テーマ:映画

ゴダール「Adieu au langage (さらば、愛の言葉よ)」

ゴダール「Adieu au langage (さらば、愛の言葉よ)」を鑑賞しました。 ’さようなら’を言う者は、ウィットゲンシュタインの例のように、常に正反対の意味に行くことになります。 ゴダールも別れを告げたこの路に他の路(森)を見つけたが、しかしここから再びはじめるとしても、自分よりも人間を思って彷徨う犬 (哲学) に変容した、詩人…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ゴダールによって知識人の特権を得た、日本の映画批評家達はなぜ、パレスチナ問題に沈黙したままなのか?

政治は政治、文学は文学? ジョイス研究者に限らず、海外文学に寄生してきた日本の文化人達は、ジョイスがいかに現代のアイルランドを描く上で古代イスラエルのオリエンタリズムを必要としたかを知っているのに、パレスチナ問題に沈黙しています。これと同様に、政治は政治、映画は映画? ゴダールによって知識人の特権的な特別列車席を得たにもかかわらず、日本…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ベルイマンBergman「夏の夜は三たび微笑む」(1955) の感想文

昨夜観たベルイマンBergman「夏の夜は三たび微笑む」(1955) は、ベルイマンが世界に出ていくさきがけとなった映画だそうです。見事に、複数の視点が共に働く映画の例ではないでしょうか? (女性に抑圧的な)男性優位の社会がこの上に成り立つ、軽蔑の喜劇の三すくみ構造とは、法律家が神学生を軽蔑し、貴族が法律家を軽蔑し、神学生が…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

21世紀のルードヴィッヒ映画を観た感想文

Creative madnessという言い方があるが、その創造的狂気といえば、ヴィスコンティーのルードヴィッヒ。かの作品に圧倒されない人はいないが、比べると、最新のルードヴィッヒ映画は地味だがそのかわり史実がよく分かる。バイエルンの王がとった平和主義の文化戦略の意義について考えた 最近の映画レストランのメロドラマコースは、コスチュ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

トロッタ監督を称える

トロッタ監督を称える トロッタ監督を称える 物語を離れて、もっぱらイメージの流れを分析 NY高層マンション。アーレントは窓の前に立つ。部屋に管理と権力のテレビ。階段を降りるとイスラエルの地に繋がる。驚くのは、アイヒマンを中継したテレビの前に再び座ることだ。立つよりも座ること。座るよりも寝る方が、近代=テレビの息苦し…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

映画「ハンナ・アーレント」の感想文 ー 人間の条件を問うこと

映画「ハンナ・アーレント」の感想文  ー人間の条件を問うこと 'The New Yorkers'に連載した投稿したアイヒマン裁判の報告記事は、大スキャンダルとなった。なぜかくも大きな反発が、ハンナ・アーレントに向けて起きたのだろうか?アーレントは自身がユダヤ人であることを否定しない。そうでればこそ、アーレントは、ユダヤ人…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

トロッタ監督「ハンナ・アーレント」の感想文

トロッタ監督「ハンナ・アーレント」の感想文(本多敬) 「ハンナ・アーレント」の鑑賞では、 同監督の「ローザ・ルクセンブルグ」との連続性を意識して観ることができた。(そうやって観てなにが悪い?)ローザ・ルクセンブルグを演じた女優バルバラ・スコヴァしか、ハンナ・アーレントを演じることができなかったのである。その必然性はどこにあるのか…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

結局、ゴダールしか残らないその理由とは?

1 50年間ゴダールの映画は、それぞれの時代にそれぞれの課題をもちました。日本で公開されたときも映画「ソーシアリズム」は、反ネオリベグローバリズムの人々に支持されていました。五十年代後半から頭角を現したゴダール達のヌーベルバーグ運動(新しい波)は映画におけるダダ的な前衛芸術の継承 2 ダダは、二十世紀モダニズム運動を牽引したキ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ブレッソン「白夜」の感想文

ブレッソン「白夜」を鑑賞。これほど言葉が少ない視覚的に豊かな作品について見た感想を書くのはかえって難しいのです。ドストフェスキーの声、ブレッソンの声。そして部屋の中で録音される画家の声。出来事に帰るかれの言葉は公の空間には与えられません。自己を投射した言葉の内側でこそ、精神的創作が可能となるからでしょう。これがブレッソンです!  …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

