言葉と表現と射影のブログ

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<<   作成日時 : 2015/09/17 03:24   >>

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「…あらゆる芸術的能力を欠いていることが、革新的な作品を、いわんやそうした作品の生産そのものを適切に知覚するための十分条件でもなければ、必要条件でもないことに変わりは無い。視線の素朴さはここで、眼の洗練度の最高の形式にしかなりえないだろう。鍵を持たないことは、だからといって、古い鍵を全部捨てさえすれば作品そのものがそれ自身の解読の鍵を与えてくれると期待させるような作品を理解するのに適しているわけでは、全くない」p76



二十数年ぶりに、ゲッツ・フリードリッヒ Gotz Friedrichの演出で、ワグナーのラインの黄金"Der Ring des Nibelungen" Vorabend Das Rheingold (Richard Wagner)をみた。神奈川県民ホールでみたときはヴォータンたち神々は一歩進み一歩下がるという単純な反復で全然前へ進まなかったのである。当時は舞踏家のべジャールのニーチェ象が頭に張り付いていたこともあるかもしれないが、これが永劫回帰の思想なのだろうかと素朴に驚いた (自分を確立しようと絶えず動いていたときだったから演劇的なこの反復のジェスチャーに衝撃を受けた)。だが、今回の新国立劇場の演出では神々はミニマリズム音楽みたいに少しづつ前へ進んだ (写真下)。かつては、前へ進まないことに衝撃を受けたが、現在は前へ進むことにたいして愕然としている (結局どう動いても駄目なんだろうと絶望しているからね・笑)


痕跡というのは消し去ることはできない。痕跡はかならずのこるという。痕跡の問題を表現するのは現代アートである。諸々の時代の記憶が定位しているはずの整然とならべられた複数の箱・引出し・部屋に、しかしカオスの力が働いた痕跡が不可避的に残ってしまうのである。カオスの法則は、アートのセリー(系列)だけではあるまい。ほかに、映画史、文学史あるいは思想史の痕跡のセリーにおいても、カオスの法則は、発散し脱中心化するものの展開における自己自身の反復、自己自身の再生産にほかならない。痕跡とはなにか。痕跡とは、なにか自己自身に向かう差異のプロセスがあったこと、もしかしたらまだそれが終わっていないことを示す徴だとしたら、いったい現在の自分にどういうことになるのか?なにが現在進行中であるのか分からないのだけれど、たとえばしっかりと紐を結ぶことができないこと(街を歩くと五分で靴ひもがダメに)、きちんと蓋をとじることができない(冷蔵庫を開けると蓋のとれた瓶から牛乳が飛び散る)こと、語るにも値しないこうした卑近な所作こそが少年時代の過去に同化に抗した痕跡ではないかとやっと気がついてきた。靴ひもを結べ、蓋をしめろと注意されるとその言葉に苛立ったのは、自分にたいして苛立ったのではなく、痕跡を消される圧力に苛立っていたのかもしれないけど。だが痕跡の意味を読み解くにはあまりに遅すぎたようだ、手遅れだ。しかし痕跡とはいつもこういう遅れなのかも。現在進行中の行為?がなにかとはっきりと定まらないが、気が付かずに新しく始まっていたとしても、すくなくとも、<一つの始まり>しかなかったということは悪い冗談だ。(精神分析が指さすような<一つの始まり>しかなかったとしたらやはりそれは目覚めるべき悪夢だろう)


Si l'idée est la différentielle de la pensée, il y a un calcul différential correspondant à chaque Idée, alphabet de ce que signifie penser...Le calcul differential...l'algébre de la pensée pure,l'ironie supérieure des problems eux-m êmes (Deleuze; Différence et repetition)
「<理念(イデア)>が思考の微分であってみれば、思考するということの意味を構成するアルファベットとしての諸<理念(イデア)>には、それぞれの微分法が対応しているのである。部分法とは...純粋な思考の代数であり、諸問題そのものの高次なイロニー的技法である」 (「差異と反復」より)


“The historical fact is that cinema was constituted as such by becoming narrative, by presenting a story, and by rejecting its other possible directions. The approximation which follows is that, from that point, the sequences of images and even each image, a single shot, are assimilated to propositions or rather oral utterances [...].”
― Gilles Deleuze, Cinema 2: The Time-Image


“The theory of thought is like painting: it needs that revolution which took art from representation to abstraction. This is the aim of a theory of thought without image.”
― Gilles Deleuze, Difference and Repetition



