テーマ:思想

意識の流れstream of consciousness を称える

意識の流れstream of consciousness を称える 「'我'考える、ゆえに、'我'存在する」cogito, ergo sum、と、デカルトはいいました。これはなにを意味しているでしょうか?コギトといわれる、この'我'に関しては、二つの性質からみることができます。理念性と身体性です。「'我'考える」は、私のありかたを…
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世界の亀裂は修復可能か?

世界の亀裂は修復可能か? そのイギリス人はアフリカの少年時代に古典ギリシャ語でプラトンを読んだときに得た幸せについて語った後、社会を運河の設計として喩えました。どんな人が外から来るか心配とて最初から他者への信頼を欠いては運河は働かぬといいます。オールドルべラルのAC Graylingさんです。(AC Graylingさんは当時、新…
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極右翼の政治家の前で沈黙する、この国の保守リベラルのアイデンティティー喪失について

極右翼の政治家の前で沈黙する この国の保守リベラルのアイデンティティー喪失について 核物理学であれ、ネオリべの精緻な経済学であれ、科学者が行く世界とは、言論の役割が小さい世界、数学と実験の言語が中心となる世界である。それ以上のことでもそれ以下のことでもない。ところで思想は、かくの如く言論が介入しない世界にそれほど当たり前に依拠…
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'異議申し立て'の運動を称える

先に断っておきますが、私は世の道徳とは器用にそう簡単に仲良くなれない人間ですから、内閣支持率というものがテクノロジーの時代の計量化された黴臭い国民<道徳>としてしかみえないんですね。この点からいっても、運動する主体の側は、「良い悪い」と必要を超えて言ってしまいがちな道徳的な党派的マッチョリズムに絡み取られずに、難しい…
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ケインズを称える

ケインズを称える 戦後体制としてケインズが元々構想していたのは、一国の貿易黒字・赤字のエゴを禁じこれを罰しようとした強力な国際管理システムであった。ケインズにとっては、世界貨幣を、特定の国家が独占するエゴもあり得ない話であった。国家を超えた共存のためのこれほどの生存戦略は、もし倫理学の平面に投射すれば、(アリストレス以来の)et…
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トッド氏と中野氏から学ぶ

トッド氏と中野氏から学ぶ 国会議事堂という堀の内側では、選ぶ民主主義の合理性が醜く極大化し、他方で語る民主主義が歪に極小化している。こういう代表制の危機のときに現れるのが、毎度おなじみの、例の<基底>の言説である。歴史的な集団的感情等の非合理性こそが、民主主義的合理性の基底にあることを見逃すなと説く。 こ…
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ビデオ; 国会を囲む人間の鎖 12月4日

「特定秘密保護法」は、「治安維持法」の復活とみなされる十分な根拠があります。「治安維持法」ができたのが約九十年前の1925年、終戦が1945年、僅かこの20年間のあいだに、30万人もの人が思想犯として逮捕され、3000人も獄死したのです。歴史的事実として知っておきましょう。さて「特定秘密保護法」の問題です。第12条のテロリズムの…
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アルトーを称える

アントン・アルトーを称える アントン・アルトーといえば、ゲイの反体制の詩人。ユダヤ人でしたから、象徴的にいえば、いま話題の例の、ファシズムを苛立たせる「退廃芸術」の範疇でした。現在最も注目されている詩人であります。例外は、アイルランドぐらいですか。愚かにも、かれを単なる狂人にしてしまった昔のフランスの精神医学の役割を演じているつ…
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結局、ゴダールしか残らないその理由とは?

1 50年間ゴダールの映画は、それぞれの時代にそれぞれの課題をもちました。日本で公開されたときも映画「ソーシアリズム」は、反ネオリベグローバリズムの人々に支持されていました。五十年代後半から頭角を現したゴダール達のヌーベルバーグ運動(新しい波)は映画におけるダダ的な前衛芸術の継承 2 ダダは、二十世紀モダニズム運動を牽引したキ…
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異端としての梟猫流朱子学  -1989年天安門広場前にいた人々に捧ぐ

序文 嘗て映画の俳優の何に惹かれるかと問われたとき、ゴダールはこう答え。「俳優がおかすリスク、自分からおかそうとしておかすリスク、演劇においてとは違い、一座によってもテクストによってさえも支えられることなく、撮影されるままになろうとしておかすリスクだ」。実は彼の言葉は政治的である。「一座」は政治権力のこと、「シ…
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トロッタ監督「ローザー・ルクセンブルク」の感想文

