言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろ・ねこー、かく語り き 2010十二月(前半)本多敬

<<   作成日時 : 2010/12/06 23:48   >>

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1哲学・思想



・Valéry;Toute vue de chose qui n'est pas étrange est fausse.奇異でないようなものの見方というものは、虚偽である。奇異でないようなものの見方というものは、虚偽である。もしあるものが現実的であるとき、それは親近なものとなれば現実性を失うばかりである。哲学者として思考すること、それは親近なものから奇異なものへと立ち返り、奇異なものの中で現実的なものに立ち向かうことではないだろうか!



・ジジェクとイーグルトンのシンポジウム。「ソーシアリズム」のテーマは2008年から、イギリス人の関心を惹きつけている。発祥の地とはいえ、資本主義が苦手な人々、と私は思う。BBC,The Guardian, Tate, BFI,LES,SOASと、英国で良質のモノは全部、社会主義的


・ショウペンハウアー/ハイデガー/ガダマーの解釈学的・存在論的美学の舞台は芸術の領域を越える。英国の反グローバリズムの言説、J.Grayの保守主義が一例。国策的経済政策の範疇を越えて、社会福祉の研究は個人と社会の関係の根本を問う。左翼知性主義は、国家エリートとの離婚で答えるべきだ

・レーガノミックス、サッチャーリズム、クリントン社会民主的市場主義と泥棒の名称は色々。米国型グローバリズムに反発したJ.Grayの新保守主義は英国中流の間で共感を得る。ネオナチ極右翼に反対しつつ、共生的で同質的な全体性を唱える。しかし何故、我々と彼ら(移民)の間に境界線を引くのか?

・サイードの言葉を再考;何故、我々と彼ら(移民)の間に境界線を引かなければいけないのか?。このように語る事もできたのではないか。"我々"と"彼ら"(移民)の間に境界線を引く為に、その境界の両側を思考できなければならない。だから、人種や血統や宗教はそういう境界線ではあり得ない、と。


・数学とズキゾ。ラッセルとケインズの退廃的な数学はなんとスキゾの輝きを放っていることか!ヴィクトリア朝の流暢で堅固な英語の網目で覆おうとしても、秩序づけられない残余が露呈する。「ソクラテス」やストック概念、こうした定数が、変数xに分裂化・炸裂していく。逃走する蜘蛛の喜ばしき狂気よ

・女性原理を書くウルフ。「パーシヴァル」という定数を変数に変えた。「ソクラテス」のラッセルの様に。ベケットに残された仕事は多くはない。名づけえぬものThe unnamableは、いかなるコンテクストからも切断された小説。テクストは変数Xに分裂化していくプロセス。tortuous!


・ウルフの小説「波」は七人の人物を混ぜ合わせる。「彼が膝に肘を置くと三角形、立っている時は円柱、前かがみになると噴水の水の曲線。彼の背後で海がどよめき、彼は私達には手の届かない所にいる」彼らが歩む時、同じ一つの抽象的な波が平面全体を浸し、その振動が脱領土化の線に沿って波及する(D)

・ドゥルーズ哲学のキーワード"脱領土化"déterritorialision。ウルフの七人の人物達は、一次元従属の関係にある7つのベクトルαβγδεζηといえようか。「同一の抽象的波même Vague abstraiteが平面全体を浸す」は、波動関数とヒルベルト空間を喚起するが

・労働価値説は人間の抽象的労働時間に比例した価値分配を規定する。この考え方だと、ロボットが働く無人工場たる先進国に限りなくゼロ、他方で、発展途上国の様な人手がかかる農業国に最大限の富が分配される。非現実的か?地球規模での工業と農業との均衡、持続可能な成長を考えた南北問題的な提言だ

・Êtrangers et voyageurs sur la terre地上ではよそ者、仮住まいの者。アベル、ノア、アブラハムはまだ約束されたものは手に入れていなかったが、 une patrie故郷を出てune patrie céleste天の故郷を求めて地上を彷徨うノマドだった

・Êtrangers et voyageurs sur la terre労働価値説はマルクス主義者の故郷たる国家も、森嶋がこの桎梏をうち棄てた。ノイマンモデルに基づく、マルクス経済学を記述した。ノマドのトポロジー。他方、労働価値説はエコロジー的思考の方向を歩む大きな可能性をもった


・「私」の主観的・存在論的哲学はアナーキズム的。考える能力をホームレス化する事によって、懐疑主義者ヒュームは多様な能力を一つにした。逆に、カントは一つのものを多様な関係にした。考える能力、欲求する能力、感じる能力のネットワークだ。多様だからこそ、考える事の独自の意義が市民権を得た



・田辺元にとって、矛盾は空間的非連続性、無矛盾は時間的連続性。数学の自由主義(集合論)より歴史主義(位相学)。これは、フーコの分析、マテシス(単純な自然、代数学)とタクシノミア(複雑な表象、記号)の関係を喚起する問題提起。マテシスは代数学(集合論+位相学)、タクシノミアは貨幣(マルクス)

・フーコのマテシスは,田辺の数学の自由主義(集合論)に対応する。les signes que la pensée etablit elle-même, constituent comme une algèbre des représentations complexes;et l'algèbre inversemant est une méthode pour donner des signes aux natures simples et pour opérer sur signes.(Focault)

