言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろ・ねこ、かく語り き 2010,十一月後半 本多敬

<<   作成日時 : 2010/11/23 11:33   >>

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1哲学・思想


・自由主義の二十代と保守主義の四十代の両輪!国策的・ブルジョア的リベラリズムの1980年代、啓蒙的知に殺戮されないようにと、哲学は自由主義に仮装した。二十年後の現在、排他的な民族主義が台頭すると、情熱のなかで殺戮しないために、哲学はどこかに避難しなければならないだろう。穏健な保守主義に仮装することが可能だが、疑問である。戦前のように、君が代と日の丸というアナクロニズムに囚われると、他の文化と交流する様な生きる喜びがなく、ただ惰性のなかで動物の如く生存手段にしがみつくことになる日本人の姿


・Hommage to B.Russell (1)自己言及のパラドックスを属性の階層化(タイプ理論)によって禁止してしまうとしたら、メタ言語はどこへ行ったらよいのだろうか?立ち入り禁止!経験に依存しない、自ら折り重なる孤独な思考の力は、立ち退きを命じられたホームレスのようだ・・.

・米国によるベトナム爆撃に反対し、サルトルと共に開いた「ラッセル法廷」で、米国の犯罪を告発した。警官に再三逮捕されても、釈放されると、反戦集会のバリケードに戻り、抗議活動を止めなかった。結局、ラッセルは、権力者に属している、日常言語における「禁止」の意味を理解できなかったのだ

・ヴィットゲンシュタインのソビエト行きの希望を告げられると、「お前の様に働かない者は銃殺されてしまう」と禁止した。「アイルランドへ行って哲学者として働きたい」ときくと、「馬鹿言うな!酒飲みの国で、働くと殺されるぞ」と禁止した。ラッセルの禁止領域はイデオロギーと宗教だったと思う


.・hyppoはカバの意。ラッセルは講義で、君達の机の引き出しにhyppoがいるか?と質問したという。「いません」と答える学生に、引き出しを開けてきちんとみたかときく。「やはりいませんね」と言う学生に、「引き出しを戻した時に忍びこんだかもしれないよ」と、再び開けてみるよう促した

・開けた引き出しを戻す度に、hyppoが忍び込んでくると心配しているようでは、言語、メタ言語、メタメタ言語と際限がないように、日が暮れてしまう。見ることと語ること、この両者はリアリズムのラッセルにおいて互いに切り離せないものなのだ。ウィットゲンシュタインなら、自失呆然に違いない

・ウィットゲンシュタインにとって、神と石ころを区別しなかったドンスコトスの如く、神とhyppoの間には区別がない。神は自己の神性を森羅万象に表現するが、カバ性のカバ性たる所以も、世界の非分割性に存する。机とラッセルとウィットゲンシュタイン自身がカバ性。故にカバは常に存在するのだ

・ウィットゲンシュタインの話は私の勝手な理屈。ラッセルのhyppoはある弁護士からきいた話だ。大量の死者を出しながら、土呂久の砒素中毒患者の訴えを無責任に無視し続けた新橋住友金属鉱山ビル前で、共に抗議の座り込みを三ヶ月続けた。彼はラッセルの反戦活動を思い起こして戦っていたと思う。



・賢者は語るべき言葉があるから喋るー左翼であれ、右翼であれ。語ることを強いられてお喋りする人は、恵まれて勉強した中流が左翼、貧しくて勉強しなかった下層が右翼になりがち、と偏見を曝け出す。共和主義者ミルトンが指摘したように、労働者階級から遊離するとき、中流は保守的右翼的になると思う

・ジェイムス・ジョイスの言語観は、政府保護主義とは一線を画しているし、恐らくフリーマーケット主義とも関係がない。言語の問題の理解がないと、「ユリシーズ」「フィネガンズ・ウエィク」を読む事が非常に難しくなる。アイルランド研究者達は「ダブリナーズ」Dublinersの読解を重視している

・消滅する少数言語の保護に関する議論が起こるとき、市場の限界と政府の介入というテーマが参照される。言語間の適者生存的な自由競争を想定して、環境に適応できない言語を救済せずという考え方に対して、英語はいわば独占企業、フェアーな市場は存在せず、政府の介入で保護すべしという考え方がある。

・表現の力を「単なる硬い石がダイヤモンドという付加価値を浸透させた」と喩えていう。マルクスは貨幣の価値の根拠を労働価値説とヘーゲル的価値反照性の尺度だけでなく、古典経済学を虜にする金属の煌きにも求め、表現と内容の自由な結びつきを大胆に考えていたかのようだ。ラディカルで論争を呼ぶ考え方

