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<<   作成日時 : 2016/07/13 21:28   >>

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ジャン=リュック・ゴダールの世界 No.1 

映画史で問題なのは、映画をみる主体(ゴダール)を場所と潜在的な機能の多様性のうちに分散させる句切りである。「字幕」の意味が問われる場所で、「誕生のエネルギー」として「血」の赤色が指示される。なぜか?「イタリア映画」の意味が問われる場所で、動くものとして「鳥」が指示される。なぜなのだろうか ?



ダブリン4丁目交差点付近にいきなり、運転手も乗客も乗っていない市街バスが一日中沈黙の幽霊船の如く放置されているとか、なんだったんだろう、あれは?アイルランド時代のときは説明がつかないようなことが起きました。頬っぺたにビリッと静電気がはしって触れる人を驚かせことも。と、吃驚しているわたしに、ピカチュウになっちゃたのね!?と言われましたが、現在流行しているポケモンなんとかというゲームは関係ないらしいです....


「人の外に道無く、道の外に人無し」は、伊藤仁斎によっていかに読まれたのか、そしていかに書かれたのか。この「人外無道、道外無人」は、朱子の「論語集注」に確認できる言葉だという。17世紀の伊藤仁斎はこれをいかに読んだのだろうか?近代的文献学のオリジナル重視の方向のみに行くと、あるいは解釈学の多義的派生重視の方向へ行くと、朱子的存在論に根をもつか、近代の制度化された人間に根をもつことになるだけだった。これらの独立したものに絡み取られないために、仁斎はどこへ脱出するのか?ここで『童子問』成立過程を追った子安氏の資料を利用した分析を読んでみた。「元禄六年(1693)、ときに仁斎は六十七歳であった。しかもなお彼らは自分の思想をどのように言葉の上に定着させるかということに、執拗な努力を傾けているのである。」(『伊藤仁斎の世界』2004、p.156)、とある。「人外無道、道外無人」という同じ文が中断を伴って繰り返し書かれる、と同時に、一回一回の編集(訂正・補筆・付箋)を通じて意味がつくられていく。仁斎の読みの画期性は、漢文のリフレーンのうちに朱子的形而上学に再語り的に絡み取られるのではなく、ここから、理念の要請を読み取ったことにあった。なおそこに可能性としての形而上学の避難地が権利としてあるとみることが無駄ではないとおもうのは、平等性・同一性の哲学のあり方が今日ほど重要となってきた時代がないとおもうからだ。さてそうして、仁斎の思想と言葉においていかに、同一性と差異性が互いに自立的関係を保って同時に働いていたか。わたしはかんがえてみる。<多>(差異性)の根底に<一>(同一性)があるのではなく、また<一>の根底に<多>があるのでもない。一元的に限定された存在論的実体の独立性でも、多元的に限定された存在論的実体の独立性でもない。そうではなく、開かれた外部との関係においてだけ<一>と<多>とが同時的に成り立つことに意味がある、と。ヨーロッパに限らずグローバル的に危機の時代といわれる17世紀東アジアの近世からこの思想が京都の古義堂からはじめて現れることになった。この思想は、必ずしも形而上学の同一性の存在論をゼロにしてしまうものではないないこと、ゼロからはなにもどんな理念性も意味を持たなくなるから。そして思想は量的な観点に立てば普遍主義が唯一に存在するのではないこと、かつ、質的な観点から言えば同時に成り立つそれらの普遍主義がそれぞれ多様性をもっていること...

なおそこに可能性としての形而上学の避難地が権利としてあるとみることが無駄ではないとおもうのは、平等性・同一性の哲学のあり方が今日ほど重要となってきた時代がないとおもうからだ。さてそうして、仁斎の思想と言葉においていかに、同一性と差異性が互いに自立的関係を保って同時に働いていたか。わたしはかんがえてみる



われわれの行為に意味を与えるものは常にわれわれにとってまったく未知な何物かなのである。サビナもまた裏切りたいという彼女の憧れのあとにどのようなゴールが隠されているのかは知らなかった。存在の耐えられない軽さ、これがその目的なのであろうか?『存在の耐えられない軽さ』クンデラ


"Ich habe überhaupt keine Sinne: Körper, Gestalt, Ausdehnung, Bewegung und Ort sind Chimären." Descartes: Meditationen


"Ich habe überhaupt keine Sinne: Körper, Gestalt, Ausdehnung, Bewegung und Ort sind Chimären." Descartes: Meditationen


「美女と野獣」、そうでしたね!どうしてもこれだけはスクリーンで見なければというこだわりからまだ見ていないんです、恥ずかしいんですが。知り尽くしているとはぜんぜんいえませんが、これまでしぶとく生きてきたおかげでよく知っている過去の映画世界にこんなまだ未知な宝物が残っていることを知ってなんだかすごく嬉しいです。風刺画はすっかり委縮してしまった新聞紙から消えてしまったというので、これはヤバイとおもい、最近は自分なりに抗議したい政治家の醜い姿の風刺画を描いておりますけれど、私はコクトーの絵が大変好きで、本当はああいうのを描きたいのですけど。それにしても、この一場面をみるだけでも、映画の力は美も美でなくなるし醜も醜でなくなるという揺れ動く変容の力ですよね


「人間」を書くこと
ーオリエンタリズムはいかに君子から人間を発明したか?ただしそこに平等性という市民という開かれた意味をもって発明されることになったのか?

