言葉と表現と射影のブログ

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<<   作成日時 : 2016/05/23 15:30   >>

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アフリカ文学とアイルランド文学の<アンチ・オィデプス>的抵抗の意味を読み解く

ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)の『闇の奥(Heart Of Darkness)』は、1979年に映画監督コッポラによって翻案され『地獄の黙示録』として映画化されました。この原作は、アフリカ植民地主義のオリエンタリズムといわれます。植民地主義と文学との関係についていえば、ミュージカルの原初的形態ともいわれる、『妖精の女王』(The Faerie Queene)を書いたエドマンド・スペンサー(Edmund Spenser)は、アイルランド総督に仕えていた植民地主義者で、「固有の言語や習慣が暴力によって破壊されるまでアイルランドがイングランドに完全に制圧されることはない」と書いていたほどです。さて20世紀のアフリカとアイルンドの作家達は、吃驚しますが、あえてこれらのコンラッドとスペンサーをそれぞれ、アフリカ文学の父、アイルランド文学の父として構成することによって、ヨーロッパの近代主義と(反帝国主義の)ナショナリズム言説が共に依存するような、「敵」「味方」の境界線を相対化してしまおうとしたんですね。その意味で、「カントをドゥルーズの「敵」とするならば」(國分)というのがかえって敵味方にこだわる傍観者的潔癖がみえてしまうというか、すごく日本人っぽいと思っちゃうのは、ここには、自己の「敵」を敢えて「父」としてしまうような<アンチ・オィデプス>的抵抗の意味が、恐らくは言説の事件性にかかわる政治的なことが、理解されることがないからなんですよね、ただ器用にあちらの項(ヨーロッパ1”フランス’)とこちらの項(ヨーロッパ2”ドイツ’)を反転しているだけ。。しかしなぜなのでしょうか?日本の「哲学者」たちはいつ理解できるようになるのでしょうか?




絶望的に退屈な「分かり易いドゥルーズ哲学」(國分功一郎)

imaginationは「想像力」か?「構想力」か?1984年の中島盛夫はまだ「想像力」と訳していたが、2008年の國分功一郎の訳では構想力となった。中島は「しかし神学的形而上学の批判ということは、今日考えられるほど生易しいことではない。この形而上学は西欧の哲学思想にとって宿命的な前提であり、たとえ宗教の衣裳を脱ぎ捨てて世俗的姿に変貌しても、ついて離れない影のようなものである」という。これにたいして、國分のもったいぶった解説では「分かり易いドゥルーズ哲学」が強調されている。とはいえ、カントの批判哲学から、どうしてドゥルーズの存在論を導き出せるのか、あるいはできないのかは難問だ。しかしきちんと答えが書いてある。ここで、「超越論的領野における<特異性・出来事>[singularite-événement]のセリーについては説明を割愛したい。」と書かれてあるのが、それである。構造主義ならば、批判哲学あるいは存在論でなければならない。どちらかに統一しなければならない。しかし、批判哲学と存在論、でいいではないか。それがドゥル―ズがまさにはじめていうことになった、差異を差異のままとどめながら「開いたシステム」なのであろう。または、政治の現実とのかかわり合いのなかで、批判哲学に依ることではどうしてもやっていけないということが起きる。存在論でなければやっていけないと。政治であるからそれは説明できない。あえて詩として書くだけである。しかしそれなのに、こうした説明できない<特異性・事件性>を、再び、「われわれは、ドゥルーズがカントに向けた批判をドゥルーズに向けることができるだろう。内在的平面は想定されているのではないか?」という時、<特異性・事件性>なき絶望的に退屈な「分かり易いドゥルーズ哲学」とともに、内部化と純粋な内部に絡みとられていく<差異>なき絶望的に退屈な國分功一郎があらわれてしまうのである。


このまえの日曜日のこと、自由ヶ丘の方に向かって散歩していたら、「自由のない国に反対!」と訴える声がきこえてきました。「権利のない社会に反対!」ならわかるが、そうではなく、「自由のない国に反対!」、と、ラップの語り口で繰り返し呼びかけるのです。「自由のない国」というのは、なんだろう、なにか違和感があるのですね。声の方向に近づいていくと、主張を全部ひらがなで書いた車に先導された、姑息に周囲から好感を得ようとする気が抜けた中高年百人ぐらいのルーチンワーク的デモ行進。だがその一番先頭で、デモからも浮いていたかもしれないその若者がいました。繰り返される、「自由のない」というその言葉に恐ろしく切実なものを感じました。


フーコー

解釈の複数性、解釈間の戦争の問題は、思うに、解釈の定義そのものによって構造上可能になっているのです。というのも、解釈は無限になされ、解釈自身が自らを判断し決定する際に基点となる絶対的な地点は存在しないのです。−ニーチェ・フロイト・マルクス−



「現国」はなんといっても思春期のときに読みますからね。高校教科書のなかで「現代国語」だけは別格な存在。「現国」の中の文章から、精神的に影響を受けたという話はよくききます。そういう意味で、だれが書いたか、どういう内容であったかは忘れましたが、このベラスケスの絵画にたいする関心は、それについて触れて書かれていたその批評文からはじまったことはたしかです。ただ非線形の入れ子構造のような精緻なテーマを執拗に考えていたのではなく、当時は16歳とか17歳18歳でしたので、画家は筆を手にとってこれから書き始めるのだろうと楽観的に思ったものでした。ところが最近は、画家は書き終わった筆をもっているとは考えずに、書いたものを消し始めたとか、真白にしていくのだろうと悲観的に楽観しはじめています😆



