柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? ー ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか

(1)

分かりやすい例として、貝塚茂樹と丸山真男の中国認識がいかに、オリエンタリズムを構成するのかをみながら、柄谷行人の中国認識の問題点を分析する手がかりとしよう。実は柄谷が好む言い方に従うと、中国そのものは物自体。寧ろ他者認識としての中国認識がいかに内向きに日本の全体主義の言説を成り立たせるかが問題だ。
貝塚茂樹は、桑原武夫と吉川幸次郎と同年代。wikiによると、早くから西田幾多郎、内藤湖南ら戦前の京都学派に直接接していた桑原とともに、戦後の京都学派を形成したという。この三人はフランスに行っている。貝塚の中国認識は、留学先のフランスのシナ研究に依るだろう。つまりオリエンタリズムだ
簡単に説明すると、戦後京都学派 (貝塚、桑原、吉川)は、戦前の西田の京都学派とは直線的連続性がない。このライバルが、東大で中国研究したの溝口。戦後京都学派には現代中国に対する尊敬がないことに溝口は憤慨した。溝口と竹内の中国認識は、戦後京都学派のオリエンタリズムとは別のオリエンタリズムを構成している
断定はできないけれど、「現代思想」(三月号)の対談を読むかぎい、柄谷行人は、京都学派の西田幾多郎に与える一定の高い評価から、中国認識を行っている。ただしもっと後で論じたいと思うが、柄谷が中国と言っているものが一体何かと言う問題がある。総体としての21世紀に現れた言説の運動のプロセスを'中国'と名づけていないだろうか

(2)

ヨーロッパではサルトルが復活している。サルトルの復活、というか、構造主義によっては克服されはしなかったというべきだろう。日本ポストモダニズムの勝手な思い込みとは別に、だ。デリダの思想は<存在としてのエクリチュール>だったし(子安宣邦氏ならば他者としての漢字という)、 ドゥルーズ哲学も<存在としての構造>という性格のものである。ただし、その<一的多様体>が形式上、認識の<ー>でしかないと最初に気がついたのは、柄谷行人だったかもしれない。<交通>を言いはじめたのは、存在の一をいうためであった。それを言うことができたのは、柄谷が自分でみとめていたように、彼がカントとサルトルに依拠していたことから説明できるかもしれない。ところが、カントとマルクスを読み直すと言った「トランスクリティーク」(英語版)では、サルトルに決定的な役割が与えられていない。天安門前抗議の事件性を、非政治的な出来事として政治的に語るところから、サルトルの抵抗する声は遠くなっていたのだ。かわりに、異惑星から小さな地球を眺める視点で、<交通>が結局、<一的多様体>の帝国に腐敗してしまった感がある。


(3)

プロスぺローが孤島で自ら描いた魔法の円ー外と内とを分け隔てた円ーのように、そもそも政治的と非政治的とを分け経てる線引きが可能なのだろうか?
自身がこしらえた境界線をみながら、天安門前抗議をあくまで非政治的な性質のものであると実はあくまでも治的に解釈した柄谷行人であるが、このかれの基準からはかると、現在起きている台湾での学生と市民による抗議もまた、非政治的のカテゴリーにと区分けされてしまうのだろうか?しかしかくも市民的に、抗議している他者たちを、もし非政治的な同一者の中の他者として、政治的に措定してしまうとしたら、その言説とは何者か?と私は問うだろう。柄谷からもたらされたこの問いは、他ならぬ柄谷が答えるだろう。
つまりかれによれば、「構成原理」は無誤謬の神話に陥る危険性がある。だから脱構築的な批評性をもつのは「統整原理」の方だ、と、常にわれわれに教えてくれたのはカントを読みぬいたという柄谷行人だ。だから柄谷がいう〈帝国的原理〉は帝国主義的「構成原理」でなく、脱帝国主義的「統整原理」でなければならないのは当然だ。が、それは一体何故か?この問いにたいして、〈帝国的原理〉が帝国主義的構成原理ではないからと補うのは丸川哲史である。(「現代思想」3月号) これは、同義反復の言説に陥っている、いいかえれば「構成原理」の罠に嵌っていると言わざるをえない。つまりこれこそが、同一者の中の他者しか存在しない言説, 市民的抗議を中立化して矮小化していく言説の正体である。答えはここにある。


(4)

