テーマ:批評

3・11以降の思想の肖像 (2b) われわれはどうマルクスを論じるのか

142、そのアンチテーゼとしての革命のリベラルなモデルの可能性を語る言語を齎し広めたようには。互酬性原理の基づくモデルをつくりあげることによって、世界資本主義とその革命についての批判的言説を失わせる危険があったかもしれない。この点に関して運動の経験が教えるところでは、互酬性原理は 143、構造を正そうとする「小さな人間」の側だげに…
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3・11以降の思想の肖像(3b) われわれはどう映像を論じるのかーゴダール 

3 <フレーム>とゴダールが呼んだ建築術こそは、<物で書かれたもの>(フーコ)の編集に対応するだろう、<フレーム>と編集である。、ここから、方法としての映画が可能となる。ゴダール曰く、 "フレーミングはどれもみな生まれながらにして平等で自由である。映画はどれも、フレーミングの抑圧の物語にほかならない。君は、例え…
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3・11以降の思想の肖像(4a)  われわれはどう文学を論じるのかージョイス

1、アイルランドの人々は生存可能な未来について話し合うべきときに来ている。世界的な金融危機を迎える前、政治家達は、アメリカ型の市場原理を範に取った経済政策を立案し実行したが、結果として経済政策の破綻が決定的となるや否や病院や学校への予算を凍結してしまった 2、私の最後の滞在の年、この政策の方針に対して大きな幻滅と怒り、憎悪が生じた…
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3・11以降の思想の肖像(4b)  われわれはどう文学を論じるのかージョイス

3 Return to itself - 不可能な円環の肖像               「フィネガンズ・ウェイク」には、ジョイスの創作の上での豊かな体験、繊細さと大胆さとが混ざる観察力、自由闊達な描写力、数十の言語が組み合わされる巨大な構想、それから、彼の文学を最も際立たせている、多声的な円環の運動、というような特徴が観察…
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3・11以降の思想の肖像 (5)  われわれはどう思想を論じようとするのかーデモンストレーション

「グラマトロジー」のジャック・デリダなら、今日に於ける原発推進の一体的構造<政財官学報>を指指し、これを、自身の声だけを聞こうとする「直線的」な「領域」と呼ぶのではないか。次にそこから空間を占拠しに来たエクリチュール的デモを目撃するとしたら、何を見ているだろうか? 1、救済の道に来ているつもりでも、現実にはこの自分と彼…
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中国論

46、天皇制的文化論といえば、多元的次元における包摂の全体主義。天安門事件から事件性を剥奪するのは、このような文化論においてだ。天皇性を中国に都合よく投射させまい。他者認識を問う思想にとって精神分析批判が欠かせなかった同じ理由から、現在、似非中国論を批判する意義が自覚されてくる 47、新聞とテレビよ、中国を語るのは大いに結構、ただ…
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感想文;Martin Shermanマーティン・シャーマン作「Rose」 志賀澤子出演

感想文;Martin Shermanマーティン・シャーマン作「Rose」ブレヒト小屋にて 志賀澤子出演。この芝居では、観客は、近代的な<もの読み的存在>とは異なる、<もの語り的存在>と出会う。ベンチの老女が伝える記憶の家には、屋根と柱と壁も床も無い。只あるのは一つの規則だけ、「議論に解決を与えるな("もう一方の側では・…
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ALSO SPRACH OWLCAT ふくろうねこ、かく語り き  11月 2012

「待って、昨年電気が足りなくなったのは、三割といえども地震列島のくせに原発に頼りすぎちゃったからじゃないのかしら。地震はなくせないとしたら、原発があるから電気が足りなくなるんじゃないの?」、というと一応分りますが、次会うとまた頑迷な原発推進派に戻っていますね 二大政党に有利に働く現行の選挙制度のもと、票は自民と民主に山…
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われわれはどう中国を論じてきたか ー子安宣邦氏の講座<「中国論」を読む>の感想文

1、「倫」は、「人+(音符)リン」で、短冊の竹札を集めてきちんと整理するさまを示し、更にここから、人間の間がらの意をあらわす。例えば、貨幣と商品の関係に還元されない、人と人との関係がある。結局、倫理はここ、関係の探求に至る。「マルクス問題」を問うことは、畢竟「倫」を問うことである 2、日本の知識人たちが政治問題に直面すると…
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思想空間としての知の表現 ー 構造主義とポストモダニズムから、再びサルトルへ

