言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろ・ねこ、かく語り き 2010 Oct-Nov 本多敬

<<   作成日時 : 2010/11/13 00:19   >>

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2010 Oct-Nov (2)

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3 アート


・マルクスは、古典経済学をユートピア的ロマン主義の政治学と相伴なわせることによって、つまり、非対称性としての「商品」の欲望を批評することによって、「私=私」というドイツ哲学の展開を批判的に分析した。そのシンメトリーの鏡像的な世界、芸術至上主義は虚なのだ。全てが自身を越えていくからだ

・NE CHANGE RIEN POUR QUE TOUTE SOIT DIFFÉRENT なにも変えてはならない、すべてが違ったものとなるように! (CHANGE NOTHING SO THAT ALL CAN BE DIFFERENT)

・美大生との対話。「個性的なもの」は即ち構想力(想像力;事物を関連づける能力)。自己の対象たる感性的領域を越え出て、内省的対話(又は対話的内省)の場である超感性的領域に向かおうとする。結局、理性だけが「超感性的な目的地」を持つのではない。構想力(想像力)もまたそれを持つ

・人間においてすべての能力が自身の限界を超える。理性は自己の対象たる超感性的領域(正義や公平という理念)を越え出て、感性的領域に向かおうとする。つまり理性は「見ること」を欲する。自己実現を要求する。構想力(見る能力)は、自己の対象たる感性領域を超えて、正義や公平を見ることを欲する。

・The New York Times;The High Cost Of Machismo反戦を訴えるもイラク開戦を支持した新聞。欧州ラテン系諸国が債務処理問題で苦しんでいるのは女性の自立が遅れている事実と関係ありという統計を発表。統計学が自己の領域を離れインチキな説教師となる例


・プロスペローの魔術によって、知は自身で円を描いて、自己が属する内部の領域と外部の領域を確定することができた。知が(自身で線引きした)自己の実定的な領域、関数関係的世界の領域に留まる言説を、近代経済学という。知が、外部の価値の領域から、事実の領域に向かう言説を、マルクス経済学という

・マルクス経済学の問題提起は、資本主義世界崩壊の分析でも、社会主義世界の到来の預言でもなかった。事実を対象とする客観的・実証的な知が常に、自身の視野の外へ出ていこうとすること、事実に根拠をもたないモラルの領域(正義、公平、究極の目的)に辿り着く理性の運動を明らかにしたことだった。



4 映画・演劇


・鎌倉にある川喜多記念館を訪ね、小津安二郎監督「小川家の秋」を観た。十年前にダブリンのIrish Film Centreでこの映画を観た。川喜多氏が、練馬にあった哲学者和辻哲郎の家を買い取って住んでいた事を知った。大仏を前にし、アングロアと一緒に写っている写真がとても印象的だった


・ゴダール;Ne va pas montrer tous les cotes des chose /Garde-toi une une marge d'indéfini / 物事のあらゆる側面を見せようとしないこと。/ 未定義の余白を残しておくこと。(異邦人の為の未定義の土地!)


・ゴダールの第一作はジュネーブで撮ったドキュメント作品。"Operation Beton"(1955)。混乱のパリ時代に続く、屈託がなくダンデイなジュネーブ時代。このゴダールに起きた変化は謎である。ブルジョアの両親の厳格な価値観と時代の進歩的息吹に背を向けて、無為に日々を過ごした

・ゴダールの水の話。Une histoire d'eau (1958) 五十年後のFilm Socialism で、貨幣と水は公共的善L'argent est un bien public comme l'eau と言う。新自由主義的市場論に対する抗議、五十代社会民主主義の再評価


・CHARLOTTE ET VERONIQUE (1957) /Godard この映画の特徴を要約すると、政治的コミットメントからの離脱、大義の忘却、社会変革に無関心、美のスタイルだけを追う芸術至上主義。速度を享受し、優雅に、ワインを飲んで、饒舌と美女と車を愛する、そういう映画。

・Charlotte et son Jules /Jean-Luc Godard ジャンコクトー、と同時に、マックスオリュフスへのオマージュ。1950年代仏映画は新古典主義の時代である。前衛性と大衆性が混在し、時には権威的調和への迎合、時には都市の肖像画の如く越境する多種多様な文体


・ゴダール。わが美しきモンタージュ GODARD MONTAGE MON BEAU SOUCI  / アソシエーション、Xとしてのソーシアリズム Association - socialism as X

・ジャン=リュック・ゴダール 映画とは唯一且つ多数の部屋の探求である 1芸術の定義づけとゴダールの映画批評の意義 2類似性の想像力 −「家族的類似性」「映画史」「ドキュマン」3映画に至る、唯一且つ多数の部屋の探求

・αMy question is thus; α, why one reduces the philosophical structure of "projection" to "displaying a film on a screen" in a cinema house...