辻邦生曰く「僕らは無意識に既に東洋である事を失っている」。が、「我々の歴史意識」と丸山真男が称えた'西欧'に避難したつもりなのだろうか?丸山が「'変化の持続'は現代日本を世界の最先進国に位置づける」というとき、かれは「シナ歴史の停滞性」を対抗的に否定した自己肖像画としてのオリエンタリズム的優越に立った。このように自ら勝手に想定した'劣ったもの'を愛する態度の背景には、自らの力の優位の観念を再生産するために、死んだ文化しか愛するつもりのない支配がある。「中国の歴史」の貝塚茂樹が描いた、中国人の'面子と芝居'ほど、他者の人格をグロテスクに単純化した、オリエンタリスト的表象の優越感は無いのだ。ところでフローヴェルが描いた'エマ'は物語の初めから夫の形見であった。妻の死は、自らを称えたいボヴァリーに、永遠の花嫁として'劣ったもの'を道徳的に称えさせた。さて貝塚における仁斎「童子問」の語りも、この種のオリエンタリズムの語りとしてあった。「徳」を知のホームレスと称えた。つまり語り手が体現する優越した西欧の知だけがアジアに家を与えたというわけである。最後に、柄谷が言うように、かりに法を復讐的互酬制からの断絶とみなせば、儒家の政治思想が、有徳の為政者が法治を支配するという徳治のシステムを求めたともいえよう。が、そもそも復讐的互酬制はオリエンタリズム的表象ではないか?徹底した道徳性は、国体的法治主義と相いれない。鞭で打ってくる帝国からは、ただ逃げるだけだ。「子の曰く、道行われず。いかだに乗りて海に浮かばん。」


(5)

柄谷の'形式化'は本当にそれほど'形式化'だったか?カントとマルクスの形式化について、思考を適用する歴史が、周期的に!、20世紀以降も反復するのか?たしかに語る対象を特定しなければ何の破綻も起きないだろう。<方法としての中国>よりも抽象化した行き過ぎた純粋な神秘主義が柄谷の思考を制約していないだろうか?スキゾとパラノイア、器官なき身体、リゾーム、ノマド的脱領土化と戦争機械とドゥルーズが諸々の概念を生産したのに対して、柄谷は、これらを形式化すべきだといったわりには、帝国原理、儒教、東アジア、華僑といった多種多様な概念に依存しながら、脱構造主義的に、語る対象を固定化しようとはしない。つまり柄谷にとっては、何もかも中心なき自己関係化する諸々の関係体系の射影に過ぎない。彼が自身に対してこれを正当化しているのはただ、自己の思考がライプニッツ的、西田的としてある限りにおいてである。嘗てEUとユーロ(の限界)を語るときライプニッツに言及したように、中国(の可能性)に西田哲学を適用できると信じているふりをしている。そうして結局、柄谷の思考に先行するのは、支配する国家と支配される国家との<同一性>、グローバリズムを米中の帝国に分ける<分割性>、チベットとウイグルの独立要求、天安門前と台湾で抗議する声の歴史を無視した<不可逆性>。が、安宣邦氏が分析してみせた、西田幾多郎を貫く<不同一性><不分割性><不可逆性>の思考に反している。柄谷が西田に沿っていないのは、キルケゴール的遊戯によっても辻褄が合わないだろう



(参考)

・台湾にいる子安宣邦氏のツイート

6000人の武装警官が集結し、立法院を占拠する学生たちの強制退去を迫るの情報に緊張し、一夜を明けた。今日も学生の占拠は続いている。学生たちは迫る暴力的圧力に対抗し、今日人民議会を市内3カ所で開き、意見書をまとめ行政府、立法院に提出するという。民間NPOなどに参加を呼びかけている。
すでに1500人をこえる人民議会への参加の申し出でああるという。国家的隠蔽と暴力とに対する学生たちの堂々たる民主的・言論的な対応だ。台湾のこの運動に畏敬の念を私はもつ。人民議会開催の報を聞きながら、私は今日台湾を離れる。貴重な3日間であった。台湾の友人・知人に心から感謝する。



・柄谷の「江戸の注釈学と現在」(1985)は本当に、それほど注釈学だったのか?