大英博物館で初めてのケルト展が始まります。方法論的探究を超えて実体的に、文字なき大和王国を実体化するのがヤバイように(現在の政治を都合よく投影した解釈でしかないから)、ケルト文化の実体化を疑うアカデミズム的見解に従ってきましたから、わざわざ行ってもと躊躇します。東京で居酒屋に行けば、アイルランドというと、何でもかんでもケルトに結びつけてくるから耐えられません。アイルランド人はケルトの呼称をきいたのは、海外からの投資を呼び込む政府機関の扇動した90年代の'ケルトの虎'ブームのときでした。1970年代EU加盟のときまでヨーロッパ人だという自覚すらもなかったといいます。メディア・スタディ―ズによると、1950年代には二つの国家に分断された朝鮮半島の貧しいコリアに大きな同一化を行っていたという現在忘れられてしまった事実があります。ジョイスはどう考えていたのか?19世紀のゲール語死滅の後に、20世紀に独立国家がその少数言語とヨーロッパの基底にあったケルト文化を再建するという方向は、文字を持つ知識人の、その古代語は誰も読めないのに、文字なき社会に対する思い込みにみえました。だからといって「ユリシーズ」のジョイスは多様性の理念を棄てたりはしません。多様性の理念を、帝国主義の近代国家(イギリス)と反帝国主義の民族主義的国家(アイルランド)から、守ろうとしたのです。作家は、純粋国家からの「自分で決めた亡命」を行うことなしに、自己自身が成り立つ条件もまた理念的に再構成した普遍的多様性の言語の痕跡も、書くことができなかったのではないでしょうか。後の時代になって、多様性の理念を、ファシズムから攻撃されないように保つことが課題となったとき、読み出すことができない死に切った過去を愛する身振りでケルト書を利用した「フィネガンズウエイク」を書きます。自分たちの過去を都合よく読み出したファシズムの似非文化政策に抵抗してみせ、絶対の過去、ケルト書の読めない本を再構成しました。やはり行こうかな


【ポストモダン】1977年にイギリスの建築批評家C・ジェンクスが刊行した『ポストモダニズムの建築言語』に端を発する。当時主流であったデザイン原理を「後期モダニズム」と位置付けたジェンクスは、来たるべきより複合的なデザイン原理にポストモダニズムの可能性を見た。

沖縄の真の自立のために非暴力抵抗の行動をとりはじめた人々を尊敬し支持いたします!

日本フェースブック社に対する抗議文
日本フェースブック社はシリア難民を侮辱するイラストがレイシズムであるとみとめないのは本当に恥です。米国とヨーロッパのフェースブック社ではありえないことなのに、日本フェースブック社のシリア難民に対するレイシズムとそれを事なかれ主義的に容認してしまう行為は、人類を冒涜する犯罪に等しい行為とかんがえます。なぜ見逃すことができるでしょうか?


…労働の自然価格は、労働者とその家族の扶養に要する食物、必需品および便宜品の価格に依存している。食物および必需品の価格騰貴とともに、労働の自然価格は騰貴するだろう。それらの物の価格下落とともに、労働の自然価格は下落するだろう(D・リカードウ)

DECONSTRUCTION

ロンドンの喫茶店でDaniel Libeskindの講演文を読んでいたときのこと、イスラエル人から、かれがアメリカのユダヤ系の建築家であると告げられた。ナショナリストからすると、コスモポリタンのリベラルなユダヤ系は信頼を置けないという。たしかに建築は素晴らしいけれど、目的がみえない。私はこれに対する答えが見つからず黙ってしまった。私が自分の理解した理屈をもって答えようならば、お前は危険な偶像崇拝に陥っているぞとかれから非難されたかもしれない。あれから6、7年たったが、いまも気の利いた答えがあるわけではない。そういうこともあって、中々建築について何か書くということが常に躊躇われた。建築の文化論はタブーだった。Daniel Libeskindは、ジョイス「ユリシーズ」を利用して純粋世界=純粋都市の空間を制作した。現代建築においては本 (テクスト)が建築に先行しているようにみえる。建築家としての本、言い換えれば、現在進行形で書くことのほかに目的をもたぬ本に向かって、この建築物の目的は何かと問うてもね....