・β, why one addresses to "Godard" the structure of the eternal recurrence "ewige Wiederkunft"

・γ,why one simplifies the structure of the world history as a history of cinema -- they are all exploitation of thinking by representation!?

・αなぜ、射影projectionの哲学的構造を映画に還元してしまうのか?表象による思考の縮約?
・βなぜ、永劫回帰ewige Wiederkunftの構造をゴダールに還元してしまうのか?ロマン主義的表象の反動!
・γなぜ、世界史の構造を映画史として単純化したいのか?表象による思考の搾取


・Godard's Film "British Sounds" (1969) /AND STRUGGLE /AND STRUGGLE /AND STRUGGLE /AND STRUGGLE

・Le puissance à Godard au "six fois deux".Filmer est reduire la narration neutre et linéaire au bégaiement avec l'accent suisse;et..et..et...

・ゴダールのビデオドキュメンタリー作品"6x2"(1976年制作)。ゴダールの開かれた孤独の力とはなにか?ハリウッド映画に顕著な線形的に進行する中性的なナレーションを、スイス人が喋る訛りのあるフランス語へ、思考のリズムへ変換する実践に存する, and...and...and...

・吉田喜重「虐殺+エロス」を鑑賞する。「映画」のメタファーたる、アナーキスト大杉栄の肖像画 Qu'est ce que le cinéma? 映画とは何か?まだ何者でもない/ Que peut-il?映画は何ができるのか?なにか/ Que veut-il?何を望むのか?すべてだ!
»

・吉田喜重「戒厳令」を鑑賞する。「映画」のメタファーたる北一輝の肖像画 Qu'est ce que le cinéma? /Que veut-il? / silence/ regard/ embrassement/lumière 映画とはなにか?何を望むか?沈黙と眼差し、抱擁と光




5 自然



・Cartisme a tué la nature comme si le vent du nord a dépouillé les arbres de leurs feuilles, デカルト主義者達は、秋風が木から葉っぱを払い落としてしまうように、"自然"を殺戮してしまったのか?

・donc l'imagination au baroquisme, Spinoza et Leipniz, repredrait la puissance de la nature; Dieu=Nature バロックの想像力、スピノザとライプニッツが、自然の力を取り返す;神=自然




6 音楽



・昔アイリッシュの友人はジョン・ケージの沈黙の音楽を「裸の王様」と揶揄した。聴衆が文句をつけない、偉くなった芸術家の変な作品を嘲弄した訳だ。が、ケージの凄い所はそういう自己の「裸」を敢えて呈示した野蛮さにあったと思う。


・甘美な情熱、死と再生、華麗なヒロイズム、コンサートホールでの洪水の拍手、ナショナリズム・・・ショパンのステレオタイプ。しかし、ショパンの音楽には、そうした秩序からはみ出る、逸脱した表現主義的狂気を孕んでいるのではないだろうか。例えば、ドビュッッシーDebussyのような・・・


・Heigho! Heigho! Heigho! Heigho! Heigho! Heigho!


・BBCRadio3でシングRiders to the Seaのオペラを鑑賞。効し難い自然の力、ギリシャを喚起する海、女神=島の女性達。ベケットは植民地主義の力がかかった風景を描いてみせた。ブライアン・フリールは両者を統合させている。演劇「デイリー自由都市」「トランスレーション」



7 東京


・角地に住んでおり、部屋の中を通過する(と錯覚する)種々雑多のノイズのなかで目が覚めます。散歩の挨拶、歌声、新聞配達、アベックの睦言、歌声、独り言も最近多い。

・個性という言葉が流通している?個性を強調しなければならないほど、日本人は(イケメンの、オーラなき、昔の可愛い小娘の化粧みたいに)没個性になって来たということか。履き心地も大変よさそうで、お洒落なストッキングだけは個性豊かになったと感心していますが。

・日本男性「男らしさ」像の崩壊とその反動的回復。バックラッシュ、非モテ、草食系男子、動物化、オタク、ライトオタク、子どもポルノ、疑似子どもポルノ、DV、加害者臨床、性犯罪者の更正・規制、等がトピックスになっている。表立っては男性運動とは名乗らない、又は、自覚なき男性運動にも見える?

