われわれはどう中国を論じてきたか ー子安宣邦氏の講座<「中国論」を読む>の感想文



1、「倫」は、「人+(音符)リン」で、短冊の竹札を集めてきちんと整理するさまを示し、更にここから、人間の間がらの意をあらわす。例えば、貨幣と商品の関係に還元されない、人と人との関係がある。結局、倫理はここ、関係の探求に至る。「マルクス問題」を問うことは、畢竟「倫」を問うことである

2、日本の知識人たちが政治問題に直面するとき、マルクスに向かって問いが発せられ、マルクスを介して問題が深められるという形をとってきた。つまり「倫」をとは何かを自ら問うのは、彼らにおいてマルクスを通してだということになる。アジアにおける「マルクス問題」を呈示したのは、毛沢東である。

3、竹内好における問題は「マルクス問題」ではない。「毛沢東問題」であった。思想家において「毛沢東問題」があることは、毛沢東によって彼の「倫」が問われているということである。これと同様にわれわれにおいて<倫>とは、例えばマルクスを読むことを通じて、はじめて問われることではあるまいか

4、子安氏において論じられる<信>と「テクスト」の関係は、<倫>とテクストの関係にも適用できるものではにか。これに関して、ヨーロッパの古典を徹底して読むことを通じて、近代ヨーロッパの<倫>を問うたのはスピノザである。彼の「エチカ」は、スピノザの抗議文であったと私は考える。つまり、

5、まず「小さな人間」としてのスピノザが「大きな人間」を糾そうとした書いた本であった。ちなみに、「糾」の右側の字(音キュウ)は、二本のひもをよじるさまを描いた象形文字である。「糾」はそれを音符とし、糸を加えた字で、ひもをあわせて一本によりあわせることをあらわした。スピノザは、

6、なににも依存しない存在論的に独立した実体を、ヨーロッパの古典を徹底して読む形で語ることができたのだ。(古典ギリシャ・ローマの文献をはじめ、ドゥルーズによってドン=スコトゥスの大きな影響が指摘されている)。ニーチェの文献学的博識に従えば、そのヨーロッパの古典は、イスラムを介して

7、ヘブライ的なものを読むことによって、おそらく、ヨーロッパの神というものをはじめて語り出したのである。ここには、読むことの重なり合いと子安氏が呼ぶような開かれたプロセスがある。この重なり合いは、スピノザやヨーロッパの古典に限られることではない。マルクスにおいても同様である。

8、マルクスの、関係の絶対性としての<倫>の言説は、ヘーゲルにおける(前の時代の)テクスト、言説の徹底した読みと、読み直しに基づいている。スピノザを徹底して読むことを通じて彼の<倫>を問うたのは、このヘーゲルだった。「われわれもの読み的存在」(子安)における<倫>は、前に存在した

9、<倫>の跡を読むことを通じてしか根本的に問われないのであろう。竹内の、方法としての中国という視点には、もの読み的存在としての毛沢東を捉える批判性があった。が文革以降、竹内は、彼の発明した魯迅的毛沢東像によって、開かれたプロセスを閉じることになった。中国も毛沢東も実体化し始めた


10、竹内のいわゆる「純粋毛沢東」である。この竹内の語りにおいて、我々は中国をいかに語ってきたかを論じる事が可能だ。「一方では」としての中国、毛沢東主義を教える立場に批判を与えるのが、「そのまた一方では」としての、読む方法としての中国だったはずだ。が彼は文革の犠牲から学ぶことなく

11、「そのまた一方では」を十分に論じ切れなかった。ところで竹内が毛沢東を擁護するためにモダニズムの魯迅を導入するとき、まさしく竹内が描く純粋毛沢像は、ぺラスケス的な、絵の中に画家も描きこまれる自己言及的な肖像画となった。後に溝口や加賀美が描く素朴な風景画とは異質なものである。

12、再びここには、読むことの重なり合いが介入してくる。つまり、竹内において<倫>とは、魯迅を読むことを通じて、繰り返し"はじめて"問われることになったからだ。と同時に、このことは、日本の知識人が、ヨーロッパを通じてしか、自身が属するアジアを語れないという構造を示すものであろう。

13、There's a gap in me. I can't fill it.と言ったハロルド・ピンタの言葉を、竹内の言葉として読み取ることができよう。これは、溝口が言葉で描いた絵画のように、対抗的に、ヨーロッパ対非ヨーロッパという構図にしたがえば解決できるような問題ではない。

14、いったい、一枚の絵の中に二つの風景を描けば済むものなのだろうか?溝口の思想スケッチをみると、西欧の風景である一元的世界があちらに呈示され、アジアの風景である多元的世界がこちらに呈示されている。しかし一見竹内の問題意識と危機感に沿って巧みにスケッチしているようにみえても、

15、竹内において思想の内部に描かざるを得なかった引き裂かれた画家の姿、つまり知識人の姿というものが完全に消去されてしまっている。つまり溝口の場合、知識人のアイデンティティーと立ち位置が隠蔽され、かわりにシステムの記述が取ってかわる。こうして中国は客体として整理されていくのである

16、溝口の思想スケッチの問題とは結局、あまりにも全体(西欧+アジア)を呈示するあまり、かえって全部(西欧+アジア)を隠蔽してしまうような、観客に何も見せようとしないハリウッド映画的様相を帯びるのだ。ここには、竹内の方法としての中国の如き、思想としてのフレームの運動が不在であろう

17、「方法としての中国」は、竹内のホンモノの純粋毛沢東像によって、搾取されつくしてしてしまったが、この純粋毛沢東像に対応するものが、大江健三郎における「赤ん坊」像だろう。竹内も大江も、自身の思想スケッチのなかに、ホンモノから疎外された、フレームとして近代知識人のあり方を露にしたことは偶然ではない。