イギリスには、カントが経験的知と呼んだものを受け入れるスペースがギリギリあるようですね。新聞で読むかぎりでの私の理解では、経済学において考えなければならないとスティグリッツが時々いうaccountingの意味は、情報公開と民主主義の原則を打ち立てること殆ど同義語におもえます。ピケテイは来日したときもっぱら経済学の話題(r>gとr<gの差異について)に集まりましたが、ピケテイの経験知とは、マルクス主義唯物史観の教説的理念とネオリベの教説的理念の両方に異議を唱えるところにあります。が、だからといって実現しない理念を言うことを無意味とは考えないことがピケティにおいて大事なのです。実現するかしないかは関係なく、民主主義の民主主義性とは一人でも食うことができなければ民主主義性ではありません。かれの「21世紀の資本」の最大のポイントは、21世紀がこの民主主義の理念が立つことによって初めて政治(財政・金融政策)がただされると言っていることです。つまりこうした理念がなければ、緊縮財政の政治がただされることがないということです。労働党新党首コービン氏は経済諮問委員会のメンバー発表(スティグリッツとピケティを含む)に続き「われわれの経済政策は、一握りの富裕層だけでなく、あらゆる人々に安心を届けるものでなければならない」と語っています。来年の参院選での民主党と日本共産党の選挙協力の実現の鍵は、やはり安倍の「この道しかない」という政治をただす「他の道」的理念にかかっている、これがなければグラグラしてしまうのだろうと思いますがね。(ここで、マルクス主義の唯物史観の教説的理念とは、'究極的には革命でしか資本主義の矛盾を解決できないのだからそのときまで待て'というものです。他方ネオリベの教説的理念も、'市場でしか資本主義の不均衡を調整できなのだからその時まで待て' (それまでに金持ちを金持ちにし貧しいものをもっと貧しくしておくこと)というものです。)




カント的な経験知

実現しないことを言うこと(理念)は果たして無意味か?わたしはそうはかんがえません。実現するかしないかは関係なく、民主主義の民主主義性とは一人でも食うことができなければそれは民主主義性ではありません。二一世紀はこの民主主義の理念が立つことによって初めて政治がただされると考えはじめたとかね

デリダ
エクリチュールが価値をもつのは、神である王がエクリチュールを重んじてようやく、またそのかぎりにおいてである。とはいえ、神である王は、彼のものではなく、外部からと同時に下からやってくる産物、エルゴンとしてのパルマコンの影響を被らないわけではない。(『散種』)




日本ではまったく論じられないですが、経済において考えなければならないとスティグリッツがいうaccountingは、ネオリベに抵抗する民主主義の原則(情報公開など)とほとんど同義語。FTがいうことですからあてになりませが、パリもニューヨークもサルトルやベケットを生かしていた知的なスペースは絶滅しているが、ロンドンにわずかにスペースがあるといっていました。(飯が不味くて嫌ですが) ピケテイは日本にきたときまったく無視されましたが(もっぱら経済学の枠内の関心と話題だけ)、イギリスは民主主義者たちから大きな知的エネルギーを得ることでしょうよ。

Nicolas de Staël
The French New Wave filmmaker Jean-Luc Godard has stated that de Stael is his favorite painter, and the use of primary colors in his film Pierrot Le Fou was strongly influenced by de Stael's work.(from wiki)


チラシの宣伝には「水墨画のような中国の絶景、京都・奈良・兵庫で撮影された壮美な寺院」とある、この「黒衣の刺客」は、唐代の中国を物語っていました。監督ホウ・シャオシェンはドラマ的には何を撮りたいのか段々と辻褄が合わなくなっていったのでしょうが、風で揺れる絹のカーテンとインクの滲みのような蝋燭の火の煌きをとらえた映像詩は、「ラストエンペラー」のベルトリッチを超えるのかと期待しました。全体的には、シネフィルの記憶の囚われの場というか、映画好きの映画の痕跡でつくられた映画の宿命というか、「楊貴妃」の溝口、「キルビル」のタランチーノ、タルコフスキー、黒沢、あるいは「七つの封印」を喚起する諸々のイメージが生成する万華鏡。ただし「新羅へ行く」という最後の言葉で当時の国際関係、古代日本のことを暫し考えました。当時は中国・朝鮮・日本のどちらがどちらであるのかわけることができないほど一体でした。中国・朝鮮・(この二者に育てられた)日本の知識人たちが共同プロジェクトで変体漢字で大和国家の成り立ちを自己証明した日本書紀をつくったほどです。古代日本論は混乱が避けられません。が、たかだか映画ですら中国が千年間先行していたことを示しています。いきなり独立したオリジナルな国(「大和」)が生まれたはずもありません。居酒屋でおききした話で私は勉強していないのですが、こんな映画の感想文のなかでなら紹介してもいいでしょう。「大和」でいわれている国は古代百済王国(の一部?)だったと考えてしまえば、唐・新羅の連合軍との戦争で敗北してから、海に防衛線をひくことになり百済の痕跡を消していくことになった古代日本の歴史の方向がみえてきます。唐との関係において双子の関係。自己存在の証明のために相手を罵倒した大和側の人々に、罵倒の遺伝子のようなものが残った。しかし痕跡は完全に消し去ることはできません。精神分析的な意味で今日のヘイトスピーチにその痕跡が。逆にいうと、罵倒すればするほど古代のわれわれとかれらの間に線引きが引けないとことを証明してしまうのですかね


実現しないことを言うこと(理念)は果たして無意味か?

