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zoom RSS 7月 2015年

<<   作成日時 : 2015/07/13 08:13   >>

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NO WAR JAPAN

Collective self-defense possible even if country does not express intention to attack: Abe
Prime Minister Shinzo Abe said on July 28 that Japan should be allowed to exercise the right to collective self-defense even if an aggressor country does not express its intention to attack Japan.
(mainichi-shinbun)



「靖国神社」の肖像画はいかにして可能なのか

骸骨の死神のダンスからなにを学ぶのか?「古代」の大地の姿でコスプレしているだけの靖国神社と呼ばれてきた、この顕彰施設が、明治の近代から生まれたという意味で、近代の産物だということではないでしょうか。その上で、近代を可視化することはできるか、靖国神社の肖像画は可能なのか、と、私は自身に問おうとしています。つまり靖国神社は靖国言説の内部から内部に沿って自己の姿を描き出せるかという問題を考えようとしています。これは、言い換えると、近代は近代の内部から内部に沿って自己の姿を可視化できるかという問題と等価です。もし近代が近代の内部から内部に沿って自己の姿を描くときは、(しかも隙間なく自己完結的に完全に描き切ってしまうのでれば) 絵の前面に、想像上の風景(古代に起源をもつ靖国神社の姿)を描くが、しかし絵の背景にあらわれるはずの、われわれが見なければならない、近代国家の戦争推進者としてのリアルな痕跡を消し去ってしまうという危険があるのです。

洪成潭さんの作品についてかんがえるとき、アーチストの批評精神はいかに、この近代の抑圧的隠蔽に抵抗するか、いかなる外部に立つのかという言説の位置と表現の多様性が問われているとおもいます。靖国問題は清算済みの過去の問題ではなく、それどころか現在ネオリベの新植民地主義が復活している中で、現在のA級戦犯合祀の靖国に首相が公式参拝するという問題がでてきました。もはやこれは日本の人びとだけでは解決できぬ問題としたら、他者の方向から東アジアの人びとと共にいかに、靖国の精神の植民地主義から自立していくのか。靖国問題の意味を問うとき、原発の新安全神話の問題だけではなく、沖縄の基地の問題も必ず一緒に現れてくるものであります。目下学校教育に押しつけられてしまった実践としての国民道徳の復活の問題との関係と共に考えなければ・・・

La pensée de Derrida se présente comme un débordement incessant des limites instituées, comme un déplacement répété des frontières de l’être, de la pensée, du monde, ouvrant sans cesse de nouvelles perspectives critiques – sur l’Homme, le corps, l’animal, l’ontologie, le politique, etc. –, autant qu’elle propose une nouvelle intelligence de ce qui est et de ce qui peut être. On comprend que l’Université française voit tout cela d’un mauvais œil…

昔パリの本屋でみつけた記号論理学の本の中に引用されていたMallarméの詩 Une constellationの一節を発見(溜息)。ダブリンに呼ばれてやって来たなんとかナントかという現代音楽の教授が公開講義で、ブーレーズがマラルメの白鳥の詩に音を与えた実験的作品について解説していたとき、母音iとeの鋭さに衝撃を受けたというようなことを訴えていたけど、詩の内容の方はまるでアラン・レネ監督の「去年マリエンバードで」の導入シーンみたい...
froide d'oubli et de desuetude
pas tant
qu'elle n'énumère
sur quelque surface vacante et supériure
le heurt successif
sidéralment
d'un compte tout en formation

Pour moi, j'y vis plutôt une sorte de douceur quasi physique, de détachement des réalités de la vie, si frappants chez ceux que la mort a déjà fait entrer dans son ombre.
- Proust ; Le Temps Retrouvé

一冊の本には対象(オブジェ)もなければ主題(シュジェ)もない。本はざまざまな具合に形作られる素材や、それぞれまったく異なる日付けや速度でできているのだ。Deleuze リゾ−ム