・反ロマン主義の左翼デリダが、日本の研究者に取り込まれると右翼的・民族主義的に理解されるのは何故か!?ポスト・ハイデガー=ラカン、デリダを用いて三島由紀夫を脱構築する、と高らかに自己宣伝。=(等号式)を安易に使うのは恥ずかしい。デリダとポストコロニアリズムの関係を勉強して欲しいが

・ジョン・グレイの翻訳本?確かに弁が立つ英国人で、フリーマーケット主義サッチャーリズムと、対極の公理主義的社会設計のボルシェヴィキが共に啓蒙的合理主義に属する暴力と説いて来るが、王室や天皇は正当化されるcoherentな全体性である、という自説は大いに疑問

・反米的な世論が席巻する英国ー私の滞在時ーで、ジョン・グレイの右翼思想は影響力を広げた。多文化主義を推進した労働党の幹部ですら地域共同体をゲットーと侮り、「秩序ある全体性」を呼びかけた。外部と接触する事で豊かに育つ文化を拒み、動物の様に現実の生存手段を維持せよ、と説得する反動思想

・国家官僚は律令体制またはケインズ主義であれ、収奪と再分配、階級的対立に介入し富の再分配を行う。大蔵官僚の父もそうだったが、無気力な出世争いと奴隷的名誉心の組織。警戒すべきは、国を戦争体制に向かわせる彼らの本能。ウェーバーは、官僚制と物理的暴力(戦争)の必然的結びつきを暴いている

・意識の時間とは何か?サルトルは、意識が時間に規定されない独立したものと考えた。同様に、表象は意識を盗んでも所有できない。言語と土地と宗教を奪われても、アイルランドが英国によって支配される事がなかった様に。意識としてのアイルランドは存在する、いかに?抵抗がある限り意識がそこに在る
問題は単純ではない。独立後アイルランド政府という表象が意識を盗む最悪の歴史がはじまるから。ところで、アルジェリアのユダヤ人であったデリダは、独立反対を表明するフランス本国の共産党に反発を持った。中心的中央に対する反発、これが脱構築の思想の出発だ。ポストコロニアリズムと関係がある

・ギリシャ文化とヘブライ文化は、反ー帝国(エジプト)の文化として発展した。共に、地中海文化圏に属し、豊かな相互関係を築いた。(ジョイス「ユリシーズ」はダブリンを舞台にこの関係を再構築した。)プラトン=モーゼは純粋な思想の孤独性を、デモクリトス=アロンは想像力の民衆性を表現している
 「モーゼ」の神は、想像不可能な唯一の超越者であり、森羅万象の自然に偏在する。一且つ全体の存在。弟「アロン」だけが兄「モーゼ」の思想を理解できる。弟は民衆にとって理解可能な言語に翻訳する能力を持ち、詩的レトリックで民衆の想像力に巧みに訴えかけるが、これが兄が直面する決定的矛盾をなす


・科学者と大学研究者はゴダールが描いたアルファヴィルの世界に生きている。整理と表と分類と排除を好む男性原理、ラカンが定式化した「真理の語り」に監視された囚人。無意味な人間的空白を笑う事ができないが、説明不在の幻想の島に漂流したいと常に願っている。我々人間の事か?



2言葉・表現・本


・それは最後にもう一度,/光に打ち克つべく/夜が諸力を糾合するからだ/光が夜に襲いかかるのは/背後からだ/まずはとても穏やかに/あたかも脅えさせたくないかのように/囁きが/人間が久しい前から/おお、存在するより遥か以前からの長きにわたって/感じ取っていた/ささやきが、再び始まる


・だが最初に現れたのはエルペーノール / 葬られもせず、広大な土地に打ち捨てられた / 我々の友エルぺノール / キルケーの館に、我々が残してくれた遺骸 / 憐れみ深い霊魂を、他の仕事が追い立てたために / 嘆く事も、墓に納めもせずに (パウンド)

・but first Elpenor came /our friend Elpenor / unburied, cast on the wide earth / limbs that we left in the house of Circe /unwept, unwrapped in sepulchre/since toils urged other pitiful spirit (Ezra Pound)

・La beauté,c'est le commencement de la terreur que nous sommes de la terreur que nous sommes capables de supporter 美、それは我々が耐えうる恐怖の始まり(リルケ)


・太陽を描くためには,太陽でないものを描かなければならない、自明な事だ、とあなたは言った。だから、私は太陽であり、黒い太陽となった。私は太陽に照らされた裂け目であり、副詞である。私は彷徨う金の子羊であり、激昂であり、砕け散った十戒の言葉なのだ・・・

・ To draw the sun, one has to draw what is not it. So I am the sun and the black sun, crack, an adverb, a stray lamb, gold, fury, scattered c+

・セザンヌの言葉「太陽を描くためには、太陽でないものを描かなければならない。自明な事だ」。絵文字言葉の翻訳を企てると、PX Λ ◊~PX (読み方;Xであり、かつ、Xでない可能性がある)。つまり、私は、太陽であり、かつ、黒い太陽であり、石ころであり、青猫であり、昨日と明日の間である