実現するかしないかは関係なく、仁性の理念が立つことによって初めて政道がただされる。「一夫その所を得ざるは、仁に非ず。」すなわち、'仁性とは一人でも食うことができなければ仁性ではない' (子安氏現代訳)。だから ネオリベの市場万能主義でもあるいはマルクス主義の唯物史観でも一人でも食うことができなければ仁性ではないし、したがって政治がただされることがないのである。近世の江戸思想は「子曰、如有王者、必世而後仁」をそう読んだ。近代カントの経験的知の中にこのような仁斎的な倫理性がある。「われわれが人をあつかうのに人を目的としてあつかえ。人を手段としてあつかうな」というような定言命法 (実践理性の道徳命法)が無いと、人間の行為の上の道徳性が成り立たないからだ。フーコならば、<折り目>をさして、ここに「経験的=先験的二重性」がある、「問題は経験的=先験的二重性である」と言うのであろう。

how in any system there is always some ' protected' level which is unasilable by the rules on other levels, no matter how tangled their interaction may be among themselves. (qu'il a toujours, dans tout système, un niveau < protégé> qui ne peut pas être attaqué par les règles d'autre niveaux, quell que soit l'echevêtrement de leurs interactions.) - D.R. Hofstadter

戦争法に対する人々の抗議と新しい思想の言葉

浅田彰氏が指摘するように、3・11の脱・反原発デモはとりあえず抗議する人々が立場を超えて集まっただけだったのでしょうか。現場からは新しい思想形成がなかったといいます。そして今回の戦争法にたいする抗議からも、新しい思想といえる言葉が生まれたといえるでしょうか?正直わかりません。このことは後世の人々が判断することになるでしょう。抗議するメッセージに関して多くの混乱があるようですが、国会前に人々の怒りが現れたことだけはたしかです。人間舐めるな、権利がない社会に反対!という声が重要になってくるのではないでしょうか。オキュパイ運動以降、近代のヘーゲル・マルクスが再構成した人間なき中世的思弁的知の包摂を逃れる、カントの人間の思想が東アジアにおいて再び立ち上がっているようにみえます。
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下の写真は、最近南アフリカで発見された250万年前の原人のイメージ。頭の大きさは人類の三分の一程度。たsぎかに埋葬の儀式があったらしいですな。文字を読む近代・現代人の、文字を持たぬ者への過大な思いれと笑うなかれ、はたしてこの発掘は偶然とはおもえません。たとえば、人類の思想とはなにか?このことを、21世紀は250年前から問いはじめたのではないかと想像してみます。しかしわれわれが自身の思考に遡れるのは、それほど原初の遠くではありえません。この非連続性のことも本当です。文字を読まない人々がどのように埋葬とかかわっていたかはわかりようがありません。知ることの限界があるでしょう。それを超えると、ただ文字を読む人が、文字を読まない人々の埋葬の意味を勝手に読み出すだけです。だけれども興味は尽きません。


アベノミックスがうまくいかないのことに、「一億総懺悔」担当相

千のプラトー:資本主義と分裂症 ‏
seq3 逃走の軸、消失点、斜線、ナイフの一撃、裂け目、または穴によって、画布が引き裂かれ、あるいは引き伸ばされる。すでに機械がそこにあり、どんなに抽象的なものであれ、顔と風景を生産しつつたえず機能している。――(中)p23-24

千のプラトー:資本主義と分裂症
seq1 ベイトソンは、どんな外部的な結末によっても中断されず、どんな頂点にも向かわないような連続的強度の地域を「プラトー」〔高原〕と呼ぶ。バリ島の文化には、こうした性的あるいは攻撃的なプロセスが見られる。――(上)p324

CONCEPT CITY
家の中に入ろうとしても入口がみつかりません。氷が解けたときにはちゃーんと中に入れます。ただしそのときは家そのものがなくなっているんでしょうけど、おもしろすぎ(笑)。家とはなにか?家は必ず対象(内部)をもたなければならないのか?純粋な家の観念CONCEPTを感じさせてくれる家。ロンドンのバービカンセンターで展示されていたこの作品のおかげで、私なりにですが、現代建築につい関心をもつことになりました。

CONCEPT CITY
「変身」のカフカは自由に動けない毒虫でしたけれど、あんなふうに朝起きてみたら、自分に理解できないような異国の言語しかしゃべれなくなっていて、からだがこういう家になってしまったらああどうしよう!?案外なにごともなかったように平気で生きているような気がする・・・