「最悪」といわれる思考不可能なものを実定性の思考可能なものにかかわらせてはいけないというのが、いかにも樋口氏を擁護する極左と極右を排除する思考体系をおもわせます。しかし今日のギリシャ問題からみると、トッドの言い方じゃないですが(笑)、第四帝国という言葉がでてきたほどドイツは勝てば勝つほど悪夢的に不合理的になっていくのをみると、社会民主主義の限界なのかわかりませんが、結局ドイツ憲法ではうまくいかなかったということではないでしょうか。思考不可能なものと思考可能なものとの関係は思考不可能なものだというのが樋口氏の考え方だとしたら、私には、思考不可能なものと思考可能なものとの関係を思考可能なものとして語るような思想なり思想史しか残っていないとおもいますね。

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Godard; je pense que je le suis, honnêtement. A mon age, j'en ai pour deux ans à me souvenir de cette phrase que tu viens de dire. C'est comme une analyse. Pourquoi as-tu utilise telle expression comme < tu as peur des mots>.
- Marguerite Duras et Jean-luc Godard ; entretien télévisé.

(正直に言ってぼくもそう思う、でもこの年になると、あなたがさっき口にしたあおの言葉を思い出すのに二年もかかってしまう。精神分析をするときのようなものだ。つまり、あなたはなぜ、<あなたは言葉を恐れているのよ>といったたぐいの言い回しをつかったのかということ)

「論語」は後世の時代に孔子が語った言葉を編集した書物だが、しかし孔子が直接喋っていた文が本当の所どれくらいあるのかと問うこと。そうして近代文献主義的方法で徹底的に調べていくと実は、書かれている文が、後世の時代のスタイル、後世の作為による文章だということがどんどん明らかになってくる。つまり文献主義で調べていくと原始論語は限りなくゼロになってしまう。百年、二百年たって「論語」は現在読んでいるこういうテクストになったというふうに、「論語」をこのようにして考えないと読めなくなる。だがここで考えなくてはならないことは、(問いの前提となっている) オリジナルな作者が存在したという観念、このオリジナルなものに優越的な特権を与える観念こそが、ほかならない、'近代'の発明物なのである。ここでなぜこんなことを書くかというと、デュラスがゴダールに向かって、「あなたは自分の言葉で語ることを恐れている」というとき、やはりデュラスは近代の作家に属していることがわかる。と同時に、ゴダール映画が他者の言葉に依拠しているという理由がわかる。ゴダールが本当に恐れていたのは、むしろ、<オリジナルなものか、オリジナルなものでないか>という問いに絡みとられることによって、多重・多層・多元の開かれた大きな世界との繋がりを失うことではなかっただろうか?


ここであえて鶴見さんについていうと、かれは朝日新聞の声の欄を長い間牛耳っていましたからね、だれをしゃべらすか、だれをしゃべらせないかという特権から、けっして手離すことはしなかった特権から、民主主義のことを発言したことはどんな意味をもつのか考えてみることは大切です。会田さん、このアーチストについては知らないのですが、開き直って、アーチストの民主主義は貴族の民主主義のようなものになるのですが、そうならば、貴族の民主主義の意義はなにか?その限界はなにか?限界を乗り越えるためには何が必要かと議論があったらいいなあ

青年たちがなぜ立ち上がるのかというと、このまま安倍政治に任せていたら自分たちに自衛隊にしか職がないという未来が必然的にやってきてしまうから。だからこそ集団的自衛権の戦争法の強制採決に抗議している。国会議事堂前に来たひとりひとりの抗議の言葉がそのまま自主的な憲法をつくっているとおもうよ。