・上野千鶴子「女ぎらい ニッポンのミソジニー」を読む。

・いまの若い人は声に敏感。どういう声で喋っていいのか、自信がないカップルを沢山見かける。新しい国に来たばかりの移民の人々の、よそよそしさ、畏れ、借り物の言葉を喋らなくてはならない疲労感と嫌悪感に似ている・・・。政治家の愛国的演説と商品広告だけが元気に喋る、言葉バリアー


・ミッシェル・フーコ「言葉と物」の翻訳者、渡辺一民氏と知り合った。ある劇団の相談役をなさっている。ルネッサンスに憧憬を持った知識人。日本に構造主義のブームをもたらした画期的翻訳だったが、自分の過去の仕事には無関心であった。日本人が向き合うべ他者とは、中国と韓国・朝鮮と力説していた。

東京の場合「異邦人としての体験が(追い出されてしまった過去)が殆ど無い為、エッジに住む感覚がない」。「フーコ「言葉と物」の翻訳者渡辺一民氏から直接伺っただが、日本人が他者たる朝鮮人・韓国人にもっと向き合えと力説していた。追放された異邦人の歴史に関係せよ、というメッセージ


・新自由主義「弱肉強食」の経済政策を煽り、竹中平蔵に会って有頂天になっていた学者達は皆、すっかり転向。本当は俺はケインズ主義、マルクス主義だと言っている。それならば、「小泉改革」の真の腐敗、「君が代合唱」「日の丸掲揚」法制化、抗議した教職員の懲罰・解雇について沈黙しているのはなぜ?

・無誤謬主義ーソルジェニーツィンSolzhenitsynによる一党独裁批判ではない。現在の日本のメディアを覆っている無誤謬主義のことだ。嘗て、あれほど新自由主義的なものを煽っておきながら、それがうまくいかなくなっても、なんの反省も検証もなされない。皆、経団連と御用学者に騙される

・19世紀アイルランドの様に、大量飢餓と人口海外流失は、経済学の法則によれば、労働者に有利な売り手市場をもたらすはず。現実は賃金が下がり続けた。マルクスはその理由を労働生産性の上昇に求めた。常にヒトが余る。生産性が上がっても、アフリカに飢餓が生じ、日本の若者が益々貧しくなる理由だ。


・"ホームレスの人達を選別する梃子となったのは、「自立」というイデオロギー。仕事を探して自力で生活を立て直せ、それができない人は「怠惰」と非難される。世間の差別の眼差しにも煽られて、新自由主義のイデオロギーがホームレスの人達にのりかかっている(「世界」、"場所、移動、不安定雇用")

・レーガン後の、ブッシュ政権下1990年のNYを訪ねた。福祉予算削除、施設・病院の閉鎖の結果、街には、追放された精神病患者、ホームレス、AIDSの人々が溢れていた。この生き地獄を、当時の日本の政治家と学者とマスコミが「新保守・新自由主義」の先駆として称賛した!信じられなかったよ。


・東急池上線で帰宅した。OLが「日本国憲法人権の作法」という本を読んでいた。人権は作法?No! 最低限これだけはやめてくれと国家に抗議した言葉ですよ。国家の暴力たる死刑制度をやめろとか。作家M氏が書いた本にも「小説の書き方の作法」というのがあった。作法たる官製の法意識と小説入門?

・「傲慢なコック」という言葉を知っているだろうか?1950年代まで英国では、客は出された料理をまずいと思っても、コック(料理長)に文句を言うべきではないとされた。質問が禁止されたのだ。その社会が権威的かどうかを判断する決定的な基準が、自由に質問できるかどうかにある。いまの日本は?


・「警戒機展開、南西諸島も」だって!?いつから、朝日新聞は「防衛白書」に成り下がったんだ?スポーツと娯楽と広告収入ばかり追いかけているから、反証の精神がなくなるんだ。検察官の「論告求刑」が証拠となってしまう、日本裁判官の腐敗に通じた、正義感の欠如。没落していく国家の症候

・Japanese Flag or Rope ?

・BIG SHAME! TWO EXECUTION WERE CARRIED OUT IN JAPAN. IT IS AGAINST HUMAN RIGHTS. BUT RUTHLESS MAJORITY OF PEOPLE APPROVE OF THE CRUEL ACT.