18、都市部エリート集団は周縁マイノリティー集団の事を充分に知っていると確信しながらも、極端な過大評価であったり、反対に極端な過小評価であったりする問題がしばしば生じる。ここでは「知」が周縁に置かれ自身を代表できない地域の人々にとって、あるがままの自分達の現実を捉えていないと感じられ

19、時には抑圧的な幻想の様相を呈するという事態が生じる。「身分や階級」、「性」、「人種」、「言語」における、都市部の支配集団とマイノリティー集団の間に生じる政治的、社会的、文化的な関係を取り扱う時、文学のダイアローグは、幻想を取り除きたいと欲するマイノリティー集団に

20・・・コミュニケーションの主体となる思考手段を与えるのである。こうして、芸術の問題提起である「文学とは何か」という問いと政治の問題提起である「私達は何者で、一体何を望むのか」という問いがしばしば一致する事が起きるのである。マルクスは「彼等は自身の事を代表できない。・・・

21、彼等は代表されなければならない」と語るが、ここから文学は自身を代表できないままに疎外に直面した周縁の人々の声を自らが探求する新しいアイデンティティーの中に組み入れようと試みる。他者の声を書く文学は、問題提起や質問やインタビューから成るダイアローグを書く文学でなくてはならない。

22、ダイアローグはテクストを開く力である。この力によって語る主体の位置と機能は自らを差異化することができる。ダイアローグの多くは、タブーを犯した場違いな会話であり、仮装された役割の演出にもとづいた会話である。また、語る者と聞く者との間は一方向ではなく、常に関係の転倒を伴う。

23、例えば大江健三郎の場合、赤んぼうの沈黙と泣き声すらダイアローグに参加する時、文脈を逸脱する侵犯、言い換えれば、声のランダムな生起とも形容すべき侵犯がテクストの中で生じる。さらに、ダイアローグにおいては、直線や円環やジグザグといった多様な時間のパターンがともなわれるのである。

24、ダイアローグにはダイナミックな関係の転倒が表現される。まさに「飼育」の中で描き出されたのと同様に、拷問者はある出来事や不測の事態によって拷問される立場へと入れ替わってしまう。「鳥(バード)」が赤ん坊の泣き声の意味が分からなくて助かったとニヒリステックに語る時、

25、悲鳴を聞く拷問者の立場である。また全身がびっしょりとなる悪夢にうなされ、砂漠に置き去りにされた赤んぼうだったと語る時には、拷問を受ける立場として描き出される。「鳥(バード)」は「赤ん坊」を自らの手で殺すか、或いは共に生き残っていくか、という選択を迫られ、最後には後者の道を選んだ

26、つまり関係の転倒というものが、連続的で分割できない関係と再帰的に関係する関係の錯綜であることを示している。つまり文学的なものに他ならない。そしてこの関係の転倒こそは、ドゥルーズがマイナー文学の戦略と命名した。思考実験的にリゾームと形容されたノマド的マイノリティーの領域を呈示した

27、「外国人である事、が、単に自国語ではない言語を話す誰かの様にではなく自分自身の言語においてどもる事」。ゲーデル的定理の文学的継承としてのマイナー文学とは他者としての抵抗を言い表した戦略とはいえ、いまや敵であるファッショ言説のもとで適用され得る戦略である事も知らなくてはならない


27ところで大江における関係の転倒は、アジアの問題をヨーロッパからしか語れないフレームとしての知識人の語りの宿命とリアルに関係しているにも関わらず、大江はこれをあまりに文学的な「女性的なもの」という神話によって隠蔽してしまう。ここから女性原理に基づく<共同体>の抵抗原理を構成する

28、竹内における創造神的な純粋毛沢東主義の発明の後、文革から天安門事件まで観念的に包摂しまう全体的な語りというものが加賀美において構成されたのであるが、これは、大江の女性原理に基づく<共同体>の抵抗原理と同一のものであった。毛沢東か女性か、と、語る対象が異なるとはいえ、知から、

29、厄介なフレームとしての限界の意識が取り払われ、ホンモノという幻想が対象に刻印されていったのである。つまり、「一方」を語るとき「他方」からしか語れないという知識人が内側に抱える不透明さが、自らを隠蔽する為に、都合よく、毛沢東なり女性的な力を抵抗原理として発明し始めたのである。


30、こうした幻想によって捉えられた他者は、「此方」側として崇拝される対象でありながら、同時に、「彼方」側に置かれ常に蔑まされる対象にもなり、この引き裂かれた自己の内に深刻な疎外の原因が生じる。この状況を捉えて、アイロニーを込めた恐るべき記述を、ジョイスは残している。

31、「女の性に属する幸せな者達は、戦争を終わらせるための戦争の後に、政府のお歴々がこれを最後にと(万霊節の日!)汚泥川の上に架けた七スパンの橋(神の彩綿デイ・コロリ)を、彼女たちのビッカースタッフとともに教養のある足で踏みならし、キイキイカタカタわたるのだった」。

32、ここには、幻想が押しつけるモラルに苦しみ、汚泥川の上に架けた七スパンの橋を渡らなければならない、神聖化された人々の引き裂かれた姿が辛辣に描き出されている。外部の脅威から共同体の身体を守るという抵抗は、モダニズムが主張するようには、国家主義に対する抵抗の原理をなしえないだろう

33、関係の絶対性としての<倫>を論じなければならないとしたら、我々は竹内や溝口、そして大江にも依拠することはできない。ところで亡命者というのは周縁化された存在にあってもそこから知識人の語りの特権性に準じた全体を俯瞰した語りの力と関わり合う事件性の事をサィードが指摘したことは重要だ

