言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS 十二月 2005年 (1)

<<   作成日時 : 2015/12/02 09:47   >>

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“Properly speaking, the unconscious is the real psychic; its inner nature is just as unknown to us as the reality of the external world, and it is just as imperfectly reported to us through the data of consciousness as is the external world through the indications of our sensory organs.”

― Sigmund Freud, Dream Psychology: Psychoanalysis For Beginners



VERMEER

モデルに着せる衣装とか小道具の絵画を買い込んでさぞ大変だったと心配するが、町医者のフェルメールにとって散財だったのは、当時大変高価でレンタル代も高い楽器だっただろう。オランダ中流は絵画マーケットというものを成立させた。それまでは絵は市場では買われなかったのである。 建築ラッシュと投機のバブルの時代に家の中を飾るインテリアに絵を買う必要があった。(ちょっと昔までは、新築した家の応接間を演出するために全集を買ったのと同じである。) 壁の絵は当時の流行を伝える。オランダは世界航海に乗り出していた時代だ。海のイメージは外部世界の比類なき大きさをあらわしている。それとは対称的に、女性達は外を遮断したなんという親密な内部空間にいるのだろう。絵の中の婦人は、遠隔地のアジアへ旅立った愛人の船乗りを思っているが、自らの欲求の渇きを音楽で慰めることができたのだろうか?あるいは、愛と性愛の欲求の延期に戯れているようにもみえる。容易に縮まらぬ距離こそが再び欲求を作り出すことになるから。文盲率が劇的に低下した近代から現れた中流はステータス又は自己規律として書くことを始めた。当時の画家達がラブレターを書く女性達を描いたのは、(手紙を書くことで求婚者との出会いを遅らせたカフカのように)、遅れ、時間の差異が文字を読む人の欲求を最大化することを知っていたからではなかったか?この絵には愛人へ宛てたラブレターで一杯のごみ箱が描かれてはいないが、かわりに、モラルを象徴するモップとそれで掃除する召使の姿が描かれている。教会が力をもった中世の絵画だと上方に説教の言葉が示されていた。この時代はオランダ人の清潔好きのステレオタイプを利用して、格言を絵画的に表現することになった。イメージが言葉から自立したこの時代の作品たちに影響を受けることになるのは、もっと後の、光それ自身を描いた印象派画家たちであった。しかしそのためには画家を家の外に連れ出してくれる油塗料チューブが発明される必要があった・・・



表現する(中のものを外に出す)でいわれる意味の内容が、「伝達する」とか「表象する」というならば、芸術にとっては意味があるのは、感化(外のものを入れる)しかないと主張したいという気持ちになる。「芸術家は外形だけみるとまるでなまけているように見えるが心の働きは大変なものじゃよ」(死神のセリフ、水木しげる「妖怪名言集」)。死神だけが真の表現が依拠するものを指させる。死神の如く、三十年代アルトーが聖パトリックの杖(アムステルダム闇市で手に入れた)を返しにダブリンにやって来たのは、絶対的に失われた過去を中(現在)に入れようとする芸術的パフォーマンスであった。絶望的に、伝達と表象がなかったが、芸術は自らを感化の大きな運動に委ねたのである。外のものを中に入れるのは、共同体が意味作用に関わる常套手段だ。ただ二週間彷徨したアルトーの足取りを辿ってみると、「関わる」とはいえないほど、共同体に属するが共同体の部分になることがない芸術の絶対的な孤独の意味に衝撃を受ける。ハリウッド映画と対抗するしかもはや共同体は存続できまいとおもって政治の芸術化に取り組んだナチスだからこそ、共同体の感覚に鋭敏な心の中心から、芸術至上主義と呼ばれる絶対孤独を極限的に恐怖することになったのは必然性があった...

Ça s'est fait par des homes, des femmes qui vivent en société, à un moment donné qui s'expriment et qui impriment cette expression, ou qui experiment leur impression d'une certaine manière. (Godard)「映画の歴史は、社会のなかで生きながら、ある時期、自分を表現したり、その表現を感化したり、あるいはまた、自分が受けた感化をなんらかのやり方で表現したりする男たちや女たちによってつくられたのです。」(ゴダール)



『元禄忠臣蔵』なんかは見事だなとおもうのですが、映画というよりは、声の構造に依存する演劇の真髄ですよね。宮本武蔵もそうですが、かたき討ちですか、復讐の避けられない冷酷な暴力をみせていますけれど、他方で、限度のなくなる復讐の互酬的構造の禁止を内面化することの端正なモラルの必要性を説いているようでもあり、軍国主義に行かぬぎりぎりという感じが。「完璧」すぎて見終わったあとなんともいえない気持ちで放心状態になるのが常ですけど、『祇園囃子』はこれから見てみようとおもいます

