テーマ:ゴダール

ゴダール「Adieu au langage (さらば、愛の言葉よ)」

ゴダール「Adieu au langage (さらば、愛の言葉よ)」を鑑賞しました。 ’さようなら’を言う者は、ウィットゲンシュタインの例のように、常に正反対の意味に行くことになります。 ゴダールも別れを告げたこの路に他の路(森)を見つけたが、しかしここから再びはじめるとしても、自分よりも人間を思って彷徨う犬 (哲学) に変容した、詩人…
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21世紀は自らをいかに書いていくのか ? ーゴダールのグローバル・デモクラシーとしての肖像画

福沢の英国を称えた言葉全部に従うと、男性原理である英国のアイルランド植民地化を容認しなくてはならなくなります。是は不可能。現在の靖国的全体主義を批判していく為に、ここで書いたのは、後期水戸学派の国体概念排した彼の思想にどんな外からの感化があったかと考える推測です ドイツの哲学者ヘーゲル(1770~1831年)が自身…
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ゴダールによって知識人の特権を得た、日本の映画批評家達はなぜ、パレスチナ問題に沈黙したままなのか?

政治は政治、文学は文学? ジョイス研究者に限らず、海外文学に寄生してきた日本の文化人達は、ジョイスがいかに現代のアイルランドを描く上で古代イスラエルのオリエンタリズムを必要としたかを知っているのに、パレスチナ問題に沈黙しています。これと同様に、政治は政治、映画は映画? ゴダールによって知識人の特権的な特別列車席を得たにもかかわらず、日本…
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結局、ゴダールしか残らないその理由とは?

1 50年間ゴダールの映画は、それぞれの時代にそれぞれの課題をもちました。日本で公開されたときも映画「ソーシアリズム」は、反ネオリベグローバリズムの人々に支持されていました。五十年代後半から頭角を現したゴダール達のヌーベルバーグ運動(新しい波)は映画におけるダダ的な前衛芸術の継承 2 ダダは、二十世紀モダニズム運動を牽引したキ…
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原初のテクストを映画に与えることー ゴダールの芸術至上主義について問う

原初のテクストを映画に与えることー ゴダールの芸術至上主義について 「子の曰く、吾、衛より魯に反(かえ)りて、然して後、楽正しく、雅頌各得(がしょうおのおの)其の所を得たり」(「論語」)。嘗て定位した共同儀礼のホームレスとなった詩と’音楽が意味を喪失した後世に、詩とは何か、音楽は何かが問われたと子安氏は指摘した。孔子だけではなく、…
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ゴダールの方法 ー 映画と資本主義と全体主義

1、演劇と映画 対象を追うという言葉は、演劇人が依拠する訴因的中心の構成を言い表している。対象とはなにか?それは、与えられた脚本から解釈し再現しなければならぬ、そこに作者が定位しているとみなされる言語的射程をいう。だから、映画人が軽々と、「フレームを通して対象に迫る」と自慢するのをきくとき、演劇人にとっては、肩を竦めるほど…
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ハネケ「愛アムール」の感想

ハネケ「愛アムール」を観た。ピカソのドアの様に幽霊の侵入が暗示される。窓から鳩が二回入ってくるのは、受難の大洪水の神話的喚起か。この映画は、ゴダールのアルファビルとÉloge de l'amourを理解させてくれた。親しさに介入してくる、他者=神=死の畏怖すべき不均衡。物語の無力。 もう一言いえば、ハネケは、ヨーロッパについ…
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大島渚は日本のゴダールか?

大島渚は日本のゴダールか?答えはゴダールをどう理解するかによる。ゴダールのヌーベルバーグは、外部世界よりも遠く外に突撃したダダの継承者。大島の「愛のコリーダー」のラディカリズムは、内部世界よりも深く内に向かったシュールレアリズムに属する。主体の内部で主体の位置と態勢を炸裂させよ! NOTRE HISTOIRE pressent l…
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3・11以降の思想の肖像(3b) われわれはどう映像を論じるのかーゴダール 

3 <フレーム>とゴダールが呼んだ建築術こそは、<物で書かれたもの>(フーコ)の編集に対応するだろう、<フレーム>と編集である。、ここから、方法としての映画が可能となる。ゴダール曰く、 "フレーミングはどれもみな生まれながらにして平等で自由である。映画はどれも、フレーミングの抑圧の物語にほかならない。君は、例え…
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映画の世紀という、あるいは二十世紀という繰り返してはならない終え方ー3・11以降のゴダール論  1