歴史のもつれた輪ー必然と偶然と

飯田橋の「論語塾」後の会食のとき、再び大正論の全体像を子安氏から伺うことができました。歴史は戯曲に喩えられてきたのですが、歴史の必然に向かって進行していくシナリオに、偶然が作用することも見逃せません。(テンソルの基底間の変化が曲面のズレを齎すのと同様に) 偶然の一つ一つが、平面としての必然性の方向に影響を与えるという可能性について考えました。さて元勲として現れた明治維新リーダ達の話から。リベラルな伊藤から最右翼の山形までいた、天保の老人と揶揄された彼らは、(江戸時代の教育のピークであった)1840年前後に生まれが多かった。この連中は明治の終わりに殆ど死亡。と、大正天皇を支えることになったのは、右翼の山形と西園寺。このことと、大正天皇があのような天皇だったことは、歴史の偶然といえば偶然。民主主義の不幸といえば不幸。最後は大正天皇ひとりが、社会主義と向き合うことに。子安氏の考えによると、大正デモクラシーは、(官僚たちも承認していたという)天皇機関説的な方向に発展する可能性があったが、しかし山形の介入によって、予めこれが陰険に抑え込まれていました。日比谷公園焼き討ち事件、関東大震災という偶然の流れの中で、日本版ロシア革命という"大逆事件"(山形の捏造した冤罪事件)が起きます。その後の大杉栄を殺害していく甘粕などは陸軍ファシズムの原型のようなものでしょう。権威体制は、これらを利用して、(議会から独立する)天皇を中心にした国体体制を築いていく。山形さえいなければ、大正デモクラシーは必然として社会民主主義に向かって順調に成長したかも?が、現実は大正デモクラシーの治安維持法という統制としての側面だけが重要となりました。山形が創る陸軍主導の天皇制ファシズムの方向が満州事件を契機に昭和十年代に向かって現実化していくことになりました。戦前との連続線上においてズレから登場してきたのは、吉田松陰的な最悪の洗脳者、国士としての自分の役割に意識的な安倍です



“Vision is the art of seeing things invisible.”
― Jonathan Swift


思想家が何を言おうとしたかについて理解したことをひとりひとりが語るというのではなく、誰もかれもあたかも遺族のつもりになって同じひとつの口調で、たまたま死んだだけの思想家に哀悼の意を示しているのはすこし残念におもいます。このことは、観念を徹底的に観念化していくことを嫌う、ファッシズムの死を強調した儀式の形を考えさせます。しかしネットという市民がせっかく手に入れたかもしれない言論の多様な場を、葬儀の電報にしていいものかという疑問が起きます。FBを生かした色々なコメントを読めたらいいなあ...



人間の視点を忘れてはいけないんだとおもいます。ここでアイルランドの話をさせていただきますと、アイルランドというと、大文字の「独立」という問題オンリーの国だと整理されてしまうのですが、そのように単純化されると困ってしまうのですね。アイルランドは国としては(イギリスから)政治的に「独立」したが、しかしこの偉大な歴史からは、人びとは自立できたかというリアルな問題は消し去られてしまったのではないだろうか、このことが、日常の会話に避けることができないようにして必ずあらわれてくる問題でした。人間の問題のことを考えることなく、あまりにもイギリスか?アイルランドか?という政治に絡みとられてしまったのではないか。と、大変難しい問題ですが、思い出すと、これが現代演劇が人びとに問いかけた中心テーマだったと思うのです。沖縄の問題をかんがえるときも、アメリカか?中国か?という(二項対立の) 政治に絡みとられてしまう方向を恐れます。包摂されずに、外部とつながっていく多重・多様・多元な、琉球・沖縄の<海の視点>から、人びとがいかに自立していくことが可能かという問題意識が、子安氏の沖縄論の根底にあるのだろうとおもいます。(ギリシャの人びとの民主主義的な取り組みがヨーロッパ全体の危機を解決していくという同じ意味で) 沖縄の非暴力抵抗しか方法がなくなったと決めた人びとからなにもかも考えて行こうということではないかと読んでいます。

There's language in her eye, her cheek, her lip,
Nay, her foot speaks; her wanton spirits look out
At every joint and motive of her body.
- Shakespeare


黒魔術 black magic のお時間ですか?