34いかに<中国>は論じれてきたか?「一方では」としての中国と、「そのまた一方では」としての中国とがある。前者は毛沢東主義の中国を教える立場で、後者は方法としての中国を読もうとする立場、といえよう。「一方では」と「そのまた一方では」、この両者は互いに交換できない非対称の関係にある

35「一方では」としてのテクストは教える立場で、「そのまた一方では」としてのテクストは学ぶ立場だ。ここで問いが発せられる。「君は亡命者ならどちらのテクストを選ぶか」。答えは明らか。そもそも亡命というのは真理と宗教を教える立場に反抗する所から起きるのだから。大抵の場合、国家が教える

36「自分で決めた亡命」のジョイス。学びながら書いた作品には追いつけない高さがある。母国の<教える立場>に対する批判精神が亡命先にても続く、亡命者ならば、生涯<学ぶ立場>ではないだろうか。天安門事件の亡命者ならば彼の方が原発推進国家の問題を学ぶ/読むに相違ない。報道規制の問題とか

37 <学ぶ立場>は読むことの重なり合いに依拠する。権威がテクストにおいて根を持つ事はないし、ホンモノとかモトモトのオーラはゴミ箱行き。「同時代性」という、隠蔽されたヨーロッパ中心主義的な<教える立場>にも抵抗する。<教える立場>が<学ぶ立場>を脱政治化したい理由は、ここに存する


柄谷が持っている交換様式の<環的な構造>への共感とは、仏における<脱構造化>についてのマルクキシストの信条を彼も又持っていたことを示す。世界資本主義の問題の解決はそれを推進した構造に再び依拠できないし倫理的にも不可能。天安門での抗議のことだ。選挙によっても解決できないような問題だ

革命についての思い入れは思い入れに過ぎなかったか?兎角柄谷は統整的理念としてのソーシアリズムの意義を発明した。彼らの夢を救った。ところで、の統整的理念を再び構造の中に足場をもつときやはり問題が起きる。統整的理念を「教えるー学ぶ立場」から逃る亡命者の立場のことを考える必要が出てくる

「教えるー学ぶ立場」から逃る亡命者の立場のことは、向こうの国の話ではない。天安門事件は、今日なら昨年の福島で起きた原発災害のことだろう。エコロジーに関して左翼と右翼に対して等距離を保つというようなことが統整的理念となっているとすれば、我々はこの理念から逃げる必要があると感じている



46、天皇制的文化論といえば、多元的次元における包摂の全体主義。天安門事件から事件性を剥奪するのは、このような文化論においてだ。天皇性を中国に都合よく投射させまい。他者認識を問う思想にとって精神分析批判が欠かせなかった同じ理由から、現在、似非中国論を批判する意義が自覚されてくる

47、新聞とテレビよ、中国を語るのは大いに結構、ただし、あたりまえだが、君たちはどこからそれを語るのか自覚することが必要なのだ。中国の場合に限らない。韓国と朝鮮のときもも同様。われわれの民主主義は、かれらの民主主義を批判するとき、われわれの全体主義が干渉していないだろうか?まずわれわれの側が問われる

48、厄介なのは、天安門事件を、イコール中国革命として位置づけてしまう見解だ。なぜなら、天安門事件は民主化運動である以上、それは政府に対する抗議を意味し、それ故に、政府との等式が無条件に成り立たない決定的な反証である。天安門の民主化運動は毛沢東主義の展開とみなすことが不可能である

49、現在の中国が人民革命以前と本質的に同じ実体であると文化論的にきめつけた言説も問題だ。統治理念の継承性を強調した、天皇制の万世一系的な似非構造を中国において読み込む言説のことだ。ちなみにそんな日本側の共同幻想をかえって有利に取り込むことすら中国人研究者達の間で起きているという

50、アジア的原始共同体はオリエンタリズムなのに、中国はまさにそのアジア的原始共同体だ、と主張する言説が中国の側から流通すると。これはトリックだ。アジア的原始共同体としてならば、資本主義が齎す分配の平等を是正する大義名分的な支配の正当性を、中国共産党が自らに与えることが可能だから

51、現実にそんな分配の正義に向けたた努力があるかは疑わしい。あえて戦略的に、西欧からの幻想を受け入れ仮装することによって、ここから、民主化運動の弾圧を隠蔽してしまうことが起きる。が、これは許されないことに違いない。最後に、毛沢東主義はなにをしているのか、だ。決して単純ではない。

52、天安門事件の亡命知識人達にとっては、フランス人知識人たちの毛沢東主義への大きな共感は正直、ヨーロッパに向けて自分達の立場を発言するためには、正直「痛い」ものがあるという。亡命者達をインタビューした中国人の映画作家が語っていた。もはや毛沢東世代の孫達が運営する政治しかないのだ

53、現在中国共産党は「新儒学」を取り込もうとしている。西欧型個人主義は資本主義を歪める病だから、調和を重んじて、批判せずに沈黙せよ、と説く。これは、西欧なき近代化のヴァージョン、ポストモダン的に表層的であると言わざるを得ない。もちろん伝統的な儒学とは関係がない御用イデオロギーだ。



54、ところで、神がwaterという語を与えたなら、天賦不動のものとしては存在するかもしれないが、そんな神はどこにも存在しない。waterという言葉は、それと関わって生きようとする人々、その関係から逃げようとする人々によってつくられていくものではないか。恐らくMaoという言葉もだ

55、そうでなければ、名前というのは、言葉(言語)と同じように、化石化してしまうから。この「毛沢東」の意味は今後、亡命者達によって発明されつくられていくはずでしょう。この点に関して、68年革命を予言したという「中国女」よりも、「カルメンという名の女」が、ゴダールの毛沢東像がよくわかる。

56、カルメンが愛人のジョセフに質問した。「ねえ?わたしたちは、名前の前は何だったのかしら?」。唖然として答えれないジョセフに、彼女はきっぱり一言。「(この大問題を一度も考えず今日まで生きてきたの?)。だからわたしは、あなたと一緒じゃ意義深いことがなにも達成できないと思うのよ!」

57、デリダ、中国へ行く。彼のエクリチュール論が読み直される意義があるとしたら、文字が文字である限りそれは空間を排除できないという思考を呈示していたことだ。言葉と空間の関係を考えることは、われわれがいかに空間を取り返すかという問題提起。抗議した人々の願いにわれわれの思考を置こう!