・「ドイツ統合二十年」の歴史的成功(?)を称賛する日本の新聞。しかし、嘗て、旧東ドイツは同じ共産主義国ベトナムの貧困者達を国内に移住させ仕事を与えていた。「統一」後、東ドイツ出身ベトナム人は差別を受け排除されている。少数の声と涙に関心を示さない新聞って、なんの意義があるんだろう?


・自分が他人から憎まれていると表象し、しかも自分は憎まれる何の原因もその人に与えなかったと信じるものは、その人を憎み返すだろう(スピノザ「エチカ」)。日本人は憎まれる何の原因も他人に与えなかっただろうか?政治家とマスコミが煽る領土ナショナリズムに共感せず、理性的に考えるときでは?

・大本営発表の大手メディアが「領土ナショナリズム」を煽っている。「すべてが党の指導の下にある中国では、三権分立が確立していない。司法判断でさえ政治力で動かせる。」というけど、日本のことじゃないの?政治家は北朝鮮の指導者と同様、二世三世の議員だらけ、中国の党の官僚の如く振舞っている。

・あんまりくどくどと「俺は愛していない」なぞと言うような奴は結局愛しているのさ(オウィディウス)。日本人は反発するが、北朝鮮と中国が好きだと思う。その証拠に、政治家は北朝鮮の指導者と同様、二世三世の議員だらけ、中国の党の官僚の如く振舞っている。人権の事を真剣に考えることがあった?

・互いに遠いもの同士を近づけてみようよ! Being-in-the-world 世界ー内ー存在(Heidegger) / God-in-Nature神即ち自然 (Spinoza) / Bloom-at-the-telephone ブルームさん、電話中ですよ~(Derrida)

・日本の新聞の心配は車とデパートの損害と国益だけ。パリの暴動ではフランス製の車が壊されるが、ロンドンの地下鉄・バス爆破の場合と違って、ヒトの殺害は起きない(警官による暴行を除いて)。一定の冷静さが働いていた。デモは単なるきっかけ。本当の所、中国の一般民衆が不満に思ってることは何?

・McCorMaCKは日本を"a client state"と規定する。植民地国家や傀儡国家ではなく、米国という他者の要求を定言命法の如く内面化する国家をいう。鳩山一郎ー岸信介ー佐藤栄作ー福田赳夫という米国絶対服従の流れ。他界した父は福田派の官僚、植民地エリートの様に思考していた。

・ミッシェル・フーコ「言葉と物」の翻訳者、渡辺一民氏と知り合った。ある劇団の相談役をなさっている。ルネッサンスに憧憬を持った知識人。日本に構造主義のブームをもたらした画期的翻訳だったが、自分の過去の仕事には無関心であった。日本人が向き合うべ他者とは、中国と韓国・朝鮮と力説していた

・日本におけるエコノミストの不在。XX証券研究所アナリストの近視眼的展望をいくら寄せ集めても、経済の分析とはならない。経済学とはなにか?経済学は何ができるか?経済学は何を欲するのか?経済の分析はこうした問題提起を含むものなのだ。景気だけの話じゃない。マルクス経済学を再導入すべきだ。

・ジャーナリズムの崩壊と写真リアリズムの戦争協力。信頼に値するのは、イラク戦争を最初から反対した「ル・モンド」と「ザ・ガーディアン」だけ。一流の新聞は論評を重視する。嘗て日本にも"新聞"と呼ばれた読み物があった。老舗・月刊誌「世界」が「ザ・ガーディアン」を意識し健闘しているよう

・図書館が臨時の教室としてあてがわれた高校時代、「世界」のバックナンバーが山積みされていた。六十年代の空気を伝えてくる本たち。IBMの爆撃ミサイルの研究者が綴った、家族に秘密で仕事をしなければならない罪悪感、良心の葛藤の記事を熱心に読んだ。知識の倫理性とはなにか、を訴えた文だった。


・愛とは精神の極み/隣人への愛とは一つの行為/さしのべられた手。/着飾ざった感情ではない。/Jéricho の道程に/盗賊達に身ぐるみ剥された民衆をみながら/思い浮かべる理想でもない/ 警察、プロパガンダ、国家、盗賊達の手であり暴虐な神の名。/高慢な理性は自身の像を拵えてきた。

・Obama vs. Okinawa : Open Letter to Secretary of State Clinton, from Ryukyuan community leaders in February 2009
Japan has made okinawa a drug addict (money), and US takes full advantages of the addiction, in order to maintain its military presence!