ボッシュ「阿呆船」に描かれた人々がどこへ行ったかということがどうしても気になって仕方がない。この人たちはどこへ消えて再びどこに現れたのか?「阿呆船」はヨーロッパ人に大きなインスピレーションを与えるのは、それが亡命とか、あるいは内部亡命的に隠棲することがとりうる政治的態度としてヨーロッパの伝統の中にあるからなのだ。ここから、「阿呆船」の人々はスペイン帝国に上陸したと想像するのも自由だ。つまりユダヤ人の歴史である。ベラスケスは自立的な言説者であろうとした自らを描くときに、己がどこから来たのかという痕跡ーモデルなのかコピーなのか分からないような決定的な多義性ーを示す必要があった。宮廷の内部とはいえ、われわれからは裏側しか見えないそのキャンバスは、表象の全部を消し去った真白だったと思う。整理・分類され表(タブロー)にされるのを拒んだのがユダヤ人の歴史だったから。こういうことは、フーコの「狂気の歴史」「言葉と物」巻頭の挿絵をみればわかることだ。「阿呆船」の他者たちは近代にどんな扱いを受けることになったのかも「監獄の誕生」挿絵に示される(「少年少女の敏速な矯正のための蒸気機械」18世紀版画)。「阿呆船」の他者たちのなかには<地図製作者>が存在していた。それがフーコである。はじめて地理学者を描いたのはフェルメールであるが、言説地図をはじめて書いたのはフーコであった。そしてフーコは留まらない。構造主義の人間中心主義への還元を批判してきたそれまでの批判哲学の領域とは全く異なる方向へ行く。古典ギリシャに遡り、自己の身体的配慮についての問題を考えていった。自己の身体的配慮は、公の支配を超えた、もっと言うと、私と公を超えた、儒者たちならば「天」と呼ぶであろうものに通じると言いたかったのか?そうして人間を語るときフーコの保守化が言われたがそうではあるまい。フーコにおいてどの領域が始めをなしどの領域が終わりをなすのかということはだれも指示することは不可能だ。そもそもそんな必要もないのだからね


六四、一つの墳墓     劉暁波

権力の標章を護衛する兵馬俑が
世界を驚嘆させる
宮殿より荘厳な十三陵が
また西洋人を驚愕させる
毛沢東の記念堂が
奴隷の心臓の中心に築かれている
我らの悠久の歴史が
帝王の墳墓により光り輝く
だが「六四」は
墓碑のない墳墓
恥辱を民族と歴史のすべてに刻む
墳墓

「六四」、一つの墳墓
忘れられ荒れはてた墳墓


ヨーロッパの城は宿泊できるようになっている。だけれど、伯爵というのは、文学の世界にしか登場しない貴族たちで、どこかに存在しているとしても、地下鉄とかバスに乗っていては永久に会えないような高みの存在と思っていたのだが、ネットにおられた。
「(前略)、わたしは測量士だ。伯爵にたのまれてやってきた。おっつけ明日にも助手たちが道具を車に積んでやってくる。雪で手間どりたくはなかったんだが、何度も道に迷ったりしたものだから、こんな夜ふけに着くはめになった。(後略)」 フランツ・カフカ 『城』



「画家の任務は、真白な画面を埋めることではなく、むしろ空にし、取り除き、拭い去ることにある。ゆえに彼は、対象をキャンバスに再生するために画くのではなく、モデルとコピーの関係を逆転する機能をもつ絵を生産するために、すでに存在しているイメージの上に画くのである。」ドゥルーズ



3. Le coup de dés 4. Le sommeil sur les cendres, après la bougie soufflée. A peu près ce qui suit :3―賽の一振り。4―灰となった亡骸の上で眠り、蝋燭を吹き消した後で。ほぼ次の次第で

リゾームbot ドゥルーズ=ガタリ ‏

プラトー〔高原・台地〕はつねに真ん中にある。始めでも終わりでもない。…さまざまな強度の連続する地帯、みずからの上に打ち震え、何かある頂点へ、あるいは外在的目標に向かうあらゆる方向付けを回避しつつ展開される地帯である。



ドゥル ーズは フー コ ー権 力論 の
特 徴 を次 の5点 に おい て理 解 して い る

フ ー コ ー権 力論 の検 討

(1)固有 性 とい う措 定で は な く,戦 略性 の 重 視 。権 力 は所 有 され る もの
で は な く,戦 略 的 な立 場 の効 果で あ る。

(2) 局在 化 とい う措定 で は な く,遍 在 性の 重視 。 権 力は 国家 装 置 な どの
な かだ け に局 在 す るので は な く,あ らゆ る関係 の 中 に遍 在 して い る。

(3)従属 とい う措 定 で は な く,内 在性 の 重視 。権 力は生産 様式 な ど下 部
構造 に従属 す るの で はな く,監 獄,学 校,工 場 な どそ れ ぞ れの 空 間 に
内在 して い る。