Toshi Fujiwara さん 『元禄忠臣蔵』や『残菊物語』はある意味、現代映画のストローブ=ユイレ夫妻の映画みたいですから。


自由に喋ることを非難しないでくれ

二年前と比べて感じることは、奈落の底から、軍国主義の方向と確実に一致してきたという圧力である。全体主義も、全体主義へのアンチテーゼを包摂してきたような陰険最大化のポイントに来たようだ。安倍の憲法を微塵も尊重しない態度に変わりなし。言論の自由は大切だから、言論の自由を守れという警告を紋切り型にしてはならない。言論の自由は、一回一回制作することの過程である。それは宝物の如く所有できない活動である。これに関して思うのは、大正デモクラシーの自由である。それは大正時代にどのように語っていいのか分らなかったという可能性が大きい。ヨーロッパの物差しで測ってもヨーロッパの民主主義しか測れなかったのだから。日本人は大正デモクラシーを戦争を経てはじめて語ることができたのではないか。だが語ることができるからといって語られる対象が必ず存在するとはかぎらない。戦後、(中断したとみなされていた)大正デモクラシーの自由を語ることができたときには、それが既に永久に消滅した後だったかもしれないのだ。結局戦後の民主主義は、彼らが守れという大正デモクラシーとの連続性の幻想を断ち切った地点から、自由をはじめて制作するしかなかったのだ。では新しい自由とは一体何か?日本全体主義が全体主義である所以は、公の政治の領域に限らず言語・労働・生活の隅々までにマニアックに介入してくる、予定調和を重んじる小さな規則をつくって、自由に喋ることを非難する統制に存する。現在静かな調和を重んじる'社会常識'に反しても、自由に喋ることを非難しないでくれという主張が戦後はじめて意味をもつようになったのではないか。巻き込まれていくなかで、芸術は、思想は、行動は、自由に喋ることを非難しないでくれと主張する生き方の問題をしたたかに表現ができるかどうかだ。専ら私に関心があるのはただ、自由に喋ることを非難しないでくれ、と、一番抑圧されたものたちが統制原理に反発して一回一回制作していくこの巻き返しの主張なんだ


ポストモダンの共産主義から、ポストモダンのモダン化という不気味な教説が本屋の棚に並んでいるのは本当に不気味だね。地層を形成している書棚の表層は売れ筋の人気の本が占める。左だか右だかわからぬ、したがって右とみなすのが妥当であるアジアの共産主義的民族主義の本で占められている。表層の下は、近代の民衆史的教説を根底にもった天皇制構造論の本。化石が散在する深層には、講座派的近代を包摂した丸山真男と中途半端な連中の市民社会説教集。だが私が辿りたい地層は、フーコ・ドゥルーズのポスト構造主義の地層、オリエンタリズム批判のサイードの地層、グローバル資本主義の時代における歴史の終焉の言説に反発したデリダの市民から発言した新地層。しかしいまだにそれらは外国人の頭で考えた地層であって、日本の思想の問題との関係を十分に考えた思考の地層を形成してはいないようにみえる。間違いを恐れずに書き進めると、ジジェクの方法としての知的挑発にたいしては、それを実体化する反動が存在するようだ。反論してくる知識人達を前にした、知的挑発を通じて語ったジジェクの問題提起の言葉は論争の伝統に基づいておりそれは凄いことだと思うが、翻訳で無媒介にジジェクを紹介する解釈者には蒼ざめてしまう。解釈者が翻訳するとき自らがどういう解釈の枠に立って訳しているのかを明らかにしないのは、人気の現代語訳「論語」の場合とおなじである。さらに言えば現代語訳「古事記」は、いやもう言うまい。ロンドンに来るジジェクの使命は何あったか?ヒューマニズムこそがスターリニズムだと告げにくるだけではない。政治的非文化的コミュニズムから文化的非政治的ポストモダニズムへ転向した文化イギリス人に向かって、君の講演会で真ん中に座る聴衆者ばかりを相手にするな、左側に座っている聴衆者からの質問も受けよと諭すために来たのである。ここでジジェクはいくら夢の発明のことを喋っても、破たんしたスターリンを、毛沢東、レーニン、ロベスピエールにおいて回復しようとは思っていないだろうし、回復できるとも思ってはいない。ただポストモダニズムが(スターリニズムである)ヒューマニズムに後退するくらいなら、モダニズムの共産主義の悍ましい処刑場へ行けということだったのではないか。そこから、方法としての新しい思考が生まれる可能性があるならね。なにも生まれないかもしれない。ただ全部が破綻している現在だからこそね、依拠できるものない。方法的にラジカルでないと二十一世紀の思考は開かれない。