・日本の社会科学研究者だけがマルクス・エンゲルス・ジェニーの共同生活の意義を過小評価している。その偉大な功績とは別に、私生活は堕落していたと弾劾する者が多い。結婚制度に反対したエンゲルスがフリーセックスに関する自己の思想を検証する為に鳥類の雑婚形態を研究したという説は一考に値する。



8 外国



・宗教を弾圧され、言葉と土地だけでなく学ぶ権利も奪われたアイルランドの歴史。アイリッシュのベケットやジョイスの世界文学を読むことは、追放されたマイノリティーの歴史を考えることである。イギリスの場合、資本主義が公共圏を追放してきた。BBCは、国内で亡命政権の様な役割を果たしている!

・世界経済の舞台中央。全世界の労働勢力から多国籍資本への権力の移動が起きている。ネオリベラリズムの代償は、米国の労働者、飢餓に苦しむインド農民、そして何百万人もの抗議する中国労働者達の犠牲。嘗て、団結し立ち上がれば獲得できる世界があるとされた。しかし、今はすべてを失う未来しかない?・・・それは分らない

・英国の新保守主義者にとって、サッチャーリズムの悪しき市場主義とボルシェビキ社会主義は同じ狢?社会を築くためには、伝統的価値観から切り離された抽象的な原子的主体は、構成主義の絵画を鑑賞する者に期待される様な、人工的なデザインの能力を発揮すべきだから。国家資本主義の中国はどうなのか?

・ロンドンは米国移民社会をモデルとするmulti-cutualismの社会で、特にイスラム信者との共存を模索している。ヨーロッパ的個人主義の正義と、アラブ的共同体の正義の間のコンセンサス。後者の側に譲歩しすぎると、フェミニズムから反発が起こる

・真のフェミニスト達は共存の枠組みを真剣に考えるが、厄介なのは、人種差別的なメディアが一方で女性を差別しておきながら、他方で「フェミニズム」の立場でアラブ人達を攻撃することだ。後者に煽られる日本の新聞には気をつけて欲しいのだが・・
ギリシャ神話の神々が地下世界から誕生するように、ロンドンの移民の人たちも這い上がって来ます。私は好きでしたね、彼らの存在感が。ロンドンのカフェは演劇の戯曲を書くのに適した場所と思いました

・私はダブルスタンダードを要求する。人権は大切だが、ただ人権問題がタカ派的外交政策(爆撃を含む)と結びつく困難な現状を鑑みると、地域共同体の破壊を呼びかける国際世論にコンセンサスを与えるべきではなく、他方で、日本の女性達が個人としてもっと活動できるコンセンサスを創り出すべきだろう

・英国人は前例主義を怠慢とみなすが、裁判所は判例主義で、建前として、法源は12世紀マグナカルタに遡る。成程、対象の全体像が分らない時に役立つ方法。テロ被疑者を裁判なく追放する新法を、前例がないとして、事件に適用しなかった。

・Here Comes Everybody - 宇宙の劇場に生きるアイルランド人

・Jean-Luc Godard Film Socialism 2010;L'argent est un bien public comme l'eau alors  貨幣は公共的善であるのは、水の如し。(貨幣は銀行と国家の所有物ではない)

・近年、ヨーロッパの、どの都市でも、街頭での集会・デモンストレーションが起きている。ダブリンで十万人の群集が抗議した。結果的に、米軍による戦争を阻止できなかったが、アイルランドの人々の顔に出会うことができた。世界史的な新・市民社会!

・ロンドンでのG20開催に抗議する自発的に集まった人々。八時時間に渡る国家権力の包囲網の中で、自身を見失って打ち負かされまいと、参加者達によるパフォーマンスあり、ペインティングあり、詩の朗読があり、まさに、広場はアートの空間として変容した。政治は芸術を求め、芸術は政治を求める。

・L’argent est un bien public comme l’eau. 貨幣は公的な善であり、政府と銀行と特権的富裕者の私的所有物ではない。理性が実現させたい社会的合意だ。昨年二月ロンドンで四千人が行進し、シティーの中央銀行広場を占拠した。私もその一人だった。

・チョムスキー、かく語りき。米国は今でもベトナム戦争当時と殆ど変わっていない。「戦略的失態」だったという理由で反対しているからこそ、オバマはイラク侵攻に反対する勢力をリードする存在と称賛される。帝国主義的思考はきわめて根深いものだ。(講演録アメリカ国民の怒りはどこへ向かっているか)


・Guns, womb patrol, war and fear of emasculation. 銃(銃規制に反対)、子宮監視(中絶の権利に反対)、去勢の恐怖(強い軍備と戦争推進)。ティーパーティーの主張は自由とは無関係。フロイド的妄想に憑かれた男性の恐怖を代弁しているのでは?