「子曰く、狂にして直ならず、(とう)にして愿(げん)ならず、悾悾として信ならず。吾れこれを知らず。」(泰伯第八・第16章)
仁斎古義によると、狂とは「意高くして検束無き」をいうとし、(とう)を朱子にしたがって「無知の貌」とし、悾悾を「無能の貌」としている。徂徠徴は、孔子は「狂」も「(とう)」も「悾悾」もそれぞれに消極的であるが才としてみなし、しかしそれらが才としてもつ長所を失ってしまったら、もうそれらはただ見捨てられる才にすぎないと解すようだ。この徂徠の解釈を念頭において子安氏はこう訳していると思われる。「狂者の大志をもちながら、正直でないもの、子供のような物知らずでありながら、素直に勉めないもの、愚直でありながら、信の心のないもの、そうした人々を私もどうすることもできない。」(思想史家が読む論語)。
これにたいして、なにか違和感をもつのが紹介されている吉川論語である。「熱狂的な情熱家でありながら、正直でないもの。子供っぽさをもちながら、地道でないもの。馬鹿正直でありながら、あてにならない人間。そうした人間に、私は出あったことがない。」兎に角「人間」と書いておいて、あとは現代の言葉にするだけなのか?何が言いたいの?吉川といえば、フランスでフランス支那学を学んだ中国語も読めたらしい。と、これをフランス語の訳と比べてみたくなった。Le Maître dit :< Une brusquerie dépourvue de franchise, une ignorance dépourvue de prudence, une naîveté dépourvue de bonne foi ー voilà qui
passé mom entendement !>. ここでも翻訳は中立的ではありえないというのは、誰かが自分に都合よく翻訳するという言説が隠蔽されているということだ。(われわれは注釈と共に読むのは、原初的テクストは読むことができないということを驚きをもって知るためである。)フランス語の訳で「狂」「(とう)」「悾悾」といわれているのは、いかにも西欧が、情熱的で子供のように掟を守る無知な共同体に向かって語るオリエンタリズムではないか?「遅れた」アジアのために、「すすんだ」植民者が文明をもたらすという責任がある。このことが「人間homme」という名において語られるのである。京都学派(貝塚、桑原、吉川など)に、フランス支那学は大きな影響をもっていた。そのフランス支那学は大日本帝国によって近代の東アジアの知として確立する時期があったといわれる。こういう意味で、近代とは、ヨーロッパの理念的「学」からアジアが読み解かれていく解読の権力なのだ。そうしてここから、西においてはいつもいつもわれわれはなぜオリジナルなのかというコンプレックスがあり、逆の方向から、東ではわれわれはなぜコピーでしかないのかという日本会議の<美しい日本>にいわれるようなコンプレックスが相補的にある。だがわれわれが本当に問いたいことはこれしかない。「いつこれらが終わるのか?」。「人間」を書くことーオリエンタリズムはいかに君子から人間を発明したか?ただしそこに平等性という市民という開かれた意味をもって発明されることになったのか?このことも思想史の自己肖像画においてしっかりと書かれるべきである。


在特会の舛添パッシングにまんまとマスコミが煽られたとする気になる指摘もありますね。街頭で移民を殴る蹴るような極右翼のトップが小池のもとで副知事になるかもしれませんが、そのときは「日の丸」「君が代」の関係で東京の学校の先生たちは現場で破壊的な恐怖に襲われるでしょう。街頭にのさばる右翼は暴力団のようですね。保守改革派といわれる異様に元気な連中が世の中に影響力をもっていて、たとえば昨年の自民党審議会で裏切ったのは右翼系憲法学者でした。(厄介なのは、左なのか右なのかよくわからないような連中ですが、右と考えてよいとおもます。また左翼リベラルから、憲法愛国心みたいなことをいうようになった言説は気持ちわるいですね)。問題は、やはり国民会議とその新右翼的な「市民運動」の展開。それまでは自民党の圧力団体で、自民党のおかげで存在していたような印象でしたが、いまは逆、日本会議のおかげで自民党が選挙に勝つことができるようになったというぐらいの勢いです。特に今年から靖国神社で改憲の署名をはじめたことが東京新聞などのマスコミの眼にとまりました。非常に危ないのは、神社本庁が支えているという事実です。靖国神社首相公式参拝の要求だけではありません。歴史的に日本国家の正当な支配者であった天皇から三種の神器を預っているこの伊勢神宮こそ本当の国家なのだから、憲法の政教分離に従わないと主張しているような信じられない時代錯誤ですが、祭祀国家として始まった日本の近代について議論すべきときです、相対化するために。(日本人よりも理解している外国メディアからは戦争神社と呼ばれている靖国神社ですが、そのの国家化は、彼らの側で争いがあり、宗教的アイデンティティーを捨ててまで国家化することは到底できないなどと言っているようです。単純ではありませんね。)日本会議の支柱の一つは、ご存知かもしれませんが、教科書をつくる会。今日まで続いているプロパガンダですが、「日本国民も血を流せ」と唱えられた、イラク戦争を契機に、彼らの存在感を増したといわれます。その意味で「イラク戦争」は終わっていないといえます。最後に、小池はキャスター時代は人権の配慮があったそうですが、彼女の現実主義への過剰適応のことをFbのタイムラインで指摘なさっている方がいました。戦前の天皇ファシズムと同じものが出てくることは考えにくいですが、では安倍自民党と国民会議から新しくなにが起きてくるのかについては左翼はまったくアイデアがないことは大きな問題です