丸山真男「日本政治思想史」の問題は、想定した西欧のフレームワークに、江戸思想の地図をぴったりとはめ込んでしまう方法にある。柄谷行人が丸山の地図を批判するときこの対応のフレームワークを捨て去ることはなかった。
柄谷が解釈している言葉をひいておこう。「丸山真男は、仁斎をカント的、徂徠をヘーゲル的だと類推的に考えていますが、その意味では僕は、仁斎はキルケゴール的、徂徠はマルクス的、宣長はニーチェ的だと思います。」これは、だれがなにを代表しているのかわからないポナパルチスム的の思想地図だ。
徂徠の近代天皇制国家理念の青写真を知る者にとっては、丸山が福沢諭吉の民主主義的理念を盗んできてこれを徂徠に与えたのは驚きだ。それ以上に、柄谷が徂徠からヘーゲル的客観的精神を盗んで、これをマルクスに与えたことだ。マルクスは「礼」を得たのである。これは帝国の原理となっていくのだ。
キルケゴールのラベルが貼られていて分かりにくいのであるが、柄谷は、ウィットゲンシュタインからは「教える立場」を盗んできて、これを仁斎に与えたことに注意しよう。柄谷が強調する「孔子の教え」ほど、仁斎の「学び」から遠いものはない。柄谷の「教える孔子」は結局、選ばれた同化主義となる。
選ばれた同化主義とは、教化と鞭によって「教える」。但し横柄すぎるので、僅かな非対称的のズレとして「学ぶ」スペースを残す体制。つまりマイノリティーに「仲よくしようせ」程度の学びの立場がある。この同化主義は柄谷とは関係ないが、彼に続く思想地図制作者達の帝国としての憲法案となっている。
教える立場と学ぶ立場の非対称性は、実体化すると、それ自身が「教える立場」の無意味な言説となるだろう。原初のテキストとしての「論語」が「学びの立場」から書き始めた大きな衝撃を、柄谷の探求はあらわしているといえるだろうか?なぜ「学びの立場」から始まるのか。子安宣邦氏はこう語る。
以下引用。「他者の立場にたってみる恕を人はそう容易く行うことはできない。身体を異にするわれわれは他人の苦痛をわが身に体することは難しい。だから仁斎は恕とは人が<勉強する>こと、努力することだいうのである。私が『童子問』に新たに読み直したのはこのことだ。人は努力して「恕」を行わねばならないのだ。「恕」を勉め行うことによってわれわれ日本人ははじめて、韓国の人びとに近い立場に辛うじて立ちうるのである。この努力を放棄したらどうなるか。・・・いま日本の本屋の店頭に見る嫌韓・反韓の言説の氾濫から、「恕」の努力を放棄し、隣人を失ってしまって自閉する日本人の退廃が見えてくる。これは安倍がもたらした道徳的退廃である。」
他者を地図化する解釈学的教えに抵抗して、注釈学的学びとは旅である。出会う相棒の他者に依拠して生きるのだ


'世界史の構造'はヘーゲルの目覚めることができない悪夢

東アジアにおいて抑圧されていく歴史の記憶。安倍の戦争責任の忘却、2・28事件の忘却、光州事件の忘却、天安門事件の忘却。福島の3・11の忘却。誰が抑圧するのか?ネオリベのグローバリズムである。どのように?民主主義に対する抑圧の歴史を、国家を祀る神話に置き換えることによってだ。この意味で歴史は1%の所有物になろうとしている。と同時に、(歴史を未来に伝える領域である)「公」がこの1%の所有物となってきた。抵抗として、「公」に立つ学生・市民達が現れたのが、台湾の3・18。フーコの本が「言葉と物」とあるのは冗談だが、ネグリもコモンウエルズの語を皮肉った。それは、米国や国連の如き主権国家をモデルとした脱国家主義、(国連軍か集団安全保障かで盛り上がる) 不毛な概念だから。帝国としてのグローバリズムに抵抗できるのは、ただ、政治的な次元における「存在としての共通性」だけだ。全員がマイノリティーの特異点達に成るのは難しかったードゥルーズが言う様には。現実はポピュリスム的全体主義は、取り込んだ少数派を利用し全体主義を多様化した。反省として階級の視点が再び説かれたとき、柄谷は天安門事件に階級の不在をみた。抵抗する人々の姿を見ないふりか見なかった (今日マスコミが台湾を見ないように)。スティーブン=ハムレットが叫んだように世界資本主義から目覚めなければならない。が、目覚めるには、シシエクが畏怖したフィネガンズウエイクの如く夢を発明し続けるしかない。これが世界史の構造である。世界資本主義をコントロールする客観的精神である礼としての毛沢東像を指さす事になったか?


「やり返し」「倍返し」「復讐合戦が増幅する状態」。と、このように柄谷がいう古代社会の風景などは、現代の民族紛争をエモーショナルに描くハリウッド映画もどきの風景である。この'自然状態'を解決する帝国の原理、ヘーゲル的客観的精神は、帝国が自分の為に語ってきたものだ。しかし例えば、英国人とアイルランド人の紛争に先行して、帝国が存在したのだ。この事実によって、三流の映画ですら誰が一番問題をつくったのかを知っている。柄谷は知らないのか。見ないのか、見て見ぬふりをしているのか。見ているが、知りたくないということか。それとも、ただヘーゲル的に世界史のシナリオを読むために、帝国の原理、客観的精神をもった国家に過大に委ねようとしているのだろうか?