無理な戦争法の展開で異常に拡大するこの国の無駄な支出


中国論をやると学ぶものの間に怒りが生じ、古代日本論をやると混乱が起きます。現在の問題を相対化する方法論的な考え方であって、決して実証的な話ではないのですが、居酒屋の某先生(笑)によると、圧倒的な文化をもっていた中国が千年間先行していたことを素直にかんがえれば、そこからいきなり独立したオリジナルな国が生まれたとおもうのは(認識の)混乱です。'大和'でいわれている国は、古代百済王国(の一部?)だったが、唐・新羅の連合軍との戦争で敗北してから海に防衛線をひくことになり、百済の痕跡を消していくことになった。その意味で、唐と、大和にある元百済王国は、いわば双子。自己存在ためにが相手を罵倒しあうことになり、とくに大和側の人々に、罵倒の遺伝子が残った。痕跡は完全に消し去ることはできない。今日中国と韓国・朝鮮を罵倒しているのは、中国・朝鮮・日本のどちらがどちらであるのかわけることができないほど一体であった、そのなかで自分たちが百済王国の一部であった痕跡なのだということだそうです。実際に、中国・朝鮮・(この二者に育てられた)日本の知識人たちが共同プロジェクトで変体漢字で大和国家の成り立ちを自己証明した日本書紀つくりました。

成田龍一さんの説がズバリ指摘するように、大正デモクラシーが戦争を止められずそれどころかむしろ共犯的に戦争と連続していたとしたら、そんな大正デモクラシーに平和を志す戦後民主主義が理論的に依拠しても仕方ありません。ここは、現実にあるものがなにもかもうまくいかなくなりましたから、成田さんの説も知っておくべきだとおもいます。そして平和を実現する他のモデルを新たに構築すべきです。例えば、'異議申し立て'の小田は神戸大震災の取り組みから非常にラジカルになりました。小田実は、語る民主主義モデル、‘大きな人間'をただしていく'小さな市民'のモデルをいうのです。ギリシャの民主主義が参照されています。ただし実際にはギリシャの時代は戦争が絶えず起きました。問題があります。だから小田は、戦争なきギリシャ民主主義的なあり方について理念的に考えていたというべきでしょう。この小田の市民概念は、1990年代からのアンチ・(ネオリベ)グローバリズム運動を契機に再びあらわれてきた白紙の本のような主体概念と深い関係があると考えています。(念のために、小田が言う'小さな人間'は、「市民ケーン」で描かれているような選ぶ民主主義の市民、'大きな人間"とは異なります。そういう"大きな人間'の権力はローマのネロを選んでいく専制政治に遡ります。つまり自民党的に'選挙で勝ちさえすればなんでもゆるされる'とした統制の手段となっている民主主義)


なぜ戦争を止められなかったのか 



―― ここから、「大正デモクラシーはなぜ、戦争を止められなかったのか」という本題に入っていきたいと思います。デモクラシーが盛り上がっているなかで、どうして戦争に向かっていったのでしょうか。



一般的には、「大正デモクラシー」が「帝国のデモクラシー」であったからといえます。「大正デモクラシー」は大日本帝国憲法下のデモクラシーであったが故に、弱さと限界があり、ファシズムや戦争を止められなかったということです。大日本帝国憲法のもとでは、主権は天皇にあり、議会は天皇を「協賛」し、内閣は天皇を「輔弼」するものとされています。「大正デモクラシー」の理念としての民本主義は、そのことを前提にした民衆による、民衆のための政治要求だったのです。いわば、解釈改憲のようにして、民衆に寄った大日本帝国憲法解釈が「大正デモクラシー」でした。そのため、日比谷焼打ち事件も排外的な要素をきっかけにしていますし、植民地朝鮮の独立を要求した3.1独立運動には民本主義者も批判的でした。いや、そもそも植民地の存在を自明のこととしており、そのもとでのデモクラシーでした。要のところが、弱いデモクラシーなのですね。



そうしたことのゆえに、多くの論者は、1931年の「満州事変」を「大正デモクラシー」の終りと捉えています。民衆意識が排外主義に向かい、侵略の動きがこれ以降始まったという認識です。実際、大正デモクラットの多くが(無産政党の人びとも含め)、この動きを支持していく事態となります。



このことを別の言い方をしてみると、1920年代と1930年代の間で断絶があるとする「断絶説」ということになります。「大正デモクラシー」が崩壊し、戦争の時代に突入したという認識ですね。これが歴史学のなかでも、一般的な把握だと思います。



しかし、私は別の説を考えています。いうなれば「連続説」です。1920年代と30年代は連続していると考えています。



どのようなことかというと、「大正デモクラシー」は確かに帝国のもとでのデモクラシーであり、その弱さを抱え込んでいました。しかし、この「大正デモクラシー」の時代に、前半期から後半期におよんで、基本的には「民衆」の意見を吸い上げなければ回っていかない仕組みを体制的に作り上げていきました。「民衆」を制度的に入れ込むシステムです。普選のもつ歴史的意義にさまざまに限定を付けましたが、しかし、「民衆」を「国民」として扱っていかなければならない時期がやってきたということです。秩序を保ちながら政治を遂行していくためには、あくまでも「国民」の意見を後ろ盾にしなくてはならない、というシステムの定着です。



