言葉と表現と射影のブログ

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zoom RSS ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月5月後半 本多敬

<<   作成日時 : 2011/05/15 07:30   >>

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思想・哲学

・西田幾多郎「善の研究」。問題提起的な語り口で、スピノザ汎神論、カントの人格的道徳法、互酬的交換原理を横断的に洞察している。TPPを追う現在の官僚機構の様に、国家が、資本主義の悪(貧富の格差)を是正できないとしたら、互酬的共同体しか残されていないだろう。善の研究、即ち社会主義の研究

1左翼というのはスコラ学者の様に定義したがります。実体とは何か?属性と様態とは何か?と問い続けます。そして見える定義の集合のなかに、見えない自己定義の集合を差異化させることによって、内部矛盾を抱擁するのです。私達の歴史のなかに、「私達」に還元できない、他者の歴史を実在化するのです

2、哲学者のデリダは、私達の歴史(=声)のなかに、「私達」に還元できない歴史(=書く行為)を、顕現化させました。これとは逆に、アイルランドの左翼達は、私達の歴史(=書かれた言葉、英語帝国主義)のなかに、「私達」に還元できない歴史(=声、ゲール語やハイベルノ英語)を発明したのです。

3、ポスト構造主義のフランス的エクリチュールであれ、アジア・アフリカ・ラテンアメリカのポストコロニアリズムの民衆の声であれ、他者性をどこで重んじるかの違いだけです。これに対して、「君が代」は、「私達」のなかに他者の歴史を消去してしまう暴力です。「正義」と勘違いしないでくださいね!

4、大江は真に左翼的文学者だ。日本という見える定義の集合のなかに、見えない自己定義の集合(フクシマ、原発)を差異化させて、なにかを言わんとしている;フクシマを過去の出来事とし、これまでの原子力計画を続けるとすれば、そのあいまいな日本の、次の私達に、果たして未来はあるのでしょうかと

5、Remembering the future(未来を思い出すこと)の意義は?フクシマとヒロシマ、見せかけの力に誘われた命懸けの投企だ。「フクシマを過去の出来事とし、これまでの原子力計画を続けるとすれば、そのあいまいな日本の、次の私達に、果たして未来はあるのでしょうか」(大江)


6、ウィットゲンシュタイン「家族的類似性」は類似性の表象ネットワークだ。ここから、実存的な!ドゥルーズの差異論は遠くない。フクシマとヒロシマの間の類似性は同一性の論理に還元できない。フクシマが出来事である所以だ。つまり私達は理解できないまま新しいヒロシマを生きなければならないのだ

7、「フクシマは同一性の論理に還元できない」とは何か?例えば、七十年代石油危機と神戸震災の後、Japan as No.1のナショナルプライドの下に、原発建造とネオリベが国是とされた。今回の東北震災と原発災害も、繰り返しそんな国是が当然視されるとしたら、「同一性の論理」の暴力だろう

8、「未来を思い出す」とは何か?死者からの問いかけのことだ。今後、経済体制のあり方が根本から問われていくだろうが、国民投票や選挙の際、災害地のボランティアの人々に、今回亡くなられた方々(一万五千人?)分の投票権を分割して贈与したらどうだろうか。例えば、ボランティア一人1.1票とか

What is "remembering the future" ? It is the existential projected-down by simulacre; Fukushima and Hiroshima.Tous est devenu simulacre

9、アウトサイダーの心理的疎外感。「家族」のブルジョア的秘密の周りで転回させても、その映画は小説の表現に過ぎない。人間を中心とした、事物の秩序を破壊できないままの表現だ。 手持ちカメラのテクニックはゴダールに書く力を与えた。スピノザの神=自然を喚起する、開かれた世界が炸裂し始めた

10、ゴダールこそ左翼的精神の編集だ。フランスという見える定義の集合のなかに、見えない自己定義の集合(ベトナム、スイス、パレスチナ)を差異化させてきた。見えない自己定義の集合は、レジスタント運動の歴史へと越境することになった。現在は、ソーシアリズムとしてのヨーロッパの探求へ向かう


スピノザの疑問;

(1) pourquoi le peuple est-il si profondément irrationnel?
(2) pourquoi se fait-il honneur de son propre esclavage?隷属(原発)に誇りを持つ人々ってなに?
(3)pourquoi les hommes se battent-ils <pour > leur esclavage comme si c*était peuple leur liberté 自分達の隷属を深めるだけのもの、でも自由と勘違いしちゃって、毎日たたかっている日本人
(4)pourquoi est-il si difficile non seulement de conquérir mais de supporter la liberté東北震災はゼロからの出発だった敗戦と類似して、様々な可能性を探求する機会だ。ネオリベしか選択肢がないのか?
(5) pourquoi une religion qui se réclame de lùamour et de la joie inspiretelle la guerre, l`intolérance, la maleveillance, la haine...
(6) la tristesse et le remords外国人排除という点で、君が代と新興宗教の排他性は一致している。外の文化との接触を通して、豊かに育まれる文化の成長を憎んでいる理由は?(1670, Traité théologicopolitique, Spninoza)


