芸術は快楽か禁欲か

<芸術は、快楽か禁欲か>

普遍的思考のことにかんしていえば、普遍主義は、"愉快な空間"とするニーチェ的なポストモダン的な考え方と、"愉快な空間ではない"とするカント的なフランクフルト学派的な考え方がありますね。例えば、80年代に顕著な商業空間に、自由の契機を見出すのは前者です。そして、2000年以降に重要となっている公共空間の創設に自由の契機を見出すのは後者であると思いますが、正直言ってまだ私の中で明確に整理できていません。ただ、日本の現代アートは、良い意味でも悪い意味でも、いまだにディズニーランド的に遊園地的快楽なんですが、2000年以降に重要となっている公共空間の創設の意義が十分に理解していないようにみえます。海外の称賛を受ける中、W村上、荒木や安藤、そして北野等の新しいオリエンタリズムの台頭のことがあります。正直厄介ですね。何故なら、日本の現代アートは、まさにそこに、コミュニケーション不可能な自虐的な空白のもとに回収されてしまうでしょうから。日本の現代アートはこのまま、発言がないアート、抵抗を失ったアート、顔が無いアートを輸出し続けることが可能と思っていますか?必ずしも愉快な空間ではない公共空間のことも、理論化が必要

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