・タクシノミアとマテシス。思考がそれ自身で設定する記号は、いわば複雑な表象の代数学ともいうべきものを成立せしめ、逆に代数学は、単純な自然に記号を与え、それらにもとづく操作を行う方法なのである。

・ゴダールの場合、同様の事がいえる。思考がそれ自身で設定する映像は、いわば複雑な表象の代数学ともいうべきものを成立せしめ、逆にその代数学は、単純な言葉に記号を与え、それらにもとづく操作を行う方法なのである。つまり、ゴダールは、映像と映像の関係のように、言葉と言葉の関係を構築している。映像のモンタージュ、言葉のモンタージュ。

・フーコのタクシノミアは田辺の歴史主義(位相学)に対応する。La taxinomia implique en outre un certain continuum des chose (une non-discontinité, une plénitude de l'être et une certain imagination qui fait apparaître ce n'est pas, mais permet, par là-même, de mettre au jour le continu.(Focault)

・タクシノミアはさらに、物のある種の連続体と、存在しないものを出現させながら、まさにそのことによって連続体を明るみに出す事を可能にする、想像力のある種の能力とを前提にしている


・レッセフェールの経済学、今日の新保守主義・新自由主義、フリーマーケット論者は、秩序的規範のドグマ「~でなければならない」に囚われている。供給が需要と一致するその均衡点は必ず完全雇用でなければならないと主張する。男性は女性と結ばれるべきだ、という異性愛のオブセッションを喚起する

・ケインズの反論は、供給が需要と一致するその均衡点は必ずしも完全雇用とは限らないというもの。今風に言えば、ズレが存在すると考えた。秩序的規範のドグマ「~でなければならない」と、事実の思考「~である」とのギャップを鋭く意識したのは、ケインズが同性愛だった事と深い関係があるはずなのだ

・Z;産出量、F;生産関数、N;労働量とすると、Z=F(N)、つまり、産出量(供給量)は労働量の関数。D;有効需要量を導入したケインズは失業を、D<Z、と事実的に説明。DとZの差が失業。他方、反ケインズ論者は労働組合の廃止等、貧富の格差の中で、Zが増えていくべきだと規範的に考えた


・ポストモダニズムに一線を画した大江は、「果たして近代はそれほど近代だったか?」と問いかけた。現在、「ポストモダニズムはそれほどポストモダニズムだったか」と問うべきだ。ポストモダン的オリエンタリズムのナルシズム的閉塞感。日本人は西欧の自己反省的な否定の力を、アジアの肯定と勘違いした

・アナーキズムから民族主義者まで多様なマルクス主義者が存在する。百家争鳴の渦中でマルクスは、私はマルクス主義ではないと言ったほどだ。真相は、マルクスですらマルクス主義者だった。組み合わせが大事。スピノザ+マルクスはアナーキズム的(森嶋はスピノザ的)、ルソー+マルクスなら、民族主義的



2言葉・表現・本



 囲いに抗して

海は人々に語るだろう、そのことを
流れゆく普遍的な河を想像すると、木霊が起きる
No, No, No !普遍的な声なき、声たちよ

  Against Kettle

  Ocean may speak it to people
  Echo to imagination of universal river-run
  Universal voiceless voices No, No, No !  


・ウィットゲンシュタイン曰く;この本は思考に境界を引こうとする。思考というより考えの表現に。思考に境界を引くには、その境界の両側を思考できなければならない。(思考不可能なものを思考する必要があるか)だから、境界は言語のうちでだけ引けるだろうし、その向こう側はただ単に無意味であろう


・男達も女達も預言者を信じていた。今では人々は政治家を信じている(ランボー)政治家の言葉ほど、愛される者のイマージュから程遠いものもなく、国家的事由とは愛の至高の価値の対極。我々の前で世界の全体を抱擁してみせる力が国家には微塵もないか、失われてしまっている


・「魔法の言葉」が詩を意味するなら、まさにその通りで、ランボーが生きた言葉の詩的イマージネーション。バブルの余剰の時代と現在の欠乏の時代が変わらない点は、錬金術という語彙でマネーしか思い浮かべない貧しい強迫観念。四十代以上の人間全員に責任があるとおもう


・大抵、英国人や米国人、イスラエル人には詩心が微塵もない。皆戦勝国の人々という事は偶然なのか?敗戦国からは、人間の根源を見つめた、嘘のない詩が生まれる。パレスチナ人、アイルランド人(百戦百勝につもりだが)。そして日本人は詩を尊重して来たと思う。敗戦後、詩を考えた時期があったから?


君が代が朝鮮を侵略したとき、わたしは黙っていた、なぜって、わたしは朝鮮人じゃないから。
君が代が中国を侵略したとき、わたしは黙っていた、なぜって、わたしは中国人じゃないから。
君が代が共産党を弾圧したとき、わたしは黙っていた、なぜって、わたしは共産党員じゃないから
君が代が国会を停止したとき、わたしは黙っていた、なぜって、わたしは民主主義者じゃないから
君が代が労働組合を解散させたとき、わたしは黙っていた、なぜって、わたしは組合員じゃないから。
君が代が抗議する先生達を辞めさせたとき、わたしは黙っていた、なぜって、わたしは先生じゃないから。
君が代がわたしのところに来たとき、助けてくれる仲間はひとりもいなくなっていた。