・ラブレーの実家、フランスの田舎を旅したことを思い出しました。フランスの農業について考えました。アイルランドとイギリスの田舎は、特に後者は顕著ですが、債務証書の風景と形容できますでしょうか、荒れてしまっているんですね。英国の産業革命とアイルランドの食料供給基地としての歴史を証言しています。フランスは全然、ちがいます。あまり長くはかけませんが、農業労働を商品化していくことの無理や、農業資本を商品化していくことの無理というのがあって、そういう資本主義的経営に対するエコロジカルな抵抗を観察することができました。多くの若い人の農業へのかかわりに感動しました。日本はもっとフランスをモデルにしたらいいのに、なぜか、アングロサクソン的なイギリスを追い続けていますね。アメリカの農業のことは存じ上げませんが・・・

・たしか、マルクスの再生産表式は、ケネーの経済表から、アイデアを貰っています。そこから、産業社会における階級概念を練り上げていきました。山本さんの経済循環=エネルギー循環の表は、大変示唆に富んでいます。とくに、小作農=電力業者、が非常に面白いです。私も、長崎さんの「55年体制」の問題提起を念頭においた、経済表を、書いてみました。                                                                                                                      「小作農」=下請け・臨時雇い・非合法労働(日本における内なる第三世界、内なる「南」)                                   
「地主」=不変資本(労働等の可変資本と区別される概念で、技術革新と資本蓄積を理解する鍵ですね)                        
「商人」=ポスト産業的活動と呼ばれているもの(オートメーション化、エレクトロ二クス、情報処理、宇宙開発、原子力開発、軍備拡大・・・)


・私の「経済表」ですが、これをマルクス的に、解釈しますと、産業社会に於ける、服従の中心的課題は労働であり、所有と労働、ブルジョアとプロレタリアという二極体制を想定していた、と思います。「55年体制」の前のことですね。それに対して、55年以降は、技術革新と資本蓄積が重要な展開です。隷属において不反資本が中心を支配するという状況において、労働は上に述べた二つの方向に炸裂するように見えます。(「小作農」と「「商人」に各々対応する二つの労働のことですね)。いわば、古典的な雇用の公理系は殆ど崩壊してしまい、(アングロサクソン的に饒舌に言うと、「ゲームの規則が変わった」ということです)。55年以降、ポスト産業社会に向けた自民党的な似非開発独裁の全体主義的傾向と、、身分を多様にする社会民主主義的な傾向とが、ここで結合することになりました。結局、それが自民党であれ、民主党であれ、事柄の本質は同じです。それが目指すのは、常に階級の分断です。結果的には、脱原発のデモの主体を見て明らかなように、ドゥルーズ風に言いますと、「ラジオになること」「エレクトロニクスになること」「「分子的になること」、つまり、すべてのものがマイノリティーとなる、そういう人々が、あらたに抵抗の主体になっていくんだと思います。


・「首都機能」ですか・・・?「首都機能」と彼らが呼ぶものは、不愉快なんですが、石原の、陰謀論に基づく贋国防観を思い起こします。「首都機能」が崩壊すれば、不穏な外国人グループが反乱を起こして外国軍が攻めてくるぞ、という右翼的な脅かしです。反政府派が国の「統治機能」を覆すことを企てているように、反原発派が「首都機能」を崩壊させるつもりだ、という質の悪いプロパガンダですね。ですから、「首都機能」は、ナショナリズムの悪夢を呼び起こす呪文で(笑)、物理的実体も、経済的実体もない「張子の虎」と思います。ところで、「軍隊がないと侵略されてしまい国が無くなる」という右翼の主張を検証したくて、アイルランドへ行きました。侵略されても、国たる民衆は存在してきたことを学びました。求め合う敵同士という複雑な依存関係のことも、今こそ、私達は原発のない国を見てくる余裕が必要と思いますよ。


・ロンドンのカフェで此方側にいるユダヤ人を指差すと、空間の差異化が始まる。あちら側のスラブ系労働者達は物思いに耽けるこの彼を胡散臭く見るかも。スラブ人の共同体幻想は、元々東欧のユダヤ人移民がもたらしたものではないかと考える私。自己参照系は、その彼らが、観察する私を一瞥した時に生じる


・陰謀論は映画時代に顕著な妄想?映画のスターというのは単純な人格の膨張です。なにか単純な膨張に対する愛と憎悪から、スターへの憧憬と、第三世界の軍事指導者の様な、捏造されたグロテスクな映像に対する敵意が生じるのです。ミーハーも爆撃論者も、カタルシスの飢餓地獄です


・陰謀論は世界を単純化してすべて理解可能な気にさせてくれますね。物語を編むものにとっては実に都合のいいw 読者にとっても非常に分かりやすい。グローバリズムの世界観も似てますね。恐ろしくシンプル。そしてフセインやビンラディンが造られた。彼らが欲したから造られたのです(金子氏)


・陰謀論はよく知らないんですが、大英帝国時代に発展した探偵小説のジャンルではないか、と。犯人は植民地に起源を持つ「劣った者」が多いそうです。アングロサクソンのバイオグラフィー好きは有名で、特に軍人の、ですね。探偵小説+バイオグラフィー+オリエンタル的陰謀論=0


