テーマ:批評

感想文ー東京演劇アンサンブル憲法集会『憲法を語ろう』 (5月17日)

第六回憲法集会は、「物語」「弁舌」「歌」から成り立っていた。つまり、寸劇仕立て『くらべてみよう 自民改憲案』、海自いじめ裁判の弁護団長岡田尚弁護士の講演、林光の憲法前文ソング、という三部構成だ。「物語」をなす寸劇は驚きだった。俳優達が書いた寸劇によって、安倍の憲法改正案の現行憲法との差異が非常に明確になってくるのであった。本当に不思議だ…
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英訳 1

昭和思想史研究会;「中国問題」序論 台湾学生<民主的決起>の意味するところ ー子安宣邦 私はいまあらためて<中国とは何か>が問われるべき問題としてあると思ってきた・「中国問題」をめぐる新たな講座の構想を立てようとしたとき、台湾における<中台服務貿易協定>をめぐる学生による立…
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90年代以降日本ポストモダニズムは, 脱構築ではなく、ノンポリ的右翼の脱抵抗 ?

90年代以降日本ポストモダニズムは<脱構築>ではなく、<脱抵抗> ? デリダの脱構築論は、<抵抗>に定位した思想だからこそ、マィノリティーに向かってHello!と常に言うのです。これについて思い出すのですが、このデリダのジョイス論を読んだアイリッシュは、他者にHelloと言うデリダの…
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'世界史の構造'はヘーゲルの目覚めることができない悪夢

'世界史の構造'はヘーゲルの目覚めることができない悪夢 東アジアにおいて抑圧されていく歴史の記憶。安倍の戦争責任の忘却、2・28事件の忘却、光州事件の忘却、天安門事件の忘却。福島の3・11の忘却。誰が抑圧するのか?ネオリベのグローバリズムである。どのように?民主主義に対する抑圧の歴史を、国家を祀る神話に置き換えることによってだ。…
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柄谷の「江戸の注釈学と現在」(1985)は、それほど注釈学だったのか?

柄谷の「江戸の注釈学と現在」(1985)は、それほど注釈学だったのか? 丸山真男「日本政治思想史」の問題は、想定した西欧のフレームワークに、江戸思想の地図をぴったりとはめ込んでしまう方法にある。柄谷行人が丸山の地図を批判するときこの対応のフレームワークを捨て去ることはなかった。 柄谷が解釈している言葉をひいておこう。「丸…
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柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? ー ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか

(1) 分かりやすい例として、貝塚茂樹と丸山真男の中国認識がいかに、オリエンタリズムを構成するのかをみながら、柄谷行人の中国認識の問題点を分析する手がかりとしよう。実は柄谷が好む言い方に従うと、中国そのものは物自体。寧ろ他者認識としての中国認識がいかに内向きに日本の全体主義の言説を成り立たせるかが問題だ。 貝塚茂樹は、桑原武夫と…
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ブレヒト「屠畜場の聖ヨハンナ」(東京演劇アンサンブル)の感想文 ー その3

ブレヒト「屠畜場の聖ヨハンナ」(東京演劇アンサンブル)の感想文 ー その3 モーラーは痛さを感じていました。最後に、'右側'から街頭に現れたとき、吹雪く寒々とした痛いほどの寂しさから逃げ出したくて、友と出会う為に降りてきてしまったひとりの人間の姿ではなかったではないでしょうか。ヨハンナは孤独に直面します。しかしその孤独(s…
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食べ物が豊富にあるのに一方で飢える人々が大勢でてくるというシステム?

食べ物が豊富にあるのに一方で飢える人々が大勢でてくるというシステム? 十九世紀半ばにアイルランドに大飢餓が起きたときも、百万人が餓死するその傍らで、実は大量の食料が英国の船に積まれていた。これと同様に、現在飢えているアフリカに食料が不足しているわけではない。本来ならば彼らが食べる権利のある食料がことごとく欧米の市場に運ば…
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ブレヒト「屠畜場の聖ヨハンナ」の感想文 (東京演劇アンサンブル公演)

ブレヒト「屠畜場の聖ヨハンナ」の感想文 (東京演劇アンサンブル公演) 公の空間とは、未来の世代に大切なことを伝える空間のことである。この公の空間は、人びとが妨げられずに自由に接近できる'道'として思い描かれてきた。そうして、例えば、1939年の'子供の十字軍'では、迷った五十五人の居場所を伝える救いの手紙を一匹の野良犬に託…
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3・11に、生きること

3・11に、生きること 3・11 以降、小さな人間たちは現れたのは、外部からでした。大きな人間の決定に介入するために、新しいものを加える行動が必要だとかんがえたのです。自由とは、このように、外部の人々が新しいものを加える行動を共有することです。また行動とはプロセスとしてしか定義できないようなXです。さて歴史的にいっても、小…
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こんにちわ、嘘だらけの、五輪なき五輪

