テーマ:思想哲学

(3)、(編集中)思想における他者の介入 -言葉を中心としてー

六、「国家と祭祀」 祀る国家、戦う国家の絶望とはなにか?滅びゆくものから、言葉・音・石・色から、不朽のものを創り出そうとする、その絶望的な試み。形をまとった空間が、時代を超越していくために。ニ十年ごとに繰り返す「再帰する始源の呪縛」がその形態のひとつに過ぎない。 さて明治を総括すると、祀る国家、戦う国家であった。靖…
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ネグリの新しい問題提起ー 「コモンの通貨」「コモンの憲法」

直接民主制の概念である「コモン」とは、<無数の特異点の交錯>をいう。ここから、「統治性」の概念の根本的な検証も行われる。ところで優れた思想家は、その時代を支配する人間像を呈示してきた。今回来日したネグリも、現代における顕著な四つの人間像について語っている。すなわち、「債務を追う人間」「メディアに媒介される人間」「恐怖する人間」「代表…
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子安宣邦著「日本人はどう中国を語ってきたか」(2012、青土社)の感想文

子安宣邦著「日本人はどう中国を語ってきたか」(2012、青土社) 天安門広場事件から簒奪された「事件性」を取りもどすこと、今日神話的に内側に絡み取られてしまった言説から、批評にもとづくリアルな歴史を取り戻すために、子安宣邦氏は、本書「日本人はどう中国を論じたか」を書いたのではないだろうか。「日本人はどう中国を論じてきたか」という問…
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子安宣邦著"「江戸思想史講義」(岩波書店)の感想文ー

子安宣邦著"「江戸思想史講義」(岩波書店、1998)の感想文 ー「方法としてのアジア」、「方法としての江戸」、「方法としての知識人」 子安宣邦氏は最近のツイートで、山口昌男が「《重い》級友であった」ことを綴った。「彼と私とは知の関係史を作っている。私をマルクス主義に、そしてポスト構造主義に位置づけていったのは彼の存在であ…
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子安宣邦著「日本ナショナリズムの解読」の感想文 ー福沢諭吉、ジョイス、清沢満之

子安宣邦著「日本ナショナリズムの解読」の感想文 ー福沢諭吉、ジョイス、清沢満之 アリストテレスは道徳人を、自己中心的な人間ではなく、良き人生そのものとして友情を楽しむ人、と説き、いわゆる知識人の瞑想生活に大きな意義を与えているが、アリストテレスの理解には道徳が本質的に互酬的な関係である、という認識が欠けている。アリストテレ…
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子安宣邦著 "和辻倫理学を読むーもう一つの「近代の超克」"の感想文

子安宣邦氏「和辻倫理学を読む」は、言語の拡散と集中というフーコと共有する問題意識から、和辻解釈学を暴き出す。翻訳の新漢語でしかないのに和辻が解釈してみせる<倫理>の語は、十分に拡散していた言葉などではなかった。歴史の古層という装いで彼の倫理学の解釈は倫理学のナショナリズムの一点に集中していく。ただし、和辻の方法としての<倫理学>…
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子安宣邦著「国家と祭祀」の感想文

祀る国家、戦う国家の絶望とはなにか?滅びゆくものから、言葉・音・石・色から、不朽のものを創り出そうとする、その絶望的な試み。形をまとった空間が、時代を超越していくために。ニ十年ごとに繰り返す「再帰する始源の呪縛」がその形態のひとつに過ぎない。 さて明治を総括すると、祀る国家、戦う国家であった。靖国神社は近代において発明された…
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フランシス・ベーコン展の感想

今日、竹橋の美術館でやっているフランシス・ベーコン展へいった。17歳のとき、ダブリンの街頭で野良犬の小便する姿をみて芸術上の啓示をえたとベーコンは綴っていた。かれの絵をみると、ゴシック教会の化物を思い起こす。ベーコンは、死んだ動物の姿をした、死者を祀っているのだろうか?但し靖国の如く国家が死者を祀る特権的なやり方ではないだろう。…
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こんな多文化主義に抑圧的な国だからこそ、差異についての哲学を大切にしようではないか!

こんな多文化主義に抑圧的な国だからこそ、差異についての哲学を大切にしようではないか!新大久保でのゴロツキの草莽的デモ、大阪市による朝鮮学校に立ち退き要求。こういう多文化主義に抑圧的な国だからこそ、差異についての哲学が貴重といえよう。フランスを発信源に、差異の哲学者達が想定していたのは多産的に成長していく差異であった。だから、実体…
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大島渚を語る -OSHIMA, JAPANESE ICONOCLAST 大島渚 日本における偶像破壊

<大島渚を語る> 大島渚は好きだ。ただ日本語で書かれた彼についての映画評は苦手。民衆史から語るものが多いが、笑止。この民衆史は、知識人の土に対する執着に過ぎず、近世の藩の帰属意識から由来するというのが私の自説。民衆史における偽の対抗概念として、相補的に、かならず天皇が現れる。明治以降墓の執着に変容したという藩意識は、民衆史という共同幻…
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3.11以降、再びサルトルへ ー <思考を表現する>とはどういうことか?

