反戦運動とジョイス文学 2



3 Return to itself - 不可能な円環の肖像           
 
 「フィネガンズ・ウェイク」には、ジョイスの創作の上での豊かな体験、繊細さと大胆さとが混ざる観察力、自由闊達な描写力、数十の言語が組み合わされる巨大な構想、それから、彼の文学を最も際立たせている、多声的な円環の運動、というような特徴が観察される。特に、ジョイスの自伝的かつ自画像的性格を強く持つとされる第七章には、揶揄と誇張に溢れる表現によって「物書き(penman)」である「シェム(=ジョイス)」の創造上の秘密が描かれているが、これらは、「ジョイスの言語革命」の著者であるコリン・マックケイブが、ノーム・チョムスキーの言葉を引いて、「文法にかなっているが使用不可能である (grammatical but unacceptable)」と呼ぶような難解なものである。シェムは自分の肉体から排出した尿というインクを使って、「物書き(penman)」としての創作行為を実践する。自分の皮膚という羊皮紙に「一平方センチも残さず」文字を書き連ねた結果、皮膚が見えなくなってしまった、という。

 その後、敬虔なるアイネイアスは、召還来れる時には、天文の女神ウラニアの合星国にて保護されざる、彼にとって臭々泥々糞々便々たる不確かなる量の卑猥なるものを二十四時間以内に、その天ならざる肉体より、この二重の染料を用い、鉄鉱石の上に没食子酸をかけ、血の温度にして、派手に、忠実に、不潔に、適切に、彼の惨めな臓の腑から絞り出して産みだすべし、と震える地に命ずる雷鳴の如き勅令に忠実に、このエサウ・メンシャヴィク、徹頭徹尾錬金術師なる彼は、入手しうる唯一の道化師帽透かし入り紙である自分の肉体の上に、一平方センチも残さず書き込みをし、ついにはその腐食性昇華によって、一続きの現在時制の外皮が、マリヴォー流文体により気分形成されたる誕生・結婚・死の回帰循環する(彼が言うには、これにより、生きること不能の彼自身の個人的生から反射して、意識の緩慢たる火を通して、危険、強力、万人共通、人間のみの、滅ぶべき、断片的混沌へと変質形成される歴史)をゆっくりと展開したが、消えようとしない一語ごとに、彼が水晶のごとき世界から垂れ幕に吹き付けた烏賊墨は、がらくたの中で炭緑色とドーリアングレイ色に褪せた。(宮田恭子訳)

 マックケイブが指摘するこの文の複雑さは、主に、固有名詞「アイネイアス(Eneas)」や指示句「エサウ・メンシャヴィク(this Esuan Menchavik)」、定冠詞の記述「徹頭徹尾錬金術師(the first till last alchemist)」等の語が、英語原文では文の始めに位置する代名詞「彼(he)」に常に関連づけられ、「彼(he)」の内容を文の展開に従って拡張している点に起因している。そして、「彼(he)」に常に戻っていく文の構造は、 fin(フランス語の、終わり)と begin(英語の、始め)の両方の言葉をタイトルの中に含んだ「フィネガンズ・ウエイク」という作品自体の円環の構造とみごとに繋がっている。「自分で決めた亡命」中も、絶えず「ダブリン(Dublin)」に回帰するジョイスの円環は、無根拠にずれ続ける逸脱の精神とも呼ぶべき再帰的円環であり、自伝的作品である「フィネガンズ・ウェイク」では多声的な音の運動へのラディカルな探求が頂点を窮めることになる。その中で、ジョイスは、「統一」と「多様」の極の間でダイナミックに揺れ動いて止まない、都市の肖像をも描いたのである。         

148 人間的な声の復活を祝した「ユリシーズ」の最終挿話に書き記されたモリー・ブルームの最後の言葉「yes」は、「s」という文字によって冒頭の言葉「stately」に繋がっている。ジョイスは、円環のモンタージュと呼べる技法を駆使して、シャム(偽物)、およびペンマンと名乗る「書く主体」としての自身の姿を、また、巨人の姿であるアイルランドを、絶えず他者の中から誕生させようと欲した(ここでいうアイルランドは、彼が常に回帰するダブリン、そしてそれと等価されたトリエステ、チューリッヒ、パリといった都市へと繋がっている)。そして、アイルランドという国を常に発明したいと望んだのである。

149「ユリシーズ」は、モンタージュ的言語によって、スティーブン的〈ギリシャ人ーカトリックーアイルランド人〉を、ブルーム的〈ギリシャ人ーユダヤーアイルランド人〉から異別化し排除した。FWのトポロジー的多言語の領域へ移行してアンナリヴィア的<ギリシャ精神のユダヤ人>を発明する為にだ