小池百合子と日本会議の関係について知らない人がどうも多いようですね。たしかに大新聞は報道しないし、また報じようとしても日本会議が何をしようとしているのかを掴めないままなのかもしれません。安倍応援団の日本会議、神社本庁と伊勢・靖国神社に、救済神学的な文化的一体感を感じはじめるようになった大衆は、自民党の信教の自由を奪う改憲に反対しても、野党に投票しようとはしないでしょう。アベノミックスが自分達の生存にかかわる次元で格差と貧困を拡大再生産していることを理解しても野党共闘に投票しません。例外なく自分達の問題であるから、小池の病者への差別に憤りそれに反対しても、野党統一候補に投票することは起きないのかもしれません

小池百合子の「病み上がり」発言はどう考えていかなければならない問題なのか?
トランプとてそれほどの酷い言葉を一度も口にしていないかもしれないのにとおもうのですが、選挙のときになればトランプがなにを言っても許されるし同等の資格で自らも罪無しと小池百合子は開き直っているようです。しかし「病み上がり」の内容は、小池が自分に都合よく解釈するように恣意的なもの。むしろ問題は、「病み上がり」と<言う>その行為にあります。問題は、小池が「病み上がり」と名指すその行為によって、名指された人が罰を受け社会から排除されてしまうという恐怖にあるのではないでしょうか。だれでも「病み上がり」となり得るのは、ナチスが台頭してくる時代にだれでも「ユダヤ人」とラベル張りされる可能性があったこととおなじです。「病み上がり」と小池から名指された者は、考えることができないから社会にかかわるべきではない、と、小池によってはじめて言われることになったこの言説の権力の問題を問うべきです。そしてわたしたちは小池のへイトスピーチにたいして怒りをもって抗議しましょう!

社会の権利を引き裂くサリーちゃん(小池百合子)
「東京に核ミサイルを」「核武装を」「急げ軍法会議」
「少子化の最大の原因は頼もしい男性が減っていること」
「子供に喧嘩に強くなるように教育しその中からリーダーシップを」

Japan Reverts to Fascism
日本、国体ファシズムへ行く
小池百合子; '『日本会議・日本会議国会議員懇談会設立十周年記念大会』のご盛会をお慶び申し上げます。誇りある国づくりのため、皆様の叡智を結集していただけますよう祈念しています」'「東京に核ミサイルを」「核武装を」「急げ軍法会議」「少子化の最大の原因は頼もしい男性が減っていること」「子供に喧嘩に強くなるように教育しその中からリーダーシップを」

キェシロフスキのトリコロール/青の愛(1993)を観て、渋谷駅前でアイスコーヒーを飲むナウ。女優の微妙な顔を見事に照らし出す効果的な自然光の使用もあるが、全体としてあまりに照明と効果に時間が従属してしまっているので創造的飛躍がないと感じるときもあった。(ちあみに、暗闇に占拠されたとき覆われる前にそこから逃れる光が力を失って憂鬱な青色に変容していくというのが私の創造的飛躍である。) 演出については、目に見えないなにかに取り憑かれているというのがこの女優のかもし出す存在感だけれど、事故死した作曲家である夫の亡霊だとはっきり彼女のオブセッションが対象化されてしまうと簡単すぎてしまうかも。最期に監督のなかで音楽によって何もかも繋げ過ぎではないかと思うが、この私の感じ方とは逆に、この繋がりに力を感じ取るファンも多いのだろう。しかしこの映画に限らず、思考に属する編集の力を神秘化していいのかと私は常に疑問をもつのだ。九十年代を代表するほどの映画だったかどうかはもう一度みて判断する必要もあるが、数秒間の人見知りする猫が素晴らしかった。観に行く価値あり

思想史の自己肖像画

思想史は、同一性の基底(平等性を規定する方向性)と異質性の基底(人間のそれぞれの個性を尊重した多様性を規定するような方向性)から成り立ちます。一応成り立つと考えてみようということで話します。子安氏が行うように1600年に線をひくと、17世紀の思想が、異質性の方向に進んでいった展開をみることができます。つまり近世においては、脱朱子学、脱形而上学から、同一性の思想が弱まるが、その代償として、理念性の発見と経験的多様性へと行くのです。全体としては同一性の思想は弱く、近代に入ってもそれは弱いままですが、西田幾多郎(「善の研究」から「絶対矛盾的自己同一」)において同一性の思弁的思索の取り組みが存在しました。戦後は、唯一の普遍主義というような植民地主義を反省し克服しようとした、そしてそれとの関連において起きた実存主義と構造主義の論争を契機に展開していくような、差異と多様性をいう異質性の方向が重要です。ここで1968年に線を引くことができます。思想は、マルクス主義への反権力的依拠から、テクスト論と脱近代的な言説空間へと移行していくことになりました。更に1990年に線を引く必要性を感じます。思想はグローバル化する後期資本主義の90年代からは、顕著になる格差の問題に取り組む必要が出てきたと考えられるからです。現在思想は平等をいう同一性の方向へ展開していくようにみえます。つまり思想は、再び全体主義に戻ることを拒む市民の経験に依りながら、徐々に、テクストを解釈する言説からマルクス主義的な意味で搾取する権力に対する抵抗の分析へと移行していくことになってきたといえそうです。思想史は自らを書き写すときこのいわば白紙の本に、人類史においてはじめて自覚されるようになった、多様性としての(複数の)普遍主義が自らを、自立していく地域を通じて実現するという、そしてこれが未来にむかって開かれた方向として十分に発展していくという肖像を書くことができるでしょうか