われわれは、同じことを繰り返さない、又同じことが成り立たぬ思想史の運動に立ち会っている。新しい思想は、台湾の学生達による歴史的行動を見る人々の間から生まれてくるのか、これを見ない・見ぬふりをする人々から示されてくるのか?思想がいかに民主主義と関わってきた歴史をみれば、答えは明らか

. 廣松を中国語に翻訳してきた石井氏によると、「日本では、中国における新左派は日本の新左翼、欧米のニューレフトと同一視されがちだが、それは基本的な前提が異なる点を無視した議論である。むしろ、新左派は現在の体制を部分的にせよ擁護する補完的な勢力であり、内容的には'新保守主義'と捉えるべきだ」という。日本では、ノーベル賞を受賞した天安門前事件の劉暁波が'新保守主義'として決めつけられているが、これは間違い。これに関連して、なぜ柄谷行人が、汪暉、'新保守主義'のイデオローグに沿って発言してきているかという問題がある。思想をリードしてきた柄谷は2000年以降もなお、依拠できるようなモデルであり続けるのか?


他者との関係をいう「交通」の概念。マルクス「ドイツイデオロギー」に出てくるこの概念を、柄谷行人はマルクスの可能性の中心に置いた。そうして、たとえば、柄谷氏の「資本論」の読みでは、交通は「交換様式」として投射される。しかし現実には彼の「交換様式」は、デリダが言う「起源」としていうものとなったのではないか。そうするとテクストの読みから交通が失われてくる。柄谷氏の'交通'は、帝国の'交通'に置き換えられていく。つまり他者に開かれた交通性は、他者を閉じ込め同一化していく〈世界=帝国〉性となってしまう。子安氏が指摘するように、日本知識人による「〈儒教〉の〈世界=帝国〉性の主張は、東アジアの多様的文化、知識を一元的〈帝国〉的文化として包摂して行く〈帝国〉的イデオロギーの先駆的主張である。」これは、柄谷言説から影響を受けてくる現在の思想空間が、<一>でしかない<一的多様体>に依存していく言説の形成とパラレルとなっている事態で、これがいかなる危険性を孕むかについては多くの言を要しない


柄谷の'交通'はどこに消えてしまったか?
ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか (2)

ライプニッツの「モナド」は'窓'が無い。これが大問題だ。そこで、「モナド」間の'交通'を実現する、任意の一つのモナドが、柄谷がいう「帝国」の'モナド'である。成程見事に、'交通'が'窓'に代わるというわけだ。ライプニッツのモデルは西田幾多郎を経て柄谷において完成することになった、と喜ぶのは早い。柄谷は「日本モナド」については言い忘れたからだ。この「日本モナド」も'窓'が無いことを好都合に、「帝国モナド」において生じてくる専制政治を見ない。なぜか? <あちら>の専制政治が一層専制化させていく方向が、<こちら>の自らの専制政治(安倍自民党体制)を一層濫用できる方向と一致するからだろう。そうして結局、21世紀には専制政治の内部をもつ、陰険に暗黙に助け合う二つのモナドがわれわれの前に現れてきた。具体的には、<あちら>の'帝国'の発明と<こちら>の歴史修正主義、この両者は東アジアにおいて互いに切り離しえない関係を展開している。しかし"交通'とは本来そういうものか?柄谷はライプニッツと西田を呼び出したけれど、それは、国家と国家との関係を打ち立てる「統整原理」だけのための言説。ここからは、多様的東アジアにおいて平和に生きようとする人々がいかに交通を打ち立てるのかがみえてこないのだ。その意味で、真の交通を問う可能性をもつのは、台湾学生の<太陽花運動>の方かもしれない。この占拠運動(オキュペーション)の流れを汲んだ街頭民主主義の意義に、私は注目しているのだ。


柄谷の'交通'はどこに消えてしまったか?
ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか (3)


禁書であった「歎異抄」は、近代以降に発見されていくテクストであった。われわれは原初テクストを読むことができない。ただ日本近代知識人達がいかにこの読めぬテクストを読んでしまったかを読むだけだ。「歎異抄」の読みの読みから、近代の言説が曝け出されてくるというのが、われわれに与えられる収穫だ。さて柄谷行人に向けた批判も、この彼がいかに読めぬ孔子を読んだかを読み直すことにかかっている。柄谷は「儒教」を定義しない。それを固定された実体として定義する必要がないからだ。つまり、「帝国」という統整原理からは、「儒教」とは、他の思想・宗教(「法家」「老荘思想」「仏教」「道教」)との、互いに重なり合う類似性のネットワークを形づくる項の名前に過ぎない。しかしそのような原初的テクストの言語ゲーム的再構成はそもそも知識であり、「信」ではない。が、ここは一応素直に、柄谷が言うことに従って、かれの語りを最後まで追っていこう。そうすると、柄谷は「論語」から、近代の言説が依存する'民衆史'を読みだしているのが分かってくる。民衆史の近代において実現したはずの解放のユートピアを実現していく主体の物語が、討議 <帝国・儒教・東アジア>に貫いていることに注意したい。ただし柄谷的民衆史によれば、どの国家も中心を占めない「帝国」の時代にあっては、国家こそが解放を推進する主体と言いたいようである。そうして国家間の中心なき諸国家の、'存在としての共通性'もどき世界が言語ゲーム的「儒教」の統整原理と共に描き出されてくるのだ。ここに、日本知識人の思想のあり方が映し出されている。しかしその「帝国」的存立と新「儒教」のあり方は、現実には、周辺の<帝国主義>的な同一化と経済と知識の一元支配を進める体制なのではないか?台湾学生の行動が真実を証言しているではないか?最後に、現実には柄谷の「交換様式」は、述べてきた「世界=帝国」的な起源としていうものとなっている。なにもかも交換様式に還元していく思想の倫理性が問われることはないのか。(終)