オリンピックの開催のせいでロンドンの建設費に優先的に固定されてしまったことが、ロンドンオリンピックでの深刻な問題であり続けました。不況で疲弊した地方に必要なカネが回らないのですね。同様に、この問題は東京オリンピックまでの7年間の問題となる可能性大です。これ以上、アベノミクスの貧富の格差に、東京と地方の格差が加わることを許してはなりません…
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原初のテクストを映画に与えることー ゴダールの芸術至上主義について問う

原初のテクストを映画に与えることー ゴダールの芸術至上主義について 「子の曰く、吾、衛より魯に反(かえ)りて、然して後、楽正しく、雅頌各得(がしょうおのおの)其の所を得たり」(「論語」)。嘗て定位した共同儀礼のホームレスとなった詩と’音楽が意味を喪失した後世に、詩とは何か、音楽は何かが問われたと子安氏は指摘した。孔子だけではなく、…
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ゴダールの方法 ー 映画と資本主義と全体主義

1、演劇と映画 対象を追うという言葉は、演劇人が依拠する訴因的中心の構成を言い表している。対象とはなにか?それは、与えられた脚本から解釈し再現しなければならぬ、そこに作者が定位しているとみなされる言語的射程をいう。だから、映画人が軽々と、「フレームを通して対象に迫る」と自慢するのをきくとき、演劇人にとっては、肩を竦めるほど…
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「はだしのゲン」は生活者の視点から対象(「原爆」)に意味を批判的に与える作家の抗議に属する行為だった

国家を超えた普遍性に関わろうとした重い言葉と、僅か四コマに、視点から視点へと螺旋状に沿って軽やかに変化していく映像の流れ、衝突する照明のコントラスト、衝突するアングル、そして版画の如き太い線で浮かび上がらせた彫刻みたいな人間の質量感、この全部が作者の躍動する精神を証言していました.ー「はだしのゲン」です。 「はだしのゲン」には…
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ふくろう猫、アイルランドを語る

ふくろう猫、アイルランドを語る もうこの時代は、不確定で無数に生じるあっちこっちとしか関わるしかないと思ってます。それでパスカルの問いをそのまま言うのです;なぜこのわたしは彼方側ではなくて此方側にいるのだろうかと。この問いだけは確かなことです。外国では大変受けた捨てこの台詞も(笑)、此方ではただ不審がられてしまいます(汗)。此方…
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英語の歴史について言っておきたい二、三の事柄

Question;近代のイギリス英語はいつ、形成されたのでしょうか? Answer; 17世紀の欽定聖書(英語訳)をベースに発展したというのが定説です。古代ヘブライ語から英語に翻訳したのです。歴史豆知識ですが、当時ドイツ語よりも、もっと未開で野蛮な地方言語である英語に翻訳するのは絶対無理という声があったとか。さて、16、17世紀の…
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近代主義と反近代主義、原発推進派と反原発派  

近代主義と反近代主義、原発推進派と反原発派   乱暴かもしれないが、非難を恐れずにあえて分かりやすく図式的に整理してしまうと、こうだ。近代主義の原発推進派からみると、反原発派の生命の讃歌と一体としてある主張は、前近代的な不合理なもの(自然)に対する寄生にみえる。一方、反近代主義の反原発派からみると、原発推進派が国…
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これから心配しなければならない二、三の事柄

これから心配しなければならない二、三の事柄 これからは、首相靖国公式参拝の問題ひとつとっても、嘗てないほど深刻な問題となるのでしょうか。最高裁は小泉首相の靖国参拝を正当化し、信教の自由と政教分離の原則を空洞化してしまいましたが、それでもまだ、われわれは憲法を盾にこれに対して抗議もできます。それによって、ギリギリでしょう…
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参議院選挙の後にわれわれはどこにいるのか?われわれはどこへいくのか?われわれはどこにいたのか?

参議院選挙の後にわれわれはどこにいるのか?われわれはどこへいくのか?われわれはどこにいたのか? 一年前に発表された自民党草案について知らないでは済まされないでしょう。が、実際は殆ど知られていないのが非常に残念。知ろうともしないと形容したほうが本当かもしれませんが、今回の参議院選挙からは、拡がっている”反知性主義”の決定的…
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(2)、(編集中)思想における他者の介入 -言葉を中心としてー

三、子安宣邦著"「アジア」はどう語られてきたかー近代日本のオリエンタリズム"(藤原書店、1993)の感想文 「アジア」はどう語られてきたかは、アジアに包摂されるわれわれはどう語られてきたかという問いを含んでいる。だから、子安氏はこう語り出すのである。私の宣長への関心は、「われわれ日本人」とか「われわれの日本語」といった日…
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(1)、(編集中) 思想における他者の介入 -言葉を中心としてー