(4)抑圧 ・イ デオ ロギ ーとい う作 用 様 式の 措 定 で は な く,現 実 的産 出性
の 重 視 。 権 力 は 抑 圧 や イ デ オ ロ ギ ー を 通 じて の み 作 用 す る の で は な
く,規 格 化 に よ って 現実 的 な もの を産 出 して い る。

(5)合法性 とい う措定 で は な く,実 際の 法 行 為 の 重視 。権 力 は法 に よ っ
て 合法 化 され る と考 え られ てい るが,法 と は法 行 為 の合 成 定 式 化,差
異 化で あ り,法 は戦争 の 結 果で は な く,戦 争 その もの で あ る。


ミシェル・フーコー ‏bot

175 ミシェル・フーコー、違法性と処罰術 石岡良治訳
 (G・タラブとの対話)、「プレス」誌八十号、一九七六年四月三日、2ページと23ページ。

「実際、社会は処罰システムによって合法性と違法性のゲームを組織し、整備し、政治的経済的に有益なものにしようとしているのであって、社会はこの二重の鍵盤をとてもうまくプレイしているのです。まさにここに政治運動のターゲットが位置づけられるべきであるように私には思われます。」(本文より)

文化大革命期のまるで収容所の内部での手口が白日の下へと突如現れ出たかのような紅衛兵の方法、即ち人に過ちを認めさせたり再教育したり、面目を失わせるようにしたり、笑いものにした光景と、それよりも四・五年早く収容所内で体験された光景との間にある類似性、これはひどく恐ろしいことです。


その時代全体から逃避する亡命の思想、あるいは内部亡命的に隠棲することがとりうる政治的態度の思想、「賢者は乱世を去る」と毅然と言いうる自立的な言説者の思想

フーコは権 力は 国家 装 置 などのなかだけに局 在するのではなく、あらゆる関係 の中に遍 在していると指摘した。「実際、社会は処罰システムによって合法性と違法性のゲームを組織し、整備し、政治的経済的に有益なものにしようとしているのであって、社会はこの二重の鍵盤をとてもうまくプレイしているのです。まさにここに政治運動のターゲットが位置づけられるべきであるように私には思われます。」(フーコ)。ここで、例えば、文化大革命期のまるで収容所の内部での手口が白日の下へと突如現れ出たかのような紅衛兵の方法、即ち人に過ちを認めさせたり再教育したり、面目を失わせるようにしたり、笑いものにした光景がいわれていることをフーコbotであらためて読み知った。このような文化大革命の社会と天安門前抗議者を迫害した官僚資本主義の社会とは連続しているとあえてかんがえてみようというのである。この二つの社会は、処罰システムによって合法性と違法性のゲームを組織し、整備し、政治的経済的に有益なものにしようとしている点では、類似しあっている。ところで、恥ずべきことに、日本を代表する知識人たちの中には処罰システムを文化論的に内在性の言説によって正当化する者がいるが、これはなにを意味するのかという点もここで問わずにはおれない。その時代全体から逃避する亡命の思想、あるいは内部亡命的に隠棲することがとりうる政治的態度の思想、「賢者は乱世を去る」と毅然と言いうる自立的な言説者の思想が根本的にないことを意味している。このことこそが、どんな国境も越えて共犯的に権力があらゆる関係 の中に遍 在 していることを意味している、とわたしはかんがえる。




われわれの言語が言語化できないような、人物の性と日常事物の規範の間の一致、その無分節の世界について「中庸」は物語る。それは朱子学の難問を構成する。伊藤仁斎は四端の心という倫理学の再構成からそれを読み解いた。仁斎は理念的な「道」を第一にした。「道」を個々が内面的に実現していくのであり、同時に、同情心をもって生まれた人間が同情心を育てるのは「教」である、という言説は互いに補い合っている。そこからは、共同体は積極的な役割を見出すことはできないと考えた荻生徂徠は、個人の内面的道徳論を超えて、人間社会全体への視点をもとうとした。その思想の根底には中国古代の先王の「道」がある。『弁名』は、先王が人間社会形成のために命名したことばー共同体がそれは何を指示しているのか読めなくなったーを探究する。朱子学の難問について、伊藤仁斎は倫理学の再構成からそれを読み解いたと言ったが、徂徠は聖人の制作という社会哲学的アプローチで解決しようとしたといえよう。徂徠の古代における祭政一致の読みは、近代天皇制国家のブルー・プリントであるが、近世の徂徠は近代の民族主義者ではありえなかった。徂徠は人間社会全体への視点をもった江戸思想の知識人である。いかに朱子学的正しさにこだわることよりも、いかに民が安心できるのかというかれの経世斉民の視点は、今日の東アジアの民族主義に絡みとられた歴史修正主義のリーダーたちの国家主義的言説ー安倍が原因をつくったーを巻き返していくことの意味を与えてくれるのではないかとわたしはかんがえている。