(参考)


柄谷の「帝国」概念は、アメリカの側から観察した、モノトーンというか非常に単純素朴なEU批判から形成されてきている。それを中国に器用にあてはめている。ヨーロッパの枠にアジアをはめ込むという日本的なやり方。またアメリカナイズされたドゥルーズの方法としての帝国概念を実体化しているようだ

A,柄谷行人のEUについての言及

ネグリらが「共産党宣言」(1848年)の認識に似てくるのは、彼らが68年の思想家だからだと思いますね。1968年は、1848年からみてちょうど120年後になります。たとえば、ウオーラーステインが1968年の革命を1848年の革命に匹敵する世界革命だと指摘しています。彼の考えでは、68年の世界革命は政治権力を獲得することをめざすよりも、もっと根本的に反システム運動であり、それゆえに広範な影響を与えた。その点では、1848年革命も同様です。政治的権力という意味では敗北したが、その結果として、各国で普通選挙・労働組合の合法化・福祉政策が進んだ。1968年の革命では、1848年革命の時期にあって、その後に抑圧された、初期マルクスをも含む様々な社会主義・ユートピア二ズムが復活したわけです。
しかし1848年のあとにどうなったかを忘れてはいけない。1848年の革命は民族や国家の無化どころか、フランス(ポナバルト)やプロシア(ビスマルク)に、国家資本主義と帝国主義をもたらしたのです。1871年の普仏戦争が、48年革命の答えです。この戦争の結果、生まれたパリ・コミューンは、48年革命の最後に燃え上がった炎のようなものです。
1968年のあとも同じです。1990年代にいたって公然と新自由主義=帝国主義時代に進み始めたのですから。それに対して、ネグリやハートは、再び68年をといっているわけですね。世界同時革命がはじまる、と。なぜなら、グローバリゼーションのもとでネーション=ステート(国民国家)という枠組みはもはや意味をもたないからだ。各国のマルチチュードが同時に反乱を起こす条件ができた、というわけです。しかし、これは完全に的外れだと思います。
たしかに、帝国主義時代には、ネーションの契機は切り捨てられています。たとえば、資本は自国の労働者を棄てて、他国に向かう。福祉を切り捨てる。しかし、これは国家を解消するものではまったくないのです。まさに国家と資本が、他の国家や資本と競合するために、それを実行しているのだから。また、欧州連合(EU)のように、国家が主権を制限して、連合するようになっている。しかし、これは国家の弱体化ではありません。近代の主権国家という概念は、実際は少数の大国にしかあてはまりません。ほとんどの国家は他の国家に従属しているのです。古来、国家は存続するためなら連合や従属をいとわないのです。たとえば、欧州連合の理論家たちは、それが近代の主権国家を超えるものだと主張していますが、国民国家が「世界経済」によって強いられたものだとしたら、地域的な国家共同体も同様です。ヨーロッパ諸国は、アメリカや日本に対抗するために、欧州連合をつくり、経済的・軍事的な主権を上位に譲渡するに至った。これを近代国家の掲棄であるということはできません。それは世界資本主義(世界市場)の圧力のもとに、諸国家が結束して「広域国家」を形成するということでしかない。
このような広域国家は初めてのものではない。1930年代にドイツが構想した「第三帝国」や日本が構想した「大東亜共栄圏」は、それを先駆けるものでした。そして、それらは英米仏の「ブロック経済」に対抗するものでした。さらに、この時期、こうした広域国家は、「近代世界システム」、すなわち資本主義やネーション=ステートを超えるものとして表象されていたのです。西ヨーロッパで、このように「ヨーロッパ連邦」をつくろうとする構想はナポレオン以前からもありましたが、その理念的な根拠は、旧来の「帝国」の同一性に見出されたわけです。
もちろん、それを実現する企ては、結局、フランスあるいはドイツの「帝国主義」にしかならなかった。今日、欧州連合の形成にあたって、ヨーロッパ人はそのような過去を忘れてはいません。彼らが帝国主義でないような「帝国」を実現しようとしていることは明らかです。にもかかわらず、それはあくまで、世界経済の中での「広域国家」でしかない。
他の地域でも同じことが起こっています。むしろ、今日、顕著なのは、中国、インド、イスラム圏、ロシアなど、近代の世界システムにおいて周辺部におかれてきた旧来の「世界帝国」が再登場したことです。どの地域でも、国民国家は旧来の世界帝国から分割されてできたものだから、一方で、「文明」の共同性をもつと同様に、分裂と抗争の生々しい過去をもっています。しかし、諸国家がネーションとしてのそれぞれの記憶を括弧に入れ、自らの主権を大幅に制限して共同体を結成するとしたら、彼らが現在の世界資本主義の圧力のほうを切実に感じているからです。ルナンはネーシオンが形成されるためには歴史の忘却が必要だと述べたけれども、同じことが広域国家の形成についてもいえる。tるまり、それらもまた「想像された共同体」あるいは「創造された共同体」にほかならないのです。(柄谷行人、政治を語る。図書新聞 2009)