映画史とは何か

パリのシネマテックの映画館に毎日4年間通って大学の代わりに学んだというひとも、ダブリンのアイリッシュフィルムセンターにいた。現在は、(イギリスの国民投票のときに問題とされていたが)、EU基金で運用されている。ここは元々クエーカ教集会所であったという。徴は至る所に。分かる人には分かるらしく、天の方向にその建築的痕跡があることを教えてくれる人もいた。さて映画というものが、ポストモダン的に再定義されてくるのは1970年代後半からである。クローズアップとは何か?パンとは何か?映画術とかそれを前提にした映画哲学によって論じられることはあっても、歴史の感覚をもって語られることはそれまではなかった。表面を観察する映画史は、映画の(偽)起源に、ルネッサンスの顔を描く水平方向の精神を指示する。それはゴシックの垂直ヒエラルキーを表したアートを脱構築した多様性の方向であった。だが映画史はそれに尽きるのではない。ドウルーズのシネマ論がもっとはっきりさせるべきだったと思うが、1960年代の「去年マリエンバード」の事件性は、水平方向の異質性を消費する運動から、外部性を保つために、天地間の同一性平等性を生産する運動への転換という意味に求められる。パンあるいは、アングルとフレームがモンタージュをシュミレートするという作家的批評の実験精神にともなわれて表現された、水平運動と天地間の運動との関係は、異質性と同一性の関係として、70年代のデユラス「インデイアンソング」、80年代ゴダール「パッション」によって問題提起されることになった。私のスクリーン人生で見た全ての投射を統括すると、それは存在論的実体の独立性の解体、言い換えれば近代の解体の投射である。君のスクリーン人生で見てきた全投射を総括せよーただしそのときでも映画史が(空間に限定される定型化された)身体運動の歴史から、(時間に限定される非定型の)思考の歴史へと成長していくそのプロセスのことを忘れるな



丸山真男とはだれか?

丸山真男の市民社会論は、当時圧倒的影響力をもっていた講座派を包摂しました。しかしそれは対抗的概念でしかなかったから、そこから第三項としての思想へ行く必要がありました。だけれど、絶対的権威はそれよりも、「市民社会」のヨーロッパ的理念を裏切るものを軽蔑したほうが楽だったのかもしれません。そうして、怠慢な「日本の思想」は彼を裏切る<日本の古層>という’作り物語’しか書いていないのですね。特権者が拵えたこの’作り物語’こそ、街頭に出ていくことになった市民たちを裏切るのですけれど....



投票権はないが、ガンバレ野党共闘!野党の統一候補は3.11から始まったといっても大げさではない。新橋駅広場前で原発に抗議する社会党議員に日本共産党が車を提供したときこれをみて期待した人が本当に多かったと思う。彼らはマルクスレーニン主義をすてている。そして野党共闘の時代に指導するといっているのだから野党の中でもっと活躍できるような党名を応援している皆で考えてあげようよ。「「困った」を見捨てない、頼りになる党」とかね、宇都宮氏が打ち出した理念を活かすためにも


ネットワークとはなにか?
ネットワークというものを作品化するとどういうことになるでしょうか、大変関心があります。お互いにそれぞれの内部に向かって孤立したネットワーク(系列)がせっかくそれぞれの穴倉から飛び出して外部において出会ったにもかかわらず....再び一つの孤立したネットワーク(系列)に包摂されるようになったのではダメでしょう。なにかこの作品は、人物と木と枝にふっかっけてあるロープというベケットの芝居みたいですが、これは1960年代のものです。わたしが思うのは、遅くとも90年代には、サィードはこんな風に彼が依拠していた六十年代のフーコ・デリダの限界ーカントについて何百ページも語られているのに市民という言葉が一言も出てこないことの限界ーをみたのではなかったでしょうか。そして現在の問題は、後期資本主義において人びとは<国家>と<民族>の枠組みに依拠できなくなり、グローバルデモクラシーの<市民>のほかに行くところがないがこの新しい経験を自分たちのものにしようと考えるようになったにもかかわらず、なお原発体制みたいに破綻しつくしたものをふたたび一生懸命再び作ろうとしている観念にとらわれているようにみえること。たとえば東アジアの知識人の中には市民たちがそれぞれの国家と民族の枠組みから出たのに再び世界帝国を築くことの意義をいう者がいます。グローバル時代の<帝国>はもちろん帝国主義のことではないのだが、国家でもなければ帝国主義でもないというような新しい意味を持つというのですが、それは全体主義のノスタルジーと言わざるを得ないような内部化ではないでしょうか。




ジャーナリスト江川紹子氏の質問「ヘイトスピーチ対策法が成立した。自治体の首長としてどう取り組むのか。小池さんは野党時代の2010年、ヘイトスピーチをやってきた“在特会”関連の講演をされていますが、事実ですか」