肉の塊というか、連日テレビにあらわれる安倍は自分の脳ミソをアメリカの家に突っ込むという黒魔術を使っているいうにもみえますが。何の為か目的はわからないし、どういうことになるのかも知らないが、兎に角アメリカの一部としてそれにくっついていかなければならんと焦りに焦るこの男。東京駅の地下の空洞に監禁したほうがいいでしょう!


1938年の「東亜新秩序」とは、日本の帝国主義戦争がもたらすアジアの悲惨を覆い隠す「日本的平和」の提案でした。現在、「東アジア共同体」という日本からの「アジア的平和」の提案は何を隠そうとするのでしょうか?



Baudrillard 2005

“[French theorists] gave Americans a language they did not need,” Baudrillard responds when asked about the prevalence of French theory in American academia. “It was like the Statue of Liberty. Nobody needs French theory.”

“There are no more French intellectuals,” he also commented. “What you call French intellectuals have been destroyed by the media. They talk on television, they talk to the press, and they are no longer talking among themselves.”

One may note the similarity with Noam Chomsky’s criticism of Jacques Lacan, who Chomsky claimed was “just posturing before the television cameras the way many Paris intellectuals do.”

Interestingly, when asked if he thought there were any “intellectuals” in America, Baudrillard notes the popularity of Susan Sontag and Noam Chomsky in French intellectual circles. “But that is just French chauvinism,” Baudrillard claimed, “We don’t pay attention to what comes from outside. We accept only what we invented.”


Japan’s lower house of parliament has approved legislation that could see troops sent to fight abroad for the first time since the second world war, despite thousands of protesters overnight chanting and holding up placards reading “No War, No Killing”.

A lower house panel approval on Wednesday of the unpopular bills, which would drop a ban on collective self-defence or fighting to defend a friendly country like the United States, sparked a huge demonstration and more are planned.

The protest was reminiscent of those that toppled prime minister Shinzo Abe’s grandfather from the premiership 55 years ago after he rammed a revised US-Japan security pact through parliament.

Crowds of protesters – organisers said 100,000 – gathered near parliament. Many stayed well into the night, chanting and holding up placards reading “Abe, quit”, “No War, No Killing” and “Scrap the War Bills”.

Protesters were assembling again on Thursday, although rainy weather could dampen the numbers.

The bills will now go to the upper house, and if no vote is taken after 60 days they will be returned to the lower house, where Abe’s coalition can enact them with a two-thirds majority.

Abe says a bolder security stance, welcomed by Washington, is essential to meet new challenges, such as those from a rising China.

“The security situation around Japan is getting tougher,” Abe told reporters after the vote, which was boycotted by the main opposition parties. “These bills are vital to protect the Japanese people’s lives and prevent war.”

Opponents say the revisions could entangle Japan in US-led conflicts around the globe and violate pacifist article 9 of the US-drafted, post-war constitution.

“Opposition to the bill is growing louder,” said opposition Democratic party leader Katsuya Okada just before the vote. “Prime Minister Abe, you should admit you have not obtained the people’s understanding and immediately withdraw the bills.”
Abe, who returned to office in 2012 pledging to bolster Japan’s defences and reboot the economy, has seen his support slip to around 40% on voter doubts about the legislation and other policies, such as a plan to restart nuclear reactors.

A clash with the governor of Okinawa over a US marines air base will likely flare up in August, when Abe will also unveil a controversial statement marking the 70th anniversary of the end of the second world war.

Some analysts have begun to draw parallels to Abe’s grandfather, Nobusuke Kishi, a wartime cabinet minister who was premier from 1957 to 1960 and resigned on 15 July 1960 because of a public furore over the US-Japan security pact.