58、大東亜共栄圏の八紘一字的<中国論>は、<多元的世界>として展開する言説だが、その<多元的世界>は、本当にそれほど多元的なのかどうかが問われよう。というのは、結局は、日本帝国の<多元的世界>論は、対抗的<一元的世界>論に転化したことを思い出さないわけにはいかないからである。

59、たしかに、チベットとウイグル、そして天安門事件の亡命知識人および監禁状態の知識人達にとっては、大東亜共和圏の<中国論>は、帝国的イデオロギーをなす武装的なシステム論として、つまり最悪の言説として、映ることは間違いない。結局、この<中国論>は、オイデプス的であるように思える。

62、国家学はメタ経済学の位置にある。国家学からを学ぶこと。「純粋な労働力」と「独立した資本」をどのように結合するかに諸国家の課題があることだ。法と政策で規制したり規制緩和するその方法で、日中韓の間で差異があるだけだ。こうしてみると結局は、日中韓は、米国との関係において、同型写像

63、経済政策の失敗は、それを購う復興幻想としての領土ナショナリズムへの転化によって隠蔽される。戦争の入り口だ。関東大震災の十年後に満州事変が起きた。3・11の後に領土ナショナリズムが起きている。我々は悪いシナリオの映画の中に生きている?霞ヶ関物語の中で領土ナショナリズムが最悪だ

「進歩主義的なひとつの極をどうやって再創造するか、いままでとはちがった基板の上に、どのような政治を打ち立てようとするのか、更には公的なもの、社会的なもの、環境的なもの、あるいは政治的なものの相互の間を、横断的にどのようにつなぎなおすのか、といった事が問われている」(ガタリの沖縄講演)

天安門広場の弾圧と言おうと原発推進の棄民政策と言おうと、国家のどの部分に視点を置くかの問題で、国家の本質の理解に大きな違いは無い。市民を殺す国家なんて捨ててもいい、裏切り者になってもかまへんから、孔子が言う様に海に浮かんで東方の邦にでも行こうよ。道行われず。筏に乗りて海に浮かばん

子安氏はいう。
孔子が弟子の南容について、「邦道有るときは廃せられず、邦道無きときは刑戮を免れる」といって賞め、兄の娘に娶せたという(公冶長篇)。これは特別なことのいわれている章ではない。だがここで南容の身の処し方を正しいとする孔子の言葉が気になる。国に道無く乱れているときに、その乱れた政治の渦中に入ることなく、身を退き、言葉を慎み、刑罰を免れることを孔子は君子としての正しい身の処し方だとするのだ。乱れた政治の渦中に敢えて入ることは君子のなすことではない。ここには日本とは異なる仕官するものの倫理的な態度がある。
ここでいう「歴史認識の遡行的なズラシ」こそは、まさしく、オイデプス化である。なぜなら、これによって、竹内の「わが内なる中国」の他者認識の<主観性・客観性>を、他者評価の<絶対性・相対性>に重ねていくからである。つまり繰り返しいうように、日本における中国学の<真理>は、自己の欲望に同じく公冶長篇に、「道が行われる世ではない。筏に乗って海に浮かび出ようか」という孔子の言葉がある。乱れた国を去って、東海に浮かび出ようかといったことを孔子は口にするのだ。乱れた国を去ることは、間違ったことではない。乱れた国で、過った君主に臣の道を尽くす方が間違いである。この孔子の言葉はいろいろ考えさせる。なぜこの日本には国のためならどんな馬鹿げたことでもしてしまう国士という存在がいるのか。ここでは国家が常に正しさの根拠としてある。従って国を去ることは、ここでは裏切りである。だからここには亡命の思想がない。隣国の亡命者への同情もない。


学ぶ立場と教える立場の非対称性に気づかせてくれたのが柄谷行人。このとき浅田彰が印象的に語ったのが逃走の意義。(棄民政策の国家ならそこから)逃げることを学ぶ立場、と言うこともできた。構造から逃げるという意味で。政財官報学一体構造が齎した災害の現在からみると彼らの主張は先駆性があったが、しかし、彼らの批評は、学ぶ立場と逃げる立場との関係を、読む立場において捉えた子安氏ほどには、全体的な視野がなかったといわなければならない。



漢字を勉強していたアイリッシュの詩人が言うには、漢字圏の人々である日本人は、アカデミックな語源学の知識が無くとも、音読みと訓読みから古い中国語の存在について意識でき、単純にそれは素晴らしいことではないかと。日常使っている言葉から、古ギリシャ語や古ゲール語の存在が、英語圏の人々の意識に介入することはあり得ないと言っていた。ただし、これは、古い中国語や漢字に起源があるとか、古ギリシャ語や古ゲール語に起源があるとかといった安易に単純化された話とは関係がないだろう。