闇の季節から、冬の肖像画へ。暗闇の内部のなかだからといって沈黙は許されない。かくも人間の疎外が起きる理由を問い続ける。原点はヘーゲル「精神現象学」だったから、ここから、知の自立した思想を考えよう。それから、思想空間としての知の表現ー構造主義とポストモダニズムから、再びサルトルへと 行列の成分配置のうち、自分の状態を計量する…
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コーヒーと哲学の十分間 ーいかにして存在論は、「ある/存在する」から「書く」へと至るのか   本多敬

α、「ある」ー「存在する」ー「書く」という系列に、「文学」という個物を関連づけよ。文学である、文学が存在する、文学を書く、という一連の複合的系列の記述が可能である。哲学的内省は、この複合的系列の記述に即して、人間の思惟のプロセスを批判的に考えようとするのだ β「文学である」というこの自己規定性は、「文学でない」とす…
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ゴダールとオリヴェイラ ー 映画「神曲」を読み解く             本多敬

コスモポリタンのオリヴェイラ監督の「神曲」は、ゴダール映画(​​八十年代以降)の本質を体現した作品だ。故郷喪失者の故郷への​帰​還という主題は、左翼からの批判の対象だろう。フェミニズム​の立​場は、右翼が反発・攻撃するだろう。ゴダールの中での理知​…
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小松左京"日本沈没" のメッセージ       本多敬

「日本沈没」は、京大から兵隊に行った叔父さんとみた。手榴弾に​よる手足の火傷痕が痛々しかった。日本人の愛国心は「土」の執着​に現れるが、小松左京はそれを嘲笑ったのではないだろうか。自分​の国を選ぶ人々の意志に関心があったのだろう。海外に受け入れら​れない日本人は故郷喪失者の苦難を喚起した …
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なぜ、原発と民主主義は両立しないのか?    本多敬

エネルギー庁の原発情報監視は、運用の仕方によっては情報統制に​なりかねない、危険な検閲行為と心配しています。まさか、この憲​法の核をなす言論の自由を、7000万円でたたき売ってしまった​とは、本当に信じられません!この政府は、言論の自由を自分達の​所有物と思っているのでしょうか!?…
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米倉経団連会長への公開手紙       本多敬

米倉経団連会長への手紙。 ・あなたは、相変わらず「東電責任なし」を主張していますけれど​、日本の財界には、正義の感覚が微塵も無いのでしょうか?「日本​は経済は一流、政治は二流」という風説を本気に信じて、政治に口​出しているつもりですか?大きな勘違いです。全世界が、日本経済​を軽蔑し始…
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科学的方法は、それほど科学的だったのか?     本多敬

科学的方法は、それほど科学的だったのか? 「科学的方法」に基づいて決めた物事が受け手によって妥当性の判​断が分かれる、という事例として、現在絶対に無視してはいけない​顕著な事例として、原子力災害を科学的方法で調べた研究者が科学​者集団内部で政治的に!村八分されてしまったことがあると思いまR…
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ゴダール映画の六十年を回想する     本多敬

・ゴダールの五十年代。モノー家追放に​帰結した、混乱のパリ時代の後、ダンデイな青年となる。​ブルジョア両親の厳格なモラルと、時代の進歩的息吹、社会民主主義に背​を向けて無為に過ごした。前衛芸術と大衆芸術のコミュ二ケーター、都会的コスモポリタン、耽美主義的アナーキストの方へ歩み出す。 ・ゴ…
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大島「マックス、わが愛」を考える    本多敬

大島「マックス、わが愛」; 戦後イタリア映画の女性達は、祖国の被占領ということに関心があ​りません。そんなことはどうでもよろしい、もっと大事なことは、​愛が存在するかどうかなのよ!と、この問いかけから、真の抵抗が​生まれました。    ところで、大島渚「マックス、わが愛」に反発した観客は、…
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大島「夏の妹」を考える    本多敬

大島「夏の妹」;ある日、少女は、沖縄の青年から手紙を受け取り​、夏休みを利用して、兄と称する彼に会うため沖縄へ行く、という​設定。沖縄と日本の関係を物語る映画である。ジョイスのフィネガ​ンズ・ウエィクの言葉は、この映画のエッセンスを物語る。「君を​産んだ子宮と僕も時々吸った乳房を断…
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大島「青春残酷物語」を考える   本多敬