Other analysts say that although Abe’s ratings will take a hit, he is likely to survive and win re-election in September for another three-year term as leader of his Liberal Democratic party, given weak opposition inside and outside of the party.

“The problem is there don’t seem to be any encouraging signs that the opposition can coordinate so the LDP is likely to get away with it,” said Jeffrey Kingston, director of Asian studies at Temple University’s Japan campus.

But he added: “There is a lot of hubris and arrogance and it will come back to haunt him. He is no longer the Teflon prime minister.”

The changes, reflected in new US-Japan defence cooperation guidelines, will also expand the scope for Japan’s military to provide logistics support to friendly countries, relax limits on peace-keeping operations and make it easier to respond to “grey zone” incidents falling short of war.

ー The Guardian



The illusion which exalts us is dearer to us than ten thousand truths.
- Aleksandr Pushkin


パリの展示でみた、ピカソがいかに巨匠の作品を再構成しスケッチしたか(PICASSO ET LES MAITRES) の多様なイメージは無限で尽きませんけれど、ここにあとかれの十数作品を投稿したあとは、レンブラントとカラバッチョの世界へ。古典絵画たちを、映画の比較するモンタージュを喚起するやり方で並べて、見る人の観察に委ねた、アムステルダムでの画期的な企画展でした。


I do not see how a return to nation states that have to be run like big corporations in a global market can counter the tendency towards de-democratisation and growing social inequality – something that we also see in Great Britain, by the way. Such tendencies can only be countered, if at all, by a change in political direction, brought about by democratic majorities in a more strongly integrated “core Europe”. The currency union must gain the capacity to act at the supra-national level. In view of the chaotic political process triggered by the crisis in Greece we can no longer afford to ignore the limits of the present method of intergovernmental compromise.

• Jürgen Habermas

'The European Council is effectively declaring itself politically bankrupt : the de facto relegation of a member state to the status of a protectorate openly contradicts the democratic principles of the European Union.'
'The German government thereby made for the first time a manifest claim for German hegemony in Europe – this, at any rate, is how things are perceived in the rest of Europe, and this perception defines the reality that counts.'
'At the same time, by focusing on avoidance of open conflict, the EU’s institutions are preventing necessary political initiatives for expanding the currency union into a political union. '
'Streeck and I also share the view that this technocratic hollowing out of democracy is the result of a neoliberal pattern of market-deregulation policies. '


人間の思想

イラク戦争のときは戦争反対の世論は8割でしたが、いざ戦争がはじまると今度は戦争支持が8割に達しました。あんなにブレア―の支持率が低かったなかで冷静なイギリス人ですら戦争が始まると熱狂に絡みとられたのですから、(現在下がっているとはいえ)安倍内閣支持率が必ずしも低いとはいえない日本にどういうことが起きるのかと心配です。昨年の秘密保護法の強行採決後に支持率の回復が起きたことは苦々しい記憶です。ただ私は予想屋ではないので、将来の支持率のことは正直わかりません。支持率に関係なく、現在自分ができることを行動するだけです。なにもかも従来のやり方が通用しなくなったという絶望感のわれわれ、街頭の小さな人間たちが、大きな人間に向かって、「NO WAR JAPAN」と口に出すことの意味は価値があると考えています。'価値がある'かどうかを知るために街頭に出るのです。ところで、これは日本警察の過剰な干渉によるものですが、官邸前であれ国家議事堂前であれ警察主宰の様相を深めるデモをみると、もっと参加者の自発性が最大限に尊重された、自由なデモになっていく可能性はないのかと思います。1%に代表させないとするウオールストリートのオキュパイ運動や、大統領に代表させることを拒んだ台湾の立法院占拠の時代に、なぜ日本に非暴力抵抗のデモが起きてこないのか? このことの背景に、「民意」を代表する、代表させるという一九世紀的国民国家の道しかないとする権威的言説(安倍がその役割に意識的な、陸軍ファシズムの「民主主義」)に対する批判が十分に行われていないという問題があるかもしれません。そしていまから考えておかなければならないのは、戦争法の通過後、次の爆撃のときは、もし国会の中での座り込みが無理ならば、それと同じくらいの価値ある抵抗の行動とは何かという問い。いかに権威的言説に穴を開けることが可能かと、己の力の限界に呆然とし自分には無理だと疑いながら、人間の思想を書くことを考えています