・ロランバルトは俳句の本質は"速度"にありと分析した。 Twitter writes poem; depart also but future hopeful / velox- λ green and orange 立ち去らねばならぬが、希望はある・迅速なラムダよ、緑と橙色の方へ

・おだやかで、かほそい声/かみなりの轟き/こまどりの声のなかに  /笛の音の細部のなかに /絶対のあらわれをみる /けがれのない、よわさ /満面の陽光 /かすかな笑みが ほのめかす /おお、 かすかな声よ /ささやき のごときのもの /かぎりなく、澄んだことばにいざなわれて

・賢者というのは、語るべき言葉があるから喋る人をいう。語ることを強いられてお喋りする愚者とは違う。ふくろねこ、かく語りき;私は愚者であるが、しかし、私の想像力の中に生きている人々は皆賢い、と。I am fool, and people in my imagination wise

・Wise people talk because they have something to talk; while fools talk because they have to talk something.

・三島由紀夫を読むと、バイロンの文学、ポルノ的似非ロマン主義を思い出す。二つのナショナリズムが存在する。帝国主義の支配するためのナショナル・アイデンティティー。そして産業革命を経ていない周辺国の、解放と抵抗のナショナル・アイデンティティー。バイロンは前者、デリダは後者と関係してきた
Noam Chomsky; No shortage of tasks waits for those who seek to present an alternative to misguided rage and indignation, helping to organize the countless disaffected and to lead the way to a better future

・中間選挙後のチョムスキーの言葉;現在国中に席巻する激怒と憤慨に代わるものを模索する話し合いが是非必要であり、もはや待った無しの段階だ。 数え切れない程沢山の不満の声を汲み取ることによって、より適切な未来の道へと歩みださなければ・・・

・ゴダール映画で学ぶフランス語の表現。弱腰だけど、英語文化帝国主義に逆らってやりたい!正確には日本人のアメリカ英語帝国主義というべき。何故なら、アイルランド英語、イギリス英語、シンガポール英語と、英語は多様なのだ .

・「資本論」のバイオグラフィーに興味ある人、ヨーロッパの知の前線、フェミニズムとポストコロニアリニズムの演劇を知りたい人、マルクスの本を閉じた人、ORこれから学ぶ人のために。「マルクス、未来を思い出す部屋」

・poem title;a cat's eye shing in the dark / I am white light but / I can be what is not white / A moonless night, χριω 私は白色、けれども・白くない・神聖な闇夜よ

・poem title;Inventing Ireland / missing white but / future hopeful / green orange


3アート


・欧米の期待に答えた日本人を描いた小津映画の影響で、ステレオタイプが流通し、型にはまった会話しかできなかった。現在同類のステレオタイプが海外に蔓延中。アニメの様に空っぽで表層的、侵犯行為ですらない倒錯、芸術家達はポストモダン・オリエンタリズムともいうべき欧米の期待に応えているだけ

・「倒錯した日本、しかも、アニメのように空っぽで表層的なので倒錯が侵犯行為とさえなりえない日本。そんな日本を自虐的に演じてみせることで、彼らはポストモダン・オリエンタリズムとも言うべき欧米の期待に応え、世界的にもてはやされたのである」

・映画のフィルムを物質として考えることはできない、とゴダールは言う。情報と物質の中間のようなものだと言っているが、美術品についても同様なことがいえるだろう。商品としての還元を相対化する、有効な考え方

・毎週金曜日にダブリンの映画館で画家やイラストレーターや詩人や役者と一緒にランチした。皆、横の連結の重要性を意識していた。ロンドンのギャラリーの場合、普通のビジネスマンや公開講座に通う労働者と出会うことがある。知識と教養の欲求を充たしに来るのだ

・ギャラリーを通して日本村を批判的に展望した視点は大変示唆。ヨーロッパでは反グローバリゼーションの運動をとおして、市民社会のコンセプトが見直されている!

・芸術の横構造の構築のために

・コンテンポラリーだからこそ可能。作品を鑑賞し解説を読み、ウィットゲンシュタインやバタイユ(渋澤訳)のpassage を利用すると、表象や参照の意義を考えるリラックスした議論が可能だし、又偶然を重視したシュールレアリズムの方法で詩作することもできる

・Book of Celts と、毎週ダブリンのIFC(映画センター)でパトリックパイという有名な宗教画家と会っていた事を思い出した。聖書を読み続け45歳から絵を描いた人。タルコフスキー、溝口等、映画の話をした


・アイルランド人の友達から、ゴッホの「ひまわり」に関する質問を受けることがあった。売買や投機自体が問題ではなく、作品を皆が鑑賞できる形で展示しているかという、所有者の芸術に対する責任を問う詰問だった。ちなみに、IRAは、女王支持者の絵、フェルメールの「手紙を書く女」を二度誘拐した