小池百合子氏「対策法にのっとってやるべきことはしっかりやっていきます。いろいろな講演に出ていますが、在特会がどういうものか存じ上げませんし、主催された団体と在特会の関係も知らない。したがって在特会の講演をしたという認識はありません」
(当時、講演会の案内には〈演題:「日本と地球の譲りかた」講師:「小池百合子衆議院議員」主催:「そよ風」協賛:「在日特権を許さない市民の会 女性部」〉とハッキリ書いてある。)日刊ゲンダイより



漢字と仮名から成る表記体系は現代日本語をもっている。まさか漢字から侵入を受けていると思うか?同時に、漢字が固有なものであると思うのかい?漢字は日本語の外部でもなければ外部の否定でもない。漢字は日本語を外部に開かれているとするための言語的契機としての他者である。(起源の表象を批判したにもかかわらず)、意味作用の力の中心が「述語」に置かれるという直観的把握では嫌になるよね。それだと、結局漢字が仮名に再び包摂されることになるから。日本語の不可避の他者が再び包摂されることになるから。<と>が梟<と>猫をもつように、漢字<と>仮名でいいじゃないか

Wakan konkoubun (和漢混交文?) is a Japanese writing style which uses a mix of Japanese and Chinese writing styles that intermingles Japanese and Chinese character readings, grammar, and lexical styles. It came from the practice of using marks, added to Chinese characters, to indicated the order in which to read them for Japanese speakers. Wakan Konko Bun was often written in Hiragana and derived from Japanese reading conventions for classical Chinese. Wakan Konko Bun shows that the development of written Japanese is inseparable from the use of literary Chinese(Wiki)



丸山真男なんかをいくら読んでもわからなかったことですが、荻生徂徠などの思想(「弁名」)に、政治神学というか、社会契約的観念があったことが指摘されていています。これは私の江戸思想への最初のアプローチでした。「一般意思」といわれると、色々な場面を思いだすのですが、公害企業前の座り込みのときもうこれを止めるかどうかという決定ですね。これは全員一致によるものでしたから全然決まらないのです。必ず一人、二人は違う意見をもつので、いつまでも決めることができないが、効率はめちゃくちゃ悪いが、そのかわり強力な団結というかそういうものに支えられました。内部での疎外感はありません。このときはセクトではない市民運動で全共闘世代なんかが結構いたので、一般意思へのこだわりだったかどうかは正確にわかりませんが、非常にルソー的だったことにいまさら気が付きました。ルソーは、飾らない実直なといわれるスイス人としては珍しくないのですが、演劇というものを嫌っていたようですが、劇団というのは非常に一般意思の世界ですね、詳しく述べられませんが、外部から影響を受けない共同体の独立ですね、あれは強力なものです。最近は、訪ねたスイスで知って驚いたのですが、こんなすすんだ国でなんと女性の普通選挙権が1970年代までみとめられていなかった事実がどうして起きてしまったかについては、(女性はここでは参加できた)国民投票の一般意思としてもつ意味の過大評価、と同時に普通選挙(個別意志?全体意思?)の過小評価があったからだと説明されます。最後に、ご存知のように、現代思想では、ルソーの一般意思の評価がよくないですが、実際にルソーを学ぶラジオ番組でスイスの(移民排除の)ナショナリズムに結びつけられて語られていたのを思い出します。大まかにいって、デリダは、(マイノリテイー排除の声)ファシズムの声を読みだすほどでした。ただそれはヨーロッパでの問題ですからね、私は日本におけるルソーの理念的な可能性を擁護したいですね。ルソーを自分達のものにしていく努力というか。「われわれ」というときそれはたぶん一般意思の「われわれ」のことで、自身の日本ナショナリズムにたいする抗議と同時に(他者を排除する)近代というものへの抗議、それによってなんとか可能となるような、アジアの人々への共感をともなった「われわれ」、江戸思想から発言する「われわれ」ですね(いつもそう願っています)

津田左右吉は、日本書記とか古記事が<貴族>たちが書いた「作り話」でしかないことをズバリ指摘しています、1930年代の日本回帰のような日本主義者たち(ヨーロッパ帰りの解釈学的知識をもちかえってそれを教条主義的に適用しとして古代日本を捏造するのです)が、貴族のアイデンティティーに、日本<民衆>のアイデンティティを求めてしまうというのは単純に間違いです。「周辺の従者」を同化させるための政治的な支配関係を隠ぺいする目的の芸術(歌・神話・歴史)は、真に、民衆のものとはなりえません。

安倍に憲法を委ねる三分の二からみるのか、それともそれに反対した三分の一からみるか、ですね。選挙では負けましたが、三分の一が安倍から憲法をまもろうと意志表示したことは意味があるとおもいます。永遠に変わらない原理が存在しないように、憲法もいつかは変える必要が出てくるでしょう。しかしいまは安倍から憲法を死守すべきです。憲法改正は半分でしたっけ?三分の一もわたしの側にいることは確かです。三分の二の中にも憲法改正反対の人々が少なからずいることでしょう。ここから、格差のある社会と権利のない社会をつくりだす安倍から憲法をまもることの正しさを主張していくだけです。

沖縄の人々の非暴力抵抗の基地闘争は東アジアの希望です。

左翼は天皇についていつも意味づけてきたのですが、今回は無理に意味づけるよりも、おそらく、ほっておく無関心が一番。と、一番いいのは、天皇大好きの国民に天皇の政治化をコミットさせないためには、できることなら天皇制を廃止しそのかわりに京都に天皇博物館の永久館長になってもらうことですがね。

お国のために続けろ(宮内庁)、お国のために憲法できめられていないことを勝手にいうな(保守中道)、お国のために安倍に何か言え(左翼リベラル)とかいわれていますね。それぞれ傾聴すべき内容のある異なる立場の主張であるにもかかわらず、軍国主義の同じ根っこじゃないでかと考えはじめています。しかしどうもこうおもうのです。理念的などんなシステムも連続性の消滅によって終わる。健康を害してまで職務を続けることに無意味さを感じるほど国家神道の復活と等価なものを安倍政権がつくってしまったことが、かえって天皇制を消滅させていくことに?大騒ぎせず無関心にほっておくと自ずと終わることになるのか、システムの穴?

