テーマ:哲学

意識の流れstream of consciousness を称える

意識の流れstream of consciousness を称える 「'我'考える、ゆえに、'我'存在する」cogito, ergo sum、と、デカルトはいいました。これはなにを意味しているでしょうか?コギトといわれる、この'我'に関しては、二つの性質からみることができます。理念性と身体性です。「'我'考える」は、私のありかたを…
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いかに、悪夢である独我論的眠りから目覚めるか?-三つの悪夢とは、ライプニッツ、自己言及命題、原発依存

いかに、悪夢である独我論的眠りから目覚めるか? -三つの悪夢とは、ライプニッツ、自己言及命題、原発依存 ポルトガルの大地震は、カントをして哲学の独我論的眠りから覚醒させたといわれます。ところで、「この命題は証明できない」という独我論的眠りといえば、<「この命題は証明できない」は証明できない>と永遠に続く悪循環の論理で…
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なぜ、日本では、文学者が、或いは文学的批評家が、知識人と呼ばれるのか?

知識人 ドストフェスキー小説の独白は、精神の自立した構成に属する。しかし、それは、カーニバル的対話との異化的接触からの影響を受けて、原初の純粋な力を失ってしまうほかない。ショスターコーヴィッチのような人は、このことをよく知っていたかもしれない。 さて、「若い芸術家の肖像」のスティーブンは、意識の流れの中心点である前に…
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オペラは二度死ぬ? 誘惑者としてのオペラの力とは何か? -ジジェク派による新しいドン・ジョヴァニ像

オペラは二度死ぬ? 誘惑者としてのオペラの力とは何か? -ジジェク派による新しいドン・ジョヴァニ像 1、ドン・ジョヴァニは女たらしとして、あるいは悪魔的な罪人として非難されるべきなのか。音楽的な誘惑者、ドン・ジョヴァニは、召使のレポレッロのリストが正しいとすれば、2065人の女を誘惑する。ドン・ジョヴァニの言語に対する圧倒的な力は…
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存在とはなにか?    本多敬

1、存在とはなにか?ドン・スコトゥスとアルトーは、この石が分割不可能であること、この身体が分割などはできはしないことを主張した。存在の問題は、分割不可能性と関係している事を見抜いていた。同様に、スピノザ「エチカ」によると、自然たる神は分割できないゆえに、存在と関係していると考えた 2、ハイデガーは普遍主義を存在論的に攻撃し…
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Mamalujo, mamalujo(ジョイスの造語)のマルチチュード性

ネグりは語る。「諸個別性の間の差異の外部には、即ち「人間である事」という表現の根源性の外部には、マルチチュードは存在しない。「共和国をつくる事」との関係を離れては存在しない。「マルチチュードをつくる事」、それは愛を求める事であり、欲望という形でコナトゥスを実現し・・恐らくそれ以上のものだ」 さて、ジョイスの造語Mamalujo…
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なぜ、ゴダール映画はコンセプチュアルアートの外観を呈すのか? イェルムスレウのモデルから考える

イェルムスレウHjelmslevの自然言語の記号論的モデルは、ドゥルーズ=ガタリ「ミル・プラトー」を規定する基底の一つである。D=Gはこのモデルを修正した上で依拠した理由に、規約主義(ソシュール記号学とウィットゲンシュタイン言語ゲーム)では、ゴダールを分析できなかったからだと思う 自然言語(記号論的システム)においては、「…
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なぜ、ゴダール映画は構造とみなされるのか?ー全体性・変換性・動的発展ー

1、ピアジュが提示した構造の条件をなす、全体性とはなにか?遠山は数学的構造を例にとる。群の単位元eは、群という構造のなかでそれが占める特殊な性格、即ち、他のものaとかけて他のものaとなる、という性格によって規定されている。ea=ae=a これは構造の中の有機的な構成部分なのである 2、この点が、それ自身が他とは独立に存在し…
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ジル=ドゥルーズ、「恥辱」を語る  -感情と政治を結びつけるものー