VERMEER

映画の主人公にもなった描かれているこの少女は、家政婦として雇われていたがフェルメールの助手になるらしい。ところで当時のアムステルダムには、セファルディムSephardim ーディアスポラの人々でスペイン・ポルトガルから来た商人の比較的裕福なユダヤ人達ーと、アシュケナジムAshkenazimーイベリア半島から出たがイタリア経由で東ヨーロッパから来た貧しいユダヤ人たちー が集まった。信仰の自由についていわれるが、当時オランダの人々がユダヤ人を抵抗なく受け入れた本当の理由は分かっていない。オランダとは何か?監督グリーナウエイの講演でいわれていたのが、オランダには限度なきアナーキーな自由があり、イギリスもそれと同じほどの自由があるがそれを抑圧してくるモラルの力も大きいのだと。再び歴史的な話に戻ると、清潔好きで知られるオランダ人らしく、ゲットーのユダヤ人に家の中を清潔にせよと要求したが、他にない。せいぜい法律でキリスト教徒をユダヤ教に勧誘するなと要求した程度だったようだ。根本的には世俗的なオランダ人はユダヤ人に無関心だったとスピノザ伝記作家が指摘する。他者と無関係であることは他者との共存の条件になることは現代のジョン・ケージの指摘する所であるが、だが当時はそれほどのことでもなく、やはりただ近代のオランダ人は他者に無関心なだけだったのかもしれない。だがこの偶然が歴史を決定的に動かした。生活の現場では、モデルとなっている下層の旧教徒の人々の中からユダヤ人と結婚する者が沢山いた。フェルメールの絵の至る所に、(力を喪失した) ハプスブルク帝国の復活を仄めかす徴を読み取れるというから、この少女の絵にも、例えば耳飾りの煌めく反射に、世界の全体的な回復の記号を読み取れるのかね?もはやダ・ビンチの女性のようには人間は宇宙の中心に属していない。絵画は、暗闇の空白から、(退場する)王の場所から人間が現れてくる時代の間隙を証言しているのかもしれない



(英国保守党がそうですが、ネオリべの小さな政府論者が徹底的に削減したい)福祉予算の代わりとしては、(彼らが理想的に期待する自発的な)寄付というものが非常に不安定だということを常にかんがえます。ところがゼロという話になると、これは一体なんなのだろうか?ここで仰るように、政府はなんのためにあるのかという根本の疑問が起きます。

「心斎橋大丸と青山学院の建築原図展」

きょうは北夙川不可止さんのご案内のおかげで、歴史的な日本アールデコ建築の美しさを発見いたしました。前と後のことを想像しました。この大正建築が生まれる<前>に、これを懐胎していた世界アールデコの理念は何であったかと暫く考えたのです。建築素人の私がみても、亀甲的八角形とか鳥獣戯画的イソップのイメージを観察するとき、たしかに大正アールデコ建築は日本的テクストにおいて誕生したといえるのです。このことから、そうして対象について考えることができるのも、そもそもこの建築がそこに現存することによってですが、さらに、その<前>に他のものが存在していたがそれはいったい何であったかと考えることによってではないでしょうか。普遍的理念と日本的テクストとの関係のことです。それは距離のことかもしれません。当たり前ですが、この当たり前のことが大切。その建築をそこの場所から失うことは、直になにかをそこから失うことですが、同時に、そのなにかが存在していた<前>にそこに他の何があったのかと共同体が問う身振りとジェスチャーを不可能にしてしまうことだとおもいます。このことは、場合によっては、その場所に生きる共同体にとって、現在の経験を差異化していく可能的な意味世界ー生きることの意味世界にかかわるーを失うことにもなると心配します。時間の中にある<他>の痕跡を共同体が失うかもしれませんから。建築と場所の保存は意味世界の保存であり、ここから、昔の映画の保存の場合と同様に、建築と場所の保存は倫理的な問題に関わる問題だと気がついたとき、共同体の意味世界との関わりを、決して偶然に、つまり国の文化保護に関する無策と資本の恣意に、委ねてはならないということをあらためて今回の展示でよく学ぶことになりました。



