書評; 柄谷行人「帝国の構造」 (2)

書評; 柄谷行人「帝国の構造」 (2)

柄谷行人は、1970年代以降の従属理論の理論家たちが物語るように、神話的言説(例えば、「天命」概念。またトポロジー概念)と歴史的事実を組み合わせた、あるいは互いに溶け合わせたような詩的な書き方(西田の書き方!)で物語ることを決めたのだと気が付きました。かれの場合、いわゆる西欧世界の現在を正当化する為に'書かれた'産業革命中心の近代史の記述にはもはや、それほど特権的な価値を見出していないようにもおもえます。それがまさに「世界史の構造」の神話的リアリズムの言説に他ならないわけですが、柄谷が強力に展開しようしていく(物語的な)言説にたいしては、この言説の内部から内部に即して反論していくべきだとする強い必要性がこの私にかんじられました。とはいえ、やはりわたしの力が全然足りず、やや中途半端なこの書き方でよかったかと非常に反省しております。歴史的事実の重要さ。ただ、とくに歴史的事実のうち、たしかに絶対に無視してはならない、多党制の構造と土地の私有がないということを実証的に指摘しさえすれば、(これは柄谷にしたがうと交換のヴァリエーションにすぎないのでありますが)、柄谷が展開し始めた言説的な思考にたいして、柄谷にたいして十分になにかを反論したことになるのだろうかというと、正直わかりません。ですから、今回は、柄谷の考え方を批判的に分析したいとおもったのですが、たしかに、プラス、柄谷がみえていない、又はみようとしてない歴史的事実との関係を分析的に書くことがやはり大切。これからの課題。
ここで前回を補いますと、たとえば、近代国家の限界 を超えようと、旧世界帝国の理念(たとえば、オーストリア帝国)を高度な次元で利用した芸術家・作家・科学者たちが活躍した歴史のことは、ドウルーズが、シェーンベルグの無調の十二音楽、フロイドの精神分析、カフカの文学、ヤコブソンのチェコ言語学、アインシュタイン相対性理論等々多くの例に即して物語っています。これらの前衛的近代がなければそもそも(それを乗り越える) ポストモダニズムも成り立たなかったのは当然ですが、このドゥルーズを読まなくともですね、近代というのは、ポスト帝国の'脱領土化'の方向で、<帝国を失ったからこそ、(昇華的にそれに代わる)なにかを得た>ところから形成されてきたという歴史の展開をそれなりに了解できます。さてそれならば、アジアからは、旧中国帝国(清とか宋とか。柄谷は元を高く評価しています) の理念を高度な次元で復活させた文化が出てくる可能性だって同じようにありますね。この点について、(柄谷は、'未来からの回帰'という難しい言い方をしていますが)、要するにつまり、文化が '未来を思い出す'、つまり、アジアのルネッサンス(文化復興運動)が起きてくる可能性ですね。ところが柄谷はドゥルーズに依りながらも、文化理論を遥かに超えた言説を政治的に展開し始めました。東アジアを吸収していく帝国の政治的復活をいうのです。これは、私の理解が正しければ、「世界史の構造」のなかで示唆されていた'交換様式x'をなすものです。そうして一連の思索の具体的な帰結として、中国を読む「帝国の構造」を世に問うことになったわけです。が、驚くべきことに、精緻に構築されたこのような政治的イデオロギーがいかに危険であるかです。たとえば、国家を規制する近代的な憲法を要求している知識人たち(例えば天安門事件の知識人)にたいして、<諸君が要求する近代憲法の名宛人は、近代国家であり、われわれが築き上げて行こうとする帝国の将来とは関係ない、時代遅れの事柄だ>という合意を言説的に生みだしかねません。また、近代の枠組みを超えた旧帝国の朝貢貿易をモデルとした包摂的な似非ユートピアをもって、現実に政治的独立を要求しているチベットやウイグルにたいしてこれらを拒む権利があることを「帝国」理論にもとづいて西側に主張してくることもあり得ます。ただし、中国の知識人は、柄谷ほどには、'帝国'というアイデアを打ち出しているわけではなく、柄谷が「あとがき」でかいている汪輝のようなイデオローグが'朝貢貿易'の非歴史的言及のうちに'帝国'の現代的意義を示唆しているだけのようです。柄谷は八十年代を中心に非常に良質な言論を展開してきたわけですが、(マオイズムでもないし新新京都学派でもないとおもいますが)、「帝国の構造」をもってなにを意図しているのか正直まだわかりません。が、とにかく、ノスタルジックな、ポストモダンのモダニズム化という、世界同時代的に起きている奇妙で厄介な反動の影(反知性主義のヴァリエーション?)が、われわれのなかに、われわれのまわりに、われわれの下に、展開されてきていることだけは確かであります。

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