・単純で「劣ったもの」を愛する似非科学の権力的倒錯です。英国支配は文明をもたらした、と、無知な日本人が喋ると、「おまえはテンペストのプロスペローか」と疑問に思います。19世紀に文明の最高の尺度だった社会進化論の対象だったことを、アイルランド人は決して忘れません


・「適者生存」はダーウィンのタームじゃなくてH・スペンサー。A・コントと並ぶ社会学の祖。社会進化論は社会学の「理念型」。社会学は方法論を人類学と共有している。植民地主義と親和性が高いのも当然か。 @owlcato 彼は功利主義を乗り越えたつもりが、リベラリズムに顕著な植民地主義に

☆ウィキペディアによれば、適者生存(survival of the fittest)とは、ダーウィンの"struggle for existence"「存在し続けるための努力」に対して、スペンサーが発案した造語。#after311&44 のあらゆる試行錯誤は、サヴァイバルの努力!


・言葉と物の翻訳者・渡辺さんが呆れていましたが、日本のポストモダンニスト、多くの者は大澤の様にモダニストに転向しましたが、底が浅い、と。確かに、モダニストになればいいってもんじゃない、何故なら、「近代」には植民地主義がつきまとうからです。彼のナショナリズム論は質の悪いハリウッド映画


・大澤によると、ロールズとサンデルの支持者は、米国の背景、ネオリベ・原理主義・右翼的草の根運動の台頭を知らないと危惧する。心配無用、読者は歴史を学ぶはず。ネオリベの原型が、19世紀モダニズム、自由主義+植民地主義にあると、大澤は理解しているのか?透徹した論理が歴史観を空ろにしている


・宮台の様な、クールで毒のない学者について特に言う事もない。なんだか寂しいから、アングロサクソンの新聞を熱心に読んでいますね、と言っておく(笑)。アナキズムに共感を寄せているなら、理念型を組み合わせて複雑なネットワーク理論を発明して欲しい。毒がないから日本人に人気があるんだろうけど


・見せかけの力、但し、命懸けの一回性という点が大事だったと思いますが、ペンローズのプラトン的考察がドゥルーズの「出来事」に接近しているのは注目しています。ー>過去の本質の提示・・この再演こそが、ドゥルーズの「出来事」なのだ。極度の観念的な再構成としての「出来事」=「考えられたもの」

・La solitude empêche la solidarité. La solidarité corrompt la solitude. « Solitude limits solidarity.Solidarity corrupts solitude »[ Sontag]

・90年初頭に、初めて、アメリカ、ニューヨークに行ったとき、持参した本は、ゾンターグの「エイズと隠喩」でした。結局、エイズの、免疫不全のメタファーは、テレビや新聞で軍事的なイメージを具現していて、これは、同性愛者差別をはじめ、外国人排除と移民制限の政治的な帰結を伴なっていると分析して、こう主張しました。健康かもしれないが孤立して生き続けるよりは、仮に死をもたらすとしても外との連帯を私は望む、と。この言葉は、本当に衝撃的でした。私にとって、今日に繋がる大事な言葉です。


ポストモダニズムは,意味の不在が言語によって与えられる時代、というべきではないだろうか?しかし、時代はモダニズム的価値観だ。部屋という、空間を喚起する言葉が適切だろう。

・古典主義は,意味が伝統や権威によって与えられる部屋
・啓蒙主義は,意味が理性によって与えられる部屋
・モダニズムは,意味が科学的手法によって与えられる、あるいは、意味が科学によって与えられる部屋
・ポストモダニズムは,それらの部屋に隣接した廊下






言葉・表現・本

「La question est en fin de compte pouvons nous changer? Il sont rares dans l histoire les moments ou la conscience des peuples les a conduit au changement, je parle de changement individuels des habitudes entrainant un changement plus global. Il est important que chacun s efforce de relayer le message de la necessite du changement. Le japonais peuvent etre les leaders de l humanite pour initier un changement precursseur. Je ne vois aucun autre peuple au monde capable de cela. Nous autres les occidetaux passons notre vie a nous rependre a deversser le flot de nos sentiments quand vous les japonais savez garder votre dignitee dans le silence. Vous les japonnais avez montre au monde que la solidarite et la compassion ne sont pas que des mots. C est dans la culture japonaise milinaire que vous trouverez la force du changement. Si vous les japonais ne le pouvez pas personne ne le peut.」 (フランスの農民)


・Shakespeare : O, wonder!/How many goodly creatures are there here! /How beauteous mankind is! O brave new world, /That has such people in’t!

Shakespeare : how the world wags.., from hour to hour we ripe and ripe, And then from hour to hour we rot and rot, And thereby hangs a tale.


