「はだしのゲン」は生活者の視点から対象(「原爆」)に意味を批判的に与える作家の抗議に属する行為だった



国家を超えた普遍性に関わろうとした重い言葉と、僅か四コマに、視点から視点へと螺旋状に沿って軽やかに変化していく映像の流れ、衝突する照明のコントラスト、衝突するアングル、そして版画の如き太い線で浮かび上がらせた彫刻みたいな人間の質量感、この全部が作者の躍動する精神を証言していました.ー「はだしのゲン」です。
「はだしのゲン」には、原爆を原爆として視覚に訴えて表現するという即物的な直接性が独立して存在しています。他に置き換えることが不可能なこの映像的部分を指差して、この国のある世代の勢力は、「残酷」ときめつけて閲覧を制限するという、事実上の自己検閲に匹敵することを犯そうとしています。なぜ、彼らは、作者が原爆を経験しなかった人々に対して原爆の意味を問うていくかれの言葉と一緒にこの映像たちをみようとはしないのでしょうjか?思い出すのですが、「はだしのゲン」は、原爆に至る日常生活も差別と貧困の現実を含めて嘘なく描きました。生活者の視点から対象(「原爆」)に意味を批判的に与える作家の抗議に属する行為だったのではないでしょうか。今回明らかとなった事は、この種の自己検閲と「原爆」、この両者の間には、歴史に意味を与える人間性を嘲弄する点において、連続性があることを露呈したということではないでしょうか

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