B,柄谷がひくマルクスの交通概念の言及(「世界史の構造」より)


分業のそのつぎの拡大は、生産と交通の分離であり、商人という特殊な階級の形成だった。いままでのすべての歴史的段階に存在する生産諸力によって制約されていながら、まあこれらをも制約しているところの交通形態は、市民社会である。これはまえにのべたところからもすでに分かるように、単純家族と複合家族、いわゆる種族制をその前提および基礎としており、そしてそのくわしい規定はまえにのべたところにふくまれている。

征服する蛮族のばあいには、すでにふれておいたように、戦争そのものがまだ一つの正常な交通形態である。

右の例は、交通という概念が、家族や部族のような共同体の内部、さらに、共同体と共同体の間の交易、さらに戦争までをふくんでいることを示している。それは交換を広い意味で考えるのと同じことである。・・・






交通という概念を最初に提唱したのは、モーゼス・ヘスである。彼は、マルクスより少し年長の青年ヘーゲル派(左派ヘーゲル派)の哲学者であり、フォイエルバッハの宗教批判(自己疎外論)を、国家や資本の批判に転化・拡張した最初の人物である。

人間の交通は人間の活動の場であり、そこにおいて個々の人間は自分たちの生命や能力を実現し、活動させることができる。かれらの活動がさかんになればなるほど、彼らの生産力も高まり、そして交通が制限されているかぎり、彼らの生産力もなお制限される。彼らの生命の媒介物、すなわち、個体的諸力の交換なしには、諸個体は生きられない。人間の交通は彼らの本質からたまたま派生するものではない。交通こそ人間の現実的本質であり・・・
ヘスの考えでは、人間と自然の関係は交通である。具体的には、それはメタボリズム、つまり「物質代謝」(Stoffwechsel) である。ドイツ語では、代謝 (Wechsel)は交換を意味するので、人間と自然の関係は交通あるいは交換ということになる。これはマルクスの「自然史」的視点を考える上で重要である。さらに、あとで述べるように、環境問題を考える上でも。
つぎにそのような人間と自然との関係が、必ず一定の人間の関係を通してなされるということを指摘する。それもまた交通である。



・・・ヘスは、真に共同体的であるような交通形態は、資本主義経済のあとにのみありうると考えた。すでに資本制生産において人々は資本の下で協業しているのだから、「有機的共同体」が真に実現されるだろう、と。これは、プルードンによって提唱されていた「アソシエーション」あるいは協同組合的生産の言い換えである。ある意味で、マルクスもこのような考えを終生保持したのである。・・・マルクスが「経済学・哲学草稿」(1844)の段階でヘスの「交通」論の影響を受けていたことは明らかだが、先ほど引用したように、それは「ドイツ・イデオロギー」においても受け継がれている。



・貨幣によって、あらゆる交通形態と交通それ自体とが、諸個人に偶然的なものにされる。したがって貨幣のうちにすでに、いままでの交通が、すべて決められた諸条件のもとにおける諸個人の交通ではなかったということが内在する。


「世界史の構造」

本書は、交換様式から社会構成体の歴史を見直すことによって、現在の資本=ネーション=国家を超える展望を開こうとする企てだる。私はこのヴィジオンを、すでに前著「トランスクリティークーカントとマルクス」(2001年)で呈示している。それを本格的に展開したのが本書である。ゆえに、先ず「トランスクリティーク」をふりかえることから、本書における私の企てを説明したい。
私は「マルクスをカントから読み、カントをマルクスから読む」という仕事を「トランスクリティーク」と名づけた。これはむろん、この二人を比べることや合成することではない。実は、この二人の間に一人の哲学者がいる。ヘーゲルである。マルクスをカントから読み、カントをマルクスから読むとは、むしろ、ヘーゲルをその前後に立つ二人の思想家から読むということだ。つまり、それは新たにヘーゲル批判を試みることを意味するのである。