というのも『失われた時を求めて』は、無限に変化するただひとつの同じ物語であるが、いったいこの作品で起きていることは何であろう。はっきりしているのは、語り手は何も見ず、何も聞かないで、ひとつの器官なき身体であり、あるいはむしろ、いわば自分の巣の上でじっと身構えている蜘蛛のような存在であるということである。 ――(上)p133 Anti-Oedipus

社会主義の要求は社会の全分子が四畳半と待合との講壇を去りて、『論語』と『聖書』とを恋の言葉とし玉章として社会の産褥において産声を挙げんことを第一とす。しかして社会の全分子たるすべての個人が平等にこれを要することにおいて個人の権威を絶対に認むるところの個人主義と合致す。


それらの物[独占されている諸商品]の価格は、その自然価値とはなんらの必然的関係をもたない。しかし、競争下におかれていて、その分量をいかなる程度でも増加させうる商品の価格は、究極的には、需要供給の状態にではなく、その生産費の増減に依存するだろう(D・リカードウ)

「どうぞ御理解とご協力をお願いします」

警官たちは上からの命令と抗議者の罵倒にはさまれていて、なんだかやる気を失っているのではないかとおもわれる者も出てきたことにちょっと気がつきました。ところで、ロンドンの街中で、集会とデモがどこでやっていると警官が教えてくれることはないのですが(聞く方が聞く方だが)、グリナ―ウェイの映画に出てくるような噛みつくために訓練された獰猛な犬のように吠えまくる犬数十匹を待機させたトラックが必ずデモの近傍に配置させてますから、それさえ見つければいいわけです。東京は噛みつく犬は来ませんが、警官が交通整理を理由に? (海外ではあり得ないような) 小さなブロックでデモをバラバラにする姑息なやり方で車道を歩かせ、車をギリギリに突っ込ませてくるのは本当に恐ろしい。最初の反原発デモのときは、外国メディアのいるところでは、高齢者の体力のない抗議者が歩道にあがるのを叱り飛ばし、列からはみ出そうな女性たちを横からどつくような手荒なことをせずに、「迷惑になりますから」とかいうお坊さんの口調で説教していましたが、今週国会前でデパートのエレベータ係みたいなキモイ口調になっていて、「あちらの道は混雑してますので、こちらでご抗議なさってくださるようお願いいたします。どうぞ御理解とご協力をお願いします」とお願いをお願いしてくるところが、勘違いの極み(汗)。)。「届出」も「許可」の違いも分からない、警官たちの卑怯極まる見せしめの不当逮捕がなくならないようですがね。

Reuterの記者のこの文は非常にいいですね。国会議事堂前の人々の抗議がいかに海外メディアに訴えたかをよく伝えた文章であるとおもいます。

'Are These the Last Days of Japan’s Prime Minister Abe?
His battle may have been won, but his war to change pacifist Japan lost. Shinzo Abe may be repeating the mistakes of his grandfather as thousands of protesters take to the streets.'



