(2)、(編集中)思想における他者の介入 -言葉を中心としてー



三、子安宣邦著"「アジア」はどう語られてきたかー近代日本のオリエンタリズム"(藤原書店、1993)の感想文

「アジア」はどう語られてきたかは、アジアに包摂されるわれわれはどう語られてきたかという問いを含んでいる。だから、子安氏はこう語り出すのである。私の宣長への関心は、「われわれ日本人」とか「われわれの日本語」といった日本の自己同一性をめぐる主張がいかに特異な言語として、18世紀後期の徳川社会に成立するものであるかを明らかにすることにあった。近代日本においてまさしく正統的な言語となる自国の文化的な同一性や言語的同一性をめぐる主張は、しかし徳川後期社会にあってはまことに危うい前提に依拠した。わずかに論者の「信」のみに支えられているような独善的でむしろ偏った言説であったのである、と。戦後の「われわれ」を批判的に考察した丸山真男の場合、18世紀の徳川社会の「われわれ」との相似性の連続的な基盤の上に同一関係と相違関係を設定することが問題であったと私は一応理解しているけれども、これに対して、子安氏は、連続性の自然性を剥ぎ取った上で、多様なものの総合という逆の問題を出現させようとしていることがわかる。なによりも、歴史の転換期において、アジアにおけるわれわれの未来を思い出すことは、連続性の事後的確認のためのものではなく、むしろ倫理性の構築のためでなければならない。「われわれのこの現在を大きな歴史の転換期と認識するならば、その転換とは当然己を包み込んできた諸体制(システム)の解体を含んだ転換であるはずである。この転換を通じて将来の方向付けにかかわる何かを発言しうるためには、われわれにおけるあり来たった過去への反省的な認識を前提とする。過去の歴史認識とは、こうあってはならないものという自己否定的な認識を通じて将来への道筋を見極めるためのものであって、自己の連続性の再確認のためのものではない。自己反省という当然の倫理的な態度がわれわれの進路をめぐる発言の不可欠な前提なのだ」。

われわれは二つのことを知っている。すなわち、活動し語る人びとの思考と存在のXであった「近代の超克」が、排他的に閉じた文化と存在者を超え、開かれた世界史的ホームレス性へ行くかわりに、たんに「世界史的日本」という国家の牢獄へ行ったしまったことをわれわれは知っている。また和辻の「もうひとつの近代の超克」の、マルクスからの始まりを隠した出発が、国家によって挫折に帰した倫理学であったとしたら、戦後の倫理学の構築を再び国家に委ねることは不可能だということも知っている。われわれはこの二つのことを知っている。あとは、いわゆる19世紀的な国民国家の枠を越えたところで、学ぶことが大切である。子安氏は言う。

しかし1980年代の終わりから始まった冷戦構造の崩壊は、世界秩序の再編の動きをもたらしている。世界秩序の新たなブロック化による再編成の動きが生まれてきている。この世界秩序の再編成の動きの中で、日本は自らの位置付けをめぐって「アジア」を再び重要な問題提起として構成しつつあるようだ。ところでこの世紀の変わり目に起こりつつある世界秩序の再編成の動きは、国家間的な関係の再編成によって終わりを告げるような動きではないと私は考えている。二十世紀の国際システムをなしてきた国家間的関係の動揺こそがいま生じている世界の再編成の動きなのではないか。しかしこの国際システムの動揺は、一方では東アジアの各地にナショナリズムを呼び覚ましながら、他方では「アジア」や「東アジア」を自国を中心とした新たな国家間的なブロックとして再構築しようとする動きをももたらしているように思われる。現代日本におけるナショナリズムの再興と「アジア」の再主題化はこの動きを反映するものであろう。しかし歴史のうちに「東亜」の死を見届けたものが、その死を曖昧にする形での「東アジア」概念の再構築を認めることはできない。帝国日本の政治的な地域概念「東亜」の死の確認の上に、「東アジア」概念をわれわれの手で生み出すことがいま問題なのである。・・・それは「東アジア」という地域概念を、この地域における生活者による多重多層の交流を可能にしていく関係枠にしていく道である。「東アジア」を広い意味での文化の共通性に立った地域概念として考え、その概念の広域性によって自国・自民族中心主義を相対化させつつ、この概念を経済から文化にいたる多様な生活領域における、そして空間的にも多層多重の相互交流の関係枠にしていく道である。それは「東アジア」を国家間関係として実体化せず、生活者の相互交流を可能にする関係枠としての地域概念、いわば方法的な地域概念にしていく道である。それが帝国日本の覇権主義によって汚された「東亜」から、新たな「東アジア」をわれわれの手で生み出していく道だろう。