150否。ジョイスのヨーロッパに定位したトポロジー的多言語空間は、ゴダールならばフィクション的ドキュメンタリと呼ぶ。第一次大戦という<西欧の終焉>後に前衛芸術期を経て到来した、1930年代における高度な次元でのリアリズムの再生といえる。FWはファシズムから民衆の声を解放したかった

151、世界中の河の名前を含んだFWは、豊穣な海である。ジョイスは願ったーそこであらゆる読者が彼の知っている河と結びつけらんことを。そのとき誰もが詩人のように声を発して名前を読み上げることができるようにと。河と河、人と人、これらは全体性のシステムに包摂されることがない外部性である、ということができるだろう。

ジョイス文学をポストコロニアリズムの角度から捉え直す為に必要な議論である、ヨーロッパのボヘミアンの理想を共有し、踏襲したようにみえるアイルランドのボヘミアンの独自性とは何であるかについて考えてみたい。
 十九世紀半ばに出版された「共産主義者宣言」が「ヨーロッパに怪物が徘徊しているー共産主義者という怪物が」という冒頭ではじまるのは周知であるが、ここで、コミュニズムをアナーキズムのヴィジョンにおいて捉え直してみよう。一般的に、ヨーロッパのボヘミアン達はインターナショナルなアイデンティティーを主張し、「共産主義者宣言」のマルクスの言葉を借りると、ボヘミアンの芸術家には国境が無いとされた。これに対して、アイルランドのボヘミアン達は自己のアイデンティティーを独立国の理想の中に見出した。芸術とナショナリズムとは、彼らのヴィジョンの中において互いに切り離せない関係にある。このアイルランドにおけるボヘミアンの独自性は、マルクスとエンゲルスが同国のナショナリズムに対して行った評価に従って正当化する事ができるだろう。事実、文化革命ともいうべき、イェイツが創設したアイルランド文芸復興連盟とマルクスの創設した国際労働機関との間には活発な交流が存在したのである。
 産業革命以降、歴史の趨勢を握ったブルジョアジーの主導権は決定的となるが、ブルジョアジーの貴族へ注がれた憧憬と拒絶は、フランス革命以降約百年間続いた幻想であった。例えば、外国語を取得するためには、いちいちそれらの言葉を母国語に置き換えている限り困難であり、母国語の媒介なしにその言葉で考える必要があるが、マルクスはこのことをブルジョアジーの主導権についてのアナロジーとして用いている。ブルジョアジーが自分達の言葉を喋るためには、貴族のコスチューム、およびその身振りと語彙の模倣をすべてやめる必要があったが、それらは一向に実現せず、台頭する労働者階級との間の闘争の中で、それらの貴族に対する憧憬と拒絶は大きな振幅を伴いながら、かえって強化される現象も生じた。
 
 さて、芸術における参加の意義を強調したヨーロッパのボヘミアン達は、理想が私有財産を否定したアナーキーな公共空間に存在すると考え、彼らにとってブルジョアジーの階級的な存在理由は否定されるべきものであった。こうして、芸術の私有を否定したヨーロッパのボヘミアンは、二十世紀初頭において、ついには貴族の幻想を完全に払底したブルジョアジーと鋭く対立することになる。
公共空間を求めたヨーロッパのボヘミアンの政治的な信条は、アナーキズム的な第一次インターナショナリズムの主張に重なっていく。アイルランドのイェイツもヨーロッパのボヘミアンの理想を共有し、公共空間の重要な意義を訴えた芸術家の一人であった。イェイツを始めとするアイルランドの作家達は、ブルジョアジーの国家とは全く異なる共同体の建設を夢想したが、アイルランド西端に位置するアラン島はその理想の共同体のモデルであった。「ラシーヌを棄てアラン島へ行け」とは、パリで創作のうえで燻っていたジョン・ミリントン・シングに向かってイェイツが放った有名な言葉であるが、この言葉には理想郷へ向けられたボヘミアンの強い思いが込められている。


プルースト」失われた時を求めて」には、歴史の舞台から退場を命じられた、(ブルジョアに)敗北した貴族的自然観への愛憎が木霊する。この本といえば、スノビズム?や芸術至上主義?のステレオタイプなのだが、しかし本当にそれらに尽くされてしまう本ならば、左翼知識人達、ポストコロニアリズムの論客カイバードも、労働者階級出身の演劇人ハロルド・ピンタもこの本を読まなかった。まちがいなく、この本は、世界資本主義によって追放された人々の未来を見通しているのだ。プルーストには、紛争当事者達を和解させようと努力する所があるが、明らかに、ここにおいては、前述した、産業革命以降、没落していく貴族への愛憎が微妙に書き込まれている。ここで、オスカー・ワイルドの興味深い証言をひきたいのである。ワイルドはイギリスへ行ったとき、出会った貴族達と、自分が知っていたアイルランド農民たちとが、思考や感情において、なんと類似しているか驚いたと証言している。これと同じような証言は、アイルランドの作家シングやバーナードショーからも証言されている。貴族と農民との不可能な出会い、これは偶然ではないだろう。何故なら、ブリジョア的産業社会に打ち負かされた敗北した階級として、農民達は、貴族の思考と心情と近いものがあったに違いないからである。