・歯医者、あと一回。好物の鎌倉葱胡麻そばを食べず、そのお金で、岩波文庫、田辺元「哲学の根本問題、数理の歴史主義的展開」1080円を買う。電車の中で読む。"数学の自由主義(集合論)より歴史主義(位相学)"は面白し。二十世紀数学史+マルクスの貨幣論=京都学派。浅田彰「構造と力」を思い出した。


・ロールズは講義計画ノートで、マルクス労働価値説、資本の有機的構成の高度化と分配率の関係を分析していた。パレート最適の市場均衡と価値法則は両立せず、だから、マルクス労働価値説は、所得再分配に関するコンセンサス、正義を前提とした考えではないか、と言う。正義のヒューム的社会デザイン

・ローズの所得再分配に関するコンセンサスだが、今日、資本と労働の間で、そのような合意が成り立つのだろうか。合意によって、賃上げとストライキを放棄したアイルランドの労働組合の惨状をみよ。約束されたもの(雇用)は手に入らず、大量失業。美しい風景たる自然は、債務抵当の山に変わってしまった!


・ΓΝΩΘΙ ΣΑΥΤΟΝ グノーティ サゥトン 汝自らを知れ


・地上ではよそ者、仮住まいの者。Êtrangers et voyageurs sur la terre アベル、ノア、アブラハムはまだ約束されたものは手に入れていなかったが、une patrie故郷を出て、天の故郷を求めて地上を彷徨うノマドであった。国家を棄てたノマドロジーの旅

・偶像崇拝!ロンドンで交流したユダヤ人達の口癖。Le veau d'or金の子牛。モーゼはシナイ山で40日間を過ごした。待つのに耐えられない人々は金の子牛を造り、エジプトから自分達を導いた神として崇拝、即ち偶像崇拝idolâtrieの始まりだ。国家・民族・領土。全部、偶像崇拝!

・地図や版画の、大好きな子供にとって、地上世界はその広大な食欲と同じ大きさ/ああ、ランプの下で見る世界の、なんと大きいこと!思い出の目で見る世界の、なんと小さいこと!/うねる大波の律動のまにまに、私達は行く/海原の有限の上に、我らの無限を揺りながら/私達は忌まわしい祖国を逃れた

・Sur les bords des fleuves de Babylone/ Nous étions assis et nous pleurions/ En nous souvenant de Sion/ バビロンの流れのほとりににすわり、シオンを思って、私達は泣いた(詩篇)

・バビロン補因は、選民イスラエルの受難の機械となり、民族の宗教感情は深められ、預言者達の幻に寄与した。バビロンは、流浪の地、異邦、欲情と悪にまみれた堕落の国の象徴で、今日のハリウッド映画と資本主義の別名となっている。現実には、交通と多文化主義のコスモポリタニズムの都市国家であった


・Jean; Le vent souffle où il veut.

・Wittgenstein; Das Subjekt gehört nich zur Welt, sondern es ist eine Grenze der Welt.


  孤蓬万里制
  浮雲遊子意

  (李白ー送友人)



女;謎々よ、あてて御覧なさい。罪と無実、この二つがコインの表裏のように離れがたく結びついているものは何かしら? 

男;さあ・・・?お嬢様、さっぱり分りません・・・

(CARMEN; Comment ça s 'appelle quand Il y les innocents dans un coin et les coupables dans l' autre?
VALET; Je ne sais pas, mademoiselle...)

女;馬鹿、ちょっと考えなさいよ。もし全世界が滅茶苦茶になっても、それでもうおさらばという事になってもよ、再び日は昇るし、大気が呼吸するものよ・・・それは何かしら?

(CARMEN; Cherchz, imbécile.Mais si quand tout le monde.A tout gâché, tout est perdu,Mais que le jour se léver, et que l'air quand même se respire)

男;分りません。お嬢様、それは皆、曙と呼んでいるものですよ

(VALET; Je ne sais pas,mademoiselle. Cela s'appelle l aurore,Mademoiselle)



・今日、日比谷の映画館で、ゴダール「ソーシアリズム」を観た。1789年に中間団体の特殊的諸権利が廃止された結果、普遍的に共通な権利しか存在しなくなり、そのような権利の宛名は一人一人のフランス人。個人と法との間にはスクリーンが不在だ。これについて、ナレーションの字幕訳に若干疑問アリ

・「直接的になった」と訳していたが、中間的諸権利=スクリーン=思考、というゴダールの等式を考慮すべきだ。中間的諸権利は、日本の場合、総評や日教組や反部落差別の抵抗勢力の事。自民党は中間団体を事実上解体させた結果、国民一人一人が刑の執行を受けるが如く、資本主義の権力と対峙する有様だ





3アート


・代補と本源を巡るシーソーゲーム。人は代補から本源ヘと遡る事を望むが、本源において代補が存在する。デリダの分析は、マルクスが「価値形式論」で描いた、相対価値形式と等価形式の間のシーソーゲームのスケッチに負うている。サルトルと構造主義、ポスト構造主義は、マルクスから誕生した鬼子なのだ


・代補と本源を巡るシーソーゲーム。西欧は本源、アジアは代理?否、逆だ。前者は代理、後者は本源だ。しかし誰も断定できない。デリダの示唆;人は代補から本源ヘと遡ることを望むが、本源において代補が存在すると認めざるを得ない。西欧にも文芸復古運動があったし、アジアにも前衛運動が存在した