漢字と自己意識について、子安氏はこう語る。
「外来性の標識を付しながら漢字に異言語性を負わせる見方は、強い自国語意識をもった近代の国語学者ばかりではなく、多くの日本人にも受け入れられていった見方である。私が漢字へのありきたりの見方として自分のなかにも見出したのもこの漢字観である。この異言語文字としての漢字への見方が、国学者、あるいは近代の国語学者に排他的な自言語・日本語意識を構成していったことはすでにのべた通りである。
 しかし日本にとっての漢字受容とはみずから選び取った結果ではない。東アジアにとって中国とは初めから所与として存在していた文明的優越者であった。漢字とは東アジアの諸国にとってこの優越者から受け取らざるをえない文明的贈り物であった。しかしその贈り物とは中華帝国の周辺諸地域に文明的恩恵と同時に文化的拘束とをもたらすダブル・バインドの贈り物であった。日本における自文化・自言語の意識がこの贈り物の余儀ない受容への抵抗や反発とともに形成されることはすでに見た通りである。だが異質的な他者への排外的な反発とともに形成されたこの近代の自己を、現代日本の批判的な分析的視点はもう一つの自己、潜在する自己意識として再構成していった。文化的強者が残していった心理的トラウマを負い続ける自己として。文化的強者としての異質的他者、それなしには自文化も自言語も存立しえないような異質的他者、それを余儀なき前提としもたざるをえない、あるいは含み込まざるをえない自己としてである。日本における自己をこのように批判的に再構成するのは日本精神分析の視点である。
 国語学者は近代の自言語意識を歴史的に遡及させ、それを国語の意識として再構成していった。日本精神分析の視点もまた自言語の意識を日本文化を潜在的に規定する歴史的な自己意識として再構成する。漢字とはこの日本精神分析的視点によって、日本人が文化心理的に負い続けねばならない強者が残したトラウマとなる。だが日本精神分析的視点が見出し、分析する自言語意識とは、国語学者が見出し、記述したのと同じ近代の自言語意識でしかない。この自言語意識にとって漢字とは異言語性を負わされた異質的他者として常にあるのである。近代の国語学者はこの異質的他者・漢字に反発しながら、漢字の受容基盤に固有言語を歴史のうちに幻想的に存立させていったのである。それに対して日本精神分析家は異質的他者・漢字というトラウマを負い続ける自言語意識を歴史のうちに潜在させ、それを文化心理的な規定因としながら言語論的な日本文化論を構成していくのである。
 だが外部性をその由来からもつ漢字をただ異質的他者とみなすことは、閉ざされた内部的な自己をしか生み出さない。日本精神分析の立場が構成する言語論的日本文化論から、丸山真男による歴史意識の古層論と同じ閉ざされた内部性の響きが聞こえてくるのはそれゆえである。私たちはいま漢字を自言語の展開に不可避な他者とみなすべきである。あらゆる自然言語に他言語を前提にしない純粋な自言語などはありえない。純粋言語とは比較言語学が構成する祖語のような人工言語学的な抽象である。漢字とは排他的に自己を生み出すための異質的他者でもなければ、受容者の自言語意識が負い続けねばならないトラウマとしての異質的他者でもない。それは日本語の成立と展開にとって避けることのできない他者である。漢字とは日本語にとって不可避の他者である。それは自言語がたえず外部に開かれていくことを可能にする言語的契機としての他者である。」
(子安宣邦氏のブログ「漢字と自己意識」より抜粋)

ここで、漢字の外部性とは非分割性を意味するというのである。日本語の成立と展開に欠かせない非分割性のことをいう。これが、「漢字とは日本語にとって不可避の他者である。それは自言語がたえず外部に開かれていくことを可能にする言語的契機としての他者である」という意味である。
日本語における自己の存在は漢字という他者によって明確になるし、自言語と漢字の対立はわれわれの内部の中において熾烈であればあるほど互いを強化しさえするだろう。結局両者は分割できないものなのである。コンパクトな空間である非分割性ゆえに外部的なのである。フレームとしての漢字である
これと比べられるものとしては、いわば宿命として負う近代知識人におけるフレームとしての<ヨーロッパ>がある。端的に日本の近代とは<ヨーロッパ>からしか<アジア>を語れないというものである。だからといって、<ヨーロッパ>は異質的他者でないことは、漢字が異質的他者でないことと同様である。

ところで子安氏は、「歎異抄」に関する講義のとき、<信>仰を論じるのに、「外」という字から始めた。<信>といえば、非知のことである。この<信>の字の作りをみると、人+言葉、から構成されている。つまり、<信>の字には人が依拠する言葉の存在を含んでいることが分るのである。つまり、<信>とは、その人の言葉が真であればその人を信じるということをあらわしている。ここで、「人」を、日本人をいう「人」に限る根拠はなにもない。
「人」は、中国人や韓国人も含んだ他者のことであり、言い換えれば、外部性のことにほかならない。こうして、<信>という字から、言葉というシステムが外部性と関わってきたことを証言する原初の記憶がみえてくるという。結局つまり、<信>とは、連続的で分割できない漢字<圏>の交通ではないではないだろうか、このことは一考に値するだろう。原発問題の決定的解決がアジアの人々との連帯にかかっているという思いが、私をそう解釈させるのかもしれないけれども、私が考えていることは、国家なき<信>仰から、国家間の領土戦争を繰り返してきた二十世紀が本当の意味で終わりを迎えるのではないかということである。
直接民主主義が高まっても、国際的連帯が実現する前に、これは、国家主義者の資源ナショナリズムの一撃で、簡単にバラバラに分断されてしまった。ふたたび反原発をたたかいぬく上で、どうしても、合理的な中国認識は不可欠であることは確かだ。従来曖昧に主張されてきた、国家の共同体という経済中心の視点は、それほど信頼できるだろうか?非常に疑わしいと言わざるを得ない。現在中国と韓国が持つに至った大きな経済力からいって、もはや"経済"は、日本だけが持つ切り札ではなくなったという現実をはやくみとめないと、今後何事も進まないだろう。中国と韓国は対等のパートナーなのだ。もちろん台湾も対等のパートナー。だからこそ、人の共同体という視点から確実に行け、とわたしは子安氏とともに主張したい。