大島「青春残酷物語」;監督の仕事は壺の中に迷い込んだ蠅を逃が​してやること、換言すると、死の島である日本の中に迷い込んでし​まった若者達をそこから脱出させるには、エロスである他者が発す​る声の領域の方へ一歩一歩と歩ませるしか方法がないのだ。映画は​、放火と死に隣接した不在の空白を映し出す
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大島「太陽の墓場」を考える    本多敬

大島「太陽の墓場」;日本は、「ソ連衛星国」という様な意味では、「独立」した国家だが、「アメリカ資本主義」という側面において、被占領地帯である。大阪のドヤ街を舞台に、血売屋や愚連隊の抗争の描写を通して、戦後日本のファシズムの、新たにアメリカ資本主義と築く協力関係を、寓意的に告発した
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大島「儀式」を考える   本多敬

七十年代の大島渚「儀式」は海外から高い評価を受けた。この作品は、日本人の「土」に対する愛国的な執着を描いている。主人公マサオは日本社会の息苦しさから逃れようとき、地面に耳をあてる。敗戦時の混乱の中で中国の地で生き埋めにされた弟の声をききとろうとするのだ。息苦しさは愛国的復興の隠喩 大島渚「儀式」(1971)は、日本人の…
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大島「白昼の通り魔」を考える    本多敬

大島「白昼の通り魔」;大島曰く、映画をつくること、それは世界に罪をもたらすことにほかならない、と。映画は、犯罪者の狂態にぶつかっていく。日本人のプチブル的なリアリズ​ムと、健全なバラ​ンス感覚を軽蔑して嘲笑う。人間の、(なに​によっても囲まれない)愚鈍さを、シンボリックに表現する
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大島「新宿泥棒日記」 本多敬

大島「新宿泥棒日記」;これは割れた仮面である。これは舞台の逆立ちである。これは神殿としてのテントである。こうして、構想力は、感性的なものの外では自らの支えとするものは何も見出す事ができないのに、なぜ、芸術に於いて自らを無限なものと感じるのか。理性から理性を盗む泥棒によって、である
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大島渚「日本映画百年史」   本多敬

私は、過去の日本映画は、戦争、貧困、そして家と社会の​封建性の被害者である、民衆の意識にひきずられすぎてい​ると考えていた。民衆が被害者意識を持つのは仕方がない​。作家までも持ってどうする。作家は人間が自由になる道​を探すべきではないのか。たとえ苦しくとも、たとえ傷つ̴…
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最高裁判所裁判官たちへの手紙    本多敬

日本の最高裁の裁判官たちは、米国起源の憲法判断回避ルールの真意を全く理解せず、ただ真似しているだけ。この愚かな現実を、どう考えたらいいのでしょうか?驚くべきことに、今日、古代ラテン語の法諺の紋きり型が作動しています。「解釈は法律が無効になるよりは、むしろ有効になるべし」Interpretatio fienda, est ut r…
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大島「忍者武芸張」 takashihonda

大島「忍者武芸張」;現代生活を形づくるグローバルなメディアと市場は、境界や帰属を超えた世界へと私達を招き入れる。こうした勢力に打ち勝つ人間の資質が「忍者」だ。「忍者」によって、場所や物語、記憶や意味、出来事とアイデンティティが蘇る。日本人を世界に位置づけ、道徳的独自性を与えるのだ
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大島渚「絞首刑」  本多敬

大島渚「絞首刑」は、68年パリ革命前夜に上映された。昨年ダブリン上映のためにプロダクションとの交渉を手伝った。国家権力の暴力たる死刑制度に対して、五十年代の日本人は七割近くが反対したが、現在は八割が賛成。この歴史的な問題を人間的条件の問題に、サルトル的主題に還元していいのだろうか
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大島「少年」  本多敬

大島「少年」;辺境地を移動する父の心像風景において、刻印される表徴は、「ここまで我らの領土」とする愛国的征服である。この征服の線は、「家族」の領域も横断する。ブルジョアの貪欲な開拓精神が痙攣しだす。この父の傍らで、「無表情」の避難地へ亡命した少年は、説明可能な世界の外部で遊ぶのだ
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