英訳 1



昭和思想史研究会;「中国問題」序論

台湾学生<民主的決起>の意味するところ ー子安宣邦


私はいまあらためて<中国とは何か>が問われるべき問題としてあると思ってきた・「中国問題」をめぐる新たな講座の構想を立てようとしたとき、台湾における<中台服務貿易協定>をめぐる学生による立法院占拠という抗議行動の報が飛び込んできた。私は抱えていた仕事を大急ぎで片づけて、ともかくも台北に飛んでいった。私は台北の学生・市民による抗議行動の実際に触れて、これからわれわれの問おうとする「中国問題」をめぐる新たな講座の序論を、私が今回の台湾体験から書き始めようとすることは、決して場当たり的なことではなく、正しく時機にかなったことであることをこの序論が証明するはずである。


1 なぜ私は台湾に飛んだか
4月2日の午後台北の松山空港に着いた私は直ちに学生たちが占拠する立法院に向かった。中央研究部の呉叡人氏の案内で立法院に入って私は学生たちに会った。その学生たちに、そして私を取り囲んだメディアからも私は質問された。なぜ日本人は中台服務(サービス)貿易協定(1)に対する台湾市民・学生たちの反対運動にほとんど関心を向けることがないのか。にもかかわらずなぜお前は台湾にいま飛んできたのかと。この質問は、私の台湾滞在中くりかえし私にぶつけられた。日本人は見て見ぬふりをしているのか、そもそも見ようともしないのか。私は自分なりの理由づけでここに飛んできた。その理由づけは正しかったのか。私は3日間の滞在中、自問自答していた。
3月30日の台北における抗議行動に「50万人」もの市民が参加したことを日本の新聞は報じても、なぜこれほどの市民たちを抗議へと突き動かしているのか、その理由まで掘り下げて報じることを日本のメディアはしない。人々をこれほどの規模で抗議へと突き動かしている問題とは何かと考えようとも、その問題を隣人と共有しようともしないのか。中台服務貿易協定とは中台間の問題であり、それへの抗議はただ台湾の問題であって、日本人のまったく与り知らぬことだとしているのだろうか。あるいは結局はこの問題は<中国問題>であって、<中国問題>への批判的報道を自主規制する日本のメディアの慣行にしたがってこの問題についての報道を控えているのだろうか。要するに<中国>に遠慮しているからか。あるいは市民的蜂起への恐れからなのか。(2)
ではなぜ私は台湾に飛んだのか。私はいま台湾で生じている問題を日本のわれわれの問題として見たからである。私は<中台服務貿易協定>問題として生じていることを台湾だけではない、日本や韓国を含む東アジアの将来にかかわる問題だと思ったからである。もしわれわれが東アジアの将来に希望を見出しうるとすれば、台湾の学生・市民によるこの<太陽花(ひまわり)>運動の方向にしかないのではないかと思ったからである。
台湾の馬政権の支持率は9%であるという。日本でその数字は政権の持続はもう不可能であることを示すものだが、なお馬政権は持続し、「50万人」の抗議にもかかわらず動揺していないように見えるのはなぜなのだろうかと私は台湾の知人にたずねた。「彼の背後に中国があるからだ」と知人は答えた。やはり「国共合作か」と私は自分で納得するようにして呟いた。台湾では<中国>はすでにスキャンダラスに大きい。台湾ではある戯画が流布しているという。台湾というマンションの持ち主は馬英九の国民党で、そのマンションの電気、水道、ガスなどの供給者は中国資本であり、その供給を受けるマンションの住民が台湾人だという戯画である。中国が台湾にとってスキャンダラスな大国として存立するにいたったのは2008年以来であるとその知人はいった。