領土侵略主義者に顕著な問答無用的語りとは、「議論ばかりしていてはこのままでは大変なことになってしまう」というものである。これは、「最終解決」というゲットーに行き着いた狭量な排除主義的暴力の別の表現である。この権威的な語りが許せない態度が、「もう一方の側から考える」という規則、

「議論に解決を与えるな("もう一方の側では・・・")」という規則であることは明らかだ。平和主義であるこの規則の範囲は、連続的で分割できない開かれた圏域において一致をみる。方法論的には、それは、もう一方の側に移行することを不可能にしてしまういかなる端があってはならない。こうして

論争的に喋る民主主義は連続性と非分割性を本質とする。他方、全体主義というのは、この連続的で非分割の空間を、他者に不寛容な非連続で分割的な空間で囲むことを望む。大きな人間が来るのは、<選ぶ>民主主義と領土からだけれども、そのとき小さな人間の声を陰険に摘むことを忘れはしないものだ。

ロンドンICAに来ていたジジェクは、ジョイスのテクスト、殊に「フィネガンズ・ウエイク」に、自分の思想が全部書いてあるんだというようなことをイギリス人に話していたのをはっきりと覚えている。このことを踏まえて、ジジェクの現代中国に対する捉え方を私なりに大胆に総括してしまうと、こうだ。

<毛沢東革命・文革>が「昼の本」であるとすれば、次は「夜の本」でなければならず、「夜の本」であれば「夢」に見合う言語が必要で、たしかにそのために<<毛沢東革命・文革>は「夢の言語」を発明した。発明を止めたら体制の「死」である目覚めを意味する。その「夢の言語」とは資本主義であった!

いかにもジジェクらしく毒舌の挑発的な分析ではあるが、次の様にはっきりと言明するとき彼は文革と天安門事件を唯物論的に観察しているということがわかる。その「夢の言語」は、遅きながら原発推進の安全神話が民主主義と両立しないことが明らかになる前に、民主主義と離婚しなければならないだろうと

ここで唯物論者が拒む、観念論的にみる態度とは、対象を対象の内部から対象に即して見、対象を実体化する態度のことをさすのである。例えば、日本における右翼的中国学(溝口雄三)は、観念論者として、「中国を中国の内部から中国に即して見」、中国原理なるもののオイデプス的幻想に耽るのである。

日本における中国学の視野は、自己の欲望に合致させるべく、中国という他者をたんなる「異質的他者」へと置き換えてしまう。それがここでいう中国原理の意味だ。この中国原理からは、日本人が中国をどう語ってきたかというオリエンタリズム的表象がどう他者を語ってきたかという問いがたてられていく。
この点にかんして子安氏はこう言う。「溝口がもった<文革>についての"二分の共感"とは、日本における<文革>追随者・賛美者の<中国革命・毛沢東革命>への憧憬的な思い入れを彼もまたもっていたことをいっているのである。(・・・)現代中国の"十年の動乱"といわれる<文革>をめぐる日本の戦後的中国研究者であ・溝口の反省は、<毛沢東革命>そのものの再検討というよりは、<憧憬としての中国>を彼にもたらした竹内の中国観の再検討に向かわせるのである。<中国革命>そのものというよりは、<中国革命>像の竹内による与えられ方を問うていくのである。この問いはやがて<中国革命>の見方、考え方へ、さらに<中国革命>の歴史認識のあり方へとズラされていく。私が前に溝口における「中国の歴史認識の遡行的転換」といったことは、彼の議論にはたえず当面する問題の歴史への遡行的なズラシがあるということである」(子安宣邦氏の「中国論」を読む/"現代中国の歴史的な弁証論"の配布レジュメより)。ここでいう「歴史認識の遡行的なズラシ」こそは、まさしく、オイデプス化である。なぜなら、これによって、竹内の「わが内なる中国」の他者認識の<主観性・客観性>を、他者評価の<絶対性・相対性>に重ねていくからである。つまり繰り返しいうように、日本における中国学の<真理>は、自己の欲望に合致させるかたちで、中国という他者を「異質的他者」、すなわち、「わが内なるオィデプス」へと置き換えてしまうのである。「異質的他者」の正体は、中国原理の正体である。この中国原理はグローバリズム時代の<中華世界>を基礎づける原理となり、溝口による清朝的帝国中国の回想において現れる様にチベットもウイグルも包摂した中華帝国の構想になる危険性があるという。これは、元々19世紀的な<ヨーロッパ人>のアジアを語る語り方は、20世紀における<日本人>の中国を語る語り方だけでなく、21世紀における<中国人>の中国自身を語る語り方においても共有されていく危険性のことである。<ヨーロッパ人><日本人><中国人>が一体誰なのかという問いが与えられないままに、溝口の中国観は、現在中国のアカデミズムに無視できない一定の影響力を及ぼしているという。これに対して、日本人はどう中国を語ったか、われわれは論じなければならない、という問い方を常に持つ必要があるだろう。