だからこそ、貴族の反動的なノスタルジーは否定された。たんなるアナクロニズム的な貴族趣味が漂うブルジョア的な芸術は拒否され、観察と計量のリアリズムはフランス産業社会のイデオロギーとしてきっぱりと否定された。その代わりとして、アイルランドの口承文化の伝統を継承した神話とリアリズムとが折衷する、全く独自のジャンルの確立が模索された。こうして、アイルランドのボヘミアン達は、自らのアイデンティティーを語るために独自の言葉が必要となり、アイルランド西部の「農民」を発見するに至る。「農民」は彼らの理念の反映であり、近代社会やブルジョアジーに対するアンチ・テーゼとなった。
 
 さて、マルクスは、当初、世界が舞台となるコミュニズム主導の植民地解放を構想していたため、ナショナリズムの動きを単なる感傷と理解し、覚めた態度で捉えていた。「共産主義者宣言」のなかで、マルクスとエンゲルスはコミュニズムをナショナリズムと対置しており、植民地解放は前者に基づく国際的な政治組織の主導権によって成就される、と説いている。しかし、国際主義に傾いていたマルクスとエンゲルスの態度に、1848年から1860年代の間に、徐々に変化が生じた。ナショナリズムの動きにも一定の理解を示すようになり、階級闘争における「抑圧する国家」と「抑圧される国家」というアイデアが検討された末、パリコミューンの年である1870年には「他国の支配を行う国家は皆、自らの鎖を鍛造しているのだ」、とさえマルクスは語るようになる。この重要な変化のきっかけは、実は1860年代に勃興するアイルランドのナショナリズムにあった。こうして、一体誰が植民地解放の担い手となるのだろうか、という問いに関してマルクスの見解に大きな転回が生じた。帝国主義国の労働者の蜂起を待つ代わりに、植民地の民衆がイニシアティヴを取るべきであり、この事によって革命の波が周縁から生じた後ヨーロッパの中心へと波及し、ついに全ヨーロッパの専制を転覆させるはずである。とはいうものの、マルクスがナショナリズムに対する不安と疑念を払底する事ができなかったのも事実である。アイルランド問題のマルクスの語りには、あの安定した知の客観性が欠けている。ここにはマルクスの好んだ「決定する」という言い回しは見つからない。代わりに「確信(my fullest conviction)」といった強勢の語が多用されることで、民族主義的な武力闘争を支持することとなり、皮肉にも彼の抱える大きな不安と強い疑惑を露呈する。何故ならば、「ルイ・ポナパルドのブリューメル18日」の中で分析されている様に、マルクスにとってナショナリズムは本質的にブルジョアジーに属する反動的な幻想だからである。その後、マルクスは、ブルジョアジーに主導されたグロテスクな英雄崇拝へと変貌していくアイルランドのナショナリズムに対して不信感を抱くようになる。マルクスのこの相反する態度は、アイルランドのナショナリズムを国外から観察した亡命作家のジョイスに継承されている、といえる。イギリスからの植民者の子孫であるプロテスタント系アイルランド人のイェイツ達は支配階級であるブルジョアジーに属しており、彼らが主導したアイルランド文芸復興運動は自らの階級のアイデンティティーを確立する運動に過ぎない、と考える立場もあるが、これらの文芸復興運動に対するジョイスの評価は決して単純なものではなく、「ケルトの薄明(Celtic Twilight)」と概括される初期の文芸復興運動の事を、後に「フィネガンズ・ウェイク」の中で cultic twalette(「呪われた教養主義の糞壺」の意か?)と揶揄している。ジョイスもマルクスと同様、偽善的なヒューマニズムとコスモポリタニズムには期待しなかった。つまり、植民地解放を先導する運動はナショナリズムか社会主義しかない。但し、前者は反帝国主義の理念として統整的に機能する事もあるが、同時にブルジョアジーの幻想であるファシズムに転落する危険が常につきまとう。ジョイスの作品の中では、絶えずこのジレンマに悩まされた彼の自国のナショナリズムに対する複雑な思いが見え隠れする。昼の本である「ユリシーズ」に対する夜の本とされる「フィネガンズ・ウェイク」のテクストの、分裂した多義的な記述の中にその巨大な影の痕跡を読み取る事ができる。言語に映し出されるこの痕跡を、言語は描き出せるか?ジョイスは文学という空間において言語に表現されるこの痕跡を表現してみせた。この点で、ジョイスは、「示されうることは、語りえない」としたウィットゲンシュタインとは反対の方向へ行く。つまり示されうることは、語らなければならない責任があったのだろう。