ところで、ここで子安氏がいう「空間的にも多層多重の相互交流の関係枠」とは、ドゥルースとガタリの「滑らかな空間」という表現実質に対応させて考えることができるかもしれない。そうであるならば、「東アジア」「東亜」は表現形式、朱子学は内容形式として捉えることには一考の価値があるだろうか。ドゥルースとガタリ風に言えば、表現形式としての「東アジア」「東亜」は、必ずしも戦争も国家も目標とするものではないのである。「東アジア」「東亜」認識とは19世紀的な国家を対象としてもたない。もちろん帝国も対象としてもたない。だから、子安氏が注目する「台湾儒学」という視点も、儒学的中心に向けての収斂的な儒学史的記述、儒学中心とその影響的周縁という関係枠でなされる中国儒学史という文化一元的な記述に批判的に対峙するのである。但し繰り返すように、「なぜこうにしかならなかったのか」という反省的認識をともなわない「東アジア」「東亜」概念は、再びわれわれを誤謬に陥らせる有害以外のなにものでもない。あとがき子安氏はこう訴える。

「この二十世紀日本の自己検証をふまえることなしになされる日本人による「アジア問題」への介入は、アジアへの帝国的欲望の轍をふたたび踏むことになるのではないか」(あとがき)。

この言葉は重い言葉だ。これに関して私はトリエステで行われたジョイス国際学会に参加したときのことを思い出す。台湾のデリダ研究者から、ジョイスの小説の舞台であるアイルランドについて聞かれたときのことである。。前衛的な「彷徨う岩々」挿話は、意識の流れの地図と説くような者は、地図測量が窓税等の重税目的だった苦しい搾取の歴史を知らぬと答えた。例えば、窓税を支払えない農民の家の窓は石で塞がれてしまうという残酷な仕打ちについて説明した。生き埋めの様に塞がれた窓が歴史的な証言として僅かに残されていた。と、その台湾の研究者から、窓税は日本軍が台湾に課したやかん税と同じ植民地税だったと教えられた。言葉が無かった。歴史を語る自身の無知を私は恥じた。私の無知は倫理を欠いた帝国的欲望だったのである


四、子安宣邦著「昭和とは何であったか」(2008年;藤原書店)の感想文

「昭和」とは、戦争する国家が非軍人の人々を巻き込み生活の隅々を監視した時代の名前だ。イラク戦争勃発五年後、「昭和」を問う子安氏が何故三木清から書き始めたのか?敗戦後彼を獄死させた「昭和」は終わっていないからだ。現在国家は再び勝手に領土問題を起こしている。昭和はどう終わらせるのか?,このことを「昭和とは何であったか」を読みながら考えた。
「昭和とは何であったか」の副題は、反哲学的読書論である。可能的に内在的に無限にあるものがふたたび自身の原因となること。反哲学的読書論とは、プラトン的な超越的原因のことではないだろう。「友遠方から来る」ことを斥ける拒否ではなく、儒学の唯物論的肯定を肯定すること。批判的地平から主観性の障壁を乗り越えてくる友=書物とはかくの如し。子安氏はいう。「書物とはそもそも遠くからくるのだ。書物がもつ異様さとは、同一的世界に安らうものに他者が与える異様さである。この他者性を負った書との出会いの読書論こそ私がいう反哲学的読書論である」。
今年から、「歎異抄を読む」をはじめた子安氏の最近書ツイッターにフランクリンに関する言及がある。」人生の意味を問うことは、私たちには許されていないのです。問いを出し、私たちに問いを向けるのが人生なのです。私たちは問われる存在なのです。答えなければならないのは私たちです。」(フランクリン)。ここで、「人生」を「テクスト」と置き換えれば、そのまま子安氏がいう反哲学的読書論の意義を喚起するものかもしれない。
他者との出会いと本、この両者は、反哲学的読書論において、互いに切り離せない関係にある、具体的には、「「昭和とは何であったか」とは、雀文衛氏との出会いがもつ大きな意義を証言した本である。この雀氏こそ、昭和史において隠蔽された、語られることがなかった、したがって存在しなかった歴史を我々に与えてくれた他者であった。子安は言う。