4映画・演劇


・ Godard - Passion : Wrestling With the Angel 「パッション」で、カメラがコンスタンティノープルの模型を大旋回し、Jezyが天使と争うまでのロングショット。ゴダールは故郷喪失者みたい。映像世界に迫害されているようで、私はこの印象に驚いている。ヘルダーリンの詩を思い出した。


・白日夢は夢に似た意識状態が覚醒時に現れ、願望充足的、単なる空想よりも現実性を帯びている。ブニエル「白日夢」。カトリーヌドヌーヴは外交官妻、サドマゾの背徳世界に生きる高級娼婦を演じた。オフィーリアの好きな映画。私は子供の時何度も一緒に観た。その話を脚本家を書いたカリエールに伝えた


・ギリシャ文化とヘブライ文化は、反ー帝国(エジプト)の文化として発展した。共に、地中海文化圏に属し、豊かな相互関係を築いた。(ジョイス「ユリシーズ」はダブリンを舞台にこの関係を再構築した。)プラトン=モーゼは純粋な思想の孤独性を、デモクリトス=アロンは想像力の民衆性を表現している
 「モーゼ」の神は、想像不可能な唯一の超越者であり、森羅万象の自然に偏在する。一且つ全体の存在。弟「アロン」だけが兄「モーゼ」の思想を理解できる。弟は民衆にとって理解可能な言語に翻訳する能力を持ち、詩的レトリックで民衆の想像力に巧みに訴えかけるが、これが兄が直面する決定的矛盾をなす
 ストローブ=ユイレStraub-Huilletは七十年代に、シェーンベルグの作品を映画化した。「<映画の一場面のための伴奏音楽>入門」と「アロンとモーゼ」。思想を理解する文化も能力もないのに、演出家や振り付け師等の補助役が中心的役割を果たす現状に大きな不満を持っていた。同感だ!


・ストローブ=ユイレStraub=Huilletは、ヘルダーリンの戯曲(Hölderlin, Der Tod des Empedokles)を映画化Schwarze Sünde(88)。「セザンヌ」(89)で、セザンヌの思弁的な芸術論とヘルダーリンの台詞を交互に組み合わせている。

・Straub = Huillet made a screen of Hölderlin's drama Der Tod des Empedokles. Cezanne's contemplative aesthetic and Holderlin's imagination !

・ストローブ=ユイレ監督「アンティゴネ」。ロンドン地下鉄爆破を思い出させる。イラク戦争の戦犯ブレアー首相が「クレオン」に対応。オリンピックのロンドン招致をもたらした時、歓喜の坩堝となったが、翌日に地下鉄爆破の大惨事。絶望の淵へと破局的転落。誰かが叫んだ、「古代ギリシャの演劇だ!」

・歴史の授業。ストローブ=ユイレStraub-Huilletは七十年代に、ブレヒトの小説「ユリウス・カエサル氏の商売」を映画化した。共和制ローマが資本主義台頭と共に不公正を生み出す。奴隷貿易を独占するシティーと商人v.s 大地主貴族、農民の没落。階級的軋轢の証言はまさに現代の話だ
カエサル;ローマ元老院では泥棒の数が少なくなったので、特権をもった泥棒は、特権なき泥棒を使い、泥棒達を捕まえさせた。国会の場合、特権ある泥棒(二世・三世議員)は、特権なき泥棒(ニュースキャスター・経営者・スポーツ選手出身の議員)を使って、泥棒達(銀行資本)をぼろ儲けさせている?
貴族と軍人は不毛な略奪の専門家。シティーは商人達と結託し、奴隷貿易を独占し、生産と商業を礎にしたローマ帝国を築く。労働力の商品化の無理というブレヒトの反資本主義理論。生産規模の縮小局面で、都市の奴隷達が溢れ安価な労働力に転化し、結果的にローマの独立農民と兵隊達を没落させてしまう!

・"ON GODARD Association - socialism as X "

・大島渚「絞首刑」は68年パリ革命前夜のとき上映された。今年九月アイルランドのIFCで上映するためにプロダクションとの交渉を手伝った。国家権力の暴力たる死刑制度に対して、五十年代の日本人は七割近くが反対し、二割がどちらともいえないとしたが、現在は八割が賛成している。死刑は残酷な拷問

・大島渚「日本の夜と霧」は、田辺の数理哲学を読む学生(佐藤慶)を描いている。西田は(ユダヤ人の如く?)、遠い過去へ赴くことによって遠い未来に近づくことはあっても、公理が幾何に向かうようには、現在に帰還しなかったと思う。田辺にとって現在の意義は?