最後にここから、ジョイス文学の意義をアイルランド映画の歴史から照らし出してみたい。まずアイルランド映画に関する共通認識として挙げておきたいポイントがいくつかある。最初の点は、アイルランドにおいて現在も続いている試行錯誤の努力のうちに培われた経験は実はこの世界の大半の国が共有している経験である、という点だ。つまりアイルランドで起きている事態は、新植民地経済の制約のもとで『独立』国家を名乗らなければならない、アジアやアフリカ、ラテンアメリカの殆どの国で、全世界的に起こっている事なのだ。いわゆる産業革命や市民革命といった言葉で形容されるような近代の経験はアイルランドにはない。そうした経験は、実際には、西ヨーロッパの地域に限られた特定の歴史的・社会的な条件において成立した特殊な経験に過ぎないのである。その意味で、アイルランドは世界史の窓と呼ぶに相応しい視点を備えている。次に押さえておきたい点は、長い間に渡って外国製のイメージばかりに囲まれていたアイルランドにおいては、自分達の手によって自分達自身を語った映画が極端に欠乏していたという点だ。アイルランド人の映画監督達が映画を作り始めたのは約四十年前のことで、大切な映画はすべて七十年代以降に発表されています。ところでアイルランドの七十年代というのは、デイリーの「血の日曜日事件」と呼ばれる、英国政府による公民権運動の弾圧が起きた時期である。これをきっかけにプロテスタント系住民とカトリック系住民との間の対立が激化したが、アイルランドの住民達に困難な歴史的な状況を呈示したフィールド・デイの演劇活動が注目を浴びるのもこの時期である。アイルランド人は皆、他の文化に関わっているか、もしくはそれらと関係を持とうと努力する人々である。他の文化の無批判な受容あるいは現実路線はある種の弱さ、つまり固有の文化を保持する姿勢に欠けた態度とみなされることも間々あえうけれどアイルランドの作家達がイギリス人男性とアイルランド人女性の間の愛と友情を描く場合、北アイルランドの対立を深めるプロテスタントとカトリック双方の、困難かもしれないが相互に理解可能な関係に託された人々の希望、といったものを表現したことを知らなければならない。
 