たしかに、チベットとウイグル、そして天安門事件の亡命知識人および監禁状態の知識人達にとっては、溝口の大東亜共和圏的な<中国論>は、帝国的イデオロギーをなす武装的なシステム論として、つまり最悪の言説として、映ることは間違いない。結局、この<中国論>は、オイデプス的であるに違いない。
もしそうであるならば、このオイデプス的なシステム論に批判を与える方法は、ドゥルーズ&ガタリの言葉を援用すると、アンチ・オイデプス的な方法でなければならない。帝国を推進してきた<システム論>に再び依拠することによっては、帝国を解体することは不可能だし、また倫理的にも許されないことだ。
今日フーコが生きていたら、日本発信の「中国論」を題材に、新「言葉と物」を書くだろうか。サィードはこのフーコに負うとて、彼の分析の仕方を問題にせざるを得なかった。次々に導入される巨大な閉じたシステム論においては、事件性、外部から介入してくる他者の痕跡が(意図的に)消し去られていると。
中国を語る者はその「外」にいるにも関わらず、中国の「人間」になったような錯覚をもつ。自分に都合よく彼らを代表し語ってきただけ。が、例えば、天安門事件を自分の問題として一緒にたたかうという、小さな人間の「顔」が見えてこない。フーコがベラスケスの絵で分析したのはまさしくこの構造だったのではなかったか。

「第三世界」の問題に首を突っ込むことで、「第三世界」」の人間になったような錯覚をもつことは、私はやめました。私はその「外」にいる人間です。…それでは、なぜ、いっしょにたたかうのか。つきつめて言えば、それは自分の問題だから、ということになると思います。( 小田実「ある手紙」1971)。
例えば、歴史の多様性を重んじたアジア型モデルだ。このモデルは、近代国家の形成に世界史の目的を読む西欧型から独立していると自負する。が、これを強調すればするほど、ヨーロッパによる中国の読みに依存する事実を打ち明ける。対抗的に、自己化した他者に再び大東共和圏構想を読み始めるかもしれない
いかに中国を読むか?この読み方から、逆に、読むヨーロッパがみえてくるのは、日本とて同じ。読む側の正体がばれていく事にも気がつかず熱心に読んでいる。厄介なのは、日本による中国の読みは、いかにヨーロッパが中国を読むのかという条件に依存している点だ。この認識を欠いた「中国論」は読めない


中国は米国に対抗して自ら米国として立ち現れ始めた?戦後日本の中国学から中国が借用する<中国論>の限界は、市民レベルでの人々の連帯の意義の欠如にある。実践的に日中韓台の人々の連帯の方向に沿った、方法としての<中国論>を読む注釈は、ミルプラトー的ヴィジオンをもつ必然性をもつのである。
「方法としての中国」から方法を簒奪した、溝口による実体的な中国観の語り。戦後日本の中国研究者が到達した中国観は、ここに至る。これに対して、注釈学的方法から、知の原理的措定を批判していく批評性において、子安氏の溝口批判は、伊藤仁斎の朱子学批判とパラレルの意義をもつことは明らかだ。江戸朱子学には、今日の問題を分析できるほどの豊かな「対話」があったことに、驚きを禁じえないのである。
ちなみに、朱子学という中国の学問は、17世紀以降大阪の仁斎や江戸(東京)の徂徠において独自の発展を遂げたのだが、外部との接触を通して豊かに成長した、複数形の文化を織り成した真の儒学であろう。子安氏によると、最近やっと台湾の人々も日本朱子学の存在に興味を持ち始めたのだという。
他方で、戦後日本の中国学は、溝口において主張されるように、江戸儒学の意義をみとめようとはしない。ところで西欧の失敗はエゴイズムに尽きる。繰り返すな!今は結婚と沈黙が必要だ!とばかり、中国共産党と新儒学の結婚がポストモダニズム的に表層的に推進されているなかで、市民社会的モダニズムに関するマルクスの理論的格闘は厄介払いされている。結局天安門事件なしですまそうとする戦後日本の「中国論」は、ここに来たのだ。

天安門事件は小さな人間の声であった。しかしこの市民的介入の歴史を紋切り型に、"毛沢東主義"の帰結として神話的に読もうとする言説とは何か?それは"天安門事件"から事件性を簒奪する言説である。このとき日本の「中国論」はポストモダニズムの右側に忍んで行く。市民的介入を無意味とみなそうと。

人生には意味があるのか、或いは無意味なのか?「ゴトーを待ちながら」(ベケット)の読みから、ヒューム的懐疑精神ー意味の全否定を読み解く者もいる。モダニズム的読みではなくポストモダニズム的読みである。がそこまでラディカルだと、人生は無意味と考える判断すら不可能となるという反論もある。「ゴトー」を「市民」として置き換えて考えること。「ゴトー」は現れたらどーする!?「ゴトー」を待つことに意味があるか、意味がないのか?モダニズム精神のポストモダニズムの左翼的立場を示すためにである。彼らは、ポストモダニズム右派のようには市民的介入を無意味であるとは決して考えないのだ


小さな人間の声からなる市民的介入は、反哲学か?「外国人である事、しかし単に自国語ではない言語を話す誰かの様にではなく自分自身の言語においてどもる事」。ゲーデル的定理の文学的継承としてのマイナー文学とはノマド的マイノリティーの抵抗を言表したものだ。が、痛い話、敵である橋下的ファッショ言説にも利用され得る戦略である事を知るべきだ。マイナー文学は反文学であるが、反哲学ではない。なぜなら、マイナー文学は、小さな人間の声とかかわりをもった政治だからだ。そうである以上、小さな人間の声からなる市民的介入は、反哲学であるとはいえないだろう。

有史前の人類の火の発見に匹敵する革命的な力とされた原子エネルギーの解放は、科学共同体の管理と情報公開によって、狭量な国家主義の古臭い概念を超越するといわれた。が、3・11以降、この自然界に存在する基本的な力は、市民介入的民主主義がなければ、それら自身では無に等しい事が明白になった