その2008年とは国共合作的な政治統一問題が顕わにされた陳雲林事件(3)が生起した年である。たしかに鄧小平の「(とう)光養生晦(光を隠して、時の来るのを待つ)」の教えを捨てて、中国が「核心的利益」を周辺世界、ことに南シナ海、東シナ海の海上権益について明確に主張するようになったのは2009年以降のことである。中国を世界第二位の経済大国に押し上げた経済成長が、大国的自己意識を党国家指導部だけではない、民衆の間にも形成させていったのである。大国中国は重い<中国問題>を東アジアにも構成するにいたったのである。<中国問題>とは東アジアの諸国・諸地域が中国に対することで自分自身を規定せざるをえないものとして大国中国が存立するにいたっていることの問題であり、それは同時に周辺世界に溢れ出るようにして生み出していく中国的イデオロギーの構成という問題、すなわち<中華民族>の呼号であり、<中華帝国>の歴史からの呼び出しであり、<孔子と儒教>の再構成と帝国文化的拡張という問題である。
今回、台北に行ってはじめて馬英九総統が日本の安倍と同様の歴史修正主義者であることを知った。安倍は日本の帝国主義的戦前史とその否定としての民主的戦後史をも消して、無垢の日本国家史を修正的に再構成しようとしているが、馬英九は戦後の民主的台湾への苦難の自立史(それは白色テロをともなった国民党専制史であった)を消して大中国国家史に書き換えようとしているのである。日本では政治的重要拠点に配置された安倍の<お友達>が彼の本音を代弁しているが、台湾でも馬総統の<お友達>である王暁波(前台湾大教授、現世新大教授)が、「228事件(台湾本省人の外省人官警の横暴に対する抗議運動を国民党が軍隊をもって徹底的に弾圧した事件、1947年)の白色テロによる被害者よりも、南京事件における日本軍による被害者の方が圧倒的に多く、歴史的にも重大である」と台湾の歴史教育の修正を主張している。この二つの歴史修正主義は<中国>を間にして方向は逆とはいえ、それらはともに現代の東アジアで危険な、この地域人民の安全と幸福に反する政治的構図をえがくものであることを示しうている。
安倍の歴史修正主義は<国家主義的日本>を<中国>に対抗して強固に再形成しようとするものである。しかも重大なのは、この安倍による<国家主義的日本>の形成が、われわれの民主主義的な政治権利を、すでに制度的に憲法違反状態にある選挙の投票行為だけに限定し、政治的決定過程へのあらゆる民主的、市民的関与、介入の道を封殺しながら進められていることである。一方、馬英九の<中国国家史>との同一化をいう歴史修正主義は、中台服務貿易協定の秘密の<黒幕>の中身を構成している。彼らが決して明かそうとしない<黒箱>の中は、馬政権の推進する中台経済関係の一体化が<民主的台湾>の圧殺を意味する証拠で一杯である。だから中台服務貿易協定に反対する学生・市民の運動とは本質的に<民主的台湾>の擁護の運動であるのだ。
台湾の学生たちは<民主的決起>をしたのである。これを<民主的>というのは、馬英九国民党政府が推進する中台服務貿易協定の<黒箱>の中身の公開と協定自体の議会だけではない市民的レベルにおける徹底的な審議(公民審議)を、民衆的生活の自立的防衛の要求を基盤して主張するものだからである。これは台湾の<公>に立つ民主的な決起である。私はここに東アジアの将来にかかわる希望を見出したのである。
私がなぜ台北に飛んで行ったのか、その理由はすでに明らかだろう。安倍の民主的戦後史の抹消による歴史の国家主義的修正に反対するわれわれの戦いは、台湾の学生の<民主的決起>と共闘するものであること、その決起はむしろ東アジア人民の<民主的決起>の先駆をなすものだと知ったからである。