映画の世紀という、あるいは二十世紀という繰り返してはならない終え方ー3・11以降のゴダール論  1  1 ワークショップ;「この紙の上に、あなたの視野を簡単な絵で描けますか?」。とそこで、風船のように楕円状の形をした囲いの境界線上の任意の一点にある眼球を描くとしよう。しかしこの図に対して、ヴィットゲンシュタインは…
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映画の世紀という、あるいは、二十世紀という繰り返してはならない終え方ーゴダールの思想 (2)

3 <フレーム>とゴダールが呼んだ建築術こそは、<物で書かれたもの>(フーコ)の編集に対応するだろう、<フレーム>と編集である。、ここから、方法としての映画が可能となる。ゴダール曰く、 "フレーミングはどれもみな生まれながらにして平等で自由である。映画はどれも、フレーミングの抑圧の物語にほかならない。君は、例え…
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映画の世紀という、あるいは二十世紀という繰り返してはならない終え方ー3・11以降のゴダール論  1

 1 ワークショップ;「この紙の上に、あなたの視野を簡単な絵で描けますか?」。とそこで、風船のように楕円状の形をした囲いの境界線上の任意の一点にある眼球を描くとしよう。しかしこの図に対して、ヴィットゲンシュタインは簡潔な説明を与えた。 Das Gesichtsfeld hat nämlich nicht e…
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問題提起; <フレーム>とゴダールが呼んだ建築術こそは<物で書かれたもの>(フーコ)の編集のこと

問題提起; <フレーム>とゴダールが呼んだ建築術こそは<物で書かれたもの>(フーコ)の編集のこと <フレーム>とゴダールが呼んだ建築術こそは、<物で書かれたもの>(フーコ)の編集のことである。<フレーム>と編集、この両者は、ゴダールにおいて、互いに切り離せない関係にある。愛結局ゴダールの最も重要な構想とは、「映…
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レマン湖畔のローザンヌ、ロール、ジュネーブへの旅 Voyage to Rolle, Godard

Text ; Saussure, Joyce, Godard, Einstein and myself Voice; takashi honda レマン湖畔のローザンヌ、ロール、ジュネーブへの旅です! ローザンヌは、ベジャールが活動していたところで有名なんですが、私たちにとっては、八十年代以降ゴダール映画の方向を決…
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ゴダール「パッションのためのシナリオ」 を考える     本多敬

絶滅の危機にあるのは少数言語だけではない。無慈悲にも、この二十年間のあいだに急速に映画の傑作群が忘却の彼方に消滅せんとしている。スイスに隠居したリア王と揶揄されたゴダールの名は、映画を表す代名詞の位置をとり始めた。ゴダールの「リア王」は、分身であるウッディ・アレンに語らせたけれど。ちなみに、「リア王」制作時に撮影された「ウディ・アレンと…
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ゴダールのアンチ・ファシズム <ロマン主義作家による反ロマン主義的行き詰まりの戦略>

ゴダールのアンチ・ファシズム  <ロマン主義作家による反ロマン主義的行き詰まりの戦略> 地理的表象というと難しいが、この国は、西欧といえば、イギリスとフランス、ドイツとイタリアに限定した話だ。そこにアイルランドやハンガリーは含まれない。漱石がそうだ。ただしその西欧が極まると英仏独伊のことですらなく、超越的主体の成立に…
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ゴダール「映画史」研究 - 二十世紀精神史と知識人の歩み

精神というのは、全体を少しづつしか知ることができません。ところで、絵画の高級文化であれ、映画の大衆文化であれ、どんな対象にも、精神は、歴史を見出し,これについて熱心に語ります。記録化の欲求とは別に、現在自分達がどんな時代に生きているか知りたいとする強い人間的な欲求を、精神はもつからでしょう。 ちなみに、映画といえば、ニ十世紀に、現代の…
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3・11以降に考える、ゴダール「映画史」の意義とその問題提起     本多敬

ゴダール「映画史」は20世紀精神史を編集した映画だ。20世紀といえば、二つの世界大戦と、二つの体制である。二つの世界大戦のかんしては、第一次世界大戦のときは西欧の終焉が叫ばれ、第二次世界大戦とヒロシマと長崎の原爆投下で、国家の大義名分など無意味な幻想でしかないことを露呈させた。二つの体制は、いうまでもなく、すなわち、資本主義の解決で…
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なぜ、ゴダール映画はコンセプチュアルアートの外観を呈すのか? イェルムスレウのモデルから考える