ヨーロッパの旅は私にとっては、書物の旅。書物は時間のなかを旅する(ボルヘス)。この書物の旅でわからないのは、たとえばルソー「エミール」を読むときのフランス啓蒙主義というあのおそるべき普遍的抽象性はどこからきたかということ。この点をかんがえながらフランスをその外側からみてみようとと実際にイタリアを旅してみると、フランスにあるものは全部といっていいほど、イタリアが先行していたのではないかと思う。皇帝と教会は互いに対立し合ってきたが、この両者の権威に対抗したのは、都市の自由(イタリア)であった。その後に隷属的民衆であることを拒んだのが個人の自由(フランス)という理念であった。ルネッサンスを契機に時代と同じ大きさをもった都市があらわれたとしたら、フランス革命からは、時代と同じ大きさをもった人間(思想家)があらわれたということだ。「都市の自由」よりも「人間の自由」のほうが遥かに遠く抽象的な普遍主義の地平へ行くということか?さてフーコは啓蒙主義の影響について言及するが、ドイツ啓蒙主義(カント)もあれば、スコットランドの啓蒙主義(アダム・スミス)もあったから、啓蒙主義はひとつではないという前提に注意しよう。道徳的主体をいうカントは、それを、中世とヘーゲル哲学のようには(本来性としての)道徳性に還元しなかった。フーコが指摘しているように、理念的な道徳を要請したのである。同じ意味でスコットランドのアダム・スミスも道徳心の要請をいったのである。そして、同情心・共感から愛へと発展させていくこれらの倫理学の時代は、伊藤仁斎がいうところの四端の心を拡充させて仁(愛)へ行くことを説く倫理学の成立と同時代である。仁斎はかれの「童子問」で、朱子学の思弁哲学に顕著な「性」のもっている中心性を否定していく。つまり理念的な「道」を第一にした。「道」をいかに個々が実現していくのか、そこで学ぶことの意義について問いながら、東アジアの知ー朱子学的普遍主義ーを多様性の方向に再構成していった。この思想史を「仁斎と共に学ぶ論語塾」で学んでいる。
(参考)「デカルト以降、人々は認識の主体を獲得し、この主体がカントに、道徳的主体と認識の主体との間の関係が何なのかを知るという問題を提起した。この二つの主体が異なるものか否かを知るために、啓蒙主義の世紀に大いに議論がなされた。カントの解決策は普遍的主体を発見することだった」−ミシェル・フーコー「倫理の系譜学」


ヒロシマ平和主義の教訓は日本のリーダーによって生かされるのか?米国ジャーナリズムは安倍の欺瞞をみぬいていますよJapan’s Leader Has Little Use for Hiroshima’s Lessons of Pacifism(The New York Times)


安倍首相は共同記者会見で「日米が深い絆の下に、これからも『希望の同盟』として力を合わせ、地域そして世界の平和と繁栄に貢献をしていく」と述べている。20歳の女性の犠牲の上に成り立つ同盟を「希望」と呼ぶ神経が理解できない。女性の「希望」が奪われたことへの配慮さえない。(琉球新聞)


ミシェル・フーコー

魂の実在性-指示関連を元に、人々は各種の概念をつくり上げ、分析領域を切り取ってきた。つまり霊魂、主観、人格、意識など。その実在性-指示関連の上に、権力的な諸技術と学問的な言説を打ち立ててきたのであり、それを元に人間中心主義の道徳的権利の要求を浮かび上がらせてきた。−監視と処罰−



Japanese pacifism has always been strewn with contradictions. The “peace Constitution” has not stopped the country from rebuilding its military, though its postwar version, the Self-Defense Forces, has never fought abroad. Japan’s leaders have declined to develop nuclear weapons, but they welcome the nuclear umbrella provided by the United States. And they have endorsed American military interventions around the world, while keeping Japan out of combat. N.Y.times



Eliot believed art’s evolving tradition created “the mind of Europe”, and through the 20th century the primary role of museums was still to preserve the canon. Tate Modern worked to a new reality: that 21st-century artists and their audiences are global, multi-referential, democratic, and easily bored. Replacing monument and hallowed masterpiece with fleeting experience and temporary spectacle — hanging out under Eliasson’s sun, hurtling down Carsten Höller’s slides — it has, since opening in 2000, reigned unchallenged as the world’s most popular modern art museum.



さてさやうにせむかたなく物のあはれなる事ふかき時はさてやみなむとすれども心のうちにこめてはやみがたくしのびがたしこれを物のあはれにたへぬとはいふ也さてさやうに堪がたき時はおのづから其おもひあまる事を言のはにいひいづる物也(石上私淑言)


アメリカで初めてああいうのが出てきましたが、トランプより、伊勢神宮を再登場させた日本会議の方が怖いかもしれませんよ。トランプが大統領になったら亡命すると怒っているアメリカ人が結構います。怒っているひとたちが存在し自分のその考えを表明しているかぎり、危ないといわれても、その社会はまだ大丈夫な感じです。ところが、日本会議の安倍自民党の翼賛化を非難するという亡命的態度を表明する日本人がいないのは超ヤバイ。3・11のときとくらべて、どんどん自由にものがいえなくなっています...