今日は、トロッタ監督「ローザ・ルクセンブルク」を鑑賞した。 オットー・ザンダーが、ローザの友人カールを演じた。ベンダース「ベルリン天使のうた」の天使の一人として現れたこの役者は、(今年三月東京演劇アンサンブルが日本で初公演した)ボート―・シュトラウス作「忘却のキス」においてイェルケを演じたのであった。今日みた映画「ローザ・ルクセンブルク…
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なぜ多くの日本人は<芸術>と<芸能>の区別が分からないのか

<芸術>と<芸能> 多くの日本人は<芸術>と<芸能>の区別が分からない。なぜだろうか?一考の価値がある。偶像破壊できるのは芸術だけだ。常に芸術は偶像を破壊するとは限らないけれど、非政治的な領域で政治化したとき、偶像破壊の使命感が芸術家に与えられてくることは確かだ。つまり破壊を伴わぬ芸術の生産は反動的であり無意味だ、と。例えばアナー…
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歴史は行く、救い無き反復地獄の舞へ! -三木清はいかに親鸞を読んだか?

三木清は親鸞をどう読んだか?死に切った<過去>の絶対性とは、末法において死すら死に切った無戒の批判精神のこと。われら、末法に生きる悦ばしき無戒者にとっては、いかなるものであれ、単一的起源の救いを約する<現在>とは切れてしまっている。歴史に鑑みると、無戒者においては、天と地の間に託されたものこそが、解体と結合を繰り返す無…
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居酒屋の「論語」考 

居酒屋の「論語」考 - 「論語」の全部は孔子の言葉ではありませんよ。彼の死後弟子達が加えた言葉が数多あります。一応孔子なる人物が2500年前に実在したという前提で話を進めてみますと、現在の読者(わたしやあなた)は、17世紀の市井の注釈学者・伊藤仁斎を通して、孔子の言葉を読みます。と、同時に、孔子の方も、現在の読者であるわれわれを…
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ノーベル文学賞について

敗戦後、治安維持法で捕まったこの人物の釈放を求めず彼を獄死させたしまいました。これほど、日本人がいかに自ら戦争を終わらせなかったかをあからさまに示した事件はありませんでした。そして現在も、大陸で自ら問題をつくった戦争であるにもかかわらずこの戦争を終わらせるどころか、降伏しない最後の兵隊のつもりで、いつまでもアジア近隣諸国と戦っているつも…
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シェークスピア「テンペスト」と安倍のファシズム

シェークスピア「テンペスト」と安倍ファシズム リーマンショック以降衰えるどころか、かえって確固たるネオリベ支配の世界的傾向に鑑みると、ブルジョアジーの「愛国心」という常識も自明視できなくなってきた。但し、再稼働とTPPによって生存権を破壊するこの国の財界が今まで、文部省を使い教育干渉を行ってきた、人々に押し付けてきた「愛国心」の…
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東京演劇アンサンブル『桜の森の満開の下』の感想文 - 演劇人たちの信頼のこと

モルドヴァ、ルーマニアから帰還した、東京演劇アンサンブル「桜の満開の下」を観劇しました。アイルランド公演とは異なるものをたしかに観たのだという感想をもちました。これは、生成変化する演劇です。ところで原作である坂口安吾の文学に一番欠けているのは民衆です。したがって、演劇の課題は表現上、いかに民衆を呼び出すかということに集中します。そうして…
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原初のテクストを映画に与えることー ゴダールの芸術至上主義について問う

原初のテクストを映画に与えることー ゴダールの芸術至上主義について 「子の曰く、吾、衛より魯に反(かえ)りて、然して後、楽正しく、雅頌各得(がしょうおのおの)其の所を得たり」(「論語」)。嘗て定位した共同儀礼のホームレスとなった詩と’音楽が意味を喪失した後世に、詩とは何か、音楽は何かが問われたと子安氏は指摘した。孔子だけではなく、…
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安吾の「方法としての鬼」が現在のわれわれに問うこと- 坂口安吾「桜の森の満開の下」の別の読み

「桜の森の満開の下」の別の読み ー坂口安吾における近代批判としての鬼神論 「桜の森の満開の下」は、登場してくる鬼はそもそもどこから来たか、結局どこへ行ったのかという幸福なロマン主義的な迷宮に、われわれを誘います。が、迷宮それ自身は、近代に他なりません。つまり、自らの合理的解釈体系の外部を鬼と名づけてきたのは近代で…
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ゴダールの方法 ー 映画と資本主義と全体主義