・αイェルムスレウHJELMSLEVの言語論は実質/形式と内容/表現という豊かな枠組から成る。ソシュール二項対立論と比べると、理解容易ならざる内容。ジル・ドゥルーズ(「千のプラトー」)はイェルムスレウを援用して独自の芸術論を展開しているから、重要だ。ゴダールに即して理解すべき
・βユートピアの旅ー失われた公理を求めて。ポンピドゥーのゴダール展のテーマは、シュールレアリストとしての芸術家を発見する事にあり、タイトルは、ボードレール+ボルヘスの旅、数学的思考とプルースト的文学の方法を喚起する。ゴダールは、モンタージュの意義を数学の言語で理解すべきと考えている
・γ経済の三要素は土地・資本・労働。同様に、映画の構成要素を考えてみよ。今日商業劇場は、映画と呼ぶことができるものを上映しなくなった。映画の三要素はフィルムとプロジェクターとスクリーン。(劇場はもはや要素ではない)。映画の本質を形式的・抽象的に考えようとすると、数学の記述が役立つ

・閑話。ねこー;映画三要素は、女優の化粧と豪華なドレスとポップコーンと思っていたよ!ふくろー;それらは商売であって、映画の表現とは関係がない。見ること、思い出すこと、語ること、が大事と思うな。映画館近くのカフェで友達と、見た映像を思い出して語り合うでしょ?映画は夢分析と類似している

・δ素材的には映画はフィルムとプロジェクターとスクリーンから成るが、表現の構造に着眼してみよう。スクリーンにフィルムの映像が大きく映し出されるのは、「射影」に対応する。街頭の女性達の映像とロココ絵画の女性の映像を交互に組み合わせる編集を考えよ。前者に後者を投射する表現といえないか
・ζ次に、表現としての線形性の構造を説明したい。映像と音に伴なわれた編集は大きな力を引き出す(「音」は効果音だけでなく、台詞やナレーション等の言葉を含む)。ゴダール作品を観察すると、映像と音と言葉が必ず一緒に増える(又は、一緒に減る)。映像だけが増えたり、音だけが増える事は起きない

閑話。ねこー;ふくろーねこも、一種の線形構造さ。ふくろーねこを二倍に増やそうとしたら、その部分を成す、梟と猫を各々二倍増やさなければいけないからね。ふくろー;その通り!全体の構造の為には、梟だけが増えたり、猫だけが増えたりする事は生じない。でも、「ふくろーねこ」って、一体なに?

・ε編集と連続性は、ナラティヴな構造において、一緒に機能する。連続性とは時間的・空間的推移。連続性を保持した編集のおかげで、階段を降りていく兵隊達と逃げる民衆を表現できる。喘ぐ口の大写しが挿入されると連続性がなくなり、映画は詩的効果を演出する。亡き子の母の映像を示すと意味が回復する
・ηゴダール作品をノアの洪水の如く、引用と映像と音に溢れたカオスと看做す見解がある。そういう印象は、今述べた線形性の構造と、前述した写像性の構造の理解が欠落しているのだ。作品から他の作品への写像が頻繁に生じる「映画史」の場合、映像と音が一緒に増減する全体のプロセスを表現している
・θ最後に、表現としての、結合性・反復性の構造である。自己自身との内積の場はn次元空間における距離を表す様に、自己自身との関係は孤独な力としての思考の形式を喚起する。この距離は、未来を思い出す多数の部屋に関わる。現在は、可能な過去、可能な未来である。常に置き換えるべき可能性の世界
・ιこうして、写像性、線形性、結合性は、表現としての構造を決定する。ゴダールの表現構造を、ドゥルーズなら、"詩人的・錬金術的・・・"と呼ぶに相違ない。だがその前に、イェルムスレウの言語論を簡単に説明しておく必要があるだろう。実質/形式と内容/表現から成る、ダイアグラムとは何か?

・ふくろーねこからの質問1 ;待ったあ~!イエルスレウに行く前に、質問がありまーす。写像性・線形性・結合性の概念は分りました。映画の特質を考えるとき、モンタージュやパンの用語を必要としないことや、数学的思考との類似性も理解できましたが、そういう表現構造の理解が一体何に役立つんですかね?
・答;コンセプチュアルアートの意義を考えましょう。マルクスは貨幣の価値の根拠を労働価値説とヘーゲル的価値反照性の尺度だけでなく、古典経済学を虜にする金属の煌きにも求め、表現と内容の自由な結合を考えていました。表現の力は写像性・線形性・結合性を備えていれば、素材的内容に規定されません

・質問2;「表現の力は素材的内容に規定されません」もう少し説明を下さい。
答;マルクスの分析を追いますと、子羊とか呪物に起源を持った貨幣が、市場価値が殆どない紙となり、究極的に、計算観念として成立し流通する歴史を物語っています。芸術は定義可能かを問うコンセプト・アートと類似しています