神道は宗教です。だから憲法の政教分離の原則にしたがいます。ところが伊勢神宮の神道を、都合よく、政教分離の原則と「抵触しない」と勝手にきめつけた、「日本の精神文化や心」としたら、どういうことになるでしょうか。そのまま憲法改正して、戦前のように天皇と首相が靖国参拝をはじめますよ。2014年の参拝者は1400万人を超えたとされます。よく言われることは、「心配いりませんよ、みんなただなんとなく参拝しているだけですから」と。しかし「なんとなく」だからこそ、参拝の意味がいつまでも考えられることがないでしょう。国家神道の戦前はそのままの形で復活することはないでしょうが、ただ「無階級」の大衆と「無力な」代表制から広まったファシズムと等価のものが現れるかもしれません。つまり救済神学というものです。それは議会の民主主義を空白にしてしまうような危険性があります。実際に安倍内閣の支持率が全然下がらないことと関係がないでしょうか?憲法を改正しなくともね...戦前との繋がりが救済神学的なものによって回復しますよ

海外ジャーナリズム(「エコノミスト」誌)は見抜いています。G7首脳の伊勢神宮参拝は、安倍の歴史修正主義ーただ戦争に負けたから戦勝国米国に押しつけられたとする憲法を拒否すること、とくに戦争放棄の拒否、恐らく国家神道の危険な復活ーを推し進めることになると指摘しています。オバマの安倍協力は他の宗教だけでなく日本自身にとって危険だと指摘。アメリカは日本に敗戦前の恐怖の道を再び歩ませることになるという問題について「エコノミスト」誌は警告の言葉を発しています。


ほんとうはトランプなんかより日本会議の安倍のほうが怖ろしいのです。まさかの’国際公認’みたいな無茶苦茶な演出で、なんと、伊勢神宮が再登場することになりました。これからは、伊勢神宮と日本会議からの助けで、自民党は凄い勢いを得ていくことになるかもしれません。自民党のもとで、格差が広がっていくことになるでしょうが、この問題を取り組むことが唯一できる社会党の議席が零になるという危険性のことをかんがえます。日本会議は自民党にプレッシャーをかける圧力団体で、しかも様々な団体からできてますから、気が付かないのです。しかし今年から靖国神社で憲法改正の署名を行うなど国民運動を展開するようになりました。今年と昨年とではナショナリズムの風景が全然違います。今回のことを報じた海外の新聞を読んで、国家議員の三十パーセント以上が日本会議だという事実を知りあらためて政教分離の崩壊の危険性を感じています。なんとなく参拝する国民のもとで、ふたたび全体主義と軍国主義の方向が一致してくることが怖いのです・・安倍という政治家はほんとうに怖いです。議論を呼ぶ靖国公式参拝をやめていたのですが、報じられることがなかったので知りませんでしたが(この点について私は見逃していた自分が甘いとおもっています)、今回のことを契機に、伊勢神宮に頻繁に行っていた事実が明らかにされました。何年も前からこの計画を準備していたのでしょうか。それにしても、今年三月に昭和思想史研究会の有志といっしょに、伊勢神宮の意味を批判的に問うために、ここを訪ねたのですが、まさかG7首脳たちと神宮の中に入るとは思いませんでした。せいぜい入口付近で記念撮影ぐらいかと・・・3月になってかれらの国民運動がもつ意味を東京新聞が気がついてきました。朝日やその他は何が問題かわからないので気が付いていませんでした。たしか4月の終わりかこの5月始めからやっと特集を組みましたが、あまりにも遅いというか。具体的に心配されるのは、学校と教師たちへの干渉です。いままで比較にならないくらい酷いことが起きてくるかもしれません、そうならないことを願っていますが。「教科書をつくる会」の政治団体はイラク戦争を契機に「日本人も犠牲を(血をながすべきではないか)」という世論がおこるときにふたたび注目を受けたようですが(このころ海外にいたので国内の雰囲気を知らないのですが)、とにかく、この団体も日本会議を構成しています。

伊藤仁斎など有名な儒者たちが現れるのは17世紀初頭であった。宋明儒学の体系という漢字文化圏の東アジア思想の普遍的な思想体系(学問と知識の体系)を通じて、東アジア社会が自らを位置づけていく。この宋明儒学の体系を学ぶことによって(受容することによって)、江戸思想を、普遍的な言説にすることができた。そうして武士が知識層となったのは、1800年以降である。武士ではなかったが、本居宣長(1730ー1801)は34歳のときに、「歌の本体は政治をたすくるためにもあらず、身をおさむる為にもあらず、ただ心に思ふ事をいふより外なし」と言っている。この宣長によって、はじめて中国文明からの自立が言われる。武士の知識層があらわれるまえに、非武士の知識人が、(政治を問うことは危険であったから文化の側から)、武士たちが依拠していた文明からの共同体の自立の意味を問題提起したのである。あらためて、自立とはなにか?哲学的にいって、それは、互いに多種多様な力が同時に働く状態をいうのであろう。ここから、思想史がもっと意味あるヴィジオンを考えることが可能だろうか、このことを考えないわけにはいかない。今日の沖縄を軍事植民地として扱い続ける日米両政府の姿勢の根本的間違いという問題から切り離しては、市民たちの自立の意味をかんがえることができなくなったとおもう。21世紀において、沖縄と民主台湾から、東アジアの社会が、再構成された学問と知識の体系をともなって、自らを位置づけていくにちがいないが、このことがすでにはじまっていることが、子安宣邦「帝国か民主か」(社会評論社2015)を読むとよくわかる。これからは、21世紀の未来を思考するためには17世紀まで遡って考えることが必要となるだろう。西欧の知だってそうしてきたのだから、かれらは常に16世紀17世紀からかんがえる