このことは、デモクラシーの機運のなかで制度化されたのですが、いったん制度化されるや、「国民」の意向をないがしろにすることができなくなります。ありていにいえば、「国民」の意向が変わっていくと、当然、政治の方向も変わっていきます。1931年の「満州事変」によって、「国民」の意見や要求が排外的になった、そのゆえにあらたな方向に舵を取り、ファシズムという事態に入り込んでいった、というのが私の見解です。1920年代の「成果」が、1930年代の事態をつくりだしたという「連続説」です。



つまり、ファシズムが無理矢理に「国民」を引きずり込んだのではなく、人びとの考え方が排外主義に傾いて、「満州は自分達の領土だ」と思い、そのことをとりこむことによってファシズムが成立していく、ということです。「大正デモクラシー」の過程で成立し、人びとの意見を吸い上げるシステム(その制度化が、普選ですが)によって、戦争の時代になったと私は考えています。「大正デモクラシー」があったが故にファシズムに向かい、戦争の時代になったのです。





―― 「大正デモクラシー」は戦争を「止められなかった」のではなく、むしろ戦争を進めるのに加担していったわけですね。



「大正デモクラシー」を前提として、あるいは踏み台として、戦争に入り込んでいったということですね。「大正デモクラシー」を考える際に、象徴的な事例があります。「大正デモクラシー」の代表である吉野作造は、民本主義をとなえ、当時の言論をどんどんリードしていきました。吉野は民意を吸い上げ、政策に反映させることを目標とし、大日本帝国憲法の枠のなかで、ギリギリの解釈をしました。そして、後半になると吉野作造の教えを受けた「新人会」の人たちが、さらにラディカルな主張をしていきます。



そんな、「大正デモクラシーのチャンピオン」とも言える吉野作造には弟がいます。吉野信次です。吉野信次は、農商務省、さらにそこから分割された商工省の官僚として重要な働きをしますが、信次は民意を取り込まないと政策統治も上手くいかないと考えていきます。



つまり、兄・作造は「民衆」の側から民意をくみ上げる必要性を主張し、弟・信次は支配の側から民意を取り込むことを考えたのです。この両輪こそが「大正デモクラシー」の本質であると思います。この兄弟は仲が良かったと言われていますが、後世からみたとき、兄弟でお互いを補い合っている関係があったと言えるでしょう。



吉野信次らは、のちに「新官僚」と呼ばれ、さらに「革新官僚」へとつらなっていきますが、戦時の民衆動員の体制をつくりあげ、ファシズム体制を作り上げる担い手の重要な部分になっていきます。ファシズム体制―戦時総動員体制を担った革新官僚は、この文脈に引きつけていえば、吉野信次の系譜ということがいえます。ファシズムというのは、民意をいかに引き付け、主体的な営為をおこなわせ、コントロールすればいいのかということを、たっぷり学んだ人達によって行われていたということです。民意の重要性を知る人によってなされたのです。つまり、「大正デモクラシー」があったために、吉野信次や革新官僚が出てきて、戦争の体制が出来上がったということができるでしょう。



ですから、「なぜ大正デモクラシーは戦争を止められなかったのか」という問題の立て方自体を疑うことが必要ですね。



そう考えると、どこを「大正デモクラシー」の終りにするかが、あらためて問われることになります。難しい問いですが、私は、1933年に終了したと考えています。33年は、プロレタリア文学の代表的な作家である小林多喜二が拷問によって虐殺された年です。この年を境に、社会運動から転向する人が増えていきます。社会運動からの人びとの離脱、さらに転向する人びとの存在によって社会運動が衰退する以上に、その質が転換します。すなわち(体制への)抵抗の運動ではなく、(体制への)翼賛の運動になり、さきの新官僚・革新官僚がめざす方向と一致します。こうして体制の側も社会運動の側も変質し、背中合わせの調和のもとに総動員―体制の時代がやってきました。




歴史から学ばないのか?