・質問3;しかし、ゴダールは映像の力を認めて映画界に入ったのでは?
・答;その通りです。しかし、80年代以降、思考の力に向かいます。「パッション」で、カメラが都市の模型を大旋回し、監督が天使と争うまでのロングショットがありますが、ゴダールは、映像世界に迫害されている故郷喪失者みたいです

・質問;芸術の未来は?表現の力は電子マネーの様に、モノとの結合を必要としなくなるのですか?
・答;八十年代バブル期は貨幣の保持は危険でした。インフレですから。しかし不況期の現在、貨幣飢餓とマルクスが呼ぶ現象が起きています。同様に、表現の力は素材的内容と多様な関係を取り続けると思います

・κ実質と形式。paltipsypoteという縮約的造語で考える。n個の性たる「酒」も「参加」も、「詩人poetー性」(実質)を表現する、多と一の関係。森羅万象に存在上の優劣はない。「酒」や「参加」の個物は人間(詩人)と同等。形式はシステム+メタ、即ち、詩人たるジョイス自身のこと
・λ内容と表現。表現する事、それは常に神の栄光を歌い称える事。全ての地層が神の裁きであるからには、歌を歌い、自己を表現しているのは、何も植物や動物、蘭と蜜蜂ばかりではない。岩山も河の流れさえも、分節化された一切のものが歌っている。第一の分節は内容に、第二の分節は表現に関わっている
・μ 猫が聞いた / 不思議だ、ここには誰もいないのに、どうして、木がどんどん高くなるのかな/ と、風の神様が言った /  おやおや、変な事に驚いているんだな / 私がずっとここにいるじゃないか/ 木が育つのはね、塔のてっぺんにいるふくろうが、君をみているから
・ν ドゥルーズの図式的整理。 ξ 実質・内容Espace troué/ ξ 実質・表現Espace lisse/ π 形式・内容ーMétallurgie itinérante/ ρ 形式・表現ーMachine de guerre nomade/
・ξ Espace troué(実質・内容)の語は、直訳すると、多穴空間。ベンヤミンの概念「多穴性porous」を喚起する言葉だ。ドゥルーズは、地中に埋め込まれた沢山の穴樽から人間達が出ようとする写真を示す。自然発生的な反戦デモンストレーション、2009年二月反G20の抗議活動
・ξEspace lisse (実質・表現)。スイス訛りのフランス語、et..et..et.二重国籍者の横断的交通空間。ゴダールは言う;この顔なき圧制。世界規模で抽象的なこの圧制に、逆らってやりたい、と。仏国の徴兵を拒否し、スイス人として義務づけられている六ヶ月間の軍事教習も逃れた
・π Métallurgie itinérante(形式・内容)。写像性、線形性、結合性は、表現としての構造を決定する。ゴダールの表現構造を、ドゥルーズなら、"詩人的・錬金術的"と呼ぶだろう。paltipsypoteという詩人の大地を、写像性、線形性、結合性に還元し分節化せよ
・ρ 形式・表現ーMachine de guerre nomade/ ゴダールは作品「フィルム、ソシアリズム」Film Socialism 2010)の冒頭で語る。「貨幣と水は公共的善である」(L'argent est un bien public comme l'eau)、 と。

ςドゥルーズとサルトル、風と猫~ グローバリゼーションの脅威、容赦なく加速化していく変換の諸体系に向かって、私達一人ひとりは、スピノザ論のドゥルーズが描いたゲームに、実存的に直面している!



5自然

・大船駅付近にある不動産屋を訪ね、老いたオフィーリアと一緒に鎌倉の物件をさがす。昭和五十年代中古マンションのベランダから、隣接している手前の公園の桜を無言で見つめていた。佇む人間の姿。生まれたばかりの子供と死にゆく老人はなにも語らず、ただ世界を見つめているだけ。死を思う中世の都市


6音楽

・BBC の問い。 何故、ポルトガルに古代ギリシャの音楽が残っているか?

・イタリア・カルテットによるベートベン弦楽四重奏曲演奏。情感豊かで、まるで人が歌っているみたいだ



7東京


・東京は歴史の感覚が希だ- Why?一考の価値アリ。「空虚の中心」はバルトが日本を形容した言葉で、ロスコーの絵画の様な、有限なものに枠づけられた無限を喚起する。が、日本人は自分達の「場所」を、「空虚(無限なもの)」に浮かぶ島のように考えている。世界の消滅をもたらす「空虚の周辺」?

・Kant ; die Welt dem Raume nach endlich und begrenzt ist; so befindet sie sich in einem leeren Raum, der nicht begrenzt ist.


・電子化、作家動く"!?なぜ、エンターテイメント物書き達の著作権を心配しなければならないのか?なぜ、彼らの財産、彼らの金儲けに関心をもたなければならないのか??