資本主義のグローバル化の下に、国民国家が消滅するだろうという見通しがしばしば語られている。海外貿易による相互依存的な関係の網目が発達したため、もはや一国内での経済政策が以前ほど有効に機能しなくなったことは確かである。しかし、ステートやネーションがそれによって消滅することはない。たとえば、資本主義のグローバリゼーション(新自由主義)によって、各国の経済が圧迫されると、国家による保護(再分配)を求め、また、ナショナルな文化的同一性や地域経済の保護といったものに向かう。資本への対抗が、同時に国家とネーション(共同体)への対抗でなければならない理由がここにある。資本制=ネーション=ステートは、三位一体であるがゆえに、強力なのである。そのどれかを否定しようとしても、結局、この環の中に回収されてしまうほかない。それは、それらがたんなる幻想ではなくて、それぞれ異なった「交換」原理に根ざしているからである。資本制経済について考えるとき、われわれは同時にそれとは別の原理に立つものとしてのネーションやステートを考慮しなければならない。いいかえれば、資本への対抗は同時にネーション=ステートへの対抗でなければならない。その意味で、社会民主主義は、資本主義経済を超えるものではなくて、むしろ、資本制ーネーション=ステートが生き残るために最後の形態である。

これを書いたのは1990年代であったが、現在でもそれを修正する必要はまたくない。資本=ネーション=ステートは実に巧妙なシステムなのである。だが、私の関心はむろん、それを称賛することではなく、それを超えることにある。この点に関して、「トランスクリティーク」を書いていた1990年代と、2001年以降では、私の考えはかなり違っている。私に「世界史の構造」の包括的な考察を強いたのは、2001年以降の事態なのである。



1992年のAnywhereの国際シンポジウムでは、建築家たちを前に、柄谷は、交通とは共同体の空間ではなく、共同体の間に成り立つ社会的な空間であると打ち出した。交通については80年代に考えていたという。確かに「探求1」において関係(の偶然性)とかコミュニケーション(の非対称性)といわれていた他者の関係が、1989年の「探求2」から、'交通空間'と明確にいわれるようになる。さて「世界史の構造」(2010)は、ヘーゲルの読みによって、90年代に書いた「トランスクリティーク 」を乗り換えるという。しかしその序文で環境問題も射程におくといっておきながら、「世界史の構造」が物語る交通概念に、市民社会が重要な役割が与えられてはいない。そこでデリダやネグリの発言が批判されている。環の構造である「資本=ネーション=ステート」からの遠心力として創造的意義を与えられるのは、市民社会ではなく、「帝国」である。柄谷がこう言うとき、どれだけの読者(この私も含めて)が、'交通'の語が溢れるなかで'交通'の他者性がかき消されていたことに気がついただろうか?2014年の現代思想三月号をよむとき、彷徨える'交通'概念がどこに現れることになったかをはっきりとみることになってしまう。これは日本知識人のスキャンダルだ!



柄谷の交通概念と帝国概念

マルクスにいわせれば、「交通」(Verker)はそもそも、「生産」(Produkzion)なくして成立しない。これに対して、柄谷においては結局、生産を規定していくのが交通の方である、ということが、徐々に、原理的なテーマとして抽象的に考えられてきたと思う。柄谷は「世界史の構造」のなかで、モーゼス・ヘスという左派ヘーゲル派の哲学者を紹介して交通概念に含みを持たせているが、結局は、生産に先行するのが交通(交換様式)だと言いたいようだ。ただしPostmodernism ポストモダニズムは大まかにいって生産に先行するのは流通としたが、柄谷はこの考え方を単純に繰り返してはいない。柄谷がいう交通は、モダ二ズム的な生産の領域ではなく、ポストモダニズム的な流通の領域ともいえぬような、第三の領域として構成されてきた。つまり、交通は、柄谷においては、(かれが好む言い方をすれば、形式としての)文化の領域となってきたのではないか。文化論からしか「帝国」概念を展開できないはずなのだから。交通=文化、というかくも全体的な構成に倫理的問題が起きてこないかと私は問いたい。ここになんでもかんでも押し込めてしまっては、現実を批判していく批評はどうなってしまうのか?70年代から出発した柄谷は、80年代・90年代のpoststructuralism から、Etude postcolonialesとEtudes subalterns を経て、2000年に入りCulturalismに移行してきたある思想史の流れに沿って動いてきているようにみえる。が、(いくらマルクスとカントのテクストの交通!を論じていたとしても) 中国問題においてかくもマルクスを捨て去ってしまっては、かれの知的に洗練された交通概念からは、ただの無、ただのゼロしか生まれてこない、と、私は疑うのである!



Kojin Karatani; Notes on Communicative Space 1992

Marx says in Das Kapital that trade begins in the boundary between communities. he also called the exchange=communication that takes place in such a space 'social'. as distinct from 'communal'.The realtions formed among those who have rules in common he called communal, while social relations were formed unconsciously ; in Marxian terms, people are not aware of acting as they do, but just act. In connection with this distinction, we should pay attention to the notion of Verkehr that Marx emphasaized in German Ideology, though he later replaced it with the relation of production. Verkehr means traffic, trade, communication, and sexual intercourse. Marx said that war is a common form of Verkehr, and this notion has the connotations of the contingent, groundless, transvers, violent , or even the erotic. It is dynamic and contingent, while a notion such as the relation of prodauction suggests a static and closed system.