・西欧が期待する日本人像。アニメみたいに空虚で自己主張しない不思議なオブジェとしての日本人。浅田彰は、アート界で流通するポストモダン的オリエンタリズムを嘆く。グロテスクな中国像は西欧のアジア差別も、日本人は欧米人の如し。中国との貿易でアフリカの経済自立が進んでいる話は全くタブーだ


・女性を「大地の母」か「幽霊」にしか描けない封建的主義的観念をやめて欲しい。そういう観念にしかリアリティーを感じない日本の観客は恥だが、追従する演劇も犯罪だ。西欧視察した長内薫の知的食欲を思い出せ。ポストコロニアリズム+フェミニズムの思想を取り込めない日本演劇は、決定的に時代遅れ



4映画・演劇



・ユートピアの旅ー失われた公理を求めて。ポンピドゥーのゴダール展が発見したのは、シュールレアリストとしての全体像ー但し、それは至る所微分不可能な全体像だ。彼は、言葉に還元不可能な、存在の過剰さを表現してきた。映画「ソーシアリズム」の公理。ホームレスとなったヨーロッパに反抗させよ!



・the narration in Godard's "Film Socialism" (2010),
Je ranconte 1789 nuit 4 août
Avec les corps sont abolis tous les droits particuliers
Il n'y aura plus qu'un droit commun
droit commun applicable universellement
condamné à chaque Français
Plus aucun écran entre l'individu et la loi





・開かれた全体性に向かって、思考すること!メロドラマ的見世物に溺れた映画と演劇。アートとしての息吹を与える思考の欠如を感じざるをえない。ゴダール「ソーシアリズム」の日本公開、しかし国家主義者が新聞評で、また機械仕掛けの紋きり型を作動させている。破壊すべし!

・ゴダールのアナーキズムは中小の地方銀行の役割を否定しない。貨幣は公共的善、即ち民衆が直接コントロールすべきと主張するのだ。「ソーシアリズム」の日本初公開。が、国家主義者が新聞評で、また機械仕掛けの紋きり型を作動させている。この二十年間、日本人の思考を弱めた自己欺瞞は、何だろうか?



・戦後の映画の傑作は敗戦国から生まれた。伊のネオリアリズム、独のニュージャーマンシネマ、日本の大島渚だ。フランス映画が存在感を示すのは、1950年年代後半からに過ぎない(ヌーベルバーグ)。ゴダール曰く、本当は敗戦国のくせに、戦勝国として振舞った自己欺瞞が、思考を弱めてしまったのだと

α探求の映画、ゴダール「フィルム、ソーシアリズム」互酬性の原理;抑圧されたものへの回帰。何故、君は記憶の散逸した破片を集めるのか?記憶の複雑な軌跡を辿り無意識の源へと下降したまえ。すると、君の自我の意識的平面からは、歴史的な記憶と意味と解釈とイデオロギーの広がりを展望するはずだ

β映画の表現としての可能性は1950年代後半に尽きる。ある意味で、カイエ誌批評家の映画製作は「終わり」から始まった。ゴダールはジョイスとブレヒトとダダを継承し、文字で描く画家を目指した。二十世紀の傑作が急速な勢いで忘却されている。現在ゴダールは「映画」を表す代名詞となりつつある

γスイスのリア王。故郷Vaudの隠遁者ゴダールを嘲弄した言葉。しかしそこはセルフバイオグラフィー的作品を制作する場所だった。夢の本、フィネガンズ・ウェイクを喚起する詩的創作、「映画史」を編集した。「映画史」の意識的平面。歴史的な記憶と意味と解釈とイデオロギーの広がりを展望できる

δ本来的に、記憶というのものは心理的フラッシュバックである。そうである以上、抑圧されたものの回帰は必然的に生じる。記憶が孕む抑圧はどこから来るのか?集団的意識に生じた政治的抑圧を、記憶は掘り起こそうとしている!歴史的な記憶と意味と解釈とイデオロギーの広がりとは、まさにこの事だ

ε et problement
que je suis seul encore
pour imaginer que l'un des visiteurs
de  ces tristes soirs
de quarante deux
私はまだ一人。
或る悲しい列車客を想像する。
1942年・・・

ζ ゴダールの編集は、異なる時間に属する別々の出来事を組み合わせる技法。(同一時間に)連続している空間の感覚を形づくるためだ。しかしその後に、連続性を粉砕してしまい、そうした虚構性を拒否する。.断片化した場面、図像間の策略的合致。こうした構図的な実験が視覚的な説話構造を創造する

θ社会的ジェスチャー。映画の表現としての可能性と、ブレヒトの演劇的異化効果Verfremclung、この両者はゴダールにおいて切り離せない。現実的な自然さを装うリアリズムを拒否し、感情レベルにおける観客の同一化ではなく、学習的参加と思想に関するブレヒト的演劇理論の分析を求めてきた

ιワルター・ベンヤミンは次の事を喚起していた。社会的ジェスチャーの概念は、旺盛な批評精神を伴なければ決して成り立たない、象徴的で経済的・社会的機能、即ち交換機能を体現した身振りとアクションの総体である、と。この場合、交換機能とは、互酬性、国家、資本、そしてソーシアリズムをいう


λ "3 + X = 1" とは何か?社会的ジェスチャーからは四つの交換機能の意義を理解できる。最初の交換様式は、農業社会に顕著な贈与と返礼のシステムである。ゴダール「映画史」が呈示する、ラングロワが創設したシネマテックの理想、フランス革命が謳う友愛は互酬原理の例と考えられる