・ほんとうの出会いとは異なる書と出会うことである。生まれを異にし、語る言葉を異にし、考え方を異にしている書と出会うことである。その出会いは見ず知らずの人との出会いと同様である。書物というものがある時空に刻印されて外部的な他者性をもって成立するものであるかぎり、はじめて出会われる書物は多かれ少なかれあやしく、こと遠いものであるのだ。このこと遠さをもった異なる書との出会いから、むしろ理解への衝動が生じ、読むことがいっそううながされていくだろう。そして己を同一的世界の安らいから目覚めさせ、己に変容と脱皮をうながしていくのは異なる書と出会うことによってである。もしこの出会いを宿命的出会いと語ってしまうならば、あの出会いにおけること遠さは宿命の内的結びつきのうちに解消されてしまうだろう。そして異質は内的結びつきからなる同一的な世界の内にかき消されていくだろう。

・2005年一月藤原書店創立十五年を記念するシンポジウム「いま、日本外交はどうあるべきか」が開催された。そこで雀文衛氏の特別講演があることを知った。そのとき私はまだ氏の著書「日露戦争の世界史」(2004)を読んでいなかった。だがそのシンポの案内などで氏の日露戦争観に強くひきつけられるものを私は感じた。私がある問題関心をいだき、それを追いかけ、考え続けているとき、その問題解明にとって決定的だと思われる人や本に殆ど突然に出会い、これだと思うことがしばしばある。雀文衛氏との出会いも全くそうだった。雀氏の講演を聞き、また会場で直接お話する機会もえて、私は自分の直観の間違いのないことを確認した。なぜか私は直ぐに友人のような近さを氏に感じた。私は氏の「日露戦争の世界史」と「閔妃は誰に殺されたかー見えざる日露戦争の序曲」(2004)を直ちに購入して読んだ。雀氏の日露戦争についての見方は、日本人の死角を衝くような性格を持っている。
・・・韓国にとっては万劫に忘れ難い「閔妃問題」があり、日本にとっては教科書にもほとんど記述されない「閔妃問題」がある。いや、「閔妃問題」がないのである。日露戦争も、韓国にとっては自国の存立の否認をもたらした「日露戦争」があり、日本にとっては自国を欧米列強に伍しうる大国たらしめた「日露戦争」があるのである。日本人にとって必要な歴史認識とはこの距たりをまず知ることだ。

・雀氏の「日露戦争の世界史」が韓国からの視点を基盤しているということは、われわれがこうした記述を同書に読みうることだ。これは日本人研究者による日露戦争史に見出すことの決してない記述である。・・・「日露戦争の世界史」が日本人研究者によるものではなく、またロシアの歴史家によるものではなく、韓国の雀文衛氏によるものであることを証するのは、それが綴る諸列強間の外交的取り引きをめぐる一行一行に、その列強の取り引き材料となう韓国の悲運が込められていることによってである。われわれがこの「日露戦争の世界史」に読まなければならないのはそのことである。諸列強間の交渉を通じて翻弄され、踏みにじられていった韓国の運命である。日露戦争史とは「閔妃暗殺」に始まり「韓国併合」にいたる韓国の悲運の歴史であることを読むことである。それがわれわれにとっての歴史認識の課題である。

閔妃の死、三木清の死や、アフガンやイラクの子供達の死が、聞き取られなかったのは、「昭和」が決して、他者との出会いである書物から奪ったものを返さなかったからだ。評伝作家の如く人生の意味は解いた。が、問いを出し、我々自身に問いを向けたか?我々は問われる存在。答えなければならぬのはこの我々・・・