明仁の人間としての自由意志を尊重しておやりなさいよ!
ー>「宮内庁として一切検討していない。天皇陛下のご意向と、実現できるかは別の話だ」と宮内庁次長は全面否定。「報道の事実一切ない」。皇室制度を定めた「皇室典範」に天皇の退位についての規定はない

たしかにその可能性のことについてはきちんと検討する必要があるとおもいます。あらためて考えなければならないことは、戦前の天皇制です。「国政への権能を有しない」と憲法が言っているのは、常に天皇ファシズムについて忘れてはいけませんという喚起もあるとおもっています。天皇は憲法を与える主権者であり、憲法に制約されない統帥権をもつ存在でした。また靖国神社を通じて死者の世界を支配する権力をもっていました。戦後憲法はこういうものを全部やめました。様子をみないとわからないのですが、だからこそ、明仁天皇は、(この憲法に沿って)、時代遅れの法律を変えることを要求しようとしているともかんがえられます、私なら要求しますよ(笑)

そうですね、ゼロ―サムzero-sumなんだとおもいます。根底において自由の抑圧と関わっているのだろうと考えていますが、君主制の問題の窮極は王室の名誉心が戦争を推進していくことですね、17世紀の哲学者スピノザの時代から、この危険性について絶えず言われてきたことです。(とはいえ、共和国のアメリカが戦争しかしていないことも事実ですが、ただし名誉心から起きる戦争ではりません)。スピノザがみたのはスペインの王室の戦争でしたが、最近わたしたちが目撃しているのはイギリス王室のイラク戦争への一定の影響力です。当初イラク爆撃にたいして8割が反対していたのに、女王がイギリス軍に「全軍がどうかご無事で」という言葉を送った後に、がらりと戦争賛成へと世論が変わったことは私がどうしてもわすれることのできない事実。ブレアーが嘘から戦争を作り出した事実が最近の調査結果で明らかにされることになりました。彼の責任の他に、小泉のような戦争協力者の責任はどうなのか、女王の責任は問われないのか?戦前の天皇の場合は、「全軍がどうかご無事で」のかわりに、’’戦場で死んでも安心しなさい、諸君の魂は靖国に帰るのですから”でした。靖国靖国近代天皇制の成り立ちをかんがえるとき、ヨーロッパの君主たち、ビスマルクの時代の君主制やビクトリア朝の君主制の類似物としてみていくとどうしても説明できない部分があります。実際に安倍は太古に遡るヨーロッパの偉大な過去を称えているのではありません。安倍応援団の日本会議の起源は色々あるのですが、その一番大事な出発は70年代の元号法制化を求める運動だったといわれます。皇位継承のときに起きる元号というのはなにか?ここでちょっと整理しようとおもうので子安氏の言葉をひきますと、「神武創成の偉業を明治のいまに再現する日本の近代国家(ネイション・ステート)としての形成は、中国の先王的古代の祭祀的国家理念を負っているのである」(「徂徠学講義」岩波書店、2008年)。こういう元号の問題ー戦う国家、祀る国家の時間軸を構成する似非文化の問題ーを明仁天皇はどう考えるのか?やはり退位したあとでなければ、発言できないのだとおもいますから、是非ご自分の考えをどうぞ自由に発表していただきたいとおもっています。

私は天皇制廃止を冷静にかんがえる良い機会だと思ってますが、しかしここで左翼的立場から天皇制廃止を訴えてもし仮にそれが実現してしまうとすれば、天皇大好き国民から大反発を受けることは必至。かえって戦前みたいな反動的な天皇のありかたをもとめる運動すら起きるかも。だから一番いいのは、天皇制を廃止するときに、引退した天皇に京都に戻っていただき、そこで天皇博物館の永久館長になってもらうことです。館長の地位は相続されてもいいんですから。アイルランド時代に、ヨーロッパをまわってきた浩宮の妹がつぎにダブリンに来るというので、お前も来いといわれました。嫌だったのですが、非常に苦労してまわっているとききましたし、また病気の義理の姉の代わりに、こんな辺鄙なところにやってきて、文化好きなのに、会うのが駐在員ビジネスマンばかりでは気の毒だとおもいました。アイルランドの文化は一言でいうと何でしょうか?ときかれたので、我々が住んでいる過去の姿を絶えず発明しなければ我々はたちまち化石になってしまうんだと言ったアイルランドの劇作家の言葉(芝居の台詞)を伝えたところ、「うちもそうなんです!」とリアクションがあったので、やはり天皇博物館が非常に現実的な話だとおもいますよ。忘れず書いてこうとおもいますが、この博物館のなかに、アジア人が訪ねることができるような本居宣長コーナもね



