柄谷行人の「この道しかない」的解釈論と安倍晋三の「この道しかない」的政治権力のプレッシャー


柄谷行人の「この道しかない」的解釈論と
安倍晋三の「この道しかない」的政治権力

ヨーロッパの近代=西欧的合理主義=植民地主義、に対するアンチテーゼ。八十年代のデリダ脱構築ブームのもとで、ジョイスの各国語の翻訳は多様なゲームの規則の発明であり、啓蒙主義の一元性の幻想を突き崩すポストバベルの塔的プロジェクトとしてあった。(フィネガンズ・ウエィクは英語なのか?) 「言葉と物」のフーコは、西欧の知の内部にある外部の思考を方法論的に書いた。ポストコロニアリズム研究によって、外部の思考は非西欧の文化の実体と等値されていく。国をあげて多様な非西欧的近代をいう言説が植民地支配を正当化しさえする。反西欧合理主義をいう反植民地主義の原点が台無しになった。あるいは、デリダ的な西欧合理主義の一元性を崩すプロジェクトにそもそも限界があったのかもしれない。さて、ギリギリの非常に危ない言説を展開してきている佐藤優との対談をおこなう、ギリギリ危ない権威主義に陥いったマルクス主義的書き手、柄谷行人の押しつけてくる解釈の「この道しかない」は、安倍の権威体制の「この道しかない」的政治権力とおなじようなプレシャーをもたらしてきます。なぜなのでしょうか? 思想史が交通の根底に置くのは、ダイアローグであり、商品・貨幣ではありません。ワールド・キャピタリズムWorld capitalismを構成する<帝国>の商品・貨幣の所有者('1%')は、<自分が-話すことしか-聞かない>ので、それにたいして非所有者('99%')の抗議が起きると、警察・軍隊 (地球の裏まで行く集団的自衛権も含む)で封じてきます。つまりそれはダイアローグの交通の遮断を意味します。しかしグローバル・デモクラシーGlobal democracy の人間は '考えるゆえに存在します'から、人間は警察・軍隊の壁に囲まれては、考えることができませんし、そうして生きることも不可能となってしまいます。これが21世紀の中心的問題。秘密保護法の安倍自民党と公明党は全力で、東アジアに展開してきたグローバル・デモクラシーの条件を、<他者が-話すことを-聞く>交通を、徹底的に抑圧する権威体制を構築していくものとおもわれますー他の道はなく安倍の「この道しかない」とプレッシャーをあたえつつ。
ヨーロッパ近代=西欧的合理主義=植民地主義に対する反定立が、東アジアの非西欧的近代の植民地主義に利用されている以上、エクリチュールを中心とした脱近代の文化戦略を見直す時か。90年代のジョイスは声の復権だった。ワールドキャピタリズム=帝国から自らの身体を守る共同体の抵抗の拠点として

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