もうとっくに「赤色」は捨てたのです。だからその結果、対抗「赤色」のアイデンティティーであった台湾ーとくに民進党ーが深刻なアイデンティティー喪失に陥った。そこで新しい台湾のアイデンティティーを模索していると読んでいるのですが、この非難は、民主的手続きを求めたひまわり運動が先行した、民主台湾の方向性を無視しているようにみえます。


1926年の本。和辻が対等にハイデガーを乗り越えようとしたともいう。和辻も、(恐れ多くも)1980年代に読んだ自分も、ハイデガーにならって、存在をとらえるとは構造を呈示することの重要性から出発した。つまり徹底的に観念化しておかなければならないと。ライバルの三木清は死の観念化なくしては世界思想たりえないと考えたように。(同様に、存在論的な沈黙の場合も、ただ黙っているということを意味しない。) 「存在」に関わるつもりで星や山や川といった「存在」を詩的に語ることは、「存在」に拘泥しているだけDともいえる。構造の呈示が大切なのだ。結局、ブライアン・フリールの戯曲ぐらいだろう、ハイデガーにおける沈黙の存在論的構造を呈示できたのは!ダブリンでみた「トランスレーションズ」の冒頭は衝撃だったー語ることを拒否した沈黙 'Verschwiegenheit'

舞台の上では役柄の年齢と役者の年齢の間は恣意的です。50過ぎても中学生を演じます。80の役者が二十代を演じ、その二十代の60年後を演じるということが当たり前です。別に違和感はないのは、いやあったかもしれませんが、なぜなんだろうかと考えるのですが、チェーホフが面白いことを言っています。「なるほど僕は気が狂った。誇大妄想狂だった。しかしその代りには陽気で元気いっぱいで、仕合わせでさえあった。興味のある、独創的な男だった。今の僕は、確かに分別もあり一そうしっかりもきて来た。しかしその代りには皆と同じ人間になってしまった。」(「黒衣の僧」)。うまくても下手でも、私はあんまりうまいのが苦手なのですが、舞台に上がる役者であれば、何者かになってしまう惰性に逆らうという構えというか、生きざまがあることはたしかです

本居宣長
古ヘの道によるとして上の政も下々の行ひも强て上古のごとくにこれを立直さんとするときは神の當時の御はからひに逆ひて返て道の旨にかなひがたし(玉くしげ)

大雑把に言えば、『狂気の歴史』は分割の歴史であり、とくに、すべての社会がどうしても打ち立てざるをえない、ある種の切断の歴史でした。それに対して今度の本では、秩序の歴史を書こうと思ったのです。−ミシェル・フーコー『言葉と物』−

なるほど僕は気が狂った。誇大妄想狂だった。しかしその代りには陽気で元気いっぱいで、仕合わせでさえあった。興味のある、独創的な男だった。今の僕は、確かに分別もあり一そうしっかりもきて来た。しかしその代りには皆と同じ人間になってしまった。 「黒衣の僧」チェーホフ

人間の発展をうながす決定的瞬間というものは、たえず巡ってくる。だから過去をすべて無効とする革命的な精神運動は正しい。いまだ何も生じていないからだ。 [アフォリズム 6]

「イブセンの人物に似ているのは里見のお嬢さんばかりじゃない。今の一般の女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」(三四郎)

John Cage
存在すること、現在であること。それは反復だろうか。我々がそれを所有していると思った場合に限ってそうだ。実際には所有していないので、それは自由だし、我々も自由だ。



La volonté de savoirの「de」をどう捉えるかは主体と知の関係をめぐる上で重要なポイントで、この場合「への」と「の」の双方の意味を持っている。理論的には〈知への意志〉から〈知〉そのものに意志が内在し規則化されている〈知の意志〉として理解していくことが必要となる。

Crās amet, quī numquam amāvit; quīque amāvit, crās amet.
まだ愛したことがない人も、明日は愛しますよう。愛したことがある人も、明日は愛しますよう。
(ウェヌスの宵宮)

柄谷行人は世界を帝国とよび、アメリカ・拡大EU・ロシア・中国をそれぞれ世界帝国(帝国主義マイナス植民地主義)と呼んでいます。ワーフィなどの中共デオローグの言説は新しい文脈での、(実は中共にとってデリケートな問題を孕んでいる)、毛沢東主義の復活の感じがしますが、明らかに日本の中国研究者の溝口に負うているとみられています。かれらの毛沢東は、(従来の竹内の魯迅ー孫文ー毛沢東よりも)、文革の毛沢東という再構成ですね。その溝口が言う「方法としての中国」を読むと、大東亜栄共栄圏のことをおもうと語る方もいます。’右派’とよばれてはいますが、中国の民主派の左翼ですら、台湾の独立を考えることができないし、危険な言説として絶対にゆるされていません。そんな日本人などの心配などはよくわかっているし、中国には日本人に理解できない奥深さがあるのだという反論の言葉に耳を傾けたいとおもっています。ただ、中国のエリートは、この理事を含めて、アメリカとイギリスで学んでいますから、中国の民衆からまったく離れた存在なのですね。民衆が何を考えているのかまったく理解できない点では、イギリスにいた時代のこの私と同じレベルかもしれないのです。だから、まるでシナリオを棒読みするように、政府が推し進めている権威的な新儒教(”調和を崩すな!”)の言葉でしか語れないのですが、かえってここで、(英米の民主主義なら理解できるが、)理解できないアジア民主主義について私はなにも考えることができないということを告白してしまったかんじですね。