子安氏はツィッターでつぎのように発言していた。
〈3.11〉の一周年に当たって、ある雑誌から感想を求められた。いろいろ考えた末、私の生活における形をもった変化でもって答えることにした。その変化とは私がツイッターを始めたことである。この一年とは私がツイッター的情報世界に関わった一年であった。昨年の大震災と原発災害は私の中国問題との関わりの中で起こった。昨年のその時、シンポ「劉暁波と〈民間〉の思想」のために京都にいた。その一週間後、東京で王力雄氏を迎えて「ウイグル問題」の集会をもった。大震災の惨状と原発の危機を前にして中国問題を考えるのは苦しいことであった。日本の大震災・原発災害と中国の政治災害とを重ねながら、それに対応することを可能にしたのは、劉暁波たちのいう〈民間〉の思想であった。中国における〈民間〉力は、国家権力の厳しい統制・抑圧にもかかわらずネット上に対抗的に形成されていく市民的連帯力として実現されている。今回の原発災害は、日本もまた事実を公開することのない、隠蔽的な体質をもった言論統制的な国家であることを一気に暴露させた。公表される事故情報の背後に、重大な危険が隠されていることをわれわれは知っていった。さらにきびしい痛撃であったことがある。それは原子力の平和利用という仕掛けられた国家の罠にはまっていた自分を知ったことである。この罠は政・官・財・学・報を貫く一つのシステムの設けたものであることが、明らかにされた。ここにあるのはハードかソフトかの違いはあれ、中国と同じ国家システムとしての言論統制ではないか。どう対抗すべきなのか。私はツイッターに向かった。ただ私がそれを始めた直接のきっかけは、岩波の『劉暁波文集』に対する異議申し立てであった。この異議申し立てを既存のメディアは全く取り上げなかった。だが私がこれをツイッターするや、これは一気にネット上に拡がった。既存の権威的メディアに対して無力な一個の異議申し立て人にも戦いうる批判的情報手段があることを私は知った。またしても私は中国問題をきっかけとして、新たな批判的な情報活動としてのツイッターの世界に入ったのである。震災・災害後の数ヶ月、私は小田実に代わってつぶやき続けた。いま小田なら何をいうかをいつも考えた。彼は阪神の大震災を〈人災〉といい、その〈人災〉をもたらした〈政・官・財・学〉システムによって、〈民〉不在の復興がなされてはならないといい続けた。
私は小田に代わって、災害後の事態への〈市民的介入〉の必要をツイッターでいい続けた。微力な私による小田の声の再生が、意味があったかどうか、それを問う段階では今はない。原発の再稼働という、強力な〈市民的介入〉が必要な事態は眼前にあるのだ。


ポストモダニズムはこう考えてきた。モダニズムの力強い明確な単純性は、危険な直線的領域に属する。この直線的領域に対するワクチンの如き作用が、渦巻状の非明瞭性である。理性の独断から最悪の言説を語るよりは、どんなに曖昧と非難されても言説そのものを拡散した方が、抵抗をかたちづくるからだと

ユートピアと啓蒙に対する非難は、そのまま近代の限界として意識されてくる。例えば、ユートピアと啓蒙が定位する理性は、理性の領域を守ろうとするあまり、無理な弁護に依拠し最悪の沈黙を犯してきた。啓蒙の伝統に属する新聞メディアが、国民の知りたい事に無関心な態度をとることも、ここに起因する

政府が職場や家庭で活発に喋るよう促した結果、ソ連の崩壊を必然的に招いてしまった?天安門広場の人々は自由に喋る権利を求めた。が、我々のオリエンタリズム的フィルターは、天安門広場の怒りを隠蔽してしまう。中国共産党が「アジア的」に「平等原理」を追っている、と、勝手に思い込んでしまうのだ

民主主義<度>をはかる尺度の一つに、その国がデモをどれくらい許容できるかというのがある。異論は無いだろう。ロシアは最悪と言われたが、日本よりよほど自由にデモが行われている様子だ。ペレストロイカやグラスノチスを契機に顕在した民主主義の力は、ソ連共産党の歴史を終わらせてしまったほどだ

オリエンタリズム的投射とは、神聖化と蔑視の間を反転するメビウスの環的構造。神聖の極は"毛沢東主義"の神話化で、侮蔑の極は、日本軍の中国大陸侵略の歴史を隠蔽した"太平洋戦争"という言い方だ。戦争責任をわれわれ自身で解決しなかった民主主義の脆弱さに、環の結び目がある。投射を起こさせる

ボヴァリー夫人に起きた神聖化と蔑視の間をメビウス的に反転する、オリエンタリズム的投射には行かない。神聖化の極は"毛沢東主義"の神話化で、侮蔑の極は、日本軍の中国大陸侵略の事実を隠蔽した"太平洋戦争"という言い方だ。ユートピア・啓蒙・理性の欠陥として、普遍主義を淡々と告発するだけだ

反原発デモにおいて、直接民主主義が高まっても、国際的連帯が実現する前に、これは、国家主義者の資源ナショナリズムの一撃で、簡単にバラバラに分断されてしまった。再び反原発をたたかいぬく上で、どうしても中国認識は不可欠。つまり、反原発と中国問題は、同一の平面上に並んだということ意味する。

反平和主義である反中国・従米軍国主義の大政翼賛的政権誕生(原発推進派・核武装派、大東共和的国家共同体推進派)に我々は抵抗する。選挙後は、平和主義者である反反中国・反従米軍国主義の民衆的抵抗(反原発派・反核派、アジアの人々との共同体を求める運動)の首相官邸前・国会前デモとなる必然性があるということだ








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