『..あまりにも凡俗な考え方に接したり、テレビのバラエティー番組を見たり、あるいは大臣の演説や、「楽天家」のおしゃべりを聞いたりするとき、私たちのすぐ目の前に恥辱があるのです..』 <ジル・ドゥルーズ『記号と事件』より> ・マーケット(あまりにも凡俗な考え方)、視聴率(テレビのバラエティー番組)、支持率(大臣の演説、楽天…
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マルクスとデリダ - 新古典派経済学の均衡概念は西欧形而上学の「声」に対応する

1、 一九六〇年代に仏共産党が問題提起した国家独占資本主義の研究は、米国マルクス経済学者達によって発展をみた。やや乱暴だが、今風にこれを描写すると、大企業は、国内に、参入障壁、即ち、保護貿易的なものを導入し、市場の機能を自分達に都合よく支配し利益を最大化する。資源の効率的な最適配分を犠牲にしてである。 本来ならば、これに…
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フランス思想は存在しなかった。私達が存在すると思っていたそれは、どこから来たか?どこへ行くのか?  

フランス思想は存在しなかった。 私達が存在すると思っていたそれは、どこから来たか? どこへ行くのか?   ・なぜ木を切るのが好きな人が多いのか、いまやっとわかりました。それは、すぐに結果を知る事ができる行為だからでしょう 、とアインシュタインは語る。他者との論争は、誠実さや真摯を伴なわなければ、木を切る行為と同じ、言葉の…
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思想空間としての知の表現 ー 構造主義とポストモダニズムから、再びサルトルへ

闇の季節から、冬の肖像画へ。暗闇の内部のなかだからといって沈黙は許されない。かくも人間の疎外が起きる理由を問い続ける。原点はヘーゲル「精神現象学」だったから、ここから、知の自立した思想を考えよう。それから、思想空間としての知の表現ー構造主義とポストモダニズムから、再びサルトルへと 行列の成分配置のうち、自分の状態を計量する…
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ヨーロッパの原点を哲学的に考えるーEUとTPPの違いはなにか?

哲学はどこにもあるーヨーロッパの原点を考えるーEUとTPPの違いはなにか?-ライプニッツのモナド論、ヘーゲルの知の主体性、青年マルクスの疎外論 EUの捉え方には様々な切り口があります。二度の大戦を反省した平和戦略、元々米国と日本に対する、現在は中国に対する保護貿易体制、アラブ世界に対する捏造されたアイデンティティー。哲学的…
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ドゥルーズ=ガタリの概念;欲望の生産性、器官なき身体、(戦争を必ずしも伴わない)戦争機械

・エゴな欲求を否定し理性へ向かって越えよ、と説教してもね、無駄無駄。だって、人間から自己保存の欲求を排除するのが不可能なのは、人間から身体を排除するのが不可能なのと同様だから。この自己保存の欲求をスピノザとルソーは消去しない。「自己愛」のルソーはスピノザほどには唯物論的ではないけど ・さて、唯物論的肯定のスピノザ主義者、ド…
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コーヒーと哲学の十分間 ーいかにして存在論は、「ある/存在する」から「書く」へと至るのか   本多敬

α、「ある」ー「存在する」ー「書く」という系列に、「文学」という個物を関連づけよ。文学である、文学が存在する、文学を書く、という一連の複合的系列の記述が可能である。哲学的内省は、この複合的系列の記述に即して、人間の思惟のプロセスを批判的に考えようとするのだ β「文学である」というこの自己規定性は、「文学でない」とす…
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サルトルの復活を考える   本多敬  

全体主義化しかねない現在のフランスで、この十年ぐらい、サルトルが復活しつつあるという。国家から自立した戦争の意義の理論化は、フランスの被占領時代の、対独レジスタント運動を予告するものであったし、。戦後のアフリカ諸国の植民地解放闘争、パリ革命の自発的な大衆運動と新左翼運動に、知的な枠組みを与えた 「奇妙な戦中日記」は、「弁証…
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コーヒーと哲学の十分間 ー 啓蒙主義者を啓蒙したカントの伝説を読み解く    本多敬

「科学的方法は本当に、それほど科学的か」というテーマの記事を書いているうちに、メートル法が発展していく初期の歴史のことを考えました。 フランス革命初期に成立した国民議会は1790年「自然の標準に準拠し、永遠に世界で用いられる新単位系」として、メートル法が確立されました。 この文中の「自然」という文言は、文字通り自然科学の…
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科学的方法は、それほど科学的だったのか?     本多敬