第二次世界大戦前ほど金持ちが金持ちになり貧しいものは貧しくなった時代はなかった。貧富の格差のことである。映画監督ヴィスコンティーが描いたようにたとえ地獄に墜ちることになる真っ暗な未来だとしても、なんやかんやいってもやめられないのは、戦争は資本家(総体としての資本)にとって儲かるのだ。だから、現在に眼を向けると、傍観者な観察といわれようとも八十年代ドゥルーズが示唆していたことを踏まえると、武器を生産するほどの大企業の賃上げ要求を中心とするような労働組合とその労働者は寧ろ、最初から剰余価値の生産の為に生産する資本、つまりその資本を構成する可変資本としてとらえた視点はそれなりに正しいのではなかったか。ここで言いたいことはその場合、資本の有機的構成の効率化によって絶えず過剰となる雇用を、軍隊が文字通り雇用することになるから、不足がないという体制のことである。もし不足が起きたら、現在イギリス保守党がこの数年間ずっと期待していたように、ただ、国家は、雇用を作り出す大きな戦争に巻き込まれていけばよいのだ。再び増大する剰余価値を掴むことができる。ここから怖ろしいのは、その他は存在しない、あるいは存在しても意味がないとする言説が覆うこと、1930年代がそうだったように。現在は「この道しかない」のか? この疑問は意味がない。そのかわり、軍事部門を自立化させそれを生産部門の中心に見事に据えたネオリベ国家を称え、そして地球の裏側で起こるドンパチ戦争を待ち望んで、日本会議が、救済神学「美しい日本」を高らかに唄うぞ。戦争こそが精神の不均衡である過去の罪悪感を清めてくれると。大和国家の詩人になれ、そのためには現代語訳で蘇った「古事記」を読めと。この安倍への真っ直ぐな共感を通じて自らも加担している言説の監獄のもとで、どの人間も、心の中心から洗脳されていくことになるなんて。この中心から脱出する道はないのだろうか?きっとあるはずだとおもうよ



英労働党のコービン新党首、24の信念 ( BBC)

4. 中東地域で平和を実現するには、武装勢力との対話が必要。パレスチナのイスラム組織ハマスやレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラを「友人」と呼んで、激しい批判を浴びたことがある。本人はこれに対し、友人という言葉は「総称的」に使ったと説明。いずれの組織にも賛同しないが、和平プロセスというのは「意見が大きく異なる相手とも話し合わなければならないものだ」と指摘した。

17. コービン氏は自転車派。車は持っていない。BBCのインタビューでもクリス・メーソン記者との同乗を断り、「いつも自転車で移動している。告白しないと。実を言うと、これは相当よろしくない内緒だけど、実は自転車を2台も持っているんだ」と打ち明けた。超党派の国会議員らによるサイクリング・グループにも所属している。

19. アイルランドは統一されるべき。コービン氏は長年にわたり、英国は北アイルランドから手を引くべきと訴えてきた。1984年には、カトリック系民族主義政党シンフェイン党のジェリー・アダムズ党首を英下院へ招いた。1987年にカトリック過激派アイルランド共和軍(IRA)のメンバー8人が英陸軍特殊部隊(SAS)に殺害された際、1分間の黙祷を捧げて非難された。議会スタッフにアイルランド統一主義者のローナン・ベネット氏を登用し、物議を醸したこともある。

21. すべての子どもに楽器の演奏または舞台演技を習う機会を与えるべき。コービン氏の芸術振興策には、地域プロジェクトにより多くの資金を振り当て、市民が芸術に触れる機会を増やし、BBCの予算削減を食い止めるという案も含まれている。

23. 「北大西洋条約機構(NATO)の権限に関する真剣な議論」が必要だ。ただし、「国民は総じて脱退を求めてはいない」と指摘する。以前は脱退を主張していた。そして今も、NATOは90年の時点でワルシャワ条約機構とともに消滅するべきだったとの考えを示す。コービン氏によれば、NATOが公然と東方拡大を続けた場合、ロシア軍は「NATOに対抗して拡大」せざるを得ないとの結論に行き着く恐れがある。


今日はジャン=リュック・ゴダールの誕生日・・・

『映画史』(Histoire(s) du cinéma、「単数(複数)の映画史」の意)は、ジャン=リュック・ゴダール脚本・監督による、1988年 - 1998年の間に断続的に製作および発表され1998年に完成した。翌年の1999年に、NATOによるコソボ空爆が展開されることになった。怖ろしいことに、政治家が訴える、人権、ヒューマニズムを根拠にして行われる空爆は、このコソボ空爆からだった。映画史という全映画の埋葬が終わったとき、だが依拠できる言葉の場所を見つけられず漂う映画たちの魂たちが完全に消滅しきってしまうまえに、最後の一人まで消滅させてしまうかもしれない空爆がはじまり戦争の商売が活気づいたのである。空爆する国の勝手な事情で犠牲者がいくら出てもお構いなし。われわれはフランスと共にあると政治家が言う恥ずべきその意味は、われわれは空爆の商売とともにあるということだ