実体の本性及び実体の交通並びに精神物体間に存する結合についての新説 ライプニッツ (1695年)


Deleuze and Guattari resolutely position themselves in the realm of experimentation , opposing literature of the narrow traditional canon in favor of the creative force of a "minor' literature. Their demonstration relies on an analysis of the cultural context of the decadent Hapsburg Empire of the early twentieth century that encouraged centrifugal movements, accentuated the process of deterritorialization, and led to a return to forms of reterritorialization. This extreme tension created a propitious climate for unusual voices to develop, like Kafka's and his contemporaries, such as Einstein, who was teaching in Prague, the physicist Phillip Frank, the twelve-tone composers, and expresssionist filmakers like Robert Wiene and Fritz Lang, not to mention the Prague circle of linguists and Freud in Vienna, who gave birth to psychoanalysis. In this immense, declining empire, German was the official language of power and of the central administration, but other, subordinate languages were also used. Kafka was at the crossroads of several languages; Czech as a Praguer, German as the official language of the Austro-Hungarian empire, and Yiddish because he was Jewish.
François Dosse, 'gillesdeleuze & féliXguattari intersecting lives '


ドゥルーズ&ガタリ「千の高原」のなかで言及される「帝国」

心的空間を条理化する古典的思考像は自分の普遍性を主張する。実際それは二つの「普遍概念」を用いて条理化を行うのである。すなわち、存在の究極の根拠としての、あるいはすべてを包括する地平としての<全体>と、存在をわれわれにとっての存在に変換する原理としての<主体>であり、要するに帝国と共和国である。「普遍的方法」の指揮下で<存在>と<主体>という二重の観点から、条理化された心的空間にあらゆる種類の実在と真理が位置づけられるのである。とすれば、そのような思考像を拒絶して別なやり方で思考しようとする遊牧的思考を特徴づけるのは容易であろう。つまり遊牧的思考は、普遍的思考主体を要請する代わりに特異な人種を要請するのであり、また、包括的全体性に根拠を置く代わりに草原、砂漠、海といった平滑空間としての地平なき環境に展開するのである。ここで「部族」として定義される人種と「環境」として定義される平滑空間との間に成り立つ関係は、「主体」と「存在」のあいだのそれとはまったく別な型の適合性である。つまり、包括的「存在」の地平にある普遍的主体ではなく、砂漠にいる一つの部族なのである。

L'image classique de pensée , et le striage de l'espace mental qu'elle opère, pretend à l'universalité. En effet, elle opère avec deux , le Tout comme dernier fondement de l'être ou horizon qui englobe, le Sujet comme principe qui convertit l'être en être pour-nous, Imperium et république. De l'un à l'autre, ce sont tous les genres du reel et du vrai qui trouvent leur place dans un espace mental strié, du double point de vue de l'Etre et du Sujet, sous la direction d'une < méthode universelle>. Dès lors, il est facile de caractèriser la pensée nomade qui recuse une tell image et procède autrement. C'est qu'elle ne se réclame pas d'un sujet pensant universel, mais au contraire d'une race singulière; et elle ne se fonde pas sur une totalitè englobante, mais au contraire se déploie dans un milieu sans horizon comme espace lisse, steppe, desert ou mer. C'est un tout autre type d'adéquation qui s'établit ice entre la race definite comme et l'espace lisse défini comme < milieu>,, Une tribu dans le desert, au lieu d'un sujet universel sous l'horizon de l'Etre englobant. Deluuze & Guattari, 'MILLE PLATEAUX'


ICAの講義室壇上から、Welcome to Europe ! と、皮肉っぽく、大袈裟な身振りで挨拶してきたジジェクという学者が、ヨーロッパの友愛の象徴であるベートーヴェンの第九交響曲が、いかに、(EUの加盟を拒んでいる)トルコの行進曲に起源があるのかと見抜いたとき、(聴講していた大勢のイギリス人と私の目の前で) 絶叫した言葉が、UNBELIEVABLE ! ところで帝国主義とは、一国家が他の国家を奪う支配 (例えば十九世紀に日本は国家として成立していた朝鮮を奪った)。さて、近代以前の中華帝国とチベットやウイグルの外交史を現代に投射していけば、自ずと現在の帝国主義から(近代的な意味で定義された)支配関係を差し引いた「帝国」が現れるか?現れるはずがないだろう。本当は、チベットの人々のために、ジジェクはUNBELIEVABLE ! というべきではないだろうか!?

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