複写ではなしに、地図を作ること。蘭は蜜蜂の転写を複製しているのではない。リゾームの裡にあって蜜蜂とともに地図になっているのだ。

本居宣長

神の代の事らこと/\傳へ來てしるせる御書(みふみ)見れば尊し
(玉鉾百首)


第一に漢意儒意を、Cく濯(スス)ぎ去て、やまと魂(タマシヒ)をかたくする事を、要とすべし、さてかの二典の内につきても、<チ>道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし
(うひ山ぶみ)


もろこしの國を、もろこしともからともいひ、漢文には、漢とも唐ともかくぞ、皇國のことなるを、しかいふをばつたなしとして、中華中國などいふを、かしこきこと心得たるひがことは、馭戎慨言にくはしく論ひたれば、今さらにいはず
(玉勝閨j

平和主義的左翼リベラルの中国人からうかがうと、軍事的なことをいえば、もはや中国は日本なんか相手にしていないようです。中国の相手はアメリカでしょう。帝国中国に軍事的に対抗した帝国アメリカのためにある沖縄の犠牲のことを考えると、独立という声もであるでしょう。しかし、上から目線で心苦しいですが、最近出てきた独立論が危ないとおもうのは、たとえば中国資本に席巻された台湾の独立論が台湾をアメリカの一部にしてしまうように、沖縄を中国の一部にしてしまうことです。もし自立できないなら台湾はアメリカの植民地になってしまうように、沖縄は自立できないなら、中国か、そうでなければ最悪日本の植民地になってしまうという危険性があることです。むしろアメリカと日本の両方を利用して自立していくことがリアルな方向なのではないかとおもいます。


A

われわれの言語が言語化できないような、人物の性と日常事物の規範の間の一致、その無分節の世界について「中庸」は物語っていますが、まさにこの一文がそういうものですね。それは朱子学の難問を構成すると考えられます。徂徠の考えを知るためには、彼が批判してきた伊藤仁斎との差異をおさえておくましょう。仁斎は「四端の心」という倫理学の再構成を言うのですが、(朱子の存在論的言説を脱構築して)理念的な「道」を第一にしました。「道」を個々が内面的に実現していくのであり、同時に、同情心をもって生まれた人間が同情心を育てるのは「教」である、という言説は互いに補い合っていることがみてとれます。そこからは、共同体は積極的な役割を見出すことはできないということが問題となります。共同体は、人倫の道によっては、自らを語ることができるでしょうか。ここから、荻生徂徠は、個人の内面的道徳論を超えて、人間社会全体への視点をもとうとしたと私は理解します。その思想の根底には中国古代の先王の「道」があります。『弁名』は、先王が人間社会形成のために命名したことばー共同体がそれは何を指示しているのか...読めなくなったーを探究することが課題となりましたが、とにかく、。朱子学の難問について、伊藤仁斎は倫理学の再構成からそれを解決したが、徂徠は聖人の制作という社会哲学的アプローチで解決しようとしたとまとめることができるでしょうか。ここでは、徂徠における「天帝」概念の成立を告げた文章(「天命帝鬼神」第八則)を読んだ子安宣邦氏の解説の言葉を引いておきます。

「朱子学において帝とは主宰性で見たかぎりの天の別名であり、それは決して祭祀対象としての神格性をもった上帝、天帝概念を構成するものではない。徂徠において天帝は神格的概念である。この概念の構成をめぐっては、以下に詳しく述べられていく。ここでは伏義以下の五帝功績を称える徂徠の言葉に注目したい。ここで五帝の功績を称賛する言葉は、「聖」章における『古えの天子は、聡明叡智の徳ありて、天地の道に通じ、人物の性を尽くし、制作する所あり、(..) 利用厚生の道、ここにおいてか立ちて、万世その徳被らざることなし。』に対応している。ところで万世不滅の「利用厚生の道」の制作による古代聖王の功績を最大級に称賛する徂徠の言葉は、万世不滅の「人倫日用の道」を教えによって聖人孔子を称賛する仁斎の言葉に対応する。『中庸』が聖人を称賛する言葉、すなわち「是をもって声名は中国に洋いつし、施きて蛮ぱくに及ぶ。船車の及ぶところ、霜露の墜つるところ、凡そ血気あるものは、尊親せざるをことなし。故に天に配すという」という言葉は、仁斎においては人倫の教えを立てる孔子称賛の言葉(「童子問」下)の言葉となり、徂徠においては利用厚生の道を制作した古代聖王を称賛する言葉となる。万世不易の道をめぐる二種類の言説があるのである」