Iván Szelényi on the varieties of post-communist capitalism: "the various types of post-communism have unexpectedly begun to re-converge around a new model, pioneered in Russia since 2000. Somewhat surprisingly, this new system seems to be attractive to some of the Central European countries, especially Hungary. Even China is changing. When Beijing first began to privatize the public sector in 1997–98, after two decades of reform, it followed the strategy of Eastern Europe. Since the ascent of Xi Jinping, there are indications of some convergence with the new Russian model." (New left review)



「邦無道、危行言孫 (邦道無くれば、行いを危しうし、言孫(したが)う)」
(「論語」憲問第十四第4章)
大意 (君子は道を枉(ま)げるべきではないが、極言して禍を招くことは避けるべきである。伊藤仁斎)

「監獄の誕生」はあまりにも、ノンポリの社会学者たちに委ねすぎてしまったのかもしれないなあ、だって彼らのもとで'息苦しさパラダイム'ばかりが喋ることになった。だがそうか? 監獄機械としての人間の問題と、スターリニズムにおける監獄の知識人の問題、この両者は、フーコにおいて、互いに切り離せないような相補的な関係にあったとみるのが当然であろう。そうして、日本左翼知識人は(無誤謬主義に陥る真理的)理念に対しては、経験知の介入の不可避性を猛省したはずだった。ところが、その多くは再び、監獄の知識人の存在を見逃すことになった。あの天安門前の弾圧を目撃しても、現実には、形骸化した理念(中国スターリニズム)に対する、経験知の介入がいかに困難かと思い知らされる。もちろん真剣に考えてパラダイム転換した人たちもいた。(それにしても、20世紀最大のスキャンダルともいえる、反ファシズム共同戦線を決定的に崩壊させてしまった、「独ソ不可侵条約」のヒトラーとの共謀関係を知りえたはずなのに、ハンガリー事件までスターリンを批判しなかったサルトルのことをいえない。) 現在尚、経験知から劉暁波その人を擁護することになると、言論的に孤立することになるか、酷い場合は誤解によって「反中」の烙印を一方的に押されてしまうという危険すらある。その結果、アジアへの大きな共感を持つ故に、右翼からは左翼と非難されてきた知識人が、今度は左翼からは右翼と非難される羽目に!? 「論語塾」で学んだ「邦無道、危行言孫」 とはこのことか?ネット言論が形成されつつある現在そして2500年前の木簡?の昔からあった、自己の言説の展開に責任をもとうとする人々が避けることができぬ、党派としての学問、党派としての言論の政治性は本当に厄介だね

イギリスがシリアを空爆、という新聞の見出しを今日読んで

一番よい解決は現地の人々がテロ組織を撲滅すること?だが、それを指摘する識者によれば、良い悪いは別として、現存のテロ組織は西欧に対する一定の軍事的対抗勢力として現地でそれなりに支持を得ているということも事実なのだ。ホワイトハウスのブッシュに追従したイギリスの英国に対する執着は、植民地時代からの顕著な心理的'病'だと中近東の人々に分析されていた。しかし構造の問題として、グローバル資本主義の時代に、英仏が彼らが第一次大戦後に拵えた国を空爆することの意味はいったいなにか?このこととの関連において、映画はハリウッド映画とヨーロッパ映画から吸収した多様な文体と前衛的なリズムを失っていく六十年後半・七十年代に、ヨーロッパ外部の不均衡の問題に、殆ど単独的に映画で介入しようと試みたゴダールの政治多元化をもとめた視点と思考の意味が現在、再び検討される必要があるのだろうと思う。やっとこの私にもわかってきたことだが、20世紀初頭においてすでに、たしかに「映画史」の至るところ空爆の映像が流れていたし、また故郷喪失のサィードが読もうとした「ユリシーズ」では亡命前衛作家と移民・難民との間の区別が取り払われていたことを思うと、ビデオと文学批評を通じて聞き取られないようなわずかな声だけれど、空爆にたいする抗議をつぶやきまた難民の存在を喚起させる知識人ニュースを構成していたのがいまさらわかった...




「たまには、『なまけ者』になるのも生きていくには必要」

戦争体験をもつ人の言葉の意味は何か?権力妖怪から自立した『なまけ者』になろうということではなかったか。テロと戦いの勝ち負けにあまり思い詰めずに...、あまり思い詰めると、「ゲゲゲの鬼太郎」に喜劇的に描かれていたようなパターンに陥って、敵味方の勝負に思い詰めた自らが欲界の権力妖怪如きものに変貌してしまう悲劇だって起こるのだから。もっと話し合いと外交による解決に託すことの可能なスペースがまだまだある。だけれど、<空爆先ありき>の言説に翻弄されるような世論ではね。もうこれ以上テロ組織の犠牲者を出したくないと言う説得はもっともらしい。しかしその場合、空爆する側の国の事情で、空爆によってやはり犠牲者を出すことになることをわすれてはならないとおもう。これはコソボ空爆からイラク空爆まで学んできたことではないか。どうしても介入は必要とされるとしても、テロの原因は経済的不平等だと考えるとか、テロが激しくなったからこれをやめさせるために空爆せよといわれるが、そもそも米国の空爆でそのテロが激しくなったのではなかったかと疑うところから、現在の危機の解決のためには本当に何が必要とされるのかを考えることができる。ここから、現実に、現在の苦痛に満ちた危機をより緩和していく解決が少しづつでも確実にはじまるのではないか