・常軌を逸した凶悪犯は精神鑑定の対象では?先進国中、死刑制度を存続させている国は米国と日本だけ。EU諸国は死刑を残虐な拷問と看做している。中国の極刑を課す野蛮な裁判制度をマスコミは嘲弄し非難し、我々こそ民主主義とばかり幸福の絶頂。ヨーロッパからみると、日本人はどう映っているのか?

・フーコ「監獄の誕生」を読むと、公開処刑は囚人の身体を舞台にした戦争の再現である。処刑の失敗は国家権力の敗北を意味した。裁判員は「加担したくないが日本には死刑があるから」と語った。同様に、戦争中に現地市民を殺害した日本兵がこう考えたのでは?加担したくないが、日本は戦争している、と

・BIG SHAME ! TODAY JAPANESE JURIES IN THE DISTRICT COURT DID A SENTENCE OF DEATH. 80% OF JAPANESE SUPPORT CAPITAL PUNISHMENT.

・大島渚「絞首刑」は68年パリ革命前夜のとき上映された。今年九月アイルランドのIFCで上映するためにプロダクションとの交渉を手伝った。国家権力の暴力たる死刑制度に対して、五十年代の日本人は七割近くが反対し、二割がどちらともいえないとしたが、現在は八割が賛成している。死刑は残酷な拷問


・免田事件とは有名な冤罪事件で、免田氏は無罪判決まで、死刑執行を待つ35年間の監獄生活を送った。無罪を勝ち取った倉田弁護士の決め手は?免田氏を説き伏せ、あえて有罪を認めさせた。その代わり、使用したナイフの所有権返還を請求した。検察はナイフを提出できなかった。始めから存在しないから

・無罪判決を導いた倉田弁護士は陪審員制復活の呼びかけ人だった。氏から直接きいた話。犯人が分らない通り魔的な殺人被害者の家族に対して、生活補償資金を供与する制度が日本にはない。だから、警察と検察の言うままに、疑わしい者を憎悪すべき犯人ときめつけてしまい、世論の同情を喚起しがちだ、と

・常軌を逸した凶悪犯は、通り魔的な犯行と同じではないが、事例によっては、類似する点が多々あると思う。復讐感情を煽る法務省の官僚とマスコミは、まるで、野蛮極まる土人の儀式。まず家族に対して、国は損害補償金を供与すべきだ。被害者家族を支援する制度が必要。自分達の本当の気持ちを語ると思う

・日本の裁判所の致命的欠陥とは何か?検察官の"論告求刑"を証拠とみなしてしまう、裁判官の無責任な権威主義的態度である。司法研修生時代から、検察官の調書だけ読めば合格点をもらえる教育を受けている、との指摘もアリ。裁判官不在の、検察主導の裁判員制度は屠殺場、エスカレートしていないか?



・cette tyrannie sans visage / cette tyrannie globale et abstraite de mon point de vue fuyant / Je tente de m'y opposer

「この顔なき圧制。世界規模で抽象的なこの圧制に、私は逆らってやりたい」ゴダールは仏国の徴兵を拒否し、スイス人として義務づけられている六ヶ月間の軍事教習も逃れた。不名誉な二重国籍者と言うな!カウントダウンの話だが、君達は徴兵を拒否する準備ができているか?その英語力で亡命できるか?


・「構造と力」はポストモダン的な関係の冒険の意義を説くが、二度裏切られた。まず、八十年代消費主義の、貪欲で不毛な食欲に消化された。次に、十年前のポストモダン的オリエンタリズムの裏切りだ。日本人は単独的な主体形成の責任を放り出し、外国人嫌いの避難所(日の丸、君が代)に駆け込むとは!?


・アーチストで、プロであることを自負する人達が多いが、本当に呆れてしまう。商売人ならともかく、海外では恥ずかしいイメージ。アートの官僚みたいじゃないか!新しいことを常に創造しないと、守っているつもりの古いことも守れないのでは?人間はなにかを獲得するために、必死でなにかを破壊する必要がある、とヘルマン・ヘッセは言った


・ハイエクは耳が痛いだろう。称賛した英国のコモンセンスは結局、惰性のこと。19世紀に、人権は英国人だけのもの、アジア人には関係がないと教えてくれた!?今も、国会議員の半分が選挙を経ていない特権階級の国。言論の自由がご自慢だが、情熱がない国。何故、日本人は好きなのか?