五、子安宣邦著「日本ナショナリズムの解読」の感想文 ー福沢諭吉、ジョイス、清沢満之

アリストテレスは道徳人を、自己中心的な人間ではなく、良き人生そのものとして友情を楽しむ人、と説き、いわゆる知識人の瞑想生活に大きな意義を与えているが、アリストテレスの理解には道徳が本質的に互酬的な関係である、という認識が欠けている。アリストテレスは、それが政治生活の中で育まれることをよく分析したが、人と人との間で生じるもの、つまり、関係において生じるもの、という大事な点を見失っている。ここで注意を要するのは、アリストテレスがいう、いわゆる「偉大な魂」を持った人、というのは、ヴィクトリア朝の節制を重んじた自己満足のみを意味している点である。私が関心を持っているジョイスは、独立運動の指導者パーネルの失脚の後、このようなビクトリア朝の美徳を頂点とする節制がカトリックのモラルと相伴って、アイルランドにおいて大きな影響力を持ち始めたことを警鐘に鳴らそうとした。つまり、イギリスの植民都市ダブリンの中産階級は、現実的な自治を求めた政治的な運動が挫折してしまうと、「偉大な魂」を持った人の自己満足の内面化へ閉塞していったのである。このような自己満足とは相反する考え方が、パリ時代の若いジョイスが読んだバクーニンを初めとするアナーキスト達が強調している相互関係、すなわち互酬的な依存であった。この「依存」という概念は、物質的な次元における関わりから、鳥がひなを抱くように、モラルを抱くイメージとして思い描くことができるだけでなく、平等な相互関係のあり方を喚起させる。
さて、福沢諭吉の文明論が直面していたのも、また、子安氏によると、「明治の社会的転換と共に生じた道徳的な空白がその再生を促した道徳主義の主張であった」。具体的には、「教育勅語」という天皇の名による国民道徳の宣布と臣民的規範の賦与のことである。ここから、「徳の否定的作業を通して生まれたのは、徳から切り離され、その否定的徳の向こう側にある肯定的な智、即ち文明的な知識・知性であった」と、子安氏は分析している。
ところで、人間の現実に即して考えてみると、誰もが生まれた状態において無力な存在であるから、物理的に生き延びるために他者に依存しなければならず、このような依存関係は、配慮や献身、覚醒、保護といった社会的なモラルと一体化して機能している。ここで、私達の世話をしてくれる能力は「愛」のことである。この点に関していうと、アリストテレスの人間像も、福沢諭吉の「智」「文明」にも、「愛」についての記述がないが、ジョイスのテクストは、「愛」が社会のモデルである、と訴えている。例えば、どの言語の受容にも愛と憎悪という互いに対立した感情が共存していることが観察でき、特に、前者が後者に優る場合にだけ言語の存続が可能となる、というように。
アリストテレスの道徳人のモデルは、ミルなどの近代の功利主義論者達が理論づけた自由社会のモデルと結びつく。このモデルにおいては、ブルジョア的民主主義の市民は他人のためにこの者が繁栄できるような空間を創造したい、と望む。今度はその他人が同じことを私達に行う。こうして他人の幸福に仕える理性であることが、真の幸福として自覚されることになる、とされる。しかし、この常識に訴えかける、もっともらしく幸福を語る言葉は、ブルジョア的民主主義のイデオロギーを孕んでいる。この社会モデルの中では、個人は他人からの干渉を受けずに、自身の空間を繁栄させなければならないが、そのような政治的な空間は、ヴィクトリア朝に顕著な中立的な空間に過ぎない。人々は、自分一人の自己実現に向かうときのみは最低限の自由を享受できるが、このような一望監視方式のような社会では、個人の最大限の自己表現を導くための必須条件となる、社会的相互作用が存在しないのである。
中立的な空間には、他者から与えられた主体として自分達を受容するような関係も現れてこないし、また、他者が語る言葉に対して敏感に向き合う主体の存在もないだろう。これと同様のことは、福沢諭吉についてもいえる。たしかに、「智」は「徳」から区別されて外部化された。「徳」はどこへ行くのか?この「徳」は内面の領域に置かれる。しかし、そうして「徳」を内部に持つに至った人間どうしの間で、はたして、福沢が望んだような「智」が知性として十全に働くのものなのだろうか疑問だ。「智」「文明」も所詮、他者無き中立空間の枠を超えるものではないのだ。