スイスの現代建築家は旅人の視点でロマンチックな風景画を描いている。あのコルビジェがオリエンタル・ウーマンの絵を?と思ったものだが、色々な国の近代に色々なオリエンタリズムがあらわれたのだ、現在進行形で発明されている、ハリウッド映画とか観光の宣伝から、変身願望を消費させてくれるコマーシャルから、また天気予報の解説のレトリックからさえ。オリエンタリズムといえば、オリエンタリズムの眼差しの客体の側におかれてきたのがアイルランド。シング Syngeの戯曲「西の国の人気者The playboy of the Western World」 (1907)が描き出していたように、そのアイルランドにとって再びアイルランド西部がオリエンタリズムの眼差しの対象となった。オリエンタリズムのオリエンタリズム、東の東、という入れ子構造が近代に存在している。反植民地運動が自らの文化的多様性のアイデンティティーとする、オリエンタリズムのオリエンタリズムについて、ジョイスはこれを帝国主義の視線と同一視して批判していた。ジョイスの神話的リアリズムの文学は、神話を利用してリアリズムを拒むと同時に、リアリズムを利用して脱神話化をおこなうことになった (「ユリシーズ」)が、宮田恭子氏訳によるカイバードの批評(九十年代)は原文と共に上に投稿。「悲劇的にも、復興運動家が知らされることは原住民地域に異国的なものを求めてやって来る帝国主義者が知らされることと同じである」というところがポイントだが、文化的多様性を求めたつもりがただの対抗植民地主義でしかない復興運動も、政治的多元主義を拒む帝国主義も、ブラックホールの如き特異点をなすのだけれど、ここから巻き返していくような、そうして思考が依拠できる連続性の空間にどういう思想家たちを見出すかだね、とくにグローバル資本主義と帝国の時代にあって対抗する政治多元主義の言説が重要となってきた現在の思考をもっと活性化させるために


近世の知識人・平田篤胤の「仙堺異聞」。ここには徳川日本のいわばオリエンタリズムに等価値のものを証言していると考えられるものがある。鎖国時代のオリエンタリズムの根底に、閉ざされているからこそ不可避的に沸き起こってくる、想像された異界 (そこから'原初的なもの'、'起源') への好奇心と外部世界(西洋文明)への好奇心とが互いに絡み合って結びついていたことを、同時代の諸々の言説を映し出す「鏡」たる寅吉の語りと篤胤の文献学的文章から読みとれようか。以下は、子安宣邦氏による「仙境異聞」の解説 '異界の表象と異界の構成'
「こうして寅吉が伝える山人の世界すなわち異界を構成するのは、ほどんど天狗に等しい異類的な、しかも神格を具えた高位の山人から、彼に仕え、そのもとで修行し、それなりの異能を具えた山人たち、そしてその世界の異類性からたえずそこに混入してくる魔性の異類・変化(へんげ)たちである。異界とは聖性から魔性にいたる質的等差を含んだ異類的存在者たちの世界である。だが此の世の人々は異界をこわごわとしか表象しない。あの天狗の飛翔力とともに一気に非日常の世界に己の想像力を飛ばすことができない。人々は此の世の衣食住という日常性を前提にして、此方の世界と同じ物が彼方の世界にもあるのかとくりかえし質問する。同じものを食べるのか。同じものを着るのか。そして同じように住まうのか、と。この種の質問に寅吉は常にいらいらと不快さを顕わにしながら対応する。「此方(こちら)と異(かわ)ることなし」とは、それらの質問への寅吉のいつもきまった答えである。だが人々のそうした質問は、此方の同質的な衣食住という日常性のレベルに立ちながら、せいぜいその転倒ないし変形としてしか異質を、そして異界を思い描きえないことを示している。それはちょうど西洋のオリエンタリズムが描き出す、西洋の転倒としての異質オリエントの世界のごとくにである。」