たしか、蓮見重彦はフーコーの本のちょうど真ん中に鏡があると言った、というか、言ったままだったから、それが正確には何を意味するのかは今日迄わからないままだで、私の読解力の無さに依ることだが、兎に角彼が指示したその真ん中は、表象の言説の時代の〈最後〉と、欲望の言説の時代の〈最初〉とが交差する場所。近代において欲望の言説が全面に現れてくると、古典的な表象の言説が背後におしやられることになったが、表象の言説は古典時代の舞台から近代の舞台へと場を変えてみずからを完成することになった。つまり再構成する課題をもつのである。表象の意味が未来に向かって思い出される(例えばサイードのオリエンタリズム」の仕事をみよ)。クールベやミレー(下)は、マネの絵(下)と共に、語り労働し欲求をもつ人間を対象とする思考のイメージである。そうであれば、これらの作品がフーコーの本の前半に言及されることはなく、その後半にしか言及されない。定義の問題だが、それらはそもそも写実主義という語でまとめられるほど写実的か?芸術至上主義の入り口だったことは確かだ。マネの「草原のピクニック」は、フーコーの後半にその場所をもつのである。ロマン主義から印象派の間に位置するのであるが、ゴダールが映画はこのマネから始まると語っているのは大変気になる。このとんでもない映画の起源をいう言葉に私は翻弄されてきた...

左翼リベラルから「憲法愛国心」とか「9条愛国心」の気持ち悪い言葉をきくことがありますが、もし矛盾していないとしたら、この言葉が意味しているのは、憲法の理念性(人類の平等性・同一性を言う)が、(理念性を否定する)ナショナリズム(国家・民族のなかの同一性)によって包摂されているということ。健全なナショナリズムのことに限定しているつもりでも。(日本会議も危うい「健全」の観念を祀っているんじゃないでしょうか。)社会主義者ならば格差の問題の解決は愛国心からはあり得ないということを一番知っていたはずなのですが、2009年を契機に社会党までが・・・。とうとうきみまでもそうなっちゃったの?という驚きと溜息。社会民主主義よ、理念性をすてないで!


「フィネガンズ・ウエイク」を称える

「フィネガンズ・ウエイク」のジョイスがたたえるHere comes everybodyとは何であったのか?おそらくそれは、すべての人の同一性・平等性をいう理念への称賛を意味していた。この「フィネガンズ・ウエイク」はたとえカオスの極みである終わりなき分裂生成の宇宙劇場にみえても、意味されているものと意味しているものとの関係が溶解し尽くすということは起きない。テクストのどこにも(anywhere)、「二項対立的」内戦から隠遁したヨーロッパー内ー亡命者(アイリッシュ版の世界ー内ー存在)の怒りが書き込まれていることを見て取れるだろう。このときテクストは国家ではなく地域となる。戦争から逃げるジョイスを戦争が追跡した。三〇年代のファシズム前夜に「フィネガンズ・ウエイク」を出すが、転々と移動した作者がどこでそれを完成させたのかは国家中心の近代文学史では特定できない。大衆社会の独裁者との一体化では、一人の男性に対する生命、財産、魂の贈与には限度がなくなるが、それは人類の同一性・平等性を意味するものではない。ファシズムを避けるために、代表されてもかまわないが、そこで亡命者が人間らしく個性的な存在のあり方を尊重される場所が取り上げられてはならない。安倍政権のもとで急にこの場所が奪われることになってきたこと、それが本当に嫌だね


哲学者は新聞に媚びるな、また新聞は自分のために代弁する哲学者を都合よく利用するな、とおもう。常の事として、日本哲学者は、心へのアプローチから問題の所在を指摘するような哲学的とは到底言い難い態度で語る。若者を見ていると理解したいとする様子がわかる、若者に応えるために新聞は正確な情報を与えよ、などと注文するが、当たり前じゃないか、だがそんな当たり前のことがもう無理なんだから、ファシズム前夜のこの危機的なとき、せめて、まだ哲学の力を信じているならば、哲学者としてどう考えていくのかをぜひとも教えていただきたいよ、理解したいという若者たちにも、そして若者ではない理解していたつもりの失意の人々にもね



フランス支那学という近代の学問の解釈によるものなのか、素人の私には正しく判断できないでいるが、「論語」において「君子」と指示されているものは、フランス語でフラットに「人間」と訳されている。素直に、驚く。たしかに、規範的定義の枠組みにとらわれずに、人間が人間自身に問うというラジカルさがこの本にあることは感じてとっていた。なぜ「論語」を読むのか?読むことの意味を考えるということがある。古学派の仁斎の注釈によって原初的テクストを読むーいきなりというか顔回という最愛の後継者を失って天に向かって嘆く孔子と共に絶望するために、やむを得ずどうしても不可能な未来を考えるために、そしてほかならない悲劇から、突き動かされて、他の道に繋がる新しい思考のイメージを自己のものとするために。