イェルムスレウHjelmslevの自然言語の記号論的モデルは、ドゥルーズ=ガタリ「ミル・プラトー」を規定する基底の一つである。D=Gはこのモデルを修正した上で依拠した理由に、規約主義(ソシュール記号学とウィットゲンシュタイン言語ゲーム)では、ゴダールを分析できなかったからだと思う 自然言語(記号論的システム)においては、「…
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なぜ、ゴダール映画は構造とみなされるのか?ー全体性・変換性・動的発展ー

1、ピアジュが提示した構造の条件をなす、全体性とはなにか?遠山は数学的構造を例にとる。群の単位元eは、群という構造のなかでそれが占める特殊な性格、即ち、他のものaとかけて他のものaとなる、という性格によって規定されている。ea=ae=a これは構造の中の有機的な構成部分なのである 2、この点が、それ自身が他とは独立に存在し…
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ゴダール「われらの音楽Notre Musique 」       本多敬 takashihonda

九十年代以降、大事な古典的な映画作品は無視され忘却の対象となっています。これと並行して、デカルトの名が哲学をあらわす固有名詞となっているような意味で、現在、ゴダールの名が映画そのものをあらわすようになりました。五十年間のあいだ、百本を越える作品を制作しました。 『われらの音楽Notre Musique』(2004)は、…
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ゴダールとオリヴェイラ ー 映画「神曲」を読み解く             本多敬

コスモポリタンのオリヴェイラ監督の「神曲」は、ゴダール映画(​​八十年代以降)の本質を体現した作品だ。故郷喪失者の故郷への​帰​還という主題は、左翼からの批判の対象だろう。フェミニズム​の立​場は、右翼が反発・攻撃するだろう。ゴダールの中での理知​…
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ゴダール映画の六十年を回想する     本多敬

・ゴダールの五十年代。モノー家追放に​帰結した、混乱のパリ時代の後、ダンデイな青年となる。​ブルジョア両親の厳格なモラルと、時代の進歩的息吹、社会民主主義に背​を向けて無為に過ごした。前衛芸術と大衆芸術のコミュ二ケーター、都会的コスモポリタン、耽美主義的アナーキストの方へ歩み出す。 ・ゴ…
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ゴダール『映画史3A 絶対の貨幣』    本多敬

『映画史3A 絶対の貨幣』;万人に対する万人の争いを避けよ!?人々は、国家の力によって、野蛮な「自然状態」から逃れたと考えた。しかし戦争嫌いのゴダールからすれば、国家の、人道主義の名を借りた数々の爆撃こそ、そういう「自然状態」に他ならない。政治リーダーである、ロマン主義芸術家の顔
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ゴダール「映画史3B新たな波」    本多敬

「映画史3B新たな波」;戦後映画の傑作は敗戦国から生まれた。伊のネオリアリズム、独のニュージャーマンシネマ、日本の大島渚だ。仏のヌーベルバーグが存在感を示すのは、やっと50年代後半から。ゴダール曰く、本当は敗戦国のくせに、戦勝国として振舞った自己欺瞞が、批判的な思考を弱めたのだと
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ゴダール「映画史2A映画だけが」   本多敬

「映画史2A映画だけが」;歴史研究者は、「そのとき」に自分がまだ存在していなくても歴史学の方法に即して「そのとき」を叙述できる。ゴダールは、この考古学的方法に準じて、映画観客の「そのとき」が積分的に地層化できると主張。総体としての二十世紀史と等価物である、映画史を現実化した
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ゴダール「映画史1B唯一の映画」  本多敬

「映画史1B唯一の映画」;男女の自由な関係が重要だった時代に、映画のスクリーンには、不条理な愛の世界が必然として描き出された。民族・言語・宗教が大切な問題となっている現在では、共同体の葛藤や愛が表現されている。どちらの時代とも、この愛が、貨幣によって、搾取と支配の対象となってきた
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ゴダール映画史1A「全ての歴史」 本多敬

映画史1A「全ての歴史」;エクリチュールの運動は、映像の編集である。デリダは、私達の歴史(声の論理)のなかに、「私達」に還元できない他者(エクリチュール)を顕現化させた。同様に、ゴダールは、私達の歴史(シナリオのシステム)において、「私達」に還元不可能な他者(映像)を発明し続けた
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