こうして、アイルランド映画が独自の発言を始めるのも七十年代になってからで、ボブ・クィーンとパット・マーフィーという二人の作家がアイルランドにおける自主映画製作の方向に決定的な指針を与えた。
 例えば、1978年に発表されたボブ・クィーンの「ポチーン(POITI’N)」はアイルランドの最西部のコネマラ地方が舞台となっていますが、現地の役者達を使って、ゲール語で撮影された。役者達にゲール語を喋らせることによって自然な仕種と身振りを引き出すことに成功している。後に発表された「或る若い画家の肖像画」、「家族」には彼一流のアイロニーと批判精神が溢れるとともに、それらが周縁映画の強烈な自己主張となり、人々の現実を直接に視覚的に捉えようとするアジアやアフリカ、ラテンアメリカの映画に繋がる普遍的な広がりを呈示している。
 パット・マーフィーは、アイルランドの独立を記録したドキュメント映画「MISE E’IRE」が固執する男性の視点に結びつけられたアイルランドの歴史とは異なるアプローチによって、フェミニズムの視点を映画において積極的に呈示することに努めた。1983年の作品「ANNE DEVLIN」はアイルランド映画の新しい幕開けを告げる作品ともいえよう。それに対して、ハリウッド映画は、特権的に、アイルランドという他者像のなかに自己を語ってきた歴史があった。。ジョン・フォードの「静かなる男」やデヴィッド・リーンの「ライアンの娘」、アイルランド映画として知られているこれらの作品は、実はアイルランドを物語ったハリウッド映画のことである。また、ジョン・ヒューストンの「ザ・デッド」やヒチコックの「ジュノーと孔雀」などはアイルランド文学作品や演劇をアメリカや英国で映画化したものである。
 そもそも、そうしたアイルランドについての映像の古くは映画生誕の時期に遡ることができ、1890年代にダブリンのオコネル通りがリュミエール兄弟の会社によって撮影された。その後、アイルランドを舞台にした無声映画がいくつか発表されていくが、これらは全部は1910年に遡ることができるものである。三十年代の黎明期を経て、ハリウッド映画製作のアイルランド映画が本格的に世界に知られるようになるのは五十年代、六十年代になってからのことだ。アイルランドにおいて実際に撮影を行ったジョン・フォードの作品はいずれもこの時期に発表されている。
 これらの映画の特徴は、アイルランド人の人格は極度に単純化され、自然の描写を比喩としたりして象徴的に語られることがある。例えば、ジョン・フォードはアイルランド人のステレオタイプを集約し世界に伝達した最高の功績者ともいえる監督かもしれない。彼の映画に顕著な女性像、すなわち無垢、従順、情熱的な女性達は合理的に事物を判断する能力を全く欠いている。ちなみに荒々しい自然を克服する人間のドラマはフラハティーやムルナウなどのサイレント映画の巨匠達によって好んで描かれて来たテーマであるけれども、暴風や雨や稲妻といった一見単なる自然の描写に過ぎない映像がアイルランド女性のステレオタイプ化された描写に象徴的に結びつけられる場合、人間の支配関係を伝える記号が浮かび上がってくるのである。「静かなる男」の主人公ジョン・ウェインが持ち運ぶ嵐は外からの力、つまりアイルランド女性には抗しがたい男性の支配を表象していることを読み取れよう。さらに、長い間に渡ってイギリス人男性とアイルランド人女性の間の関係がメディアを通して支配国と植民地国の間の関係として表されて来たという事実に着眼すると、「静かなる男」にはアイルランドを含むアジアやアフリカ、ラテンアメリカ諸国に対する大国の支配といったものが明示されている事が容易に理解されるはずである。
 ジョイス文学を映画化したヒューストンの「ザ・デッド」にも同様な極端ともいえるステレオタイプを観察することができる。ジョイスは女性の声の力を積極的に文学に取り込もうとした作家といえるが、ヒューストンの「ザ・デッド」では、女使用人であるリリーという女性の名前からあえて書き始めた原作者ジョイスの画期的な視点が欠落してしまうのは何故であろうか。ここからは、旋回する神の視点-ジョイスと映画における継承-というテーマから、ジョイス文学の方法を明らかにしていきたいのである。