市民の自発的な抗議は戦争法案の危険な問題点を世論に訴えたことだけはたしかかです。結果的にはデモの力が及ばず戦争法案の強制採決を止めることができませんでした。がこの点に関しては、敗北したのは、抗議した市民の側ではありません。敗北したのは、審議なき戦争法に反対する世論を代表することに失敗した自民党政治家たちの側だったのではないかと段々考えるようになりました。問題はどこにあるのか?ただ安倍政治の構造の要素をなす戦争法に対する批判は、各新聞世論調査の4割前後の内閣支持率が証明しているように、安倍政治の構造全体に対する批判としては全然足りなかったということ。ここで安倍政治の構造全体とは、(なんの目的なのかも明らかにできないままに) 兎に角なにがなんでも<帝国>アメリカの一部になればよいという方向で、危険な原発再稼働・核武装化・経済における軍事部門の自立化、TPP推進・靖国問題・国民道徳の高揚、から成り立つ全体構造のことです。全体構造に、沖縄を犠牲にしていることの問題もあります。現在の危機感というのは、市民はこの安倍政治の全体構造に対する批判を量と質とともに十分にもっていないということにあるとおもっています。また、この危機感は、日本の平和主義という他国からも信頼されているとかんがえてきたセルフイメージ(自己の根拠にかかわる全体イメージ) の方向がマッチョで好戦的な歴史修正主義者たちによってどんどん勝手に書き換えらえてしまっているという不安から来ているかもしれません。まさしくこのなかで、自分たちの都合よく見たい見方でしか他者を見ようとしないこと、そのことで自分だけでなく他者も不幸に貶めるという問題が生じていると思います。ただしこうした問題ははじめて起きてきたではありません。Fbの友人が指摘する通り、歴史から学ばないのでしょうか?根本にこのことの問題があると考えます


ナチスの国家社会主義という国家は事実上、国民と同義語だったと指摘する声がありますが、日本においても帝国主義のデモクラシーであった大正時代から臣民で意味されていた国民という言い方の危うさを考える必要があるとおもっています。


知識がないわけではありません。左翼リベラルといわれた芦部憲法学を学んだブレーンの影響力があるようです。マスコミの知識層に説いているほどです。しかしそれならば、本来ならば、近代国家の制作者というか、(絶対君主を打倒した)革命主体であった、<(かつての)憲法制定権力だった(と理念的にみなされるべきわれわれ))国民舐めるな>、と言うべきでしょうけどね。と、そこまでのことをかんがえると、いかに、言論の自由・表現の自由の価値が近代憲法の中核に存するかという構造がみえてくるはずです。ところがあの、(名前をわすれた)なんとかさつきも芦部の愛弟子だったというのだから、ブルジョアの極右翼政治家の国粋主義・民族主義とも両立しうるほど言説化してしまったのでしょうかね、憲法制定権力という抽象的な考え方が。彼女は教育勅語的な国民統合の話ばかり。しかし憲法制定権力の考え方を言う人は、(いくら現代国家の役割が大きくなったとはいえ、) 権力が集中した行政権・立法権によっては奪われてはならない言論の自由・表現の自由の価値を、司法権(憲法判断する裁判所)に向かって指示した学説だったことをよく知る必要があります。たとえば、そういうものとしては、差別撤廃をもとんめる公民権運動とかベトナム反戦運動がありました。多様性みとめる国家をつくること、そのために言論の自由に沿って合理的に質問する権利(行動も含まれる)にたいしては、最大限にこれを尊重しなければならないというのは、スピノザ以来確立してきた近代民主主義の大原則です。正直、ただ欧米の学説をこちらに紹介しただけの東大の学者の憲法論などはどうでもよろしい。国民という場合、それを無条件にたたえる言説が、いつまでも戦争を終わらせようとはしない国民の無責任な態度のことを消してしまう危険性があります。常に他の考え方をもつ者が存在し生活していること、そのかれらはどうしてもそれを語る権利をもつこと。これらのことは、一つの国家、一つの言語を要求した帝国日本がいかにアジアの人々の人間的に人間らしく生きる権利をズタズタに侵略したかという歴史から考えることがやはり倫理的なところから要求されますよね。ソクラテスはいうように知ることは問題があります。(啓蒙の暴力)。しかし知らないことが罪となる場合がありますよ。

ミシェル・フーコー
古典時代の思考にとって、有限性というものの内容は、ただ無限性の否定だけであった。ところが18世紀末に形成される思考は、有限性というものにポジティヴなものの力を賦与する。その時に出現する人間学的構造は、限界を設ける臨界的役割と、起源をつくる役割とを、同時に果たす。−臨床医学の誕生−



部分冠詞
フランス語などで、名詞の前に置き、その名詞によってあらわされるものの部分的な量、若干量が問題になっていることをあらわす。冠詞du, de la

partitive

denoting a grammatical construction used to indicate that only a part of a whole is referred to, for example a slice of bacon, a series of accidents, some of children

indefinite article
noun<Grammaer> a determiner (a and an in Einglish) that introduces a noun phrase and implies that the thing referred to is non-specific ( as in "she bought me a book', 'government is an art' ; " he went to a public school').
Typically, the indefinite article is used to introduce new concepts into a discourse
不定冠詞
冠詞の一。数えられる名詞につけて、その名詞が不特定のものであることを表す。英語a、ドイツ語ein、フランス語un