天皇の生前退位の表明は、
異常な安倍政権に対する彼ができるとかんがえた
抗議ではないだろうか
そうみなされても仕方ないね

近代とはなにか? 近代とは禁じられた非対称性。スピノザSpinozaの近代はいかに神は自らを物に表現するかと最初に問う方法にあった。かれの方法には方向性があった。逆の方向から、つまり物から神を問わないのである。同時代のロックLockの場合は、労働から貨幣を説明し始めた。貨幣から労働へ行かない。やはり方法に方向性があり、そこには同時性というものが禁じられている。ここまで書くと、「失楽園」のミルトンJohn Mlton が書いた天から地への降下の意味についてどうしても考えることになる。後に、ドレDoréが与えたいかにもヴィクトリアン的ロマン主義の挿絵をみると、ヒチコック映画「レベッカ」の冒頭場面を思い出す。またはヴェンダース「ベルリン天使の詩」?しかしこれらを構成する一つ一つの実体たちは互いにあまりにも独立しているために決定的ななにかを失わせているようにおもえてしまう。物(鐘)から労働を、貨幣(水溜り底のコイン)から神を投射する反近代に存在したのが、タルコフスキー。(降下とは)反対の方向から、地から天への上昇は、単に降下の否定ではなく、(降下に再び戻らないという)降下とは別のものをつくりだしたのだ。これは天地の間の運動の同時性としかいいようがない。17世紀から、三百年かかったのである...同時性でなければ関係の自立性が成り立たないという思想をえるためには。


反近代の問題は、タルコフスキーにおいて語ってみたが、本当はデュラスに即して語ったほうがよかった。タルコフスキーは、彼の映画を愛する人々から大地への帰還もどき話に専ら還元されるが、亡命者の個性的な存在のあり方を尊重する思想をもっていたことにもっと注意する必要があると思う。<亡命者>タルコフスキーに対して構成されてくるのは、<国内亡命者>の思想をもったデュラスのあり方だ。デュラスは、植民地ベトナムという国(フランス)の中の国の(自らの姿を隠すような)亡命を回想的に発明しているというか。彼女は映画館の中の闇が自らを隠してくれるということにいかにすくわれたかと思いだす。映画「インデイアンソング」を観てわからんと言ういかにも正統的な観客は、外部性をもって関係の自立性を表現する思想を拒む人達だろうなあ。そういう人たちは、われこそは国と時代と対等な存在であるとする文学に顕著な感性と思考をもつが(そこは一緒)、常にその感性と思考を実体の独立性に戻してしまうという思想に根づいているというか(そこが私と違う)。デュラスの表現は演劇と映画の両方を持っているが、彼らが根付く演劇と私が依る映画との差異が現れるのが面白い。モダニズム的多様性を追求する異質性を表現した作家ウルフ。デュラスはこのウルフの研究者だからウルフ的なモダニズムの方向に沿って理解される可能性もある。(近年はポストコロニアル世界のフェミニズムにとって意味をもつようなウルフの読み方が現れているとのことだが、モダニズムの読みは女性原理のデュラスという読みに反発するだろう。)ゴダールのデュラスということになると、別の話。ソーシアリズムの同志であり、その批評精神から、人間の平等観をつくっていく同一性の方向が展開されている。(ウルフの「波」Waveにはそういう同一性の方向が限定的に展開されていたかな?)

平安時代だったんですね、考えたこともなかったかです。哲学者ラッセルは自分たち貴族はバイキングの末裔だと言ってるでしょう、言ってなかったかな(笑)。美術評論家のケネスクラークなどは非常に面白く、いかに、バイキングの舟に象徴される野蛮が、ゴシック世界の祈りだけに生きる洗練の極致の文明(女性原理)に昇華されることになるのかを説明できるでしょう。中世の王宮のタピストリー(絨毯)に描かれている動物とかはバイキングがもちこんだ感覚ともいわれるけれど、女性の想像の中で秘密の庭で戯れる神秘というか...

面白い記事ありがとうございます。ええ、興味があるのは、シチリア、東方に向かったヴァイキング・ノルマン人たちですね、その地に根付き、王となり、貴族となったのですが、やがてノルマン人としてのアイディンティティを喪失し、現地に同化していった歴史があります。いつかそのシチリアに行きたいとおもっています。ヨーロッパで暮らすと、自分が立っている地面の底に古層というか歴史が詰まっているというか、神話とごちゃごちゃの場合も含めて。ダブリンのときは道端で、いきなり知らないアイリッシュにたずねられることがありました。この近くに、ケルトによる捕虜の集団死刑があったというが、その場所はどこか?(そんな何千年前の事件のこと知るか、日本人に聞くなよ!?(笑))そうそう恐らくバイキングのおかけで古英語が非常に豊かになったのですね(ボキャブラリーは増え文法が効率化した)。色々な時代にわたってバイキングはイギリスに次々に何回もやってくるのですが、一番新しくやってきたバイキングは最初に来た人たちとどれくらい話ができたか、かなり通じたのではないかといわれますね。しかし例えば、最初にきたバイキングはTheyとheを分けた上で話をするとき、後から来たバイキングはそれを知りませんからね、「え?なに?」ということだったでしょう。ご指摘していていることに関係するとおもいますが、生活様式や言語を観察したうえで、(最初はキリスト教世界から)、近代が古代の民族集団を定義し神話などを解釈するのですね。しかし滑稽なのは、それを学んだ大正時代の日本人たちがその方法論を日本において公式的に適用し「古事記」をかなり(近代)文学的に解釈して、’大和王国の民衆は清明心をもっていた’ときめつけちゃう場合ですかね。清明心って儒教の言葉かしら?なんだかなあとおもうのですが、近代の自己投影とおもうのですが、高校倫理の教科書を立ち見読みしたら冒頭にそういうことが堂々と書いてありました





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2016 june (2) 言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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