▶シェイクスピア:「〔ジェイクィーズ〕世界ってもんはフワフワモコモコ…俺たち人間は、時から時へと熟れに熟れ、そしてまた、時から時へと腐りに腐る、物語ってもんがあるのは、そこん所よ。」(『お気に召すまま』二幕7場) @itokenstein #meisaku


・アルトやマラルメの研究者に叱られるかもしれませんが、ポスト構造主義のフランス的エクチュールですが、ジョイスに匹敵するテクストがフランスに存在するかは疑問です。他方、カイバード等アイルランドの左翼達は仏文学に通じた人々で、その文学理論なくしてジョイスはあり得ない、と自覚します


・君が代は、カフカが描写した「手続き」なのか?「君は事実を誤解している、判決は一度になされるのではなくて、手続きが漸進的に判決に向かって溢れ込んでいくんだ」。国民だけでなく、強要する文部省すらも歌の意味が分らん。贋愛国者にはサッカー応援の如き歌、私は公開処刑の手続きにしか聞こえない

Truth, like light, blinds. Falsehood, on the contrary, is a beautiful twilight that enhances every object 辿りつかなくとも、カフカは努力してさがす。カミュは怠けてさがさない


"La vérité, comme la lumière, aveugle. Le mensonge, au contraire, est un beau crépuscule qui met chaque objet en valeur" —Albert Camus

Kafka : Die eine Stelle lautet: daß er ihm jetzt den Eintritt nicht gewähren könne und die andere: dieser Eingang war nur für dich bestimmt.

▶カフカ『審判』⑵:「この物語は、門番による二つの大事な説明、掟への入城に関する始めと終わりの説明、を含んでいる。或る箇所に曰く:門番は彼が今入ることを承諾しえない、また他の箇所に曰く:この入り口は貴方のためだけのものと決められていた、と。」 #jinsei #meisaku


Die Logik ist zwar unerschütterlich, aber einem Menschen, der leben will, widersteht sie nicht.Wo war der Richter, den er nie gesehen hatte?

▶カフカ『審判』⑶:「なるほど、論理は揺るがし難いものだが、生きていこうと欲する一人の人間には歯が立たない。だが、彼が接見できなかった、裁判官は何処に居たのか?彼がそこまで行き着けなかった、高等裁判所は何処に在ったのか?」 #jinsei #meisaku


„Du mißverstehst die Tatsachen,“ sagte der Geistliche. „Das Urteil kommt nicht mit einemmal, das Verfahren geht allmählich ins Urteil über.“

▶カフカ『審判』⑴:「君は事実を誤解している、判決は一度になされるのではなくて、手続きが漸進的に判決に向かって溢れ込んでいくんだ≠ニ坊さんは言った。これもそうなんだ≠ニ言って、Kはうな垂れた。

・いかほどの死、それも象徴的な死や真似事の死ではなく、いかほどの現実の死が、唯一つの生の到来の犠牲になっているかが分れば、どんな意味であれ、最早心配の種とはならない。生は只それ自身によって満たされる。いかなる意味にも還元不可能なこの生に、唯一の意味を与える-破裂の段階に至るまでJJLG/JLG

・読む人間 大江健三郎 読書講義」(2007年集英社);第二部「後期のスタイル」という思想ーサィードを全体的に読む、は示唆的でした。平和戦略としての、フィールドデイというアイルランドの草の根的演劇運動やバレンボイムの演奏活動の意義の理解に役立ちました@nobuko_kosuge

・<「わたしたち」についてだけでなく、他者について、具体的に、共感をこめて、対位法的に考えること>のできる新しい日本の若者が現われ、アメリカと日本で一挙に顕在化した異様な政治・文化的状況へ、決して同化しない智恵と勇気を、サイード「文化と帝国主義」から受けとめるよう期待する。(大江)

・(2006年自民公明の与党検討会が教育基本法改定に関する「愛国心」の表現について合意ー>「伝統と文化尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」)。これこそが。文字通り「文化と国民的アイデンティティーの一面化」ということじゃありませんか。こうした思想こそ文化の帝国主義(大江)





アート


・「趣味は議論せず」。だが、ふくろうねこはどうしても黙っていられない。ヌーベルバーグの映画人の名誉を守りたい。諸君がTLで称賛している映画は、シャブロルの本質とは全く関係がない。化粧品とファッション、高級車と豪邸、ルーチンワークの様に機械的に演じる怠慢な有名な俳優達、その寄せ集めだ

されど「趣味は議論できる」。今のフランス映画はなあ、とおっさん口調だが、もうおっさんなんだー「年齢不詳ですね」とよく言われるけど。フランス人は金持ちを演じるのが得意じゃない。彼らの本領は、人間とはなにか?という問い、ヌーベルバーグ風に言うと、映画とはなにか?という根源の問いなのさ