二つの公的言語、アイルランド語と英語の間でまごついている仏頂面の農夫の運命は、「若い芸術家の肖像」のスティーブン・ディーダラスの日記にたびたびあらわれる。
「ジョン・アルフォン・マルレナンがアイルランド西部から帰ってきた。ヨーロッパとアジアの新聞よ、種をあげよう。彼はそこの山小屋で一人の老人に会ったという。老人は赤い目をして、短いパイプをくわえていた。老人はアイルランド語を話した。マルレナンはアイルランド語を話した。それから老人とマルレナンは英語を話した」
ジョイスはここで、言語復活に対する広範な期待、コミュニケーションの道をゲーリックの過去に対して開くという期待を嘲笑する。しかし彼もまた英語を話す現在のアイルランドに満足しているわけではないことは「肖像」から明らかである。老いた農夫はこのゲーリック・リーグのメンバーのノートのためにアイルランド語のフレーズを二つ三つ思い出そうとしてなかなか思い出せないが、実際は(ジョイスが見るように)、英語もアイルランド人に包括的表現手段を与えたわけではなかった。(・・・)
「肖像」末尾のスティーブンの日記のマルレナンの農夫の記述では、分裂した精神はヒステリー寸前の状態に至っている。
「ぼくは彼がこわい。ふちの赤い、角のような目がこわい。夜が明けるまで、彼かぼくかどちらかが死ぬまで、ぼくは一晩中彼の頑丈なのど頸を掴んで格闘しなければならない。・・・どうなるまで?彼がぼくに降参するまで?いや。危害を加えるつもりはぼくにはない。」
ジョイスは混合した感情を持ち、沈黙、追放、狡知が母国の伝統がしかける挑戦に対する回答だという決定的確信もないまま、ゲール語のアイルランドに背を向けた。彼が不安に思うのももっともだった。
「マルレナンは宇宙や星のことを彼に話した。老人は腰を下ろし、耳を傾け、煙草をふかし、唾を吐いた。そして言った。
ーああ、世界の向こうの端っこにはとんでもない妙な生きものがいるに違いない。」
(・・・)マルレナンと農夫の出会いが語ることは慰めを与えなかった。失われたものが何であれ、それを取り戻すことは不可能なのである。ゲールタハト、すなわち素朴な土着文化保護の地域の建設それ自体が、植民地主義に対する明らかな答えというよりその結果かもしれなかった。ジョイスの作品には二重の摘発がある。復興運動と同じく彼は植民地主義を告発するが、さらに進んで、土着文化が植民地主義の期待に応えない、つまり本物の「別の地」(エルスホエア)でないとして告発する。復興運動家もこの欠如を感じるが、彼らの反応は農夫を農夫自身が決して主張しない神聖な価値の権化にし、彼を不満足な願望の呪物にすることである。復興運動家はこうして「収集家の憂鬱」、救い出される
次の叙情詩、土着語の次の話し手が自分の求める聖杯を示すだろうという、じれったいだけの希望を知ることになる。しかしこのような文化トロフィーは一時的まじないに過ぎないでしかない。どの一つでも少し長く楽しみ過ぎれば、復興運動家がやけくそでそれらを引っ張り出した時と同じ虚しさに直面することになる。悲劇的にも、復興運動家が知らされることは原住民地域に異国的なものを求めてやって来る帝国主義者が知らされることと同じである。原始的体験を求めたマルレナンは挫折する。自分が容赦なく切り離されている古代文化の領域を回復しようとして、マルレナンは代わりに自分のと同じくらい半端な相続財産しかもたない農夫を見出す。絶対的「別の地」(エルスホエア)などどこにもない。アイルランドの無垢とイギリス文明の不満の理論が争点となりうる究極の辺境すらない。」(デクランカイバード「ジェイムスジョイスと神話的リアリズム」 宮田恭子氏訳)

The fate of a sullen peasantry left founding between two official languages, Irishi and English, haunts the diary entries by Stephen Dadedalus in A Portrait of the Artist as a Young Man;

John Alphonsus Mulrennan has just returne from the west of Ireland. European and Asiatic papers please copy. He told us he met an old man there in a mountain cabin. Old kman had red eyes and short pipe. Old man spoke Irish. Mulrennan spoke Irish. Then old man and Malrennan spoke Einglish.

Joyce there mocks the idespread hopes of a lanuage revival, of opening the lines of communications to a Gaelic past; but it is obvious from A Portrait that neither was he fully happy with the English-speaking Ireland of the present.Though the old peasnt might struggle to recall a few phrases of Irish for the Gaelic Leaguer's notebook, the truth (as Joyce saw it ) was that English did not provide a comprehensive expressive medium for Irish people either. (...)

In the treatment of Malrennan's peasant in Stephen's diary at the close A Portrait, split-mindesness has grown to near-hysteria;

I fear him. I fear his red-rimmed horny eyes. It is with him I must struggle all through the night till day come, till he or I lie dead, gripping him by the sinewy throat till...Till ehat ? Till he yield to me? No. I mean no harm.