1、演劇と映画 対象を追うという言葉は、演劇人が依拠する訴因的中心の構成を言い表している。対象とはなにか?それは、与えられた脚本から解釈し再現しなければならぬ、そこに作者が定位しているとみなされる言語的射程をいう。だから、映画人が軽々と、「フレームを通して対象に迫る」と自慢するのをきくとき、演劇人にとっては、肩を竦めるほど…
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「はだしのゲン」は生活者の視点から対象(「原爆」)に意味を批判的に与える作家の抗議に属する行為だった

国家を超えた普遍性に関わろうとした重い言葉と、僅か四コマに、視点から視点へと螺旋状に沿って軽やかに変化していく映像の流れ、衝突する照明のコントラスト、衝突するアングル、そして版画の如き太い線で浮かび上がらせた彫刻みたいな人間の質量感、この全部が作者の躍動する精神を証言していました.ー「はだしのゲン」です。 「はだしのゲン」には…
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ふくろう猫、アイルランドを語る

ふくろう猫、アイルランドを語る もうこの時代は、不確定で無数に生じるあっちこっちとしか関わるしかないと思ってます。それでパスカルの問いをそのまま言うのです;なぜこのわたしは彼方側ではなくて此方側にいるのだろうかと。この問いだけは確かなことです。外国では大変受けた捨てこの台詞も(笑)、此方ではただ不審がられてしまいます(汗)。此方…
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子安宣邦著「鬼神論」の感想文

茅ヶ崎での投票のついでに両親の家に立ち寄り、子安氏の「鬼神論」(福武書店、1992)を二十年ぶりに読み返してみた。鬼神は、キシン、きじん、、おにがみとも読む。昔はお手上げだったが、今回jは、子安氏の、近代日本における文学の独自の意義を措定し、ここにとどまらずして、更にそれを乗り越えんとした意欲をなんとか理解することができた。…
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(2)、(編集中)思想における他者の介入 -言葉を中心としてー

三、子安宣邦著"「アジア」はどう語られてきたかー近代日本のオリエンタリズム"(藤原書店、1993)の感想文 「アジア」はどう語られてきたかは、アジアに包摂されるわれわれはどう語られてきたかという問いを含んでいる。だから、子安氏はこう語り出すのである。私の宣長への関心は、「われわれ日本人」とか「われわれの日本語」といった日…
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(1)、(編集中) 思想における他者の介入 -言葉を中心としてー

1、(工事中) 思想における他者の介入 -言葉を中心としてー 1、子安宣邦「思想史家が読む論語ー「学び」の復権」の感想文 - 「論語」と戦後憲法(前文)と 丸山真男の江戸思想のシナリオ(「日本政治思想史研究」)は、ポストコロニアリズ的語彙によって、翻訳できないことはない。主観哲学に定位する仁斎を批判した、徂…
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子安宣邦氏;「日本思想史」の成立とイスラム世界ー和辻哲郎と大川周明ー(「日本近代思想批判」)の感想文

子安宣邦氏;「日本思想史」の成立とイスラム世界ー和辻哲郎と大川周明ー<「日本近代思想批判、ー国知の成立」(岩波現代文庫、2003年)より>の感想文 帝国主義と旅行者の視線、この両者はオリエンタリズム形成の条件だった。例えば、19世紀末帝国アカデミの画家は旅した仏領の風景を描いたのであった。30年代に西欧の視線の客体から主体…
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1、(工事中) 思想における他者の介入 -言葉を中心としてー

1、子安宣邦「思想史家が読む論語ー「学び」の復権」の感想文 - 「論語」と戦後憲法(前文)と 丸山真男の江戸思想のシナリオ(「日本政治思想史研究」)は、ポストコロニアリズ的語彙によって、翻訳できないことはない。主観哲学に定位する仁斎を批判した、徂徠の「公」という男性原理の領域の成立は、被治者が属す感性的領域から超越…
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(工事中) 北京の「資本論」

イェルムスレフの「言語の図式」;原エクリチュールは、たんに表記的表現の形式と質料においてだけでなく、非ー表記的表現の形式と質料においても、作用を及ぼす。それは、たんに形式を表記的であれ他のものであれあらゆる質料に結びつける図式であるのみならず、内容を表現ー表記的であろうとあるまいとーに結びつける記号=機能sign-functi…
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小田実の言葉の力 

小田実の言葉の力 "<小さな人間>の力が<大きな人間>の過ちを正す。それがデモクラシー"。 小田実の言葉は、やさしい語り口ではあるんですが、いざ英訳しようとすると、中々簡単じゃありません。<小さな人間>は、作家的な言葉へのこだわりゆえの、豊かで複雑な思考をうちに含んだ言葉ではないかと思うのです。例えば、<小さな人間>…
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