μ二番目は、収奪と再分配のシステム。仏革命が掲げた平等のスローガンの下で、国家は貴族と教会から富を奪い、貧者に再分配した?実際はブルジョアジーに再分配した!国家機構の歯車、官僚が戦争を志向する理由は?他国から収奪した富を国民に分け与える最も効率が良い方法だから。暴力装置の所以
仏政府はシネマテックを国有化した上、検閲に従わないラングロワを解雇した事件は象徴的。国王が犬を従えた肖像画、国王の中央集権的官僚機構が臣下=国民を支配している姿と解釈できる(「映画史」)。兵隊のジェスチャー(Je vous saliue, Sarajevo, 1994)。

ν三番目は、商品交換のシステム。「商品」と「資本」と化した商業映画からは距離を取ったが、ゴダールはカルロポンティ、「軽蔑」のプロデューサーを称賛している。ただ台詞に基づく映画制作をギャングの発明と揶揄する様に、映像が言葉に従属するハリウッド体制を「純血種のファシズム」と非難する
ゴダールは「映画史」の冒頭で、バビロン=資本主義=ハリウッドのイメージ、女優の身体に対する欲望のイメージを次々に呈示する。キングコングが掌にのせた女性、吸血鬼に伴なわれた女性の姿。引用したルノワール作品からは、お金をかき集めるマダムボヴァリーのジェスチャーを観察できる

ξ四番目は、"X".としてのソーシアリズム。相互援助に基づく統整的理念のこと。歴史的に、ギリシャ民主制、フランス革命、バルセロナのアナーキズム、ロシア共産主義、反植民地主義の理念として機能してきた。「映画史」では、ソーシアリズムがフェミニストの芸術家達のイメージに体現されている

ξ「世界が存在する」という存在論的言明は「いかに世界があるか」(マニュアル的知識)と関係がない。別の世界が存在する可能性を示唆し、我々を「現在」の関心から引き離す言葉。「映画史」のゴッホの肖像画。散策する芸術家の社会的身振りは、ユートピアたるソーシアリズムを象徴的に表現する!
 何が究極目的であるのか?という問いに、我々は人間と答えねばならない。但し、それはヌーメノン、あるいは超感性的存在としての、つまり道徳存在としての人間の事をいう。カントは言う;人間については、もはや、なぜそれが存在しているのかと問うことができない」。世界の存在論的な・・・
 何が究極目的であるのか?という問いに、我々は人間と答えねばならない。但し、それはヌーメノン、あるいは超感性的存在としての、つまり道徳存在としての人間の事をいう。カントは言う;間については、もはや、なぜそれが存在しているのかと問うことができない。」と。世界の存在論的な・・・


・ゴダールの「リア王」は実はジャンヌ・ダルク。「パッション」のイザベル・ユペールはシモーヌ・ヴェイユ。オルガは、「映画史」の中のヴァージニア・ウルフ。アンティゴネは、「あなたは自分の言葉で語る事を恐れている」と詰めたデュラスだろう

・「ヨーロッパですら上映しないゴダールのソーシアリズムが、日本でロードーショー公開とは!?」。アジアにも知的なものを理解する人々がいたと驚きを禁じえないとしたら、実は自身の優越感を控えめに吐露した、19世紀のオリエンタリズムのフランス人か、英国人の言葉と同じだ


・封建主義的観念?女性を共感の中心点、「大地の母」か「幽霊」に還元する貧困のこと。そういう観念にしか現実感を感じないとしたら日本の観客は幼稚だが、迎合する演出家も下劣だ。世界と衝突せよ!拒食症になるな!ポストコロニアリズム+フェミニズム思想を取り込めない演劇界は、決定的に時代遅れ


・ジョイス小説「Dubliners」は「ダブリンの人々」と訳すのが適当で、「ダブリン市民」は致命的誤訳。「市民」は独立後、体制内化する、英国と同様な反動的抑圧者に転化したエリート達。ジョイスは市民を軽蔑した。「ソウル市民」命名はこの誤訳と関係がある。口語演劇は歴史を軽視している?


・Γshort story-;アイルランド編。panopticは、"全てが一目で見える、パノラマ的"の意で、植民地主義的な響きを持つ語だ。フーコが分析したパノプティコン(一望監視方式)の語源。このタイプの監獄はダブリンに現存し、英国のアイルランド支配の象徴として博物館となっている。
 監獄は寒い。独房の中で凍え死んだ囚人が多かったという。パノプティコンの中では、仮に監視者がいなくとも、中央の塔からの光線(実際は天井からの光線)があるかぎり囚人は監視者の存在を意識せざるを得ない。善と英国を表す光だ。囚人は温かさを求めて天井ばかり見ていたはず。なんて残酷な話だ。
 この原理は規律・矯正型の権力技術として近代社会全域に応用されている。ゴダール「パッション」は労働者をこのタイプの囚人の如く描いている。シェークスピアのテンペストは、このキルメインハイム監獄を舞台にして上演された。まさに幽閉の場所だが、事実アイルランドがモデルだったという説アリ・・・
 島の妖精はプロスペローから言葉を教わった結果、主人に従属する奴隷状態になってしまう。母を異教として排除する。これは、英国が現地住民の言葉・宗教・土地を奪った歴史とぴったりと対応するのだ。アベー劇場で観劇した時、難破船の旗は緑色(アイルランドを表す)。驚いたのは、ミランダは農婦みたいだった。