Joyce turned his back on Gaelic Ireland with mixed feelings, and no final certainty that silence, exile and cunning were answers to the challenge posed by the native tradition. And well might he have been afraid;
Mulrennan spoke to him about universe and stars, Old man sat , listened, smoked, spat. Then said;
- Ah, there must be terrible queer creatures at the latter end of the world.
(...) What Mulrennan's encounter with the peasant told them was not comforting; it would be impossible to reclaim whatever had been lost. The very construction of a Gaeltacht, a zone of pristine nativism, might itself be an effect of colonialism rather an obvious answer to it. In Joyce's text's, there is a double exposure; he indicts colonialism, as do the revivalists themselves, but then he proceeds to indict the native culture for not living up to expectations of it, for not being an authentic elsewhere. The revivalists feel this lack, too, but they respond by making the peasant the embodiment of sacred values which the peasant himself would never claim to uphold, converting him into a fetish of unsatisfiable desire.The revivalist thus comes to know the 'melancholy of the collector', the tantalizing hope that the next salvaged lyric, the next native speaker, will perhaps reveal the holy grails that he seeks.Yet these cultural trophies can offer no more than a fleeting charm, for to linger over ant for too long would be to confront in them the selfsame emptiness which led the revivalist, in desperation, to evoke him. The tragic knowledge which awaits the revivalist is that also which attends the imperialist. Desiring a pristine experience, Mulrennan is thwarted; hoping to recover the scope of an ancient culture from which he was cruelly separated, he finds a peasant whose inheritance is as broken as his own. There is no abosolute elsewhere to be faund, not even a final frontier where the theory of Irish innocence and the discontents of English civilization could come to a competitive point. (Declan Kiberd; Inventing Ireland)



昔の投稿

なぜ人々は金を数えるのか?

昔アイルランドの友人がイギリス人の金のことばかり喋ることを憂うときに、'プロテスタントの病'といってため息をついたものでしたが、イギリス人が書いた「ロンドのバイオグラフィー」という本を読んだとき、イギリス人は金が好きなのではなく、明確性が好きなのだ、と説明していました。これは、いかに金を数えることができない人々がいるかを嘆いているようにも読めます。つまり、常の事として、英国の<他者>であるアイルランドを皮肉っています。そうして一生懸命屋さんのイギリスの「文明化」のおかげで、純粋無垢に曖昧な世界に眠りこけていた怠けていたエデンの園が覚醒したとする、(よけいなお世話?)、オリエンタリズムの語りが成り立ちます。ただしもともとはイギリスはカトリックの国でした。ステレオタイプ的には、ローマ・カトリックは「精神世界」の明確性の帝国ということ。地理的にこの中心から遠く離れて端っこにあるアイルランドにも明確性によく似たものがなくはないのです。アイルランドの作家ならば、スコットランドのヒュームにしたがって、<想像力=曖昧なもの>、としたうえで、<曖昧なもの>の否定、というふうに構成的に行くのです。結局、このような明確性の定義は、<曖昧なもの>から出発する以上、常に、<曖昧さ>とは<曖昧さ>であるのに、なぜそれが<曖昧でないもの>であり得るのか、というスコラ哲学的な?アイロニーの問いを含むことに注意しなければなりません。これが案外イギリス人を言い負かすときに大事だったりする(爆)。ま、いいのですが(笑)、はじめの問題提起は、なぜイギリス人は金のことばかり喋るのか?でした。実はこれは正しくありません。なぜブルジョアは金のことばかり喋るのか?、それはかれらは明確性を好むからだ、という問答ならば、正しい構成です。歴史的なことをいいますと、産業革命以降、ブルジョアに打ち負かされてくるイギリスの貴族は、対抗的な反ブルジョア的な価値観を発明していきました。そして負け犬である貴族の価値観はアイルランドに輸出されていきました。それは、実は、曖昧なものを重んじる神話的な想像力、のことでした。アイルランドのナショナリズムはこの英国上流階級の価値観を住処にするのですが、これは少し考えてみれば大変な矛盾であります。演劇の世界では、オケーシーO'caseyのリアリズムがこのような神話的思考に対抗していくことになります。ロマンティックな神話的イェ―ツと、神話的リアリズムのジョイスとの間の愛憎相半ばする関係を理解するときも、やはりこのような階級の視点が絶対に欠かせないとわたしはおもいます。

感化の大きな運動ではないか?共同体の互酬原理との関係もかんがえてみるべきであろう
アートがexpression(内にあるものを・外へ押し出す)でもrepresentation(再現)でもないこと

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十二月 2005年 (1) 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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