トロッタ監督「ローザー・ルクセンブルク」の感想文

今日は、トロッタ監督「ローザ・ルクセンブルク」を鑑賞した。 オットー・ザンダーが、ローザの友人カールを演じた。ベンダース「ベルリン天使のうた」の天使の一人として現れたこの役者は、(今年三月東京演劇アンサンブルが日本で初公演した)ボート―・シュトラウス作「忘却のキス」においてイェルケを演じたのであった。今日みた映画「ローザ・ルクセンブルク…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ハネケ「愛アムール」の感想

ハネケ「愛アムール」を観た。ピカソのドアの様に幽霊の侵入が暗示される。窓から鳩が二回入ってくるのは、受難の大洪水の神話的喚起か。この映画は、ゴダールのアルファビルとÉloge de l'amourを理解させてくれた。親しさに介入してくる、他者=神=死の畏怖すべき不均衡。物語の無力。 もう一言いえば、ハネケは、ヨーロッパについ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

現代映画の特徴とはなにか?大島渚「少年」から考える

現代映画の特徴は、言葉(言表性)と物(可視性)の分裂にあります。大島渚「少年」ほど、この分裂を巧みに利用した映画作品は他に滅多にありません。マグリッド・デュラスの「インディアンソング」ぐらいでしょうか。 さて、「少年」は、運転者から示談金をゆすって生きる変な家族を描いています。父は戦争で負傷したことを口実になにもせず、もっぱら妻と…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大島渚を語る -OSHIMA, JAPANESE ICONOCLAST 大島渚 日本における偶像破壊

<大島渚を語る> 大島渚は好きだ。ただ日本語で書かれた彼についての映画評は苦手。民衆史から語るものが多いが、笑止。この民衆史は、知識人の土に対する執着に過ぎず、近世の藩の帰属意識から由来するというのが私の自説。民衆史における偽の対抗概念として、相補的に、かならず天皇が現れる。明治以降墓の執着に変容したという藩意識は、民衆史という共同幻…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

3・11以降の思想の肖像(3a) われわれはどう映像を論じるのかーゴダール 

映画の世紀という、あるいは二十世紀という繰り返してはならない終え方  1 ワークショップ;「この紙の上に、あなたの視野を簡単な絵で描けますか?」。とそこで、風船のように楕円状の形をした囲いの境界線上の任意の一点にある眼球を描くとしよう。しかしこの図に対して、ヴィットゲンシュタインは簡潔な説明を与え…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

映画の世紀という、あるいは二十世紀という繰り返してはならない終え方ー3・11以降のゴダール論  1

映画の世紀という、あるいは二十世紀という繰り返してはならない終え方ー3・11以降のゴダール論  1  1 ワークショップ;「この紙の上に、あなたの視野を簡単な絵で描けますか?」。とそこで、風船のように楕円状の形をした囲いの境界線上の任意の一点にある眼球を描くとしよう。しかしこの図に対して、ヴィットゲンシュタインは…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ソクーロフ監督「ファウスト」の感想

「ヨーロッパは時々ファウストをやる。彼らはファウストがあるんだな」と、渡辺一民氏は語っていたが、ご覧になったソクーロフの映画にはあまり関心がなかったようだ。昨夜は銀座で、気になっていたこの映画を鑑賞した。 ロシア的かそうでないかは別として(笑)、舞台言語に依存しない、レンズの視覚的効果を最大限に駆使した極めて映画的な映画だった…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ウディ・アレンの新作、「ミッドナイト・イン・パリ」の感想

共和党右派ティーパーティーなるものは、米国だけに起きている内向き集団幻想ではない。それは、「金」を「神」と拝む世界的傾向なのだ。そんな「神」の与党に組することなく、ウディ・アレンは「僕は神の忠実なる野党だ」と看破した。新作はその「野党」の場所を二十年代パリに描き出していたね
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ゴダール「映画史」研究 - 二十世紀精神史と知識人の歩み

精神というのは、全体を少しづつしか知ることができません。ところで、絵画の高級文化であれ、映画の大衆文化であれ、どんな対象にも、精神は、歴史を見出し,これについて熱心に語ります。記録化の欲求とは別に、現在自分達がどんな時代に生きているか知りたいとする強い人間的な欲求を、精神はもつからでしょう。 ちなみに、映画といえば、ニ十世紀に、現代の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