・キルメインハイム監獄は アイルランド独立の指導者達が処刑された神聖な場所だ。私があえて撮影した写真を、アイリッシュの女性達に見せて自由な感想を言って貰った。「この国の女性達はここにすんでいる!」という意見は衝撃的だった。男性原理の天皇制のもとで抑圧される日本の女性達と全く同じだ

・嘗て王立映像博物館にソビエトの移動映画館、即ち列車が展示されていた。エイゼンシュタインのプロパガンダ映画を中で上映し、文盲の民衆に革命の意義を伝えた。ボルシェビキの兵隊に扮した英国女性が弁士だった。Field Dayと呼ばれたアイルランドの草の根の演劇活動を知っているだろうか?

・1972年に、デイリーの住民達は公民権のデモをを展開した。英国軍が丸腰の民衆を射殺する「血の日曜日事件」が起きた。貧しい国は自前の公共メディアを持てない。英国BBCは真相を伝えない。何かが起きているはずだが、皆知る事ができないのだ。Field Dayが世論形成の役割を引き受けた
 
・Field Dayは紛争地ディリーへ行き演劇と公開討論を組織した。フリール「トランスレーション」は、アイルランドの歴史を問題提起した。幹部達は公平な見地に立つ為に、カトリック3人とプロテスタント3人で構成された。西部の僻地へも行った。この活動を注目したのがサイードとバレンボイムだ


5自然



・The momentum mv Leibniz called the "dead force", while mv² is the true measure of the "living force", whose totality in the universe remains constant

mvは死んだ力とライプニッツが呼ぶモメント。mv²が生きた力で真の尺度だ。 生きた力は宇宙の中で全体として、一定である。ライプニッツは保存則を経験的でなく、形而上学的な等価物とみなした。結果は全て原因に対応すべきであり、失われるものはなにひとつ存在しない

・Scholar in Room with Spiral Staircase.Rembrandt's representation of space is reminiscent of Leibniz's spatial concept,
which has to do with the dynamic development of forces and continuous temporal transitions.

レンブラントの空間表象はライプニッツの空間概念を喚起する。力の時間的発展と連続的継起上の変化を扱う


・Cats 猫(neko)


・労働価値説は、人間の抽象的労働時間に比例した価値分配を規定する。この考え方だと、ロボットが働く無人工場に限りなくゼロ、人手がかかる農業部門に最大限の富が支払われる。非現実的だが、地球規模での均衡、持続可能な成長を考えた視点では?中国人全員に行き渡る量の車を生産したら地球はend

・ゴッホの様に最低生活の、多くの芸術家達の報酬を考えると・・・・一般的に芸術家は作品を商品と考えたくないが、映画の世界になると、産業と芸術の世界という事情もあって、マネーの事を熱心に語るゴダールの様な人がいる。例えば、一年間の生活費を分子で、作品数を分母、と提案している


・カネの力で公害裁判を意図的に引き伸ばし、生き残った原告の砒素中毒患者、最後の三人の死を期待した大企業。会社の人達は他者の気遣いも自己への気遣いも優先権を持たない自分達の"正義感?"を示すが、実際は彼らにとって会社だけがが正義、人の命はゴミ同然

・ 多文化主義の場合、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の共存が最重要課題、ロールズの主張は統整的理念と成り得る。他方、階級的対立の場面に適用すると、"国を豊かにする為に"労使協調的にやって来た事"と日本人は勘違する危険がある。アジアの搾取を顧みず、だ


・アメリカ人観光客は無邪気に、妖精はどこで会えるのか?ときくと、アイルランド人はむかついていた。雪が降らない国ですが、ヒューストン監督の映画「ザ・デット」の雪のシーンが有名。人間を自然に還元した描写手法に文化的偏見を読み取る映画研究者もいる



6音楽



・ロンドン滞在中、バレンボイムはベートーベンのピアノ曲全曲を演奏した。何故イスラエルでワグナーを指揮するのか?見よ!私は、自分達を絶滅せんとしたドイツ人の芸術を愛している!私達は、敵としているパレスチナ人を受け入れる方がずっとたやすいはずだ!政治的に発言するロマン主義芸術家の戦略



・スターバックスの、米国人が明るく歌う不気味なXmasソング。あれ聴くと頭の中のトカゲが暴れ出す。カミは私達に新しい契約に仕える資格、文字ではなく、霊に仕える資格を与えて下さった。La lettre tue, mais l'esprit vivifie.文字は殺すが、霊は生かします





7東京



・日本人の肖像画ーニーチェを読むアメリカ人。「Supermanは・・・」と、ニーチェを語るヤンキー。日本人は恥ずかしく思うが、日本人がÜbermenschの語を「超人」と言っているのと変わらないのだ。超人や永劫回帰や踊る哲学といった贋金や西欧起源のガラクタはヤンキーを赤面させる

・思想哲学はヨーロッパ人が長年命懸けで獲得してきた。パリの若い芸術家達がピカソの複製を街頭に展示するのは何故?思想の闘いがピカソを必要としているからだ。そんなにニーチェが好きだというのなら、何故、ヨーロッパへ行って思想の闘いを学ぼうとしないのか?何故、偽ーニーチェで満足なのか?