・フルトフェングラーは戦前のベルリンフィルの指揮者で、多くのユダヤ人の国外逃亡を助けた芸術家だったのですが、実際に演奏のときは、ナチスの旗で飾られた舞台で、仕事をしなければなりませんでした。ナチスのプロパガンダに利用されました。観客の意識にむかって、ドイツ音楽の擁護者としてのナチス像を植えつけるプロパガンダですね。結果的に、戦後ナチスの烙印をおされ、演奏中、爆弾が仕掛けらることも多々起きまして、事実上55年まで活動が出来きませんでした。ワルターなどユダヤ人の指揮者のなかにはフルトフェングラーを擁護する人たちがいましたが、カラヤンのように非難する者の声が大きかったのです。(ユンカー出身のカラヤンは実際に、ナチス党員だったはずですが)、現在に至って、フルトフェングラーはナチスとのかかわりがないと証明されていますが、ナチス時代に抗議の意思をはっきりと示す為に、ベルリンフィルの指揮者を辞職したほうがよかったのかもしれません。ただ、前述したように、楽団員のなかにユダヤ人が多く存在していて、当局の監視を逃れて彼らを安全に亡命させるには、指揮者として働いていたことが有利だったと判断したようです。

・アルバムやお見合い写真がなかった絶対王制の時代、スペイン外交使節は王子の肖像絵画をスエーデン王のもとに持参しました。エリザベスはグローブ座の一番目立つ所に座って自身の姿を誇示しました。王は昔はコイン、現在は紙幣のなかに描かれています。所有者は資本家ですね!


映画・演劇

・ゴダールの主張は、フィクションとドキュメント(虚構と現実)に尽きる。曰く、L'idéologie bourgeoise et révisionniste moderne fonctionne en montrant comme réel ce qu'elle produit comme fiction, donc en masquant l'un des terms de l'unité contradictoire; fiction-réalité本来一体である虚構と現実、だから、一方だけ切り離して実体化するのは隠蔽に等しい、と。ふくろうは虚構派、ねこは現実派、だから仲良くしよう

・物語は思い出せなくとも、その監督がフェティッシュに描いた眼鏡や鍵や瓶を忘れることができない。ヒチコックはそんな「宇宙の支配」を成し遂げた。シャブロルの映画は?よそ者の心理的疎外感がブルジョア家族の秘密の周りで転回する。しかし、人間を中心とした、事物の秩序を破壊できないままの表現だ

・三島由紀夫原作の映画化、「音楽」を鑑賞した。増村監督のイタリアで培った美意識も、開高健の小説の如き凡庸さで色褪せる。政治を避けるからだ。三島はちがう。婦人公論で連載した小説、精神分析医は新左翼みたいだ。結局、フロイト的抑圧の主題も、村落的共同幻想の湿った物語に置き換えられてしまう


・モダニズムの定義、ポストモダニズムの定義によるのだが、ゴダールは浅田彰が評価するように一貫して前衛的モダニストだったのだろうか?映画のあらゆる可能性は五十年代後半に尽きてしまったとするゴダールの言葉をそのまま受け取るなら、映画人生の出発点からポストモダニズム的だった。簡単ではない

・友人の映画監督が撮った大川小学校。泥と瓦礫と備品に埋め尽くされた長い廊下。無骨な一点パースで前へ前へ。その先の教室。埋もれたロッカーに我が子の名残を探す夫婦。撮影拒否。…印象的なカット。褒めたら、監督曰く「そのシーンは使わない」「危うく物語を編むところだった」

・technique révolutionnaire, caméra à la main, permettant à Godard de tourner comme il écrit
ヌーヴェルバーグの手持ちカメラ。伊ネオリアリズムの作家達がスタジオの外へ出たときに既に始まっていた



・フランスのドルビルというと、メルビルの映画「賭博ボブ」の舞台となった街で、旅の途中で一日だけ泊まったことがある。映画のなかで撮影した賭博場は現存しており、コンテンポラリーのダンス・パフォーマンス、イスラム的な身体技法を取り入れたものを興味深くみた。ゴシックの建物が並ぶ可愛い散歩道

身体


・「伝統と文化尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」。これは「文化と国民的アイデンティティーの一面化」、「文化の帝国主義」だ。日本人の、「健康」の表象と一体となった「環境」の表象。原発ポスターとハリウッド商業映画の祖先崇拝を描いた夢が続く。リアルなアイヌと沖縄は存在しない

・「伝統と文化尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」。日本人の、「健康」の表象と一体となった「環境」の表象。しかし想像力は表象できないー立ち入り禁止を含んだ沖縄とフクシマのことを。貨幣が表象するのは、原発ポスターとハリウッド商業映画(「アバダ」)の祖先崇拝を描いた夢ばかり


・パリ革命の学生は劇場に逃げ込んでそのまま舞台上で演じた。警官を煙にまいた。アイルランドのグレゴリー女士の作品に類似した話があり、フォードが映画化した。警官は、独立運動活動家を劇場裏口からボートに乗せて逃がすと、忘れていた歌を思い出す。見事に、自由の船は戻って来たのだー歌に変容して

・昔小学校の門の傍に、高木ブーさんのご自宅があった。二階ベランダに時々現れた。緑の雷様のブーさん、太鼓を叩いて雷音を出すも、たった一回だけ。態度がでかいと長介から文句が出ると、「二十年間同じだよ、一回なのは給料が低いから」と反論。その後解放されたのか、素晴らしい歌が次々と咲き始めた



自然


外国

・光州事件か。あの頃に twitter とかあったら違ったんですかね。 RT @antifachegewalt: 今日は5・18です・・ 祖国の民主化闘争で犠牲になったすべての市民、学生に黙念・・오늘은 광주 항쟁의 5•18이구나.묵념...