1、(工事中) 思想における他者の介入 -言葉を中心としてー 1、子安宣邦「思想史家が読む論語ー「学び」の復権」の感想文 - 「論語」と戦後憲法(前文)と 丸山真男の江戸思想のシナリオ(「日本政治思想史研究」)は、ポストコロニアリズ的語彙によって、翻訳できないことはない。主観哲学に定位する仁斎を批判した、徂…
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(3)、(編集中)思想における他者の介入 -言葉を中心としてー

六、「国家と祭祀」 祀る国家、戦う国家の絶望とはなにか?滅びゆくものから、言葉・音・石・色から、不朽のものを創り出そうとする、その絶望的な試み。形をまとった空間が、時代を超越していくために。ニ十年ごとに繰り返す「再帰する始源の呪縛」がその形態のひとつに過ぎない。 さて明治を総括すると、祀る国家、戦う国家であった。靖…
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子安宣邦氏;「日本思想史」の成立とイスラム世界ー和辻哲郎と大川周明ー(「日本近代思想批判」)の感想文

子安宣邦氏;「日本思想史」の成立とイスラム世界ー和辻哲郎と大川周明ー<「日本近代思想批判、ー国知の成立」(岩波現代文庫、2003年)より>の感想文 帝国主義と旅行者の視線、この両者はオリエンタリズム形成の条件だった。例えば、19世紀末帝国アカデミの画家は旅した仏領の風景を描いたのであった。30年代に西欧の視線の客体から主体…
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1、(工事中) 思想における他者の介入 -言葉を中心としてー

1、子安宣邦「思想史家が読む論語ー「学び」の復権」の感想文 - 「論語」と戦後憲法(前文)と 丸山真男の江戸思想のシナリオ(「日本政治思想史研究」)は、ポストコロニアリズ的語彙によって、翻訳できないことはない。主観哲学に定位する仁斎を批判した、徂徠の「公」という男性原理の領域の成立は、被治者が属す感性的領域から超越…
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東京演劇アンサンブル「忘却のキス」の感想

・舞台とはそもそも遠くからくる。そして意外にも、プイグとプルーストが見事に描いたように、キスも同様に、そもそも遠くからくるのだ。隕石よりも遥か遠くからかもしれぬ。キスがもつ異様さとは何か?キスがもつ異様さとは、同一的に安らうものに他者が与える異様さである。そうして、出会われるキスの他者性は、「リカルダ」の生を絶えず外部へと開いて…
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子安宣邦氏の公開講座「歎異抄の近代」・第3回(昭和思想史研究会主宰)の感想文

「吾人の世に在るや、必ず一つの完全なる立脚地なかるべからず。若し之なくして、世に処し、事を為さむとするは、恰も浮雲の上に立ちて技芸を演ぜんとするものの如く、其の転覆を免るる事態あたはざること言を待たざるなり、然らば吾人は如何にして処世の立脚地を獲得すべきや。蓋し絶対無限によるの外ある能はざるべし。・・・吾人は只だ此の如き無限者に接せざれ…
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子安宣邦著「日本人はどう中国を語ってきたか」(2012.青土社)

天安門広場事件から簒奪された「事件性」を取りもどすこと、今日神話的に内側に絡み取られてしまった言説から、批評にもとづくリアルな歴史を取り戻すために、子安宣邦氏は、本書「日本人はどう中国を論じたか」を書いたのではないだろうか。「日本人はどう中国を論じてきたか」という問いとは、なによりも、「われわれはどう他者を語ってきたか」という開…
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3・11以降の思想の肖像(2a) われわれはどうマルクスを論じるのか

1、イェニーとは誰か?イェニーは、亡命したマルクスと一緒にやってきた。かれらは、始めロンドンの市中のソーホーに住んだ後、ハムステッドの広い住居へ移った。イェニーは、悪筆で判読不能なマルクスのドイツ語の原稿をくまなく清書する役目を負っていた。 2、ちなみに、マルクスの原稿を清書するイェニーの姿は、ジョージ・オーゥエルの原稿を…
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3・11以降の思想の肖像(1) われわれはどう他者を論じてきたのか ー 中国論

1、「倫」は、「人+(音符)リン」で、短冊の竹札を集めてきちんと整理するさまを示し、更にここから、人間の間がらの意をあらわす。例えば、貨幣と商品の関係に還元されない、人と人との関係がある。結局、倫理はここ、関係の探求に至る。「マルクス問題」を問うことは、畢竟「倫」を問うことである 2、日本の知識人たちが政治問題に直面すると…
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3・11以降の思想の肖像(3a) われわれはどう映像を論じるのかーゴダール 

映画の世紀という、あるいは二十世紀という繰り返してはならない終え方  1 ワークショップ;「この紙の上に、あなたの視野を簡単な絵で描けますか?」。とそこで、風船のように楕円状の形をした囲いの境界線上の任意の一点にある眼球を描くとしよう。しかしこの図に対して、ヴィットゲンシュタインは簡潔な説明を与え…
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