・ニーチェが嘲弄したのは、日本人に顕著な、潔癖で去勢された集団ナルシズムだ。なにかを創るためには必死でなにかを破壊しなければならない。怠けてはならない。「超人」や「永劫回帰」といった和製のガラクタを徹底的に拒絶すべきだ。皆、日本人に適応した、去勢された概念に過ぎないのだから。


・戦勝国の英仏は敗戦国ドイツに対して、再興不可能な規模の報復的賠償額を押しつけた。その結果、ベルサイユ条約の破棄を求めるナチスが台頭した。「国民が税金と金利の放棄で支払え」と命じて来た日本の銀行は、賠償金を要求する外国政府と全く同じ。結局、不良債権の為に若者が犠牲になったのでは?

・天皇を称えた軍国歌。敵を殺し戦争で死んで来たら靖国で迎え入れてやると。これが平和憲法と民主主義の国歌?何故拒否する先生を罰しているのか?裁判を続けた池田氏の話では、推進する文部省もヤバイと知っていて歌の意味を絶対に明らかにしたがらない、との事。誰の為の歌?


・日本人の肖像画シリーズー日本人の顔を映し出す中国商品。新自由主義的資本主義、グローバリゼーションの脅威、容赦なく加速化していく変換の諸体系、中国商品との競争の激しさによって、孤立感を深める日本人は日本人のうちに歴史性を発見したと考えられがちだが、そうではない。逆の事が起きた
 
 中国商品はまず固有の歴史性を受け取り、日本人に従属せず等質でもない歴史を展開している。日本人はそういう他者の歴史とすっかり絡み合っている。漢字エクリチュールを古代日本語を映し出す鏡とした本居宣長の試みが繰り返される。日本人は中国商品を鏡にして、自分達の顔を映し出そうとしてる

 自然の富は日本人に対して、黄金時代のむかし(高度経済成長)も、その遠からぬ回帰(バブル経済)も、もはや指示しない。自然の富はいまや、中国商品だから。南の島は、森に木霊したに違いない共同体の叫びの余韻もとどめていない。右翼政治家達に迎合したその対価は大きい。若者は徴兵制へ歩む


・合理的選択理論に関して、男女雇用均等法が成立した八十年代、まだ地方出身の女子大生達は男親に相談し投票所に行った。労働法の先生になった人から、「男性はこうあるべきだ」という言葉をきくと、愕然としてしまう。「貧しさ」の文化概念を批判的に相対化する必要がある


・父は大蔵官僚でケインズ主義者だった。収奪と再分配のマシーンの歯車。常習的覚醒剤の様な、無気力な出世競争と奴隷的名誉心の虜であった。恐ろしいのは、彼らの腐敗が国民全体に広がること。日本人一人一人が官僚の様に考え、戦争、即ち国家権力の暴力たる死刑制度を支持している

・国家(官僚階級)は収奪と再分配の機械だから、「富者から奪ったものを貧者に再分配せよ」とケインズ的に機能できるが、結局は、「敗戦国から奪って自国民に再分配せよ」と必然的に、ビスマルク風に戦争を志向する


・反グローバリゼーション運動の人々は、新しい市民コンセプトを模索し始めている。日本のマスコミも積極的に取り組むべきだろう。例えば、日本の教科書を開くと、殆ど全員男性作家だが(考える女性は一人もいないのか?そんなはずはない)、新聞もそうなっていないかチェックすべきである

・女生徒はこのような教科書の体制で自信をなくしてしまう。ここから、女性が女性を軽蔑するということも起こり得るだろう。少ないが、女性作家も扱われていないわけではない。ただ、大地の母型の詩人しか登場しない。富岡多恵子の様な、考える女性作家は取り上げられない。




8外国



α;short story 無慈悲な"単なる肯定"。「犬とアイリッシュはお断り」。1950年代の英国人の家の掲示板の文句だった。実際に彼等は犬だった。ロンドンに辿り着いた人々は疲労と空腹で公園で死んだ。アイルランド人がアイルランド人である、"単なる肯定"。ああ、なんと無慈悲な!

β;"Here comes Everybody"の理想も空しく、アイルランド人の移民の歴史は自己否定の歴史だ。アメリカ人となる。90年代ケルトの虎、史上初の高景気とともに故郷に帰還した時、二重否定の恩寵は起きなかった。米国アクセントの人々は孤独のあまり、恋人相談所に駆け込んだ



・何を+プラスと考え,何をーマイナスと考えるかは,所属する社会が何を規範としているかだ。英国は日本より相当に貧しいが、本の文化を尊重している。昔の銭湯の様に、街に、公共の図書館があり、皆利用する。(ビクトリア時代からの文化的相続?)本に税金がかからない。豊かさを感じた



・周辺国の作家達はネットを積極的に利用している。インドネシアの中国系作家は、映画史を回顧した記事と政府の検閲制度を批評した記事を送ってくれていた。と、突然アクセス不可能に。単なる嫌がらせか?当局の通信妨害か?同性愛を描いているシンガポール映画監督は検閲に対する抗議の言葉を伝えてきた

・友達の嘆きの言葉「アイルランドには完璧がない。立入禁止の掲示と柵があるも、どこかに必ず出入自由な破れがある」。教室と生徒を予め固定しないのは混乱の極み。彷徨える日本人でしたが、見方によっては、常に尋ねる人を必要とするsociability のシステムでした