9 身体

・藤本隆志はウィットゲンシュタイン哲学を日本に紹介した学者で、ロンドンで楽しく食事したDas Subjekt gehört nicht zur Welt, sondern es ist eine Grentz der Welt.
»

・主体は世界の一部ではなく、世界の限界なのである。 The subject does not belong to the world but it is a limit of the world.

・さくやさんからの返事。「外国を旅する」の代わりに「世界を旅する」と書いていました。「世界」=「外国」という等式を疑うと哲学的思索が始まりますか。"「世界」のなかで"と書き始めると、「世界のなかで、私の人生そのものの命題みたいなものって一体何なのだろうと、少し考えてしまいます。」

・とりあえず、さっきゃのどちらか半分のために、乾杯!

・self-imposed exile / ボヘミアン

・アイルランドに八年間滞在したが、最初の数年間、イギリスの外部に生きていると思っていた。その後イギリスへ移動し、四年間滞在したが、同様に最初の二年間、意識の中でアイルランドの外部に生きていた。現在、東京。イギリスの外部に存在していると思っている。結局全部、外部(境界)なのだろうか?

・暗躍演劇か?寺山修司の実験演劇みたいだ

・私は東京の者だが、青森弁で喋ればよかったかな

・こころ が しんじつ となる のは/ それが あらわれる とき のみ / そして "あらわれる" manifesterという ことば には / て mains が  ふくまれて いる 。


・午後ナダルの試合観戦。テニス部の高校時代、ボルグの試合を観た事を思い出す。本場英国に移り住んで、ウインブルドン大会を直に観戦する機会はなかった。BBCは車椅子の選手達による試合も必ず放映していた。皆溌剌と試合を楽しんでいる。スポーツにおけるバリアー・フリーと言えるだろうか。

・スペシャルオリンピックのアイルランド開催の年、バスケットチーム監督から伺った話。選手達はボールを持つと仲間に渡さそうとしないから、一個のボールを共有する事の認識が学習課題となる。選手達は勝ち負けの意味が分らない。しかし、その意味を理解させる努力には疑問を持つ事があると語っていた。

・さくやさんの言葉。「段差に困っている車椅子ユーザーがいたら、その場で出来ることをする。その車椅子ユーザーが次に困った時には、またその場に居合わせた他の人が出来ることをする。この連鎖がうまくいけば、これこそ理想だ!と思ってきたけど、それだけじゃ駄目みたいです。」


10 落書き・無用なもの・未定義なもの


・ALSO SPRACH OWLCATO ふくろー・・ね こ、か く  語 り  き


140文字の世界の住民になってみると、感情を分析したカントの言葉を思い出す。感情の内省的捕捉には対象が不在で、判断の仕方も立法的でなく司法的で、実体的事実に従属しない。が、感情ゆえに普遍的な議論が可能と言いたい。140文字の世界は共和国。中心ならざる中心、小さな天皇達は必要ない

・140字の長さでは、思考が働かない。もっと長い文でなければ思考を表現できない。喩えると、本編がないまま宣伝だけつくっているに等しい。しかし、思考を形づくる単位ベクトルを羅列できるし、翻訳した詩の吟味に役立っている。
・ギリシャ神話の神々が地下世界から誕生するように、ロンドンの移民の人たちも這い上がって来る。私は好きだった、彼らの存在感が。ロンドンのカフェは演劇の戯曲を書くのに適した場所と思った。

・Il ne faut pas toucher aux idoles; la dorure en reste aux mains. (Flaubert) 偶像にふれてはならない。金箔がはげて手に残る。

・バブル世代の四十代はまさに、フローベルが「金箔」と呼んだ愚かな虚栄心。記号とファッションとして本を旺盛に読んだ世代だって?嘘だ!古い本をゴミみたいに捨てていただけじゃないか。改ざんした検事のうち二人は四十代。本の次に、捨てられていくのは人間だろうよ。二十代の若者達、騙されるな!

・近年、ヨーロッパの、どの都市でも、様々な規模で、街頭での集会・デモンストレーションが頻発している。インターネットがデモを助けている。昨年米国大統領選も一種のデモ活動。日本は何も起きない。若者が電子ネットワークの世界へ避難しその存在が原子化し拡散してしまったか?

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