「どうせ説明してもわからない」

強行採決した安倍の「どうせ説明してもわからない」と言っているのは、問答無用の青年将校のマッチョなジェスチャー、危険極まる暴力だと気がつきました。ところで私の場合、「どうせ説明してもわからないだろう」と答えそうになる問いに、「ジョイスはトリエステという自分で決めた亡命の地にて、ダブリンのことしか書かなかったのはなぜか?」という問いがあります。ジョイスは彼自身の中で亡命の事件性を反復させたかった。と、この説明でなにかを説明したことになるのかについては自信がありません。ここで「どうせ説明してもわからない」ことをなんとか克服しようとすると、翻訳に頼ることはできずやはりジョイスが書いた英語に沿って考えるしかありません。が、最終的にそれでは日本語で説明できなくなるにきまっています。つまり英語の領域の内部からその内部に沿って考えていては、英語の領域の外部(日本語)に出ることは不可能ですから。英語にやっつけられてしまう。英語の奴隷になってしまう。「ユリシーズ」を<外国人の頭で読むこと>と<日本語で読むこと>の距離にこそ、思考の注釈学的自由があるというのに、「どうせ説明してもわからないだろう」という挫折の言葉がよぎるときです。ただ言っておきたいのは、オペラ歌手が歌うように外国語で自由に語るといういつまでたっても実現しない不自由な欲望にジョイスは絡み取られていたということ、かえってそのことがジョイスにとっては人間のどんな領域から自立したいとする文学的本質を表現する上で欠かせないと思っていたということ。「ユリシーズ」というと、ギリシャ神話と聖書のパロディ的言及ですが、オペラへの言及も作家のオブセッションとして漂っていますー作家のどこにも属するのにどこの部分になることがないという反時代的精神の欲望か


Japanese law could send soldiers to fight abroad for first time in 70 years
- Thousands of protesters demonstrate against legislation introduced by the prime minister, Shinzo Abe, chanting ‘No war, no killing’

敗戦後70年めにして、日本は強行採決する法律で兵隊を海外に送ることに


そんなことしかいえないのか、馬鹿じゃないの? 狂暴、下品で馬鹿まるだしのくせに、得意に予言したがる、事なかれ主義が機械的に作動する、1、2、1, 2 , 1, 2....

「支持率も下がるだろうが、国民は時間がたてば忘れるだろう」(首相周辺)

ウロウロしながら、未来を思い出すこと

ウロウロしながら、未来を思い出しました。

この国の徴兵された若者達が米軍と共に殺していく、米国の「敵」とみなされた住民達の数十万の棺、反対に自爆テロで殺される数千の棺、内部のいじめで死んだ隠された自殺者たちの棺。ワイワイと、国会議事堂をみたとき、棺で組み立てられた巨大な墓石のことをおもいました。自分では気がつかないが、未来からやって来た遺族となったというような悲痛な思いで、この建物の無表情に絶望した人がほかに大勢いたのではないでしょうか。「理解が進んでいない」ですって?しかし沖縄の新聞社を潰すという自民党政治家の語る国家的事由ほど、言葉の信頼への理解を毀損するものはないでしょう


強行採決の後でも、友達を連れて夕方国会に行きます。国会の建物がいかに、人びとを代表するというファシストに占拠され、そのファシストの言葉に掴まった国会がいかに、人びとから孤立してしまっているのか?映像の断片をみていた私と言葉の断片をみていた友達はそこで、映像と言葉の全体をはじめて見ることになるでしょう


La défaite de la Grèce, la défaite de l'Europe

' Les dirigeants de la zone euro ont imposé un accord aux conditions encore plus dures, presque punitif, aux Grecs. Mais la défaite d'Alexis Tsipras résonne comme une défaite pour toute la zone euro.'


残念ながら、私には、スイス人のフランス語を判定するほどの能力がございません。しかし、数年前に、かれの生まれ故郷であり現在住んでいるRole(スイス)の地を初めてたずねたとき、駅のアナウンスにびっくり!だってゴダールみたいに喋っているような気がいたしましたから、ホントにホント。やはりドゥル―ズの言う通りなのでしょうか・・・

本人がそう言ってるんだからそうなんでしょうけど、でもね、一番肝心なこと、考え方の質がわるいかもしれないとは一度も考えなかった?