・アイルランド憲法は中絶を一切禁止。レイプで妊娠した少女達は中絶できず、自殺する事例が多い。今週、欧州最高裁は癌のアイリッシュ女性の中絶権を自己決定権として認めた。カトリック教会はレイプが神に対する人類の罪とみなす。どんな理由でも、少女の中絶は、神に対する二度めの罪を犯す事になる


・北アイルランドのGiant's Causewayも、Thin Placesと看做される場所だったとは知らなかった。ダンテの時代には、火山と大穴がある煉獄は、シシリー島か、アイルランドのドネゴールの島と考えられていたそうで、今も巡礼が続いている


・大島渚「愛の亡霊」は葉っぱを集めて暮らす貧しい人々を描いた。恐らく大島はマルクスの記者時代の論文を読んでいたはず。「葉っぱ」は私有なきcommon landの象徴。アイルランド神話が語る、神々が闊歩した大地。ゴッホ


・十年前インド時代の到来を告げた専門家達。今日中国経済が凌ぐとは夢にも思わなかった。一夜で国家資本主義に変貌?受験生の一夜漬じゃあるまいし。多分、社会主義中国はソ連ほど中央集権的でなかったのだ。毛沢東時代から、地方分散型市場ネットワークが整備され、資本の本源的蓄積が進んだとの説も

・世界中のメディアがアイルランドに注目している。日本の無責任な銀行の様に、アイルランドの民間銀行も大量の不良債権を抱え込んでしまい、借金はGDPの130%。国民が全部、税金でEUに返却しなければならない。失業率は4%から14%に急増、借金地獄のもとで、数字は止まる兆しが全くない


・二十一世紀の英吉利見聞録 

・"売れるものはなんでも売りまくれ!英国大売出し!!"これがかつて小泉が称賛したサッチャーの突撃命令だった。痙攣!国家が銀行の支店となる賭博的実験精神。え?社会主義の問題点は他人の金を使う事だって?でも英国もアイルランドと同様の借金地獄、国民が民間銀行の天文学的数字の借金を肩代り
・日本人はいまだに、欧州の中堅諸国の一つに過ぎない英国を、嘗て地球半分を支配した帝国と勘違いしている?石油への渇望からイスラエルを軍事要塞化した米国の忠実な妾。米国からの海外投資を物乞いの様に待つ。EUで主導権を握るべく、俺の背後に大鷲がいるぞ、と空威張り。アジアの中の日本と同じ

・英国人とアイルランド人、求め合う敵同士。英国人持ち前のユーモアのセンスは後者の移民からの影響。IRAのマッチョな鉄組織は、英国との闘いの中で敵の考え方が浸透したと指摘する声も。勇士クフーリンは英国のマッチョなキリスト像の影という説アリ


・良いユダヤ人と悪いユダヤ人?ユダヤ人=共産主義者というチャーチルのパラノイア的偏見。アラブ人に対して「good guy and bad guy」と分類したのはブッシュ。不寛容な原理主義が席巻する中、ジジェクはICAで、聖書を読めばキリストをやっつける方法が分る、と皮肉を放った


・古代天皇制において観察できる様に、外国人の王は、被支配者の宗教に改宗する事によって、権力の起源を隠蔽し、権威を確立する。同様に、狡猾な英国王室はセルフイメージself-imageを変革する歴史。王殺しのロシア革命以降、外国の起源を隠蔽し国教会の守護神の如き超越化の方向へと歩んだ。


・狡猾な英国王室はセルフイメージself-imageを変革する歴史だ。王殺しのロシア革命以降、外国の起源を隠蔽し国教会の守護神の如き超越化の方向へと歩んだ。現在、これとは逆に、、ユダヤ教・イスラム教と共存する多文化主義に迎合し、国教会と結びついた排他的な宗教色を消そうとしている



・ロンドン市長;多文化主義は平和時に最大の収穫を享受する一方で、戦争になれば最悪に転化してしまう。言葉通りに、イラク戦争加担の結果、多文化主義のロンドンは崩壊した!「我々」と「彼ら」の間で排他的な分割線が引かれると、差別されるマイノリティー達は人権尊重の古い自由主義に訴え始めた


9身体



・"障害者の「害」の表記は問題視されるのに健常者の「常」が問題視されないのはおかしい" ご指摘に同感。昔から嫌な言葉と思っていた。



10落書き・無用なもの・未定義なもの

・Wittgenstein;Das Subjekt gehört nich zur Welt, sondern es ist eine Grenze der Welt. 主体は世界に属さない、世界の境界だ。

ふくろー;彼はノルゥエイーやアイスランド、アイルランドといった欧州大陸の境界が好きで、小屋をこしらえて生きていた
ねこー;アイルランドにいたときも、結局ダブリンから境界の西部の方へ行ってしまったんでしょう?結局、主体は・・・
ふくろー;世界に属さない風だったのさ


・左翼的政党は相対的貧困の問題ばかり扱っているが、上野千鶴子の指摘では、マルクスは絶対的貧困を求めていたはず。入国管理を廃止し、労働の自由な移動をみとめる。賃金が下がり、全員が等しく貧しくなる。でなければ世界革命はあり得ないと。正論だ

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ALSO SPRACH OWLCATO ふくろ・ねこー、かく語り き 2010十二月(前半)本多敬  言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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