子安氏は2013年から講座「歎異抄を読む」をはじめた。子安氏が語る、「精神主義」の提唱者である清沢満之の思想に、他者無き中立空間を打ち破る概念があるのかもしれないと私は注目している。「精神主義」は明治34年の日本社会、即ち日清戦争、やがて日露戦争が始まろうとする明治戦間期の社会に反響を呼び起こしたという。日露戦争と太平洋戦争を比較した子安氏によると、「二つ目の戦前の軍国主義とは<全体主義>であることだ。そこでは己の精神に自由の<立脚地>を求めることも許されない」。「精神主義」の冒頭で清沢満之はこう語り出していた。「吾人は只だ此の如き無限者に接せざれば、此世に於ける完全なる立脚地ある能はざる」と。ここで「無限者」とは、阿弥陀のことをいう。そして明治36年の最晩年に、この言葉に至った。「如来の奴隷となれ、其の他のものの奴隷となること勿れ」と。子安氏の解説よると、「如来の奴隷となれ、其の他のものの奴隷となること勿れ」という言葉は存在論的な命法といったものではない。そこには、「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけまいらすべしと、よきひとの仰せをかふむりて、信ずるほかに、別の子細なきなり」(「歎異抄」)と同様の、他のすべてを捨てて、ただそれだけへの<信>という不条理ともいいうる絶対他力の決断があるという。恐らこれほどの「絶対他力」は、「依存」という概念の純粋な徹底化ではなかった、と私は考える。そうすると、清沢満之が「如来」と呼んだものからは、先述したように、物質的な次元における関わりから、鳥がひなを抱くように、モラルを抱くイメージとして思い描くことができるだけでなく、平等な相互関係のあり方を喚起させるものではないかと。つまり、「清沢の儒家的言語使用における戦略的意図とは私の勝手な推定である」と子安氏は述べているが、中立空間を打ち破る、天の愛と形容すべきものが「如来」である というのが私の問題提起である。
また、現在の我々に於ける国家的被拘束性からの最初の思想的離脱を与えるものであるように思われる。
現在に目を向けてみると、我々は救いを求めているのは、「如来」ではなく、「ギャンブル」である。つまり、「ファイナンシャルタイムズ」が評した、アベノミックスという「ギャンブル」である。小泉改革の完成をなすベノミックスとは、市場に対する過剰な期待、ネオリベのヴァリエーションでありながら、生存に不安を感じざるを得ない自己保存本能はかえって自己の生存の基盤を一層不利にしていく「ギャンブル」に救いを求める有様ではないか。ギャンブルで時間を潰しているうちに根本的に回復不可能な状態が進行しているに相違ない。ただし、暗黒の時代というのはいきなり来るわけではない。恐らく発狂の時代が先にあるのだろう。内閣府調査は、愛国心が「非常に強い」「どちらかといえば強い」の合計が58.0%と過去最高になったことを発表しているけれども、この善意な人々が自分の愛国心が、他者殺戮の声を張り上げている大阪や東京の新大久保での極右翼の行動となにか関係があると一度も疑わないとしら・・・。
アメリカのためのグローバル経済。小泉改革の完成であるアベノニッミクスはTPPと相伴って、究極的には、ナショナリズムの対内的な極限的テーゼに行き着いたではないか。極右翼のプラカードから読み取れるそのテーゼとはなにか?すなわち、「国家のために殺せ」。そして、最後に、アメリカのための平和。「国家のために殺せ」という排他的ナショナリズムの極限的の極限的テーゼが来るのだ。こうして、我々は、「はじめに」で子安氏はこう語っていた言葉に必然として帰るのである。

「私達はいま冷静に、リアルな眼をもって見なければなりません」






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