 ジョイスの小説「ダブリン市民」は、ジョン・ヒューストンによって映画化されたが(「ザ・デッド」)、ヒューストンはジョイスの文体を特徴づける“声”の力を映像化することに成功しているだろうか。この映画において、グレタが夫ガブリエルに彼女の心を過去の長い間占めていた青年のことを語る場面の視覚的な印象は、その主体が逆転し、ガブリエルによってグレタ自身の感情や歴史などが語られる、というものである。つまり、ガブリエルはグレタの代わりに彼女のことを語る。
 ヒューストンの演出には、支配者が服従する者の代わりに彼らのことを語る場合におこなう置き換えがみいだされる。グレタや女使用人はガブリエルの言説を映す鏡である客体となってしまう。死んだ恋人を忍ぶ歌を眼を閉じて聞くグレタの姿をガブリエルが階段の下から眺める場面では、観客は彼の背後からその様子を静かにうかがう人物の姿を確認することができる。それはしゃがんでガブリエルのズボンの裾を直している女使用人である。観客の印象において、その女使用人がグレタの分身として重なるのは、その両者がガブリエルに従属する対象となり、いま述べた置き換えの作用が生じるからである。ヒューストンの映画「ザ・デッド」には妻のグレタを子供のように見守るという構図がみいだされるが、この思考形式はサーイドが告発したマルクスの「彼らは自分で代表をすることができず、誰かに代表してもらわなければならない」(「ルイ・ボナパルトのブリューメル18日」)という考え方と共通している。ハリウッド映画が伝統的に確立した180度ラインの原則-向かい合って会話する二人の人物を別々に、ただし対象的な構図で撮影し、編集でそれらの画面を交互に入れ替えられるようにするために、180度の軸線を設定しそれを越えないようにカメラを置くやり方に依存しながらヒューストンはその場面を構成している。そこでカメラの視点はフローベールのいう、姿を現さない神の視点と同様の働きを行う。観客はカメラの視点を意識せずに、自然に会話の状況を認識するからである。
 一方、ジョイスは原作「ザ・デッド」で使用人の一人リリーについて語ることから始めており、このことはジョイスの視点を考察する上で重要な意義を持つように思われる。ちなみに、当時のアイルランドではジョイスの妻となるノラを含めた大半の女性がこのリリーのようないわゆる家事使用人であったというのが実態であり、権威主義的な抑圧社会のもとで、彼女達は、母として家のなかで生きるのでなければ、非常に隷属的な立場におかれたといわれる。
 ジョイスの視点の画期性は「ザ・デッド」の書き出しでこういう人々に光を当てたことである。抑圧的なヒエラルキーのもとで言葉と思考が植民化され分節化されてしまうことがないように、ジョイスの世界では声の力が誘うコントロール不可能な大きな運動が描かれる。“リリー”は一般的には死を象徴する花(白百合)として解釈されがちであるが、「ザ・デッド」の書き出しが“リリー”から始まっている真の理由は、「男性原理」すなわちヒエラルキーの原理を崩す端緒を開くことにある。「ユリシーズ」以降、そのようなジョイスの視点は明確な形をとっていくことになるのだが、この点に関してポスト・コロニアルの視点でジョイス文学の研究に新たな地平を開いたデクラン・カイバードは次のようにいっている。
 ジョイスの世界の大宇宙には「不確実性の原理」があり、それは彼と彼の作品の人物に小宇宙での躁病的な精確さを志向させる。あらゆる人間生活をあざわらう空白の空間を厳密に支配しようとする企ては、整理し、表にし、地図にし、裁断することを好む「男性原理」にもとづく植民化であり、書かれる本に象徴される伝統である。「太陽神の牛」はその伝統に大きな疑問を投げかけた。「イタケ」最後の大きな終止符は書かれる言葉の停止の兆し、モーリー・ブルームとアンナ・リビア・プルラベルの口述による女性の語りに道を譲る、より良き言葉の兆しなのかもしれない(宮田恭子氏訳)。