映画はアイルランドへ行く

映画はアイルランドへ行く ダブリンでの東北震災の映画上映は、好評のうちに無事終了したようだ。コメントが沢山あるとのこと。思い返すと、マスコミの沈黙に怒った昨年この時期は、反原発集会デモの映像を海外に流し、集めた意見をネット上で執拗に公開した。このとき、関東震災直後を舞台とした、大杉栄の小説も一緒にネットに発信した。そして、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

3・11以降に考える、ゴダール「映画史」の意義とその問題提起     本多敬

ゴダール「映画史」は20世紀精神史を編集した映画だ。20世紀といえば、二つの世界大戦と、二つの体制である。二つの世界大戦のかんしては、第一次世界大戦のときは西欧の終焉が叫ばれ、第二次世界大戦とヒロシマと長崎の原爆投下で、国家の大義名分など無意味な幻想でしかないことを露呈させた。二つの体制は、いうまでもなく、すなわち、資本主義の解決で…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

映画『大津波のあとに』『槌音』、アイルランド・ダブリンで東日本大震災1 周年追悼上映です !

映画『大津波のあとに』『槌音』、アイルランド・ダブリンで東日本大震災1 周年追悼上映です !  ダブリン・シティーにある、Light House Cinemaという可愛らしい映画館なんですよ。 日本ーアイルランドの仲介役として、今回私がお手伝いさせていただきました。 I have the project of …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「大津波のあとに」(森元修一監督、ドキュメンタリー)の感想

震災の二週間後の仙台、東松島、石巻を撮影した「大津波のあとに」(森元修一監督)を観た。瓦礫に埋もれた写真アルバム、卒業証書を拾い出す人々。人間の土地に対する執着を監督は共感をもって表現した。未来を思い出すことー即ち、救いと。生と死の相補的な関係が風景を通して知的に描き出されている http://fartheron.soragoto…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ヴィスコンティー「ベニスに死す」の感想   本多敬

・ヴィスコンティー「ベニスに死す」雑感;タジューを見て、神々しいギリシャ彫刻というよりは、ルネッサンスのナルシスティックで中性的な彫刻を思った。十五歳男子に顕著な堅固さと脆弱さの間の振幅、マーラ音楽の如きカトリック的マッチョと解決なき迷宮を奏でている。神の顔に対する神秘主義を考えた ・フェティッシュの遊戯?衣装(タジューの…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ゴダール「われらの音楽Notre Musique 」       本多敬 takashihonda

九十年代以降、大事な古典的な映画作品は無視され忘却の対象となっています。これと並行して、デカルトの名が哲学をあらわす固有名詞となっているような意味で、現在、ゴダールの名が映画そのものをあらわすようになりました。五十年間のあいだ、百本を越える作品を制作しました。 『われらの音楽Notre Musique』(2004)は、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ゴダールとオリヴェイラ ー 映画「神曲」を読み解く             本多敬

コスモポリタンのオリヴェイラ監督の「神曲」は、ゴダール映画(​​八十年代以降)の本質を体現した作品だ。故郷喪失者の故郷への​帰​還という主題は、左翼からの批判の対象だろう。フェミニズム​の立​場は、右翼が反発・攻撃するだろう。ゴダールの中での理知​…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

小松左京"日本沈没" のメッセージ       本多敬

「日本沈没」は、京大から兵隊に行った叔父さんとみた。手榴弾に​よる手足の火傷痕が痛々しかった。日本人の愛国心は「土」の執着​に現れるが、小松左京はそれを嘲笑ったのではないだろうか。自分​の国を選ぶ人々の意志に関心があったのだろう。海外に受け入れら​れない日本人は故郷喪失者の苦難を喚起した …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ゴダール映画の六十年を回想する     本多敬

・ゴダールの五十年代。モノー家追放に​帰結した、混乱のパリ時代の後、ダンデイな青年となる。​ブルジョア両親の厳格なモラルと、時代の進歩的息吹、社会民主主義に背​を向けて無為に過ごした。前衛芸術と大衆芸術のコミュ二ケーター、都会的コスモポリタン、耽美主義的アナーキストの方へ歩み出す。 ・ゴ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more