最後に言っておこうとおもいますが、徂徠の古代における祭政一致の読みは、近代天皇制国家のブルー・プリントであるが、近世の徂徠は近代の民族主義者ではありえなかったので。徂徠は人間社会全体への視点をもった江戸思想の知識人の先行形態でした。(武士は儒者から知識人になるのは18世紀からです)。朱子学的正しさにこだわることよりも、民が安心できるといういうことをかれの経世斉民の視点は、今日の東アジアの民族主義に絡みとられた歴史修正主義のリーダーたちの国家主義的言説ー安倍が原因をつくったーを巻き返していくことの意味を考えさせてくれるものではないかわたしはかんがえています

B

「礼」といえば、ヘーゲルの客観精神。ここに止まってはいけません。荻生徂徠を読むことによって東アジアにおけるその概念の豊かな展開を追うことができます。「然れども先王の教えは礼なるのみ。今、先王の礼に遵わずして、言語を以ってその理を明らかにせんと欲すれば、すなわち君子すら尚能わず」(「弁名」)。徂徠を読んだ子安宣邦氏の解説を読むとこうあります。抜粋しますと、「まず超越的なもの、天、鬼神は人間に内部化されない。それは外部的な超越性をもった存在である。この超越的なものを人間とその世界に媒介するのが聖人である。(...)超越的なものを人間とその世界に媒介することを通じて、人間の政治的、文化的世界を形成していったのが先王の道の教え、すなわち読書礼楽の教えである。。ここでは先王の道は端的に礼だといわれ、また先王の鬼神の教えだといわれる。」(「徂徠学講義」、岩波書店)。つまり私の理解では、理念性の構成のことがいわれています。ここフェイスブックの掲示板で、共同体が拠る鬼神の理念の発明という荻生徂徠においてすでに言われたことを、現代の映画の言説を利用することによってわざわざ繰り返しているのは、どうしてかというと、それは理念的構成の外部的意義を強調したいからです。今日の東アジアの普遍主義理念なき民族主義的憎悪ゲームを終えるために、(鬼神すらも理念的に発明していく)理念的構成の意義ー民族主義なき普遍主義の多元性ーを強調し過ぎることはないと思いますからね。


C

1、「パレスチナ政治映画の時代」を終えて、八十年代のゴダールは、「天と地の間」、「記憶の時代」という探求の時代を生きることになります。「映画」という「道」の「制作者」を、「作家」として、まるで「先王の教えは礼なるのみ」(「弁名」)という調子で祖述することになります。超越的なもの、天、鬼神(死者の作家達)は人間に内部化されません。この超越的なものを人間とその世界(地)に媒介するのが、ほかならない、ゴダールです。グリフィス、エイゼンシュテイン、ロッセリーニ、ホークス、ヒチコック、ブレッソン、トリフォー、デユラス...「作者」(「聖人」)の「道」をたたえること。何も変えるな、すべてを変えるために。
2、と、もう一つ言っておきたいことといえば、1990年代のビデオ「映画史」として結実したその構想は、70年代後半の講義に遡るのですけれど、その構想はアメリカにもヨーロッパにも属さないモントリオールによってしか可能ではなかったというのが私の考えです。アメリカのどこかの都市またはヨーロッパの都市で、ハリウッド映画とヨーロッパ映画を語る外部的視点を「映画史」に保つことは不可能だったと思われます。


ご利用は計画的に と言われてもね、もっとspontaneous で複雑で、なんというか、リズムの利用のことを言っているだけどね😅、時々はリズムにしたがわない動きも試みるべきだと思うニャ。ことばがシナリオに基づくとき、動きもリズムに基づいたらそれは面白くない。発見がない。基づくことと基づかないこと、この関係を呈示すべきだ、誰が最初にそれをやるかだね👍

「法(droit)は、[・・・]本質的に脱構築可能である。[・・・]法のこのような脱構築可能な構造こそ、あるいはこういった方がよければ、法としての正義のこのような脱構築可能な構造こそが、同時に脱構築の可能性を保証しているのだ。もしも正義それ自体(la justice en elle-meme)というようなものが、法の外あるいは法のかなたに存在するとしたら、それを脱構築することはできない。同様にまた、もしも脱構築それ自体(la deconstruction en elle-meme)というようなものが存在するとしたら、それを脱構築することはできない。脱構築は正義なのである(C)。」

ヨーロッパの城は宿泊できるようになっている。だけれど、伯爵というのは、文学の世界にしか登場しない貴族たちで、どこかに存在しているとしても、地下鉄とかバスに乗っていては永久に会えないような高みの存在と思っていたのだが、ネットにおられた。
「(前略)、わたしは測量士だ。伯爵にたのまれてやってきた。おっつけ明日にも助手たちが道具を車に積んでやってくる。雪で手間どりたくはなかったんだが、何度も道に迷ったりしたものだから、こんな夜ふけに着くはめになった。(後略)」 フランツ・カフカ 『城』


現状や予想される事態に関する不満に基づいてなされる変革志向的な集合行為。かつては労働者を中心とした階級闘争的運動が中心だったが、1960年代以降「新しい社会運動」と呼ばれる人種差別反対運動、女性解放運動、環境運動などが興隆し、社会運動が多様化するようになった。


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May (1) 2016 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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