微かな声もヒエラルキーの呪縛から解き放たれ自由になること、声と声とが偶然に織りなす無限個の出会いの経路が記述されること、つまり最も微かな振幅も大きな寄与となるよう発せられたすべての声が機能することこそ、がジョイスの宇宙を形づくる芸術の空間なのである。ヒーストンの映画において、ヒエラルキーを拒否する、このようなジョイスの積極的な視点を見い出すことは決して無い。
 ジャン・リュック・ゴダールの映画「ヌーベル・ヴァーグ」では、ヒューストンの映画によってとらえることができなかったジョイスの文学のエッセンスが描き出されている(実際にゴダールがジョイスの文学を高く評価する言動を数多く行っていることは特筆すべきである)。支配と服従の関係を越えるエレナとレノックスの真実の愛を語る映画「ヌーベル・ヴァーグ」では、資本家という支配者の立場を体現する主人公エレナの視点を異化してしまうさまざまな声が描かれる。そこには、映像と映像とが互いに組み合わされ多数の音源、つまりひとびとの声をともなうとき、観客の視点を根本的に揺るがす「大きな力」が生じるという、ゴダールの映像の本質が現れている。庭職人、運転手、秘書、給仕、家事使用人、エレナやその愛人、作家や医者、または独白するラオールやレノックス、そして映像哲学を語る脇役など、さまざまな人物の声がショットからショットをとおして混在する。それはジョイス文学の本質の精到なる具現化といえよう。こうして、映画「ヌーベル・ヴァーグ」はジョイスの原作にもとづいていないにもかかわらず、映画「ザ・デッド」よりもはるかにジョイスの精神を体現しているのである。このジョイス文学のエッセンスとは、すべての他者の視点で“声”を書くことである。
 さて、ここで別の観点から“声”を描くことのさらなる意義について、フランソワ・トリュフォーが監督した映画「野生の少年」を考えてみたい。この映画は、サイレント映画ヘのオマージュとして捧げられ製作された一方で、光源のリアルな設定を主張した撮影監督ネストール・アルメンドロスの撮影をとおして五十年代以降の新しい映画作りに大きな影響を与えた、といわれている。この映画によってトリュフォーとアルメンドロスが注目したサイレント映画を特徴づける重要な意義とは、人間と事物のどちらも無声であることにより両者の間に演劇にみられるような価値上の優劣が生じないということである。例えば、映画では、映像の生き生きとしたリズムを実現するカメラのアングルや編集は事物が多くのことを語ることを可能にし、無声の人間のさまざまな身振りやジェスチャーは独自の表現を切り開く。ところで、トーキー映画の出現によって映画の構造に起こった根本的な転換とは、「語る」ことを始めた人物の「声」それ自体が物語の意味作用の働きを担い始めたということであり、こうして「語る」唇を中心とした映像が観客の認識の成立を形作ることになる。つまり、分節化された音声と一体化してしまった、唇の動きを示す映像が運ぶ意味に観客の意識は支配されることになる。
 この「野生の少年」において、主人公は鏡もそこに映し出される自己の像も全く知らない少年であり、村の農民に発見され捕獲されるまで森の中で育つ。イタード博士によって発声器官を発達させ言語を学ぶことになるが、度重なる挫折と試行錯誤の過程が描かれる。例えば、母音の発声を学ぶ際にその息によって揺れる蝋燭の炎を利用しながら鏡に映し出される自分の唇の形を見て博士を一生懸命に模倣しようとするシーンがある。さらに、その鏡にはこの二人が関係を結ぶために必要となる音声の文節化を象徴する、少年の遠く後方にある窓が映し出される。フランス語をしゃべるイタード博士と対称的に描かれるのは、分節化された音声を発することができない少年の唇とその不自然な動きであり、それらの映像こそがこの映画で重要な意義を持つのである。
 マグリット・デュラスが監督した「インディア・ソング」は、この無声の映像の意義をさらに徹底させる。映画ではすべての登場人物達が「唇」を閉じており、この作品をとおしてデュラスがおこなっているのは「唇」から声を切り離すことである、といえる。それによって前述したトリュフォー映画の場合と同様、映画の観客は「唇」を見ることが可能となる。トリュフォーとデュラスが示したのは、物語の意味作用の中心に置かれてきた観客達が注意を喚起して見ることがなかった、「唇」の映像なのである。
 デュラスの映画「インディア・ソング」では、フランス大使公邸の室内に置かれ、固定カメラによって一定のアングルでとらえられた鏡が非常に重要な役割を果たす。主人公のマリー・ストレッテルは“インディア・ソング”の音楽に合わせ、様々なリズムをとって、彼女の愛人達と鏡の居間で踊り、カルカッタの退屈な倦怠を紛らわすかのような幸せなダンスの軌跡が正面の大きな鏡にくっきりと映し出される。その鏡に映った像によって、ある晩、ストレッテルは彼女の忌避するラホールの元副領事が近づき、自身の背後に立っているのに気がづく。彼は人々を無気力にしてしまう不毛なカルカッタの倦怠の象徴なのであり、彼の周りには「死」の嫌な腐臭がいつも漂っているとされる。彼の申し入れを受け、重い足取りで元副領事と踊るストレッテルの陰鬱な表情が映し出される。しばらくすると、カメラのフレームの外へ二人は移動してしまい、映画の観客は彼らの姿を画面から見失う。その姿が正面の鏡にも全く映し出されないので、映画の観客は二人がどこへ行ってしまったのか認識することができない。観客の認識が登場人物が不在の、空白のショットによってしばらくの間制限された後、次のショットでは右の方向に向かってゆっくりと旋回するカメラのパンとトラッキングが始まる。グランドピアノ、香の煙、ランプ、宝石箱、いくつかのスナップ写真、二人の様子を怪訝そうにうかがう愛人達が次々に示され、180度反対のアングルから、薄暗い照明のもとで静かに踊り続ける二人の姿が再び映し出される。このカメラの移動によって観客の視線が誘われるのは、光から闇へ、言い換えると、喜びと希望のなかで行われるダンスの運動から死の腐臭が立ちこめる気怠い停滞へであって、ここで予感されるのは、孤独なストレッテルのアイデンティティーの崩壊の過程である。