土地を奪われ言葉を奪われ文化の記憶すら奪われて残るものがあるとしたら、それはサルトルが意識と呼んだもの相違ない。貧困から生じるあらゆる問題を抱えるアイルランド人。ここから彼らは自分達に、同様の貧困に直面する世界を持つ。産業革命の歴史が無い圧倒的多数派の、最底辺ゆえに、ホワイトホール的に、地球上どこにでも繋がっていけるアイリッシュ的<我々…
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2012年における選挙に物申す

選んだ国民が負けた結果となったのではないか?民主党では自分達を代表してくれないから人々は民主党を負かそうと思ったのだが、結果的にこんなに勝った自民党が自分達の声など聞く筈もないからだ。結局民主党にぺナルティーを与えたつもりが、国民は自分達自身にぺナルティーを与えてしまったのである。 野党として責任を果たさなかった自民党にぺナルティーを…
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なぜ、「思想・良心の自由」は、改憲の手続きによっても、取り除くことができないのでしょうか?

思想良心の自由といえ言論表現の自由といえ、「憲法を作る力」のどの部分に視点を置くかの権利であって、介入し喋る民主主義の本質的な理解に大きな違いはない。憲法はこの市民の声によって明確になり、両者は互いに強化し合う。改憲によっては、思想を黙らしてはならないと憲法はファシスト達に抗議している 大川XX的に吾芦部の愛弟…
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子安宣邦氏の公開講座「歎異抄の近代」・第3回(昭和思想史研究会主宰)の感想文

「吾人の世に在るや、必ず一つの完全なる立脚地なかるべからず。若し之なくして、世に処し、事を為さむとするは、恰も浮雲の上に立ちて技芸を演ぜんとするものの如く、其の転覆を免るる事態あたはざること言を待たざるなり、然らば吾人は如何にして処世の立脚地を獲得すべきや。蓋し絶対無限によるの外ある能はざるべし。・・・吾人は只だ此の如き無限者に接せざれ…
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子安宣邦著「日本人はどう中国を語ってきたか」(2012.青土社)

天安門広場事件から簒奪された「事件性」を取りもどすこと、今日神話的に内側に絡み取られてしまった言説から、批評にもとづくリアルな歴史を取り戻すために、子安宣邦氏は、本書「日本人はどう中国を論じたか」を書いたのではないだろうか。「日本人はどう中国を論じてきたか」という問いとは、なによりも、「われわれはどう他者を語ってきたか」という開…
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3・11以降の思想の肖像(2a) われわれはどうマルクスを論じるのか

1、イェニーとは誰か?イェニーは、亡命したマルクスと一緒にやってきた。かれらは、始めロンドンの市中のソーホーに住んだ後、ハムステッドの広い住居へ移った。イェニーは、悪筆で判読不能なマルクスのドイツ語の原稿をくまなく清書する役目を負っていた。 2、ちなみに、マルクスの原稿を清書するイェニーの姿は、ジョージ・オーゥエルの原稿を…
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3・11以降の思想の肖像(1) われわれはどう他者を論じてきたのか ー 中国論

1、「倫」は、「人+(音符)リン」で、短冊の竹札を集めてきちんと整理するさまを示し、更にここから、人間の間がらの意をあらわす。例えば、貨幣と商品の関係に還元されない、人と人との関係がある。結局、倫理はここ、関係の探求に至る。「マルクス問題」を問うことは、畢竟「倫」を問うことである 2、日本の知識人たちが政治問題に直面すると…
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3・11以降の思想の肖像(3a) われわれはどう映像を論じるのかーゴダール 

映画の世紀という、あるいは二十世紀という繰り返してはならない終え方  1 ワークショップ;「この紙の上に、あなたの視野を簡単な絵で描けますか?」。とそこで、風船のように楕円状の形をした囲いの境界線上の任意の一点にある眼球を描くとしよう。しかしこの図に対して、ヴィットゲンシュタインは簡潔な説明を与え…
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3・11以降の思想の肖像 (2b) われわれはどうマルクスを論じるのか

142、そのアンチテーゼとしての革命のリベラルなモデルの可能性を語る言語を齎し広めたようには。互酬性原理の基づくモデルをつくりあげることによって、世界資本主義とその革命についての批判的言説を失わせる危険があったかもしれない。この点に関して運動の経験が教えるところでは、互酬性原理は 143、構造を正そうとする「小さな人間」の側だげに…
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3・11以降の思想の肖像(3b) われわれはどう映像を論じるのかーゴダール 