英語では数えられないもの(不可算名詞)の若干量をあらわすときには冠詞をつけませんが,フランス語では「部分冠詞」といわれる冠詞をつけます。

部分冠詞(ぶぶんかんし)は、英語にはない冠詞で、水やワインなどの数えられないものに付きます。数えることができないため、複数形はありません。母音で始まる名詞の前では、定冠詞と同様にエリジオンが起こります。


※部分冠詞は de + 定冠詞であると捉えることができます。du は de + le が縮約された形です。

「数えられない」名詞

部分冠詞を取る名詞は、はっきりと定められている訳ではありません。例えば「パン」は、三種類のどの冠詞をも取り得ます。クリームパンがひとつ、ふたつ・・・と数えれば、不定冠詞や定冠詞を取ることになりますが、ちぎったり、切り分けたりしてしまえば、どこからどこまでが「ひとつ」なのかを数えることは不可能です。
小粒の果実や木の実、米なども同様です。お店で、イチゴを一粒だけ買う人はいないでしょうから、大抵イチゴは部分冠詞を取ります(de la fraise いくらかの苺)。しかし、思い入れのある特定のイチゴについて定冠詞を使う人がいないとも限りません(la fraise その苺)。

定冠詞と不定冠詞の違い

例えば、友人に対して「今朝、犬が歩いていたよ」と話しかけるとします。友人が、それがどの犬であるかを知っている場合には、定冠詞を用いて「le chien」とします。特別に知っている犬ではなく、世界中にたくさんいる犬の中のどれか一匹である場合や、自分は知っているけれど友人は知らない犬である場合は、不定冠詞を使って「un chien」とします。


寸劇; 自民党が死んだ日

A議員 (笑)「しかし自民党葬儀パフォーマンスの山本君は政教分離を知らないね」
Y議員(笑)「おまえが言うなって」
A議員(笑)「だが心配ご無用、われわれはもうすでに自民党」
Y議員(笑)「こらこら恥を知れ」


千のプラトー:資本主義と分裂症

抽象線とは平滑空間の情動であり、有機的表象作用とは条理空間をつかさどる感情だったのだ。――(下)p296



思い出すことによって過去を生きたままにするというのは、プルーストのテーマだったとおもいます。また、そこに、詩を通じて絶えず新しく思い出すことで過去を生かさなければわれわれは化石となってしまうと考えたケルト的文化との共通性を読み解くアイリッシュの研究者がいました

人間

近代の思想はカントの人間学からはじまりました。ラディカルであるとは、事柄を根本 (どん底) において把握することです。だが、人間にとっての根本 (どん底) は、人間自身なのです。と、このことをはっきりといったのはマルクスでした。しかしそのマルクスはヘーゲルと同様に、思想を、カント以前にあったような宇宙的・中世神学的に思弁的に再構築していくことに専念しました。それで、人間にとっての根本 (どん底) が掻き消されてしまったのでしょうか?いいえ、そうではありません。否応なくどうしても、痕跡という差異が残ります。つまり人間にとっての根本 (どん底) の痕跡が残るのです。外部と繋がる複数の窓の痕跡が残るように (よかったらチラシの絵を御覧ください)。われわれが完全に消し去ることができない痕跡としての人間にとっての根本 (どん底)、それは人間自身...。そうしてゴーリキィの芝居のなかで執拗に繰り返されて一番多くあらわれることばは、ほかならない、「人間」ということばだったことは、痕跡の運動としかいいようがない必然性です。


軍事力の縛りを取り除いたらどういうことが起きるのでしょうか?
委員会室で生じた政権与党の暴挙、大ハッスル自民党政治家の
パンチの写真が象徴的にあらわしています


余剰労働とは、労働を超過するものではない。反対に余剰労働から演繹されるのが労働であり、労働が余剰労働を前提とするのである。(…)土地の比較と土地の所有が領土の捕獲装置であるように、労働と余剰労働は人間活動の捕獲装置なのである。――(下)p189

こうして、利益、余剰労働、余剰生産を構成するこの差異もしくは過剰そのものを、<捕獲>と呼んでいいだろう。(…)捕獲は分割可能な波や流れを逆転させる。独占的所有の対象となるのは、まさにこの捕獲操作なのだ。――(下)p196

神といへば皆等しくや思ふらん鳥なるもあり蟲なるもあり(玉鉾百首)

Simone Weil ‏
円と直線との接点(タンジェント)。それは高次の秩序が低次の秩序の中に、無限に小さいものとなって姿をあらわしているということである。キリストは、人類と神との接点である。




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9月2015 (1) 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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