8外国


・ウエールの詩人Petit Pascalのもとで、シュールレアリズムをテーマとしたワークショップに毎年参加した。Tate Modernの、ダリやデュシャンやピカソの作品に囲まれての詩作ー魔術的リアリズムの創作

・未来を思い出すremembering the futureという文化。アフリカに文化的起源があると信じる芸術家も結構多い。Here Comes Everybody 失われつつある歴史の感覚を、アイルランドの旅を通して発明して欲しい

・アイルランドはカトリック国で、無実のキリストの受難という物語があり、死刑反対が一般的。が、日本人高校留学生が衝撃を受けるのは、ソクラテスの弁明を題材とした死刑是非を巡る活発なディベート、Whyの世界。Yesしかないようでは、結局日本人が頭のなかで思い描いている中国のステレオタイプ?と同じ

・アイルランドが英国によって支配される事がなかった様に。意識としてのアイルランドは存在する、いかに?抵抗がある限り意識がそこに在る

・タカ派Catsの呟きに溜息。スイスが武装国?スイス人中流は四ヶ国語を使う。言葉こそ、平和を維持する為の武器。仮に言葉と土地を奪われ、宗教を禁止されても、アイルランドは存続してきた。皮肉な事に、米国からのマネーのせいで、豊かになるはずが、この無敗の国は今、消滅の危機に直面している


・軍事中立を捨て、米国からの国際投資を受け入れたケルトの虎に何が起きているのか?米国のヨーロッパ支配の影がギリシャからアイルランドに広がっている。ナショナリストはIMFとEUの10兆円救済資金供与に抗議。なぜか?IMFはアメリカ帝国主義の支店、指導下に入ったタイの国民生活は滅茶苦茶になった


・イスラエルによるパレスチナ入植地事業は国際法違法。ヨーロッパ人は公然と抗議しない?ナチス戦争犯罪に言及されユダヤ人差別者の烙印をおされる危険がある。(中国のチベット弾圧を非難しない日本人と同様?)。ナチスの戦争責任を執拗に批判するゴダールだけが、イスラエルを告発することができる

・MITの線形代数の授業か。書く行為、考える人間の眼差し、黒板とチョークと声。抽象的な記号の使用。ペインテイングみたいだ。


9身体


・成年後見制度


・フーコ「監獄の誕生」を読むと、公開処刑は囚人の身体を舞台にした戦争の再現である。処刑の失敗は国家権力の敗北を意味した。裁判員は「加担したくないが日本には死刑があるから」と語った。同様に、戦争中に現地市民を殺害した日本兵がこう考えたのでは?加担したくないが、日本は戦争している、と



10落書き・無用なもの・未定義なもの


・絵文字研究中。XはXであるという必然性はない。クワインは、~ Nec X = X と書いたはずだけど、これはどうか? そよ風が吹いて、池に波紋が広がる映像。X<<<<<<< ~N/|e・\c\ *)>>>>>>>>X 意識の時間は事物を変化させないが、空間は変化を可能にする


・面白い問題提起!深い知識か浅い知識かは言説の政治と思います。ルネッサンス以来、活字印刷と共に発展した知識が到達したのは、知識が知識自身を問う深度、自己同一的な秩序の枠、国家=本の思考。ツイッターはヒエラルキーが無い、浅い知識の方向なのか

・塾で武士と商人が共に学ぶ時代があった。蘭学と儒学の両方を学ぶ者が存在し、国学は朱子学の文献学的方法に意識的だった。商人出身スピノザはオランダ中の大学に自由に出入りできたのは、横断的な文化サークルがあったから。国家から独立したネットワーク社会で、同時代人の仁斎とスピノザは活躍した

・トマスアクナスの理性的コスモポリタニズムは朱子学的世界観の等価物。脱構築したのは、ポスト・スコトゥスのスピノザと伊藤仁斎。本当か?ポストコロニアリズムのスピノザ像は、自身の言語=ポルトガル語でなく、ラテン語を選択した哲学者だ。仁斎も同様。ラテン語と中国語は普遍的世界観の言語だった


・昔質問を受けた記憶がある。どちらも、握り飯を丁寧にいう語。御握りはもと女性語、英訳 a palm-sized triangle, ball, or cylinder of cooked rice に近い語。男性語と女性語を使い分ける訳は?こちらの方は説明困難。
今日、鎌倉で、名物の護摩ネギそばを食べながら考えた。「御」を取り除く。にぎりni/gi/riは _i_i_i の配置で鋭い高音(例、契りchi/gi/ri)。むすぶ(終止形) mu/su/buは _u_u_uの配置で鈍い低音(例、ku/gu/ru)。にぎり=ちぎり=むすぶ。え?コメの神様と関係を持つ!?

・ロンドンのユダヤ人達から、偶像崇拝禁止の文化を学んだ。彼らに見てもらうために、顔を桜の葉で隠した、本居宣長の姿を書いた。顔のない抽象性はロシア構成主義の様に、多民族社会の芸術の約束と思うが、ゴダールはレヴィナスを援用して、顔のある芸術、映画の意義の理論化を試みている

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ALSO SPRACH OWLCATO ふくろ・ねこ、かく語り き 2010,十一月後半 本多敬  言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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