ふくろう猫、アイルランドを語る

ふくろう猫、アイルランドを語る

もうこの時代は、不確定で無数に生じるあっちこっちとしか関わるしかないと思ってます。それでパスカルの問いをそのまま言うのです;なぜこのわたしは彼方側ではなくて此方側にいるのだろうかと。この問いだけは確かなことです。外国では大変受けた捨てこの台詞も(笑)、此方ではただ不審がられてしまいます(汗)。此方側の「あっちっこち」の世界のことを迎合的に称賛しているのではありません、恐らく彼方側にも、(此方側みたいに)彼方側と此方側で分かれているので、前述した「あちらこちら」は、その彼方側での「あっちこっち」の意味です。そしてラデイカルなものは、彼方側と此方側の<間>にしかないと思います。
ところで自分の経験に即して少し具体的なことをいいますと、8年間アイルランドという地域紛争を抱えた国にいましたから、どちらが此方側でどちらが彼方側でもいいんですが、カトリックとプロテスタントが「あっちこっち」にいるという現実において、(いわゆる有名なグッド・フライデーの停戦後も)、小規模とはいえ毎日殺し合いが起きているのですねーアイルランドの外には報道されていませんが。此方側の「あっちこっち」についていいますと、それは結局、嘗て植民地時代のイギリスが設計した”分割し統治す”という枠組みとしてだけある、監獄の中にある「あっちこっち」でしかないのです。アイルランドのカトリックとプロテスタントが、もちろんなんとか外見だけでも共存しているようにみえる、此方側の「あっちっこち」を獲得することは現実的には大事な課題です。さらに、これを超えていくことがもっと大事となりますー彼方側へですね。但し、その肝心な彼方側で、再び此方と彼方の間で対立していたら無意味。彼方側でこそ、究極的に依拠できる此方側と彼方側の<間>が成り立つという信頼が欠かせません。ラディカルな思考とは、かくの如く<間>に存在するのではないでしょうか。多分この論点は「近代の超克」と関係した事柄とやっと気がつき始めましたがね(ホホー遅いかニャリ?)

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