・「フランスにおける哲学のあり方はスコラ哲学の詰まらぬ伝統を引き継いでしまっているという見方あり」。そうか・・何故、フランス人女性達が自分の似非哲学の屁理屈に好意的なのか、その理由がわかった。やはり二年間ぐらい、猫科の人々と一緒に、その「詰まらぬ伝統」の中に住まないとダメだな・・・


・理念としての反原発派から現実としての反原発派へと、恐ろしい不条理に生きる現在の方が、思考を明確にしてくれます。アイリッシュの友人は脱出して逞しくユダヤ人の様に生きよ、と言います。ユダヤ人と華僑のネットワークを意識した愚作・小説マルクスは日本人の未来像かな・笑

・ジョイスの本は電話帳。実在したアイリッシュの名前を羅列している。悲劇的キャラクターの寄せ集めで、中には、ピノキオやシンデレラ、ミツバチマーヤの名も挙がる。が、マリアはユダヤ人と思うんでだけどね。ノリース曰く、「イエスの時代、野蛮人だらけのアイルランドで、誰が処女だったのか」と・笑

・ジェイムス・ジョイスの本(「ユリシーズ」)に、10ページぐらい、実在したアイリッシュの名前が電話帳のように、羅列してあるんですね。抑圧された、悲劇的なキャラクターを寄せ集めたという感じで、中には、ピノキオやシンデレラ、ミツバチマーヤの名前も見つかります。やはり、マリアの名前を書き記しているんですが、さすがにユダヤ人と思うんですけどねー、冗談ではなく、マジな話、マリアがアイルランドで生まれたはずだと信じこんでいるアイリシュが結構いましたよ。次期大統領候補でジョイス研究家のデビット・ノリース曰く、「イエスの大昔の時代、野蛮人だらけのアイルランドで、一体どいつが処女だったんだ」と、ウインクしてくれました。

・クリントンと争っていた時、ケネディーの役割に非常に意識的なオバマが、アイリッシュの子孫ではないかと想像したものです。


Tá mé go maith. ターメー・ゴマイ「私は元気です。」


東京


「君が代斉唱時に教員の起立を義務化する条例案」は事実上、拷問に等しい。起立の不作為は危険な行為なのか?罰しなければならないほど明白且つ現在の危険があるのか?直接罰則を設けず地方公務員法で処分するつもりなら、罪刑法定主義の憲法的保障の殺戮と知れ。大阪を法なき土人の島にしてはならない

・昨年の憲法記念日の集会ですが、その元音楽教師が講演しました。ショパンの演奏で始まりました。何故、ショパンですか?と後で質問したら、困難な裁判を励ましてくれた母の思い出のこと、そして、正義を踏みにじる権力に対するショパンの怒りを感じ取れるのだそうです


・裁判を続けている元音楽教師から直接伺いました。「君が代」は戦前の文脈を考えると、「敵兵を殺して死んだ者は英霊として靖国神社に祭ってやる」と呼びかけた歌と言ってました。文部省はとんでもない歌と知ってますから、絶対に意味を明らかにしません

・@NaoiseOdriscoll有難うございました。国歌斉唱を拒んだ先生四千人が懲戒処分を受けました。自由な都立高校も石原知事のもとで、悲惨な状態です。軍医だった父親が中国で人体実験を行ったと、苦痛に感じた先生がピアノ伴奏を拒否しましたが、裁判所は思想良心の自由を認めませんでした

・たしか、裁判での国側の主張はこんな感じ。「君が代の斉唱は人権的な良心の自由を侵害しない。何故なら、歌の物理的な性質というのは、心の思想的な領域と関係がないから」と、馬鹿げた屁理屈です。坂本龍一は裁判の証人として「歌と心は一つ」と述べたのは当然です


@NaoiseOdriscoll ラテン語みたいに古い和歌ですから、古文の専門家でないと一語も分らないんですが、ウィキで調べますと、由来や意味を解説しています。ただ、明治に国歌として成立した歴史的コンテクストを重視して解読なさった、元高校教師(音楽)の理解が合理的で妥当と思います

・日本はテレビの植民地か?テレビが疑うべくもないと思っている人々。私達はテレビを見る時、背中を丸めて首を垂れている。テレビの前で、卑屈なくらい礼儀正しい。監視された囚人の如く。気がついた時は遅し、歌の意味も分らず「君が代」に蹂躙されているー目隠した大阪、絞首刑ロープの前で起立するか

・朝日の夕刊、十九日に原発を襲った津波の公開写真の横に、「福島原発、あの日の津波」とタイトルが添えてある。思い出の風景の絵葉書の文句みたいね。フクシマを過去の出来事とし、これまでの原子力計画を続けるとすれば、そのあいまいな日本の、次の私達に、果たして未来はあるのでしょうか?(大江)


・卒業式行事のとき、補習校の子供達(当時小学校六年生)に、「君が代はこうこう、こういう歌だから、歌うか歌わないかは自分で決めなさい」と諭した。子供達は「そんなことは知ってまーす。あんなもん歌いたくありません。でも歌わないと親に叱られるから、口だけパクパクして歌っているふりをします」

・スピノザは世界の分割不可能性を証明した。高校のとき先生は、二つに分けられると言った。ソビエト的左翼的実体の「世界」と、アメリカ的右翼的実体の「国際」だ。「世界」六月号で、有名なビジネスマンが一ヶ月前まで原発がクリーンと信じていたと書いていた。原発ポスターの「国際」の住民だったか?