4 中国の<帝国>的存立
<民主的台湾>の自立的特徴の要求はどこに向けてなされるのかといえば、それはいまや<帝国>的存立に存在する中国に対してである。私はいまやっと主題にかかげた<中国問題>に到達した。まぜ私は中国の<帝国>的存立をいうのか。<帝国>論とは、私のこれからの「中国問題」講座の主題の一つだが、私が中国について<帝国>をいうのは現代中国の存立のあり方にかかわっていうのであって、現代中国のために都合のよい<帝国>像を歴史から呼び出しながらいうものではない。柄谷行人らは<帝国主義>的国家から区別された<帝国>像を歴史から呼び出し、<帝国>概念を再構成する作業をまさに「世界史」的に展開している(6)。かれらの<帝国>論は次回からの私の主題であるが、なおここでも触れねばならないのは彼らが<帝国主義>から区別して歴史から呼び出そうとsる<帝国>概念は、現代中国における専制的党国家権力ののぞむところではないかということである。すなわち柄谷らの<帝国>概念は、チベット、ウイグル族に対する血なまぐさい暴力的な同一化を、すなわち<帝国主義>的従属化を現代中国の<帝国>性を隠すものではないかということである。私が現代中国の<帝国>的存立をいうのは、一切の政治的多様性を認めない一元的・専制的な政治的支配体系としての<帝国>的中国の党国家のあり方をさしていうとともに、周辺民族の<帝国主義>的な同一化を進める中国の<帝国>性をもさしていう。
そしていまわれわれにとって問題なのは中国の〈帝国〉的存立そのものが、〈帝国〉的イデオロギーを要求しているということである。歴史から呼び出された〈帝国〉概念の再構成もそれであるし、〈大中華民族〉主義はすでに習近平政権によって鼓吹されている。そしていま〈儒教〉の文化的な〈世界=帝国〉性がいわれようとしている。《なぜいま儒教か》とは、あまりにタイミングのよすぎる『現代思想』特集号(2014年3月号)のテーマである 。しかしここに見るのは日本知識人のスキャンダラスな先駆性ではないか。だがこの先駆性は、〈民主的台湾〉の自立的持続を主張する台湾の学生運動が示した先駆性に逆立するものである。〈民主的台湾〉の主張は、政治的、文化的な一元的〈帝国〉支配を排して、東アジアを開いて行こうとする多様的東アジアの先駆的な主張である。だが〈儒教〉の〈世界=帝国〉性の主張は、東アジアの多様的文化、知識を一元的〈帝国〉的文化として包摂して行く〈帝国〉的イデオロギーの先駆的主張である。すでに私は「中国問題」講座の「序論」としてのべるべきことはすべてのべた。たしかに〈民主的台湾〉のための学生運動は、われわれにおける「中国問題」という問題の所在をはっきりと示してくれたのである。(昭和思想史研究会:2014年4月12日)








(1) 中台服務貿易協定; 服務は市民の日常生活にかかわる服務業(サービス)全般を意味している。それは電脳(コンピューター)服務、印刷、電信、電影(テレビ)、撮影服務、建築服務、運輸服務、医院服務、社会服務(福祉機構)、環境服務(汚水処理など)、観光旅行服務、娯楽・文化・運動服務などを包括する。

(2) 3・11以降、日本のメディアは政府とともにひたすら市民的蜂起を恐れているとしか思われない。反原発抗議行動の報道を抑制し続けた日本のメディアは依然として「政・官・財・学・報」という原発体制的システムを維持し続けているようにしか思われない。

(3) 中国の両岸協会会長陳雲林の訪台は政治統一に向けての国共合作として抗議運動をもたらした。

(4) 街頭民主審議

(5) 日本における中国との<政経分離>は、中国の国家政治体制とそこから生じる問題について日本は<何もいわない>という容認的態度を導いている。このことは中国に対して反友好的な安倍においても同様である。政治的多様性を認めない反民主的中国と<政経分離>的に関係する日本もまた反民主的な国家主義的日本を形成しようとするのは逆説的同一化ともいうべきことか。

(6) これは柄谷行人が交換様式論にもとづいいぇ現代の<帝国主義>とは区別された<帝国><概念を歴史から再構成的に呼び出す近来の思想作業をいっている。(「中国で読む'世界史の構造'」('現代思想'連載、2013年5月ー10月)

(7) この'現代思想'特集号の冒頭に置かれている柄谷行人と丸川哲史との対談のテーマは「帝国・儒教・東アジア」である。



言葉と表現と射影のブログ: 英訳 1 http://bit.ly/QsBZRx

この記事へのトラックバック