」「心を正す」「意を誠にする」「知を致す」「物に格(いた)る」(以上が修己にあたる)をいう。


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12月 (3) 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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