・言葉は踊る、されどメルトダウンは止められない。技術者の視点で語るつもりの者、独占は悪しと道徳に訴える者、官僚の吐息で計画経済ならぬ計画停電を分析する者、弁護士のつもりで賠償額を勘定する者。事件の「後」の如き冷静な語り口は、自分を安心させたいためだ。けど二号機と三号機もメルトダウン


・電車の中で、「マジ、それって?マジー」と、永久に反復し合う女子高生数匹。その一匹が携帯を取り出して応答した;「マジ、それって?マジー」と、電話の相手に向かって繰り返し始める。と、他の二匹も、携帯で話している;;「マジ、それって?マジー」。ヤベ、この話題って、マジ結論がなくなーい?


・BBC;Japan still believe a "cold shutdown" is possible by January. 文中の"still"だけど、望みは「まだ」あると日本の思い込みを伝えたいのか、「まだ、そのカレとつきあってんの、マジキモチ悪くなーい」の「まだ」か?


・コロニアル様式国会議事堂をみると、アフリカの地図を思い出す。いかにも一人の白人が定規を使って拵えちゃった!君が代の曲もそんな感じ。戦後天皇制のデザインは英国起源。日本というネイションの営みは特定のブルジョア家族に還元されていると解せる詩。ブルジョア的な石原や橋本がこの歌を好む理由だ


・ジジェク曰く、米国のフェミニズム的強迫観念は、「セックスは楽しむべし」と妥協を許さないイドからの検閲だ!他方、君が代の検閲は、立ちなさい、立ちなさい、立ちなさーい、と命じる破廉恥な性的放埓だ。立たぬものは立たぬと労働者を眺める左翼、永遠の持続の歌で自分を欺く右翼、障子を破る天罰男

・五反田駅前チェーン店の喫茶店のウエイトレスから、「お客さん、その帽子とサングラス似合ってますね。カッコイイー」と言われた。w、w、うれしかったー。内輪の者にこの話を告げて明日も行くと言ったら、曰く、「あんたね、スチュアーデスに奉仕してもらって喜ぶクソ親爺と変わんないよ」(ドーン)

・日本「村」の縮図か?安斎育郎氏は、学生の頃から「原子力の安全が破綻したらどうなるか」ということに関心があった。そのせいで、原子力村の研究者から「村八分」にされ、東大で研究者だった17年間、ずっと助手のままだった。主任教授が研究室メンバー全員に「安斎とは口をきくな」と厳命したという


・新聞で、元東電副社長で自民党参院議員だった人物が、「原子力村の使い走りとして国政をやってきた」という評判に「失礼千万」と不快感を表していた。日本人の猿芝居、「とぼける」、「泣く」、「開き直る」を繰り返す。俺には責任がない。俺を担ぎ出した国と東電と業界団体の共同責任だ、と傲慢の極み


・共同トイレの流しを使って風呂プールにしていた時代、三年間コンビニで働きました。私も残飯を持ち帰りました。ダブリンのコンビニは凄くて、店員達がエデンの園の恵みの如く、新鮮な!食べ物を客前でワイワイ仲良く食べていました

・「ユートピア論+終末論」は、言い出した人と集団に得になるのか?試してみよう・笑。百年後、アジアに彷徨える人々が豪州の砂漠に終結、祖国復興の神殿造りの土地を購入。記録から君が代を再建するも、ひらがなを理解できる者が誰もいないか。原発で国が滅んだ後の土地購入資金をふくろねこ銀行へ送れ


・ヘーゲル「小論理学」のファンでした。「無思想な観察者は、規定された事物を単に肯定的なものとのみ見る。そしてそれを有の形式のもとに固持する。しかし、万事は単なる有で終わるのではない」。デモやるなら巣鴨とか人のいない所でやれ、渋谷だと迷惑、と考えているあなたは、「無思想な観察者」だよ

・質は向他有 Sein-fuer-anderes である。このような他者への関係に対して「質」の有そのものは即自有 An-sich-sein である。


Nobukuni_Koyasu子安宣邦氏のツイートからの引用


[昭和初期の政治的事件、満州事変(1931)も5.15事件(1932)も関東大震災(1923)からの日本の復興過程の事件だと見ることができる。昭和前期史をもう一度しっかり見ておくことが必要である。]

[大川周明の『日本精神研究」は震災後の精神復興の呼び声に応えて書かれたものである。だから彼において「日本精神」とは日本の復興を可能にする革新的改造のエートスであった。これは私の研究会(9日/早稲田)報告の予告である。]