3 <フレーム>とゴダールが呼んだ建築術こそは、<物で書かれたもの>(フーコ)の編集に対応するだろう、<フレーム>と編集である。、ここから、方法としての映画が可能となる。ゴダール曰く、 "フレーミングはどれもみな生まれながらにして平等で自由である。映画はどれも、フレーミングの抑圧の物語にほかならない。君は、例え…
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3・11以降の思想の肖像(4a)  われわれはどう文学を論じるのかージョイス

1、アイルランドの人々は生存可能な未来について話し合うべきときに来ている。世界的な金融危機を迎える前、政治家達は、アメリカ型の市場原理を範に取った経済政策を立案し実行したが、結果として経済政策の破綻が決定的となるや否や病院や学校への予算を凍結してしまった 2、私の最後の滞在の年、この政策の方針に対して大きな幻滅と怒り、憎悪が生じた…
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3・11以降の思想の肖像(4b)  われわれはどう文学を論じるのかージョイス

3 Return to itself - 不可能な円環の肖像               「フィネガンズ・ウェイク」には、ジョイスの創作の上での豊かな体験、繊細さと大胆さとが混ざる観察力、自由闊達な描写力、数十の言語が組み合わされる巨大な構想、それから、彼の文学を最も際立たせている、多声的な円環の運動、というような特徴が観察…
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3・11以降の思想の肖像 (5)  われわれはどう思想を論じようとするのかーデモンストレーション

「グラマトロジー」のジャック・デリダなら、今日に於ける原発推進の一体的構造<政財官学報>を指指し、これを、自身の声だけを聞こうとする「直線的」な「領域」と呼ぶのではないか。次にそこから空間を占拠しに来たエクリチュール的デモを目撃するとしたら、何を見ているだろうか? 1、救済の道に来ているつもりでも、現実にはこの自分と彼…
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われわれはどう中国を論じてきたか ー子安宣邦氏の講座<「中国論」を読む>の感想文

1、「倫」は、「人+(音符)リン」で、短冊の竹札を集めてきちんと整理するさまを示し、更にここから、人間の間がらの意をあらわす。例えば、貨幣と商品の関係に還元されない、人と人との関係がある。結局、倫理はここ、関係の探求に至る。「マルクス問題」を問うことは、畢竟「倫」を問うことである 2、日本の知識人たちが政治問題に直面すると…
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映画の世紀という、あるいは二十世紀という繰り返してはならない終え方ー3・11以降のゴダール論  1

映画の世紀という、あるいは二十世紀という繰り返してはならない終え方ー3・11以降のゴダール論  1  1 ワークショップ;「この紙の上に、あなたの視野を簡単な絵で描けますか?」。とそこで、風船のように楕円状の形をした囲いの境界線上の任意の一点にある眼球を描くとしよう。しかしこの図に対して、ヴィットゲンシュタインは…
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映画の世紀という、あるいは、二十世紀という繰り返してはならない終え方ーゴダールの思想 (2)

3 <フレーム>とゴダールが呼んだ建築術こそは、<物で書かれたもの>(フーコ)の編集に対応するだろう、<フレーム>と編集である。、ここから、方法としての映画が可能となる。ゴダール曰く、 "フレーミングはどれもみな生まれながらにして平等で自由である。映画はどれも、フレーミングの抑圧の物語にほかならない。君は、例え…
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映画の世紀という、あるいは二十世紀という繰り返してはならない終え方ー3・11以降のゴダール論  1

 1 ワークショップ;「この紙の上に、あなたの視野を簡単な絵で描けますか?」。とそこで、風船のように楕円状の形をした囲いの境界線上の任意の一点にある眼球を描くとしよう。しかしこの図に対して、ヴィットゲンシュタインは簡潔な説明を与えた。 Das Gesichtsfeld hat nämlich nicht e…
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反戦運動とジョイス文学 2

3 Return to itself - 不可能な円環の肖像               「フィネガンズ・ウェイク」には、ジョイスの創作の上での豊かな体験、繊細さと大胆さとが混ざる観察力、自由闊達な描写力、数十の言語が組み合わされる巨大な構想、それから、彼の文学を最も際立たせている、多声的な円環の運動、というような特徴が観察…
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反戦運動とジョイス文学 1

1、アイルランドの人々は生存可能な未来について話し合うべきときに来ている。世界的な金融危機を迎える前、政治家達は、アメリカ型の市場原理を範に取った経済政策を立案し実行したが、結果として経済政策の破綻が決定的となるや否や病院や学校への予算を凍結してしまった 2、私の最後の滞在の年、この政策の方針に対して大きな幻滅と怒り、憎悪が生じた…
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シュトラウスのオペラ、「サロメ」の感想文 -反復される崩壊の言葉

王と神に仕える預言者は全体を判断できる<語りの力>。が、王と預言者の間の確執はマクベスやアンチゴニから繰り返されてきた。預言者という<語りの力>をサロメという感情と想像力に委ねたのは、岩塊を固有の領土として飢えたタカ派政治家の食欲に委ねるぐらい悲惨な結末を招いた。ワイルドとシュトラウスにおいて、反復される崩壊の言葉
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