ー>「たいていの憲法学者より私のほうが考えてきた」(自民党の政治家)


リーマン・ショックの翌年、ロンドンの2009年は、マルクスについて非常に活発な議論が展開された年です。前年の、ロンドン大学で行われたテリー・イーグルトンの講演に行ったときは、会場の内部が数十の旗で隙間なく覆われていました。立て看が立ち並ぶという会場の中がまるで街頭のデモの現場と変わらず、そのこと自体が凄いとおもいました。権威に安住する言説ならばこれを容赦なく殴り倒すかのような緊迫感というか。ああいう緊張感は、比較すると、壇上の雛人形みたいに用意された場でスピーカーが座談会の延長みたいに馴れ合い的の雰囲気でお話する日本の講演会の<風景>とは全然違うものです。今年台湾に行ったときはロンドンのときのような緊張感がありました。2009年のジジェク、ハーヴェイの講演をきけなかったのでありますが、こうしてYoutubeでみることができることを遅きながら知りました。
Catch up !

考えておかなければいけないことは、「資本論」がわれわれにとってすでに存在していたことの意味は何かという点ですね。労働者の階級的貧困化の必然性をいう歴史概念は、(たとえば河上筆の訳した)「資本論」の後に現れました。本質的な仕方で、このような歴史概念は「資本論」を前提としているのです。資本主義を、われわれの存在を規定する統御不可能なものと解釈するだけでは足りず、(そういう教説的な解釈に対抗して) 自らの領域をまもり自らを純化していくという権威的言説とその称賛が登場してくる事情がここにあるのかもしれません。もっというと、マルクスの前に「資本論」は別の名ですでに存在していました。ヘーゲルの「精神現象学」です。ですから、正しく言えば、潔癖な純化の純化が起きちゃっているんですね。だから今日、池田信夫みたいな安倍擁護の極右が「資本論」を読めとおせっかいに勧めていますし、(資本主義をコントロールできると考える)われわれ左翼の方は「資本論」なんか読んでたまるかといっておりますが(爆)。この本のなかででしたか、たしかハーヴェイもその種の純化にたいしては疑問を投げかけていたと記憶してます。


The world of Idealism consists of only idea being pure and autonomous.To Idealism belongs the illusion of the neo-liberal style globalism, a limitless free trade and free market. The order of change is considered as actualization of idea with transparent logic predominating tautological repetition as X=X. So, as long as it is tautological sphere, the world of Idealism cannot depend on any opaque outside (ex, government's regulation).The critical spirit of materialism refuses this ideology

観念論の世界は、自立的な純粋な思惟だけから成る。TPPの根底にある自由貿易の幻想は、こうした観念論に属する。つまり、交換することは、同一性の透明な思惟に従う事である。そうである以上、この思惟が、不透明な外部のもの(例、関税)に依存する事はあり得ない。唯物論はこの思い込みを拒否する

革命の自己否定が一国民をして建国精神をなせる文明より一転せしむることおおむねかくのごとし。しからば革命の支那が孔教の文士制度とともにその文弱文明を否定して蒙古共和国の軍国主義に急転し得べきことは、実に革命なるがゆえの真理なりとす。(支那革命外史) 北一輝bot


公共PRといえば、ベートーヴェンの顔の上に「名演奏は迷演奏?」と教訓を示す、日本版文革ポスター。清潔で眺めのいい部屋を望むのに、現実とのズレに不快な小市民的良心の疼きか?。公共PRの起源は、歴史上はじめて絵画市場を成立させたオランダだと思う。絵画は王や貴族や教会の独占物だったが、中流が、家具の一部として絵を買う時代がきたのだ。黄金の説教文句の代わりに、フェルメールは、絵の中の絵を示すだろう。絵の中の絵で、一体なにが示されているのか曖昧となっていく。つまり近代的なアレゴリーの誕生だ。ちなみに、私は、フェルメールよりも、レンブラントやカラバッチョが好きだけどね。イタリア映画、ネオリアリズムみたいでさ








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