科学的方法は、それほど科学的だったのか? 「科学的方法」に基づいて決めた物事が受け手によって妥当性の判​断が分かれる、という事例として、現在絶対に無視してはいけない​顕著な事例として、原子力災害を科学的方法で調べた研究者が科学​者集団内部で政治的に!村八分されてしまったことがあると思いまR…
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日本人の核​アレルギーは、「正義」に値するか?   本多敬

日本人の核​アレルギーは、「正義」に値するか? 日本人の核アレルギーは​、外国人には容易に理解できない、ヒロシマとナガサキという固有名と歴史に根ざしたもので​す。それは、主観的に心理的なもの、というよりは、「正義」として、​日本人の間に実在しているもの、と私は考えます。 そ…
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渡辺一民氏、三木清と林達夫を語る    - 本多敬

ミッシェル・フーコ「言葉と物」の翻訳者・渡辺一民氏が淑徳大学の公開講座で、三木清と林達夫についてレクチャーしています。講義で使った資料を紹介いたします。 第一回 ・第一次大戦は、民衆が国家と国家(フランスとドイツ)との争いに巻き込まれる、総力戦の様相を呈した。民衆の開放感と国家への不信感が戦後、支配的となった…
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三島由紀夫「音楽」を鑑賞する     本多敬

三島由紀夫原作の映画化、「音楽」を鑑賞した。増村監督のイタリアで培った美意識も、開高健の小説の如き凡庸さで色褪せる。政治を避けるからだ。三島はちがう。婦人公論で連載した小説、精神分析医は新左翼みたいだ。結局、フロイト的抑圧の主題も、村落的共同幻想の湿った物語に置き換えられてしまう
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分け前は半分という悪党の正義? - シャブロルの映画「最後の賭け」 本多敬

分け前は半分という悪党の正義? 昨日観たシャブロルの映画「最後の賭け」は、そういう互酬原理を主張していると思えました。窃盗や詐欺で巻き上げても、必ず半分の金を所持人に返しておく、これが主人公の流儀です。盗みは盗み、悪は悪、しかし、映画で観ると、滑稽な事に、盗んだ者からの贈与(ご恩!)が成立しているような不思議な錯覚が起きま…
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善としての互酬制の思想 ー 西田幾多郎、大杉栄、大江健三郎  by本多敬

善としての互酬制の思想 ー 西田幾多郎ー大杉栄-大江健三郎 1、岡倉の東洋の理想は「アジアは一つ」という言葉から始まる。アカデミズムはこの理想を中立化してしまい、よく統御された文体で綴った美術史として扱うが、せいぜいオリエンタリズムにしかならないだろう。岡倉は政治的なのだ。「アジア」は占領地帯にある、と読むべきだ。例え…
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左翼とはなにか? - デリダ、大江、ゴダール     本多敬

1左翼というのはスコラ学者の様に定義したがる。例えば、実体とは何か?属性と様態とは何か?と問い続けるのだ。そして見える定義の集合のなかに、見えない自己定義の集合を差異化させることによって、内部矛盾を抱擁する。私達の歴史のなかに、「私達」に還元できない、他者の歴史を実在化するのだ。 2、哲学者のデリダは、私達の歴史(=声)のな…
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スピノザ、アムステルダムで普遍主義的運河の本を書く   本多敬

「スピノザ、アムステルダムで普遍主義的運河の本を書く」(本多敬) 「人間身体」(スピノザ)は、「個人」と理解しなければならない根拠はない。「人間身体」は、「群集」と解釈できると思う。実際にネグりチュードの思想家達は、「人間身体」とは、多数性=大衆、であると強調する。移民や外国人や失業者や女…
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シャブロル「引き裂かれた女」 by takashi honda

・シャブロル「引き裂かれた女」la fille coupée en deuxを鑑賞。労働者階級の家族を描いた英国テレビドラマ(East enders)の影響がフランス映画に及んでいるという。ヒロインの天気お姉さんは庶民的。ピアニストの男優との共演・・・おいおい、デ・ニーロが現れた! ・「引き裂かれた女」は何か…
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