 続く場面で彼女から拒まれ絶望した男が「館の外で叫ぶ」と言い残し立ち去る時に彼が移動していく方向について、さらに注意しなければならない。屋敷の外へ出る彼が右から左へ移動するとき、映画の観客にとってこの方向が表すのは内から外への通過である。ところがその方向は、次の場面においてパーティーの終わった後に彼女の寝室に歩みゆく愛人達が移動する方向と全く同じなのである。つまり、愛人達の右から左への移動が表すのは外から内への通過なのであって、元副領事の場合とまさしく逆なのである。ここでデュラスが試みるのは内と外とを区別する境界の消失である。例えば、絶望した元副領事の叫び声とそれに重なるように聞こえる物乞いの狂女の歌声は、物語の文脈上屋敷の外から聞こえるとされ、映画の観客はそれらの声が画面の右側から届くと理解する。ところが、それは画面の左側に位置するストレッテルの寝室の方向から聞こえるのだ。つまり、同時にそれは、内から生じる音声、と考えることができる。
 このような内と外の区別を消失させる視覚上の左右反転の表現は、まさしくカメラの移動によって可能となる。デュラスは、映画「ザ・デッド」でヒューストンが依存した180度ラインの原則を破ることによって、人物のシンメトリーな配置を否定する。ちなみに、デュラスの文学作品にはカメラがどこに置かれどこに移動するかということが書き込まれているものがあるのだが(「北の中国の恋人」)、この視点の問題は、映画においては、観客の物語に関する認識を不安定にしてしまう非常に重要な要素となる。こうして鏡とカメラが表現する文体で、シンメトリーな配置が不安定になるような効果をもたらす視点は、デュラスの映画の本質であるといえる。デュラスの映画において左右は存在しないのと同様に、内と外ひいては現在と過去の区別が消失する。過去は語られる「内部」でもなければ「外部」でもない。同様に、現在は語られる「内部」でも「外部」でもない。「内部」と「外部」との区別がはっきりと存在しないのと同様に、過去と現在の明確な区別はなく、過去と現在との境界の認識が不可能な、混在した時間の流れがストレッテルにおいて体現される。
 この「インディア・ソング」は本来は演劇のために書かれた作品であるが、インドシナのフランス大使公邸の鏡の居間でストレッテルが招待するパーティー客達が噂によって囁く無数の声は、あたかも照明の光の束に照らされた舞台の奥に反響する芝居が始まる前の観客のひそひそ話、夜に通過する川の流れる音、暗闇の中で交わされる匿名の人々の声のように聞こえる。
 公邸の外から絶望した男が叫ぶ声がストレッテルに届く時、「新しい形式」であり「未知のエクリチュール」が彼女の意識を公邸の外へ、「鏡」の閉じられた空間の外へ連れ出してしまう。この点に関して、ジュリア・クリステヴァは「黒い太陽」でその鏡あるいは壁の本質を、ヨーロッパのアイデンティティーが必要とする「死の病」すなわち意味の病として分析している。ラホールの副領事、ベトナムの華僑青年(「ラ・マン」)、日本の左翼青年(「広島、わが恋人」)、といったデュラス文学に登場するマージナルな男性達は、叫び、涙、愛撫、接吻、嘆息のなかで自らを喪失していくのであるが、そこには<固有な>主体性を放棄しながら、女性の身体において回復される「イマージナルな自己」が観察される。それは、飽くまで一義的で鏡像的な抑圧、支配、搾取に過ぎないのであり、匿名的、多数的、横断的な性の顕現ではない。
 自らの憂鬱な過去をいわば一つの全体として語るとき、ラホールの副領事のパロールは他者の身体において領属化する。ストレッテルの身体は、繊細で華奢なラホールの副領事が自らの語る視点を根拠づける鏡となり、一方、ストレッテルの側からすれば、彼女が忌避するところの壁、境界、つまり死の腐臭のなかで停滞する穴傷、解消不能な抑圧の傷、特異点、さらには、一方向におけるシニフィエとシニフィアンの結晶および症候、不安の凝結である。
 同じデュラスの文学作品「ラマン」において主人公の少女が「ショーロンの男」との出会いがきっかけとなって巨大な群衆に囲まれながら彼らの「中国語」の中に聞く「文節化されない音声」、「砂漠の言語」を、ストレッテルは、サヴァナケットの女乞食のベトナム語の歌声の中に聞き始める。その時彼女の身体が属する壁がラホールの副領事のアイデンティティーとともに崩壊し始める。映像がカメラのフレームのなかを次々と横切っていき、さまざまな人物の声がデュラス自身の声をともなって、「鏡」が映し出した空間へ侵入し通過していく。この過程で女乞食のベトナム語の歌声は、ストレッテルの閉じた意識を映し出す「鏡」の形式を破壊していく。これらの匿名の人々の声は偶然で複雑な流れを形づくるのであるが、デュラスがそれらによって表すのは、すべての人々の声が通過していく開かれた全体、真の意味における神の視点なのであって、すべての人々と平等に関わり合うジョイスのテキストと同様に、人間の自意識の排他的な反映を拒否するテクストの現前なのである。ここで、匿名的、多数的、横断的な性の顕現が現実化する・
 「資本論」(価値形態論)でマルクスが表した、貨幣の視点がコンパスの支軸のように転回するのと同様のやり方で、デュラスはカメラの視点を旋回させる。180度ラインの原則を拒否することでデュラスが実現しているのは、過去を全体として統一的に見渡すことが可能な視点の否定である。デュラスのカメラの視点は不確実で不安定な現実と直接に関わり合う、旋回する神の視点なのである。こうして、相互に干渉し合う声の本質を描くジョイス文学、ゴダール映画およびデュラスの作品において共通して重要となる他者の視点とは、スピノザによって砂のような実体として描かれ、いかなる人間的な風景をも拒む神の視点、と結論づけられる。つまりそれは最小な振幅をも不可欠な要素となる無限個の経路の可能性で歴史を計量する方法、まさしく世界に対して「小さな人間の声」「小さな人間の力」の介入に大きな意義を与える方法、フローベールが主張した芸術を高度な次元で復活させる文学らしい文学の方法を意味する視野ではないだろうか

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