[ついでにいえば、孫文は1912年の臨時大総統離任にあたっての講演で、たとえ民族革命・政治革命が成されても、「民生」主義的社会革命が不首尾ならば、専制君主よりも激しい資本家たちの圧制を生むだろうと警告している。これを百年後の現代中国に対する警告として聞いてもよいのではないか。]

[例えば1924年の「復興する東京」という号を見ていくと、その年の1月にレーニンが死んでいる。6月、焦土東京に土方与志らが築地小劇場の旗揚げをする。「大日本主義の幻想」を書いた石橋湛山が「東洋経済新報」の主幹となる。]

[震災で関西に移住した谷崎潤一郎が『痴人の愛』の新聞連載を3月に始める。宮沢賢治が『春の修羅』を自費出版したのもこの年である。国際的には米国で「排日移民法」が5月に成立。孫文が11月に神戸で「大アジア主義」の講演をする。孫文はその翌年3月に死亡する。]

[普通この言葉に、老いてなお道を求め学び続ける孔子の姿を読むのだが、私は孔子が老いてなお「憤りを発して」学ぶ人であったことを重く見たい。「憤る」とは心中の鬱憤を発することである。日本語では「怒る」と同義である。孔子は老いてなお憤りを発する人であったのだ。]

[原発を国策として推進してきたのが、官僚主導的な〈政・官・財・学〉一体的なシステムであることが明らかにされたいま、この災害からの復興をまたこの一体的システムの手に委ねることはできない。それは許されない。復興過程に住民(市民)の介入が不可欠であることは、この災害そのものからくる。]







分類できないもの、無用なもの、役に立たないもの



・フェイスブックからこの「呟き」の空間に来ると、なんと形容すべきか?分析の確信に満ちた言葉だけでなく、彷徨う孤独な祈りや呪いの言葉にも遭遇する。堅固な原子が直線的に衝突してくることもある。自己顕示、それも、RTを繰り返す自己顕示のあり方というのも、人間の滑稽な性質を垣間見せてくれる

・一号機に続いて、二号機、三号機・・・いいえ、サンダーバードの話じゃないんです。原発のメルトダウンのことです。4号機も危険とか。ツイッター暦が半年過ぎましたが、この先は分りません。十年続けたいと思っていますが、ハハ、生きていますかな? フォロワーの皆さん、今後も宜しくお付き合いを!


1、隣で若いお兄ちゃんが、遊び人風素人娘二人をキャバクラ譲として勧誘している。「自分の力で稼ぐって、素晴らしいことさ」。「でも自分で働いたお金って貯め込んじゃうけど、親から貰ったお金なら、クラブの友達の為に使えるし」。「一応住所をきいておこうか」。その後、従順に男の後に従って退場

2、隣で政府の役人が、街の遊び人をホステスとして勧誘している。「独立した立場で考えって、素晴らしいよ」。「でも自分で考えると手間がかかる。法務省と検察から頂いたマニュアルなら簡単で出世もできるしみたいな」。 「一応住所をきておこうか」。「裁判所」。その後、従順に男の後に従って退場

3、隣で「苔むす」が、大阪府知事に起立と斉唱を命じている。「国歌を歌えるって、素晴らしいことよ」。「でも、特定のブルジョア家族を称えちゃったあの歌ってキモイしー、それだったら、ふくろうねこの歌を国歌にしちゃえばいいのにさ」。「?」。「パンストで/異邦人さそえ/鐘の音(パチッ!)」


・省エネの時代とはいえ、怒りまで節約したくありません・笑。原発が増えた時期,デモがなくなっていったそうです。たしかにもっと多くの怒りの声があれば、放射能の量を減らせるのではと思いますが@nobuko_kosuge 私も、そのかたのそのツイートを見かけて、ちょっと驚きました。

・イタリア人の友達の言葉を思い出しています。彼らが日本人を憎む一番の理由が「怒る時に怒らない」といってました。近現代イタリア史は隷属の歴史なので、怒りというのは抵抗のときに欠かせなかったのでしょう・

もはや原発のことを心配ない人はいないが、なぜ怒りが無いのか?TLで拾ったお利口さんの言葉。「怒ったり嘆いたりしていれば船が戻ってきたり瓦礫が片付いたり放射能が減るんだったら、そうしていればいいさ」。成程、生活実感は心配するが、怒りという、隷属を拒否する人間性とは関係がないのだろう


・「伝統と文化尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」。日本人の、「健康」の表象と一体となった「環境」の表象。しかし想像力は表象できないー立ち入り禁止を含んだ沖縄とフクシマのことを。貨幣が表象するのは、原発ポスターとハリウッド商業映画(「アバダ」)の祖先崇拝を描いた夢ばかり

・「伝統と文化尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」。これは「文化と国民的アイデンティティーの一面化」、「文化の帝国主義」だ。日本人の、「健康」の表象と一体となった「環境」の表象。原発ポスターとハリウッド商業映画の祖先崇拝を描いた夢が続く。リアルなアイヌと沖縄は存在しない









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ALSO SPRACH OWLCATO ふくろねこー、かく語り き 2011年月5月後半 本多敬  言葉と表現と射影のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
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